特訓と、二度目の異世界(7)
不穏な空気に包まれた朝とは一変して、普段通り落ち着いて授業へ臨んだクラスメイトたちは、午前中最後の授業を受け終わるなり各々の昼休みを迎えていた。
今朝話された連絡については生徒たちもすぐに対策できる術がないと感じていたのか、もう気にしていない様子だった。
一部の生徒は不安そうにしていたがその辺りは長谷川たちに任せておけば自然と柔和されるだろう。
殺人事件に関する連絡は以前萩原恵が言った通り、先日の裕紀が襲われた一件も含めて放課後前に話されるということになった。恵曰く、朝礼での連絡はあらかじめ生徒たちに知ってもらうことで集会中の騒ぎを小さくするための処置らしい。
そんな先生たちの思惑通り、連絡を受けても気持ちを切り替えていった他の生徒たちが不安そうな友人に声を掛けたりしている。この調子では今日の集会までには落ち着くだろう。
あの生徒会長率いる生徒会も活動しているのだから、まず朝の悪しき雰囲気を引っ張り続けることはない。
気持ちを颯爽と切り替えた生徒に入る裕紀も、今日は良く晴れた日だったのでチャイムが鳴るなり購買でパンを三つ買うと中庭の植木の下へ向かった。
やはり冬の寒気は肌寒かったが、太陽からの日射しがほんのり暖かく心地よい。
そんな中で食べる昼食は美味しかった。
まるでピクニックにでも来ているような気分になれる。
ただ、思考までそんなお気楽な雰囲気になれるはずもなく、カレーパンを齧りながら今朝クラスメイト達に自分が言い放った言葉を振り返っていた。
光から話を振られたときはどう答えたら良いものか迷ったが、いざ言葉を並べてみると不思議とそれらしいことは言えるものだ。
勢い余って「犯人は俺が必ず止める」などと言いかけてしまったときはどうなるものかと思いもしたが、そこはなんとか誤魔化すことができた。
(必ず捕まる、か)
何と無責任な言葉だろうと、自分で言っておきながら思う。
今回の殺人が一般常識的なそれとは違うことを裕紀は知っている。当然、この街の治安を維持するべき警察も役には立たないだろう。
戦闘となっても相手が魔法使いの犯罪者となっては一般人ではもう取り押えることすらできない。むしろ犠牲が出る可能性の方が高いはずだ。
飛鳥曰くこの一件の戦いに終止符を打つ存在らしい裕紀も、昨日今日の特訓でもあまり良い手応えを感じていない。
遅くとも一週間で魔法をきちんと扱えるようになるのが特訓の目的だが、逆を言えばその間はあの魔法使いが自由に動けるということだ。
魔法使いたちに掛けられた規制もあるので大々的に魔法を使うことはないだろうが、放火に続き殺人というところまで事態が進行してしまえば、これで犯行が終わりなどと呑気な考えはしない方が良いだろう。
人払いという一般人の意識から自分たちの存在を空間ごと隠す隠蔽魔法があることから、魔晶石さえあれば現実世界でも魔法使いは不自由なく魔法を使うことができる。
あのアークエンジェルのメンバーたちが何も手を打たないわけがないが、これ以上の被害や犠牲は出したくない。
何が目的なのかは不明だが、より確実に犯人の計画を阻止するためには、一人でも戦える戦力が欲しいと思えた。
デザート用に残しておいたチョココロネの最後の一欠片を口に頬張ると、牛乳を飲んでから芝生の上に寝転ぶ。
寝転ぶなり身体を伸ばし、空を見ながら一人呟く。
「どうしたものかな」
そう遠くない未来を憂いた呟きは、すぐに校舎から届く賑やかな声に掻き消されると思っていたのだが。
「なに深刻そうに呟いてんのよ? 誰かを困らせるようなことしたの?」
質問として返ってきた声に、裕紀は瞼を閉じながら難しそうに言う。
「困らせるっていうか、行き詰ってるというか。そういえば、あいつの誤解も解かないといけないんだよなぁ。瑞希だから分かってくれるとは思うんだけど」
「なんかその言い方ムカつく。・・・まあいいわ。じゃあ、餡蜜亭の宇治抹茶パフェ奢ってくれたら許してあげる」
「それって最近モールでオープンしたって噂の」
すぐに返ってきた提案に対して特に気にせず答えていた裕紀は、ようやく此処には自分以外の誰かがいることに気づいて口を閉じる。
閉じていた瞼を開けてそっと声の方向へ頭を傾けると、そこには植木の側でうさぎ柄の可愛らしい弁当包みを片手にニマニマと笑う女子生徒が立っていた。
