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聖剣使いと契約魔女  作者: ふーみん
73/119

迷いの森/契約(2)

文章を修正しました。


もう一世紀近くも昔の話→今から一世紀以上も昔の話


よろしくお願いします。

 石造りの扉を潜り光の中を歩き続けた裕紀がまず最初に感じたものは、草が擦れ合う心地の良い音と仄かに香る草や花の香だった。続いて全身の肌に温暖な空気と調度良い涼しさのそよ風が頬を撫でた。

 きっと、足元にはふさふさした草花が辺り一面に広がっているのだろうと、純白の光に耐えられずに目を瞑りながらふらふらと歩いていた裕紀はそう思った。

 そんなことをイメージしてしまったせいか、いったい何処に辿り着いたのだろうという疑問より先に、強烈な睡魔が荒波のように襲い掛かった。


 しかし、あと少しで目的を達成できるという重要な場面で横になってお昼寝をするほど裕紀もマイペースではない。暖かな日差しの下、どこまでも広がるであろう草原で昼寝をするという魅力的な欲求は次の機会に取っておくことにして、裕紀は一息に閉じていた瞼を持ち上げた。


 瞼の裏からでも光を感じられた裕紀は視界に差し込んだ眩しい日差しに反射的に目を細めた。

 右手を翳して日光を遮るが、徐々に瞳が光に慣れて周囲の様子を伺えるようになると、裕紀の視界にはイメージ通りの光景が映り込んだ。

 まるでどこかの画家が描いた草原の絵画のように、見渡す限りの緑。緑の絨毯に散りばめられたように咲いている花々も白を基調としたものが多く可愛らしくも美しかった。ふと空を振り仰いでみると、快晴という言葉をそのまま景色にしたかのような青空があった。


 視線を前に戻して視野を広げてみると、裕紀はこの美しい草原にある違和感を感じた。

 その正体は、広々とした草原に点々と存在している大きな岩だった。よく見てみると、辺りには岩以外にも大理石のような石材で造られた建物などの残骸も点在している。長い間放置されていたのか、どの残骸も風化が進んでおりすぐにでも崩れそうだった。

 ここはもともと草原ではなく遺跡だったのだろうか? と、フィクション小説でありそうな光景を眺めながらそう思う。


 目新しい風景にたっぷり一分ほど見入っていた裕紀だったが、ここに来た目的を危うく忘れそうになり頭を振った。

 いつまでもこの美しい風景を見続けていたいという気持ちはあるがそういうわけにもいかない。時間が迫っている裕紀にはそんな余裕はもう微塵もないのだ。

 少々名残惜しかったが、まあ歩きながらでも景色は楽しめると割り切って、青空の下で裕紀は歩き始めた。


 緩やかな風に黒髪を揺らしながらどこまでも続く草原を体感で一キロは歩いた裕紀は、周囲に散らばっている石材よりもやや大きめな柱を見つけた。他の建物だった残骸に倒れ掛かり斜めに傾いている柱の上で鎮座する人影を視界に入れた瞬間、裕紀はその人影が自分の求めていた存在であることを察して走った。

 子供のように小さい背中のすぐ後ろまで駆け寄った裕紀は、やや視線を上に向けると声を掛けた。


「あんたが、迷いの森に住まう魔女なのか?」

 小さな背中にそう問い掛けると、柱に腰を下ろしていた人物はゆっくりとこちらに振り向いた。

 フードを被っているせいか目元は見えないが、覆われていない長い銀のもみあげが風に揺らされた。ローブからはみ出た小さな手が風化しかけている石材に触れる。


 柱に腰を掛けていた人物は華奢な身体を限界まで捻ると、フードの下から伺えるようになったつぶらな瞳を裕紀の黒い瞳に合わせてきた。

 瞬間、裕紀の頭の隅でパチッと記憶の断片が弾かれた気がしたが、その片鱗を捕まえることよりも裕紀の意識は目の前の少女の瞳に吸い寄せられていた。


 透き通るような灰色の瞳で自身の瞳を覗き込まれた裕紀は思わず息を呑んだ。視た者の意識を吸い込んでしまいそうなそんな不思議な感覚を受けていた裕紀の目前で、その人物は小さな唇を僅かに開き少し息を吸った。

