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聖剣使いと契約魔女  作者: ふーみん
75/119

光の騎士(2)

 ラムル村はウェストランドに幾つか点在する港町の一つ、ノランから訪れる交易商人たちや旅人たちの中継地点となっている村だ。

 港町には多くの物資を船で運んでくる商人や、王都への観光目的のために様々な大陸から来る観光客が集まっている。ノランから旅立つ大抵の人達が次の休憩地点として足を向けるのがラムル村なのだ。

 片道一時間くらいの距離に位置しているヤムル村に住むアベルも、アース族との契約に必要な物資やそれ以外の資源を仕入れるために地竜を用いて何度も訪れた経験がある。


 昨日だって傲慢なアース族のとの契約上、必要な物資を手に入れるために荷車を引いて取引をしていた。

 偶然、ラムル村で途方に暮れていたアラタと一緒に帰宅していたところをウェストウルフの群れに襲われてしまい、仕入れた資源は全ておじゃんになってしまったのだが、どうせ近いうちにまた受注をしに訪れるだろうと大して気にも留めなかった。

 幼馴染のリーナに手を挙げられたことはどのような動機があれとても許せることではなかったが、むしろ資源を手に入れることができない二人のアース族に対して、してやったりな気分にもなっていた。


 しかし、もうこの村に資源の受注もそれを受け取りに来ることもないことを、倒壊した建物の下で目を覚ましたアベルはぼんやりと考えていた。

 どのくらい気を失っていたのかは正直覚えていない。だが、なぜ自分が建物の下敷きになっているのかということは鮮明に覚えている。


 数時間前、巨大蜘蛛スキュラの見送りで迷いの森から帰還したアベルたちは、まずヤムダへ今回の試練の報告をした。それから装備、消耗品の買い出しなど諸々の用事を済ませたアベルたちは、三人でヤムル村の集会所で休憩しようとした。

 しかし、集会所に入った三人を出迎えたのは看板娘の明るい声ではなく、ラムル村が魔獣に襲撃されているという情報だった。

 すでにヤムル村からも救援の魔法使いが数人向かったという報告を受け、アベルたち三人も急いでラムル村へ向かったのだ。


 多くの交易商人や観光客で賑わうラムル村は、アベルたちが駆けつけた頃にはすでに炎に包まれていた。

 その元凶たる魔獣を見付け出したアベルはユインと共に現地の魔法使いと共闘し、リーナは村人たちの救助活動に協力することにした。

 魔獣はたったの一体(しかも魔獣の中でも低ランク)だったので、過去に何度も魔獣との戦闘を経験していた兄弟二人には大したこともない、そのはずだった。

 魔法使いたちに追い込まれた魔獣が本領を発揮したと知ったときには、ユインもアベルも気が付いた時には劣勢に立たされていた。


 明らかにいつもの魔獣とは様子が違うと悟った魔法使いたちも、各々全力を振り絞るがもはや抑え込むのが精一杯だった。

 当然、魔法使いではないアベルとユインでは到底太刀打ちすることも出来ず、アベルは魔獣の長い腕の薙ぎ払いによって吹き飛ばされ、倒壊した建物に激突しそのまま意識を落としてしまったのだ。


 覚醒してからも未だに朦朧とした意識の中、アベルは身体にのしかかる木材をありったけの力でどかそうとした。

(状況はどうなってんだ・・・?)

「やばい、魔獣に突破されたぞ! みんな逃げろ!」

 その時、遠くの戦場で十人もの魔法使いが形成していた包囲網を魔獣が突破したことを報せる声が聴覚を刺激した。

(くそっ、早く、ここから抜け出さねえと!!)

 緊迫したその声に意識を奮い立たされたアベルは、大きく息を吸い込むと両腕に力を込めて柱をどかす。


 生命力操作を使えるほどの体力はもう残っていないアベルは、自力で思い木材などを身体から払いのけなければならない。

「ぐぁあっ!?」

 しかし、意識が完全に覚醒したことで身体に起きている異常もアベルの脳を刺激した。

 どうやら建物の下敷きにされた際、右腕と左足の骨が折れてしまったようだ。身体の各部位に激痛が走り、アベルは痛みに堪える為に奥歯を喰いしばった。


 痛みに耐えてどうにか木材をどかしていくアベルの耳にさらに最悪な事態の知らせが届いた。

「おいまずいぞ、魔獣が女の子にッ」

 その声を聞き、木材をどける手を止めたアベルは反射的に周辺を見渡した。

 恐らく母親とはぐれてしまったのか、もう村人たちの姿のない道端に一人の幼い少女が恐怖に固まっていた。

 その視線の先には、魔法使いたちの包囲網を抜け出した魔獣が迫っているに違いない。


 だが、恐怖のあまり足が竦んで動けないのか少女は石化してしまったかのように身動きしない。魔獣を追い掛けようにも、魔法使いたちもかなり消耗しているせいか素早く動く魔獣に追い付ける者はいなさそうだ。

