迷いの森/試練(5)
薄暗い森林を走る裕紀たちは、背後から蜘蛛たちの追随がないことを確認するとひとまず足を休めることにした。
いかに生命力や魔法で身体が強化されているとはいえ、走ることで自分たちの体力も失っているのだから休憩は必要だ。それに最奥部まではまだまだ距離があるようなので、ここで無駄に体力を消費するわけにもいかないのだ。
ただ、こんな身の隠せない場所で四人で立って休むというのもあまり良い案とは言えない。
最低限、敵から身を隠せる場所があればそこに移動してゆっくり休みたい。そう思いながら息を整えた裕紀は、草木の生い茂る薄暗い森の中へ目を凝らした。
(ん・・・、あれは・・・?)
ぐるぐると、見通しの悪い森の中を眺めていると、ぎりぎり裕紀の視力でも視認可能な距離に小さく黒い穴のようなものを捉えた。ただし、視界に捉えた穴のようなものと裕紀たちとの距離はかなり離れているので、これ以上詳しい情報を得ようとするなら現時点の裕紀の視力では無理があった。
上手くできる可能性はまずないだろうが、裕紀は自身の瞳に生命力による視力強化を施した。
裕紀の視界の色が微かに青みがかり、ほんの少しだけ視界がズームされる。補正される前の視力よりも鮮明に対象の様子が伺えるようになった裕紀は、気になっていた穴の正体が自然の力で構成された小空洞であることが判る。あそこならば、蜘蛛たちからしばらく姿を隠しながら休憩することができるだろう。
他にも周辺の様子も確認しておこうと視線を横へ動かしたときだった。
ズキンッと、突如裕紀の眼球に電気が流れたかのような鋭い痛みが瞬間的に走った。
その痛みに堪えることができずに生命力による視力への強化が中断される。
いきなりの激痛に両目を強く瞑り痛みに堪えた裕紀は、徐々に痛みが引いていくと瞼を数回瞬かせた。
人間の眼球はとてもデリケートな存在であり、骨格がしっかりしている手足と比べて生命力による能力の強化に長時間耐えられない。熟練魔法使いである昴ですら三分が限界と言っている技を、新米の裕紀も同じくらいにできるわけがないのだ。
実際、今回はたったの三十秒も視力強化を保てなかった。
だが、こればかりはどうしようもないとアークエンジェルのメンバーは誰もが言う。むしろ、無茶をしたり頻繁に使用したりすれば失明にだってなりかねない技術なのでやらないことが安全である。
現実世界には望遠鏡などもあるので普段はそちらを優先して使うようにしているらしいが、今の裕紀には遠くを視る手段がこれくらいしかなかったのだから仕方がない。
痛んだ両目を擦った裕紀は、風魔法による加護が切れたらしい三人にさっそく提案をした。
「みんな、ここから少し距離はあるけどこの先に小さな空洞があるらしいんだ。そこに行って少し休もう」
その提案にいち早く乗ったのは腕を不自然に庇うリーナだった。表情もどこか引き攣っており、何かを隠しているように見える。
「そ、そうだね! 私もさっきの魔法を使って疲れちゃったし、次の戦いに備えて準備もしなきゃだし」
確かに、あの巨大蜘蛛がまだ生きているのならアレに対する対応策も検討しなければならない。
「うん。ところでリーナ、腕」
「だ、大丈夫ッ。走ってたら枝に擦っちゃっただけだから」
そう思い頷いた後に彼女の腕の様子を確認しようと言いかけるが、裕紀の言葉を遮るように早口で綴られたリーナの勢いに押されて口を閉ざした。
何だか強引に質問を打ち切られて煮え切らない気分のまま黙り続けた裕紀と、何かを隠すように視線を下へ逸らし続けるリーナの間に微妙な空気が漂い始める。
そんな空気を断ち切ったのは、腰に吊るした剣の柄頭に左手を乗せて、ため息混じりに言ったアベルだった。
「おい、もう時間もないんだろ? さっさと行って休憩しようぜ」
そう一言告げるとスタスタと歩いて行ってしまってから「早く来いよ、道分からねえだろ!」という当然の声が飛んでくる。
「さ、行こう。アラタ、リーナ」
そう言ったユインも兄を追いかけるように早歩きで行ってしまった。
そんな彼らの背中を眺めた裕紀は、未だに不自然に右腕を庇い続けるリーナに視線を送った。
ここで焦って彼女の身に起きている異常を問い詰めなくても、落ち着いたところで本人から言ってくれるだろう。
