迷いの森/再会(2)
グルル・・・、と何処かで聞いたような唸り声に耳を澄ませた裕紀の聴覚に、続いてアベルの苛立った声が届いた。
「チィッ、こんなときにッ。すまねぇ、話はあとだ! しっかり掴まってろよ!!」
「え? って、うぉ!?」
何に焦っているのか早口でそう捲し立てたアベルは、地竜の速度を引き上げた。
それによって引かれる荷車の速度も急加速し、上体を前に倒していた裕紀は慣性によって後ろに倒れてしまう。
ガツンッ!
荷車の奥に詰めてあった木箱の一つに頭を打ったせいで、頭部に固い衝撃と鈍い激痛が裕紀を襲った。
「お、ぉぉう・・・」
後頭部を強打した裕紀はしばらく荷車の上で痛みに悶え打つ。
当たった箇所が木箱の角であったらこの程度では済まないことを考えるとぞっとする。
それよりも、詳しい警告もなしにいきなり速度を上げるなど、外では余程の事態が起こっているのかもしれない。
そして、直前に裕紀が聞いた唸り声はこの事態と何かしらの関係があるように思える。
そう思った裕紀は頭を擦りながら布よりも強度の高そうな幕を捲って、僅かに覗ける荷車の隙間から外を確認した。
地竜を全速力で走らせているのか、動物に引かれている乗り物としてはかなりの速度で道を走っていた。そのことを示すかのように、幾つもの木々が凄まじいスピードで目の前を通り過ぎていく。まるで木製の車にでも乗っている気分だ。
山道ということもあって一応道は開けているが、それでも舗装されていない自然そのままの道を走っているので、車輪が窪みや石に当たらないか途轍もなく不安だ。この速度で横転などしたらひとたまりもないだろう。
そんな荷車の中から、狼のような外見をした二匹の獣の姿を裕紀は捉えた。
黒く逆立った体毛に覆われ、軽く開いた口からはよだれが僅かに垂れている。飢えた獣そのもので、その獣の赤茶色の瞳と視線を合わせた途端、背筋に悪寒が駆け抜けすぐに幕を下ろす。
直後、さっきまで裕紀が捲っていた箇所に異様な膨らみが発生した。乱暴に引っ張られたりしている動作から、さっきの獣が荷車に張られた幕に噛み付いてきたのだろう。余計な重心が加わったためか、走行する荷車の重心がやや左に傾きかける。
「グルア!」
獰猛な獣の声とともに乱暴に噛み付かれた幕が引き裂かれんばかりに引っ張られる。
その様子を裕紀は尻込みして漠然と見ていた。
(なんなんだコイツらッ!?)
長旅用の強度の高い布だからか噛み千切られる心配は無さそうだが、普通はない体験に不覚ながら内心でそんな叫び声を上げる。
これが魔獣であるかどうかの判断はまだ裕紀にはできない。できない故に、裕紀はアベルに向けて声を放った。
「ア、アベル! 狼みたいな奴らに追い掛けられてるけど大丈夫なのか!?」
得体の知れない獣に襲われ堪らずそう言った裕紀に、厄介そうにアベルは返答する。
「そいつらはウェストウルフだ。魔獣ではないが狂暴な肉食動物だ。あと、目は合わせるなよ。奴らは目が合った相手を標的にするからな!」
そんな解説を聞いた裕紀は、この獣が魔獣ではないことに安心するが、時すでに遅しと申し訳なさそうに言う。
「ごめん。もう目が合った」
先程感じた悪寒は自身が標的として認識されてしまったことを裕紀の感覚が無意識に感じたからだろう。
その事を伝えられたアベルは、深呼吸をしたのか一度肩を大きく動かした。
それから、意を決したように騒音のなかでも伝わるほどの声音でアベルは叫んだ。
「奴らを振り切るためにこれから森に入るぞ!! 今より更に乗り心地悪くなっから用心しとけよ!」
「も、森!?」
ここで裕紀に下車申告をしなかったアベルの優しさには感謝するが、代わりに告げられた恐ろしい警告に荷車の端を鷲掴み、裏返った声で反駁した。
「他に安全な道とかないのか!? この速度で森に入るのは危険過ぎるだろっ」
今まで走っていた山道も現実世界では十分な道の荒れ具合だが、これから通ろうというのは未だに道の開けていない森の中のことを言っているのだ。
