迷いの森/再会(1)
魔女エレインに誘われるままに異世界へ転移させられたことは良いが、果して裕紀は異世界の何処へ飛ばされたのか。
なぜか魔法使いになってからというもの、転移などに関する魔法では良い記憶のない裕紀は、せめて人の住んでいる場所に転移していることを願う。
そんな瞬間の思案が終えると同時に、異世界への転移も終了したようだ。
微かな浮遊感から解放された裕紀は、ゆったりと異世界の地に降り立った。
重力と土を踏む感覚を感じた途端、裕紀の両耳に活気のある人々の声が次々に流れ込んできた。
たったそれだけの音で、裕紀は自身のテンションが段々と上がっていくのを感じていた。
(よっしゃあああ!)
思わず内心で歓喜の声を上げ、両拳を握りしめる。緊張していたせいもあるのか、両足から力が抜けて尻餅を着きそうになるがどうにか踏み止まることができた。
どうやら今回の転移は無事に人の住まう土地に飛ばされたらしい。
この異世界そのものが裕紀にとっては見知らぬ土地なので、人が多く行き交う分には情報収集も捗るだろう。
人生で二度目の異世界転移を終えた裕紀は、そんな喜びと共に目蓋を持ち上げた。
視界に飛び込んできた光景に、裕紀は目をいっぱいに見開き息を呑んだ。
コンクリートやタイルなどの舗装はされずに自然の土が丸出しの道。主に木材と布で造られている屋台がずらっと並び、商人たちが通行人に声を掛けたりしている。
灯りらしいものは途中で幾つか置かれている松明くらいだが、日中ということもあるのか火は消されている。現実世界には必ずあるはずの電柱もなければ電線もない。
車というものも使われていないのか、大きな積み荷の乗った荷車を得体の知れない恐竜のような生き物が引っ張っている。
道を歩く人々も皮と布などを素材に作られた服を着ている。あまり見慣れない髪の色の人や、どこかで見たことのあるような雰囲気の人など様々な人々が道を歩く。
この異世界には裕紀が暮らしてきた現実世界の八王子市とは全く異なる風景が広がっている。いや、文化そのものは現実世界には無いものの方が多いだろう。
(そういえば、今は何時なんだ?)
現実世界側では三日後には八王子市の命運をかけた戦いが繰り広げられる。戦いを起こさないことが最善だろうが、敵が裕紀を標的として狙う以上は戦いは免れないだろう。
裕紀は三日間の間に迷いの森を見つけ出し、その森の深部にいるという魔女と契約を結ばなければならないのだ。
前回は水没して役に立たなかった携帯もさすがに役に立つだろうとポケットから端末を取り出し電源を入れる。
以前とは違い無事に電源が入った携帯端末の画面に表示されている時刻は、しかし朝の六時を示していた。
朝六時といえば、ちょうど現実世界における日本の時刻なんだろうなとすぐに気づく。
ふと何の気なしに頭上に広がる青空を見上げると、ちょうど中天辺りの位置で眩く輝く太陽が見下ろしていた。
天文学的なことには詳しくないが、この世界の日の出と日没の方角が現実世界と同じであるなら、太陽の位置からして朝の六時は確実にあり得ない。少なくとも異世界では正午近くの時間となっているはずだ。
前回訪れた時もそうだったように、異世界と現実世界には数時間かの誤差が生じているようだ。
そうであれば、今が異世界時間の何時何分何秒なのかを把握しないことには話が始まらない。
とはいえ、ここでいつまでも立ち尽くしている訳にもいかない。時は金なりと言うように、今は一秒でも無駄にはできないのだ。
不純物など一切含まれていなさそうな異世界の新鮮な空気を肺一杯に吸い込んだ裕紀は、ゆっくりと息を吐き出す。
「さて、情報収集を始めますか」
またしても使い物にならなかった携帯をポケットに入れると、それでも弱々しい口調でそう呟きながら行動を開始した。
