特訓と、二度目の異世界(9)
第48部~第55部までのタイトルを変更させていただきました。
ですが、物語の内容が変わったりするということはありません。
よろしくお願いします。
二〇六七年一二月一日、水曜日。午後六時。
新田裕紀が研究所で意識を失っていた頃にそれは起こっていた。
その時間帯に大学の課外活動を三人揃って用事があると言い張ってサボった大学生もとい魔法使いたちは、三人並んで八王子市街の歩道を歩いていた。
黒く艶のある長髪を白いリボンで後ろに結ぶ女性、月夜玲奈と日の当たり方で赤茶色に見えるショートボブな茶髪をふわふわ揺らす赤城ましろ。
そんな彼女たちの間で歩くのは、やや長めの黒髪を後ろで結んだ蘭条昴だ。
三人とも服装が私服だったので側から見ればこれから遊びに行く若者に見えるだろう。
大学の顔見知りな先輩たちから見れば明らかにさぼりと誤解されても仕方のない格好だ。それが一部の男子だったなら、女二人に挟まれて歩く昴は背後から強襲を受けることだろう。
しかし、彼らが大学の課外活動を休んだのは決してカラオケやゲームセンターが目的なわけではなかった。
彼ら三人は一般人には言うことのできない仕事に臨んでいた。
簡単に言うなれば、アークエンジェルのメンバーとして街の中を監視する、という後藤飛鳥からの指令なのだ。
上官の指示ならば断る必要性も感じなかった三人は、受講する講義が終わり次第、揃って下校したのだ。
「それにしても教授の話はいつ聴いてもわけが分からん」
「そう? ほとんどが本に書いてあるような内容だったと思うけど?」
「そりゃ、お前の呑み込みが良いだけだろ?」
「人の話を聞くのに理解の良し悪しは関係ないわ。理解する気になればどうとでもなるものよ」
などとくだらない会話を繰り広げているのも、いつどこにいるのか判別できない犯罪魔法使いの目を警戒してのことだ。
「まあまあ二人とも。勉強なんてそこそこ分かれば良いのよ。分からないところは玲奈が教えてくれるし!」
「もちろん訊かれたら答えるけど、その代わり私の分からないところも教えてもらうからね?」
「それ、わたしがほとんど分かんないやつだ」
隣同士で話す二人の会話に割って入った能天気なましろの発言に対して、玲奈は相変わらず薄い表情で返答する。
こんなごく一般的な会話を交えながらも、三人の意識は街中に漂う生命力を繊細に感知していた。
魔法使いは己の生命力の扱いに習熟すると、身体能力を強化できるだけでなく他人の生命力を感知することもできる。
一般人でも魔法使いでも、生きている限り生命力は普段から使われており無意識に放出されるものだ。
魔法使いは無意識下にあるその力を意識的に操り、時には生命力そのもので、時には魔力という力に変換して事象を改変する。
そうすることで、常人ならざる力を使えるようにするのだ。
そして生命力を感知することは、名も知らない魔法使いを特定することに有効的でもあった。
先日、新田裕紀が襲われた黒ずくめの魔法使いと今回の殺人事件の犯人が同一人物であるのなら、彼の魔力を間近で感じた玲奈はその生命力も感じ取ることができる。
一人では捜索の限界があるので、玲奈が感じたその生命力を現場にはいなかったましろと昴にも共有させていた。
ただし時間帯によるものか歩道には多くの人々が歩いており、漂う生命力は複雑に絡み合っていた。
これでは、生命力を意識的に身の内へ抑え込んでいる場合の知覚は困難だろう。
もっとも、今日この瞬間にあの魔法使いが現れる確率は決して高くはない。
ならばなぜ、飛鳥は三人に魔法使いの監視を申し出たのかは考えるまでもない。
この作戦に具体的な目的などない。
厳密に言うなら、こちらが反撃に出る前にこの街でこれ以上の被害を出させないために、アークエンジェルが採ったせめてもの対応策ということになる。それ以外の組織的な大きな動きは、逆に敵の組織を刺激するという考えでもある。
『それにしても、やっぱり現れないねぇ。例の殺人犯』
『そうだな。まあ、相手は立派な宣戦布告をやってきたんだ。警戒されることは重々承知だろうさ』
『だよね~。もし見つけたら捕まえて色々吐かせてやりたかったのに』
『だな。仲間を一人殺されかけたんだ。吐かせるだけじゃ物足りねぇぜ』
自分たちの目的を再度確認していた玲奈の脳内にそんな呟きが立て続けに響いた。
主に『共信』と呼ばれる脳内伝達用の魔法だ。
魔法使いたちの中ではテレパシーと呼ぶものも多いが、この魔法は双方が脳内で直接話せる効果がある。
