襲撃(5)
隠蔽魔法『ハイド』
魔法使いによっては人払いとも呼ばれている。
その特性は文字通り、周囲の人々からしていした物体を空間ごと隠すことができる魔法だ。
一般人に知られてはならない魔法使い同士の戦闘などでは、よく用いられる手段として知られているらしい。
極秘事項であろう魔法を、一般の学生が集う校舎のど真ん中で発動させた彩香に戸惑いと困惑の反応を示した裕紀へ、彼女は躊躇いなくそう教えてくれた。
もとよりそのつもりだったのかは定かではないが、わざわざ周囲の認識から隔絶した空間を作っただけに、これから起こることは二人だけの秘密ということになるのだろう。
昼休みに二人だけ、というシチュエーションにドキンと来ないこともなかったが、そんなことは万に一つの奇跡が起きない限りあり得ない。ましてや、最近まともに口を利いたばかりなのにそんなイベントが起きるはずもない。
そういうことで、裕紀もなるべく真剣な心構えで彩香に視線を送った。
校内一の美女と呼ばれているらしい女子生徒の横顔を横目で伺っていると、彩香は渡り廊下へ視線を向けながら唐突に喋り始めた。
「ところで新田君。君が魔法使いになってから、誰かに魔法に関しての話をされた?」
小首を傾げながらそう尋ねられると、裕紀は三日前からの自分の行動を振り返った。と言っても、大体はエリーの研究所で研究の手伝いをしているか、アパートの部屋で課題に勤しんでいるかだけだったのだが。
その中でも魔法に関連することの記憶を中心的に探ってみるも、彩香以外にそういう話をされた心当たりはなかった。
「いや、柳田さん以外にはいないと思うよ」
そもそも、迂闊に魔法について口外してはならない規制がある以上、よほど相手が魔法使いだと確信がなければその話題を持ち出すこともないはずだ。
裕紀と彩香のように互いが魔法使いであることを知っていなければ、容易には喋れないだろう。
(それとも、何か別の手段があるのかな・・・?)
何か重要な問題に辿り着こうとしていた裕紀の思考は、しかし安心したような彩香の声で中断させられてしまった。
「そう。一応、何事もなくて良かったわ」
「そんなに安心されると、柳田さんが何を心配しているのかとても気になるんだけど」
「そこまで深刻な問題じゃないけど。ただ、ここ数日で何も起きていないということは警戒すべきよ。君一人のときは特に、ね」
何も起きていない。それ事態が異常だとでも言いたげな彩香の声音に裕紀は生唾を呑んだ。
誰かに狙われるとはこんな気持ちになるのだろうか。どこからともなく恐怖が脳を突き抜け、意味もなく周囲を警戒してしまう。
だからだろうか。魔法を使える自分ならどんな敵でも凌げるなどという、根拠のない自信で裕紀は自分を安心させようとしていた。
「大丈夫?」
やや顔色の悪い裕紀へ心配そうに声をかける彩香に、裕紀は青ざめた顔のままこくりと首を動かした。
「誰かに狙われるって、こんなに窮屈で怖いものなんだな。生まれて始めてだよ、こんな感覚に陥ったのは」
声の震えだけは何とかして抑えたかったのだが、如何せん人の感情というものは自分でも抑えられないときがある。
裕紀が自分でも抑えられない感情に苦難していると、突然隣から肩に手が添えられた。
微かだが確かな温もりを感じさせるその手は、優しく裕紀の肩をさすった。
まるで裕紀の感じている負の感情を浄化するかのように、ゆっくりゆっくりと手を動かして彩香は言う。
「安心して。君には私がついてるから。どんな時でも、私が君を守ってみせるよ」
仄かな紅を刺した唇から漏れる言葉も、先刻生徒会長に放ったときのような冷たく鋭い響きはない。相手を癒すような、暖かな日差しのごとき感情が込められている。
その声を聞いて、裕紀の中で固まりつつあったあらゆる負の感情は溶けてしまいそうだ。
しばらく、裕紀はこの不思議な暖かさに心身共に委ねていたかった。だがまともに話したのがつい最近で、しかも校内では有名な女子生徒だと思うと急に恥ずかしくなってしまう。
気がつけば彩香の手も止まっており、彼女の顔は赤く熟したリンゴのように真っ赤だった。
裕紀を安心させるために優しい声音と表情で励ましてくれていたのだろうが、やはり湧き上がる羞恥心には耐えられなかったらしい。
真面目で正直者な魔法使いの様子を眺めていると、先ほどまでの怖さはどこかへ消え去り、
「ぷ・・・くく。あははっ!」
次いで込み上げてきた可笑しさに、裕紀は思わず吹き出してそのまま声を上げて笑った。
いきなり笑い出した裕紀に驚いて手を離した彩香も、自分が笑われていることに気づくと頬を膨らませて言った。
「な、何がおかしいのよ! もしかして、さっきまで怖がってたのは全部演技なの!?」
どうやら、裕紀の恐怖に震える様子を演技だと勘違いをしてしまっているらしい。
だとすれば相当な演技力が必要だろうが、生憎裕紀は演劇部ではなく帰宅部だ。そんな裕紀に、こんな演技力がいきなり身に付くはずもない。
「あはは。いや、ごめん。柳田さんってやっぱり優等生だなって。魔法使いになりたてで何も分からない俺にいろいろ教えてくれたり、こうして気持ちを落ち着かせてくれたりしてさ」
