異世界(3)
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是非、読んでみてください。
放課後、部活のない生徒たちを眺めながら裕紀は校門の片隅で一人立っていた。
今頃、光と瑞希はそれぞれの部活動に参加していることだろう。頑張っている二人の姿を想像すると、何故だか胸が温かくなる。
しかし、それでも身体は暖まらないのか、冷たい風に晒された裕紀は寒さのあまり紺色のマフラーを首元まで上げた。
季節はもう冬だ。午後五時を過ぎるとすでに日が沈みかけ、太陽が空をかすかに紫に染めていた。夜になれば外の空気はさらに冷え、風には氷のような冷たさがあった。
そんな時期でも容赦なく部活動が行われているのは今も昔も変わらない。
また、この時代でも時期に関係なく課外活動や部活動は盛んに行われており、この高校もいくつもの運動部や文化部が全国大会などに出場して様々な成績を残している。
そして、各企業や大学などの評価点において部活動在籍中の実績が少なからず関わってくることも昔とあまり変わらないだろう。
そんな現状で部活動に参加しない生徒もいることもまた変わらない風景だった。
ちなみに言うと、裕紀も帰宅グループの一人だった。
ただ、部活動に参加しない理由が他の生徒たちとは少しばかり異質だった。
いきなりだが、裕紀は幼い頃に身体能力が遥かに大きく上昇し始めるという不思議な現象を体験したことがある(無論現在まで少しではあるが上昇を続けている)。
研究者曰く、その上昇率は同年代の男子と比較すると医学的にも科学的にも信じられないほどの数値らしい。
異常ともとれる自身の身体の変化に戸惑った裕紀は、色んな学者に相談したのだが結局解明できなかった。
そのため裕紀は、小学校高学年から知り合った親代わりの研究者と一緒に日々の研究に勤しんでいる。
本来なら今日も泊まりで研究に協力するはずだったのだが、今日は後回しにできない予定が入ってしまった。
ただし、協力してくれている研究者には先にメールで報告し了解を貰っているので、少しばかり懸念すべきことはあったが、この要件が終わるまでは研究のことは意識しなくても良い。
「それにしても遅いな。いったい何やってるんだか」
一際強く吹き付けた寒風に身を震わせながら裕紀は小さく呟く。
そもそも裕紀がこの寒い中一人で待たされているのは、体育の時間に柳田彩香から呼び出されたからだ。
基本的に裕紀から彩香へ話し掛けることはなく、またその逆も然りだったので、二人きりで話したい内容が何なのか気になってしょうがない。
孤独感と冬の寒気に耐えながら、何を話されるのか気にしながら学校終了からずっと待っていた裕紀は、内心では相当そわそわしていた。
まあ、普段より遅めに終わったホームルームからまだ十分しか経っていないので、遅すぎるということはないのだが、せめてもう数分早めに来てくれるととてもありがたい。
(しかし、あの柳田さんが俺を呼び出すなんてな。あまり悪い終わり方はしたくないよな)
裕紀と彩香が対決じみたことを始めてからというもの、互いに会話をしてこなかったというのにいきなり話したい事とはなんなのだろうか。タイミングからして体育の対決についてなのだろうが、彩香が直接赴いて話し掛けてくる理由がない。
なら、あとは半年以上続いたこの対決に決着をつけるためということだろうか。
(でもあいつ、笑ってた……よな?)