魔晶石にもこの魔法陣は保存してあるのだが、その場合は魔法使いのみが視覚できる魔力の光が僅かながらにも放出されてしまう。
もしも付近にアークエンジェルに敵対する魔法使いが身を潜めていたら、その光を視認するなり目を付けられる可能性もある。
犯罪魔法使いと彼の所属するコミュニティのことだけに集中したい現状では、他の組織に構っていられる暇もない。そんな事態はどうしても避けたい。
なので、玲奈は大学を出る前に連絡用の魔法陣が描かれたメモ帳程度の用紙を二人へ渡していた。
もともと魔法とは魔晶石の特性が明かされる前は魔法陣を描くという古典的なやり方だったらしいので、紙切れ一つでも魔法陣が正しく描かれていれば魔法は発動する。
隠密活動やちょっとした用事を済ましている時は目立ちにくいので役に立つ方法だ。
しかし、書き留める物が紙という消耗品ではひょっとした瞬間に破れて使い物にならなくなる。戦闘などの激しい動きを必要とする時は、耐久力もあり即時発動が可能な魔晶石の方が断然便利だろう。
頭の中で血の気の多い会話が展開されている最中、玲奈は頭の片隅でそんなことをぼんやりと考えていると。
「ねっ、玲奈はどう思う?」
今度は肉声に変えて問い掛けてきたましろに、忙しないと思いながらも玲奈は答えた。
「今は彼を育てている途中だからあまり余計なことは考えないようにしたいわ。それに、仇を討つかどうかは私が決めることではないし、誰かが強制していいものでもないから」
自信を無くしなり取り戻したり。後ろ向きかと思えば前向きになったりなど、結構忙しい性格をした黒髪の少年の顔を思い浮かべて仄かに微笑む。
「ふぅん」
普段はあまり表情というものを露わにしない玲奈が微笑んでいる姿を見て、ましろは何かに納得したように頷いた。
この事件で一番傷ついたのは目の前で大切な存在を傷つけられ、しかも自分自身の無力さを痛いほど思い知らされた新田裕紀だろう。
そして彩香を傷つけた男が誰よりも憎いはずだ。
何を思って戦うかは人それぞれで、その想いを他人が簡単に変えることができるとは思わない。憎しみのままに剣を振るうことも一つの戦い方だが、玲奈はあの少年にそんな戦いは似合わないと思った。
「なんにせよ、師匠たるお前がしっかりしないとな」
「まだまだ教えてないこといっぱいあるもんね~」
同じことをましろも昴も思っていたのか二人して玲奈に言う。
「あなたたち他人事のように言ってるけど、二人にもそれなりに協力してもらうつもりだから」
現に今朝、裕紀のサポートを玲奈に任されたましろははにかみながら頭を掻く。
そのはにかみ笑顔から察するに、今朝のランニングのことを思い出しているのだろうがあれは自業自得だ。
近々、魔法戦闘の訓練などもメニューに加えるとなれば昴の助力も借りねばなるまい。
玲奈がそんな思考を巡らせていた時だった。
彼女を含め三人の第六感的な感覚に、警戒していた生命力の感覚が届いたのだ。
「これ、なんか・・・」
「玲奈に伝えられたのとちっと違うが、これは・・・」
感じた生命力の感覚に違和感を示す二人に玲奈も同意の頷きを返す。
三人が感じている生命力は、確かに数日前に玲奈が対峙した男のものだ。
しかし、今回は男と対峙した時に感じた生命力に黒く濁った何かが纏わり付いていて気味が悪い。
まるで男の存在そのものが黒い闇に変化してしまったかのようだ。
しかし、纏わりつく雰囲気の内側から男の冷たい炎のような殺意が伝わってくることから、玲奈はあの男が近くにいることを確信していた。
多くの人々の生命力が行き交う歩道の中で、敵の魔力だけを辿りながら周囲を見渡す。
だが、どう頑張っても辿る途中で生命力が薄くなりノイズに掻き消される。どうやら感覚だけで男を見つけ出すことは困難らしい。
それに気付いたましろと昴も感覚だけでなく視線も巡らせているが、二人とも生命力の源を発見できていない。
玲奈も敵の行動に警戒しながら通り過ぎる人々の合間へ視線を向けるが、前後左右どこを向いても敵らしき姿は伺えなかった。
魔法使い同士が互いの生命力を感じ取る最大の距離は一キロが限界と言われているので、対象は遠くにいるのかもしれない。
その思考を玲奈は頭を振って掻き消した。この生命力が縦横無尽に行きかう市街地では、長距離にいる魔法使いの反応そのものを捉えることが不可能だ。
それ以前に玲奈は敵の存在をすぐ近くに感じていた。下手をすれば手が届きそうと思えるほどの近さだ。
(なのに相手を視認できない? 幻惑魔法か、それとも光魔法を応用して発動しているというの?)
