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聖剣使いと契約魔女  作者: ふーみん
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迷いの森/試練(1)

 アベルたちに案内されてヤムダが暮らしている家まで辿り着いた裕紀は、友達の家にでも入っていくような雰囲気で玄関を潜った三人の後をいそいそと付いて行く。

「お、お邪魔します・・・」

 他人の家なのだからこれくらいの挨拶はしておいても悪くはないだろう、と小声で囁く。


 ラムル村やエトナ村の住宅は木材のみの設計となっており、現実世界の家のように鉄骨などが使われている様子はない。木造の建物が立ち並ぶ風景は、近代の日本では滅多に見ることのできない風景だった。

 そんな建物のぎしぎしと軋む木の廊下を歩いていると、左手に障子戸が見えた。


 その障子戸を慣れた仕草でリーナが静かに横へ滑らせて部屋の中へと入っていく。

 ここにいる全員が着物を着ていれば、まるで江戸時代にもタイムスリップしたような錯覚に陥る。しかし、二人は鎧姿の青年、もう一人は青と白のワンピース姿の少女、そしてもう一人は全身を黒の衣服で身を包んだ異世界人なのだ。

 もしこれがドラマか何かだったら、視る人が全員同一な違和感を抱くことだろう。


 木材独特の香りと涼しさを感じながら三人の後に続いて部屋に入った裕紀は、床全面が畳のような素材で造られている和風な部屋の印象に、お茶と茶菓子でも用意してくつろぎたいと思ってしまった。

 もちろんそんなことはしないが、そう思わせてしまうような雰囲気が部屋全体を支配していた。


 誰かが事前に用意してくれたのか、一定の間隔を保って四枚の座布団が並べられていることから、この部屋が客間であることは何となく想像できた。なので裕紀は、綺麗に並べられた座布団に座るリーナたちに習って、ユインの隣に空いている座布団に正座する。

 異世界の住居は日本のものと違うと思っていた裕紀はだが、日本の住居に近いこの部屋では、心を落ち着かせてヤムダを待ちたかった。

 だが、そうできない事情が裕紀にはあるため、ヤムダが部屋にやって来るほんの数分がとても長く感じられた。


 静かな和室の部屋で待つこと二分。裕紀から見て正面右側の障子戸が引かれ、部屋着に着替えていた小柄な老人が姿を現した。

 小柄なその体躯を袴で着込んだ老人は、ゆっくりだがしっかりとした動作で裕紀たちの正面まで歩いて来た。


 ヤムダは一列に並んで座る青年淑女を一度見渡すと掛け軸を背に座布団に座った。

 しばらく小鳥の囀りでも聴くかのように何も言わずに座り続けていたヤムダは、唐突にため息をするとようやく口を開いた。

「焦りと、怒りが感じられる。特にアベルよ。この部屋に居るときは常に心を落ち着かせておけと、随分と前に教えたと思うのじゃがの?」

 皺がれているが威厳の保たれたその声に、裕紀は無意識に背筋が伸びる感覚を感じた。

 この場所に漂っている感情を敏感に感じ取ることができる。これもヤムダの強力な生命力操作の賜物なのだろう。

 この部屋に漂う感情をズバリ言い当てたヤムダに、焦りを感じていた裕紀の鼓動が若干早まった。


「言ってみなさい」

 抱えている感情を話すことをヤムダに指摘されたアベルは、一度深く息を吸うと落ち着いた声で村長に答えた。

「ヤムじいの教えは守りたいけど、今は守れそうにないです。俺は、リーナに暴力を振るったあいつを許すことができません」

「ふむ・・・、これほどの怒りを抱く理由が分からないとは言わぬ。だが、アベル。お主はまだ隠しておる。その強い怒りがお主自身にも向けられておるのは、なぜじゃ?」

 アベルの怒りの原因は、きっと幼馴染みを傷つけられたことによるもの以外にも、他の原因があるとヤムダは指摘をする。

 果たしてどうなのか、チラッと横目を伺い見た裕紀の視線の先で、アベルは鎧を鳴らしながら胡座から正座へ移行すると、何とも綺麗な土下座を敢行した。


「アベル・・・」

「兄さん・・・」

 まるでこうなることを予期していたような幼馴染みと弟の隣で、額を床に擦り付けながらアベルは唸るように言った。

「すみませんッ! 俺は、村長にあんなことを言わせた俺が許せないッ。本当に謝るべき人は、ヤムじいではなく俺なのに。なのに俺は、あいつらに対する怒りに身を任せて、あなたの教えを破ってまで剣を振るおうとした。あそこでアラタが仲介に入ってくれなければ俺は・・・」