「俺たちも行こう」
そう思うことにして、裕紀も先行する二人の兄弟の背中を追い掛けるべく、リーナへ一声掛けてから歩き始めた。
「・・・うん」
裕紀の誘いに小さく呟いたリーナも、しばらくすると駆け足で後を追って来ていることを、リズムよく地面を踏み鳴らす音を聞いて判断した。
遠くから視力強化で視認した通り、地面の中へ下るような形状の空洞の前に四人が辿り着くと、偵察の役を進言したアベルが空洞内部へ入って行く。空洞に入る前に灯りを要求したアベルに、リーナがフロート・ライトという聞き覚えのある魔法を使って一つの光球を生成する。
リーナから光球を受け取ったアベルは、慎重に空洞の奥へと歩みを進めて行き、やがて鎧姿は暗い穴の奥に消える。
裕紀とユインは何が起きてもいいように戦闘態勢を取り、二人の後ろでリーナが控える。
しばらく張り詰めた緊張感が三人の間に走っていたが、体感でおよそ五分が経過した頃に、再び空洞の暗い穴から光が差した。
それから、すぐに何事もなかったように空洞から歩み出てきたアベルの姿を確認した三人は、緊張がほぐれると同時に一斉に詰めていた息を大きく吐いた。
そんな三人を苦笑しながら見上げたアベルは、右の親指を後方へ突き立てると言った。
「空洞のなかは特に異常はねえぞ。四人が入っても余裕はありそうだ」
「わかった、ありがとう。よし、じゃあなかへ入ろう」
アベルの報告に礼と共に頷いた裕紀は、待機していた二人と一緒に緩い傾斜を下った。
なるべく外から気づかれないように暗い空洞の奥側へ進んだ四人は、魔法で作り出した光球を囲むようにその場に座った。
空洞のなかはアベルの報告通り四人が一緒に入ってもまだ大人数人分の余裕があるほどに広かった。天井も十メートルくらいの高さはあり、立ち上がっても頭をぶつける心配もない。
空洞なので通気性はお世辞にも良いとは言えなかったが、日が当たらないためか内部はひんやりとしている。
一つの大きな戦闘を終えてリラックスしたかったのだが、空洞内部の雰囲気がそうさせてしまうのか、唯一の灯りに照らされた四人は口を閉ざし続けた。誰が先に話すのか、そんなことを伺っているかのような沈黙の中、裕紀の正面に座るリーナが顔を僅かに歪めながら右腕を押えた。
そういえば、彼女は空洞へ向かおうと裕紀が提案をした時も右腕を庇っていた。半ば強引とも言えるくらいのはぐらかし方に戸惑い原因を突き止めることはできなかったが、少なくとも蜘蛛たちから逃走するときにはそんな素振りはしていなかったはずだ。
だが、何か異常を隠しているというのなら言ってほしいというのが本音だった。
今回は裕紀が試練の対象となっているはずなので、大きな危険は大抵が裕紀に矛先を向けるだろう。だが、先ほどの蜘蛛との戦闘でもそうだったように、試練の対象であるかどうかなど関係なく襲ってくる場合もあるのだ。
アベルやユインを含める村人全員から魔法使いとしての信頼を置いているリーナなら自分の異常くらいリカバリーできるかもしれない。しかし、その異常のせいでリカバリーが失敗した場合、彼女の命は一気に窮地へ立たされることとなる。
無論、そんな彼女を見捨てるような非道な考えはこの場にいる三人が抱くはずがなかったが、助けに入ろうとしてもそうできない状況だってないとは言えないのだ。
最初は自分から話すことを望んでいた裕紀だったが、どうやら彼女にはその気がないのかもしれない。
最悪な結果を招かないためにも、この場でリーナの身に起こっていることを確かめてしまった方が良いだろう。
そう考えた裕紀は、右腕を押え顔を歪め続けるリーナに向けて言った。
「リーナ、もしかして君、さっきの戦闘で右腕を負傷したんじゃないか?」
単刀直入にそう問うた裕紀の声に、リーナは一瞬だけ体を強張らせた。
しかし、これ以上は誤魔化しきれないことを悟ったのか、やがて諦めるように脱力して言った。
「黙ってて、ごめん。アラタの言う通り、実はさっきの氷魔法の時に右腕を痛めちゃって」
視線を自身の右腕に落としながらそう言う傍ら、裕紀は数分前の記憶を辿っていた。
リーナは蜘蛛たちの包囲網から脱出するためにエターナル・ブリザートという氷属性の魔法を使用した。