幻惑魔法ならば身を隠せる魔法は幾つかあるが、それなら発動前に魔晶石から魔力の光が放出されるはずだ。魔法の兆候を見逃すほど玲奈の目は節穴ではない。
光を操作する光魔法も自身に照射される光を屈折させ光学迷彩のような効果をもたらすが、あれも魔法なので同じように光が放出される。それに光魔法に関しては動けば迷彩は僅かに解けるので、その点に於いてもあまり利便性は無い。
通行人が当たったり避けたりするリスクも考えれば、二つの魔法を発動させている可能性は少ないだろう。
『もしかしたら身体能力強化を使って行動しているのかも』
『どういうこと?』
身体強化魔法の用途を魔法戦闘以外に余り知らない玲奈は、その魔法に詳しいましろに思念で問いかける。
『そんなに難しいことではないわ。この人混みだから、更に分かりづらく歩くとしたら人と人の間を縫って歩くだろうなって思って。合間を歩く瞬間だけ足を強化させることで早く歩き、こちらに視認しづらくしてるのかもしれないわ』
『つまり、相手はより人が歩いている場所を狙ってチマチマ身体を強化してるってことか』
辺りを見回していた昴が厄介そうに思念を飛ばしてくる。
何もない場所でこちらが視認できる速さでも、人混みなどの障害物の多い場所ではそれも難しいということだ。
そのことを如実に表すかのように、ましろが苦虫を噛み潰したような表情をする。
『この調子だと、あと数分で本当に見つけられなくなっちゃう』
(ここで逃げられると面倒ね)
ここであの魔法使いと遭遇したのは偶然だが、玲奈たちに捕まえないという選択肢はない。
犯罪者を捕まえられるか否かはこの街の治安は勿論、アークエンジェルの方針にも大きく関わることだ。
なんとしてでもこの人混みから敵魔法使いを見つけ出すために、玲奈は一つの賭けに出た。
それは玲奈が感じている相手の生命力を自分の意識に繋ぎ止めることで、相手の居場所を特定するというものだ。
障害物など関係なく生命力を放つ人物の位置を特定することができるのだが、周囲から数多もの生命力が漂っている中ではこれは極めて難しい方法だ。
砂漠の中心、しかも砂嵐の中で一センチ程度の宝石を見つけ出すこととほとんど同義なのだ。少しでも失敗すれば、膨大な生命力の嵐によって対象と玲奈を繋ぐ糸が千切れてしまう。
しかもこれはかなりの集中力を必要とするので、連続使用は玲奈も厳しかった。
チャンスは一度。失敗すれば逃げられる。
それでも、玲奈はこの方法に賭けた。
自分の力を過信しているわけではなかったが、今の自分の実力を信じれば成功すると思えていた。新田裕紀に自分を信じろと言ったように、玲奈も自分自身の能力を信じている。
(私ならやれる)
内心でそう呟いた玲奈は一度深く息を吸うとゆっくり瞼を閉じる。
生命力の発信源である男を肉眼で捜すために周囲へ散漫していた意識を、発信源である男と玲奈自身へ向ける。二人の間に蜘蛛の糸より細い線が繋がった。
二人の間で繋がった極細の線を外部からのノイズを無視して慎重に慎重に辿っていく。
間違いは許されない極限の集中力を発揮した玲奈は、とうとう目的となる人物の位置を感覚的に見つけ出すことに成功する。
感覚的だが確実な位置を特定した玲奈は、素早く瞼を上げて敵がいるだろう方向へ視線を向けた。
玲奈たちのいる場所から十メートル離れた場所。居酒屋か何かの店の近くを対象の反応が通過する。
視線の先はやはり人が混み合っていたが、玲奈は確信を持ってその辺りを睨み付けた。
ましろの言う通りならば注目するのは人と人の合間で間違いないだろう。
念の為に可能性に挙げた二つの魔法の存在も頭に入れて目を凝らした玲奈の視界に、薄っすらとした人影が過ぎった。
ましろの言う通り敵は身体強化魔法を扱っているようだ。