 その先の言葉は、嗚咽に搔き消されて話すことはなかった。

 長年の鍛錬によるものだろう。小柄だが逞しい体を縮こまらせてそう謝るアベルに、裕紀は掛ける言葉を見つけられなかった。

 そんなアベルの心意を聞いたヤムダは、自分の子を諭すように緩やかな声音で言った。


「頭を上げなさい、アベル。お主の抱く感情は決して間違っているものではない。大切な存在を傷つけられ、怒りを抱かぬ者などどこにもおらぬだろう。だが、その怒りを力として振るうことは決してあってはならぬ。お主もよく分かっておるはずじゃ」

 ヤムダの諭す言葉は、裕紀自身の心にも深く響いた。

 現実世界で、萩下高校への登校途中に裕紀を標的として狙ってきた魔法使いに彩香を傷つけられた時、裕紀は己の心を支配しようとする怒りの炎に身を委ねようとした。あの時の記憶はよく覚えていないが、ちょうど居合わせていた月夜玲奈の制止によって渦巻く黒い感情から逃れることができたのだ。

 だが、あの場に玲奈が居合わせていなかったら、恐らく裕紀は怒りに呑まれて瀕死だった魔法使いを殺してしまっていたであろう。


「怒りは力として振るわれたとき、初めて暴力となり恐怖となる。その恐怖はやがて新たなる怒りを生み出し、やがてそれは大きな憎しみの渦となる。生み出された憎しみの連鎖は、誰にも止めることはできぬ」

「憎しみによって生み出された力は確かに強力なものじゃ。だが、その力を使うことで人の心は大切な感情すらも失っていくだろう。人として捨ててはならぬ感情を捨て、憎しみや怒りに全てを捧げてしまった者ほど哀れな者はおらぬよ」

 そう言い終えたヤムダの声は沈んでいた。まるで、過去に怒りや憎しみに呑まれた人間を何人も見てきたかのようだ。


 そんな老人の話を頭を上げたアベル、そしてリーナとユインは黙って聞いていた。昔から教わってきた教えをしっかりと噛み締めるように、幼馴染み三人は静かに口を閉じている。

 裕紀も今の雰囲気ならば、内心の焦燥も少しは落ち着かせることができたのだが、話を終えたヤムダは裕紀へ視線を向けると口許を緩めて言った。


「黒衣のアース族よ。お主もそう焦るな。焦燥は時として己の身を滅ぼすぞ」

「すみません。でも俺は、急いで迷いの森に向かわないといけないんです。早くしないと、俺の暮らす世界に住む大切な人たちが、全員死んでしまうかもしれないんです・・・」

 現実世界に急がば回れという言葉があることを知る裕紀は、ヤムダの言うことはよく分かっていた。例えどんなに急いでいても、焦ることで視界や意識が狭まり本来なら対処可能な事態でも上手く対処することができないことは多々ある。それらの欠点が、自身の命に関わってくることは言うまでもない。

 ヤムダはそうなることを予期して裕紀にそう言ってくれているのであろう。


 本来ならこの世界で現実側の事情を話すことは良いことではないのだろうが、この長年の老人には話しておくべきだと思った。

 裕紀の目指している迷いの森がエトナ村に隣接しているからという理由とは別に、目の前に座る老人と迷いの森には何か深い関係があるのではないかと思ったからだ。


 頭の片隅でそんなことを考えていた裕紀の目の前で、ヤムダは深く息を吸うと皺の寄った瞼の奥の瞳にある種の光を宿して問い掛けた。その光からは僅かな好奇心と、何故か強い決意が感じられた。