 そのまま吐き出された声音は、風鈴のように涼やかでお淑やかだった。

「ようやく、こうして出会うことができましたね。わたしはマーリン。迷いの森を守護する契約魔女の一人です」

 フードを被りながら魔女にそう名乗られてから、たっぷり五秒ものあいだ裕紀はフリーズしてしまっていた。


 決して裕紀自身に幼女を愛するような趣味があるわけではない。

 そんなことなど気にもならないほどの過剰魔力オーバーフォースが、マーリンの小柄な身体から天に向けて立ち昇っていたのだ。

 まだ魔法使いとして過剰魔力に触れる機会の少ない裕紀でも判るくらいの規模で放たれる生命力に圧倒されていると、裕紀の視線が頭上に向けられていることに気が付いたらしいマーリンが得心したような表情で上を振り仰いだ。


「なるほど。こうも人前に出なくなると、生命力を抑えることも忘れてしまいますね」

 幼い少女のような声音だが、口調から感じられる雰囲気はまったく少女のそれではない。声音に含まれる威圧感はヤムダよりも勝っているように思えた。

 そんなことを感じさせたマーリンは特に意識を集中させる素振りも見せずに、膨大に溢れ出していた生命力を一瞬で小さな身体へと収めてしまった。


 本人からしてみれば多少のブランクなどがあるのだろうが途轍もない生命力操作の力だ。

 そんな力を見せつけたマーリンは、フードの下から覗く灰色の瞳を何かを求めるように再び裕紀に固定させた。

 いったい何を要求しているのだろうと思い、女の子が気にしていることを少しばかり考えてみた裕紀は、まず最初に思い浮かんだ一つの記憶をもとに口を開いた。

「君の過剰魔力も凄かったけど、それよりも君が可愛かったものだから、思わず見入っちゃって」

「なっ、かわっ・・・!?」

 かなり気恥ずかしい発言なので本人の顔は極力視ずになるべく視線を下へ向けてそう言った裕紀の耳に、不意を突かれ裏返った声が届いた。


 先ほどの落ち着いた口調とのギャップに視線を上げた裕紀の視界には、フードの下で白い頬をりんごのように真っ赤にさせたマーリンの表情があった。くりっとした灰色の瞳は羞恥のためか若干涙ぐんでおり、小さな口はわなわなと震えている。


(本当に、この子は魔女なのかな?)

 新鮮な反応を見せてくれた魔女を前に、裕紀は内心でそんなことを思ってしまっていた。

 長い間、村の伝承として伝えられてきたというのだからかなりの長生きなのだろうが、彼女の反応は自分よりも年下のような印象が強い。

 そう感じていた裕紀の目の前で、なおも恥ずかしそうにふいっとそっぽを向いてしまった。

「初対面の相手に、いきなりそういう言葉を言うのはどうかと思うのですが」

「ご、ごめんなさい・・・」

 裕紀に背中を向けてそう言ったマーリンの訴えに、確かに一理あると思った裕紀は肩を竦めて謝っていた。


 そんな謝罪を聞き入れてくれたのか、小柄な魔女は溜息を吐いた気配を見せると自身の座る大理石の柱を軽く叩いた。

 それが隣に座れと指図されていることは明白だったので、裕紀は一瞬の躊躇を振り払い、斜めに倒れている柱の前まで回り込んだ。

 脚力だけ強化させて一度の跳躍で柱に乗った裕紀は、無言で座る魔女の隣に静かに腰を下ろした。


 他の石材に倒れ掛かかり斜めに傾いている柱からは、少しだけこの草原の景色を広々と眺めることができた。

 どうやらこの草原は無限に続いているわけではないらしく、裕紀たちが座っている柱より数百メートル離れた場所で草原は終わっていた。そこから先が崖になっているのか、はたまた草原ではない何かになっているのかの判断は此処からではできそうにない。


 ただ、異世界に来てからこれだけは変わっていない、どこまでも続く青空を眺めていると、不意に裕紀は隣から右腕を小突かれる。

 隣に視線を向けると、ローブの下からじっとりとした眼光が注がれていた。用件をそっちのけで景色に没入してしまっていた裕紀は、言い訳の余地もなくただ苦笑を浮かべるしかなかった。