 非情にも、少女をすぐに助けられる位置にいるのは建物の下敷きになっているアベルだけだった。

「早く、逃げろっ」

 少女を拘束する恐怖を少しでも和らげようと叫んだアベルの声は、情けないことに自身にしか届かないくらい枯れた声となってしまった。


 こうなった以上、すぐ近くにいるアベルが魔獣から少女を守らなければならない。

 そのことをいち早く判断したアベルは、身体に被さった木材をどかすペースを必死に上げた。

 しかし、利き腕を上手く動かせないためか不安定に圧し掛かる木材をなかなか排除することができなかった。

(情けねえぞ。女の子一人くらい守ってみせろよ。そのために毎日修行をしてきたんだろうがッ)

 傷つき限界を迎えていた身体に、アベルは自分自身で渇を入れて必死に腕を動かそうとした。


 だが、そうしている間にも少女と魔獣の距離は絶望的に縮まっていく。

 必死に倒壊した建物からの脱出を試みたアベルの脳裏に、か弱い少女が魔獣によって容赦なく吹き飛ばされるシーンが過る。小柄な身体が固い地面に打ち付けられ、人形のようにぐったりと倒れるシーンまでもが意識せずとも脳を駆け巡った。

 そんなアベルの視線の先に、突然、風のように現れたもう一人の女性が少女を庇うように覆い被さった。


 燃え盛る炎の光を受けてきらきらと輝く金髪。救援しながらも何かしらの被害にあったのだろう、水色のスカート型の鎧は所々が焼け焦げ、微かに伺える白い頬にも軽度の火傷の跡が伺える。

 それが誰かなど見間違えるはずがなかった。自身の身を挺して少女に覆い被さっているのは、アベルがこの世界で一番に守るべき幼馴染だからだ。

 リーナの姿を視認したアベルの体温が急激に下がっていくことを感じる。それに伴い、アベルは少女を救わんとする時よりも強い感情に突き動かされて怪我をしている腕に力を込めた。


 異世界マイソロジアには世界樹の加護によって魔力は大気中に無限と言っていいほど存在している。体力と集中力のある魔法使いならほぼ無限に魔法を扱うことが可能だが、迷いの森での戦闘の疲労によるものかリーナは満身創痍のようだった。

 せめて少女を守るために、持てる全ての体力と集中力を振り絞ってリーナは駆け付けたのだ。

 もう彼女に少女を抱えて逃げる力は残されていない。


 例えリーナが少女の盾になったとしても、攻撃の衝撃に少女が耐えられる可能性は少ない。ましてや巻き込まれる可能性だってある。

 そうなっては、身を張って少女を守ろうとしたリーナが報われない。

 いいや、アベルにとってこれ以上リーナが傷つくことなどあってはならないことだ。

 アベルにはヤムル村の門番として、一人の幼馴染として、何があっても彼女を助けるという使命があるのだ。


 魔獣と二人の距離はもう目と鼻の先だ。あと十秒も経たないうちに、魔獣の攻撃圏内に二人は入ってしまうだろう。

「逃げろ、二人とも!!」

「早く、誰かあの子たちをっ」

 魔獣を逃がしてしまった魔法使いのうちの誰かがそのような叫び声を上げた。

(ふっ、くぅううおッ。こんな、瓦礫くらい・・・ッ)

