特訓と、二度目の異世界(1)
玲奈が所属するコミュニティ、アークエンジェルの仮メンバーとして受け入れられた裕紀は、早速師匠の指示した通りの特訓を始めていた。
玲奈から出された最初の課題は三十分間の瞑想。それから三十分間、自身の生命力だけを用いたトレーニングだった。
玲奈曰く、自身の生命力を自在に操れるようになることは、魔法使いにとっては全ての基本となる技術らしい。
これをマスターすれば魔法を使う時に無駄な魔力変換をしてしまうリスクが減り、また、自身の身体を強化したり物体そのものに干渉することができるらしい。更には他の魔法使いの生命力を感知することもできるのだとか。
ただし、操るのはあくまでも自身の生命力なので転移魔法のように魔力を必要とする魔法は扱えないらしい。
何も知らない者が聞けば実感が湧かないだろうが、偶然にもこの二つを体感した裕紀は少し考えてから玲奈の言っている内容を理解することができた。
瞑想はなるべく集中力を上げるために道場の隅に移動して行う。道場自体が大きく広いので、隅となると他の魔法使いの姿は小さく見える。
とは言え、同じ道場で特訓を行う先輩たちも各々の技を鍛えている。お嬢こと玲奈の指導下にあるせいか広く大きなホールに気合の入った全員の声が絶えず響き渡っている。
そんな環境で、精神を統一し気を静める瞑想をやるなど難易度はかなり高かった。が、そんな環境下でも、あまり長時間じっとしていることが苦手な裕紀はいつも以上に集中してこの瞑想に挑んでいた。
傷ついた彩香やこれ以上大切な人たちを傷つけないためにも、一日でも早く習得しなければならないという思いは強い。
それでも、特訓をしているのは裕紀自身であり、少しずつでも今までの自分から変わりつつあることが楽しみでもあった。
そしてこの道場を訪れて、コミュニティ《アークエンジェル》のメンバーと共に特訓を始めてから三回目の瞑想で、裕紀は一回目と二回目以上の手応えを感じていた。
瞳を閉じているので視界は暗く周囲の状況も把握できないが、裕紀は断固として目を開けることはしない。
瞼を開けてしまえば、今の集中は完全に途切れてしまうという自信があった。
最初に言ったように、生命力を操ることは魔法使いにとって全ての基本となる技術だ。
しかし、今の裕紀には魔法使いとして必要最低限習得すべきこの技術が習得できていなかった。
自身の生命力をコントロールするためのポイントとしては気を静めることが一番らしい。
自身の生きる力を騒ついた心で簡単に操れるということは不可能なのだ。
裕紀もそれは一理あると思えた。
最初は別の特訓に励む魔法使いたちの気合が凄まじく、三十分間の瞑想に集中できずに後のトレーニングがボロボロだった。
だが、繰り返し行えば自然とコツが掴めるようになり、午後十一時を回った今では周囲の声は裕紀の意識から遠ざかっていた。
その代わり、裕紀は自分の心臓の鼓動を明確に聞くことができていた。もっと深く意識を向ければ、自身の体を巡る血液の流動すら聞き取れるのかもしれない。
(もっと、もっと意識を集中させろ。俺の血から、吐息から、細胞一つ一つから溢れ出す幾万の生命力を体の中心に集めるんだ)
初心者特有のビギナーアズラックというものかもしれないが、それでも構わずありったけの集中力を振り絞る。
釣り糸よりも細い集中という極細の線を少しずつ束にする。
「もっと、もっと、もっと」
更に集中を高めるために口に出してブツブツと呟き出した裕紀の声すら、薄い壁一つ挟んでいるかのように遠くに聞こえた。
そして、集中の線は徐々に徐々に束となり、裕紀の意識は海底に沈むように降りていた。
「もっと、もっと、もっと、もっと・・・」
「・・・き。新田裕紀」
どのくらい目を閉じてブツブツと呟いていたのかは正直分からない。
だが、様子を見に来たらしい玲奈に竹刀で軽く頭を叩かれたことで意識は完全に水面まで戻された。
どうにか頑張って束ねていた集中の糸は、その瞬間ほろほろと解けてしまった。
「せっかく上手く出来ていたのに、何するんですか!?」
好調だった弟子からの苦情に表情一つ動かさない玲奈は、右手に持つ竹刀でホール中央の時計を示した。
つられてアナログの時計を見た裕紀は目を見開いた。
裕紀が三度目の瞑想を始めたのが十一時なのに対して、現在時刻はあと十分で十二時を回ろうとしている。
つまるところ、裕紀は五十分もの間瞑想をしていたのだ。本来の時間より二十分もオーバーしている。
練習時間を超過することは悪いことだが、それだけ集中していたということは事実。
良いことなのかどうか思考を巡らせていた裕紀に、玲奈は両方の評価を含めて言った。
「集中することはいいことだけど、やり過ぎるのは良くない。集中し過ぎることで、コントロールしなくていいことまでしてしまうことがあるから。生命力操作のポイントは集中すること。でもやり過ぎないことね」
「集中できてるならいいことだと思っていたんですけど・・・」
しかし、玲奈の口調はやはりどこか叱られているように感じる。
