決戦前(2)
新調した戦闘服が飛鳥から届けられた裕紀は出発前のアレコレを済ませると、玲奈と一緒にアークエンジェル地下施設を出た。
施設を隠すための廃屋内に上がった裕紀は、隠し通路のある部屋から広間に出る。劣化が進んでいるためか、所々に空いた穴から差し込まれる日光の間を歩き、かび臭い広間を横切る。
これまた古いドアを開けて外に出た玲奈の後に続いて歩いた裕紀は、およそ二日ぶりの現実世界の空気を吸い込んだ。
八王子市市街地から離れた場所に位置する廃屋から、目的地である火災の起きた住宅街までは五キロ以上の距離はある。
現在時刻はちょうど午前十一時を回ったところだ。街には当たり前のように人がいるだろう。
そんな中でどうやって移動するのだろうか、と思った裕紀は隣で白いリボンで黒髪を後ろに結んだ玲奈に尋ねた。
「あの、これからどうやって現場に行くんですか? まさか、身体強化を使って移動するとか?」
そう尋ねられた玲奈は、身体を伸ばしながら裕紀に言った。
「トレーニングも兼ねて山道は身体強化でいいでしょうね」
「はいっ」
魔法使いとなりアークエンジェルと関わってから、移動手段はほとんどが身体強化となっている。生命力操作の練習も兼ねているということもあるので、裕紀は張り切った声で応答する。
そんな裕紀に、玲奈は何も言わずに無言で頷いた。
とは言え、今回の戦いの主力となっているらしい裕紀が無理をすることを避けるためか、頷いたあとに玲奈は忠告を口にした。
「トレーニングとは言え、あなたは異世界で相当無理をしているでしょう? 扱う生命力はいつもよりも抑えてください」
その注意に裕紀も重々しく頷くとそう答える。
「わかりました」
異世界での連戦によって全損しかけていた裕紀の生命力は、ナナの種によって半分までは回復している。睡眠や休養を取ることで徐々に生命力は回復するらしいが、現実世界に帰還してからそんな時間はあまりない。
本来なら休養すべきタイミングで残り少ない生命力を使うのだ。消費量はいつもよりかなり抑えめでやらなければならない。
ただ、マーリンの恩恵であるリミッター解除を上手く扱えない現状、生命力の消費量を抑えることはかなりの集中力が必要となるだろう。
(大丈夫、ちゃんと意識すればできるはずだ。生命力を両足に集約させて、少しずつ使うイメージで、)
準備体操を進める玲奈の隣で、脳内でそんなイメージを浮かべさせていた裕紀は実際に足に意識を集中させた。
じんわりと、裕紀の両足に黄金の輝きが纏う。
それと同時にペンダントから僅かな光が放たれるが、その現象は無視して足に集約させた生命力を正確に操ることだけ意識する。
「では、行きましょう。あなたに合わせてペースは遅めにするので、焦らなくでもいいですよ」
「…はい…」
準備体操を終えた玲奈の言葉に、裕紀は余裕のない返事を返した。
しかし、そんな裕紀の返答に一つ頷くだけにした玲奈は、身体強化を発動させると軽々と木の枝に飛び乗り先行した。
まるで枝と枝の間を走るように飛び移っていく玲奈は、あっという間に裕紀の視界から消えそうになる。
早く追随しなければ見失ってしまうと思った裕紀は、半分曲げていた膝をばねのように伸ばして地面を蹴った。
通常の跳躍とは異なる勢いで地面から離れた裕紀は、玲奈が最初に飛び移った枝に乗ると流れるように次の枝へ飛び移る。
(…いけるか!?)