踵を返す寸前、見間違いでなければ彩香は微かに微笑んでいた。あの笑みにはどんな意味があったのだろうか。
裕紀には勝利を確信した時の微笑み、とはまた違う笑みのような気がしてならない。
では、もっと違う意味があるのだろうか。二人きりで話したいと言っていたなら、これから話される内容と直接関係があるのか。
考えれば考えるほど頭がごたごたしてしまいそうなので、裕紀はこのことを考えることを止めることにした。
本当に何をやっているのか、呼び出した本人はまだ校舎から出て来る様子はない。
このまま待っていてもただ暇なだけなので、裕紀はさっきの体育の時間での出来事を脳内再生することにした。
今からおよそ三十分前。グランドで彩香に呼び出しを受けた後のことだ。
いきなり裕紀を放課後に誘った彩香の意図が分からずもやもやしていた裕紀に、隣でやや放心状態だった光がいきなり言葉を放ったのが切っ掛けだった。
「これは、ついに来たな!」
「「……は?」」
急に目の色を変えて言った光に、裕紀と瑞希は鬱陶しそうな視線を向けてそう言った。
何がどう来ているのかよく分からない発言を言及したのは、下級生でも相手にしているかのような表情の瑞希だった。
「なーに? 何が来たっていうの?」
口調もどこか幼子を癒すような緩いものに変えて言う瑞希に、光は完全に興奮している調子で言葉を続けた。
「何って、決まってんじゃんか。恋だよ、恋! 競い合って行くうちにいつしか恋愛感情が芽生えたっていうああいうのだよ!」
放たれたその言葉に裕紀と瑞希の瞳から光が消えた。その代わりに呆れたような、悲観しているような光が宿る。
ひんやりとした瞳で光を眺めながら、瑞希の口から気落ちした平坦な声が零れた。
「少しでも良い案を期待した、あたしがバカだったわ」
「えっ!?」
平坦な声音で言った瑞希に、光はショックを受けたように振り向く。
「冗談も度を過ぎれば可哀そうになるな」
同じく平坦(被害者であるため更に抑揚がない)な口調で言う裕紀にも視線を向ける。
「いや、そんなつもりじゃないって。ほんと冗談だって。だから許してくれよー」
予想以上に評判の悪い冗談を放った張本人は、二人の冷たい感想に涙目になりながらそう詰め寄った。
そんな光をひらりと躱しながら、裕紀は口元に手を当てながら言葉を零した。
「恋愛とかそういうのはなしとして、柳田さんが俺と話したいことってなんだ? 全然、心当たりがないんだが」
「さーねー。まあ、どちらにせよ女の子の呼び出しにはしっかり応えなきゃだめよ? 無視するのは男としてサイテーだからね」
ウインクと一緒に遠まわしに必ず行けと言われた裕紀はただ苦笑するしかない。
確かに瑞希の言う通り、女の子の誘いを受け入れたにも関わらず放って置くのは論外だ。かと言って、今更断りに行くのも相手が相手なので難しいだろう。
だとしたら、細かい事情はどうあれ呼び出しに答えるのが最良の選択というやつだ。
「仕方ない。誘いを受けたのは俺だもんな。どんな結果になろうとも行ってくるよ」
笑いながらそう言った裕紀に、瑞希はウンウンと頷き、光はにかっと笑いながら背中を叩いた。
そんな会話の結果、こうして校門の前でぽつりと待っているのだが、やはり彩香が裕紀を呼び出した理由が気になってしまう。光の言った通り恋愛感情云々の話ならば、裕紀の心情はかなり複雑なものになってしまうだろう。
そんなことは、まず間違いなくないだろうが。
もしも彩香との関係が、いがみ合うような関係ではなかったら、恐らく今の裕紀は今以上にそわそわしているだろう。
学校中で人気のある綺麗な女子生徒と待ち合わせるということはどこか夢のある話だ。それは小説や漫画の中の出来事で、自分自身にそんなことが起こるとは思ってもいなかった。
それ故に、これから何が起こるのかむしろ不安になってしまっていたのかもしれない。
どうあれ、いったい何を話されるのか気になってしまうことは同じことなのだろう。
そんなことを考えていると、学校の昇降口から出て来た一人の女子生徒に視線が止まった。
この時間帯だからか、昇降口からは部活が早終わりの生徒や居残っていた生徒が帰宅するために数多く出て来る。
