決戦(1)
二〇六七年一二月三日午後十時。
最終的に見学のはずだった裕紀と玲奈も加わった食後の運動(裕紀は魔法の手解きのみ)を終えると、四人は各々の準備のために一度解散することとなった。
互いにシャワーやら武器などのメンテナンスを整えていると、あっという間に三十分もの時間が過ぎ、玲奈と裕紀を含めた四人が揃って作戦室へと赴いた時刻は集合時間の十分前だった。
すでに作戦室にはリーダーの後藤飛鳥と役職不明の萩原恵が待っていた。
恵は自身のノートパソコンを操り、一緒に作業している飛鳥と何かを話し合っている。
耳を澄ませてみると市街地の状況、魔力の反応など、聞いて把握できるものとそうでない単語が二人の間を行き来している。
この後の作戦について何かしらの協議をしているようだ。
今日、この場に集まる予定のメンバーは司令官の飛鳥を始め、各チームのリーダーである玲奈、ましろ、昴。そして彼らが率いるチームの副リーダーという立ち位置の魔法使い。
そして、この作戦の鍵である裕紀自身だ。
アークエンジェルでの役職は不明だが惠もこの会議に参加するらしい。
作戦会議開始まで残り三分を残した頃、三人の男女の魔法使いが作戦室に入ってきた。
三人は先に入室していた自分たちのリーダーに挨拶すると、静かに彼らの後ろに控えるように立つ。
玲奈の後ろに立った魔法使いは刈り上げた髪を茶色に染めた男性。
昴の後ろには黒髪を三つ編みのお下げにした眼鏡が印象的な女性。
ましろの後ろには、毛先にウェーブがかけてある肩まで伸ばしたブロンドヘアと、活き活きとした表情が特徴的な女性が立った。
徴収を掛けられたメンバー全員が集まり、しんと静まった作戦室に緊張感が漂い始める。
そんな雰囲気に当てられてか、裕紀は自然と背筋を伸ばした。
「全員揃ったな? では、これより作戦の最終確認を行う」
作戦室の時計がちょうど二十三時になったところで、パソコンから顔を離した飛鳥が声を掛けた。
作戦室の緊張感が一層張り詰めたものとなり、裕紀は背筋を伸ばしたまま続きの言葉に耳を傾けた。
「本作戦は敵の魔法使い、加藤徹の企てを止めることだ。すでに承知しているだろうが、加藤と戦う魔法使いは新田裕紀となっている。これは現メンバーである柳田彩香の命を懸けた取り決めであるため変更はできない」
この場にいる全員の上に立つ存在であることを意識しているためか、飛鳥の語調ははっきりと部屋に響いていた。
作戦概要の一つを喋り終えた飛鳥に、一人の魔法使いが手を上げた。
そのことに気付いた飛鳥は、視線で発言を促す。
挙手した魔法使いは昴の背後に控えていた黒髪お下げの女性だ。
「もう決められてしまった約束に文句は言いませんが、一つだけ確認させてください」
はきはきとした、高校なら学級委員長が良く似合いそうな口調で言った女性に、飛鳥は一度頷いて了承した。
「彼は魔法使いとなってから日が浅いのですよね? 魔法戦闘の経験が敵より圧倒的に劣るというのに、味方のサポートがなくて大丈夫なのですか?」
事情を知らない者なら当然抱くだろう疑問に、飛鳥は真剣な表情を崩さずに答えた。
「それに関しては心配はいらない。彼は異世界で魔獣と戦っているし、戦闘訓練も玲奈や昴から手解きを受けている。予定していた期間よりは大分短かったようだが」
「短期間で習得できるほど魔法戦闘のノウハウは甘くないでしょう?」
至極まともな意見に、飛鳥の表情がやや苦笑じみたものに変わった。どうやら気にしていたことを言い当てられたようだ。
(だ、大丈夫かな…)
体を張ったことなら大概の人を負かせられるだろう飛鳥も口論となるとあまり得意というわけではない。
内心で不安に思いながら耳を傾けた裕紀の聴覚に、やや自信の欠けた返答が届いた。
「まあ、彼の身体能力の高さは私のお墨付きだ。それに、新田ひとりというのが、敵の出した条件だしな」
部下の質問に上官らしからぬ曖昧な回答を返した飛鳥に、女性は眼鏡の奥の瞳をやや鋭くした。
もう二言三言言いたげだったが、彼女はぎゅっと唇を噛む。
もうすでに決まってしまったことに文句を言わないという自分の意志を貫くためか、質問の代わりに小さくため息を吐いて後ろに下がった。
女性との口論で少し自信をなくしてしまったかと思ったがそんなこともなく、むしろ少しも気に留めた様子を見せずに飛鳥は本題に戻った。