そしてもう一つ、隠蔽魔法も発動させていることを判断する。どうやって魔力の光を隠したのかは幾つか候補が挙がったが、それを検討する前に玲奈は小声だが張り詰めた声を出した。
「みつけた・・・!」
緊迫した呟きを漏らした玲奈の声に、違う方向へ視線を巡らせていたましろと昴が反応する。
「マジか!?」
「どこにいるの!?」
しかし、二人の問いに反応をする余裕がなかった玲奈は、標的を確認すると同時に歩道のタイルを蹴った。まるで人々を掻い潜る疾風のように玲奈は走った。
人の波を軽やかに躱しながら走った玲奈は、思考伝達魔法を切る前に脳内で思念を発した。
『敵は身体強化と隠蔽魔法を使ってる。見失わないうちに距離を詰めるから、二人はあとで合流!』
『わかった!』
『了解!』
魔法を中断させる前に指示を伝えるためにやや速めに思念を飛ばしたのだが、付き合いが長い分か玲奈の早口にすぐに了解の返事が返ってきた。
そんな頼もしい二人の返事を最後に玲奈は思考伝達魔法を中断させた。三人が発動していた思考伝達魔法の効果が失われ、幼馴染との距離が精神的にも離れたことを感じる。
魔法が途絶えたことで二人との繋がりもなくなり心細くなるが、自分のやるべきことだけを考えて男が逃げる方角へ走る。
男と同じように、玲奈も生命力で身体を強化して人の間を風の如く駆け抜けて行く。
男は隠密魔法と身体強化を同時に使うことで生命力の消費は多いはずだ。
その証拠に、先ほどまで離れていた男との距離は徐々に縮まりつつあった。
もう手を伸ばせば黒いフードに手が届きそうなくらいの距離まで玲奈が迫った瞬間、急に男が路地裏へ進路を変えた。
突然の方向転換に対処しきれなかった玲奈は、咄嗟に両足を踏ん張ってブレーキをかける。
レンガ敷きのタイルから僅かに土煙が舞い上がり、目の前を通る数人の通行人がそんな玲奈に驚き足を止める。
「わっ! なに!?」
「危ないだろ!」
驚きの声や罵声が聞こえるが、いちいちそんな言葉に耳を傾けていては埒があかない。
「すみません!」
一言そう謝ると、玲奈も風となって瞬く間に路地裏へ姿を消した。
人通りのほとんどない路地裏へ逃げ込んだことに最大限の警戒を払いながら奥へ進んで行く。
夕方ということもあるのか、日の当たらない路地裏はもはや夜のように暗かったが、玲奈は男の生命力を道標に入り組んだ道を迷わずに走る。
玲奈の目の前にははっきりと黒いフードの外套がはためいている。
敵はもうバレていることを理解したのか、はたまたそれが目的で路地裏へ入ったのか隠密魔法は解除していた。
その代わりに人目がないことを利用してか、敵の魔法使いも魔法の行使に躊躇わないようだ。
背後を走る玲奈を妨害するかのように、黒いフードから黒色の魔法陣が現れる。魔法陣の中心からスパークが現れ、直後三つの雷撃が一斉に放たれる。
魔法による攻撃の可能性があることは、路地裏に入ってから最優先に注意していた。
そのため男の放つ雷撃を認識するなり、玲奈は素早く手にした魔光剣のスイッチを押す。
水色の三本の軌跡が闇を照らし、迫る全ての雷撃が斬り払われる。
お返しにと得意の風魔法で作り出した風圧弾で反撃するべく、玲奈の傍で薄緑色の魔法陣が展開され、二つの風圧弾が放たれた。
だが、その反撃も男に予想されていたらしい。
自身の生命力を扱ったのだろう。
直撃すればコンクリートくらいは抉れる威力を持つ風圧弾は、不可視の壁に遮られたかのように風となって男の背中で虚しく四散した。
そして、再び玲奈へ攻撃を仕掛けるべく男の背中から同色の魔法陣が浮かび上がる。
あれを対処してもまた次が来ることを考えると厄介だ。
この追跡劇が長引いて敵の仲間と合流されてしまえば、今は一人のこちらが不利になることは目に見えている。
(次の攻撃を捌いたらケリをつける!)
