それぞれの想い(2)
現実世界時刻、一二月三日午前九時十二分。
人気のない路地裏には、コンクリートの壁に背中を押し付ける男性と、そんな男性の前に立つ一人の魔法使いがいた。
「ひっ、たた、助けてくれ! 俺はまだ死にたくなッ…」
出勤ラッシュで騒がしい街中の裏路地で、魔法使いは中年男性のそんな絶叫を最後まで聞こうとはせず、黒ずんだ右手で握った黒紫の刀身の魔光剣を男性の喉笛に目掛けて振った。
切断面から鮮血が飛び散り、コンクリートの壁を赤く染め上げるが、男は魔法で身体に風を纏わせると血飛沫から自身の身を守った。
首元から大量の血を流しながら絶命した男は、そのまま横に倒れ込んだ。
この中年男性を殺した黒いローブを被った魔法使い、加藤徹は魔光剣を腰に仕舞うと男性のことなど忘れたように路地裏の奥へ歩き始めた。
(こいつで最後か。だいぶ街も殺人の話題で騒がしいが、それも今日で終いだな)
歩きながらそんなどうでもいいことを考える。
そう、二〇六七年一二月四日に日付が変わった時点でこの八王子市は歴史にないほどの災厄に見舞われる。
その災厄によって、世間に魔法という隠された未知の存在が明かされたとしても、徹にとってはどうでもいいことだった。
徹が望むこと。それは、愛する家族を失い、暗黒魔女と出会ったときから決まっている。
粛清という恐怖に怯え、自分たち家族を売った卑劣な魔法使いたちを、全員この世から消し去ること。
どのような手段を用いてでも、それは必ず達成しなければならないことだった。
例え、その代償としてこの街の人々が犠牲になったとしても。
その為に、家族との最後の思い出であるあの家まで燃やし、力を得るために黒化もしたのだ。
(暗黒魔女から教わった魔法。相手が誰であろうが絶対に発動してみせる。そして、そのときこそ俺の復讐は完遂される)
生命力操作による身体強化でコンクリートの壁を蹴りビルの屋上へと登る。
屋上に辿り着いた徹は目深に被っていたローブを外し、少しばかり風に当たることにした。
すると、背後で強力な力の存在を感じた徹は僅かに身体を後ろへ傾けた。
「最後の一人、無事に殺せたようですね」
落ち着いているが、計り知れないほどの圧力を感じさせる声音に、休憩するはずだった徹はやや緊張した声音で言った。
「そう、だな。これで本当に、あの魔法を発動する条件は満たされたのか?」
黒化する前とは違って砕けた口調に、魔女は微笑みの気配を滲ませた。
「ええ。今のあなたの身体には、十五人もの魔法使いの生命力、そして恐怖と絶望が備えられています。それだけの生命力があれば、闇の魔力もさぞ強大なものとなるでしょうね」
建物の陰からそう言った魔女は、ふふっともう一度密かに笑う。
暗黒魔女から魔法の完成を伝えられた徹は、来るべき時のことを想像し僅かに口元を引き締めた。
しかし、暗黒魔女は決して全てが計画通りではないことも承知しているようで、続けて言葉を言い放った。
「しかし、あなたが逃がしてしまった魔法使い。彼も大きな力を得たようです。魔法を発動させるにあたっては、彼と戦うことになるでしょう」
徹は暗黒魔女の命令で魔法使いとして目覚めた男子高生を抹殺しようとした。
しかし、あと少しのところで仲間と思われる魔法使いによって男子高生は保護され、代りに徹は右腕を失い腹を斬られ瀕死の重傷を負った。
暗黒魔女が懸念した通り、逃がしたあの新米の魔法使いはとても強力な力を手に入れたらしい。
それがどのような力なのかは徹の知識では想定できなかったが、少なくとも放任することで計画に支障が出ることは間違いはなさそうだった。
彼の仲間に警告を送ってから何の返答もないところから考えても、敵が徹の策略を止めようとしていることは明らかだった。
だが魔法使いは、先ほど内心で言った言葉をそのまま魔女に言い放った。