 激痛など感じていられる精神状態ではなかったアベルは、身体に幾つも圧し掛かる瓦礫の中でも一番重たい部材を気合を入れて両腕で持ち上げてどかす。

 あとの軽量な木材などは全て無視して、アベルは身体強化を発動させた。


 すでにアベルの身体は限界を迎えていたが、それでも構わずに両腕と両足へ生命力をかき集める。

「うおらああああああ!」

 獣の方向のような雄叫びを放ちながら身体を拘束していた瓦礫を全て振り払い、両足を利用して起き上がると猛然と地面を蹴った。

 そのとき、左脇腹に猛烈な激痛が走ったが、気合で痛みに堪えて魔獣と二人の間に飛び込んだ。


 魔獣はがぱっと粘液質な音を響かせて咢を開き、長尺の腕を後方に鞭のようにしならせた。

「グュオオオオオオッ」

 突如割り込んできたアベルに怒りを覚えたのか、魔獣は雄叫びを上げながら鞭のように柔軟な腕を斜めに振り付けた。

 腕の先端にある鋭利な五本のかぎ爪を見据え、アベルは愛剣の鋼を用いて新たに造られた剣を毅然と前に構えた。


 二代目の愛剣の刀身に純白の光が纏い、生命力による武装強化が発動される。

 しかし、アベルはこれ以上身体を動かすことができなかった。

 限界を超えてしまったアベルの身体には、原動力となる生命力がほとんど残されていなかったのだ。むしろこの場で意識を保てていること事態が一生分の幸運に等しい。

 だが、これでいい、とアベルは内心で笑った。

 魔獣の注意が一時的にせよアベルに向けられれば、アベルが盾として魔獣の相手をしているうちに誰か別の魔法使いが背後の二人を助けてくれる。


 そうなればアベルは無事ではいられないだろうが、幼馴染を傷つけられるよりは全然マシだ。

(リーナ、ユイン、みんな。すまねえ。俺は、俺の決めた使命を最後まで果たす!!)

 内心で自分を見守ってくれた人々へ感謝の気持ちを伝え、アベルは迫る五指を睨み付けた。

 魔獣の腕がしなりながらアベルの頭上へ迫り、鋭利なかぎ爪が頭に突き刺さらんとしたときだった。

 魔獣の長尺な右腕の中央部分に黄金のラインが走り、一拍おいて肘から下が弾け飛んだ。

 それは上空から飛来した何からしく、魔獣の腕を切断したそれは地面に着弾すると強い衝撃を生み出した。


 衝撃から背後の二人を守ろうと、動かせない身体を無理やり動かしてリーナの背中に覆い被さった。

 どこか内臓でも負傷してしまったのか、口内に広がる血の味を感じながらアベルは背中越しに状況を伺った。

(なんだ!? いったい、誰が・・・?)

 そう内心で思いながら、アベルは魔獣の様子を視界の端で捉えた。

 突然、腕を断ち切られた魔獣は腕の痛みにその場で低い唸り声を上げている。小さなクレータのできている場所には、ちょうど地面に突き刺さった光の矢が粒子となって消失するところだった。


 上空から矢が降り注いだということは、射手はアベルたちの頭上にいる可能性が高いことに至ったアベルは、重たい頭を空へと向けた。

 炎によって舞い上がる黒煙と火の粉に染められた空に、雲にしては質量を感じさせる白い何かがあった。

 どんどんその大きさが増していくにつれ、アベルの視界には見慣れたシルエットが映し出される。

(あれは、人、か?)

 そんな疑問が脳に浮かぶが、それが確信になるのは時間の問題だった。


 上空から魔獣に向けて矢を射った射手は地上に向けて急接近している。

 もはや地上から人のシルエットが明確になる距離まで来ても、どういうつもりか射手は速度を緩めようとはしない。

 このままでは、射手も地面に墜落する。落下してくる射手の意図は判らないが、空から光の弓を放てる者が普通の人間ではないことだけは判ったアベルは、着地時に発生するだろう衝撃波に備えて掠れた声で叫んだ。

「やべえ、お前ら伏せろ!」

 そう叫ぶとほぼ同時に、光の弓が着弾した時よりも壮絶な衝撃波がアベルたちを襲った。


 巻き起こった土煙の中、アベルは舞い降りたとは程遠い、墜落してきた何者かのシルエットを視た。

 しゃがんだ体勢から起き上がり上着の外套をはためかせたシルエットは、膝を曲げた右足と右手を後ろに引き絞る動作を取った。

 ぞくぞくっ、とアベルは乱入者の背中から放たれる気迫に背筋を震わせた。

 直後、シルエットが勢いよく引き絞った右腕を前方に突き出すと、今までに聞いたことの無い轟音を伴いながら何かが放たれた。


 舞い上がっていた土煙を全て吹き散らすほどの威力で放たれた何かは、前方で痛みに呻いていた魔獣に直撃すると一気に遠くへ吹き飛ばした。

 あまりに強烈な威力なためか、乱入者の背後にいたアベルでさえ衝撃波に髪を揺らしながら、露わになった純白の衣装に身を包んだ乱入者へ声を掛けた。

「あんたは、いったい?」

 呆然としたアベルの声に身体を半分だけ振り返らせた乱入者は、アベルたちの有様を視てか悲痛な表情を一瞬だけ浮かべるものの、すぐに安心させるような強気な笑みを浮かべた。

