決戦前(6)
一時間ほどで夕食の準備を終えた裕紀は、久しぶりにエリーと一緒に晩御飯を食べた。
夕食を終え食器等を片付け終えると、裕紀はいよいよ決戦に向けてアークエンジェルの地下施設へ戻る準備を整える。
不要な学生鞄は自室に置いて行き、魔光剣だけポケットに忍ばせておく。
「じゃあ、行ってくる」
全ての準備を終えた裕紀は、研究に没頭しているエリーに一声掛けた。
いつも通り、彼女に外出を告げるときの挨拶をすると、エリーは椅子を回して振り返る。
「ん、行ってらっしゃい。気を付けて」
きっとエリーは、これから裕紀が命を懸けた戦いに身を投じるなど想像もしていないのだろう。
それでも、黒タイツに包まれた細い足を組んでそう言うエリーの見送りに、裕紀は背中を押された気分になった。
なので、裕紀は普段通りに歩いて研究室を出て、日常通りに研究所の扉から外へ踏み出した。
現在時刻は八時半過ぎ。集合時間まで二時間の余裕はある。なので、裕紀は落ち着いた気持ちで身体強化を発動させると、人目に付かないよう建物の屋根などを足場にして移動を開始した。
それにしても、今日の午前から敵の動向は静かだ。
決戦前に一人くらいの刺客は覚悟していたのだが、この時間になるまで誰一人として何も反撃はなかった。
裕紀の身柄を請求してきた件についてもだが、敵は妙に律儀にこちらとの約束を守っている。
こうしてアークエンジェル地下施設へ向かっている今もそうだ。
魔法戦闘に不慣れな標的が一人という状況は、敵からすれば絶好の好機だろう。
だが周囲にそれらしい殺気は感じられない。
しかし油断は禁物だろう。もし本当に敵がこちらの約束以外の行動を起こすつもりがなくとも、周囲への警戒は怠ってはならない。
少しだけ緩みかけた心を引き締め直した裕紀は、アークエンジェル地下施設までの残りの道のりを慎重に移動する。
やがて、アークエンジェル地下施設への通路が隠されている廃屋まで辿り着いた裕紀は、辺りに誰もいないことを確認してから古びた扉のドアノブを回した。
廃屋に入ってすぐの大広間を通り過ぎ、そのままダイニングのある部屋へ直行する。
古びた長テーブルを横切り、右手側の壁に飾られている砂漠の絵画の目の前に立つ。
「あ…」
しかし、いざ絵画の前に立ってから裕紀は肝心なことを忘れていたことに思い至った。
(そういえば俺、地下施設に行くための呪文…教えてもらってないんだった…)
今回の事件は裕紀に関りがあるためアークエンジェルの一員として行動しているが、正式にこのコミュニティに所属している魔法使いではない。
恐らくこの事件が解決したのちに正式にコミュニティに加入する可能性は高いが、それまでにどんなことが起こるのか分からない。
組織としても本拠地の存続に関わる最重要事項のため、コミュニティ内では高い権力を持つ飛鳥も、そこまで気を早くして裕紀を加入させるつもりはないらしい。
なので、未だに地下施設へ続く通路を開く呪文を知らない裕紀は戸惑いを隠しきれなかった。
ほぼ条件反射的に携帯を取り出して画面に映るデジタル時計を確認する。
身体強化で移動したことが仇となったのか、再集合時間までたっぷり時間は残っている。
地下施設に入れない以上、外出している他のメンバーが来るまでここでじっとしていることも考えられた。
だが、如何せん冬の夜に廃屋で一人きりというのは精神的にも肉体的にも堪えるものがある。
あと考えられる選択肢といえば、ここから距離的には一番近い月夜玲奈の実家を訪れることだが、彼女が家にいなかった場合かなりの確率で誤解を招きかねない。
う~~~~ん、とたっぷり十秒は悩んだ末に、裕紀は覚悟を決めて月夜家に向かうことに決めた。
「まあ、後輩ってことできっと信じてくれるよな」
もしも玲奈が留守だった場合の言い訳をぶつぶつと呟きながら歩き出そうとすると、背後から女性の声が届いた。
「あれ? 裕紀くんじゃん。こんなところで何してんの?」
「う、うわぁっ!?」
誰もいないと信じ込んでいたせいか、突然の呼び声に裕紀は思わず大きな声を上げてしまった。
咄嗟に振り向いた裕紀の視線の先には、買い物袋を片手に持ったましろがいた。
