迷いの森/再開(4)
いつもより文章量がやや多めです。
「兄さん! リーナ! いったいどこまで行ってたんだよ!?」
エトナ村に到着した裕紀を出迎えた最初の言葉は、リーナとアベルを責めるやや焦り気味な口調の声で届いた。
その言葉を二人の異世界人に放った青年は、アベルと同じように鎧を身に纏った長身の門番だった。
ほとんど自然な感じで緩やかに整えられた茶色い髪の青年の顔つきは、警戒心など微塵もなさそうなほどに穏やかな顔つきをしている。しかし、今はその顔を焦りと心配の入り混じった表情に変えていた。
それも当然。名前をユインというらしい彼はアベルの弟であり、リーナの幼馴染みでもあるのだ。
そんな弟の質問を受けたアベルは、門の近くまで来るとライドから降りた。弟とは対照的な荒々しい髪を乱暴に掻くと事情を説明する。
立ち話をするには時間が惜しいから歩きながら聞く、と言ったユインの提案によりアベルはライドを引き、裕紀とリーナは兄弟の後に続いて村の門を潜った。
アース族である裕紀が易々と村に入って良いのかと思ったのだが、アベルから気にするなと一声言われ、一度は通った村の道を黙って歩く。
歩きながらアベルが話した内容は主に四つだった。
村の荷物は無事にラムル村へ届けたこと。その村で迷いの森を探していた裕紀と偶然遭遇したこと。エトナ村へ向かう途中、ウェストウルフの群れに襲われたために手に入れた荷物を全て捨ててしまったこと。最後に、村の結界内の森林で足を止めていたところを、アベルを探しに来たリーナに発見されたということだ。
そのことを全て聞いたユインは、しばらく頭痛を堪えるかのように頭に手を当てると、やがて深々と息を吐きながら言った。
「なるほどね。まあ、僕がその場に居たところできっとどうにもならなかっただろうし。荷物云々の前に、ずいぶん待たされたあいつらはきっと許してくれないだろうけど・・・」
「その時はそのときだ」
やや面倒くさそうにぶつぶつと呟き始めたユインに、アベルは腹を決めたようにきっぱりとした言葉を放つ。
少しばかり不穏な会話をする二人の後ろ姿をリーナの隣で眺めていた裕紀は、この村の抱えている問題が気になってしまい、隣を歩く金髪の少女に話し掛けた。
「リーナ。君やアベル、ユインが言ってるあの人たちってのは誰のことなんだ? 村が抱えている問題はその人たちと関係があるのか?」
この三人と出会ってからの会話で度々話される人物の正体を裕紀は知らない。ただ、二人の会話を聞いていると良い関係を保っているとはとても言い難いことは分かってしまう。
もしもこの村の問題にその人物たちが関わっているのだとしても、その事情に裕紀は無関係だ。むしろそれを聞いた裕紀が、今起きている問題に介入することは返って迷惑を掛ける恐れがある。
だが、ここまで協力してくれているアベルたちが何かトラブルに巻き込まれているのなら、裕紀はその手助けをしたかった。経緯はどうあれ、異世界の知識が乏しい裕紀をここまで連れてきてくれたアベルたちをこのまま放っておくのは嫌だったのだ。
しかし、そんなことはまったく思っていないだろうリーナは、人形のように可愛らしい顔を近づけるとヒソヒソ声で話した。
「白い肌の二人組のアース族のことよ。異世界の調査なんていう建前を押し付けて、村の資源を次々と奪っていくの。資源を納入できなかったら村の資材や村人に乱暴して・・・最近なんて村の大人が暴力を振るわれたのよ!」
そのアース族たちから相当な仕打ちを受け続けてきたのだろう。
事情を話すため最初は小さかったリーナの声音は、悔しさからか徐々に声量を増していった。
言い終え、唇を噛み締めて肩を震わすリーナの目尻には、微かに涙が溜まっていた。
しかし、ならばエトナ村の村人たちはそのアース族に抵抗し関係を絶ってしまうことはできなかったのだろうか。