そう心の中で決意した数秒後、今度は六つもの雷撃が一斉に放たれる。
(こんなもの!!)
三つが六つに増えたところで、玲奈の剣技には到底及ばない。
足に集中させていた生命力を全身に行き渡らせ、玲奈自身の身体を強化する。
完全に身体強化を発動した玲奈の身体が仄かな真紅のオーラが纏った直後。
彼女が走っていた場所に六つもの雷撃が直撃し、膨大な土煙が舞い上がった。
雷撃の威力を伝えるように周囲の建物がビリビリと振動する。
空気の流れが悪いせいか、しばらくはその場に漂うだろう土煙を散らせて玲奈は疾風となって飛び出す。
常人ならとっくに吹き飛ばされて死に至っても良いような攻撃だったが、それすらも玲奈は迎撃していた。
そんな玲奈に向けて男が鋭く悪態を付く。
「くそっ! マジかよっ」
もはや常人の目には捉えられないほどの速さで走り出した玲奈は、建物の壁面目掛けて地面を蹴る。
跳んだ勢いを活かして壁面をも蹴った玲奈の身体は、さっきまで前を走っていた男の頭上を通り越していた。
夜空を背景に水色の魔光剣を持って宙を舞った玲奈は、自分を空中で仕留めようという算段か男の魔晶石が闇色に輝くと同時に三度目の雷撃が放たれるのを見た。
今回は一撃のみだがその分威力が高いと考えた玲奈は、斬り払うのではなく刀身を盾にして雷撃を受ける。
予想通り、雷撃の威力は分裂していた時よりもずっと重い。斬っていたら押し切られていたかもしれない。
重い雷撃を空中で受けているためか、抵抗のない玲奈の身体は当然その圧力に上へ推される。
このままではダメージはなくともビルよりは高い場所へと飛ばされるだろう。
身体を強化されてはいるものの、さすがに超高所からコンクリートの地面へ落下して無事でいられるかどうかは玲奈にも分からなかった。足の骨一本は逝くかもしれない。
「ふっ!」
怪我は勘弁だった玲奈は、威力を上空へ逃すために盾にしていた剣を上空へ振り払い雷撃を受け流した。
街の光で照らされた夜空に、一筋の雷光が駆け抜ける。
その光景を一般人に見られていないことを祈りながら、軽く放物線を描いて落下した玲奈の身体はコンクリートの地面に静かに着地する。
「クソッ!」
仕留めきれなかったことに苛立ちを露わにそう吐き捨てた男は、身を翻して逃げようとする。
だが、そうなる前に水色の魔光剣が男の喉元に突き付けられた。
五メートルはあっただろう男との距離を、言葉通り一瞬で詰めた玲奈が洋刀くらいの長さの魔光剣を前に突き出したのだ。
「チェックメイトよ」
あれだけの戦闘をしておいて顔色一つ変えない玲奈の忠告に、フードを被った男は喉の奥で笑いながら両手を挙げた。
「ククッ、やっぱ強いなアンタは。あの女子高生に負けてねぇよ」
男性にしてはやや高めの声で玲奈をそう評価した男に、玲奈は眼光を鋭くした。
この発言で目の前の魔法使いがあの日の襲撃者であることは間違いないと確信する。
ならば余計なお喋りをしている暇など玲奈にはなかった。
「あなたには色々聴きたいことがある。大人しく捕まりなさい」
脅しとばかりに魔光剣を喉元ギリギリまで突き付けた玲奈の言葉に、しかし男は口に浮かべていた笑みをさらに深くした。
「なにが可笑しいの?」
この場では無意味な男の笑みに、玲奈は内心の怒りを抑え込んで問い質す。