突然の大声に彼女もびっくりしたようで、瞳を大きく広げていた。
しかし、すぐに驚きから立ち直ったましろは口元をにやっと歪ませると、そそそっと裕紀との距離を詰めた。
あっという間に裕紀との距離をほとんどゼロに縮めたましろは、肘で裕紀の脇腹を小突きながら言った。
「おやおやぁ~? もしかして、怖いの苦手だったかしら?」
「べ、別に怖いのは苦手ってわけじゃないですよ。ただ、集合時間よりも大分早く来てしまったから、これからどうしようかと思って」
「ふぅん。だったら、早く施設に入っちゃえばいいのに」
「そ、それは、その…」
何だか含みのある笑みを浮かべながらそんな発言をするましろに、裕紀がたじろいでいると思わぬ助け船が出された。
「いい加減にしなさい、ましろ。新田くん、困ってるわよ」
「う…、ぐむっ」
完全にましろの後ろに隠れていたため気づけなかった玲奈に、またしても悲鳴を上げそうになり裕紀は自分の口を両手で抑え込んだ。
そんな裕紀の素振りに気づいていないましろは、後ろに立つ玲奈に「はぁーい」という気の抜けた返事を返す。
どうやら二人とも私服であることから、アークエンジェルメンバーとして外出していたわけではないようだ。
そんなことを思っていた裕紀に、暖かそうな毛糸のシャツにジーンズを穿いた玲奈が小首を傾げて問い掛けた。
「ところで、さっきは何を呟いていたの? 後輩がどうのって、言ってた気がするのだけど」
「い、いや、それはその、少し考え事をですね」
「? 彩香と同い年なら、新田くんは高校一年生。ということは、中学生以下の後輩のことかしら?」
「まあ、そんなところです」
中学の頃も部活に所属していなかったため仲の良い後輩はいなかったが、唯一後輩と呼べる存在は裕紀にもいた。
特にこの場で後輩のことは考えていなかったが、玲奈の問い掛けに反射的に答えてしまった。
だがそこまで他人の事情に踏み入れるような性格ではないからか、案外信じてくれたようで玲奈は何も言わずに砂漠の絵画の前に歩み寄った。
慣れた仕草で絵画の表面を指先でなぞると、部屋を揺らすほどの振動と共に長テーブルが奥側へと移動した。
「そういえば、新田くんはまだ正式なメンバーではないから解錠の仕方を知らないのだったわね」
「はい、そうなんです」
結局、二人に恥ずかしい姿を見せてしまった裕紀は肩を落として弱々しく言った。
そんな裕紀を一瞥したのち、玲奈は静かに表れた地下へと続く石階段を下って行った。
「…玲奈、結局フォローになってないような気がするんだけど」
「あははは…」
後ろから呆れたような口調で言ったましろの言葉に、裕紀は苦笑を返すと玲奈の背中を追って階段を下った。
暗い石階段を玲奈が発動させた光魔法フロート・ライトの灯りを頼りに下った三人は、最下層にあるアークエンジェル地下施設の扉の前で立ち止まった。
三人を代表して玲奈が指紋認証装置に指を入れると、周りの石造りの壁とは雰囲気の異なる鉄製の扉が滑らかに横へスライドした。
裕紀の目の前に、どこまでも続いていそうなほど長い、真っ白で硬質な通路が現れる。
三人が全員通路に足を踏み入れると背後の扉が音もなく閉まる。
監視カメラは一台も設置されていないが魔法で監視されていると、以前ましろに言われたことを思い出していた裕紀はやや意識を廊下へ研ぎ澄ませてみる。
しかし、そう簡単に敵に感知されては監視の意味がないからか魔法の気配は全く感じられなかった。
こればかりは今後の修行で魔力を感知する術を習得するしかあるまい。
ところで、裕紀はまだこの二人の行き先が何処なのか知らなかったのだが、真っすぐ通路を歩く二人は作戦司令室と作戦室へ続く扉が視える距離で立ち止まった。
すぐ左手にはスライド式の扉があり、指紋認証の装置も設置されている。
まだどの扉がどんな施設へ通じているのか把握しきれていない裕紀は、その扉が何処へ続いているのかすぐには思い出せずにいた。
確か、作戦司令室から三番目の扉の先にあった部屋は、そう、訓練施設だったはずだ。
(訓練施設? 戦闘服も着ていないのに、何をするつもりなんだろう?)