相変わらず跳ねっ毛が目立つ、常時百二十パーセントで行動中とでも書いてあるかのような、活発そうな表情。ぱっちりした目はニマニマ笑いのせいで細められているが、その奥の瞳はきらきらと潤んでいる。
裕紀の親友の一人で、ただいま絶賛誤解を招き中な女子生徒。その名も上原瑞希である。
「いつの間に!?」
咄嗟に起き上がり後ろを振り向いた姿勢で驚きの声を上げた裕紀の反応に満足したのか、瑞希はニマニマ笑いをひまわりのような笑顔に変えて隣に座る。
どうやら弁当はクラスの女子と食べてきたらしく、邪魔にならない芝生の上に包みを置いた。
昼休みの残り時間、裕紀はまたしても女子と並んで座っている。
この状況は二度目だな、と内心思ってから、そういえば魔法は使ってないよな、と今更な事実に辿り着く。
あれは三日前のことだ。
生徒会長からの一方的な追求をされた日の昼休みに、中庭で一人昼寝をしていた裕紀の側に彩香が座ったのだ。
そのときは例の隠蔽用の魔法、人払い《ハイド》を発動させていたので一般人である全校生徒にはあの時の二人の姿は認識されていない。
だが今日はそんな便利な魔法を使える魔法使いは居ないので、瑞希と裕紀の姿は校舎から丸見えだった。
しかも、事もあろうに瑞希は彩香以上の行動を取り出した。
「あーあ。あたしも昼寝しよーっと」
ん? と状況の整理が追い付かない裕紀の隣で、瑞希は伸びをしながら体を芝生の上に転がした。
言葉通りの昼寝である。
両者の距離は一メートルあるかどうかか。
そんな距離感でそこそこ可愛い女子生徒に寝転がられた時の緊張感は、犯罪者の魔法使いに襲われたときとは勝るとも劣らなかった。
もっともこちらの緊張感の方が平和的で全然マシなのだが、物事には時と場所を考えなければならないことがあるだろう。
彩香の時も緊張したが、今回に限っては中庭を覗く生徒たち全員に見られている。
まだ誰にも見られていない方が、羞恥心がないぶん少しは心が落ち着くというものだ。
「あ、この芝生の上って以外と気持ち良い」
そんなことを一ミリ単位も考えずに呑気なことを言った瑞希に、裕紀はバレないように若干距離を開けて聞いた。
「あの、瑞希さん? この中庭校舎から丸見えですよ?」
「そうだね~。この中庭ってほとんど周りから丸見えだよね」
冷静に状況を知らせた裕紀の言葉を、すんなりと解釈して受け入れた瑞希の回答に裕紀は違う話題に変えようと考えた。
こうして本人が何も気にしていない様子を貫くということは、もはや何を言っても無駄なのだ。
そこで、こうなる以前にまんまと瑞希の良いように話に乗せられていたことを思い出した裕紀は、そのことについて言及した。
「瑞希、さっきのは何だよっ? そりゃ、誤解を招いたのは俺だけど、餡蜜亭って高いだろ!?」
餡蜜亭とはここ最近駅のモールでオープンした甘味屋のことだ。
甘い物好きのエリーからの情報 (もちろんネットだ)では、和洋中のデザートがメニューにあり、しかも持ち帰りもできることで話題を呼んでいるらしい。
ただ、少しばかり高校生のお小遣いではお高い値段となっており、買えても精々どら焼きやクッキーといった茶菓子程度だ。
そんな金額設定でパフェを奢るとなると裕紀の財布が破綻してしまう。
こう見えても、学校の許可を得て複合マンション内で設営している食品スーパーでバイトをしている裕紀であるが、月々自分が自由に扱えるお金など限りがある。
ここで全額を使い果たすようなことが起こってしまえば、金髪研究者もろとも一ヶ月はひもじい生活となるだろう。
そうならないよう真剣に抗議をした裕紀に、瑞希は明るく笑いながら言った。
「あははっ。パフェは冗談だよ! じゃあ特別大サービスでスペシャル抹茶ケーキにしてあげる」
「それもそれで高そうだけどな・・・」
そう言うものの、そもそも誤解を招き瑞希を不快な気持ちにさせてしまったのは事実だ。
ここはどんなに高くてもケジメをつけるのが男だろう。
それに、こんなに楽しそうな瑞希をがっかりさせることは裕紀にはできなかった。
「わかったよ。今月のバイト代入ったら奢るから」
「そっか。じゃ、楽しみにしてるね」
にぱっと眩しいくらいの笑顔を向けてくる親友に、裕紀も小さく微笑みを向けた。
それからしばらく二人とも別々の事をしていると(主に瑞希は昼寝。裕紀は余計なことを考えないようぼんやりと思考を停止させていたが)気づけば昼休みもあと少しで終わりのようだった。
確か午後の最初の授業は移動教室だったはずだ。