長距離射程と広い効果範囲を有する魔法で、絶対零度の光線は岩をも砕くほどの威力を持っている。しかもその光線から五十メートルくらいの範囲を、時間の制約があるとはいえ一時的に極寒の吹雪に見舞わせた。
基本の魔法しか知らない裕紀には、到底想像もできない規格外の氷魔法だった。
そんな魔法を何の代償も支払わずに使えるほど、この世界も都合良くできていないのだ。
青色の裾をゆっくりと捲り上げた彼女の白くて華奢な右腕は、半分が霜焼けでもしたかのように赤く腫れていた。知らなかったとはいえ彼女に辛い思いをさせてしまったことに対する罪悪感で黙っていた裕紀の代わりに、アベルがリーナを気遣うような口調で言った。
「こりゃ、軽く凍傷起こしてるぞ。そこまでの魔法をどうして使ったんだ?」
腰につけていたポーチから応急手当用の薬品と包帯を取り出しながらそう訊く。
その問いに、リーナは言いずらそうに視線を地面に向けて小声で呟いた。
「たぶん、このメンバーで一番戦闘力がないのは私だから。どうしても、みんなの役に立ちたくて、少しくらいの怪我は我慢できるってわかってたし」
そんなリーナの言い分に、アベルは息を大きく吸うと盛大な溜息を吐きだした。右手の防具を外してからポーチから取り出した小瓶の蓋を開けると、その中身に入ったクリーム状の何かを指で抄い取る。
それを見たリーナは瞬時に何をされるのか察したらしく、咄嗟に右腕を引っ込めようとした。
しかし、すぐにアベルの左手が逃げていく腕を掴んで離さない。
炎症を起こしている部分を掴まれたために痛みに顔を歪めつつもリーナは動転した声で言う。
「ア、アベル!? それくらい自分でできるし、これくらいだったら回復魔法ですぐに治るからっ」
「バカ、怪我人は黙って治療を受けとけ。余計な力は使うんじゃねえ」
「べ、別に使ってるの魔力だし、私は全然疲れないしっ」
「関係ねーよ、そんなもん」
そんな抗議をするリーナの言葉などには耳も貸さず、アベルは赤くなったリーナの手の甲に薬の付いた自身の指先を触れさせた。
「ひゃうっ」
くすぐったいのか、単に傷に効いているだけなのかリーナは小さな悲鳴を上げる。
そんな悲鳴などお構いなしに、アベルは赤くなったリーナの右手の指先から腕の半分までをその薬で入念に塗る。足りなくなっては小瓶からクリームを抄い取って、また塗りながらアベルは語り始めた。
「お前は充分に役立ってる。このメンバーで唯一まともな魔法使いだしな。この氷魔法を選んだお前の考えも間違っちゃいないと思うが、もう少し自分を大切にしろ。そのせいで戦えなくなったら本末転倒だろ?」
「ごめん、なさい」
「わかってくれればいい」
アベルの注意を受けて肩を落として謝ったリーナの腕に器用な手つきで包帯を巻いていく。
最後に包帯が解けないように結んだアベルは応急処置が完了した旨を全員に報せた。
「うっし、こっちの応急処置は完了した。本当なら温めた方が良いんだが、まあ即効性の薬使ったからな。しばらくすれば回復するだろ」
「うん。ありがとう、アベル」
赤面するリーナを他所にそんなやり取りを終えると、裕紀は忘れないうちに今後の活動方針を定めておくことにした。
「それで、この先はどうしようか?」
とはいえ、一人で全てを決めてしまうわけにもいかないので三人に案を求めると、みんな一様に難しい顔で唸った。
すると、こんな緊張した雰囲気にも関わらずぎゅるるる~、という音が空洞内に響いた。
それが裕紀の正面、先ほどアベルに治療をしてもらった金髪の魔法使いのお腹から伝わってくるものであった。
一斉に男子三人の視線を受けたリーナは気恥ずかしそうに顔を赤面させ、治療を終えた右手で頭を掻いた。
「あ、ははは。魔法たくさん使ったらお腹空いちゃった」
そう言うリーナに呆れた声でアベルが返した。
「腹が減ったと言っても、食糧なんて持ってたか?」
聞かれてユインと揃って裕紀はぷるぷる首を振った。
その反応を見て、だよなあ~、とため息混じりに呟くアベルも食糧は持ってきていないらしい。
思えば、この試練が予定より大幅に長引き一日以上続いたとすれば、食糧なしで挑んだ四人の晩御飯などはどうするつもりだったのだろうか。未だに蜘蛛としか遭遇していない現状では、とても明るい未来を想像することができなかった。