ただ殴られてばかりではさすがに村人たちのフラストレーションが溜まる一方だ。溜めすぎた負の感情は、時に人を大きく変貌させることだって在るだろう。
「そんなに嫌なら、村から追い出してしまえばいいのに」
半ば独り言のようにそのことを尋ねると、アベルと話ながら前を歩いていたユインがこちらに振り向き、首を振って言った。
「確かに反抗することも一つの手段でしょう。ですが、彼らは僕たちにないものを持っているのですよ。それはあなたも持っている、得体の知れない武器のことです」
その武器が何かとは裕紀は問い返さなかった。むしろユインの言葉の意味を、裕紀は自身の腰に装着してある魔光剣の柄に触れて納得していた。
魔光剣。別名フォトンセイバーは、現実世界で魔晶石が発見されてから正体不明の研究者によって開発された、現実世界で最初に製造された魔法兵器だ。・・・と、昴は言っていた。
設計図の出所も不明。情報提供者の名前も解らなければ性別も不明。
一つ解っていることは、この武器は異世界には存在しない現実世界のみの技術で造り出された武器であるということだけだ。
設計上デバイスの内部に魔晶石を取り入れたこの武器は、起動スイッチを押し込むことで自動的に使用者から生命力を受け入れ、魔晶石によって魔力へ変換し刀身を生成するシステムになっている。生命力注入制御システムもあるようで、起動時に必要以上の生命力を送らされる心配もない。
最低限の魔力で構成された光刃はとても薄く、厚さはほんの一ミリ程度という。切れ味も、人体はもちろん鋼鉄の壁ですら両断することができる。
ただし、他人の生命力同士は反発する性質があるため、魔光剣同士の剣戟は眩いスパークを散らした凄まじいものとなる。
そんな魔光剣が異世界にあるはずもなく、異世界人は魔光剣を持つ魔法使いとの戦闘経験はほぼないはずだ。ましてや剣を使っての戦闘など、鋼鉄をも両断する魔光剣の刀身には歯が立たないだろう。
一度だけ魔光剣同士の実戦戦闘を体験したことのある裕紀は、その威力と性能をよく知っている。
「確かに、普通の剣でこの武器と同等に戦うことは難しいだろうな」
そんな呟きを聞いたアベルは、歩みを止めると突然裕紀にズカズカと近寄って来た。
「んだと、てめぇ! 俺の剣があいつらに劣るってのかよ!?」
「いや、技術的なことじゃなくて性能的なことだよ。この魔光剣は物理的な性能に対して絶対的な力を持つから、普通の剣で戦っても多分すぐに剣を折られてしまうんだ!」
武器の性能の話をした裕紀とは違い、自身の剣技を馬鹿にされたと思い込んだらしいアベルに胸倉を捕まれた裕紀は必死にそう弁解する。
身体を揺すぶられながらも必死に説明する裕紀の弁解を聞いてくれたアベルは、乱暴に胸倉から手を離すと悔しそうに柄頭に手を置いた。
「まあ、そうだよな。その武器のことをよく知ってるお前の言うことだから信じても良いんだろうが・・・」
自分の愛用していた剣を真っ向から否定されることは、きっとアベルにとって自分自身の剣技を否定されているのと同じ意味を持つのだろう。
悪気はなかったものの、そのことの心遣いが出来ていなかった裕紀はアベルに向けて謝ろうと口を開きかけた。
「謝るなよ。お前は事実を教えてくれたんだ。そして、それはきっと間違いじゃねえ」
「・・・・!」
しかし、言葉を遮り鋭い視線で裕紀の顔を射抜いたアベルの瞳に宿る光に、思わず息を呑む。
揺るぎのない声音で、アベルは自身の意志を裕紀に言い放った。
「だったら、そんな理屈を引っくり返せるほどの何かもあるはずだろ。俺はその可能性に賭けることにする」
「兄さん・・・」
アベルの後ろから相変わらずというように呟くユインに続き、
「アベル・・・」
裕紀の隣で大きな瞳を細めたリーナが、幼馴染みの名前を静かに呼んだ。
そんなアベルの言葉に裕紀は自身の拳を握り締めた。