「ほう、迷いの森か。この三人と行動を共にしておったのなら、お主はその森の噂を聞いておらぬわけではないのだろう?」

 完全に心の奥底を見透かされているこの質問に、裕紀は唾を飲み込むとできるだけ視線を外さないようにして答えた。

「はい。あの森に入って行った人たちはほとんどが帰って来れないと。それが迷いの森の名前の由来になっているのだということも」

「そこまで知っていてあの森へ赴こうというのなら、お主には明確な目的があるのだろうな。・・・迷いの森最深部に住まう、魔女との契約を望むか?」

「----ッ!」


 まだこの部屋に来てから一言も話していない、裕紀が異世界に来た目的をいきなり言い当てられ、和室に漂う温和な空気を鋭く吸った。

 しかもヤムダは魔女という存在を知っていた。この単語は異世界に来てから裕紀は一度も口に出していないのでヤムダが知るはずがない。

 他の可能性があるとすれば、やはりヤムダは魔女と何かしらの繋がりがあることだろう。

(いったいこの老人は何者なんだ? まさか、エレインのことも知っているのか?)

 急に、目の前に座るヤムダがただの一介の村の長などではない、途轍もなく大きな存在であることを裕紀は悟った。


「なるほどな。お主にあの森のことを教えたのはエレインという魔女か」

「どうしてその名前をッ!?」

 唐突に呟かれたその名前は、現実世界では彩香の身体に憑依している魔女の名だった。裕紀を異世界へと誘った魔女の名前を呟いたヤムダに、そろそろ畏怖すら覚えながら裕紀は問い掛ける。

 その問いに、ヤムダは面白そうに皺がれた唇を歪ませると答えた。

「アースガルズに住まう魔法使いは、魔力以外に生命力を扱う術を修めておるのだろう? 最近のマイソロジアの人間は魔力ばかりに頼っておるので縁はないのだが、儂は少し経験があっての。アベルやユインにも一部の技術を教えておる。お主はアースガルズの魔法使いでもまだ初心者故に、己の思考を他の術者に読み取られやすい。生命力で身体を強化させるのもよいが、精神を鍛えることも怠ってはならぬぞ」

「は、はあ・・・」

 思わぬ指導を受けてしまった裕紀は、開いた口を何とか塞ぎつつ、要領を得ない返事をしてしまう。


 やはり、ヤムダは現実世界の魔法使いしか扱えないはずの生命力操作を行使できるのだ。空中で剣を受け止めたのも、普通の動体視力では捉えられないほどの速さで動けたことも、全ては修行を重ねた生命力操作の賜物なのだろう。

 しかし、魔力という特殊なエネルギーが大気中に漂うこの異世界の魔法使いは無償で魔法を扱えるためか、わざわざ自分のエネルギーを消費する生命力操作とは縁がないようだった。

 その証拠にアベルとユインは一部の技術しか習得できていないようだ。リーナに関してははっきりとは言えないが、崖から飛び降りたときに身体強化ではなく魔法を使ったことからやはり完全に習得はできていないらしい。


 裕紀ですらまだ教わっていない技術を知っているヤムダに驚きの視線を向けていると、裕紀の隣に座るリーナが信じられないというように声を震わせてヤムダへ訴えた。

「ま、待ってよ、おじいちゃん。魔女は数百年前に聖騎士と共に滅んだって本で読んだよ? それに、村の伝承には迷いの森で契約者を待つのは泉の女神って・・・」

 かなり動揺して魔女のことを話すリーナを一瞥した裕紀は、次にヤムダの反応を伺った。


 長年の老人は、遂にその時が来たとでも言いたげな、とても重い覚悟を秘めた表情を作ると目の前に座る四人の若者に訊いた。

「リーナ、アベル、ユイン。この村の皆が古くから信じてきた伝承で語られる、泉の女神。彼女こそ、この世界の伝説に残る魔女なのじゃ。そして彼女は、新たなる契約者を待っている」