浮遊島の時のように暴発してしまった様子はない。
思ったよりも上手くできた身体強化制御に手応えをを感じた裕紀は、先ほどの不安と緊張を忘れて玲奈の後を追随した。
裕紀がトレーニングを開始して三分。生命力操作は今のところ上手くできているのか、暴発することも不発することもない。
前々から色んな魔法使いから才能があると言われていることを裏付けるように、裕紀は身体強化を発動させている身体を充分自在に操れていた。
最初はスタートの遅れもあってか玲奈との距離は姿が視認できるかどうかの距離だったが、裕紀のペースに合わせるという前置きの通り、裕紀はすぐに玲奈より三メートル後ろまで追い付くことができた。
(すごい。最初の頃より生命力を上手く扱えてる…)
「…気がする!」
異世界での戦いを通して、自分でも気づけない些細なコツを掴んでいたのかもしれない。
そんな早とちりな思考を巡らせてしまったためか、裕紀の心に微かな油断が生じてしまった。
その油断は、裕紀の一瞬の注意力と判断力を鈍らせた。
あともう一息でゴールである山道の入り口付近に到達する。それまでには、どうにか玲奈に追いつきたい。
次の枝木で追い付こうと跳躍した裕紀は、目の前に迫る木の枝が他よりも若干細いことに気付くことができなかった。
バギッという枝が折れる音が聞こえたときには、裕紀の身体は格好悪く地面へ落下していた。
「うおっ、ああああっ」
突然の出来事に驚き絶叫する裕紀だったが、高度一千メートルからのスカイダイビングの経験が役立ったらしい。すぐに思考を立て直し、次に取るための行動を考える。
コンクリートではない地面なので背中から落ちても怪我の確率は低い。
そう考えた裕紀は、受け身の体勢を取ると衝撃に備えた。
しかし、裕紀の身体は衝撃を捉えることはなく、代りにマットの上に落ちるよりも柔らかな感触が背中に伝わってきた。
「戦いの前に怪我なんてしないでください」
ふわっと土煙を上げて地面に降ろされた裕紀は、呆れた顔で風魔法を発動させている玲奈にそう言われてしまった。
「すいません、調子が良かったからつい…」
「確かに、最初の頃よりは生命力を扱えているように思えました。異世界での実戦がいい経験となったのでしょうね」
叱られた子供の用に肩を縮めて謝る裕紀に、玲奈はそう言いながら手を差し出した。
「そうであってくれると嬉しいんですけど」
そう返しながら手を掴んだ裕紀を、玲奈は軽々と引っ張り上げた。
玲奈の言う通り、あの世界で経験した戦闘が魔法使いとしての裕紀を少しばかり成長させているように思える。
あの時は、自分の大切な存在を守るために必死で戦っていたので自覚はないが、こうして改めて身体強化を発動させてみると実感できる。
まだまだ生命力操作は練習が必要だが、実力が付いてきているのは素直に嬉しかった。
感慨にふけっていた裕紀の傍らで、玲奈はメモ用紙を二つ取り出した。一枚のメモ用紙に何やらボールペンで書くとそれを裕紀に手渡した。
「これは?」
手渡されたメモ用紙には目新しい魔法陣が描かれていた。この魔法陣の効果が気になった裕紀の問いに、玲奈は淡々と答えた。
「これから向かう現場では何が起こるか分からないので、そのための準備のようなものです。魔法の効果は念話。このメモ用紙を持っている魔法使い同士で意思疎通が可能になります」
『わかりました。…で、この手は?』
解説を聞き終えても懐疑的な表情を保っていた裕紀の目の前には、どういうわけか差し出された玲奈の白い手があった。
じっとりとこちらを見つめているのは、興味本位で念話で受け答えた裕紀へ呆れているだけだろう。
だが、玲奈が突然差し出した手の意味まで察することはできなかった。
剣の特訓をしているせいか、所々に竹刀だこのある左手をじっと眺めながらそう言った裕紀に、玲奈は市街地の方角へ視線を向けながら小声で言った。
「ここから現地まで転移魔法で移動するので、私に掴まっていてください。あなたはまだ制御ができるかどうか判らないでしょう?」
「あ…、そうですね。また何処か知らない場所にでも飛ばされたらたまったもんじゃないですよね」
異世界で魔法使いとして少しは成長したとはいえ、魔法の技術が大幅に上がったとは言い難い。
今のところ難なく扱える魔法は下位系統炎属性魔法ファイアと、聖具を展開させている状態で扱える光魔法ルミナリア・ストロークくらいだ。