異世界に慣れていないとはいえ、森が危険であることは現実世界も同じだ。しかも現実世界で走る乗り物は車だが、今現在裕紀が乗っているのは倒れれば粉々になりそうな荷車だ。
しかもこの速度で森に突入するとなれば転倒の確率は大きく跳ね上がる。横転覚悟で森に突っ込めるほどの覚悟は裕紀にはなかった。
森への突入を考え直してもらうために必死に提案するものの、アベルの背中からは決行の答えが返ってくるだけだった。
「悪いが森を通るほうが村への近道なんだ。それに、このまま山道を通って奴等に追いかけ回されるのはかえって危険だからな」
確かに、このまま数匹ものウェストウルフに追い続けられればいずれ追い付かれてしまうことだってある。森に入り足場の悪い道ならば、追随から逃れられる確率はゼロとは言わなくても下がるかもしれない。
裕紀が目を合わせてからというもの、かなりの頻度でウェストウルフたちは荷車に攻撃を加えている。
このままでは例え強度の高い布でもいずれは引き裂かれてしまうだろう。
「あー、くそ! わかったよ。その代わり、極力安全運転で頼む!」
現状を確認した裕紀は、恐れる気持ちを押しやって半ばやけくそ気味にそう応答する。
森に突入するというのはまだ気が進まなかったが、それよりもあの獣たちに襲われるほうが恐ろしかった。
「へっ、なかなか肝が据わってやがる。 森へ入るぞ! 振り落とされんなよ!」
「ーッ!」
アベルの声が届いた途端、裕紀は荷車の端を両手で鷲掴んだ。
その一秒後、横に働いた遠心力に身体を持っていかれそうになるが、直後地震でも起きたのかと思えるほどの振動が荷車を襲った。積んでいる木箱と裕紀自身の身体が微かに宙に浮く。
荷車の床に尻餅を着いた裕紀は、とうとう山道から森に突入したことを悟った。
高速に回る車輪の音や諦めずに追ってくるウェストウルフの咆哮が混ざり合い、忙しなく裕紀の聴覚に伝わる。
バランスの悪い荷車で、ウェストウルフたちの様子を把握するために木箱を支えに後方を確認する。
獲物に対してかなり執着心が強い生き物なのか、ウェストウルフはまだ荷車を追随していた。
左右は不明だが、少なくとも後方に五匹は追随している。森の中は、余多の木々が生い茂り太陽の光はあまり届かない。薄暗く木々の根も多い地面を、ウェストウルフは柔軟な動作で俊敏に荷車を追っていた。
黒い毛並みが木々の陰に馴染み、瞳の色だけが怪しく光っている。
この獣にとっては、森こそが庭のような存在だったのだろう。
「まだ追ってきてるぞ!」
その現状を荷車の操縦者であるアベルに忠告すると、すぐに次の対応策として指示が飛ばされた。
「荷車に積んでいる木箱を少しずつ落とせ! それで大半は追い払えるはずだ!」
裕紀のいる荷車には高さが一メートル近くある木箱が十個以上積まれている。中身は不明だが、これがアベルにとってどのような物なのかは聞かずとも分かる。
「でも、これは大切なものなんじゃないのか!?」
ラムル村で重い荷物を一つ一つ運んだことで手に入れた資源は、言うなればアベルの今日の功績にもなるのだ。そんな荷物を防衛のために捨てるのはアベルに対して罪悪感を抱いてしまうし、辛い思いをして運んだ裕紀には躊躇いがあった。
「命あっての物言いだ! それに、そいつは俺の荷物だ。なくなったところでお前まで叱責は受けないし、別に俺も気にしない」
そんな裕紀の躊躇いを跡形もなく消し去るような発言をしたアベルの気迫に圧され、裕紀は内心の躊躇いを首を振ることで払い落した。
「ごめん、アベル」
ただ、心の中の罪悪感までは払い落とせず、操縦者のアベルの背中に一言謝罪をしてから木箱に手を付ける。まずは一つ。一番上の木箱を荷車から押し出す。
「やっぱ重いッ!」
いったい何が入っているのか、ニ十キロ近くはあるだろう木箱を気合いを入れて落とす。
地面に落とされ木箱が破砕する音と、ギャインッ! という獣の悲鳴と一匹のウェストウルフが倒れる様子を目視で確認する。
その際、木箱が粉砕されると同時に舞い上がった中身を裕紀は見逃さなかった。
(赤い、葉っぱ?)