「ごめんな、アベル。少しだけ、遅くなった」

 その顔は、つい数時間前に迷いの森最奥部で別れたはずのアース族。アベルが唯一心を許した存在である、アース族の青年アラタだった。


 なぜ、まだ彼がこの世界にいるのか。どうして空から降ってきたのか。魔女との契約は結べたのかなど。

 いろいろな疑問が止めどなく溢れたがそれらをうまく言葉にすることができず、ただただ呆然とアベルはアラタの顔を見続けた。

 そんなアベルに一度頷きかけると、アラタは前に向き直り張りのある声で言い放った。

「ここは俺が引き受ける。すぐに救援が来るから、アベルたちはその人たちと一緒に逃げてくれ」

「・・・アラタ、なんだよな。ごめん、ありがとう」

 普段のアベルなら恥ずかしくて言葉にはできなかったが、消耗していたアベルの口からは自然とそんな声が漏れた。


 その言葉に笑みと共に頷いたアラタは、全身から黄金の過剰魔力を溢れさせて、遠くで立ち上がろうとしている魔獣と戦うために地面を蹴った。

 一瞬で掻き消えたアラタの立っていた場所を、救援隊の人々が助けに来るまでアベルは見つめ続けていた。





 高度千メートル以上の上空からほとんど減速をすることなく、むしろ途中で加速すらした裕紀は途轍もない振動と衝撃を発生させて地面に着地した。

 背後でうずくまるアベルたちはいきなりの衝撃に驚いているのだろうが、初めて扱う大きな力を初手で自在に操ることなど裕紀には到底できることではないのでどうにか大目に見てもらいたい。

 前に裕紀本人が似たような仕打ちを受けたことがあったような気もするが、切迫した状況だったことだし仕方がないと内心で自分を許す。


 そして、裕紀の着地によって発生した衝撃を受けた者がアベルたちだけではないことも把握していた。

 身体への衝撃を減らすために両膝を折り曲げて着地した(それでも骨折すらしないことに驚きだが)裕紀は、舞い上がる砂塵を振り払うついでに、胸中に渦巻く感情を右手に込めて引き絞る。

「ふっ!」

 鋭く気合を放ちながら、右腕に溜まった巨大な力を一気に前方へ押し出す。


 すると、前へ押し出された右腕から圧縮された生命力が放たれ、地面を抉るほどの衝撃波が魔獣へ迫った。

 右腕を突き出すのと、魔獣の身体がかなりの距離を飛んで行ったのはほとんど同時だった。

 魔獣は不可視の拳に腹部全体を殴られたように後方へ吹き飛ばされると同時に、周囲にも広がった余波によって砂塵が一瞬で吹き散らされた。


 吹き飛ばされた魔獣は遠くで待機している魔法使いたちの間を抜けて半壊している建物に激突した。

 すぐに起き上がらない様子からかなりのダメージが入ったのだろうと判断する。

 だが、裕紀も無傷とは言えなかった。

 体感的には百パーセント以上の生命力を魔獣へ打ち放った裕紀は、生命力を消費し過ぎたせいか軽度の立ち眩みを起こしかけるが、よろける脚をどうにか踏ん張らせて後ろでうずくまるアベルへ視線を向けた。


 傷だらけの身体でリーナと少女を庇うアベルは、混乱しているせいか別れる前と衣装が異なっている裕紀に唖然とした表情を向けていた。

 その顔を見た裕紀は、自分自身を殴りたい衝動に耐えなければならなかった。力を得たにもかかわらず、多くの人々を魔獣の恐怖から救ってあげられなかった自分に腹が立つ。

 アベルの混乱を落ち着かせるために、裕紀は内心で渦巻く自身への怒りを抑え込みながらできる限りの笑みを浮かべて、思い付く限りの言葉を送った。


 その言葉を聞いてアベルがどう思ったのかは判らなかった。だが、自分が戦場に赴いた今、せめて三人だけでも助かって欲しいという気持ちを込めて、裕紀は力強い声音でアベルに言ったのだ。