それに、これまで自力で転移魔法を発動させた場合において正確な場所へ転移できた覚えがない。
もしかしたら上手く発動できるかもしれないが、失敗したときのことを考えると頭が痛くなるどころでは済まないだろう。
「…そんなにじっと見つめないでください。恥ずかしいです」
「す、すみませんっ」
肌白い左手を差し出したままの玲奈からそんな声が届くと、裕紀ははっと我に返り謝りながら玲奈の手に自分の右手を重ねた。
「では行きます。ハードテレポート」
何処かで聞いたような詠唱だなぁ、と内心でそう思っていた裕紀は、次の瞬間、玲奈と共に白い光に包まれた。
裕紀たちが目指している目的地は、新八王子駅前の交差点を東へ道なりに二キロほど進んだ場所に位置している。
本来の移動手段であれば新八王子駅から電車なりモノレールなどを利用して、東八王子駅前の駅で降りれば十分とかからない。
だが、玲奈が提案した転移魔法で移動するという移動手段は、時間を気にする必要もなかった。
純白の光に一度だけ瞬きをした裕紀が立っていた場所は、山道付近の閑散とした場所ではなく、多くの住宅がひしめいている住宅街の中心だった。
もう魔法使いに交通機関など必要ないのではと思いたくなってしまう。
そう思いつつ、玲奈の隣に立った裕紀は目の前に佇まう一件の家を見上げた。
だが、《KEEP OUT》という文字がプリントされた黄色いテープの向こうには、火災によって全焼した住宅の酷く悲惨な姿があった。
自動消火システムが早々に起動したおかげか周囲に火の手が回らなかったことは不幸中の幸いだろう。だが、被害にあった住宅の外壁は黒く焦げ、所々の外壁は崩れて内部が露わになっている。
この住宅の敷地内で、辛うじて無事だったらしい砂場には子供の遊び道具が散らかされており、その近くには焦げた花が植えられた花壇があった。
おそらく、この家庭には子供がいたのだろう。きっと、これからもこの家でたくさんの思い出を作るつもりだったに違いない。
「酷い。こんなことが…」
判っていることではあったが、それでも思わず呟いてしまった裕紀は、まだ無事だったらしい表札に視線を奪われた。
書体で加藤と刻まれた表札に近づいた裕紀は、ゆっくりと自身の右手を表札へ触れさせた。
石材に触れた指を通して、表札に残留しているこの家の記憶が微かに流れ込んでくる。
マーリンと契約を交わした際に生じた、情報の共有とは感度は落ちるが、思い出という形で生命力が込められた代物からも僅かに情報を共有できる。
この家に住んでいた家族はとても幸せな暮らしを送っていたのだろう。頭に流れ込んでくるイメージはそう感じさせるほどに暖かかった。
だが、そんな幸せなイメージは突如として鮮血のように赤く、真っ黒な闇の濁流となって裕紀の頭になだれ込んだ。
怖気が走るような冷たいイメージに表札から手を放してしまいそうになった裕紀は、ありったけの意志力を振り絞って闇に対抗する。
『どうして!? どうして殺されなければならなかったんだ!? 俺たちはただ、幸せに暮らせればそれでよかったというのに…っ』
誰だろう。どこか聞き覚えのある声だ。
『お前たちが、言ったのか? 奴らに!? 何故だ、なぜだ、どうしてなんだッ!?』
その声からは、怒りよりも悲しみが、悲しみより絶望が感じ取れる。
『復讐だ。俺たちを騙したお前等も、俺の大切なものすべてを奪った奴らもッ!! この手で、一人残らず、殺してやる…ッ 絶対にだッ』
そして、絶望はやがてとても大きな憎悪へと膨れ上がり破裂した。
その感情を最後に表札から送られてくる記憶は途絶えた。
表札から弾かれるように手を放した裕紀は、肩を大きく上下させながら後ろに数歩下がった。
黒い瞳を大きく見開いている裕紀の額には大粒の汗が浮き上がり、こめかみを伝って汗が流れるのを感じる。
だが、そんなことよりも裕紀は、この家から伝わってきた真実に驚愕していた。
この家に住んでいた家族はこの火災が起こる以前に亡くなっているのだ。おそらくはこの住宅街に住まう住人が家族を騙し、主犯である誰かが家族を殺した。
では、この家に火を放ったのは家族を殺した主犯なのだろうか。その主犯が今回の連続殺人事件を起こしている魔法使いであるなら、なぜ今頃この家に火を放ったのだろう。
そもそも、あのイメージで聞こえた男は今はどこで何をしているのか。
(俺は何か、大きな勘違いをしている、のか?)