そんな玲奈の声に、男は笑みを消すと暗い声で言った。
「まだ俺はお前たちに捕まるつもりはない。俺の復讐もあの方の目的も達せられてないからな」
「あなたはもう私たちに宣戦布告をしてきている。あの死体はそういう意味なのでしょう?」
その言葉に鋭く言及した玲奈に、男は肩を揺らして肯定した。
「そうか。無事にお前らに見つけてもらえて安心したぜ。まあ、あいつは俺の復讐の対象でもあったし、いずれは殺っていたがな」
どうやらこの男の冷たい殺意はその復讐にあるらしい。
おそらく、この男の心に渦巻く復讐が終わらない限り魔法使いの殺人はこれからも起こるだろう。
やはりこの男を野放しにしておくのは危険過ぎる。多少強引でも捕らえるべきだ。
そう思い身体を動かそうとした玲奈に、男は今まで浮かべていた笑みとは種類の違う残虐性のある笑みを浮かべて言った。
「長話は好きじゃねぇんだ。ここで追われたのは偶然だが、わざわざそっちに出向く手間が省けて助かる」
「・・・・」
黙る玲奈に、男は笑みを保持したまま言葉を続けた。
「ネメシスはお前らに忠告をする」
「忠告?」
「そうさ。お前らにこれから三日の猶予を与えてやる。だからその間までに、お前らが匿っている魔法使いを渡せ。もしそれまでに渡さなかった場合、この街は地獄のような恐怖と苦しみの渦に呑まれるだろう」
男の忠告を聞いた玲奈は頭の芯がすうっと透き通った感覚になる。
目の前の敵の忠告に恐怖を覚えたわけではなく、この男と彼の所属するコミュニティの残虐さに止めどない怒りが込み上げてきたのだ。
もはやこの男は一般人も魔法使いも関係ないのだ。
自分の復讐とあの方とやらの目的のためならば、何人傷つこうが死のうが構わない。
そういう体制をとっているのなら、こちらもそれ相応の対応をしなければならない。
そう思うなり、玲奈の鮮血のように赤い瞳に殺意に近い光が宿った。
人を斬れるのではないかと思えるほどに冷たい声音で男に言い放つ。
「あなたたちのしていることは意味のないただの殺戮よ。復讐なんかじゃない。だから、あなたを捕まえて知ってることを洗いざらい吐いてもらう。あなたが口を開くまで、尋問でも拷問でも何でもするから覚悟しなさい」
「フハッ。言っただろ? 俺はまだ捕まる気はないってよ」
いつのまにか、上に挙げていた腕を懐に忍ばせていたらしい。
笑い飛ばした男の左手が黒く閃き、上に何かを投げ飛ばした。
咄嗟に上空を見上げた玲奈が見たものは、夜空に紛れて回る小さな円筒のような何か。
(閃光弾!!)
炸裂すれば一時的だが確実に視力を奪われる。
魔法使いとしてはやや古典的な方法ではあるが、所詮は人である魔法使いにもその効果はあった。
かなり高く放られたようで、最大まで脚力を強化してもアレが炸裂する前に刀身が届くかどうかは怪しいところだ。
(ならば、炸裂する前に斬り捨てる!)
そう判断した玲奈は、魔光剣の代わりにいつの間にか左手に持っていた日本刀の鞘から剣を抜き放とうとする。
だが、鞘から刀身が露わになるのと同時に目の前から軽い呟きが届いた。
「おっとそれは空瓶だ。こっちが本物な」
そんな男の呟きが聞こえていた時には、剣を鞘から抜き放つ余裕もなかった。
反射的に前を向いてしまった玲奈は、男の右手に太陽のような純白の光を視界に捉えてしまった。
(光魔法ッ!?)