一応、訓練施設にも更衣室はあるがそれにしてもましろが手に持っている買い物袋が気になる。
そんな疑惑など露ほども知らないだろう玲奈が自身の指紋を翳して第一訓練施設への扉を開ける。
二人は更衣室へは寄らずにそのまま訓練場へ直行する。
訓練場へ続く暗い廊下を五分ほどで歩き切った三人は、照明に照らされた広大な訓練場に足を踏み入れた。
あらかじめ予約を取っておいたのか、第一訓練場に人気はなかった。
ただ一人、高さが二キロメートルはあろう白い壁に背中を寄りかけた男性の魔法使いがこちらに手を挙げていた。
二人と同じく私服姿の男性魔法使いは、裕紀の剣の師の内の一人、蘭条昴だった。
なんだか前にもこんな事があったような気がしたが、そんな裕紀を他所にましろが買い物袋を持ち上げて駆けた。
「おっまたせ~。ちゃんと待っててくれたんだね、関心関心」
「関心って。どこへ逃げる必要もないだろ?」
幼馴染にそんな言葉を放つと、昴の瞳は後ろから付いて来た裕紀に固定された。
「おー、新田か。まだ集合時間より随分と前だが、いったいどうした?」
丸太のように太い腕を組んで低い声でそう言った昴に、裕紀はここに三人で来ることになった経緯を話した。
短い話なのですぐに終わった説明を聞き終えた昴は遠慮なしに笑い声を上げた。
「あっはっは! まあ、正規メンバーとして認められていない以上、それは仕方ないな!」
ひとしきり笑った昴は、突如、どすんと訓練場の床に座る。
そんな昴に倣うように、ましろと玲奈も床に腰を下ろした。
何故だか自分一人が立っている状況となってしまい、地味に恥ずかしくなった裕紀は三人の先輩と同じように座った。
どうしていきなり訓練場に座りだしたのだろう、と疑問に思っていた裕紀だったが、その答えはすぐに明らかになった。
裕紀の隣で胡坐をかいて座ったましろが買い物袋の中に手を入れる。
ガサゴソと音を立てて袋の中身を漁ったましろは、順に取り出した三つのものを目の前に座る昴へ放った。
「ほいっ、昴のぶんね」
「悪い、ましろ。サンキューな」
「いえいえ~」
放られた三つのものを起用に受け取った昴は、三つの内の一つを手に取って礼を言う。
礼を言った昴の右手に握られているものは、ビニールに包まれた三角形の形をしたおにぎりだった。
それが、昔から国民たちに愛され続けているコンビニのおにぎりであることは一目瞭然だった。
どうやらこの三人は夕食をまだ摂っていないのだろう。
見ればましろは玲奈にもおにぎりなどを手渡している。
全員分のおにぎりを渡し終えたましろだったが、この場にいるただ一人だけ予定になかった人物がいることに気付いた。
「ごめん、裕紀くんのぶんのおにぎり買ってないや…」
さすがのましろも、一人だけ晩御飯を食べていない状況は気まずいらしい。…かと言って、この場で料理を出来る機材も具材もない。転移魔法が使えないここでは、すぐにコンビニのおにぎりを調達することも難しいだろう。
ただ、幸い裕紀はここへ来る前にエリーと晩御飯を食べたばかりなので空腹感はない。
そのため、三人が食事をしていても裕紀は何ら問題はないのだ。
「大丈夫ですよ。俺はさっき食べて来たんで。皆さんは遠慮せずにどうぞ」
「そ、そう? いや、でも…」
裕紀が食事済みであることは納得したようだが、ましろは一人だけ省かれているように見えるこの状況が嫌らしい。
「私のおにぎり一個あげるよ。戦いはこれからなんだし、一個くらいなら大丈夫でしょ?」
「え? でも、ましろさんも戦うんですし、食べたほうが良いですよ」
特に彼女は生命力をよく使う、身体強化を用いた戦闘を得意とする魔法使いだ。
体力を付けられるのなら、少しでもそうしておいたほうがいい。
「そうだぜ。お前は飯食っとけ。新田には俺からやるからよ」
そう言って、昴は自分のおにぎりを裕紀に目掛けて放った。
慌てながら受け取ったおにぎりから昴へ視線を向けた裕紀に、本人は太い笑みを浮かべて言った。
「俺は剣がありゃそれで戦える。もともと生命力を酷使する戦闘はしないからな」
