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聖剣使いと契約魔女  作者: ふーみん
78/119

決戦前(1)

 木製の天井とは異なり、しっとりとしたコンクリートと円形の蛍光灯が備えられた天井が視界に入った途端、裕紀はゆっくりとベットから起き上がった。

 目の前には鉄骨とプラスチックで構成された小棚が置かれているが、その上に動くサボテンはない。

 小窓もなく、周囲は完全に密室となっている。


 洗面所へ続く廊下の手前には木製の立て掛けが置いてあり、見慣れた萩下高校の学生服が掛けられていた。立て掛けの下には黒色の学生鞄が置いてあった。

 ここが現実世界におけるアークエンジェル地下施設であることは言うまでもないだろう。

「起きましたか、新田君」

 無事に安心できる場所へ転送できたことに安堵すると、隣からややアルト調の声で自分の名前を呼ばれ、びくっと肩を大きく震わせた。

 声音からどことなく怒りの感情を察した裕紀は、恐る恐る隣へ視線を向ける。


 そろそろと向けられた視線の先には、黒髪を後ろに流した女性が椅子に腰かけていた。

「玲奈、さん?」

 異世界へ行くことを自分の先輩である方々に何の報告もしていないことを自覚していた裕紀は、名前すら喉に引っ掛かるような声で先輩の名を呼んだ。

「はい」

 たった一言、感情表現が苦手な玲奈からしてみれば普通の返答だったのだが、ひしひしと個人的な罪悪感を感じていた裕紀は彼女が怒っているようにしか思えなかった。

 そのため、裕紀は座っていたベッドの上でのそのそと姿勢を正座へと移行すると。

「すみませんでしたっ!!」

 自室に自身の声を響かせながら、ベッドの上で精一杯の土下座を敢行した。


 自分の命が狙われている状況であることは自覚している。その対策として、コミュニティに未加入ながらもアークエンジェルの地下施設に匿わせてもらっているのだ。

 しかも、裕紀自身も戦えるようになりたいという要望によって、貴重な時間を裕紀個人の魔法戦闘の指導にまで裂いてくれていた。

 そんなメンバー全員に迷惑を掛けてしまっている現状で、突然姿を消した裕紀の行動はとても認められることではない。

 許されるとは思っていなかったが、せめてもの謝罪としての土下座だった。


 そんな裕紀に答えたのは椅子に座っていた玲奈ではなく、どうやら洗面所にいたらしいもう一人の女性。後藤飛鳥だった。

「いやあ、まさかそんなに自分の行いを反省しているとはね。仕方ないから玲奈も許してやったらどうだい?」

 玲奈の服装が黒いシャツにハーフパンツというアークエンジェルの戦闘服に対して、全身を黒色のスーツに身を包んだ飛鳥はそう玲奈に言った。


 そんな上司に対して、玲奈はやや鬱陶しそうな口調で言い返した。

「別に怒ってなんか…、いえ、いきなり姿を消したことには少し怒ってましたけど。まさか土下座までさせてしまうとは」

 少々反省の色が伺える言葉に対して、背後から飛鳥がくすくすと笑う。

「玲奈はもう少し感情表現を豊かにしたらいいと思うよ。私が聞いても、さっきの声は少しばかり怖かったからな」

「別に人とはしっかり話せているんですし、大目に見て下さい」

 何やら小さな言い争いをしている二人からは、不思議なことに裕紀に対する怒りはあまり感じられなかった。


 いつも通りの雰囲気に影響されてか、土下座からやや頭を上げた裕紀は小声で二人に尋ねた。

「あ、あの、二人とも怒ってないんですか? その、俺が無断で異世界へ行ってしまったことを」

 おずおずとそう尋ねた裕紀に、手に持っていた桶を近くのテーブルに置いた飛鳥が笑いながら答えた。

「誰にも何も言わずに一日も姿を消していたことには怒っているよ。でもそれ以上に、君が無事に帰って来てくれるのか心配だったんだ」

「こうして無事に帰って来てくれたのだから、もうこれ以上怒る必要もないでしょう」

 二人の上司と先輩からそう言われた裕紀は、目尻が少しだけ熱くなるのを感じた。


 裕紀がやったことは、とても怒られないでは済まされないことのはずだ。

 それなのに、この二人は裕紀の行動に憤ることより心配をしてくれた。