瞬時に男の行使した魔法を解析するが、完全に不意をつかれた玲奈には何もできなかった。
玲奈が対処するより先に、男の手に浮かぶ光が炸裂すると玲奈の視界は純白の閃光に塗り潰された。
深淵のように暗い路地裏が昼間のように明るく照らされ、星々を散らせていた夜空も一部だけ微かに明るくなった。
「くっ・・・!」
超威力の閃光を至近距離から受けた玲奈は小さく呻くが、両目の痛みに構わず鞘から刀身を抜き放つと横一文字に振り抜いた。
振り抜かれた刀身から圧縮された風の刃が男を両断すべく放たれる。
だが聞こえたのはコンクリートが砕け散る音だけで、敵に攻撃が当たった感触はなかった。
突如視力を奪われた影響もあり、玲奈はバランスが取れずに片膝をついた。
そんな玲奈の頭上から、男の高い声が降り注いだ。
「伝えることは伝えたぜ。あとをどうするかはあんたら次第だ。この街の命運は、アークエンジェルに託されたってわけだな」
視力を奪われた玲奈は押し殺された笑いとともに放たれる声を、ただ片膝をついて聞いていることしかできないことに奥歯を強く噛みしめる。
何もできない彼女を嘲笑うかのように、男の生命力は玲奈の感覚から消えていた。
すぐにでも男を追いかけたかったが、視力が戻らない限りはまともな行動もできない。
そんなもどかしさに奥歯を噛み締めていた玲奈の聴覚に、二人分の足音が届くなりすぐに慌ただしい声が路地裏に響く。
「玲奈っ。大丈夫!?」
「あの男はどこに行きやがった!?」
あとから追い付いたらしいましろと昴が焦りながら駆け寄ってくることが想像できる。
膝をつく玲奈の肩に手を置いたのはましろだろう。玲奈の身体に異常が起きていることをすぐに察したらしい。
「ごめんなさい、ましろ。一時的に視力を奪われてしまったので、しばらく肩を貸して欲しいの。それと昴、敵はもう逃げたから少し落ち着いて」
今にでも敵に斬りかかりそうな形相の昴を宥めた玲奈が一言そう断ると、ましろからは何も返ってこなかったが静かに玲奈の身体が持ち上がった。
自分よりやや長身のましろの身体に身を預けたことで、彼女の体が震えていることにようやく気付く。
玲奈を行動不能にした魔法使いの力を怖れているのではなく、抑えきれないほどの激情を必死に抑え込んでいることは聞かなくても分かる。
そんなましろの肩に玲奈は優しく手を触れさせた。
「しかし、逃げたとはいえ玲奈と真正面からやり合って助かるとは、敵もなかなか侮れないな」
行き場のなくなった怒りを忘れるべく、周囲の破損した建物を見て回ることにしたらしい昴がそう言う。
固いものを踏む音に混じりながら届く昴の声に、目が視えない玲奈は口だけ動かして答えた。
「相手は例のコミュニティの一員ですから。油断をすれば簡単に倒されますよ」
「ネメシスか。新田が奴らに目を付けられていることも気になるが、お前にその刀を使わせた敵の力も気になるな」
そう言う昴の視線が、玲奈が手に持つ日本刀へ移るのを感じる。
玲奈の持つこの日本刀は昔の鍛冶屋が打った刀ではない。
また、魔光剣などのように現実世界で誰かが創り出した魔法道具でもない。
この日本刀は、聖具と呼ばれる異世界にのみ存在する特別な武器だった。
聖具の数は未知数。その性質は一つ一つが異なると言われ、これらの所有権を獲得するには聖具を管理する契約者との契約が必要とされる。
玲奈も随分と前にこの刀を管理する契約者と契約を交わしたことで、この武器を手に入れたのだ。
ただ異世界の代物というだけに、現実世界で聖具を顕現させるには相当量の魔力が必要となる。無理に顕現させようものなら、生命力の枯渇により生命活動そのものを維持することができなくなる(つまりは死ぬ)可能性も低くないのだ。
そのため、聖具を顕現させることのできる魔法使いは現実世界でもそう多くない。むしろ少ないだろう。
変換できる魔力量には自信のあった玲奈でも、聖具を顕現させた今ではすでに疲労が伺い始めていた。
そんな状態でも、アークエンジェルとして活動する二人に伝えるべきことは伝えなければならない。
ましろの肩に支えられながらもよく響く声で、二人に男と彼の所属する組織の目的を伝える。