そうは言うものの、となおも遠慮しようとする裕紀に、正座で座った玲奈が落ち着いて言った。
「恐らく今回の戦いで一番疲弊するのはあなたよ。ここは遠慮せずに貰っておきなさい」
ここまで言われて遠慮するとなると、むしろ失礼なのだろうか。思考を巡らせた裕紀は、優しい先輩の気遣いに乗り、諦めておにぎりを貰うことにした。
「ありがとうございます。いただきます」
裕紀のお礼を聞いた三人は、揃って笑みを浮かべると「いただきます」を言って一緒に食べ始めた。
十五分かけてコンビニで購入したおにぎりなどを食べた四人は、一緒に買ってきたホットティーも飲み干すと一息吐いた。
すると、一人だけ大きく身体を伸ばしたましろが身軽な動作で床から飛び上がった。
起き上がってからもストレッチのように何度か身体を動かしたましろは、準備完了と言わんばかりに元気な声を出した。
「さて、お腹も膨れたことだし食後の運動といきますか!!」
えええ!?っ、と内心で驚愕していた裕紀の代わりに、昴が呆れ顔で怒鳴った。
「作戦前に体力を消費するバカがどこにいる?」
「大丈夫よ。ただの食後の軽い運動。扱う生命力も自然回復する程度にするわ」
こうと言ったらなかなか考えを変えないましろの発言に、昴は黒髪の頭をがりがり掻くとため息混じりに言った。
「ったく、仕方ねえ。昔から頑固な性格はちっとも変わらない」
「それが私の良い所でもあるのですっ」
妙に自慢げに胸を張ったましろに、立ち上がりつつ愚痴を零した昴は微笑を浮かべた。
「ついでだし、玲奈と新田もどうだ?」
気安く誘われた裕紀だったが、昴の誘いに玲奈は首を横に振った。
「私は遠慮しとくわ。新田くんと話したいこともあるから」
そう言いながら赤い瞳を向けられた裕紀も、自動的に運動には不参加ということになった。
「玲奈さんもこう言ってますし、俺も見学だけで大丈夫です」
そう返した裕紀と玲奈に昴は一度頷く。
それから大きく背伸びをした昴は、自分の肩よりやや下にあるましろの顔を見て言った。
「そうと決まればさっさと始めるぞ。五分後に訓練場に集合だ」
ニヤッと不敵に笑ってみせた昴に、ましろは頭の後ろで手を組みながら唇を尖らせた。
「え~、女の子には色々と準備が必要なんだよ~?」
「そんなの知るか。別に化粧するわけでもあるまいし」
「それ以外にもたくさん準備があるんだって」
さすがは幼馴染。仲睦まじい会話を繰り広げながら更衣室へ向かう二人の背中を、裕紀はほんのりと眺めていた。
正座を崩さずに二人の幼馴染の背中を眺めていた玲奈の表情もやや和らいでいるように見える。
しかし、そんな表情は一瞬で消え去り、いつものポーカーフェイスへ変わった玲奈は裕紀に話しかけた。
「私たちもそろそろ行きましょう」
「はい、そうですね」
そう答えた裕紀の声音は、これから話される内容が気になり、少しばかり強張っていた。
アークエンジェル地下施設にて幾つか設立されている訓練場の中で、第一訓練場はフィールド構成という特殊な設定を備えている。
そこの観覧スペースに移動した裕紀と玲奈は、揃って隣接しているベンチに腰を掛けた。
二人からの要望はなかったため、移動前は簡素な空間だった訓練場は、ランダムで選択された地下駐車場フィールドへ変わっていた。
何が起きるか予測不能な訓練場から身を守るための防護ガラス越しには、黒髪を後ろに結んだ男性と、赤毛のショートボブの女性が向かい合っている。
それぞれ更衣室で衣服を戦闘服へ着替えて来たのか、二人とも服装は黒を基調とした色合いとなっていた。
本当にただの食後の運動のつもりだったのか、二人が纏う雰囲気は柔らかく感じる。よく見てみれば笑顔まで浮かべて話している。
その雰囲気からは、これから命懸けの魔法戦闘の訓練をするなどとは全く感じられない。
「あの人たち真剣にやるんでしょうか?」
観覧席から視る二人の姿が、裕紀の知っている友人たちと一瞬だけ重なり、思わずそんな呟きが零れた。
そんな裕紀に、隣に座っていた玲奈は表情を変えずに言った。