 ここは俺が引き受ける、と。

 生命力が尽きかけている現状では、魔獣との戦闘も控えている裕紀が男性一人と女性二人を一緒に安全地帯へ避難させることは困難だった。

 村の救援隊たちの足音も近付いてきているので、数分もしないうちに三人は保護されるはずだ。


 そこまで考えた裕紀の聴覚が、倒壊した建物を押しのけて魔獣が立ち上がる音を捉えた。

 今の裕紀が意識するべきことは、マーリンの恩恵により自身の出せる力を最大限発揮できる現状を、魔獣が無力化するまで保ち続けさせることだ。

 そんな状態を維持し続ければ、魔獣を無力化できたとしても裕紀自身が無事で済む気がしなかったが、一つの村を壊滅させた魔獣をこのまま野放しにするわけにはいかない。

 己の身を挺してでもリーナと少女を守ろうとしたアベルのためにも、決死の覚悟で魔獣を食い止めてくれていた十人の魔法使いのためにも、あの魔獣は裕紀が止めなければならない。


 しかし、これ以上の被害を出さずにどうやってあの魔獣を無力化するべきか。

 魔獣に関しては闇の魔力が関係している以外には無知である裕紀は、魔獣が動くよりも先に結論を出すために思考を高速回転させようとした。

 だが、その寸前で頭に風鈴の音のようなマーリンの声が直接響いた。

『魔獣の胸の辺りに赤い魔力の集合体があるはずです。そこを破壊できれば、闇の魔力に取り憑かれている動物を助けることができるはずです』

 マーリンの言う通り、立ち上がった魔獣の胸部の辺りに禍々しいオーラを放つ赤い集合体があった。

 恐らくあれが魔獣の弱点であり動力源なのだ。

「・・・ああ」

 疲労を極力悟られないよう(どうせばれているだろうが)、ありがたいアドバイスに短く答える。


 どうやら生命力を大量に消費した代償なのか、脚に力を込めると両足が悲鳴を上げかけるが、その痛みを押し流すようにして膝を曲げた裕紀は地面を蹴った。

 マーリンと出会った天空の島と比べてダッシュスピードはかなり減速してはいるが、それでも一瞬で魔獣の懐まで急接近した裕紀は腰から魔光剣を抜き放った。

 霞むほどの速さで腰に携わっていた柄を手に取り、群青の刀身を煌かせながら魔獣の胴を一閃する。


 だが宙に群青の残光を残らせた裕紀の表情は歪んでいた。

 刀身が何か質量のある物を切り裂いた感覚はなく、むしろ刀身と何かが反発し合うのを無理やり振り抜いた嫌な反動が腕に伝わってくる。

 びりびりと、反動に痺れる右腕から目の前の敵へ意識を向けた裕紀は両目を見開いた。


 先ほど裕紀は上空から光の弓、《エクス・アロー》で魔法を放ち、鞭のように長く柔軟な魔獣の右腕を肘から断ち切った。追撃で生命力の波動を放ち吹き飛ばしたことで魔獣の体力もかなり削れたと思ったのだが。

 なんたることか、再生されていた魔獣の右腕は、今度は鞭ではなく頑丈な籠手のように腕が膨らんでいた。

 その腕は見事に身体の中央、魔獣の心臓部だろう赤い集合体を庇うように構えられている。


 あの魔獣から感じられる狂人のような破壊衝動から、守護獣のように知性を持っているとは思えない。ならばほとんど防衛本能に近い力が魔獣の腕を動かしたのだろう。

 そう考えた裕紀は、反動で後ろに倒れそうになった身体を右足を踏ん張ることで支えると、前に踏み込み目にも止まらぬ速さで剣を振るった。

 右からの振り下ろし、左からの水平斬り。右からの斬り込みに、折り返して左の斬り上げを放つ。

 魔獣の防御を中央から逸らし、再び露わになった心臓へ大上段の斬り下ろしを打ち込んだ裕紀の斬撃を、魔獣は的確に防御してみせた。


 凄まじい防衛本能と反射神経に今度こそ舌を巻いた裕紀は、反撃とばかりに左腕のかぎ爪を頭上から突き立ててくる魔獣の攻撃をバックステップで回避する。

 かぎ爪が地面に食い込み、衝撃で舞い上がった砂塵が魔獣の姿を隠す。

「くぅ・・・っ」

 砂塵を生命力の波動で振り払うために裕紀は左腕を引き絞った。


 さっきのように全力で放つわけにはいかないが、威力を抑制すればこの程度の砂埃を振り払うことはできる。

 だが、マーリンの恩恵にまだ慣れていない裕紀は、意識して枷を外された力を制御できる自信がなかった。

(一か八かだ!)