どこか食い違っているように思える真実に、裕紀は思考をフル回転させた。
今回の放火事件の犯人は魔法使いだ。それは間違いない。最初に飛鳥たちが予想したように、住宅街で誰にも認識されずに一軒家を全焼させる可能性を作り出せるのは、周囲の空間そのものに認識疎外を引き起こす人払いという魔法しかないからだ。
魔法使いの目的はただの殺人、そう思われている。魔法使いばかり狙っている動機も、彼が殺した魔法使いをゾンビのように蘇らせて使役できる魔法を使うからと推測される。
裕紀の脳裏に、現地へ向かう前に目を通すようにと飛鳥にしつこく言われたために渋々眺めた報告書の内容がフラッシュバックする。
確か、全焼した住宅に住む家族は表札にあるように加藤という姓だった。戸籍上では夫婦と一人の娘がいる。表向きは一般人と変わらない家庭だったが、魔法使いたちの世界では夫婦ともに魔法使いだった。しかし、生まれた娘は魔法使いではなく一般人だったはずだ。
詳しいことは知らないが、数十年前までは魔法使いの夫婦の間で生まれたにも関わらず魔法の素質を持てなかった子供の迫害や殺害が後を絶たなかったという。きっとこの家庭の娘も迫害の対象となり殺されたのだろう。
その原因が単純に気付かれたのではなく、近所に住んでいたのだろう別の魔法使いの密告によるものだということは、この家の記憶の断片に触れた裕紀には想像できる。
この時を境に、この家の主は残りの人生を復讐という呪に全てを捧げのだ。差別と言うだけで無意味に殺された愛する妻と娘のために。
「怒りと憎しみに全てを捧げて得る力は強大だが、同時にそれを扱う者からはヒトとしての感情は失われていく…」
「新田君?」
考え事をしながら呟いていたらしい言葉に、玲奈は珍しく表情を驚愕したものに変えていた。何かまずいことを言ってしまったのだろうかと思い、慌てて裕紀は弁解する。
「いや、これはその、ヤムル村の村長が言っていたことを偶然思い出しただけで。特に大したことはないんですけど」
「いえ、そういうことではなくて。どうして君が黒化の特性を知っているのかと思っただけよ」
「こ、黒化?」
最近は聞き慣れない単語が多いので、自身のこの反応は個人的に常例となってきている。
玲奈本人も裕紀が魔法使いの間で用いられる単語に疎いことを知っているのだろう。
自分の言葉に対する裕紀の反応を視た玲奈は、すぐに黒化に対して説明を付け加えた。
「魔法使いが善の心を捨て、負の感情に己の全てを捧げた際に起きる現象のことよ。黒化を果たした魔法使いはヒトとして無くてはならない感情を失う代わりに、扱う魔力は全て闇の魔力へ変質させるから強大な力を獲得すると言われているわ」
「そう、だったんですね…」
玲奈の言葉を聞いた裕紀は、様々な心情を全て心の隅に押し寄せて一言呟いた。
そしてもう一度、目の前に佇まう全焼した住宅を眺めた。
今にも崩れそうなほどに劣化が進んでいる家を眺めていた裕紀は、徐々に自分の頭が冴えていくのを感じた。
ここ最近で起こった連続殺人に対する犯人の意図。そして、この家を全焼させた魔法使いの本当の狙い。
今までは不定形だった数々の疑問が繋ぎ合わさり形となったそれらは、裕紀の頭の中で一つの答えを導き出した。
「どうして連続殺人を起こした魔法使いはこの家を最初に燃やしたのか。それは、復讐を始める前の儀式。黒化を果たすためだったんだ。今まで殺された十五人の魔法使いは、数十年前にこの家に魔法使いではない娘がいることを密告した、この住宅街に住んでいた住民だ。あの魔法使いは、自分の家族を奪った者たちに復讐しているのか」
「なら犯人の復讐はまだ続く可能性が高いわね。密告した住宅街の住民はともかく、彼の妻と娘を殺した魔法使いは他にいるはずだから」
そう言った裕紀の背後で玲奈の切迫した声音が聞こえてくる。
確かに、密告者と実行犯は別だ。例え密告者とその仲間を全員殺害できたとしても、それで復讐が完了するとは、とてもじゃないが考えずらい。
(まさか、実行犯を含めてこの街を一掃することが狙いか!?)