三十分後。
裕紀はラムル村(通行人はそう呼んでいた)の集会所内に幾つか設置してある長テーブルの上にうつ伏せていた。
ちなみに集会所というのは、現実世界で言うところの役所のような施設らしい。
ただ、この世界の集会所は現実世界の役所とは異なる、むしろ異世界ならではのシステムが存在する。
それは、魔獣と呼ばれるモンスターを討伐したり捕獲したりする依頼が掲示板に貼り出されているのだ。
これらの依頼を冒険者と呼ばれる人々が、何処にでも居るのであろう集会所の看板娘たちに受注する。
成功すれば依頼ごとの報酬が支給され、失敗しても生きて帰ってきた冒険者には保険金が手配されているらしい。
だが、最近は狂暴で手強い魔獣の目撃情報があるせいか、依頼を受ける冒険者も減少しているのだそうだ。
港町の近くにあるらしいラムル村は交易商人たちの休憩地点にもなっているらしいので、狂暴な魔獣を恐れてか村に滞在する人々の数は普段より少ないみたいだ。
などと、異世界は初めてな裕紀がここまでの情報を収集できたのは、幸運なことにこの世界の言語が現実世界の日本語と余り変わらなかったからだ。
交易中継地点となっているラムル村の村人たちは、様々な大陸から訪れる人々と会話をすることに慣れているのか、余所者の裕紀の話も快く聞いてくれたのだ。
裕紀はうつ伏せていた頭をゆっくりと上げて、集会所に備え付けられている時計を眺める。時計の針は十一時と十二時の間を通っていた。
この世界の時計は現実世界とは違い分針が存在しないらしく、大雑把な時刻しか知ることができない。情報収集で得た知識をもとに、時計から現在時刻は十一時と半刻であることを判断する。現実世界の日本との時差はおよそ五、六時間といったところか。
異世界に滞在できる期間は、少なくとも二日間くらいが限度だろうとタイムリミットを確認する。
この村の事情や時計の見方など、裕紀の異世界の常識を知るための聞き込みは想像以上に順調だった。
だが、同時進行で進めていた迷いの森の所在地聞き取り調査が芳しくなかったので、こうして集会所に足を踏み入れたのだが。
「どうして誰も知らないんだよ」
再びテーブルに突っ伏しながら、くぐもった声で行き場のない愚痴をこぼす。
もはや木の椅子から立ち上がる気力すらなかった裕紀は、周りから注がれる視線を気にすることもなく顔を伏せ続けていた。
確かに、異世界では役所というだけあって集会所には冒険者らしい人々が多く集まっていた。それ以外にも村の住人やら、聞けば何でも知ってそうな長老のお婆ちゃんなどの姿もあったのだ。
なのに。
なのに、どうしたことだろう。
誰一人として迷いの森の所在地を知らないのだ。
それどころか、迷いの森という単語を初めて耳にするような反応を示されてしまった。
情報収集中に怪しげな視線が自分自身に集まることを裕紀が気づかなければ、今頃不審者のような扱いをこっそり受けるはめになっていたのかもしれない。村の衛兵などを呼ばれなかったことは幸いと思ってもいいはずだ。
「いったいどうなってるんだよ。何で誰も知らないんだ・・・」
だが、このままでは手掛かり一つ掴めずに一日を無駄にしてしまう可能性も出てくる。
そうなっては、日数的猶予のない裕紀としては絶望的だ。何としても今日中には情報を手に入れたいのだが、現地の人が知らないものを裕紀がどうやって情報を得れば良いのか。
(こんなときに柳田さんが居てくれればなあ)
この調査の発端となっている魔女エレインと繋がりがあり異世界にも馴染んでいた様子の彩夏なら、こんなときに何か良い提案を出してくれたのかもしれない。
そんな、現実逃避のための他人本願な思考をぐるぐる巡らしていた裕紀の頭上から、突如刺のある声が降ってきた。
「おい、そこのお前。突っ伏してるお前!」