ご飯と言えば、アベルとユインの母親であるマイさんの手料理は格別だった。高級レストランの提供する料理に引いても劣らないあの味は、機会があったらまた味わってみたいものだ。
きゅるるー。
そんな余計なことを考えていたからだろうか、徐々に裕紀のお腹の虫も行動を始めてしまったようだ。
さて、どうしたものかと、急に訪れた空腹感に重要案件そっちのけで頭を悩ませていると、何故かリーナが自慢げな顔で口を開いた。
「こんな時のために、今朝お昼ご飯は作っておいたのよ」
「でも、そんなもんどこにもなさそうだけど?」
訝しむようにそう言うアベルに、リーナは行動で示した。
鼻を鳴らしながら自身のポーチから青色の水晶体を取り出すと、手のひらサイズのそれを無造作に地面に落とす。キンっという音を立てて地面に転がった水晶体は純白の光を発光させると、丸かった形を四角い物体へと変質させる。
やがて光を失ったその場に置かれていたのは、見覚えのある茶色い籐かごだった。それが籐かごであると分かったのは、今朝出発前にリーナが持っていたことを憶えていたからだ。
「それは、魔法道具なの?」
手のひらサイズの水晶体を地面に落とすだけで目的のものへ変えるなどという業は、裕紀の知る限り人の力で成すことはできないはずだ。
なので、それらが魔法を用いて作り出された魔法道具であると判断した裕紀に、小首を傾げたリーナはすぐに裕紀の認識とこの世界の認識が若干違うことに気づいたらしい。
「魔法道具・・・、マジックアイテムのことだよね? トランス・クリスタルっていうんだけどね。これは対象一つの形状を水晶体として保管させる力を持っているんだ。もちろん、籐かごとか中身に何か入っているものはそれも一緒に保存されるから、邪魔になる状況でのお弁当とかの持ち歩きはとても楽になるよ」
「へえ~。そんな魔法道具、いやマジックアイテムがあるなんてな」
現実世界にも探せばそのような魔法道具はあるのかもしれないが、少なくともそんな道具は初めて耳にした裕紀は素直に感心して呟いた。
そんな裕紀の目の前で、出現させた籐かごの蓋をリーナが開けると、その中にはぎっしりと敷き詰められた色とりどりのサンドイッチがあった。
「おっ、美味しそうだな。じゃ、さっそくいただきまーす」
卵や野菜、ハムなどが具材としてパンに挟まれたそれを見て空腹感が湧いて来たのか、近くに寄るなりアベルはサンドイッチの一切れに手を伸ばした。
白くふっくらとしたパンを、グローブを外した裕紀も手に取ると一口頬張った。
朝食を口にした時も思ったのだが、リーナは魔法の腕だけでなく家庭面でもとても優秀らしい。素材一つ一つの美味しさを殺さない、丁寧な味付けは食べている者の心を強く惹き付ける魔法でもかかっているようだ。
作った本人も小さな口でサンドイッチを齧るとその美味しさに幸せそうな表情をしていた。
籐かごに敷き詰められていたサンドイッチが、残り四切れくらいになってからのことだった。
休まずにサンドイッチを口に運び続けていたアベルが、水筒の水を飲むとつんつんな頭を掻きながら実に嫌そうに言った。
「さっきの、アラタのこれからどうするかっていう話なんだが」
どうやら食事をしながらも重要案件については考えていてくれたらしいアベルは、全員が食事の手を止めるのを確認すると話し始めた。
「たぶん、あの巨大蜘蛛とはもう一度戦うことになるだろうと、俺は思っている」
先ほどの戦闘を思い出しながら言ったのだろう、そう言ったアベルの声は緊張で少し沈んでいた。
その意見に、幸せそうだった表情を一気に緊張で強張ったものに戻したリーナも賛同する。
「うん。あの吹雪で確実に死んでいないとは言えないものね。他の蜘蛛たちと比べて、あの巨大蜘蛛の身体性能はとても高いと思う」
「あの中型の蜘蛛が巨大蜘蛛に従っているのだとすれば、また戦うことになるならどういう作戦で行こうか? さっきみたいに四人で固まっていたら、また周囲を囲まれて身動きが取れなくなるよ」
リーナに続いて思案顔で呟いたユインの言葉に四人は唸る。
結局、さっきの戦いでは終始戦闘に参加してこなかった巨大蜘蛛の行動パターンが判らない以上、こちらは自由に動くことができない。