「誰が来ても、俺はそいつを殺し、この魔法を発動させる。仮に相手があの魔法使いだったら、ついでに貴方の命令も果たせるってことだからな」
「ふっ、あはは。あははっ。確かにその通りね。でも、油断はしない方が良いわ。もうあの坊やは、以前までの坊やとは違うもの」
その返答に、魔女はいつもより大きめに笑いながら魔法使いにそう言い残すと影の中へと消えて行った。
陰に消えた魔女が立っていた場所から視線を外した男は、澄み切った青い空へ視線を向けた。
「あと少しで俺たちの望みは果たされる。お前たちの仇を取ってやれるんだ。だから、それまで見守っていてくれよな」
決着の時が近いことを意識し緊張してきた魔法使いは、いまはもういない二人の家族に向けてそう言うのであった。
その時、彼の胸元に下がった紫のペンダントが優しく光ったことに、徹が気付くことはなかった。
時を同じくして、八王子市市街地から離れた場所にあるアークエンジェル地下施設では、普段より多くの魔法使いたちが忙しなく働いていた。
数あるコミュニティの中でも、アークエンジェルはあまり目立った活動をしていないため、依頼される仕事も少ない。
そのため普段はあまり忙しくないのだが、ここ数日は過去にないほどの忙しさだった。
それもそのはずで、現在アークエンジェルが拠点を置いている八王子市では十四人もの住民が連続で殺されているという事件が起こっているのだ。
遺体は警察に引き渡される前にアークエンジェルの魔法使いが急行して身元の判別などを行っている。
その結果、殺された被害者全員が魔法使いであることが判り、魔法使い狩りの犯人を追うために動けるコミュニティメンバーは全員この地下施設に集まっているというわけだ。
アークエンジェル戦闘部隊隊長の月夜玲奈もその一人で、厚さが十センチはあろう書類の束を抱えて作戦司令室へ向かっていた。
時節、すれ違う魔法使いの何人かに挨拶をされ、その都度挨拶を返しながら通路を進むこと数分、作戦司令室の扉まで辿り着いた玲奈は生体認証を終えると司令室へ入った。
「月夜玲奈、入ります」
「お疲れ、玲奈。進捗はどうだ、って、ナニコレ!?」
部屋に入ってきた玲奈に背中を向けながら自分の仕事を進める飛鳥の目の前に、ドスンと書類の山を積み上げる。
元々あった書類の山が更に積み上がり、飛鳥から非難の声が飛んできたので、淡々と書類の説明をする。
「殺害された被害者の詳しい身元書類と所属していたコミュニティ情報、それともう一件殺人が起こったらしいのでそれに関する諸々の書類です」
「また殺人事件!? まさか今回も魔法使い絡みなのか?」
「ま、その通りですね。現在身元の確認などは昴とましろが急行していますので、詳しい情報はのち程届くと思いますよ」
作業を進めながら玲奈の報告を聞いた飛鳥は、動かしている手をキーボードから頭に移すと苦しそうに絶叫した。
「なんでいきなり魔法使い同士の連続殺人なんて起こるんだ! おかげでこっちはひっちゃかめっちゃかだ。玲奈、少し手伝ってくれ!!」
どういうわけか玲奈自身にもとばっちりが飛んでくるが、彼女には彼女の仕事があるのであっさりと拒否した。
「その仕事量を一人でこなす飛鳥さんには同情しますが、私は別件の仕事がありますので」
このアークエンジェル地下施設に赴いている魔法使いで、現在暇な人間は一人もいない。
そんなことは飛鳥も承知していることなので、彼女はそれ以上の言及はしなかった。
「うむ…、そうだな。君には一刻も早く、新田の行方を掴んでほしいからな」
もっとも、玲奈の任されている仕事も今回の殺人事件と同等の重要度を持っている。
昨日の朝、早朝特訓のために裕紀を呼びに行ったましろが、顔を青くして玲奈の下へダッシュで駆け付けたことは一晩経ったいまでも覚えている。