ガタンッ! と大きな音と共にテーブルが揺れる。
「ん? 俺に何か用ですか?」
テーブルが揺れたことで意識が思考から現実へ引き戻され、裕紀はのそりと頭を上げる。目の前には背が低く目付きの悪い男性が片手をテーブルに打ち付けて立っていた。
全身を鎧で包んだ男性の腰には、西洋風の剣がぶら下がっている。
外見的特徴から集会所にいる冒険者の一人だろうと判断する。
ついでに裕紀は、目の前の男性に怒鳴られている理由を考え、テーブルに突っ伏していた裕紀が彼の邪魔をしていたという思考に至った。
「ああ、すみません。すぐに退くんで」
「あ? 俺はお前に要件があるんだよ!」
集会所から出て行く前に、カウンターに座る女性にでも迷いの森について聞いておこうと考え立ち上がった裕紀の腕を、そう言い放った男性がテーブルに付いていた腕でガシッと裕紀の腕を鷲掴む。
施設内に大きく響き渡った、男にしてはやや高いその声と、乱暴な口調に裕紀の記憶の棚が僅かに揺らいだ。
獲物を見定める猛禽類の如く鋭い瞳に、雑に整えられた焦げ茶の髪。身に纏っている鎧は所々に傷があるが、しっかりと手入れが施されているのか痛んでいる箇所は見当たらない。
そして、何よりも裕紀の意識を引いたのは、自身の肩辺りしかない男の身長だった。
別に低身長だからどうこう言うわけではない。ただ、目の前の男性の身長が妙に記憶に引っ掛かったのだ。
鎧姿、乱暴な口調、雑な髪型、そしてこの低身長。腰に携えられた剣。
記憶の棚が半分ほど開きかける直前、男性が固まっていた裕紀をいっそう強く睨み付けると、怒鳴るように言った。
「ちょっと来い!」
「うぇ!? ちょ、待っ・・・!」
そう言うと、凄まじい腕力で裕紀の腕を引っ張り、集会所から連れ出されてしまった。
有無を言わせずに外へ連れ出された裕紀は、ラムル村の出入り口であろう門の下まで連れられて来る。
いきなりのことで抵抗もせずにここまで連れて来られた裕紀だったが、ラムル村の門番らしい村人と視線が合い、ようやく我に返る。
「ちょ、いきなり何するんだよ!」
引っ張られていた腕を強く振り解くと裕紀はそう怒鳴る。
そんな裕紀に、男性は腰に携えていた剣の柄頭に片手を置くと、睨み付けながら先程よりは落ち着いた口調で言った。
「そっちこそ何してんだ。あれだけの人に迷いの森のことを聞いて回りやがって」
「そんなの、場所が知りたいからに決まってるだろ?」
場所がわからないのであれば聞いて探すというのが常識であると思っていたのだが、男性からしてみればそれは愚行だったらしい。
この世界の情報を何も知らない裕紀が取れる手段は人々から情報を聞いて集めるくらいしかないだろう。
そう思ってやっていたことを否定された裕紀の発言は、やや反抗的な言い方となってしまった。
気を落ち着けさせるために息を整えた裕紀は、そこで男性の言い方に違和感があることに気づく。
ラムル村では聞き慣れていない様子だった迷いの森という単語を、目の前の男はその森のことをさも知っているかのように言っていたのだ。
「・・・もしかして、迷いの森について何か知ってるのか!?」
驚き大声で質問してしまった裕紀を鬱陶しい目付きに変えて睨んだ男性は、ため息とともに肯定の頷きを返した。
「まあ、そんなところだ。ただな、あの森を知っているのはほんの一部の人間だけだ。だからこんな場所で聞き歩かれても、変な奴としか思われないぞ」
そう忠告された裕紀は、ようやくこの村の人たちや交易商人たちの反応が悪かったことに納得する。
だが、そうであるなら迷いの森の情報はかなり限られた人間でしか知られていないことになる。そんな場所を知るエレインの素性がそろそろ気になり始めるが、今はそんな場合ではない。