かと言って、四人で固まりながら蜘蛛たちを迎撃しても、周りを数えきれないほどの大群に囲まれてしまえばさっきの戦いの二の前になる。
それに、次の戦いではリーナに負担を掛けられない以上、包囲されたときに突破口を切り開く対応策も期待薄だ。
あとは、巨大蜘蛛の不意を突く一撃を確実に与え、怯んだ瞬間を一斉に叩く強引な戦法があるが、知能を持っているらしいあの蜘蛛の隙をどうやって突くか・・・。
「せめてアラタだけでも行動できるようにしねえとな。迷いの森の最奥部に辿り着けないことには、蜘蛛に勝ったところで仕方ないし・・・」
「僕たち三人が蜘蛛の囮になっている隙に、アラタは別行動で最奥部に向かう、とか?」
「ま、それが妥当かもしんねえな」
あれこれ考えている内に兄弟の間で囮作戦が濃厚になってきたところで、裕紀は二人の会話に割って入った。
「ちょっと待った。アベルたちをそんな危険な目に合わせられるわけないだろ! よく考えればもっと別の策が思い付くはずだ」
何があってもこの三人は生かして帰還することを望む裕紀にとっては、一番死の確立が高い囮作戦は最終手段にもならない手段だった。
しかし、そんな裕紀にアベルは真剣な声音で言い返す。
「だが、もうこれくらいしかないだろ。他の作戦を考えるにも時間が足りねえし、お前は自分の守るべき世界のために何としてでも魔女と契約をしなくちゃならない。巨大蜘蛛には勝てねえかもしれないが、四人で戦って包囲されるよりよほど良い」
「違う! 何かを成すために犠牲が必要なら、それは俺が支払うべきだ! 決してアベルたちじゃない。そもそも、どうして蜘蛛に囲まれる前提なんだよ。囲まれないような案をみんなで出そう」
「だからそんな時間がねえんだよ! お前には時間が限られてんだろ!? こんな場所でグズグズ話し合ってる暇なんて本来ねえんだ!」
こんな場所で言い争うつもりもなかったが、互いの意見が異なるせいか二人の口調は荒くなってしまう。
こちらの事情を考慮して何とか短時間で迷いの森を攻略しようというアベルの気持ちは嬉しかったが、やはり裕紀の中ではそのために誰かを危険に晒すのは嫌だった。
恐らくこの気持ちは、どんなに最悪な状況になったとしても変えられないだろう。
「お前が何と言おうとも、俺はお前のために戦う。さっきも言っただろ? 俺はお前を守るためにここにいる」
アベルの決意も相当なもので、もう裕紀が何を言っても考えを改めるつもりはないらしい。
こうなったら幼馴染であるリーナにアベルを説得してもらおうと話し掛けようとするが、彼女は何事かを考えるように、くりっとした碧眼が一点を見つめていた。その瞳には光球の光以外に、何か別の感情の光が揺蕩っているように感じられる。
「り、リーナ?」
まさかリーナまでアベルたちの話す囮作戦に賛成なのだろうか。だとしたら、もう裕紀には彼らを止める術はなくなったに等しい。
期待と絶望によって鼓動が早まる裕紀の正面で、名前を呼ばれてからたっぷり十秒ほど黙っていたリーナは、何か名案を思い付いたかのように口を小さく開いた。
「そうよ、そうだわ! これなら、きっと上手く行くはずよっ」
そう言うリーナの表情は、良いことを考えた幼い子供のようだったのでアベルとは違う理由で不安になる。
しかし、囮作戦以外の作戦があるというのなら、例えどんなに吹っ飛んだ作戦でも聞くべきだ。
そう思い、裕紀は手招きするリーナの近くに寄った。囮作戦を立案したアベルとユインも、彼女の案が気になるのか距離を縮めて集まる。
籐かごを中心に限界まで近づいた三人に、リーナは声を抑えて自分の案を話し始めた。
三分ほどを用いて話された案は、この場で出せる一番最良な案に思えた。上手く行けば巨大蜘蛛の死角から不意を突き大打撃を与えることも、全員が生き残って蜘蛛たちに勝利することもできる。
「えーーーーーッ!?」
しかし、その案を聞いた裕紀は驚きの声を抑えることを忘れて声を上げていた。
近くで大声を上げられたアベルとユインが耳を抑えているが、二人の表情にも共通して驚きの色が浮かんでいる。
そんな男子三人に、リーナは一度にっこりと微笑んだ。