 ここまで自分のことを愛されていることを知った裕紀は、どうにか涙を流さないようにしながら湿った声で礼を言った。

「ありがとう、ございます。ご心配、おかけしました」

 その言葉に、飛鳥は薄く微笑みを浮かべると言った。

「まあ、この戦いに勝つためには君の力が必要不可欠だからね。そういう意味でも、心配していたよ」

「…なんか、それを聞くととても複雑なんですけど」

 結局、素質が一番重要なんかいっ、と突っ込みたくなる飛鳥の言葉にそう言い返すと、当の本人はけらけらと笑った。

「冗談だよ。君の力も重要だが、そんなことはついでに決まっているではないか」

 笑いながらテーブル付近まで歩いた飛鳥は、行儀悪くテーブルの上に腰を掛けると笑みを消して真面目なことを口にした。


「さて、では詳しいことを聞かせてもらおうか。君があの世界で何を得たのか。そして、誰の導きでゲートまで辿り着いたのかを、ね」

 飛鳥の真面目な声音による質問を聞いた裕紀も、表情を引き締めベットの上で姿勢を正した。

 それから裕紀は、自分が体験した異世界での出来事。そして、再び裕紀を異世界へ導くために、ゲートへ誘った魔女エレインの存在を二人に語った。


 長い話を全て語り終えるまで、たっぷり一時間は費やしてしまった裕紀は、話を終えると口を閉じた。

 ふと時計を見ると時間は十時半を回っている。

 裕紀が語り終えてからしばらく沈黙が部屋を満たした。やがて口を開いたのは、腕を組みながらテーブルに寄り掛かっていた飛鳥だった。

「迷いの森、か。村の伝承とは少し異なるが、森の最奥部にある何らかの転移ゲートによって行ける浮遊島。そこに住んでいた幼少の姿の契約魔女。そして、異世界へ君を誘ったエレインという名の魔女、か」

 右手を細い下顎に添えながらそう呟く飛鳥に、今度は椅子に座った玲奈が瞳を伏せながら言った。

「まさか、あの魔女が関与していたとは思いませんでしたね」

 なにやら意味深な言葉に、飛鳥も頷きながら言った。

「まったく気分屋というか何というか…」


 裕紀を異世界に繋がる門、ゲートへ導いた魔女エレイン。

 彼女がどのような動機で彩香を守護している存在なのかは不明だが、この二人が知っているということはアークエンジェルと浅からぬ繋がりがあるのだろう。

 本人はメンバーではないと言っていたが、それ以外の繋がりがあると考えていいのかもしれない。


「新田、お前が契約したという魔女は、今は何をしているんだ?」

 考えごとをしていた裕紀は、一拍遅れて飛鳥の問いに答えた。

「多分、異世界で魔獣に襲われた村の復興の手伝いをしているんじゃないかと思います」

 伝承の魔女という立場上、姿を見せるわけにはいかないのでこっそり手伝う程度のものだろうが、と内心でそう付け足す。

「そうか。君が契約した魔女を一目見たかったが、村の復興を手伝っているなんてな。なかなか良い魔女と契約したじゃないか」

「あはは、ありがとうございます」

 確かに、誰よりも異世界を愛するマーリンは極悪非道とは遠く離れた魔女だ。

 いつか皆にもちゃんと紹介しようと思ったが、それ以前に異世界人が現実世界へ転移出来るのだろうかという疑問が浮上する。


 基本的に気になったことは優先して聞く裕紀は、質問の合間にではあるが訊いてみることにした。

「あの、異世界側の住人も俺たちと同じように現実世界へ転移することはできるんでしょうか?」

 そう質問された飛鳥の表情がやや曇った。

 その変化を見た裕紀は、自分の質問の答えが今暮らしている現実世界の現状でもあることに気付く。


 やっぱりいいです、と裕紀が言うより早く、天井を振り仰いだ飛鳥が答えた。

「現状では、現実世界に異世界人が転移してきたという話は聞いたことがない。いや、あのゲートという魔法陣そのものが現実世界にしか存在しないんだ」

「異世界へ行けるのは現実世界人、アース族だけ。異世界人は私たちの世界に干渉することはできないのよ」

 飛鳥の言葉を引き継いだ玲奈がそう言うと、次なる疑問が裕紀の脳に浮上してくる前に飛鳥が言った。

「ではなぜ、エレインと名乗る魔女はこの世界に干渉できているのか。これに関してはまだ謎が多いから何とも言えん。だから契約魔女の契約者となった君の情報はとても貴重なものとなるよ」