そのことは瑞希も承知していたらしく、充分な睡眠時間は確保したのかムクッと上体を起こすと気持ちよさそうに背伸びをした。
「う~ん・・・、よく寝た~」
「授業の支度とかもあるし、そろそろ戻ろうか」
欠伸をする瑞希へそう言って裕紀は立ち上がり、瑞希も包みを持って一緒に立ち上がった。
大きな欠伸をしながら隣を歩く瑞希を横目に校舎へと続く中庭の通路を歩く。
頭の上に登っている太陽からの陽射しが暖かく心地よい。
天気の良い日は中庭にいることは裕紀にとっては変わらぬ日常だが、こんなにも平和に感じられるのは今まで緊迫した状況が続いていたからだろう。
これから更なる緊迫感や苦痛に見舞われると思うとこの時がずっと続いて欲しいと切に思う。
だが、そうなってしまえば彩香を助けられないどころか関係のない人にも被害が及んでしまう。
自分が楽をする代わりに周りが苦しむことはきっと見ていられないだろう。
「裕紀くん、最近無茶してない? 困ったときは相談してね。親友でしょ、あたしもあの脳筋バカも」
そんな気持ちが隠しきれない雰囲気のようなものとなって伝わっていたのだろうか。
唐突に放たれた瑞希の言葉は、裕紀の心情を見抜いているかのようだった。
しかし、その言葉が今の裕紀には的を射ていた為に答えようとするも息が詰まり声が出なかった。
自分がどんな表情をしているのか、想像すると少しばかり恥ずかしい気もするので、裕紀は瑞希に見られないよう前を向いて返事をした。
「ああ、そのときは頼むよ」
そう返答された瑞希からは何も反応はなかったが、ほんの微かに微笑みの気配を感じられることはできた。
昼休み終了後から裕紀にとって良かったことが一つ。悪かったことが一つある。
一つは昼休みから帰ってきた裕紀と瑞希の仲がいつの間にか解消していることに、二人の親友の光は安心してくれたことだ。
瑞希はそんな光に大袈裟だなぁ~、などと言って肩を叩いて見せた。いつも通りの反応を示している瑞希の傍らで、裕紀は友達思いの親友に微笑みを返した。
そして悪いことは、案の定、中庭で瑞希と並んで昼休みを過ごした時に裕紀が危惧した予感が見事に的中したということだ。
こうなることは覚悟していたが、次節耳にする中庭のカップルという噂は心臓に悪い。
その噂を聞いた光に物凄い剣幕で事情を問いただされたが、瑞希の協力もあってか、今朝の誤解を解消するためと説明すると渋々納得してくれた。長谷川からひと睨みくらいは来るかと思ったのだが、そういうことは一切なかったことは幸いだ。
昨日のようなもめごとは金輪際起こしたくはない。
ただ校内一の美女と仲良くしながら、学年ではそこそこ人気のあるらしい女子生徒にも手を出したということで、男子生徒でまた敵が増えた気がする。
どちらも目撃されたシチュエーションを考えるとそう思われても仕方がないのだが、そんなつもりはなかった裕紀としては困った問題でもある。
ただ、生徒会長のようなトラブルも起こらずに午後の授業も何事もなく進んでくれたのはありがたい。
全ての授業が終了してから体育館で行われた全校集会も、生徒指導である飛鳥のきりっとした注意事項、この学校の生徒会長と校長先生の挨拶が終わると閉会となり、放課後になると生徒たちはそれぞれ帰宅の途に着いた。
さすがに近場で殺人事件があったことを知らされて遊び歩く人は少ないようで、ほとんどの生徒が大人しく帰ることにしているようだ。
まあ、単に集会直後でそんな大胆な行為をする生徒がいなかっただけでもあるだろう。飛鳥にでも見つかれば、その生徒には同情の眼差しだけを向けるしかない。
放課後にはエリーの研究所へ向かうこととなっている裕紀も、できるだけ早く現地へ向かいたかった。あの人気のない暗い道を歩くのには、いくら男子といえど勇気がいるだろう。
そのため、親友二人の帰宅の誘いを丁重に断った裕紀はやや早歩きで新八王子駅へと向かった。
帰宅ラッシュで混み合う歩道は、いつもより学生の比率が多い。萩下高校以外の学校も部活や課外活動をやらせずに下校させているようだ。
部活をやっており普段下校が遅い学生は、この襲い来る人の波に苦戦しているようだ。
もう三度目となればぎこちなさはあるがスムーズに歩けるようになった裕紀は、同じ目的地へと向かう人々の合間を縫うようにして歩いて行く。
いつもより早めに駅に着いた裕紀は、北八王子駅経由のモノレール線の改札口へ直行すると、車両の予約と申請を済ませてから出発直前の車両に乗り込んだ。