たとえ絶対的な敗北が目の前に突き付けられたとしても、きっとアベルは残された僅かな可能性を見つけ出して勝利へと繋ぐのだろう。
裕紀も無抵抗で負けるような情けないことは決してしたくないが、果たしてアベルのように自信を持って己の意志を言い切れるような覚悟はまだ持っていない気がする。
大切な人たちを守りたい、そう決意を固めているが、情けないことにそれを果たすための手段を裕紀はまだ決め兼ねているのだ。
(強いな、アベルは・・・)
そう思いながら、エトナ村の中心に位置する噴水広場へと足を踏み入れた裕紀の聴覚に苛立った声が届いた。
「よう、いつまで待たせやがる?」
しかしその言葉は裕紀にとって聞き慣れない言葉であったがために、素早く反応できたのは異世界人の三人だった。
ほとんど三人につられるように視線を声の方向へ向けた裕紀の視線の先には、噴水の縁に足を組んで腰をかける一人の白人男性と、その隣に立っている同じ肌の男性がいた。
白い肌に透き通ったダークグレーの瞳、白に近い髪の持ち主(座っている男性はやや髪は長く、立っている男性は短髪だ)。そして英語らしき言葉を話すということは海外の人だろう。
出身地が何処かまでは特定できないが、一つだけ確かなことはある。
(あの人たちか・・・)
あの外国人の二人組がリーナたちの言っているアース族のことだろうと思い、裕紀は内心で呟いた。
彼らは、異世界の調査を理由にこの村の人たちとの関係を強引に結び付けて目的の資源を奪っている。きっとラムル村で裕紀とアベルが運んだ荷物と引き換えに手に入れた資源が、あの二人の求めていたものなのだろう。
そう思っていた裕紀の前を、この村で唯一石畳となっている広場の地面を鳴らしながらアベルが何歩か進み出て答えた。
「少しトラブルが起きちまってな。お前らこそ、ここでずっと待ってるほど暇だったのか?」
そのトラブルが主に裕紀が発端で起こったものなので、反射的に申し訳ない気持ちになってくる。
アベルから放たれた嫌味を苦虫を噛み潰したような表情で聞いた裕紀とは対照的に、白人の男性は揃って顔に怒りを滲ませた。
「お前たち異世界人と我々現実世界人を一緒にするな」
「俺たちは呑気なお前らとは違い仕事で取引をしている。結んだ契約を忘れたわけでもないだろう?」
「・・・ッ! 人質を使って強引に結ばせたのはあなたたちでしょ!」
二人の白人男性が話している内容は言語の違いによって残念ながら理解が追い付かなかったが、直後に叫んだリーナの悲痛な声を聞いて決して良くはないことを想像する。
言い返すことしかできないことが悔しいのか、リーナの全身は怒りを押さえ込むように小刻みに震えていた。
ふと周囲を見渡してみれば、いつの間にか噴水広場には大勢の人々が集まっていた。全員が革と絹の衣服を着ていることから、彼らはエトナ村の住人なのだ。
全員揃って不満を溜め込んだ表情を浮かべ、中央に居座る二人の白人男性を射抜き殺しそうなほどに鋭い視線が四方から放たれている。
しかし、村人たちは誰一人として反論を口にしない。力に頼ることは良くないが、それすらも行わない。
否、できないのだ。あのアース族二人に人質という大事な存在を取られているから。
魔法を使えるリーナなら、恐らく魔法使いの二人の魔法に対抗できるだろう。だが契約を破ってしまえば人質の身は保証されないのだから、その抵抗も無駄なことだ。
そのことを知ったうえで、男たちは笑いながら順に言い返す。
「だったらどうした。反論すれば俺たちは容赦なく契約の内容を果たすぜ」
「この村の資源を全て奪った後に、お前たちを皆殺しにする」
二人から放たれた言葉に、広場に集まる村人たちがどよめいた。反論していたリーナは半歩後ろに後退り、アベルは右手を剣の柄に触れさせる。
広場を支配した一触即発の緊迫感を敏感に察した裕紀は、唯一前に出ていないユインの肩を軽く叩く。
「どうしたの、アラタ?」