そうなったら、この街から出る被害者の数は数えることなどできやしない。
差別として他人の命を奪う魔法使いは無論許せないし、いつかは捕まえなくてはならない対象になるだろう。
だがそれより裕紀は、加藤という姓を持つのであろうあの魔法使いに、これ以上の復讐を重ねて欲しくはなかった。
この街の人々や彩香のために。そして、あの魔法使いを復讐から救い出すために、やはり裕紀は戦わねばならない。
「玲奈さん、俺はあの魔法使いの復讐を絶対に止めてみせます」
再確認した決意を胸に抱きながら、振り向いてそう言った裕紀に、玲奈は苦笑を浮かべて言った。
「そう言うと思った。私たちに出来ることなら何でもする。でも、無茶だけは…」
「そうそう、無茶だけはすんじゃねえぜ? お前は俺がこの手で殺す予定なんだからな」
玲奈の気遣った声を遮るように降り注いだその声を裕紀は知っていた。
やや高めの声の発生源に玲奈と共に勢いよく視線を向ける。
二人の視線が向けられた場所、二階建ての住宅の屋根には黒いローブを羽織った男が座っていた。フードを脱ぎ顔を露わにしている男の口元には、あの時と変わらない狂気的な笑みが浮かべられている。
「お前は…っ」
息が詰まったような声を上げた裕紀と、黙って身構える玲奈を見下ろしていた魔法使いは、腰を下ろした状態のまま二階から地面へ降りた。
足元に謎の浮力でも働いているかのように、柔らかく地面に降りた魔法使いはゆっくりとした足取りで二人に近づいて来る。
「そこで止まりなさい」
しかし、三人の距離が五メートルを過ぎたタイミングで玲奈の冷たい声が男に制止をかけた。
言葉だけで人を斬れそうなほどに冷たい声に、裕紀は微かに身を震わせた。
いかに十五人連続殺人を起こしているさしもの魔法使いも、玲奈のこの声には歩みを止めるしかなかったようだ。
だが、決して怖気づいたわけではないらしく、歩みを止めた魔法使いは裕紀たちの背後へ視線を向けた後、淡い笑みを浮かべて言った。
「よお、久しぶりじゃねえか、新米坊主。俺を殺す力はちゃんとつけて来たのか?」
「…俺は、」
ニヤリと笑いながら挑発する魔法使いに言い返そうとした裕紀を、背後に立っていた玲奈が左腕でそれを制止した。
『あまりこちらの情報を相手に晒すのは良くない。この場は私が相手をするから下がってて』
直後、念話で頭に直接玲奈の指示が届き、裕紀は無言のまま後ろに下がった。
「ハッ、こっちの事情は知るだけ知って、そちらの情報はだんまりかよ」
「あなたを力尽くで止める我々の方針は変わらない。そっちがその気なら、今からでも私はあなたの首を落とす」
徐々に冷気を帯びていく声で魔法使いに忠告した玲奈は、腰に装備している魔光剣の柄に手を掛けた。
その動作に、魔法使いは余裕を露わにしているかのように、鋭い笑みを浮かべた口を開けた。
「ククッ。そっちがその気なら俺は構わねえがな。だが、本気で殺し合いをするならそんな玩具じゃダメだ。まあもっとも、今日はお前らと戦うために来たんじゃねえ」
明らかに数週間前に対峙した時とは異なった雰囲気を纏った魔法使いの鋭い視線が、玲奈の背後に立つ裕紀を捉えた。