紅葉のような色彩と形状の葉が落ち葉のように舞い上がったのだ。その葉っぱはウェストウルフたちの進行を阻止するかのように辺りに散らばる。
効果ありと判断した裕紀は立て続けに二つほど落とし、再び破砕音と悲鳴が返ってくることを確認し、裕紀は残り九個となった木箱の上から獣の様子を覗き見る。
「げっ!」
伺ってから、裕紀は現状に対して大きく呻いた。
後ろを追随してくるウェストウルフたちの数は、あろうことに増えていたのだ。
「なんか数増えてるぞ!」
現状を半ば悲鳴を上げるようにアベルヘ報告すると、すぐに苛立った声が返ってくる。
「奴ら仲間を呼びやがったのか!? そうなると振り切ることは難しいか。積んである木箱は幾つある!?」
「えっと、九個だ! それ以外に使えそうな物はもうない!」
「全部使ってもいい! 木箱を落とせ!」
ざっと数えた個数をアベルに知らせ、すぐに返ってきた声に裕紀の背中に汗が滲む。
荷車に積んでいる木箱は手前側に固定してあるので、ウェストウルフたちから車内を守る防壁の役割もあるのだ。
そのすべてを落とすとなれば、もちろん防壁も消滅してしまうわけで、標的を仕留めるためには簡単に飛び乗ってきそうなあの獣たちのほうが優勢になってしまう。
そんなことを考えていたからか。
「グルア!」
獰猛な声を迸らせて、勇猛果敢な一匹のウェストウルフが高さの縮んだ木箱の壁を通り越して荷車に侵入してきた。
「うぉあ!?」
自分でも情けない悲鳴を上げて即座に回避し、侵入してきたウェストウルフと対峙する。
「どうした、大丈夫か!?」
地竜に跨がるアベルも荷車の異常に気づいたのだろう。ウェストウルフの後方から飛んできた声に、裕紀は緊張した声音で言い返す。
「車内に一匹入られた。何とか追い返してみる!」
そう言い、裕紀は腰に納めていた魔光剣の柄を握る。
それにしても、まさか自分がこんな獣と相対することになるとは。
異世界に慣れないどころか、この世界の生き物の対処法すら知らない裕紀は、自分の不運を強く恨んだ。
逆立った黒い毛並みに赤い瞳。骨など簡単に噛み砕けそうな牙を覗かせ低く唸る様は、まさしく倒すべき相手と言っているようなものだ。しかも、侵入してきたウェストウルフの身体は追随してきている個体よりも全長が大きかった。下手をすれば裕紀の肩の辺りまであるのではないだろうか。
(まさか群れのボス、だったりするのかな)
だとすればこのウェストウルフを倒せば群れは統率を失うのではないか?
全長の大きさだけでそう判断した裕紀の耳に、アベルの忠告が飛び込んできた。
「迎撃しろ! そいつら人でも何でも見境なく喰うぞ!」
(とにかく、食べられるのだけは勘弁だな!!)
内心でそう叫んだ裕紀の声が聞こえたわけでもないだろうが。
「グォアッ!」
直後、ウェストウルフは吠えながら裕紀に飛び掛かってきた。
咄嗟に魔光剣を起動させた裕紀は、体勢を低く剣先を下に構える。
獲物を捕らえんと大きく開かれたアギトを剣の腹で受けた裕紀はそのまま攻撃の勢いを後方へ受け流しつつ横に躱す。
立ち位置が逆転したウェストウルフは、しつこく二度目の前飛び掛かり攻撃を裕紀に仕掛ける。
再び同じ攻防を繰り返し、木箱を背中に立った裕紀は鋭く相手を見据えた。
(次で決める!)