軽く首をかしげ小声で用件を聞いてきたユインに、裕紀は今起こっている事態を簡潔に尋ねた。
「アベルやリーナ、それに村の人たちは何に怒っているんだ? 人質を盾にされて怒ることは仕方ないと思うが、この雰囲気は殺気を含んでるような気がするんだけど」
裕紀の疑問を聞いたユインは、一瞬話すことを躊躇ったようだった。
しかし、彼らと同じアース族である裕紀に事情を打ち明けることで何かが変わることを信じることにしたのか、小声で事情を説明してくれた。
「僕たちは彼らとある契約をしているんだ。契約と言うより、もはや強制だけどね」
「その契約っていうのはあいつらが欲しがっている資源を渡すことで、リーナが言っている人質というのは契約を守らせるための枷なのか?」
「ああ。ただ人質というには規模が大きくて、その、彼らが取った人質はこの村の人たち全員なんだ。だから村長のヤムじいも、奴らに対して下手に動けないのが現状なんだ」
「そうか・・・」
あの白人男性二人とエトナ村の村人との関係から、何となくそんな予感はしていた裕紀は、一言そう言うと押し黙った。
確かに、村人全員の命を握られているのであれば、かなり熟練の魔法使いであろうヤムダでも身勝手に動けない。事実、魔法使いの彼らであればこの村の住人を抹殺する手段は幾つもあるだろう。
そんな状況を作ることをまさしく卑怯というのだろうが、魔法使いが最低でも二人は住んでいる村を半ば支配するようなマネができるほどに、あの魔法使い二人は強いということだ。
あまり彼らを刺激しても悪い方向に事態が転がるだけだと思える。
同じ現実世界人として、または彼らの求める資源を失うことが前提の作戦に加担した一人の魔法使いとして、裕紀が一緒に話をすることも考えられた。だが、裕紀が相手の言語を理解できないように相手も裕紀の言葉を理解できる保証はないのだ。
下手に前に出て事態を混乱させるわけにはいかないだろう。
結局は何もできずに事態を傍観していることしかできない裕紀の前で、噴水の縁に座った白人男性が偉そうに言った。
「分かったらさっさと資源を用意しろ。物がないなら調達するなり、もう一度ラムルまで行って何か資源と交換してきたらどうだ? そうだ、この村のクリスタル。あれを売り払えばかなりの金が入るんじゃねぇか?」
「ふっ、そうだな。あれなら半年分の資源は買い込めるだろ。村の資源と仲間の命が惜しければ、そうすることだな」
そう言い揃って嗤うアース族に、この広場に漂っていた殺気のような空気が一層強まる。暴力を振るえない代わりに様々な罵詈雑言が広場に飛び交った。
英語が解らない裕紀でも、二人がこの村の人々を挑発していることは口調から判断できた。
裕紀はこの一件に関しては口を出すことができない。だが、赤の他人の裕紀でもあの二人の態度は度が過ぎている気がした。
もしも裕紀がこの村の出身だったら、きっと感情に任せて男たちを糾弾していただろう。
「ふざけないでよ」
そんな広場の騒ぎを、一人の少女の声が静めさせた。落ち着いているがよく響く声の主は、男たちの前で反論していた金髪の少女、リーナだ。
その声はとても静かだったが、声音には様々な感情が込められていた。
「これはちょっとまずいかも」
「え?」
険悪そうに顔を歪めたユインの呟きの意味を問う前に、
悔しさ、怒り、悲しみ、そして恐怖。そんな感情を秘めた声で、リーナは顔を上げて縁に座るアース族へ真っ向から言い放った。
「あのクリスタルが、私たちにとってどんな存在なのか知らないくせに。あのクリスタルはアンタたちに、いいえ、お金なんかに代えられるような安い代物なんかじゃない!」
小さな手を握り締め感情を抑え込みながらリーナは言い終えた。感情に任せて言い放ったリーナの頬から一粒の涙が雫となって地面に落ちた。
その訴えは、しかし白人の男性の心には届かなかったらしい。白人男性は噴水から立ち上がると鼻を鳴らして言い返した。