 ヤムダのその言葉を聞いた三人は一様に絶句していた。

 和室から会話が途絶え、完全に静寂に包まれた部屋でただ一人、裕紀は汗ばんだ手を固く握りしめた。

 魔女が待つ新たなる契約者。それが裕紀のことであることは、誰かに確認するまでもなかった。



 時間は流れ、異世界内時刻で夕刻の六時。

 四季がしっかりと存在しているこの世界の今の時期は秋頃らしく、現実世界と同じように日没の時間も早まるようだ。

 大空を除き、全面岩肌に覆われたエトナ村は、颯爽と姿を隠した太陽によってもう夜と変わらないほどの暗さになっている。

 現実世界とは異なり電気もなければ電灯もないこの村の唯一の灯りである松明が、ぽつぽつと村に明かりを灯していく。

 技術としては原始的だが、暗闇に一つ一つと道や建物が照らされるその様はとても幻想的で儚さすら誘う。

 この景色から感じられる感情は、その場に居る自分の眼でしか視て感じることのできないものだと強く思う。


 そんな光景を、裕紀はとある母屋の二階から眺めていた。室内なので外よりも暗かった部屋は、ランプの暖かな光で優しく照らされていた。

 外の景色を何も考えずにぼんやりと眺めていた裕紀の耳に、木の扉が開かれる音と一緒に青年の声が届いた。

「アラタさん、夕飯の準備ができました。みんな下で待っていますよ」

 穏やかな声でそう言った青年はユインだ。昼間に裕紀と会った時のような金属鎧の姿ではなく、絹と布を素材に作られた暖かそうな服を着込んでいた。


 外では黒いコートを着ていた裕紀も、この部屋に案内されてからはコートは掛け軸に引っ掛けておいて、黒いシャツと同色のズボンというかなりりラックスな格好をしている。

「わかった。いま向かうよ」

 眺めていた夜景から目を外して、出入り口付近に立つアベルへ視線を向けてそう言ってから、裕紀は座っていた木の椅子から立ち上がった。

 この場を離れる前に窓のドアをきちんと閉めて鍵もかけておく。


「そこまで丁寧にする必要はありませんよ?」

 裕紀のその行為がユインからは几帳面に見えたのか。

 微笑みながらそう言ってくるユインに歩み寄りながら裕紀は苦笑を浮かべた。

「いや、これくらいの気遣いはさせてくれよ。部屋にいない間、何かあったら困るだろ」

 どこか他人行儀な裕紀の返答に込められた感情をユインは敏感に察したようで、裕紀よりも濃い苦笑を浮かべてから言った。

「僕たちはあなたを余計な客人だとは思ってませんよ。母さんも、それに兄さんやリーナも、心の底からアラタさんのことを歓迎しているんですよ」

 ユインの気遣った言葉に、浮かべていた苦笑を更に深くしようとした裕紀の耳に、一階で二人を待っているのであろうアベルとリーナの声が届いた。

「飯が冷めるぞーっ。早く来いよ!」

「もうお腹ペコペコだよ~」


 裕紀が下に降りてくるまでご飯はお預けされているのであろう。待ちくたびれていると訴えかけてくる二人の声を聞いたユインが困ったように笑いながら口を開いた。

「あの二人、拗ねると結構面倒臭いんですよ。それに、母さんのご飯は温かいうちに食べて欲しいので」

 そう言うユインの言葉を受け入れるべきか、裕紀はしばらく考えなければならなかった。


 昼間、ヤムダの話を聞いた時から、裕紀は個人的に異世界に住まう人と距離を取ってしまっていた。

 それは単純に裕紀自身がこの世界の人間ではない余所者であるという意識もあった。だが、それ以上にヤムダから迷いの森と魔女に関係することを聞いたことで、裕紀は考えなくてもいいことまで考えてしまっていたのだ。


 迷いの森に住まう魔女が待ち続けた契約者が裕紀であることはまず間違いない。問題は伝説扱いまでされている魔女との契約者が、このままこの村に留まっているということだった。

 ただの推測でしかないが、裕紀が魔女と契約することで、この異世界には何かしらの変化が起きるだろう。もしくは裕紀自身の身に大きな変化が起こってしまう可能性もある。


 ヤムダは魔女ともう一つ、聖騎士という存在について話してくれた。

 聖騎士とは、この世界の秩序を維持し平和を守る守護者のこと。森でアベルが呟いていた暗黒騎士と対になる存在だという。

 他の魔法使いとは別格の力を持ち、聖具と呼ばれる特別な武器を扱う。魔法だけでなく剣術なども長けており、そんな一騎当千の実力者の集う組織《騎士団》も過去には存在していた。