夕方の時刻で出発ぎりぎりまで予約も申請もされていないモノレールがあることはあまりないので、一人シートに座ると裕紀は内心拳を握る。
数分経ってから、出発時刻となった車両が音もなく走り出す。
駅の構内から外へ走り出したモノレールから見える八王子市の夜景は素晴らしかった。
都心近くと比べてビルも商業施設も少なく、観光地らしい場所もあまりない街だが、住宅街は多く人々が幸せに暮らせていることが伺えた。
観光地といえば、夢の丘公園が山の麓にあり休日は多くの観光客が訪れている。
何でも園内に建てられている塔の鐘を鳴らすと鳴らした人の願いが叶うとか。恋人ならば二人の恋が結ばれるとかなんとか。
彼女がいない裕紀とは無縁なロマンチックな噂があるらしい。
都心近くの街と比べれば八王子市の街は小さいものだが、それでもこうして一人の人間が見るととても大きく見える。
その街で命のやり取りが行われているなどとは、数週間前の自分では考えられなかったことだ。
魔法使いも一般人もこの街からすれば一人の人間に変わりはない。
本当なら、魔法の存在を隠すことをせず互いに解り合うことも出来たのかもしれないが、そこには裕紀の知らない事情があるのだろう。
魔法使い同士こうして殺したり殺されたり、大切な存在を奪ったり奪われたりしている。
そんな世界の現実を知ってなお、裕紀はこうして自身も戦いに身を投じようとしている。
玲奈は裕紀に才能があると言った。
飛鳥も言葉は違えど同じようなことを言っていた。
もしも、裕紀に魔法使いとして大きな才能が秘められているのなら。
そして、それを開花させることができたのならこんな争いを止めることができるのだろうか。
少なくとも、自分の大切な存在が目の前で傷つくようなことを無くせる可能性は大きくなるだろう。
裕紀が望んでいることは、大切な存在を守りたいということだけだ。
別に人殺しがしたいというわけではない。
(俺は、本当にあの男と戦うことを望んでいるのか・・・?)
目の前で彩香を奪ったあの男のことは許せない。彩香が重傷を負ったときは憎しみの余り周りが見えなくなってしまったほどだ。
玲奈が止めてくれなければ、あの場で男の命を奪っていただろう。
人殺しをしたことのない、平和な世界で生きてきたこの手で。
だが、もしも裕紀がそんな憎しみだけで相手を殺してしまうのなら、裕紀もあの犯罪魔法使いと同じになってしまう。
夕日に染まる街並みを眺めながら、自分の本心がこの戦いにどのような結末を求めているのか考えていた裕紀の聴覚に、北八王子駅到着のアナウンスが車内に鳴り響いた。
新八王子駅と比べれば規模も施設も最小限の造りの北八王子駅に着いた裕紀は、パスを改札口に翳して納金するなり研究所へ向かった。
エリーから借りたままのロードバイクがまだ学校に置いてあることを今更思い出すが、これから学校に戻るなどという面倒なことはしたくない。
彼女には悪いがもうしばらく借りさせてもらうとしよう。
エリーも滅多に外へは出ないので、特に迷惑というわけでもないだろう。
勝手な解釈をしてから研究所の柵を押し開き、数多の認証システムが待ち構える入り口へと歩く。
もしも転移魔法を使えば、この面倒くさい手間を一気に省いて建物の中へ入れるかもしれない。
一瞬だけそんな思考が裕紀の脳裏を過ぎったがすぐに却下する。
まだ魔法をきちんと扱えない裕紀が魔法を使えばどうなるかはここ数日で散々思い知らされている。
制御できずにリオデジャネイロ辺りまで飛ばされでもしたら、一人で帰る術はどこにもない。
それに、もしも転移先にエリーが居てまた目撃されるようなことがあれば、さすがに魔法の存在を勘付かれそうだった。
なので、転移魔法は諦めて一つ一つのセキュリティを突破していこうと決意したときだった。
「ああ、そんなまさか・・・」
背後から何故か感動しているような呟きが聞こえてくる。
まるで帰ることのないはずの夫なり彼氏を目撃した時の、妻か彼女のような反応だった。
(というか、こんな場所に来る人なんて・・・)
俺とエリーくらいだよな?
背後からの呟きに自問自答した裕紀は、次の瞬間猛烈な弾力に背後から押し倒された。
突然の出来事に戸惑うだけの裕紀は、無抵抗のまま顔から地面に倒れると、顔の側面を強く打ち付けてしまった。
「ぐっ、な・・・だれ、だ・・・?」
急な衝撃に意識が遠くなり、たった一言そう呟くと完全に視界がシャットアウトした。