「ふんっ、ただそれが言いたいだけなら時間の無駄だ。さっさと森へ行って例の資源を採って来い」
リーナの悲痛な叫びに対して、偉そうに上から言う外国人に裕紀もそろそろ怒りを覚える。
この件に関して他人だとか、そんな問題は些細なことのように思えてくる。今すぐにでもあの白人の魔法使いの前に歩み出て、リーナの言葉に対する態度だけでも改めさせたい。
そう思った裕紀は、その感情が自分だけが抱いている感情ではないことに気づくことができなかった。
裕紀がそれに気づくよりも早く、一瞬だけ俯いたリーナはすぐに顔を上げると確固たる意志で言った。
「ええ、そうね。こうやってアンタたちと話している一秒ですら勿体無いわ。だから・・・もう、この村から出て行って」
「あぁ? 何だと?」
「もうあなたたちに譲れる資源は無いってことよ! それが分かったなら早く出て行って! もう二度と私たちの前に姿を現さないでッ!!」
言い放った途端、青いワンピースを着たリーナの背中から藍色の過剰魔力が放出される。
それだけで、リーナがこの言葉に込めた意志の強さが裕紀にも感じられた。
リーナのこの叫びには、さすがにアース族の白人男性二人も押し黙った。怒り浸透していた村人たちも、彼女の威圧の込められた声に一斉に静まり返る。
隣に立っているユインはやってしまったというような表情を作っているが、内心では精々しているのだろう。口許が微かに綻んでいた。
アベルは未だに剣の柄に手を当てており、いつでも戦えるという態勢を見せている。
しばらく沈黙に支配されたエトナ村の噴水広場に、その静寂を破るように二つの音が立て続けに響いた。
パアンッ! と誰かが発砲でもしたのかと思わされるような音の直後に、リーナの華奢な身体が石畳の地面に倒れこんだ。
リーナの言葉を真っ向から受けた白人男性が、彼女の頬を叩いたのだ。しかも臨戦態勢だったアベルが反応できないほどの速度から、あの魔法使いは微かでも身体強化を発動させていた。
(なんて奴だ!!)
そのことに一人気が付いていた裕紀は、ついに内心であの魔法使いに対する怒りを爆発させた。
彼も魔法使いならば、身体強化を不意打ちで受ければ相手の身体に相当なダメージが与えられることは承知しているはずだ。
それを何の躊躇もなく実行するなど、この白人男性はかなり危険だ。
「リーナッ!!」
リーナの後ろで構えていたアベルが、一瞬体を硬直させた後に彼女の名前を叫びながら倒れ込んだリーナを助け起こす。
頭部に平手打ちが当たったためか脳震盪を起こしてしまっているらしい。気を失っているのか、僅かに宙を飛ばされたリーナの体は、アベルの腕の中でぐったりとしたまま動かない。
その様子を見ていた裕紀の着る黒い戦闘服の裾を、ユインが隣から軽く引っ張ってきた。
「アラタさん、兄さんが怒りに任せて剣を振るったときは」
「ああ。何とか止めてみせる」
隣で静かにそう言ったユインに、裕紀も一言だけそう返した。
肩を揺らしても反応しない幼馴染みを救助のために駆け付けた数人の村人に預けると、アベルは鎧を鳴らしてふらふらと立ち上がる。
「許さねえ、絶対に。お前だけは、俺が絶対にぶっ殺してやるッ!!」
怒号の叫びを轟かせ、激情に振るえる右手で遂に鞘から剣を引き抜かんとしたアベルと同時に。
「もうウザイ。俺たちに逆らえばどうなるのか、お前自身の末路でこの場の全員に示してやる」
そう言った白人男性は腰に装着されている小さなデバイスを素早く握ると大きく頭上に振り仰ぐ。
直後、デバイスから赤色の刀身が生成されるとアベルに向けて振り下ろされた。
そこそこの重量があるだろう鋼の剣よりも、ほとんど重みのない魔光剣のほうが振るわれる速度は速い。アベルが剣を振り仰いだ時には、相手の魔光剣はもうアベルを斬り殺しているに違いない。
ギィィインッ!