神経が並みの男性よりも図太い彼女が、血の気を失うほどの事態など彼女がアークエンジェルに加入して以来あまりないことなので、新田裕紀に関わる緊急事態が起こったのだろうと思った。
そう玲奈が予想した通り、新田裕紀に割り振ったはずの部屋には誰もいなかったのだ。
修練熱心な彼のことだから、先に月夜家の道場に向かっていると思ったのだが、道場には人の姿がなかった。
ならば学校かと思いもしたが、距離も遠くないのに早朝五時に高校へ行く学生がいるはずもない(案の定、校舎には誰もいなかった)。
施設内の監視カメラにも裕紀の姿は映っておらず、二人体制で警備していたメンバーに尋ねても首を横に振るだけだった。
新田裕紀失踪の手掛かりが掴めない、そう思った時だった。
アークエンジェル内でも情報規制のかかっている、異世界へ転送できる魔法、ゲートが発動された痕跡があることを飛鳥が気づいたのだ。
まだ正式加入を果たしていない裕紀に、極秘も極秘な情報を教えるようなメンバーはいないはずだ。
だが、ゲートの存在を知らないはずの裕紀がもしそれを発動させたのであれば、そこまで彼を導いた存在がいるはずなのだ。
新田裕紀の行方を掴むという仕事は表向きなもので、玲奈たちの本当の狙いは彼をゲートへ導いた何者かの行方を探るというものだった。
「いまの新田の知識ではゲートを発動させることはできない。あれは相当な知識が求められる魔法だからな。おそらくゲートを発動させたのは彼を導いた何者か。だとすれば、新田はすぐに戻って来るはずだ」
「他人の魔力では異世界に存在を固定する時間も短いでしょう。でも、いつ戻って来るか、それが判らない限り我々にはどうすることもできない」
メンバー全員が口にはしていないが、今回の魔法使い連続殺人事件の犯人がアークエンジェルに宣戦布告をしてきた魔法使いであることは承知していることだ。
どういった目論見があっての行動なのかは理解に苦しむところだが、少なくともあの魔法使いを止めるためには裕紀の力が必要不可欠になる。
「飛鳥さん、敵の狙いは何なんでしょう?」
ここまで殺人を続ける魔法使いの意図がとうとう分からなくなってきた玲奈は、この戦いの終止符を打つ存在として新田裕紀を見出している上官に尋ねてみた。
「さてね。連続殺人犯の考えることなんて、我々に理解できるはずない。ましてや敵の狙いなんてそれこそ分からないよ」
しかし、返ってきた答えが玲奈の求める回答ではなかったので、やや肩を落としつつも続けて問うた。
「では、なぜ飛鳥さんは新田君が今回の戦いの鍵であると?」
その玲奈の問いに、飛鳥はしばし唸ってから言った。
「うーん、どうして敵は最初の獲物として新田に標的を絞ったのか気になってね。普通に人を殺したいならそこら辺の通行人でも殺せば簡単だろうに」
「は、はあ…」
なにやら物騒なことを言い始めた上官に不明瞭な返答をしてから、玲奈は飛鳥の言わんとしていることに遅れて気が付いた。
「敵が、新田君を執拗に狙っているのは、彼が敵にとって邪魔な存在だから?」
「または、新田がそんな存在になりかねない素質を持っているからだね」
「確かに、彼は魔歩使いとしては類にない才能を秘めている。でも、以前の特訓の時には才能はあってもまだ可能性というだけの問題だった気もしますけど」
考えながらそう言葉を紡ぐ玲奈に、飛鳥は視線をゲートの存在する部屋へ向けながら言った。
「まあ、答え合わせは彼が返ってきてから、ということになるかな」
そう呟いた飛鳥は、玲奈なら十回ほど溜息を吐きたくなるような書類の山に手を付け始めるのであった。
作戦司令室から出た玲奈は、先ほど飛鳥と話していたことについて考えながら通路を歩いていた。
新田裕紀には才能がある。その才能が開花されれば、アークエンジェルに留まらず日本の魔歩使いの中でも上位の魔法使いとなるだろう。
だが、以前の修練のときでは生命力操作を意識して行うことも難しかったのだ。
