襲撃(8)
新八王子駅に隣接している公園内に建てられた喫茶店を、柳田彩香はおよそ三日ぶりに訪れていた。
表向きは喫茶店というまともな営業職をやっているここのマスターは、裏では魔法使い同士の情報を売買している情報屋だ。
普段の彩香なら月に一度の情報売買に顔を出すくらいで、こんなに頻繁に訪れる場所ではない。高校生のおこずかいも底が知れているし、幾つも情報を買えるような金銭的な余裕もなかった。
彩香も裕紀と同じ一人暮らしだ。バイトなどで稼いだお金も自分のために使えるのはほんの少しだけだった。
そんな彩香が無理をしてでもマスターから買いたい情報があった。
それは、三日前に裕紀と彩香に突然襲いかかって来た黒ずくめの魔法使いに関する情報だった。
ホームルームで担任の萩原恵が言っていた不審者の格好の特徴は、あの襲撃者と一致していた。
時期的に不審者と襲撃者は同一人物である可能性が高い。
だとするなら、彩香はその人物を何としても捕らえなければならなかった。
三日前の襲撃者は彩香と戦闘をしていたが、その狙いは明らかに裕紀だった。
なぜ裕紀を狙うのかは謎だが、とにかくあの二人が同一人物であるなら、単独行動中の裕紀と会わせるのは非常にまずい。
一応、緊急時の戦闘のために使えるよう魔法戦闘用の武器は渡してあるし、万が一のときは彩香に連絡するように伝えてある。
だが、そんな付け焼き刃の対応で新米魔法使いが経験者に優勢になることはないだろう。
やはり、裕紀があの襲撃者と遭遇するのは避けなければならない。
そんなことを考えていたからだろうか。
不意にカンウターから気遣うようなマスターの声が届いた。
「顔が険しいぞ。いい顔が台無しだ」
そう言いながらテーブルへ視線を落とす彩香の目の前に、淹れたてのコーヒーを添える。
焦げ茶色の液体に映る自分の顔は、マスターの言う通り少し怖かった。
いつもはあまり眉間へシワを寄せることのない彩香だが、いまは難しいことを考えているように険しい。瞳にも普段は見せることのない、相手を威圧するような鋭い光が宿っていた。
多分、いまの彩香の表情ならば幼い子供なら泣かせてしまうかもしれない。
(いけない。私が気張っていても何も変わらないわ)
裕紀を魔法使いにしてしまったときから、彩香がやれることは一つだけだと決まっている。
どこか気張っていた心を落ち着かせるために暖かいコーヒーを一口飲む。
仄かに甘く苦味のある液体で喉を湿らしたのち、気分を変えるために両頬をぺちんと両手で叩く。
彩香の表情は先刻とは違い、赤くなった頬を除けばいつものような優しい表情となっていた。
その表情のまま、心配そうに伺うマスターへにこりと微笑む。
お馴染みの笑みを見たマスターは、太い笑みを浮かべると明るい声で言った。
「やっぱり彩香にはその笑顔が似合う」
「ふふっ。ありがとう、マスター」
素直に感謝の言葉を述べた彩香に、マスターは一際大きく太い笑みを浮かべた。
だが、いつまでもそんな空気に浸っているつもりは彩香にもマスターにもなかった。
今日ここに彩香が来たのは、決して緊張を解してもらうためではないのだから。
浮かべていた笑みを真剣な表情へ変え、彩香は単刀直入に質問した。
「ここ最近で出没している不審者について詳しいことが知りたいの」
「・・・例の襲撃者か。その話をするならちょっと高く付くが、まあ半額でいいだろう」
不審者というだけで、彩香たちを襲撃してきた魔法使いだと分かったということは、既にマスターも何かしらの情報を掴んでいるのだろう。
情報屋という職業柄、滅多に知り得ぬことも入手しているマスターは彩香の質問にも答えることはできるみたいだ。
ただ、金銭のやり取りにはうるさいマスターがあまく見て半額にした意図が掴めず、彩香は不思議になって短く尋ねた。
「いいんですか?」
「ま、お前さんはまだ学生だしな。幸い店には誰も居ないし、特別サービスだ」
にっ、と綺麗な歯を剥き出して笑うマスターに彩香は軽く微笑むだけにとどめた。
ここで微笑み続けていてはいつまで経っても気が緩み続けるだけだ。
「少し待っててくれ」
そのことを察したようにマスターも真剣な声音でそう言うと、カウンターの下に置いてあるらしいメモ帳を取り出した。