そんな耳障りな音が広場に鳴り響き、僅かな衝撃波が民衆の髪を撫でた。
「うおおっ!」
魔光剣同士が接触、反発するときに発生する独特のスパークに目を細めながら、さっきまでユインの隣に立っていた裕紀は気合いを放ちながら力任せに相手の剣を弾き返した。
突然の乱入者に目を見開きながら仰け反った白人男性は、さすがの身体能力で崩れていたバランスを立て直す。
一応魔光剣の剣技は習得しているらしく、赤い刀身の魔光剣を身体の前に倒して追撃への対応を取る。
対して裕紀は態勢を整えると追撃はせずに群青色の刀身の剣先を相手に向ける。
「ははッ、まさか現実世界の人間を呼んでいたとはな。おい東洋人、お前の所属コミュニティはどこだ? まさか単身とは言わないよな」
流暢に話される白人男性の言葉は、学校の英語の評価が平均よりも下回っている裕紀には残念ながら聞き取ることができなかった。
「アベル、通訳してくれ」
相手の行動に意識を向けつつも、裕紀は後ろで鞘から剣を抜きかけているアベルにそう声を掛ける。
「なん、お前・・・」
格好つけて仲裁に入ったくせに、裕紀自身は仲裁に用いる為の「言葉」を話せない。だがこの場での武力の解決は、エトナ村とアース族二人の今後の関係をさらに悪化させてしまう恐れがある。
ならば、どういう理由かあちらの言葉も理解できるアベルたちアース族を介して裕紀の意思を伝えるのだ。この騒動で大切な人を傷つけられたアベルの心情は痛いほど理解できるので、アース族相手の通訳など嫌だろうが、そんな不安をアベルの人柄を信じて裕紀は日本語を発した。
「俺はこの件に関しては無関係だ。だから深い事情を問い詰めることもできない。だけど、俺はアンタたちのしていることが正しいこととは思えない」
裕紀の話している内容を変えることなく伝えてくれているアベルに感謝しながら、裕紀は言葉を続ける。
「アンタたちとこの村の誓約を変えてくれとは言わないが、少なくとも今お前が彼女にやったことについては本人に謝罪をして欲しい」
そう訴える裕紀をどう思ったのか、白人男性は赤色の魔光剣をゆるりと降ろした。
(話が通じたのか?)
相手とて狂人ではない。意外と話せば分かってくれる。そんなことを思い始めた裕紀の心の隙を、相手は見逃さなかった。
白人男性の体に僅かな光が宿った瞬間、男の姿が裕紀の視界から消えた。男の行方を捜すよりも先に、裕紀は背筋に走った悪寒に全身の鳥肌が立つのを感じた。
ほとんど無意識に、自身の直感に促されるままに裕紀は群青色の刀身を体の前に持ち上げた。
バシィィイッ!
まるで電気が弾けたような猛烈な音と、砂ぼこりを舞い上がらせるほどの衝撃波が、この場にいる全員を襲った。
砂ぼこりに顔を防ぐ者。甲高い音に耳を塞ぐ者。裕紀と彼を襲うもう一人の魔法使いを唖然としながら見つめる者。
そんな人たちの表情を詳しく見ている余裕は裕紀にはなかった。身体強化で瞬時に距離を詰めた白人男性の魔光剣が、裕紀の首を斬らんと喉元に迫っているからだ。ぎりぎり自身の魔光剣で刀身は防げたが、少しでも気を抜けばこのまま剣を押され体を叩き斬られる予感がある。
交錯する赤と青の刀身の向こうで、裕紀の忠告を受けた白人男性は怒りの滲んだ表情で言い放った。
「異世界人を頼る弱者が、俺たちに口出しをするな。それでも俺たちを止めるつもりなら、最初の粛清対象となってもらおうか!」
どうあってもエトナ村の村人たちを苦しめようとすることだけは伝わってくる白人男性の声音に、裕紀も強い意志を乗せて反論する。
「くっ、だとしても! これ以上、この村の人たちを傷つけさせるわけにはいかない!」
じりじりと押されていた自身の体を支えるために、裕紀も身体強化を発動させ後退を止める。
両者の力の均衡が硬直状態に移行し、広場で魔光剣同士の鍔迫り合いが起こる。
白人男性と裕紀の身体に宿る光が更に強さを増し、両者の身体から溢れる生命力が空気中にスパークを迸らせる。接触点である地面には小さなクレーターが出来つつあった。
このまま鍔迫り合いを続けて相手の集中力の途切れた瞬間を狙うか、この硬直状態を崩して二撃目の攻撃で勝敗を付けるか。
「くぅおおっ!」
「はあああ!」
残念だがこの揉め事が終わっても、裕紀はこの相手との和解は不可能だと思えた。例え出来ても、次の機会に今回の憂さ晴らしとして村人たちに強く当たることだろう。
だが、それでは駄目だ。この二人の魔法使いの不当な取引や暴挙は、今ここで終わらせなければならない。
例え、この手で目の前の魔法使いを殺めてしまうことになろうとも・・・。
(でも、どんな理由だろうと人を殺せば、俺はあいつと同じになってしまう・・・)
一瞬、裕紀の脳裏にあの殺人犯のことが過った。そんな数瞬の逡巡を、白人の男性は見事に見抜いた。
「気が散ってるぜ!」
口許に鋭い笑みを浮かべてそう言いながら、赤い刀身が翻り青い刀身を弾いた。
内包していたエネルギーが衝撃波となり裕紀の全身を強く打つ。
(しまった!!)