そんな彼が、異世界に赴きどのような力を得るのか。
考えられる答えは一つだろう。
それは、玲奈も所持している聖具を獲得すること。
未だに謎の多い異世界の技術によって生み出された聖具には、並外れた力と恩恵が所持者に与えられる。
玲奈の所持する聖具は日本刀のような造形をしており、風属性に特化している聖具だ。
刀身は二メートルと長大だが、重量は竹刀程度かそれより軽い。
玲奈は魔法使いとしては風属性魔法に苦手意識があるのだが、あの刀のお陰で苦手をカバーできている。
とある事情で玲奈の契約者は不在だが、もし裕紀が聖具を獲得するなら聖具の持ち主と契約を交わさなければならない。
(でも、契約を結ぶためには試練を受ける必要があったはず。まだ未熟な彼はどうやって試練を挑むというのかしら)
数年前に玲奈も契約のための試練を受け、その際、炎の小川やら電撃の谷やらをひたすらに走らされた経験がある。
あまり思い出したくない経験を無意識に思い出してしまった玲奈は、これ以上の記憶の再生を阻止するために考え事を中止した。
なんにせよ、裕紀が聖具を獲得するために異世界へ行ったことは玲奈の中では確信となっている。
彼が他人の魔力で異世界へ行っているとなると、帰って来るタイミングとしては遅くても今日の夕方前くらいだろう。
妙に責任感の強い裕紀の性格も考えての予測だが、それを過ぎるようではあちら側で裕紀の身に何かがあったとしか思えない。
この現状で彼に死なれることは勘弁願いたいところなのだが、現実世界とは違い異世界は何が起こるか予測できない。
最悪な事態も想定しておかなければいけないだろう。
うんうん考えながら歩いていた玲奈は、気が付けばアークエンジェル地下施設の居住区画に足を運んでいた。
まだまだやるべき事は沢山あるが心身が疲労を訴えているのか、無意識のうちにここまで来てしまったのだろう。
(そう言えば、昨日から一睡もしていなかったわね。疲れを取るためにも、少し休もうかな…)
そう思った玲奈は、徹夜を自覚してから重くなりつつある身体を自分の部屋へ移動させる。
しかし、自室まであと少しという所で、通路にうつ伏せに倒れるアークエンジェルメンバーを見つけ、眠気をどうにか吹き飛ばした玲奈は急いで駆け寄った。
「大丈夫ですか!? しっかりしてください!」
やや大きめな声で呼び掛け、黒いロングコートに同色のズボンとシャツを着た魔法使いの肩を揺する。
着ているのはアークエンジェルの戦闘服だが、この地下施設ではその服装で活動している魔法使いも多い。問題は、なぜこうもボロボロな状態で倒れているのかだ。
居住区と第一訓練場は少しだけ距離がある。魔法戦闘のやり過ぎで、自室に戻る前に力尽きてしまったのかと思えるが、それだけの過剰訓練をしている者がいるなら、監視室から連絡が来るはずだ。
まさか、裕紀をゲートへ導いた何者かがこの施設にまだ存在しているのだろうか。
彼を異世界へ導いたからといって、その存在がこちらの味方かどうかすら不明なのだ。
もしかしたら、敵が送り込んだ刺客という可能性だってあり得る。
もしそうだとするなら、この状況は非常にまずいことになる。
「もう大丈夫ですから、しっかりしてください」
焦る気持ちを必死に抑えながら魔法使いの顔を覗き込んだ玲奈は、
「…っ!」
呼び掛ける声を途中で止めると、代わりに鋭く息を吸い込んだ。
服装と同じく傷だらけの顔は血の気が引いている。眉までかかる前髪は汗で額に張り付き、瞼は苦しそうに閉じられている。
やや長めの黒髪にまだ大人になりきれていない青少年風の顔つきの魔法使いを玲奈は知っていた。
というより、今まさに彼のことを考えていた所なのだ。
「新田…、君…」
昨日から玲奈たちの前から唐突に姿を消し、こうして傷だらけになって帰ってきた魔法使いの少年の名前が、震える玲奈の唇から零れた。