体型の大きいマスターが持つと、小さいメモ帳が更に小さく見える。
そのメモ帳のページを太い指で器用に捲り続けると、マスターはあるページで指を止めた。どうやらそのページに襲撃者の情報が書き記してあるみたいだ。
「こう言っちゃ情報屋の名が廃るんだけどよ、実のところ彩香の欲しがってる魔法使いの詳細はあまり調べられなかった。ここ最近、何か特別なことをやってのけたって奴でもなさそうだしな」
「そう・・・」
魔法使いの情報を集めることは、それ自体が命懸けと言っても過言ではない。コミュニティのメンバーなど特別な関係でない以上、基本的に魔法使い同士、個人情報は公開しないようにしているからだ。
実際、彩香も目の前でメモ帳を眺めているマスターのことを「喫茶店を営む情報屋」くらいの知識しかない。
だが、情報屋は様々な手段を用いてどのクライアントにも対応できるよう情報を収集している。もしかしたら、彩香の素性すらも把握しているかもしれない。
それ故に、情報屋は常に死と隣り合わせの職業なのだが、そんなマスターでさえ深く手を出せなかったらしい。
ただ、先日戦った感じだとあまり危険そうな人物ではなかった記憶があった。
まあ、事件が起きたのが三日前なのだから仕方ないと言えばそれまでだが。
決して良い成果を期待してはいなかったものの、少しばかり残念そうに肩を落とす彩香にマスターは咳払いをして言葉を続けた。
「ただ、その襲撃者の所属するコミュニティの情報は手に入れることができたんだが」
「どうしたんですか? いったい何が分かったんです?」
話しずらそうに口籠るマスターに、彩香はその続きを聞くために急かすように聞いた。
その促しにマスターはまだ悩んでいたようだが、ここで彩香が引き下がるはずもないことを知っているためか、諦めたようにあるモノを取り出した。
それはただの印刷紙だったが、紙の中心に描かれたエンブレムを見て彩香は押し黙った。
血のような赤と常闇のように暗い黒色のみで彩られた、交錯する悪魔の双翼。
その禍々しいエンブレムを、彩香は知っていた。
「ネメシスーッ!!」
驚愕で叫び立ち上がった彩香をマスターが肩を抑えて座らせる。
畏怖のためか急激に加速する鼓動を深呼吸で落ち着かせると、彩香は殺気の宿った瞳で問い掛けた。
「どういうことです? なぜ、このコミュニティが彼を狙うの?」
ネメシス。そのコミュニティの名を知らない魔法使いはいなかった。
魔法による殺人を気にも留めない。
自分たちの障害となる存在は例え相手が一般人でも容赦なく抹消し証拠も残さない。残虐性が強い魔法使いが集った犯罪組織、ということ以外は全てが闇に包まれているコミュニティだ。
おそらく襲撃者の情報を入手する際、このことを知ったマスターは急遽情報収集を打ち切ったのだろう。下手に踏み込み殺されるような事態だけはあってはならないのだ。
世界の闇とまで例えられそうなコミュニティが、つい最近魔法使いになったばかりの裕紀を狙う動機が分からない彩香はそう尋ねていた。
「考えられることは二つだ。一つはあの坊主がネメシスに目を付けられるほどの素質を持った魔法使いだったのか。もう一つは」
「新田君を使って消したい人、または接触したい人がいる?」
マスターに続いて憶測を立てた彩香だったが後者の考えはおそらく正解ではないだろう。
仮に狙いが後者だとしても、無力化するには三日前の襲撃者は些か殺気に満ちていた。
となると、やはり前者の意見が有力だった。
魔法使いとして覚醒したときから天才的な力を持つ者は稀少だが、決して居ないわけではない。
裕紀がそのうちの一人であるとするならば、ネメシス側にも何かしらの障害となるのであろう。
どちらにせよ、彩香のやることは決まっていた。
魔法を使った殺し合いになろうとも、彼は必ず守る。そんな決意に唇を噛み締めたときだった。
「彩香。あの坊主には悪いが、ここで下手に動かない方が今後のためだぞ」
内心を見透かしたかのようなマスターの助言に、彩香は鋭い光が宿ったままの瞳で言った。
「どうして? 新田君を魔法使いにしてしまったのは私よ。それに、人が一人殺されることを知って黙って見過ごせるわけないじゃない!」