内心でそう決意し、三度目の攻撃に備え剣を構える。
ウェストウルフの脅威は集団で獲物を追い詰めることだろう。どんなに大きな獲物であっても、集団で襲い掛かればあっという間に餌食となる。
現実世界でも似たような特性を持つ生き物は存在する。彼らの弱点とすれば、単体ならば対峙する者の技量次第で対処はできるということか。
今、裕紀の目の前にいるのはウェストウルフ一匹のみ。自身の半分の全長にのし掛かられることも恐怖だが、あの顎や牙に晒されれば一溜りもないだろう。だが、それも捕まればの話だ。
捕まらなければこちらの勝機は幾らでもある。
そして、二度の攻防で裕紀は自分の実力でも相手を凌げることを確信した。
「グルォアッ!」
果敢と言うべきか単に獰猛なだけなのか。最初と同じパターンで襲い掛かるウェストウルフの攻撃を剣の腹で受けた裕紀は、自身にのし掛かる重量をそのまま後方へ逃がすべく身体を捻った。
「せい、あぁ!」
無意識に発動された身体強化魔法により、全身を黄金の光が包み込む。身体の底から力が沸き上がる感覚に、裕紀は加わった圧力に自身の力を合わせるように剣を後方へと振り抜いた。
「ギャィンッ」
自身の攻撃力の二倍以上の力で右後方へ勢いよく吹き飛ばされたウェストウルフは、積まれた木箱を幾つか巻き添えにして荷車から吹き飛ばされた。
地面に落とされたウェストウルフは、他の仲間を数匹巻き込んで倒れていた。巻き込まれなかった仲間のウェストウルフも、倒れる仲間を心配するように足を止めたが、他のウェストウルフはまだ追い掛けてくる。
あのウェストウルフが集団の長であることは間違いなさそうだが、それ以前に集団での決まりがかなりシビアだったらしい。
「くそっ!」
さすがに執着深すぎるウェストウルフたちに苛立った声を上げながら、裕紀は防壁の役割を果たしていた木箱を次々と落としていく。
だが、さすがに学んだのか荷車から落ちる木箱をウェストウルフは身軽に躱してしまう。
恐らく、このまま全ての木箱を落としても追ってくる全てのウェストウルフは撃退できない。何かもう一つ、あの群れに決定的な打撃を仕掛ける必要がある。
(こうなったら・・・)
首に下がるネックレスを握りしめて裕紀は決心する。
特訓の最中に裕紀が昴から教わったことは剣術だけではない。
魔法使いならば誰もが扱う、これだけは空想も現実も共通する技術。
心を落ち着かせる為に深く息を吸い右手を胸元に構える。何もない空間からネックレスへ光が集り、それらの光は裕紀の身体にも纏う。
心のなかで炎をイメージした裕紀は、五指を広げた右手を前方へ突き出し、覚えたばかりの詠唱を唱えた。
「ファイア!!」
詠唱に反応し、裕紀の身に纏っていた光が真紅の輝きに変わる。右手の前に真紅の魔法陣が広がり、やがてその魔法陣から五つの炎が生み出される。
薄暗い森の中で輝く炎を放つべく右手を強く振る。
右手を振り抜くと、五つの炎が裕紀から放たれ追い掛けてくるウェストウルフ目掛けて飛来した。
下位系統火属性魔法 《ファイア》
魔法使いが最初に習得する基本魔法の一つで、魔法によって作り出した火炎を相手に放ったり、自身の防御にも扱える魔法だ。
作り出せる炎は十個が限界らしいが、新米の魔法使いである裕紀はまだ五つが限界だった。
もっとも、最初の魔法の特訓で五つの炎を作り出せる魔法使いも滅多にいないとのことらしい。
そんな説明を受けながらも習得することのできた炎は、一つ一つが別の標的へと向かって飛ぶ。
ウェストウルフはその炎に対して回避行動を取るが、直進するはずだった炎は僅かに軌道を変えて避けた数匹に直撃する。ファイアに付与される軽度の追尾性能によるものだ。
軽微な爆風によって吹き飛ばされた数匹に構わず、炎の間からウェストウルフが駆け出してくる。
直撃したウェストウルフは火傷によって動けないのか、焦げた体毛から煙を上げて倒れていた。
どうか焼け死ぬことだけは勘弁して欲しいと願った裕紀は、懲りずに追随してくるウェストウルフへ《ファイア》を放つ。
まだ裕紀の力では現実世界で魔法の連続発動は生命力の枯渇に繋がるためにすることはできない。だが、異世界に赴き初めて魔法を使い、この世界では自分の生命力を気にせずに魔法が使えるということを改めて確信した。
彩夏が教えてくれたようにこの異世界には現実世界にはない、魔法に必要なエネルギーが大気中に存在しているのだ。
それは魔力、という魔法を発動させるためのエネルギー。現実世界では使用者の生命力を魔晶石によって変換させなければ得られない力だ。
魔法使いに目覚めて日の浅い裕紀が生命力を気にせずにここまで魔法を連続発動させることができるのは、大気中に漂う魔力を利用しているからだった。