「さっき話した通り、加藤の相手は新田一人が担当する。その間、我々アークエンジェルは現在出動できる三チームのリーダーを見張りとして所定した場所へ配置する。副リーダと他メンバーは、万が一に備えて八王子市街全域を覆えるほどの人払いの準備を進めて欲しい」
「加藤の言っていた八王子市を襲う災厄に対する対抗策ってやつだ」
腕を組んで言った昴に飛鳥は肯定の頷きを返した。
「災厄、というのがどのような形で現れるか不明な以上、我々にできることは街の住人に被害を加えさせないことだからな」
確かに、対象となった空間を隔絶させる効果を持つ人払いなら周囲の住民に危害は出ないはずだ。しかし破壊された建物まで守られるわけではなく、破損箇所は戦闘後に修復が必要となる。
また、人払いが耐えられる限度を超えた破損は隔離されていると言えど多少なりとも影響は出るらしい。
どのような災厄を起こすつもりなのかは不明だが、どちらにせよ裕紀たちは街への被害を最小限に留めなくてはならないのだ。
「…とはいえ、一つの街を覆うほどの人払いに必要な人材と手間は相当なものだ。新田には悪いが、倒せないと判断した場合は、準備が整うまで加藤の行動を阻止して欲しい」
視線を向けられた裕紀は引き締まった口をしっかりと動かして答えた。
「俺は後藤先生たちにたくさん助けられました。俺の力がこの街を救える可能性があるのなら、全力で戦いますよ。足止めだって、可能な限りやります」
揺るぎのない裕紀の言葉に、飛鳥は小さく微笑んだ。
「だが、無理はしないでほしい。君が戦えなくなってしまったときは、我々が対処するから安心してもらいたい」
弟子であり生徒でもある裕紀の身を心配してのことでもあるのだろう。
一人ではないと遠回しにそう言われた裕紀は無言で頷いた。
それから、飛鳥は夢の丘公園の敷地図と八王子市の地図を用いて、およそ十数分の時間を費やして各チーム同士の打ち合わせを行った。
裕紀はどうにかして加藤の計画を止めることだけを考え、三人のチームリーダーは外部からの妨害がないか見張ることを考える。各チームの副リーダ―とメンバーは、裕紀が加藤を止められなかったときに起こるだろう災厄に備えて、八王子市全体を覆えるほどの人払いの準備をできるだけ迅速に進める。
今回の作戦は、参加者全員が確実に自身の任務を遂行させることが成功の鍵となる。
全ての打ち合わせが終わった頃には、裕紀を含め、作戦室にいる全員の表情が各々の緊張感に引き締まっていた。
ピリピリとした雰囲気が漂う部屋で、全員が集中力を高めていくなか、飛鳥が一層大きな声を上げた。
「この作戦は一つの街とそこに住む人々の命を懸けたものだ。失敗は許されない。逃げることなど尚更だ。それだけは、肝に銘じて欲しい」
飛鳥の言葉一つ一つがとても重く感じられ、この部屋に漂う重圧に裕紀は膝の震えが止まらなかった。
だが、そんな重圧などまるで気にしていないような表情で、七人の魔法使いは飛鳥の言葉を聞いていた。
アークエンジェルというコミュニティに所属している者としての誇りがそうさせているのか、恐らく、いや確実にこの中で怖気づいているメンバーは一人もいないだろう。
この部屋に集った魔法使いたちの身体から様々な色合いの過剰魔力が溢れると、それらは束になって飛鳥の身体へ纏わる。裕紀の身体からも黄金の過剰魔力が溢れ、七色の魔力に合わさって飛鳥に纏った。
それら全ての魔力をその身に受けた飛鳥は、堂々と顔を上げると誰よりも強い声で言った。
「お前たちの覚悟は私の覚悟だ。アークエンジェル、ひさびさの任務だ。全員、気を引き締めて挑め。以上だ!」
「了解!!」
最後は彼女らしくきっぱりとした口調でそう言った飛鳥に、裕紀を含めた八人の魔法使いは揃って応えた。
作戦会議を終えた裕紀たちは地下施設を後にして廃屋から出た。
各チームのリーダーと大まかな確認を行った副リーダーたちは、それぞれが率いるチームと合流するために八王子市街へ向かった。
「私たちも行きましょう」
そして、玲奈の一言で裕紀たちも決着をつけるために夢の丘公園へ向かうことにした。
一二月三日午後十一時五十分。
夢の丘公園施設内にあるドーム型植物園の敷地の広さは大規模な野球場くらいはある。施設内では様々な植物が管理されている。