そのため、玲奈のアドバイスを受けた裕紀は少しばかり納得がいかずにそう呟いた。
誰しも特訓に集中できていることは決して悪いことではないと思うからこその愚痴だった。
まあ、そんな愚痴も玲奈にバッチリと聞き取られてしまっていたのだが。
「確かに今の感じは良かったと思うわ。どうせなら最後に一度、あの石を動かしてみてはどうかしら?」
そう言いながら竹刀の先で中央の台座に乗る石を示す。
「・・・望むところです!」
本日最後のチャンスと言わんばかりの玲奈の勧めに、裕紀は立ち上がって大石の三メートル手前まで歩み寄った。
玲奈の言う生命力操作の特訓のもう一つのメニュー。
それは瞑想によって精神を統一して気を静めた後に、台座に乗った十五キロ程度の石を手を使わずに持ち上げることだった。
本来なら機械を使うか手を使うかしなければ人は物を持ち上げられないが、生命力操作を習得した魔法使いは自身の生命力で浮かせたり引き寄せられるらしい。
遠くにいる相手の剣撃を防いだり、離れた場所に落ちている物を引き寄せる力は確かに尋常では成し遂げられない力だ。
そして、この特訓に関しては裕紀は二度も実体験しているので自信はあったのだが、結局は失敗続きで今までピクリとも動かせていない。
まあ特訓を開始してから半日も経たないのでそう簡単に成功するとも思っていない。
だが、今回の瞑想の集中力を保てれば可能性はゼロではないとも感じている。
裕紀は台座の石に向けてゆっくりと右手を伸ばして意識を右手と石に集中させた。
だが、それだけでは石はピクリとも動かない。これでは今まで挑戦してきた結果と同じになってしまう。
そこで裕紀は、自身の手から生命力の糸を伸ばし石に絡みつけるようなイメージをした。
さっきの瞑想で極細の糸を何本も束ねていくというイメージの応用だ。
「・・・くっ」
産まれてからこんなに集中したことがなかった裕紀は、こめかみに汗が伝うのも気付かずに必死に石を浮遊させようとする。
次第に力が入っていく腕に筋が入り、小刻みに震え始める。
しかし、そんな裕紀に反抗するように石もその場から動こうとしない。
しばらく腕を伸ばして石と対峙していた裕紀だったが、そこまでッという玲奈の制止の声を聞いて腕を下ろした。
張り詰めていた集中力と緊張が一気に解れ、裕紀は大きな息を吐き出しながら座り込んだ。
肩を上下させて座る裕紀に手を差し出して立たせた玲奈は、腕を組むと裕紀に言った。
「今朝、生命力を使い過ぎたことも原因なのかもしれませんが、まだまだ特訓が必要ですね」
思い通りの結果にならず少しばかり気を落としていた弟子を励ますことをしない師匠に、裕紀はぽそりと呟いた。
「今度はできると思ったんですけど。何が足りないのか、まださっぱりです」
「最初はそんなものでしょう。何となくできたことを意識してできるようにすることが大切だと思うわ」
肩に手を置きそう言う玲奈の言葉を、励ましの言葉と勝手に解釈した裕紀は、玲奈がここにいる意図も忘れて再び瞑想に戻ろうとした。
その姿を見た玲奈は、当然、裕紀に特訓を止めさせるべく離れた裕紀の首根っこを掴んだ。
「うおっ!?」
ただ、二人の間には二メートルほどの距離が開いており手の届く範囲ではない。
襟首を掴まれている感覚はあるものの、後ろ目に窺い見ると玲奈の手は見えない。
二メートル先に立つ彼女は裕紀に向けて腕を伸ばし、空中で何かを掴むように手を握っているだけだ。
これが生命力の操作。魔法使いが己の生命力だけで万物に干渉する力。
魔法を扱う者としては最低限必要な技術。
魔法使いとして魔法を使うには、まずこれを習得しなければならない。
不可視の力で引き止められた裕紀は、改めて自分が臨むことの過酷さを味わっていた。
そんな裕紀の視線の先で、玲奈は微笑ではなく冷笑を浮かべて出口へと歩き出した。ただし手は握られたままだ。
「ちょ、引っ張らないで下さい、コケるから!! 」
襟首を掴まれたまま引っ張られた裕紀は、よたよたと後ろ歩きをしながら玲奈にそう訴える。
「明日は学校でしょう。今日は早く寝て早朝の特訓に備えるように」
「早朝も特訓ですかッ!?」
当たり前なことについつい反応してしまった裕紀に、玲奈は呆れた声音で応じた。
「当然です。最初に言った通り、あなたは他の魔法使いよりもずっと過酷な特訓を受けねばならない。・・・と言っても、早朝特訓は全員毎日ありますが」
「ち、ちなみに何時なんです?」
恐る恐る、特訓開始時刻を尋ねる裕紀に玲奈はどこか野生的な笑みを浮かべた。
その笑みに、裕紀は寧ろ恐怖しか感じず背筋に寒気が走った。
「五時に開始よ」
特訓開始時刻が五時ということは起床時刻は遅くても四時半頃・・・。
自信を持って遅起きを自負できる裕紀は、そう思考が辿り着いた瞬間、冷や汗が幾つも伝う感覚を覚えた。
「遅れたら二倍だから」
「・・・ハイ・・・」
そう言う師匠に口答えができるわけもなく、裕紀は霧のように消えそうな声で返事をした。