衝撃によってバランスを崩した裕紀の頭上から、白人男性が両手で持った剣を容赦なく振り降ろす。
「くぅ!」
衝撃に身を晒されても身体強化を継続して発動させていた裕紀は、倒れないよう両足で踏ん張り、右腕のみで下から剣を振り上げて迎撃する。
再び二つの魔光剣が接触するかと思われた瞬間、魔光剣を持つ裕紀の右腕が微かな圧力を捉えた。咄嗟に視線を群青色の刀身へ向けると、裕紀の魔光剣は相手の刀身に触れる直前で視えない何かに固定されたように宙に留まっていた。
同様のことが目の前でも起こっているらしく、白人男性も怒りの表情を驚愕へ変えて、宙に留まる自身の剣を睨み付けていた。
誰かが生命力によって二つの剣に加わる力に対抗しているのだろう。
そして裕紀は、エトナ村にそれができる人物が存在することを知っていた。
まさかという予感が、やはりという確信へ変わる。
剣を固定されたまま右膝を着いた裕紀は、人の輪から姿を現した小柄な老人の姿を視界に捉えた。白人男性もその姿を捉えると小さく舌を打つ。
幼稚園児程度の身長しかない老人は杖をついて歩いてくると、皺の刻まれた顔の眉間を寄せて、二人の魔法使いに言い放った。
「もうよすのじゃ。無益な争いほど無駄なことはないぞ」
そう言うと同時に空中で固定されていた二本の魔光剣は自由を取り戻した。老人が剣にかけていた生命力を解いたのだ。
しかし、裕紀も白人男性ももう戦おうとはしなかった。それぞれの刀身を柄に仕舞うと、大人しく自分の魔光剣を腰に納めた。
相手は老人でも、恐らくここにいる魔法使いが束になっても勝てない、そう思わせる雰囲気を老人は纏っていたのだ。
エトナ村の村長ヤムダは、険しい表情を作ったまま白人男性と裕紀の間に歩み寄った。
そして、白人の魔法使いと向き合うように身体の向きを変えると、杖を身体の正面に突いた。
「随分と派手に暴れてくれたようじゃの。よもや、最初の忠告を忘れたわけではあるまい?」
自身の倍以上はある身長の男性にも臆することなく、むしろ堂々とヤムダは話した。
そんな小柄な老人の言葉に小さく舌打ちした男性は、態度は変えずにヤムダを見下ろしながら言った。
「間違っても村人を傷つけるような真似はするな、だっけか? だがな、こいつらは俺たちの大事な資源を、身を守るためだけに無駄にしたんだぜ。それなのに、そこの小娘は逆上して出て行けと言いやがった。俺たちは仕事を邪魔された上に迫害扱いまで受けたんだ。これくらいの仕打ちは当然だろ?」
そう言って高笑いした白人男性に、広場に集まっていた村人たちから再び不満の声が上がる。
「全部お前たちの都合じゃないか!」
「リーナに謝れ! 傷を治せ!」
「俺たちはお前らの奴隷じゃないッ」
それらの声をヤムダは止めようとはしなかった。
騒ぎのなか、ヤムダは白人男性へ続けて話す。
「お主らの仕事の邪魔をし、無礼な態度を取ったというのなら村の長である儂が謝罪しよう。しかし儂との約束を破り、なによりお主が我が孫娘を傷つけたことも事実じゃ」
「だったらじいさん、あんたが俺を攻撃するってことか?」
ヤムダの言わんとしていることを予測していたのか、白人男性は偉そうな口調を変えずに喋る。
その言葉に、ヤムダは首を振ると村の代表であるという威厳の感じられる声で答えた。
「いや、この場で争うことは儂が許さん。ということで、今回の件はおあいこということでいいかの?」