「ぼんやりしている暇もないでしょう。さあ、早く契約を結びましょうか」

 どういう手段でこちらの事情を把握しているのかはさておき、マーリン自身も早く裕紀との契約を済ませてしまいたいらしい。


 しかし、契約を結ぶ前に裕紀は一つだけ確認しておかなければならないことがあった。

「えっとその前に一つだけ。君、どこかで会ったことあったっけ?」

 この草原でマーリンと出会ってから弾けた記憶の断片は、こんなやり取りをしている間にもふわふわと霧のように頭の中を漂っている。

 もしかしたらただの思い違いかもしれないと思いながら聞いてみた質問に、契約の準備のためかローブから白く細い右腕を晒していたマーリンは灰色の瞳を大きく見開いた。が、その瞳はすぐにキッと鋭い眼光を放ち裕紀を睨み付ける。


 幼さを含んでいるとはいえやはりどこか年長の雰囲気があるマーリンから睨み付けられ、不覚にも裕紀は身を竦ませてしまった。

「まさか、覚えていない、というわけではないですよね!? あれほど印象的な出会いをしたというのに?」

 契約のことなど忘れてそう言い迫るマーリンに、裕紀は申し訳なさそうに視線を明後日の方向へ逸らして弁解した。

「あー、ここ数日いろいろあり過ぎて、というか驚愕的なことしかなかったから、ちょっと記憶が薄くなってるみたいで。えっと、待って、がんばって思い出してみるよ」

 なぜかマーリンの身体から白銀の過剰魔力が陽炎のように揺れ動いているのを視界の隅で確認し、身の危険を感じた裕紀は全力で記憶の棚を引っ張り出す。


 しかしながら、どうも肝心なところで必要としている記憶が探し出せず、裕紀は背中に大量の冷や汗をかかざる負えなかった。

 まったくもって記憶を見つけられない裕紀に痺れを切らしたように、マーリンはトゲのある声で裕紀に怒鳴りつけた。

「ええい、もういいです! 忘れてしまったのならわたしが直接教えてあげますよっ。わたしは、あなたが異世界を去る間際、あなたと一度出会っています。そして、あなたに言ったはずです。わたしが見えているのなら、覚悟が決まればきっと会えると!」

「あ・・・っ」

 どうか裕紀自身の力で思い出して欲しいという訴えのような声に、裕紀は小さく声を漏らした。


 この魔女との出会いがただの偶然であるとは裕紀も思えない。魔女マーリンと裕紀の間には、ただならぬ繋がりがあるように感じられる。

 その繋がりを知るためには、裕紀が忘れているであろう記憶がヒントになるはずなのだ。

(ちゃんと思い出せ、新田裕紀。この子が言っていることはきっと嘘じゃない。俺も知っていることなら必ず思い出せるはずだ)


 眉間にしわを寄せ、裕紀はありったけの集中力を振り絞って慎重に記憶の棚を引っ張った。

 確かに、マーリンの言っていた言葉は初めて聞いたようには思えない。それに印象的と言うことは裕紀にとってもかなり身に覚えがあるはず。

 銀髪、小柄な体型に鈴のように軽やかな声音も何か記憶に引っ掛かる。そもそも、こんな事態に陥っているきっかけは、マーリンの容姿を視たときに何かが記憶を掠めたような感覚に陥ったからだ。


 そんな時、なかなか思い出せない裕紀にとうとう運命まで痺れを切らしたのか、裕紀とマーリンを強い風が襲った。今までそよ風程度だったので完全に不意を突かれた裕紀だったが、若干バランスを崩すだけで左手を支えにしたことで柱から落ちることはなかった。

「きゃあっ!」

 しかし、フードを目深に被っていたマーリンからそんな小さな悲鳴が聞こえ思わず視線を向ける。


 この突風でバランスを崩して柱から落ちかけたのかと思ったがそうではなく、隣に座る魔女は強風によって頭からフードを飛ばされたところだった。

 フードが外れたことで露わになった白銀の長髪が乱れないように両手で抑える魔女も、身体全体でバランスをとって落ちないように工夫している。

(まあ、この程度の強風じゃあ後ろに吹き飛ばされる事なんてそうそうないよな)