だが、魔法の属性も考慮すると何発も連続発動させるのはかえって危険だ。積み重なれば小さな炎も大きな炎へと変わりかねない。異世界に来ていきなり山火事を起こすなど、いい気分はしない。
ただ、それはウェストウルフがこの荷車を追随することを止めなければいつまでも続く。ウェストウルフがそんな気配りをするわけもなく、どういうわけか数は増えていく一方だった。
「まだ振り切れないのか!?」
荷車から火属性魔法を放ちながら、地竜に乗っているアベルへ問い掛ける。
火属性魔法ファイアで追随してくるウェストウルフを迎撃しているため、荷車までの侵入は防いでいる。ただし、数が勝ってくれば対処しきれなくなり再び車内に乗り込まれる可能性も高くなる。
そう思っての問い掛けに、アベルは笑みの含まれた返答を返してきた。
「心配すんな。あと少しで獣避けの防壁の内側に入る!」
「防壁だって!?」
どうやらこの森の中に獣を防ぐための仕掛けが設置されているような口振りのアベルを、何も知らない裕紀は信頼するしかなかった。
裕紀たちを追随するウェストウルフは、この辺りで獲物を仕留めるつもりか攻撃の勢いが徐々に増していく。絶え間なく襲い来るウェストウルフを、裕紀は荷車から休む暇もなく魔法を放ち続けた。なるべく森の木々には当てないよう、確実に炎をウェストウルフに直撃させる。
思っていたよりも集中力を使うこの行為は、新米魔法使いには辛いものがあった。
そんな攻防を五分近く繰り広げていた裕紀の耳に、ようやく待ち望んでいた声が届いた。
「防壁まであと一分だ! 何とか防ぎきってくれ!」
「ああ、わかったッ!」
額に一筋の汗を流しながらそう返事をした裕紀は、気合いを入れて火属性魔法を詠唱した。
五つの炎が緋色の弾道を引きながらウェストウルフに迫り、追尾によって五匹に着弾する。
しかし、どんなに仲間を傷つけられても懲りずに追随するウェストウルフの獲物に対する執着の深さは伊達ではないようだ。
五つの爆炎が合わさり中規模な炎の壁から二匹のウェストウルフが飛び出してきた。
どちらも体躯が他の個体よりも大きいことから、このグループでもそこそこの立場の個体であると察する。あの大きな顎に捕らわれた自分自身の末路を裕紀は容易に想像できた。
その二匹は足も速いのか、すぐに荷車との距離を縮めてしまう。
やがて車内に飛び乗れるまでの距離まで迫った二匹のウェストウルフは、四肢を曲げると同時に裕紀へ飛び掛かった。
「っ! ファイアッ」
迫る死の恐怖を押し殺し、裕紀は裂帛の声で魔法の詠唱を叫ぶ。
襲い来る二匹のウェストウルフを迎撃すべく、二つの炎が生成され放たれる。
一つの炎は、大きく開かれた一匹のウェストウルフの口へ直撃し吹き飛ばす。だが、もう一匹は空中で飛来した炎を回避してみせると、そのまま裕紀の頭を噛み砕かんばかりに飛び掛かった。
(こんなところで死んでたまるかッ!)
目前まで迫ったウェストウルフを睨み付けながら、裕紀は魔光剣を握り直し起動させた。
これまでは相手の命を奪わないよう配慮していた裕紀だったが、今回ばかりはそんな配慮はできなかった。
むしろ、そんな余裕があっても殺す気で剣を振るわねばこちらが喰われることを強く直感する。必死にこちらを喰らいに来るウェストウルフからは、裕紀にそこまで思わせるほどの狂気のような雰囲気が放たれていた。彼らも生きるためには獲物を捕らえなければならないのだ。
しかし、ウェストウルフにも裕紀にもその瞬間が訪れることはなかった。
剣を振るう前にほんの微かな抵抗感を裕紀が感じた直後、裕紀に飛び掛かってきたウェストウルフの体が突然後方へと吹き飛ばされたからだ。
瞬間、一層大きな振動が荷車を襲い、裕紀は勢い余って車内の奥へと転倒してしまう。
「あがっ!」
今度は荷車の床に背中を打ち付け痛みに悶絶するも、すぐに起き上がりウェストウルフを視界に入れる。
不可視の圧力のようなものに飛ばされたウェストウルフは、柔軟な足腰によってか見事に柔らかい地面に着地していたらしい。再び裕紀たちを追い掛けてくるのかと思ったが、さっきまでの執着心が嘘のように一度低く唸ると来た道を引き返した。
いつの間にか停止していた荷車の車内を這い、木箱が消えて開けた出口へ向かう。
「助かった、のか?」
色々な現象が一度に起こったせいで混乱していた裕紀は、何とかそれだけを口に出した。
「おー、何とか生き延びられたな。お疲れさん」
裕紀の呟きに答えるように届く疲れ切ったアベルの声に混じって、涼やかな川のせせらぎが裕紀の聴覚に微かに響いた。