 不安になる思考を強気に立て直した裕紀は、左腕に生命力を込めた。

 巨大な力の波動を左手に感じた裕紀は、それを前方に撃ち放つために左腕を前に突き出す。


 だが、それより寸分早く砂埃から突き出た漆黒の腕に左腕を拘束され、腕に込められた生命力は不発してしまう。

 五指でがっちりと拘束されてしまった腕を振り払おうと後ろへ引っ張るが、かなりの柔軟性を誇っているのか引っ張った分だけ腕も伸びてきてしまう。

 敵の腕の性質の限界を知らない以上、無理に引き千切ろうとしても解放される可能性は低い。


 しかも、敵は裕紀の腕をただ拘束するだけでは収まらなかった。

 鋭いかぎ爪を持った五指に掴まれた左腕の温度が急速に低下し始めたのだ。

 そうと感じたときには、裕紀の左腕は感覚を失ったかのように痺れてしまい、まともに力を入れることすらできない。

(まさか、生命力を吸収しているのか!?)

 そうとしか思えないほどの左腕の異常に冷や汗を流した裕紀は、気持ちをどうにか落ち着かせると右腕に持った魔光剣を持ち上げた。


 実体のある物体ならば何でも斬れるだろう魔光剣の刀身なら、鞭のように細長い魔獣の左腕を断ち切れると発想したのだ。

 だが、魔獣の闇の魔力と裕紀の魔光剣の刀身を構成する魔力は反発してしまう。魔獣の右腕で斬撃を防がれたときのように、反発して斬り切れなかったら、あの魔獣の恐るべき防衛本能によって右腕をも拘束されてしまう。

 そうなれば、両腕から好き放題に生命力を吸い取られる裕紀の勝機はほとんどゼロになる。


(だけどっ!)

 魔光剣には使用者の生命力を魔力へ変換する量を制御するシステムが組み込まれている。

 変換する量が増せば増すほど、使用者が消費する生命力は多くなるが、それだけ刀身の切れ味は増していくことになる。通常出力では弾かれてしまったが、出力を上げれば細長い腕なら切断することはできるかもしれない。

「うお、おおっ」

 気合を放った裕紀は、握る魔光剣の制御を一段階解除すると、群青の輝きを増した刀身を素早く魔獣の腕を目掛けて斬り込んだ。


 バシイイイイッ!!!

 群青の刀身と漆黒の腕から青紫のスパークが幾筋も迸り、甲高い音が高らかに鳴り響いた。

 眩い閃光の中でも漆黒に染まる細長いシルエットが、徐々にその色を青白く変えていく。

「はぁ、ああああっ」

 気合を迸らせた裕紀は振り下ろした右腕に更に力を込める。黒いシルエットが群青の光に塗りつぶされ、裕紀の左腕を拘束していた魔獣の腕が切断された。


「グギャアアアアアアッ」

 腕を斬られ悲鳴のような咆哮を上げた魔獣に視線を固定しながら、解放された裕紀は更に数メートル魔獣から距離を取った。

 ただでさえ生命力が少ない現状で魔光剣の制御を解いたせいか、再び目眩を起こした裕紀は片膝を着いた。

 魔光剣の制御を初期値に戻し刀身をも柄に納める。


 対して裕紀に左腕をも断ち切られた魔獣は、口から粘液質の唾液と黒煙を吐いて唸る。

 やはり、かなりの再生能力を持ち合わせているのか、切断面からぼとぼとと黒い液体を零していた魔獣の左腕から幾筋もの線が生えると、それらは絡み合い瞬く間に漆黒の左腕を生成した。

(心臓部が守られているなら、少しずつ体力を削ろうかと思ったけど、やっぱり一撃で決めないとダメ、みたいだな)

 魔獣の様子を視てそう判断した裕紀は、右手に持つ魔光剣のデバイスを腰に戻すとぎこちなく立ち上がる。


 まだ戦う意志のある魔法使いは、恐ろしいほどの抵抗力をみせる魔獣に、揃って魔法発動の構えを取っている。

 きっと全員が核である動物の生死を問わずに魔獣を殺そうと考えているのだろうが、裕紀にはまだ闇の魔力に囚われた動物を救う手段が残っていた。

 裕紀が倒れるわけにはいかない理由は、彼の敗北によって魔法使いたちによる魔獣への一斉攻撃が再び行われないようにするためでもあったのだ。


 そろそろ生命力の底が覗き始めているだろう身体に鞭を打ち、裕紀は胸元に下がるペンダントに意識を向けた。

 個人の活動エネルギーである生命力はどの世界でも有限だが、異世界マイソロジアにおいては生命力とは異なる力である魔力は無限だ。そして、生命力を魔力へ変換して魔法を使う現実世界とは違い、この世界では魔力という一つの力だけで魔法を発動できるのだ。


 拘束していた左腕には熱が戻り感覚もある。

(俺はまだ、戦える!)