 当たり前のことに考え至り再び集中しようとした裕紀の脳裏に、ある記憶が稲妻の如く走った。


 迷いの森のように深い森。濃い霧の中を誰かを追って彷徨っていた裕紀は、この魔女と同じような体格をした少女に何かを言われた直後、大人一人吹き飛ばすほどの豪風で吹き飛ばされたことがあった。

 そう、あの時少女に言われた言葉は確か、

『わたしが見えているのなら、わたしを感じられるのなら、きっとあなたとは会える』

『けどまだその時じゃないの。あなたには、そのための覚悟が備わっていない』

 こんな言葉だったはずだ。


 ようやく思い出した記憶によって、裕紀はあの時の少女とマーリンが完全に同一人物であると認識することができた。

「そうか、マーリン。君は一度、森で俺を吹き飛ばした少女だったのか!?」

 確かに一度会ったことのある本人からすれば、裕紀の態度は失礼極まりないものだった。

 申し訳なさを感じつつも妙な達成感を感じながらそう言った裕紀に、フードを被り直したマーリンはその下で五割弱鋭さが和らいだ眼光で裕紀を睨み言った。

「思い出すにしても、最初に口にするのがその一言ってどうかと思いますけど」

「す、すみません・・・」

 唇を尖らせ、まだ機嫌が斜めであることを伝えてくる口調のマーリンに裕紀は肩を縮めてそう謝る。


 謝りながら、確かにあの出会いは印象的だったなあ。だって訳も分からないまま語りかけられて、いきなり吹っ飛ばされたんだもんなあ。

 などと、マーリン曰く印象的な出会いを脳内でリフレインしてみる。


 そんな裕紀の隣に座っていたマーリンはというと、むすっとした表情で彼方に広がる青い景色を眺めながら不機嫌そうに呟いた。

「せっかく転移魔法に干渉してあなただけを迷いの森に連れ出したというのに。あれ結構疲れるんですからね」

「へ、へえ。そうなんだ・・・」

 まさかヤムル村から現実世界に転移する一瞬の間に、裕紀だけを魔法の効力から強引に連れ出していたなんて思わなかった。聞くだけで困難極まりないだろうから、それをすることで疲れるのはなんとなく理解できる。だが、そんな魔法使いの中でも桁が外れていそうなことをやってしまうマーリンの実力は図りしれなかった。


 何はともあれ、こうしてマーリンとの印象的な出会いを思い出すことのできた裕紀は、気を取り直して契約を結ぼうと小柄な少女へ話し掛けた。

「ところで、記憶を思い出したってことは、もう俺たちは契約を結べるのかな?」

 端的に聞いた裕紀の問いが図々しいと思われたのか、口をへの字にして溜息を吐いたマーリンは身体の向きを変えるとすでに晒していた右手を裕紀の正面に突き出してきた。

「えっと・・・?」

 それから何も言わないマーリンに、自分はどうすればよいのか判らなかった裕紀は視線で問い掛ける。


 なかなか察しの悪い契約者に呆れたように、マーリンは溜息を堪えながら説明した。

「あなたの右手を出しなさい。契約魔法は契約者と対象の魔法使い双方の情報を共有する必要があるのです。そのためには互いの体の一部をこうして触れさせ、生命力を共有するやり方が一番やりやすいのですよ」