「ましろ、昴。敵は新田君を狙っている。もしも確保ができなさったらこの街の住民を魔法の殺戮の渦へ巻き込むつもりよ。あと三日、もう時間がないわ」
切羽詰まったその声を聞いた幼馴染の二人は、了承さえするもすぐには動こうとしなかった。
その理由をましろの困った声音が玲奈に届く。
「急がないといけないことは分かってるよ。でも、今の玲奈を連れての移動は多分厳しいよ」
現実的な問題を突き付けられ、その問題の発起人となった自分への苛立ちに玲奈は再び奥歯を噛みしめた。
彼女の言う通り、路地裏から出ればそこが安全地帯とは限らない。
人払いを使われてしまえば、その空間には敵と玲奈たち三人だけが対峙することになるのだ。
そうなってしまった場合、視力を奪われ体力すら消耗している玲奈は確実に二人の邪魔になる。戦えないのだ。
「ま、じきに救護隊も来るだろうし、話は落ち着いてからでも大丈夫だろ。それに言われるまでもなく結論は出てる」
どうやらアークエンジェルの救護隊に連絡を取ったらしい昴がいつもの飄々とした声で言う。昴は敵に新田裕紀を渡すつもりは微塵もないらしい。
「それはそうですが、しかし期限も長くはないわ。早急に対処法を考え出さないと・・・」
玲奈も裕紀を渡すつもりはない。だが、その後に起きてしまうだろう事態の対処はとても一人では決められなかった。
敵から与えられた猶予は、玲奈の思っている以上の圧力を彼女に与えている。
二日後にはこの街で大きな事件が起こるというこの事態は、まだ大学生の玲奈一人の力ではどうにもできないことだった。
「焦らないで! て言うか、焦っても事態は何も変わらないよ」
普段は冷静を保てているが、こういう緊急時にどうしても緊張してしまう玲奈とは違いこの二人は落ち着いていた。
そんな幼馴染の対応を見習い、玲奈も深呼吸をして気持ちを落ち着かせる。
気持ちが落ち着いたら次に何をすべきなのか明確な回答が浮かんできた。
「ましろはこの場に残って救護隊と合流し魔法の痕跡を消して。昴は私を連れてアークエンジェル本部へ行ってください」
「新田はどうする? 何も知らないあいつは時間通りに寺に直行だろうが」
幸い、問題の新田裕紀は敵が狙っていることを意識している。本人も注意を払っているだろうが、どうやら敵は本気で彼を狙っているらしく、どんな手を使ってくるか予測は難しい。
だからと言って裕紀の現在位置がわからない以上、自分たちがどこへ向かえば良いか分からなかった。
ならば玲奈たちが取るべき行動は一つだ。
少しばかり危険ではあるが、多少の危険は本人の対応力に賭けるしかない。
素人なりにも魔光剣を用いて戦えているので、戦闘に関してはさほど不安にはならなかった。
玲奈は頭の中でまとめた作戦を伝えるべく、救護隊と連絡を取っていたましろへ声を掛けた。
「ましろ。救護隊と合流後、あなたは私の家に向かって。そこで新田君と合流して彼を本部へ案内して欲しいの。なるべく敵に見つからないよう、手早く正確にお願い」
「了解! 手早く正確にね!」
ビシッと敬礼の気配を感じた玲奈は微かに笑みを浮かべると昴へ言う。
「相手にもこちらにも時間はない。早く動いたもの勝ちよ」
「おーけー。そんじゃ本部へ向かいますか」
昴からそんな応答が返った途端、ましろに支えられていた玲奈の身体が誰かに持ち上げられる。
右腕と両足の膝裏に腕の感覚を感じて、どうやら自分はお姫様抱っこをされているのだと気付く。穿いているのがスカートではなくジーンズで良かったと何となく思う。
別に立てないわけではないのでこの動作は不必要この上ないし、玲奈本人からすればとても恥ずかしい。
それでもこんな状況に陥ってしまったのは自分自身の力のなさ故なので、抵抗する代わりに背筋が凍るほどの冷たい声で低く警告した。
「次にこんなことしたらタダじゃおかないから」
「待て、これは不可抗力だろ」
「そんなこと関係ないわ」
目の前で二人の姿に笑いを堪えていたましろを他所にそんなやり取りをしてから、昴は溜息を隠すように転移魔法を発動させた。
「バードテレポート」
長距離移動用魔法の詠唱後、昴の身に着けていたネックレスから光が溢れると二人の姿は消え去っていた。