情報を知る限られた人間が目の前にいるという現状は、行き詰っていた裕紀には幸運としか言えないだろう。
「迷いの森について、何か知ってるなら教えて欲しい。もう時間がないんだ」
なんとか口調は抑えられたものの、切羽詰まった裕紀の願いに男性は数秒間唸り続けた。
どうも関係者以外の人間には知られたくないような雰囲気を漂わせている男性を見て、裕紀の脳裏に一筋の希望が途切れる予感が過る。
しばらく唸り続けていた男性は、やがて意を決したように口を開いた。男性から放たれた言葉は、決して否定的な言葉ではなかった。
「よしっ、そこまで言うなら仕方ねえ。教えてやる代わりに少しばかり厄介事に付き合ってもらうぜ」
「ああ。俺にやれることなら協力するよ」
苦渋の表情を一変、意味深な笑みへと変えた男性に裕紀はそう言ってこくこくと頷いた。
その返答に調子の良い奴と思われたのか、ふんっ、と鼻を鳴らした男性は「付いて来い!」と近くに停めていたらしい荷車の元へ歩いて行く。
アベルという名の男性に案内された荷車には、許容個数ギリギリまで積み上げられた木箱があった。荷車の重量に合わせてこの荷物の重さを運ぶ恐竜のような生き物には、深く同情の眼差しを送る。
そんな裕紀の心情を察したのか、視線を送られた生き物はフーッと大きく鼻息を放つと足元に生える草を美味しそうに食べ始めた。
肉食恐竜のような外見をしていたので、てっきり動物の肉を咀嚼すると思っていたのだが、どうやら違ったようだ。
「お前草食だったのか」
以外な事実にそんな呟きを漏らすが、相手が動物なだけに答えは返ってこない。
「そいつは地竜ってんだ。名前はライド。俺の相棒だ」
裕紀の呟きを無視ししてひたすらに草をむさぼっていた地竜ライドから目を離して、背後から声をかけてきたアベルへ向き直る。
「へぇ。馬、みたいなものなのかな」
「馬よりは体力も力もあるから遠出するときや、重い荷物運びには最適だな」
地竜という異世界ならではの生き物を紹介された裕紀は、納得したように頷くと挨拶代わりにライドの頭を撫でる。
「グフッ!」
しかし、裕紀の手が硬質そうな鱗に触れる直前で首を振られて拒否されてしまった。
「ははっ。随分と嫌われたみたいだな」
「別にそうと決まったわけじゃないだろ」
腕を組んだアベルにからかわれた裕紀は、恥ずかしさに頬を染めながらむくれた声を放つ。初回から動物になつかれる人もいるだろうが、普通最初なんてこんなものだろうと勝手に解釈する。
「ところで、俺にやってもらいたいことって何なんだ?」
気持ちを切り替えてこれから裕紀がやるべき任務をアベルに確認する。
まあ、この荷車に積んである木箱を見れば言わなくても分かるようなものだが、違ったときにまた恥をかくのは御免なので一応聞いてみる。
「ああ、この荷物を集会所まで運んで欲しいんだ。何せこの量だからな。一人じゃ時間が掛かるんだ」
「了解。じゃあ、さっさとやろう」
案の定、荷物運びの依頼を頼まれてしまった裕紀はなるべく面倒くさい雰囲気を出さずに受け答える。内心では今すぐに逃げたい気分だったが、ここで逃げたりすれば後々が厄介なことになることは確実だ。
極力、異世界の住人とは良い関係を築いていきたい。
幸い荷物運びならバイト先のスーパーで荷受けなどを経験しているので問題はないはず、そんな考えでアベルの依頼を引き受ける。
しかし、この荷物運びが思っていた以上に過酷なものだった。
木箱一個ぶんの重さは二十キロ以上あり、それを徒歩五分の距離にある集会所まで運ぶらしい。
そして、更にはその木箱と引き替えに受け取った木箱を荷車まで運ばなければならないのだ。
さすがに荷車で引いて行くことを進言すると、休憩中の地竜は否が応でも動かないと答えられてしまう。それが例えご主人様の命令であれど断固言うことを聞かないらしい。