女子生徒はその集団の中でも一際目立っていた。決して派手な服装や外見をしているわけではない。どちらかと言えば鞄などにキーホルダーを付けていたりする周りの生徒よりも地味だった。
では女子生徒の何が裕紀の視線を留めたのかというと、彼女の容姿と只者ではないという雰囲気だった。
遠目から見てもそれが誰だかはっきり分かるほどの容姿の持ち主も、裕紀を見つけるとゆっくりとこちらへ歩いて来る。
制服の上に亜麻色のカーディガンを羽織り、首には栗色のマフラー、両手には同色の手袋を身に着けた完全防寒姿の彩香は、校門前で立っていた裕紀の目の前で立ち止まった。
さらさらとした栗色の長髪とマフラーを風になびかせながら目の前で立っている彩香の瞳を裕紀は正面から見て声を掛けた。
「ずいぶん遅かったな。遅すぎて、約束すっぽかされたのかと思ったよ」
言った途端、裕紀は内心でしまった、と冷や汗を流しながら思う。
半年間、溜りにたまったフラストレーションのせいか我知らずに口調がからかうようなものになってしまったのだ。目の前の真面目な女子生徒が、自ら誘っておいて約束を無視するような性格ではないことくらい分かっているにも関わらず。
案の定、裕紀の言葉を聞いた彩夏は少しむっとしたように眉を顰めた。口元までマフラーを持ち上げると、ぷいっとそっぽを向きながら口を開いた。
「呼び出しといて遅れてしまったことには謝るわ。でも、すっぽかそうとなんて一ミリも考えてなかったから。ただ部活の先輩に呼ばれていただけよ」
視線を別の方向へ向けてはいるが、彩香が嘘をついていないことは何となく分かった。
なので小さく微笑んだ裕紀は、逆に彩香から訝しむような視線を向けられてしまう。
微笑んだ理由としては、ほとんど反射に過ぎない。いきなり挑発口調で裕紀に問いただされた彩香が怒り出すのでは、と思ってしまっていたのだが、そうではなかったので安心したのかもしれない。
「いや、ごめん。つい言葉遣いが柳田さんを挑発するようになって、怒られるかと思ってたんだ」
そのことを誤解されないように裕紀は謝罪と共に事情を話すと、彩夏は瞳から訝しみの色を消してくれた。
「そのくらいで怒ったりしないわよ。それより、どうして私のことをすぐに信用できるの? 本当は呼び出しただけで本人は来ない陰湿なイタズラだったり、とか考えなかったの?」
今度は不思議そうにそう尋ねられ、裕紀は目を二、三回瞬かせて言った。
「お前そんなこと考えてたのかよ?」
だとしたら相当に腹黒な女子生徒だ。明日にでもその容姿の裏にはとんでもない素顔が隠されていたことを全校生徒中に知らせなければなるまい。
などとできもしないようなことを考えていると、裕紀の言葉を聞いた彩香は慌てたように弁解した。
「そんなこと考えてないって言ったでしょ!? 部活の関係で遅れたって……」
「じゃあ問題ないな」
「え?」
話の続きを明るい調子で遮られてきょとんとしている彩香に、裕紀は優しい口調で言った。
「ここに来てくれたんだ。そんな陰湿なことを考えてないことは、それだけで証明されるだろ?」
「うっ……」
真っ直ぐな瞳で目を合わせられた彩香は返す言葉がないのか悔しそうに口を閉じた。
そう言えばこれはある意味彩香に一杯食わせてやったのではないだろうか。
この際、言い合いも勝負に含めてしまえばこうして彩香に二の句を続けさせなかったのだ。
初めての勝負に勝った喜びで内心ガッツポーズを取った裕紀に、彩香は頬をほんのり赤く染めて怒鳴った。
「そ、そんなことはどうでも良くって! 時間がないんだから早く行くわよ!!」
何故か怒鳴りながら隣を通過していく彩香に裕紀は慌て尋ねた。
「え、おい。ここじゃ話せないことなのかよ!?」
「外は寒いでしょ。どこか落ち着いた場所で話したいの!」
「あ、ああ。そっか。寒いもんな、外は」
さすがにこの季節に外での立ち話はつらいものがある。
待っている時間込みで太陽はすでに半分以上が山に沈んでしまっている。
そろそろ非部活動組の生徒の下校も少なくなり、忙しなく校門を通過して行く生徒たちと混じって彩香は早足で歩き出した。
突然怖くなった彩香に気圧されつつも調子を戻した裕紀は、遠ざかる彩香の背中を急いで追いかけた。