「大丈夫よ。ああ見えて、二人とも真面目だから。それに、人一倍負けず嫌いな性格でもあるのよ」
「へ、へえ。そうなんですか」
玲奈の話を聞いて、ますます昴とましろが友人と重なってきたところで、向かい合っていた二人が動いた。
準備体操を終えた昴が腰から魔光剣の柄を手に取ると、その動作に同期するようにましろがが半身を後ろ引いた。
その瞬間、二人の顔から笑顔が消えた。
先ほどまで纏っていた二人の柔らかな雰囲気が嘘のように掻き消え、代りにピリピリとした緊張感が伝わってくる。
実戦を想定してか、この訓練場に訓練開始等のサイレンは鳴らない。
各々がそれぞれのタイミングで戦闘を開始するという形式だ。
二人が静止していた時間はたった五秒だったが、裕紀にはその時間がとても長く感じられた。
気が付けば、二人の姿は所定の位置からはとうに消えており、慌てて姿を捉えたときには青白い刀身と、オレンジに輝く拳が衝突していた。
拳と剣の接点から閃光が瞬くと同時に、ドゥンッ! という音と衝撃が広がった。
衝撃は裕紀たちのいる観覧席にまで届き、防護ガラスを強く叩いた。
衝撃の中心には小規模のクレータが発生しており、周囲に立ち並ぶコンクリートの柱には幾筋ものヒビが走っていた。
「す、すご…」
いきなりのぶつかり合いに、ガラス越しにも関わらず裕紀は思わず身を引いてしまっていた。
ほんの数秒、その場から動かなかったのは、互いに二言三言言葉を交わしていたからか。
それとも二人の力が拮抗している証か。
ほどなくして二人の姿は再び霞むほどの速さで動くと、所々に火花のように魔力の衝撃が咲く。
食後の運動から遠くかけ離れた光景に愕然としていた裕紀に、ようやく玲奈は話し掛けた。
「異世界であなたは聖具を手に入れた。実際にその力も、異世界で扱った」
「ええ。あんな強い力、今後俺に扱いきれるかどうか、正直不安です」
なんせ高度一千メートル以上の高さから急降下、着地しても身体がばらばらにならなかったほどだ。
それに、弓など触れたことのない裕紀が不安定な姿勢から標的に命中させられたのは、脳内に展開された詳細な地図とデータのおかげでもある。あれが聖具エクスの加護であることは明らかだ。
更には、武器としての形状を自在に変えられるエクスの性能も頼りになる。パターンは不明だが、少なくとも弓と剣は、あの瞬間に裕紀が思い浮かべた武器の形状そのものだった。
「新田くんなら大丈夫。あなたは魔法使いとしての素質は十分に備わっているから」
改めて自身が獲得した聖具について考えていた裕紀に、玲奈は安心させるためか自身の評価を率直に言った。
正直、大きすぎる力を獲得して不安だった裕紀には、玲奈の言葉はとても安心感が感じられる。
しかし、次に発せられた彼女の言葉には、驚かざる負えなかった。
「私も聖具を持っているの。昔、ある人と契約して」
「えっ!? 玲奈さんも聖具を?」
唐突な告白に裕紀は隣を向いてそう訊いた。
日本人形のように白い横顔に表情はなかったが、少しだけ柔らかい声で言った。
「普通なら他の魔法使いに他言してはいけません。聖具は言わば、それを持つ者の切り札のような存在なので。ですが、この先どうなろうと、あなたが聖具持ちであることを知ってしまった以上、私はあなたの力について強く意識するでしょう。それでは、フェアではありませんから」
「俺はあなたとは戦いたくないです。あなたは俺の師匠ですから」
もし玲奈との真剣勝負が現実になってしまったことを思うと、恐怖で身震いしてしまう。
それに、魔法使いに命を狙われていた裕紀をここまで助けてくれたコミュニティと今後戦うことになる事態を、今の裕紀は考えられなかった。
真剣な声音で答えた裕紀に、玲奈は無表情だった顔に小さな微笑みを浮かべた。
「私もあなたとは戦いたくありませんね。まだまだ教えていないこともありますし」
「そうですよ。俺はまだ魔法使いとしては初心者なんですから」
苦笑を浮かべながら早口でそう言う裕紀に玲奈も無言で頷いた。
眼下のフィールドでは、未だに休むことなく二人の魔法使いが戦闘をしている。