とんだ気分屋だ! と地竜に言うまではしなくとも視線で訴えると、草を咀嚼しているライドは気にすることなくグォンと一声鳴いたのだった。
「よっ、こいしょッ!」
最後の木箱を荷車へ運び終えた裕紀は、荒い呼吸を繰り返しながら数秒その場に立ち尽くしていた。
二十キロオーバーの荷物を持ちながら、十五分近くは荷車と集会所を往復した裕紀の体力はもうゼロに近い。
足腰はまだ平気だったが、かなり負担のかかっていた両腕は鉛のように重たかった。
(こんなことならしっかり身体を鍛えておくんだった・・・)
そう思いながら木箱が積まれた荷車に腰を下ろす。
昼食を終えたらしい地竜のライドはすっかり上機嫌になっているようで、いつでも走れるという雰囲気を醸し出している。
この重労働の元凶であろうことも知らずに呑気なものだと、内心で深くため息をつく。
「お疲れさん。お前、アース族のくせに少しは根性あるな」
「こっちにも意地ってものがあるからな」
主にバイトとして荷物運びをやっている身としての意地であるが。
鎧に包まれた身体を伸ばしながらそう言って歩いて来るアベルへ、裕紀は荷車に座りながら強気で笑みを浮かべてみる。そんなアベルは、裕紀と同じ量の木箱を運んだにも関わらず、疲労感がまるで感じられなかった。
「なんにせよこれで今日の仕事は完了だな。約束通り、迷いの森に連れて行ってやるよ」
どうやら荷物の交換がアベルの仕事だったらしく、この村に滞在する用事を済ませたアベルはライドの背中に跨がった。
キュルル、とご主人に甘えた声を放ったライドの上でアベルが荷車を指差してそう言うと、裕紀は木箱の壁を乗り越えて荷車に乗った。
ライドの引く荷車に乗せられて、裕紀は森の中の山道を木箱とともに運ばれていた。
アベルの話では、迷いの森はとある村の近くに存在しているらしい。その森の存在は、数百年もの前から語り継がれてきたある伝承によって、限られた人間にしか存在を知らされることはなかったという。
きっと魔女エレインも迷いの森と何らかの関係があったに違いない。しかし、どのような関係であるかはまだまだ謎が多そうだ。
浮かんだ疑問を考察しようとした裕紀の聴覚に、アベルの声が飛んでくる。
「そういえば、どうしてアンタは迷いの森のことを知ってたんだ?」
伝承によって限られた人々にしか語られていないという事実がある以上、アベルは裕紀がどうやって迷いの森を知ったのか気になったのだろう。
問われた裕紀はというと、エレインについて考えていたからか質問にはすんなりと答えることができた。
「知り合いに頼まれたんだよ。迷いの森に住まう者と契約をしろって」
魔女という存在が不明な現状で、他人に魔女という単語を言いふらすのはよろしくない。
そう思い一応魔女という単語は伏せながら裕紀は理由だけを話す。
それを聞いてどう思ったのか、地竜に跨がるアベルからは返答がなかった。聞かれて終わりというのは煮え切らなかったが、こういう場合はあまり深くは踏み込まない方が良いだろう。
この世界に来て二度目なので確信とは言えないが、異世界の人々は現実世界の魔法使いたちに良い印象を抱いていない気がするのだ。
彩夏と訪れた村の門番たちも、現実世界人、この世界で言うなればアース族と何かしらのトラブルを抱えていた。こうして裕紀に協力してくれているアベルも、アース族のことを何処か非難しているような言葉遣いが多い。
現実世界の魔法使いと異世界人との人間関係を考えると、深く踏み込み過ぎることで余計な刺激を与えるのは良くはないだろう。代償を払わずに魔法を扱えるこの世界で戦闘が起きれば、魔法を用いた戦いが主体になるのかもしれない。
本気で扱う魔法ほど怖いものはないという昴やましろの教えからも、この世界での戦闘はなるべく避けたかった。