どうやら二人はこの場の騒動の結末をどうするか、という話をしていたらしい。大方、孫娘らしいリーナを傷つけられたヤムダが報復のために白人男性を攻撃するかどうかを言い合っていた、といったところか。
報復でも降参でもない、敢えてあいこを選んだヤムダに白人男性は白い顔を赤くした。
「このクソ爺・・・ッ!」
しかし、男が何かを言う前に、今まで沈黙を守っていたもう一人の短髪の魔法使いが彼の肩を押さえた。
「止めとけ、サイ。もうこの広場には村人たちが集まってる。この爺さんの言う通り、ここで争っても何の利益も生まない。それに、今さっき本部から帰投命令が下された。すぐに戻るぞ」
「ミケル!? ここで逃げればこいつらに頭下げたことになるんだぞ!」
「相手も自分たちの非を認めているから、頭を下げるもなにもないだろ。あと、この村の人たちをひれ伏させたいなら俺に良い案がある。帰りに付き合え」
「チッ! わかった、ここは大人しく退いてやる」
二人の話は内密なものらしく、周囲の村人たちに聞き取れない小声で話していた。
そんなやり取りで相方の制止が入ったのか、激昂寸前だった男性は少し肩の力を抜くと言った。
「運が良かったな。今回はこれで見逃してやるが、次があるとは思わないことだ!」
いったいどのような会話を繰り広げていたのか、白人男性は盛大に苛立った声でそう告げると、すでに村人たちの間を歩いて行く相方の背中を追って行った。
「さて、騒ぎは収まった。村の皆、己の仕事に戻るのじゃ」
二人のアース族たちが姿を消してから、ヤムダは小さな体からは想像もつかないほどの大声で噴水広場に集まる村人たちにそう呼び掛けた。
村長の言葉で村人たちも大分落ち着いたようで、皆、口々に愚痴を呟きながらも広場から去って行った。
最後まで広場に残っていた裕紀は、いつの間にか意識が回復していたリーナに歩み寄った。
「身体に問題はないか、リーナ?」
ふっくらとした頬が片方だけ赤く腫れあがっているリーナは、ふらふらしながらも裕紀の質問に頷いて答えた。
「う、うん、大丈夫。これくらいなら治癒魔法で直せるから」
「念のため早く家に戻ろう。魔法で直せるとは言え氷で冷やした方がいいよ。ね、兄さん」
リーナの返事を聞いたユインは、そう言うと鬼の形相で剣の柄を握っていたアベルにも同意を求める。
「・・・ああ。そうだな」
先ほどのリーナに対する行為がかなり頭に来ているのだろうが、気持ちを落ち着かせたアベルは鞘に剣を納めて柄から手を放すと立ち上がった。
異世界人三人とアース族一人が揃って広場を後にしようとしたとき、村長のヤムダが四人に向けて大きく喉を鳴らした。
それが静止の合図であることに気づけない者はおらず、三人の青年と一人の少女は揃ってヤムダを見た。
エトナ村の村長は、地面に杖を突きながら言った。
「お前たち、これから儂の家に来るのじゃ。お主たち四人にはゆっくりと事情を聴きたいのでな。そこの若いのついては特にの」
若いの、というのが裕紀一人を示していることもしっかり理解している。
有無を言わせないヤムダの言葉に四人は揃って息を呑んだ。
そんな四人の間を横切り、ヤムダは村のさらに奥へと歩みを進めて行った。
確かその先にはゲートがある滝が近かったような、などと考えていた裕紀の肩をアベルが小突いた。
「行くぞ、アラタ。俺たちが案内する」
「あ、ああ。よろしく頼む」
金属鎧を着けた拳で小突かれたせいか、地味に痛い肩を擦りながら、裕紀は三人と一緒にヤムダの家へと向かうのであった。