「へえ、そうなんだ。じゃあ、失礼して」

 感心しつつそう言った裕紀は、自分の右手をマーリンの右手に重ね合わせた。


 まだ子供のように小さなマーリンの手は、ふっくらとしており本当に子どもの手の感触と何ら変わらない。

 村の伝承に出てくる魔女の正体が彼女であることを知らなければ、目の前の魔女が少女であると裕紀は本気で信じてしまっていたかもしれない。

 そう思っていた裕紀の前で、瞳を閉じたマーリンの口から静かな声が零れた。

「汝の魂を我が身に刻み、我が魂を汝の身に刻む。これより我が身は汝と共に、汝の身は我と共にある」

 今まで聞いた魔法の詠唱とは少しだけ長い詠唱を紡ぐと、重ね合わせた大小の掌の間から仄かな光が漏れた。


 光は二人の右手から格子状のラインを描いて身体に広がった。

 その様子を不思議そうに見守っていた裕紀は、急な目眩と頭痛を感じ反射的に瞳を閉じた。

 一瞬だけ閉じられた瞼の裏側には、この世に裕紀が産まれてから経験したことの無い壮絶なイメージが映し出された。


 数えきれないほどの屍の血で染められた大地。幾つもの黒煙が立ち昇る城。血と黒煙をキャンパスに広げたかのように赤黒く染まる空。

 あまり鮮明ではないイメージは、裕紀に驚愕と畏怖を残して記憶の濁流に押し流されていった。


 額に嫌な汗を浮かべて苦しそうに瞼を開けた裕紀は、目の前で大人しく瞳を開ける魔女の顔を視界に捉えた。

「俺の中に流れ込んできたこのイメージ、・・・これは君の記憶なのか?」

 まるで世界の終りのような残酷な光景が脳裏から離れず、胸焼けを堪えながら呻くようにそう尋ねる。

 尋ねられたマーリンは、この質問を待っていたかのように落ち着いた声で言った。

「契約魔法は、対象となる者の情報を共有しなければならないと言ったはずです。人の情報とは、ある意味では記憶と同じ。あなたが視たイメージは、あなたの質問通りわたしが過去に体験した記憶です」

「じゃあ、この地獄のような光景はこの世界で君が経験したこと? はは、信じられないよ・・・」

 今から一世紀以上も昔の話になるが、現実世界における日本も幾度となく血みどろの戦いを繰り返してきた。その中でも世界規模となった戦争では、核兵器という現在でも畏怖され続けている爆弾の投入によって多大な犠牲を払った日本の降伏で終結した。


 それから二十一世紀中盤まで、日本は国防という動機以外で他国と戦争をしたことはない。隣国との小規模な戦争を除けば、世界規模の争いは四十二年前に起きた資源戦争くらいしか知らない。その戦争のことすら、当時はまだこの世に存在していなかった裕紀は教科書で知ったのだ。

 文字通り平和な世界を生きて来た裕紀には、こんな地獄を再現したかのようなこのイメージを受け入れることは困難だった。


 そんな裕紀の心情を察したのか、苦笑を浮かべる裕紀の言葉を黙って聞いたマーリンは、重ねていた手を降ろすと遠い過去を思い出すような声音で言った。

「百年以上も昔の話です。人界と呼ばれるこの世界には魔界の闇から世界の秩序を護る光の騎士がいました。当時の人々は彼らを聖騎士と呼び、彼らはそんな人々に英雄視すらされていました。実際、聖騎士たちは闇を払う聖なる武具を使って数えきれないほどの闇を払い世界を護ってきた」

 マーリンの話していることは、アベルからも聞いた聖騎士と暗黒騎士の話だった。聖騎士たちの結末を既に知っている裕紀は、続くマーリンの言葉を無意識に呟いていた。

「でも、聖騎士は一度滅んでいる」

 その呟きに、裕紀の情報を共有しているマーリンは静かに頷いた。

「騎士団という組織を創り上げ、多くの人々の救世主となった聖騎士たちは、しかし一人の騎士の裏切りによってたった一日で滅んでしまった。裏切った聖騎士は一人の聖騎士と相討ちになりましたが、残された聖騎士は強さを増していく魔界の闇に次々と倒された。守護者を失った人界は、やがて魔界の覇者の強大な闇に支配されてしまいました」


 語られる惨劇の物語をただ聞くことしかできない裕紀に、灰色の瞳を向けたマーリンは裕紀が感じたイメージを彼に強く刻み付けるように言った。

「あなたが感じたイメージは、全てが終わってから戦場に駆け付けて、何もできなかった愚かな魔女が見せられた絶望の光景です」

 真っ向から向けられてくる視線を裕紀は見返すことができなかった。

 そんな裕紀に、微笑みの気配を滲ませたマーリンは口調を幼子を癒すような声で言った。

「ごめんなさい、初対面でいきなりこんなことは受け入れられないですよね。ただ、わたしと契約を交わし聖具を手にするということは、救われてもなおこの世界を蝕む闇と対峙する使命を背負ってしまうということなの」