強めの口調で言い返す彩香に、マスターも焦る様子で説得する。黒いサングラスの奥の瞳が鋭い光を宿す。
「まさか奴らとやり合うのか!? それは本当に危険だぞ。奴らは目的のためなら手段を選ばないと聞く。一歩間違えれば二人とも死ぬぞ。いや、下手すればコミュニティ間の戦争もあり得るぞ!」
「それでも新田君を見殺しになんてできないわ。これは私の責務なんです」
「そうは言うけどなぁ・・・」
「新田君が死んでもしたら、私は助けられなかった私を許せないの」
「・・・・・・・」
断固として説得を断り続ける彩香に大木のように逞しい腕を組んで沈黙を保っていたが、とうとう骨が折れたのかマスターは大きくため息をついた。
「はぁーっ。意地っ張りなところも昔から変わらないな。だがこれだけは注意してくれよ。相手は凶悪なコミュニティのメンバーだ。お前はあの坊主を守ることが責務だと言ったが、一人じゃ手に負えないと思ったら、必ず仲間に伝えるんだぞ」
「・・・あ、ははっ」
ついさっき別れ際に裕紀へ言った自分の言葉を、そっくりそのまま忠告された彩香は、しばらくほうけた表情を保ってから笑ってしまった。
心配して言ったマスターが少しばかり不機嫌そうな顔になるのも仕方ないことだ。
今更ながらに、彩香は裕紀を守ることが自分だけの責任だと思い込んでいたことに気が付いた。
(そうよね。私一人だけで戦うわけじゃないもの)
彩香や裕紀が死んだことで悲しむ人々は大勢いる。彼らの心には消えない傷と、拭えない消失感だけが一生残ってしまう。
それが一人で全ての責任を背追い込んだ結末によるものだとすれば、死んでも死にきれない。
それに、彩香にも共に戦ってきたコミュニティの仲間がいるのだ。
彼女が黙って一人で戦おうとしていることを知って、放っておくような人たちではない。
一人で戦うことは考えず、頼りになるコミュニティの仲間に協力を決意して彩香は顔を上げた。
「こんな貴重な情報をありがとうマスター。必ず、私たちのコミュニティでこの情報は活かしてみせるわ」
「ははっ。頼まれた情報は必ず仕入れ、それなりの値をつけて売るのが俺のモットーだったんだがな」
今回の業績はあまり納得できていないみたいだ。苦笑しながら残念そうに言うマスターに彩香は首を振った。
「ネメシスが関わっていることが分かった時点でとても大きな情報ですよ。私もこれ以上の情報は望みません」
「そう言ってくれると、また情報の集めがいがあるぜ」
朱色のバンダナに包まれた頭をぽりぽり掻いたマスターに小さく微笑むと、彩香は出されたコーヒーをくいっと飲み干した。
空になったカップをカウンターへ戻すと、会計のために席を立った彩香へ、唐突にマスターが言い放った。
「会計はいい。情報料は、次にあやちゃんが情報を買いに来るときでいいよ」
絶対に生きて帰れという意志がありありと感じられる言葉だった。
「ありがとうございます。必ず、また来ます」
だからこそ彩香は力強くそう宣言して、深く頭を下げた。
喫茶店から出た彩香は冬の寒さに身震いして亜麻色のマフラーを口元まで持ち上げた。
相変わらず近代的な外装とレトロな内装とで違いすぎる喫茶店を見上げてから彩香は歩き出した。
これからの対策を相談するべく、彩香は行き先を自宅から、彼女の所属するコミュニティが所有するとある場所へと変更した。
ただ、今から電車を経由したりなどすれば夜も更けてしまう。
魔法使いとしての責務もそうだが、学校生活も大切にしていた彩香はしばらく悩んだのち、人目のつかない場所へ移し転移魔法を使うことにした。
「テレポート」
鞄から紅い魔晶石を取り出した彩香は、瞼を閉じて行き先を強くイメージして唱えた。
自身の生命力を魔力へ変換している魔晶石が真紅に発光し、浮かび上がった魔法陣が彩香の優美な身体を包み込んだ。
栗色の流麗な長髪が、マフラーやスカートがふわりと舞う。
徐々に強まっていく光が一際強く輝くと、儚く散る魔力の粒子だけが彩香の立っていた場所に漂っていた。
行間などの修正等は一段落着いたらやらせていただきます。
また、その他の細かい修正などは余裕があるときにやります。