どうやら近接戦闘から魔法絡みの魔法戦闘へ移行したのか、フィールドには雷やら炎が舞っていた。
(もし玲奈さんと戦うことになったら、この二人とも戦うことになるのか)
ふと、そんなことを考えて裕紀は背筋が凍る感覚を覚えた。
今の裕紀の実力では秒殺どころか瞬殺されること間違いなしだ。
顔を青くして戦闘を眺めていた裕紀に、同じく眼下の様子を視ながら玲奈が再び口を開いた。
「聖具を持った魔法使いはとても手強い。しかし、それ故に弱点もあります」
「弱点? 他の聖具との相性とかですか?」
少なくとも異世界での戦闘で聖具自体の弱点を実感できていない裕紀は、小首を傾げて訊いた。
その質問に、玲奈は頷くことも首を振ることもしなかった。
「それもありますが、今回は根本的な問題についてです。異世界に行った新田くんなら、この世界との決定的な違いに身に覚えはあると思いますよ」
「この世界との違い?」
そう言われ、よく考えてみる。
裕紀たちが暮らしている現実世界と異世界の違い。
食文化はどことなく似ているものがあったが、それ以外は全然違った記憶がある。
だが、玲奈が言っているのはそう言うことではないはずだ。
もっと、魔法使いと密接に関係していること。
現実世界にはなくて、異世界にはある。そして魔法使いの弱点にもなるものは。
「魔力、ですか?」
裕紀の答えに、今度こそ玲奈は頷いた。
「魔法はもともとこの世界に存在しない力だった。だからこの世界の魔法使いは、魔法の行使に必要なエネルギーを生み出すために、生命力を魔晶石という媒体を用いて魔力に変えている。その理屈は、聖具も同じです」
「魔法と同じように、聖具も本来この世界には存在しない。それをこの現実世界に召喚させるためには魔力が必要になる、ってことですか?」
首元に下がるペンダントを意識しながらそう呟いた裕紀に玲奈は話を続けた。
「しかも召喚に必要な魔力は、並大抵の魔法発動に用いる魔力では足りません。聖具の力の差にもよりますが、基本的に自身の保有している生命力の半分は消費すると考えていいでしょう」
「そんなに…」
玲奈の言葉を聞いた裕紀は、消費する生命力の多さに驚きを隠せなかった。
しかし、それも当然だろう。
本来なら異世界人ではない裕紀たちが現実世界で魔法を扱えるだけでも異常なのだ。
聖具という異世界ですら誰でも持っているわけではない武具を、現実世界で用いようとすればそれ相応の対価も必要となる。
だとしたら、今回の戦いで裕紀が聖具を用いるタイミングは限られてくる。
一度の召喚で生命力を半分以上失うと言われる聖具を、恐らく格上である相手に最初から使うことは愚の骨頂だろう。
ならば、裕紀が聖具を召喚するべきタイミングは、今回の作戦でも最終局面でということになる。
「…俺が聖具を使うとしたら、それはこの作戦の最終局面ってことですか?」
それを確認した裕紀に、玲奈は流石というように笑みを浮かべると、次いで真剣な声音で言った。
「その通りです。本当なら、万全でないあなたは最後まで聖具を召喚しないことが望ましいですが、敵がこの街を狙っている以上は難しい。なので、あの魔法使いとの戦闘では極力、魔光剣と魔法のみを使って戦ってほしい」
裕紀はすぐには答えなかったが、アークエンジェルの仲間と自分を信じることに決めると、視線をまっすぐ正面に向けて言った。
「聖具が俺の切り札なら、それは大切に使わないといけませんね」
そう言い終えると、眼下の訓練場で繰り広げられていた魔法戦闘も決着がついたようだった。
超人同士の戦いを行ってもなお息を荒げない二人の魔法使いがこちらに手を振った。
その動作に応えるように、裕紀は席から立ち上がると、隣の玲奈に向けて手を差し伸べた。
「今日までありがとうございました。最後の任務、よろしくお願いします」
やや虚を突かれたような顔をしていた玲奈だったが、裕紀に言われるとすくっと立ち上がり言った。
「こちらこそ。同じ街を守る魔法使いとして、お互い頑張りましょう」
差し出された裕紀の手を、小さくも逞しい玲奈の右手が握った。