「はいっ。力になれるように頑張ります」


 そんな裕紀の意気込みに頷いた飛鳥は、続けて次の質問を投げかけた。

「っと、話を戻そう。と言っても、私が君に質問するだけなのだが」

 意気込んだばかりということもあってか、やや胸を張って構えた裕紀に飛鳥は少々眼光を鋭くして問うた。

「ヤムルという村と強引に契約を結んで、物資の取引をしていた二人のアース族の魔法使い。彼らについての情報は何か持っていないか?」

 そう訊かれて、裕紀は昨日の記憶を再生してみるが、外見以外何も分からないことにガクッと肩を落とした。


「えっと、…すみません。北欧人だったくらいしか分かりませんでした」

 真剣な質問にちゃんと答えられなかった罪悪感と、さっそく力になれなかった無力感に打ちひしがれていた裕紀に、飛鳥は緊迫した雰囲気を和らげて言った。

「それだけでも十分さ。国内か国外か判っただけでも役立つ情報だよ」

「はい…」

 そう励まされるが、やはり張り切った直後というだけあってかなり気持ちが沈んでしまう。


 そんな裕紀の隣で、今まで黙っていた玲奈が声を掛けた。

「そういえば、君は異世界で聖具を手に入れたのよね」

 裕紀の心情を察して話しを逸らそうという算段だろう。

 まるで、裕紀の話を聞く前からそのことだけは確信していたかのように投げ掛けられた質問に、裕紀は隠すことなく胸元のペンダントを掌に載せた。掌にある水晶の内部には、黄金に輝く光が静かに揺蕩っている。

「はい。魔女と契約を結び、俺はこの力を授かりました」

「契約の試練は大変だったでしょう?」

 なぜ玲奈が試練のことを知っているのか、この時の裕紀は魔法使いなら誰でも知っているのだろうという解釈で受け止めていた。


 そのため、特に玲奈の事情には踏み込むことはせずに裕紀は答えた。

「そう、ですね。あんな経験をしたのは初めてでした。でも、あの世界で出会った仲間の助けがあったから、俺はこうして現実世界に帰って来れたんです」

 そんな裕紀に、テーブルに腰掛けたままの飛鳥は笑みを浮かべて言った。

「異世界と現実世界、さっき言ったことも含めて二つの世界の格差は問題になっている。そんな状況で、君は現地の人間と協力し、試練を乗り越えたのだな。やはり、君は凄い魔法使いなのかもしれないな」

「そ、そうですか…」

 別に褒められるようなことではないが、それでも師匠とでも言える立場の人に言われるとどうしても気恥ずかしくなってしまう。凄い魔法使い、というのは誇張し過ぎな気もするが。


「何はともあれ、これで新田君が失踪してしまった動機も判りましたね」

「ああ。面白い土産話もたくさん聞けたしな。ましろと昴が帰投するまでは部屋で休んでいるといい」

 面白い土産話の全てに裕紀自身が関わているとなると、今後の自分の立ち位置というものが不安になるが、あえてそのことは口にしない。


 それより、どうやら二人の間では裕紀に纏わる事件は無事解決したらしい。

 ようやくテーブルから腰を上げた飛鳥は、そう言い残すと裕紀の部屋から立ち去ろうとした。

 玲奈もその後に続こうと椅子から立ち上がったので、裕紀は慌てて二人を止めた。

「あのっ。二人とも、もう少しだけ聞いて貰いたい話があるんですけど」

「ん?」

「なんです?」

 二人から疑問の視線を向けられて、裕紀は少しだけ息苦しくなりながらも言葉を続けた。

「こんなことがあってから言うのも何なんですけど、俺を最初の事件現場、火災があった家に連れて行ってください」

 まっすぐな視線で懇願する裕紀の瞳に映る二人の表情が一様に曇った。


 自分が何を言っているのかは自覚している。

 だが、これはどうしてもやらなければならないことでもあるのだ。

「本気で言っているのか?」

 当然、飛鳥から真剣な声音でそう返ってくる。

 裕紀はそんな飛鳥に向けて深く頷いて言った。

「あの魔法使いが何を思ってこんなことをしているのか、知りたいんです」

 そう言う裕紀に、飛鳥は深く息を吸い込むとより長く息を吐いた。放たれた言葉には疲労が滲み出ていた。

「人殺しの魔法使いの考えていることなんて判るはずないだろ。たとえ理解できたとしても、優しい君の剣が鈍るだけだ。本気で殺しにかかる魔法使いを相手に最も危険な行動は、余計な思考で自分の動きを鈍らせることだ」