 そう自分へ言い聞かせて聖具エクスを宿すペンダントへ意識を傾けた裕紀の目の前に、大気中から集約した魔力が一筋の光のラインを造り出す。

 それを両手で掴むと、光のラインは黄金の粒子を吹き散らして一振りの長剣へと実体化した。

 黒革と黄金の装飾が施された柄を裕紀が握ると、まるでその行為で剣が力を宿したように刀身が黄金に輝いた。


 光り輝く剣を前に、周囲の魔法使いからどよめきが走る。その声を全身で受け止めながら、ずしりと重い剣を持った裕紀は黄金に光輝く剣尖を目の前の魔獣へ向けた。

 恐怖と怨嗟に包まれつつある村で凛然と輝く刀身を鬱陶しく思ったのか、両の瞳を赤黒く輝かせた魔獣はグオオオッ、と怒りの咆哮を迸らせ地面を蹴った。

 周囲の魔法使いなど眼中にないと言ったように、真っすぐに裕紀へと突進してくる魔獣の動きに合わせて、裕紀も剣を下段に構えると地を蹴る。


 残り少ない生命力を一気に使い切らないよう、慎重に身体強化を発動させて魔獣と会敵した裕紀は、強攻撃にも転用できるらしい鉄柱のように太い右腕を態勢を低くして頭上すれすれで回避する。

 低姿勢の状態から裕紀は黄金の剣、《エクス・カリバー》を魔獣の心臓部へ振るった。

 しかし、魔獣の反応速度も大したもので、下から高速で振られた裕紀の斬撃を上体を仰け反らせることで躱す。

 空を切った剣を即座に切り返した裕紀は、そのまま上体を仰け反らせた魔獣へ振り下ろそうとするが、すぐに交差された両腕で剣を防がれてしまう。


 魔獣の右腕と黄金の刀身との接点で眩い火花が散り、互いの力が拮抗したためか数秒だけ硬直した。

 だが、すぐに裕紀の身体強化を魔獣の腕力が上回り、勢いよく腕を広げた魔獣の力によって剣が弾かれてしまう。

「くっ」

「グルァッ」

 直後、上体を起こしざまに右腕による薙ぎ払いを受ける。それを辛うじて刀身で防いだ裕紀は、衝撃によって数十メートル後方に押されてしまう。


「援護します!」

 そんな裕紀の戦いぶりを見て苦戦していると判断した魔法使いたちが、各々の攻撃魔法の魔法陣を構成させる。

 苦戦する裕紀を手助けしようとしてくれている魔法使いたちの善意を制止することはもはやできるはずもない。

 こうなれば、十人もの魔法使いたちの全力攻撃に乗じて裕紀自身も魔獣へ肉薄し、今度こそあの心臓部へ大打撃を打ち込まなければならない。


 赤、紫、緑、青など、色とりどりの魔法陣を構成し終えた魔法使いたちが一斉に詠唱を唱え魔法を発動させた。

 それと同時に裕紀も地面を蹴り魔法と一緒に魔獣へ突進した。

 だが、魔獣もただ黙って敵の攻撃を受けるつもりはないらしい。

 十人分の魔法の三割を身軽な動きで躱し、残る七割を的確に迎撃していく。

 標的を外した魔法。頑丈な右腕や伸縮自在の左腕で弾かれていく魔法が地面に直撃するなかを、裕紀は全速力で走った。


 驚くべきことに全ての魔法に対処し終えた魔獣は、その間に肉薄した裕紀に向けて太い右腕を隕石のように振り下ろした。

 回避することなど頭になかった裕紀は、反射的に構えた刀身で攻撃の軌道を逸らすと、更に深く魔獣の懐に潜り込んだ。


 右腕での防御はもちろん、左腕でも裕紀の剣を防ぐことは不可能だろうと思える距離で振るった剣を、しかし魔獣は跳躍することでそれを躱してみせた。

 裕紀の頭上を飛び越え、剣では確実に届かない距離まで跳躍すると間髪入れずに鋭い爪を持つ左腕を伸ばしてくる。


 しかし、もう裕紀も防御の構えを取ることはしなかった。左手を前に、剣を握る右手を弓の弦を引くように後ろへ構えた。

(これで決める!!)