気まずい沈黙の間、ガタガタと荷車から伝わる振動を感じていた裕紀は、ふともう一つの疑問に直面する。
それは、なぜこの世界の人々は無償で魔法を使うことができるのに地竜などの生き物を利用して移動をしているのかということだった。
これは裕紀の偏見だが、転移魔法という瞬間的に場所を移動できる便利な魔法を、現実世界の魔法使いよりも魔法に馴染んでいそうな異世界人が知らないはずがない。
もしも裕紀がこの世界の出身だったら、どこへ行くにも転移魔法を使っていそうだ。
「アベル。この世界の人たちは移動に転移魔法とかは使わないのか?」
「それはつまり、この長い距離なら地竜を使って移動するよりも魔法使った方が速い。そう言いたいのか?」
「ああ。まあ、そんなところだけど」
アベルの返答に裕紀は肯定する。
地竜の上で深く深呼吸をするような仕草を取ると、アベルは落ち着かせた口調で訊いてきた。
「そういや、お前の名前は?」
アベルに名前を尋ねられて、そういえばまだこちらの名前を名乗っていないことに気づく。
しかし、このタイミングで名前を聞く意図が掴めなかった裕紀は訝しげに名を名乗る。
「新田裕紀、だけど」
「じゃあアラタ、よく覚えとけよ」
そんな前置きを言ってから何か重要なことを話そうとするアベルの声に裕紀は耳を澄ませた。
「この辺り一帯は魔獣が多くてな。奴らは魔力に敏感だから、森が近いとみんな魔法は使わないのさ。規模のある街や王都ならまだしも、村一つなんて魔獣が押し寄せれば一晩で壊滅しちまうのさ」
つまりは森に徘徊する魔獣を刺激しないために、この辺りは徒歩や地竜を使っての移動が一般的になっているのだという。
なんとも異世界に有りがちな事情だと納得しかけた裕紀だが、そうなるとどうしても気になってしまうことがあった。
「でも、この世界には冒険者がいるんだよね? 危険な魔獣とかは冒険者に任せれば良いんじゃないか?」
裕紀の知る限り冒険者というのは戦闘を生業に生活しているものだと思っていたのだが、アベルの話では彼らが役に立っているという印象はない。
いったい如何なる事情があるのかと思い聞いてみた一言に、アベルは顔を見なくても分かるほどに不機嫌そうな声音で返答した。
「あいつらは自分たちに危険が及べば守るべき奴らを見捨てて逃げるような臆病者だ。まともに戦う奴なんて数えるくらいしかいねぇよ。魔法を扱う魔獣との戦い、なんて事態になれば村なんか捨てて我先にと逃げちまうだろうさ」
(魔獣でも魔法を使う奴がいるのか)
人間以外にも魔法を扱うなんて、この世界はやはり異世界なのだと改めて実感する。
ともあれ冒険者に対してそう悪態をついたアベルヘ、聞こうか聞くまいか迷った末に、裕紀はこの世界の冒険者の存在がほぼ確定的なものとなる質問をする。
「冒険者は魔法を扱えないのか?」
その質問に数秒の間を開けたアベルの口からは、肯定と否定の両方が放たれた。
「使える冒険者のほうが稀だな。そもそも、魔法が使えたら冒険者なんてやってる奴は・・・」
やはり、この世界の冒険者の大半は魔法が扱えないらしい。そして、魔獣と呼ばれる敵との戦闘ではどういうわけか自分たちの守るべき存在を見捨ててまで逃げる様のようだ。
ならば、冒険者の存在意義とは何なのか? 冒険者以外に、この世界には人々を敵から守る存在がいるというのか。この異世界でも現実世界のように魔法を扱える者とそうでない者がいるのだろうか。
疑問が更なる疑問を呼ぶことでモヤモヤした気分になるが、しかし、肝心なところでアベルは言葉を途切れさせてしまう。
どうしたのかと思い、前方の様子を伺おうと上体を起こす。
「アベル? 急に黙ってどうかしたのか?」
急かすようにそう問いかけた瞬間、車輪が地面を転がる音に混ざり、裕紀の耳に何かの卯なり声が届いた。