雄大な自然を表現しているこの植物園には、都会化が進んでいくことでどこまでも無機質が広がる街並みではなく、本来の自然そのものの景色を求めている人々が多く訪れる。
もちろん、落ち着いた空間で濃密なひと時を過ごそうという多くの家族や恋人たちもこの施設を利用する。
いつもは大勢の人が歩いている施設内には一般客の気配はなかった。
もうとっくに閉館時間を過ぎているので当たり前ではあるのだが、しかし園内には一人の人影があった。
極力自然の日光を植物たちに浴びせようという管理人たちの配慮か、ガラス張りになった天井から差し込んだ月の光が、スポットライトのように男を照らしている。
黒いローブを身に纏った細身の人影は、明らかにこの施設の関係者ではなかった。
人影…、加藤徹もこの場所には深い思い入れがあった。
ここは彼が生涯、いや死後もきっと想い続けるだろう大切な人と最初に出会った場所だ。
出会いはほとんど偶然だった。気分転換にこの施設を訪れて、たまたま気になった花が昔から花好きだった彼女の好きな花でもあったのだ。
花などに関心はなかったのだが、どうやらその花のことを気に入ってしまったらしい加藤は、時間があればこの施設に出向いていた。
最初に話しかけたのは彼女だった。偶然この植物園の職員だった彼女は、この施設を訪れる度に自分の好きな花を見ていた彼に興味を持ったと言う。
それから何かと話が合い(二人が魔法使いであるということもその頃知った)、互いの良し悪しを共有していった二人は、やがて付き合い、家族となってからもこの植物園を訪れた。
娘が産まれてからも植物園は訪れた。物心の付いた娘も、父と母が好きだったあの花を好いていた。
いま加藤がいる場所からそう遠くない場所にその花は咲いている。
観に行こうと思えば行けるだろうが、果たして今の自分にその資格があるのだろうか。
当然、ないだろう。
もう加藤の両手は殺人者として赤い血に染まってしまった。この身体には、たった数日で十五人もの人間の魂が圧し掛かってしまっている。
殺された妻と娘が、この復讐で救われるなどとは思っていない。
これはただの自己満足に過ぎないのだとしても、何か行動を起こさなければ理不尽に大切な存在を奪われた加藤の心は、怒りと悲しみの濁流で壊れてしまいそうだったのだ。
(まあ、俺も人のことは言えねえけど…)
新田裕紀を庇ったあの女子高生。
彼女はあの魔法使いにとっては守るべき大切な存在だったらしい。
昔、自分がされたことの一歩手前のようなことをしているにも関わらず、加藤の心は何も感じない。
黒化を果たした今の加藤の心が受け付ける感情は、怒りと悲しみと憎悪だけだ。
黒化前は愛していたのだろう家族のことを思い浮かべても、黒化した今では失った悲しみと殺した者への憎しみしか湧いて来ない。
そういった意味でも、もう加藤はあの花を観に行くべきではないのだ。
差し込んでくる月明かりを触るように加藤は右腕を持ち上げた。
「今日で……今日で全部終わる。この苦しみからも、お前のいないこの世界からも解放される」
そう呟きながら加藤は胸元にある紫のペンダントを握る。
夜の冷気に当てられ冷たくなったそれを力強く握り締め、加藤は月明かりが差し込む天井を見上げた。
周囲に光源がないためか、一点の濁りのない空には星々がちらちらと瞬いていた。まるで天井に星空を描いた一枚の絵画が貼られているようだ。
すると、星々が瞬く夜空に一筋の光が弧を描いて消えた。
その一線を見た加藤は大きく見開いた瞳をゆっくり閉じた。
目に熱く滲むものがあったが、残念なことに今の感情を加藤の心は受け付けないので、何も感じることはない。
だが、ペンダントを握り続けていた彼の右手にほんの微かな温度が宿ったことは感じていた。
(最後まで見ててくれよ。全部終わったら、そっちに行くから)
心の中でそう呟いた加藤は、見上げていた顔を正面に戻した。
彼の聴覚が植物園内に響く一人の足音を捉え、加藤はペンダントから手を放した。
再び開いた彼の瞳には冷たい殺意だけが宿っていた。
その瞳に映る一人の少年の魔法使いに向けて、加藤は感情の籠っていない冷たい声を放った。
「さあ、始めようぜ。ここが俺と、お前の死地だ」
気がつけば十一月……
今年もあと一ヶ月で終わりなんですね……
時が経つのは早いです。