 飛鳥の言うことはもっともだ。

 一つの判断ミスで生死が決まる魔法戦闘において、邪念は最も排除するべき思考だ。あの魔法使いの実力が自分より上であることを知っている裕紀も飛鳥の言い分は理解できる。


 だが、裕紀は決めたのだ。

 憎しみを憎しみで返すことはしない。それはマーリンと約束した、闇から世界を救うこととも直結しているように思える。

 たとえ魔法使いを殺すことが八王子市を、彩香を救う唯一の手段であるとしても、裕紀は魔法使いを殺さずに無力化させる。

 その為の説得に、あの魔法使いの過去を知ることはどうしても必要なのだ。


「先生の言っていることは判ります。でも、俺は人は殺さない。殺してしまえば、俺はあの魔法使いと、いや、この世界に存在するすべての殺人者と同じになってしまうから」

 そんな教え子の本心を聞いた飛鳥は、もう二度深呼吸を繰り返すと、彼女にしては珍しく額を抑えて言った。

「昨日今日で殺人が十五件も起こっている。そのすべてが魔法使いだ。犯人も何処に身を潜めているのか分からない」

 十五件という数字を聞いて内心では驚愕するが、息を呑み込むことで裕紀はその驚愕を悟られないようにする。

 幸い、壁に背中を預けていた飛鳥は裕紀の些細な反応に気付くことなく、言葉を続けた。

「そんな状態でお前一人を現場に行かせるわけにはいかない。だが、玲奈の同伴で、という条件なら目を瞑ろう」

 そう言いながらちらりと視線を貰った玲奈は無言で首を縦に動かした。


 確かに裕紀一人では敵に狙われること間違いないし、万が一攻撃を仕掛けられても上手く対応できる自信がない。

 護衛役という意味で飛鳥は言ったのだろうが、裕紀としては頼もしいパートナーだ。

(迷惑はかけられないな)

 そう思いながらベットから降りた裕紀は、自分のわがままを聞いてくれた二人の先輩に頭を下げた。

「ありがとうございます」


 言いながら頭を下げた裕紀の頭上から、いつも通りの陽気な声が届いた。

「なに、私としては君が無事でいてくれさえすればそれでいい。あと、玲奈が護衛に就くと言っても油断はするな。敵はどこから君を狙っているのか分からない。常に身の周りの注意を忘れるなよ」

「はいっ」

 当たり前だが忘れがちなアドバイスを送ってくれた飛鳥に威勢よく返事をしてから、裕紀は三人と一緒に部屋から出ようとした。


 しかし、そんな裕紀に振り返った飛鳥が、何やら呆れた笑みを浮かべて指摘した。

「おいおい、まさかその服装で出掛けるつもりかい?」

 そう言われて自分の恰好を見下ろす。

 黒いシャツに同色のズボン。立て掛けに掛けられているロングコートを羽織ればアークエンジェルの戦闘服だ。異世界ではかなりお世話になった装備は所々が傷ついているが、まだまだ扱える範囲内だと思う。


 敵との戦闘を考慮するとなると、当然この服装で出掛けるつもりだった裕紀は、当たり前のような表情で答えた。

「え? 違うんですか?」

「そんなボロボロじゃ装備が耐えられないだろう。替えを持ってくるから、それに着替えて行くように。あと、傷ついた戦闘服はあとで技術スタッフに渡しておけよ」

 そんな言葉を残して飛鳥が自室を立ち去った後、玄関近くで立ったままだった裕紀は、もう一度ベッドまで歩くとそのまま腰を下ろした。


 同じように椅子に座った玲奈に何気なく尋ねる。

「アークエンジェルの戦闘服って替えとかあったんですね」

 問われた玲奈は玄関へ視線を向けながら、ほんの少しだけ表情を和らげながら言った。

「そうですね。メンバーは全員、替え着を一着ずつ持っています。うちの技術スタッフは優秀なので、よほど破損していなければ半日で修復してくれるでしょう」

 魔法戦闘が自分の思っていたものより過激であることはもう理解している。

 だから、いかにすべてのダメージに耐性があり、魔法にも有効な装備でも破損するくらいの戦闘が起こっても不思議ではない。


 異世界でまともに相手をした敵は、知性を持った手強い守護獣と荒れ狂う魔獣だったので破損は免れないにせよ、魔法使い同士で戦って破損するような戦闘を裕紀はまだ経験したことがなかった。

 なので、まるで想像の範疇にない発言をした玲奈に、裕紀は「はあ~」という曖昧な返事しか返すことができなかった。


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