 魔獣の左手へ意識を集中させた裕紀は、残りの生命力など意識せずに地面を蹴った。

 凄まじい衝撃波を後ろに発生させながら跳んだ裕紀は、目の前に迫る漆黒の掌へ黄金の剣を突き出すことで対抗した。


 剣尖と魔獣の掌が接触した瞬間、眩いスパークと衝撃が燃え盛る村を襲う。強烈な力に押し負けまいと、剣を突き出した裕紀は腹の底から大きな気合を迸らせた。

「う、おおおおおおおっ!!!」

 その気合に呼応するように増した黄金の刀身の光が、伸ばされた魔獣の左腕を徐々に引き裂き始める。

 力が二分された魔獣の腕では、猛烈な勢いとパワーで突進する裕紀を食い止めることは不可能だった。


 両者の力の均衡はすぐに崩れ、裕紀は光線となってすれ違いざまに魔獣の腕を左肩まで引き裂いた。

 ズパァンッ、という高らかな音を響かせながら、魔獣の腕が肩から両断され宙を舞う。

「グギャアアアアアッ!!」

 黒い液体を切断面から噴き散らしながら絶叫した魔獣だったが、それでもなお裕紀を仕留めるために身体を捻る。


 剣を前に突き出した体勢で固まる裕紀も最後の力を振り絞り迎撃に出る。

 魔獣は今度こそ裕紀の息の根を止めようと力の限り右腕を振り下ろそうとするはずだ。ならば裕紀は、右腕が振り下ろされるたった一瞬の隙を狙うしかない。

 突き出した剣を左脇に添えるようにして構え、左足を軸に後ろを振り返った裕紀は、赤く輝く魔獣の心臓部に全意識を集中させた。


「グァオオオオッ」

「うぉおおおおおっ!」


 魔獣と裕紀の雄叫びが重なり合うなか、裕紀は己の使える全ての生命力を乗せた渾身の斬撃を魔獣の胸元へ一閃した。斬撃に乗せた生命力が衝撃波となり、魔獣の身体を通して上空へ撃ち放たれると、立ち昇る黒煙を僅かに散らした。


 魔獣の右腕が自身の頭上すれすれで停止していることを意識しながら、裕紀は重い頭を微かに持ち上げた。

 殺気のような赤い光を放っていた魔獣の心臓部には横一文字に斬撃の跡が刻まれている。

 信じられないというように咢を開いた魔獣の頭部が、黒い霧と化して徐々に消滅していく。

 やがて魔獣の全身が黒い霧となって消滅すると、まるでその霧から解放されたかのように黒い体毛のウェストウルフが地面に倒れた。


 騒々しかった戦闘音や人々の叫び声が途端に静まり、ラムル村に一時の静寂が訪れた。

 しかし、村を襲った恐ろしい敵が消滅したという事実がその場に居た人々の意識に浸透し自覚させると、静寂は歓喜の嵐となって村を包み込んだ。

 死闘を繰り広げた魔法使いたちは、互いの無事を喜び合い男女構わず抱擁を交わす者もいた。


 そんな人々の歓声の渦をどこか遠くで聞いていた裕紀は、剣を振り抜いた態勢のまま、倒れる狼へ視線を向けた。

 闇の魔力に取り込まれ破壊の限りを尽くした魔獣の核は、力なく地面に倒れていた。

 殺してしまったのか、そう思った裕紀だったが、微かにだが確かに呼吸があることを確認すると、安堵のあまり肺に溜まっていた空気を一気に吐き出した。

「ごふっ」

 しかし、文字通り全身全霊の力を使い果たした裕紀の身体はボロボロで、吐き出した息と一緒に血を吐いてしまった。

(まあ、活動に使う全ての生命力を斬撃に乗せれば、さすがにこうなるよな・・・)

 生臭い血の味を口内で感じながら当たり前のことを内心で呟いた裕紀は、とうとうしゃがんでいることすら厳しくなり力尽きたように地面に倒れた。


 徐々に遠くなる意識のなか、歓喜の声が不穏などよめきへと変わり、人々がこちらに集まってくる。

「・・・アラタッ」

 裕紀の意識が途絶える直前、自身の名を叫ぶ必死な声を聞いた気がしたが、それが誰の声なのかを判断するには少しばかり時間が足りなかった。

 集まった人々の中心で何者かに呼び掛けられた黒衣の魔法使いは、呼び掛けに答えることなく意識を失った。

 

ようやく異世界でのお話に終わりが見えてきました(長かった・・・)!

それにしても、アラタくん、ボロボロじゃないですか・・・。

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