 とても重要なことを最後まで隠していたマーリンは、最初に言わなかったことの申し訳なさからか俯き加減にそう言った。


 自身と契約を交わし世界を闇から護る新たな聖騎士を生み出すまで、この森でマーリンが何をしていたかなど聞く気にもならなかった。

 たった一人で戦っていたのだ。わざわざ守護獣を生み出してまで、この迷いの森と名付けられた森林を闇の魔力に浸食されないように守り続けていたのだ。

 その戦いが何百年前から続いているのかは想像もできないが、今日までマーリンは孤独の戦いを続けてきたのだ。


 長い間その小さな背中に世界の命運を背負い続けて来た、目の前の小さな魔女を抱きしめてやりたい衝動を必死に堪え、裕紀は合わせることのできなかった視線を俯く魔女に向けた。

「世界を護るっていうことがどういうことなのか、まだ全然想像もできない。けど、それが一人で戦えることじゃないことくらいは分かるから。俺も一緒に戦うよ、マーリン」

「ほんとうに、いいんですか?」

 どうしてか、この一言を裕紀に放ったマーリンの雰囲気が長年者から幼い少女のものに変わったように思えたのは、おそらく裕紀の錯覚だろう。


 呆けた表情で見上げてくるマーリンから視線を外して、果てしなく続く青空を眺めながら頬を指先で擦る。

「俺の記憶を共有しているならわかるだろ? 俺も大切な人を守るために強くならなくちゃいけないから、その為の力を君から授かるついでっていうか」

 そう言いながら、今まで隣に座る魔女にはこの青い空がどのように映っていたのか気になったが深くは考えない。平和な世界で暮らしていた裕紀がそんなことを考えたところで答えは出ないに決まっているからだ。

 そんな裕紀の言葉を聞いたマーリンから、くすくすという笑い声とからかうような口調が届いた。

「ふふっ。世界を護る使命をついでと言いますか。アラタ、あなたは思った以上に大胆な人なのですね」

 完全に内容を考えずに言ってしまった発言を言及され、急に気恥ずかしくなった裕紀は必死に言い訳を口にした。

「今のはただの言葉の綾だよ。世界を護るなんて大それたこと、規模が大き過ぎて怖いと思える段階にないだけだ」

「しかし、その意気やよし、です。これはわたしの大切な人からの受け売りなのですが、最初から何かを成し遂げられる者などこの世界には存在しません。全ての偉功は、あなたが抱いたような強く揺るぎない決意から始まるのですよ」

「そう、なのかもな。今はまだ力不足もいいところだけど、いつか世界を護れるほどに強くなれれば、俺の守りたい人たちは確実に守ることができるわけだし」

 マーリンの言葉に勇気づけられた裕紀は、エリーから受け取ったペンダントを握り締めた。


 本当の家族のような存在であるエリーから貰ったこのペンダントは、異世界に来てからずっと裕紀に安心感を与えてくれている。

 母の温もりではないが、握ると落ち着く温かさが掌に伝わってくるのだ。

 今だって、握り締める掌に春の日差しのような温かさが広がり、拳の隙間から細やかな光が漏れている。

(ん? ひかり?)

 そんな思い入れのあるペンダントを握る拳をふと見下ろした裕紀は、ペンダントに起こっている異常に気が付いた。


 ゆっくりと拳を開き、もともとは透明な水晶だったペンダントを掌に載せてまじまじと見つめる。

 エリーから受け取ったときとは違い、光り輝く水晶の内部に不思議な模様を見付け出した裕紀は隣に座っているマーリンにそれとなく問いかけた。

「な、なあ、マーリン。どういうわけか俺のペンダントが光ってるんだけど?」

 戸惑いながら疑問を投げかけた裕紀に、マーリンはフードの下から落ち着いた声で答えを返した。

「わたしの保有する聖具には実体がありません。だから入れ物となる物質が必要だったので、ちょうどクリスタルだったあなたのペンダントがちょうど良いかと思ったのです」

「へ、へえ?」

 聖具という武具のことを詳しくは知らない裕紀は、そう曖昧な答えを返すしかない。ただ、マーリンと契約を交わしたことで手に入る力は裕紀に譲渡されていると考えてよさそうだ。