「てめえの真意を聞かせろ。どちらにせよ、明日でこの街は終わる。あの女魔法使いの命ももう短い。全力を賭して俺を止めて英雄となるか、それともすべてを諦めていまこの場で死ぬか」
裕紀の心情を試すように言い放たれた魔法使いの言葉に先に答えたのは玲奈だ。
「彼は我らアークエンジェルの保護下にある。彼を殺すと宣言するなら、私たちは全力でそれを阻止させてもらう」
そう言った玲奈の左手が、左腰の何もない空間を探るように閃いた。
目には視えない何か。いや、まだその空間に顕現していない武器を出現させようとしている。
玲奈の左手が何かを掴むように握られようとした瞬間、裕紀は自分でも驚くほどにはっきりとした声を上げた。
「待って、玲奈さん!」
「ッ、新田君!?」
背後からはっきりと制止の声を上げられた玲奈が弾かれたように頭だけ後ろへ振り向かせた。
魔法使いへ抱いている強い感情が宿った赤い瞳を真っすぐに見詰め返した裕紀は、やがてしっかりと頷くと玲奈の前まで進み出た。
これは魔法使いとして命を狙われている裕紀の問題だ。匿ってくれているアークエンジェルに頼りきっているようでは駄目だ。
それに、裕紀は互いに殺し合いをするためにこの場所に来たのではない。それは別の場所で、裕紀自身が戦うべきなのだ。
全焼した家から感じた、目の前に立つ魔歩使いの記憶を脳裏で遡る。
そして、霞む程度の強さだが、復讐に染まる前の彼が幸せを感じていたであろう場所を思い浮かべて言った。
「明日の零時に八王子自然公園にあるホール型植物園で決着をつけよう。俺は絶対にあなたを止める。そしてこの街を、大切な仲間を助けてみせる」
揺るがない決意を抱いてそう言った裕紀に、魔法使いの表情が僅かに引き攣った。
魔法使いが纏っていた殺気が膨れ上がり、黒紫の過剰魔力となって視認することができても裕紀は怯むことなく立ち続けた。
しかし、魔法使いの過剰魔力はすぐに四散すると、再び余裕のある声で言った。
「答えは変わらないみたいだな。おもしれぇ、それくらいの威勢がねえと殺しがいがねえってもんだ。だが、こちらからも条件を出させてもらう。指定場所には、お前一人で来い。さすがに手練れの魔法使いを何人も相手にするのは分が悪いからな。もしもこの条件を破った場合、お前たちの仲間の命はないと思え」
「貴様…ッ」
『大丈夫です。俺に任せて下さい』
仲間の命を人質に取られていることが相当癪に触っているのだろう。
あまり感情を表に出さない玲奈へ信念を送った裕紀は、魔法使いへ鋭い眼光を飛ばした。
「そっちの条件を受け入れる。だが、その条件を破って仲間の命を絶った場合、俺たちはあんたを許さない」
最後まで言いきった裕紀に、魔法使いは笑みを消すと言い返した。
「いいだろう。お前の提示した条件が満たされるまでは、仲間の命には手を出さねえよ」
そして、もう一度余裕の笑みを浮かべた魔法使いは、軽く地面を蹴ると煙のようにその姿をくらました。
(力を手にしたお前との戦い、楽しみにしてるぜ)
煙となって消えたあと、裕紀の鼓膜にそんな魔法使いの声がさざ波のように残響した。