 この世界の歴史に詳しいリーナによると数百年前にほとんどの聖騎士が滅亡し騎士団も壊滅したというが、近年では王都を中心に徐々に復興しているという。


 普段の裕紀ならばそんな現実離れした話は他人事のように聞けたが、今に至っては全然他人事などではない。

 なぜなら、これから魔女と契約を結ぶことで裕紀自身が聖騎士という存在になってしまう可能性があることをヤムダに示唆されているからだ。

 かつての聖騎士には、魔女やその他の種族と契約することで大きな力を得た者も数少ないがいたみたいなのだ。


 この世界にも善と悪があるのなら。そんな、この異世界の光になりうる存在を鬱陶しく思う者もいるはずだ。そして、そんな連中が裕紀のことに気が付かないはずもないし、そう易々と魔女と契約をさせるはずもない。

 このまま一日でも村に滞在することになれば、その間に敵の奇襲を受け、村の人たちが被害に合うこともないとは言い切れない。

 だから、ヤムダの話が終わり外に出たところで、裕紀は一人村から離れることを提案したのだ。


 だが、村の人たちの身を案じての提案を、二人の青年と一人の少女は一様にきっぱりと断った。

 しかも宿がなければアベルの家で泊まればいいと言われてしまい断ろうとするも、意外と強引な三人の誘いによってこうしてアベルの自宅に滞在することになったのだ。


 こうして家で身体を休めている間も、あまり彼らとの関係を深めないように距離を置いて会話をしたりしていた。だが、そんな裕紀の内心を知ってもなお、この異世界人たちは歳の近い友達として関わり続けてくれている。

 ここまで裕紀と関わってくれている三人に、これ以上距離を離すようなことは裕紀ももう言いたくはなかった。


 深く考えるまでもなくすでに結論は出ていた自分の本心に、裕紀はどこか緊張していた気分でも晴らすように息を吐きだした。

 それから放った裕紀の言葉は、もうユインたちのことを他人ではなく、この異世界で最初の友人に対する明るい口調になっていた。

「ユインたちの母さんが作った料理か。どんな味がするのか楽しみだよ。早く行こう」

「はい!」

 ユインも明るい声で裕紀にそう返事を返すのであった。


 食欲を誘う夕食の匂いの漂う階段を下り、一階のリビングに顔を出した裕紀たちを、アベルの苛立った声が出迎えた。

「遅せーよ! 五分も二人で何話してたんだよ!」

 そう言うアベルの前の席では、空腹に耐えるようにリーナが顔をうつ伏せて何事か唸る。

 木造のテーブルの上には温かそうなスープとパン、肉や野菜などが並べられている。

 どれも現実世界では見たことのない料理が揃っていたが、不思議と食欲が衰えることはなかった。

 むしろ美味しそうな香りで急にお腹が鳴らないか心配しなければならなかった。


「ようやく下りて来たのね。さあさあ、早く座って。冷めないうちに食べてちょうだい」

 全員が揃うまで台所の片付けを進めていたらしいアベルたちの母親のマリさんが、穏やかな顔をリビングから出して二人に声を掛けた。

 待ちくたびれている二人をこれ以上待たせるわけにもいかないので、裕紀はリーナの隣に座ったユインの正面の席に腰を掛ける。


 しばらくしてから片付けを中断したマリさんが席に着くと、五人は手を合わせて声を合わせて「いただきます」を言った。

 素振りを見せていないユインやマイさんもお腹が減っていたのか、合掌をするなりそれぞれ夕飯に手を運んだ。

 ただ食事をするだけなのにこうも緊張するのはなぜなのだろう。外国で食事を摂るとしたらこんな感じなのだろうか、などと思いながら裕紀もパンを千切って口に運ぶ。

 その瞬間、裕紀の口内を香ばしい小麦の香りが充満した。外側はカリッとしているが生地はとてももちもちしている。噛めば噛むほど小麦独特の甘みが口の中を満たしていき、このパン一つでも十分食べられる。


 続いて、裕紀はホワイトシチューのようなスープが入った皿を手に取った。

 漂ってくるクリーミーな香りからもこのスープはシチューに近いものなのだろう。スープに含まれている具材も様々で、ニンジンやホウレンソウ、ジャガイモのような野菜やごろっとした角切りにされた肉などもあった。