 そこまで考えた裕紀は、座っていた柱から草原に降り立つとマーリンを見上げて言った。

「とても暖かい光だね。ありがとう」

 水晶の内部で輝きを内包するペンダントをシャツの下に仕舞いながら礼を言った裕紀に、マーリンは優しい微笑みをフードの下で浮かべながら言った。

「その力の本質は光ですが、使用者の心が闇に染まってしまえば力も闇に変質してしまうので気を付けてくださいね」

「ああ。わかった」

 マーリンの忠告に裕紀は深く頷いた。


 本当ならマーリンから授かった力を試しに触れてみたい気持ちもあった。

 だが、時間は思っている異常に切迫しているような気がしてならなかった裕紀は、この世界に来た目的を果たせたためすぐにでも現実世界に戻りたかった。

 昨日の昼、現実世界では深夜五時にエレインに異世界に送り出されたとき、彼女はゲートは自分自身の魔力で起動しているため時間の制限もあると言っていた。まだ強制送還の予兆はないので時間的には余裕があるのだろうが、人を殺さずに助けるという決意をマーリンに表明した以上、裕紀には決戦前にやっておかなければならないことがある。


(けど、ここからどうやって現実世界に戻るんだ? そもそも、此処ってどこなんだ?)

 きょろきょろしていた裕紀を、柱の上から素足をぶらぶらさせて見下ろしていたマーリンは、内心を見透かしているかのようにどこか含みのある声で言った。

「此処がどこかって思ってますね。ふっふっふ。ここはですね・・・、・・・ッ!?」

 しかし、肝心なところで言葉を切ったマーリンへ首を傾げながら見上げた裕紀も、直後電撃のように走った異様な気配に、発生源であろう方角へ顔を向けた。

 脳から背筋に走った肌寒い怖気に僅かに身震いし、立ち眩みのような感覚に陥りながらも額に浮かんだ冷や汗を拭う。


(なんだ? この感じ・・・)

 目眩を感じてふらついた裕紀の頭上から、深刻な雰囲気を声音に色濃く含ませたマーリンが言う。

「感じましたか、アラタ?」

 その問いに、裕紀は僅かに頷いて答えた。

「ああ。とても、気味の悪い感覚。これは、殺気なのか・・・」

 今感じているものと似たような感覚を数週間前に裕紀と彩香を襲った魔法使いと対峙したときにも感じた。あの感覚を裕紀は殺気と表現したのだが、マーリンはそれを違う言葉で表した。

「そうとも言いますが、これは、闇の魔力。どうやらこの近くの地上で、恐ろしい何かが暴れているようです」

「これが、闇の魔力」

 血生臭い香りすら漂ってきそうな感覚を強く頭を振って遠ざけさせ、裕紀はいつのまにか柱から草原に降りていたマーリンに強く懇願した。


「頼む、マーリン。俺を闇の魔力の発生源まで行かせてくれ」

「ですがあなたには時間がないのでしょう? この闇の魔力の発生源はおそらく魔獣。冒険者や魔法使いなら対処できるはずですよ?」

 確かに時間はない。だが、魔獣が暴れているのであるなら少しでも戦力が多い方が負傷者は最小限に抑えられるはずだ。

「それに、冒険者は魔法が使えないって聞いたよ。たとえ魔法使いがいても、相手が強力な魔獣だったらきっと危ない。だから、俺は行くよ」

 それに、マーリンが立った独りで戦っていた世界を蝕む闇の一つが魔獣であるなら、彼女と一緒に戦うと誓った裕紀がそれと戦わないわけにはいかないだろう。


 揺るがぬ炎を瞳に宿した裕紀に、マーリンはフードの下で小さく息を吐くと肩を竦めて言った。

「さすがはわたしの認めた契約者です。さっそく、あなたの実力を視させてもらいますよ。でも、無茶はしないように。あなたの守るものは、アースガルズにも存在しているのですから」

「ああ! ありがとう、マーリン」

「それと、わたしはまだ此処でやるべきことがありますから、それが終わり次第向かうことにします」

「うん。わかった」

 頷いた裕紀は、マーリンに背を向けて草原を走り出した。


 契約したことで力が増したのか、身体強化を発動させる際、裕紀は体中に漲る強大な力を感じ取った。

 身体の底から漲ってくる生命力を両足に押し流して一思いに地面を蹴ると、ジェットエンジンのような轟音が轟いた。

「いっ・・・ッ!」

 豪風に背中を押されるように勢いよく地を駆けた裕紀の身体は、たったの一秒でおよそ百メートルもの距離を進んでいた。















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