 なかなか大きめの肉をスープと一緒に頬張った裕紀は、クリームシチュー風味のスープに絡められた肉を嚙み締めた。

 奥歯が肉塊に食い込んだ瞬間、肉の旨味が凝縮された肉汁が溢れ出す。肉自体とても美味しく、大きさからして嚙み千切れるか不安だった肉塊は、噛んだ瞬間ほろほろとスープに溶け込むように身が崩れてしまった。

「・・・・っ!」

 こんなに美味しい料理は生まれてから食べたことがなかった裕紀は、マリさんに感想を言うことも忘れてひたすらに匙を動かし続けた。


 食卓を囲んだ五人はしばらくスープやパン、その他の食材を口に運び続け、ほんの十数分でテーブルの上の食器はほとんど空き皿となった。

 高級レストランに匹敵するだろう美味しさの夕食をお腹いっぱいに食べた裕紀は、最後に残った一切れのパンを心惜しい気分になりながら口に運んだ。

 もぐもぐしていた裕紀に、テーブルの横側に座るマリさんが微笑みながら唐突に質問を放った。

「どう? 夕飯はお口に合ったかしら?」

 どうやら夕食が始まってから終始無口で食べ続けていた裕紀の感想を聞きたかったらしい。


 否定の仕様がないほどに美味しかった手料理をご馳走になった裕紀は満足な笑みを浮かべて言った。

「とても美味しかったです。こんな料理を作れるなんて、アベルたちは幸せ者ですね」

「ほんとだよね~。お母さんの料理も好きだけど、やっぱり叔母さんの料理は格が違いますよね~」

 布巾で口元を拭っていたリーナも裕紀に同調して賞賛の言葉を贈る。

 正直なところ、料理に携わっている裕紀でもここまでの味の料理を作ることは一生頑張ってもできない気がした。


「うふふ。気に入ってもらえてよかったわ。今日は久々に帰って来たリーナちゃんの他にも珍しいお客さんが来てくれたものだから、叔母さん張り切って腕を振るっちゃった」

「あー、だからあんなに張り切ってたのか」

「そうだね。あんなに張り切っていた母さんを見るのは久しぶりだったよ」

 頬に手を当てて照れたようにそう言ったマリさんに、息子であるアベルとユインが得心したように呟いた。

「これで親父がいたとなったら、今の倍は張り切って、多分村中の人を呼ぶことになったかもな」

「あははっ、それもそうだね」

「何言ってるのよ、二人とも。父さんが帰ってきてもさすがにそこまでしないわよ」


 優しい笑顔を見せるマリさんは息子二人の言葉にさらに恥ずかしそうに微笑んでそう言うと、ティーカップに淹れてある紅茶を一口飲んだ。

「それに、明日はあなたたちにとってとても大切な日になるんでしょう? 二人の保護者として、そして息子の友達を一人の大人として見守りたいのよ」

 アベルの自宅に四人で帰ったときに、ヤムダの家を去った後に起こった話し合いの顛末はマリさんに全て伝えてある。

 その話し合いで決まったことに対するアベルたちの覚悟が固いことは、彼らの裕紀に対する関わり方から察することができた。


「本当に行くのね?」

 急に優しそうな表情を曇らせてそう言ったマリさんの質問に、アベルはしっかりと頷いて答えた。

「ああ。この世界の知識を何も知らねえコイツを、一人で森に行かせるのは不安しかないからな」

「アベルが行くなら私も行きます。それに、魔法の素人が揃って危険な森に足を踏み入れるなんて危険以外の何もないですし」

 心配無用、と言いたげな顔で胸を叩いたリーナもマイさんにそう言う。

「兄さんとリーナを宥められるのは僕だけだからね」

 苦笑を浮かべて最後にそう言ったユインの言葉を聞いたマイさんは、不安な表情を僅かばかり綻ばせると、すくっと椅子から立ち上がった。


 それからマイさんはアベルとリーナ。そしてテーブルを回り込み裕紀とユインの頭をそっと撫でた。

 優しい手の温もりを感じた四人に、マイさんは先ほどの不安に曇る表情を晴らして、元気な笑みを浮かべて声を張って言った。

「あなたたち四人を愛している人はたくさんいるわ。その人たちのためにも、必ず無事に帰って来なさい」

「「「「はい!」」」」

 息子やその友人たちへの心配を押し殺し、あえて明るく言ったマイさんの言葉を胸の内に深く刻み込み、裕紀は三人と声を合わせて返事をした。




























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