「優等生はやめてって言ってるのに・・・」
そう反論をする彩香の声には、本気で怒っているわけではないのか勢いはなかった。
彩香のおかげで裕紀の心を覆おうとしていた負の感情を払拭できたことは何回かあり、その度に裕紀は救われていた。
「ほんと、ありがとうな」
つい数日前の裕紀であったら言わなかったであろう言葉も、意外にも感謝の気持ちは素直に裕紀の口から零れていた。
真正面から言われた彩香は膨れっ面だった顔を更に赤くしたが、それ以上何をするでもなく、恥じらいながらも笑みを浮かべて頷いた。
「それにしても、俺を狙ってる連中ってのはたくさんいるのか?」
そう裕紀が尋ねたのは、昼休み終了まで残り十分となった頃だ。
横目で隣に座る女子生徒を伺うと、気持ち良さそうにこくこく船を漕いでいた。
普段はこんなにまったりとしたことをしないからか、うたた寝をしていた彩香はそう声をかけられると、はっと弾かれるように顔を上げた。
瞬きを繰り返しきょろきょろと辺りを見回してから、ようやく自分が呼ばれたことに気づいたようだ。ついでに、不覚にも自分が寝ていたことと横目で男子生徒に見られていることも。
そうと知った彩香は口からほんの少し垂れているヨダレにも気づかずに、キッと眼光を鋭くして裕紀を睨み付けた。
その眼光に反射的に両手を上げてしまった裕紀だったが、今回のことは不可抗力だろうと内心思う。
今日の気候は快晴でしかもいつもより日差しが暖かく感じられる。こんな、いかにも昼寝をしてくださいと言わんばかりの環境でぼけーっとしていれば、うたた寝くらいはしてしまう。それに、話しかける相手を視界に収めてしまうのも仕方ないことだ。
まあ、あまり親しくない男子生徒に自分の寝顔を横から見られるのは気持ち良いものではないだろうが。
「な、なに?」
決して疚しい気持ちで見られていないことは理解してくれたらしく、彩香は口元をハンカチで拭いながら聞き返した。その表情はまだぼーっとしている。
手を下ろした裕紀はさっきの質問を繰り返し尋ねると、彩香はやや寝ぼけた表情を完全にいつもの真面目な表情に戻して答えた。
「そうね。どちらかというと一人の魔法使いと言うより、組織が狙っているって感じかしら。私たちはコミュニティと呼んでるわ」
「コ、コミュニティ?」
案外聞き慣れた単語を繰り返し口にした裕紀に彩香は肯定を示して話し続ける。
「まあ、わかりやすく言えば同じ意志を掲げる魔法使い同士が集う組織みたいなものよ。新たに魔法使いとして目覚める人がいると、よく勧誘とかしているわ」
「へぇ。なんだか思ってた以上にフレンドリーなんだな」
入学式を終えた新入生を各部に誘おうと四苦八苦している部活動の先輩などを思い浮かべての言葉だったが、彩香は顔を顰めて首を振った。
「そんな生易しいものでもないのよ。確かに大抵のコミュニティは勧誘が目的だけど、自分たちに不都合な力を持つ魔法使いが現れると抹殺を目的とするコミュニティもあるわ」
「抹殺・・・」
その言葉の意味を理解するには時間は要らなかった。確かに、魔法使いの暮らす世界は裕紀の想像していた世界とはかけ離れてどろどろしている。
そんな世界で、隣に座る同い年の女子高生はいったいどれくらいの時間を生きてきたのか。
気になるがそれは聞いてはならない、そんなもどかしさに裕紀が苛まれているなか、彩香は言葉を綴り続けた。
「同じ意志を掲げる者の集う場所。人の意志なんてものは良いことくらいしか耳にしないだろうけど、殺人や罪に問われる行いも、すべて人の意志に含まれるのよね」
このことは、裕紀ももはや他人事ではなく自分のこととしてこの現実を受け入れなければならないのだ。
「柳田さん、俺はこれからどうすればいい?」
今後のことをどうするか聞くことも、いまの裕紀には必要なことだった。
真剣な眼差しで問われた彩香は、少し時間を空けたのちに脳内で巡らせていた思考を喋り始めた。
「一応、あなたは私たちのコミュニティで保護するという形で匿うこともできるけど」
「そうなのか? それならそうしてくれればありがたいよ」
裕紀の知っている魔法使いは彩香ただ一人しかいない。匿ってくれるというなら是非ともそうして欲しいのが本音であった。
なので、裕紀は彩香の言葉が終わらぬうちにそう返答したのだが、彼女はゆっくりと首を横に振った。
「コミュニティに匿われるということは、その時点でそのコミュニティの情報を少なからず知ってしまうということよ。ほとぼりが冷めたころには、あなたは私たちのコミュニティに加入することになるでしょうね」
各コミュニティのメンバーは、その情報を別のコミュニティメンバーに教えることはしない。たとえ親しい間柄であろうとも、裏切られれば情報の漏洩によって自分たちが不利になる可能性があるからだ。
彩香の言うように、コミュニティ未所属者の裕紀を匿うことは彼女の組織の情報を漏洩させる要因を作ってしまうことでもある。
この彩香の答えは、ある意味では当然であった。
「君が加入を覚悟で匿われることを望むのなら、それでも構わないわ。ただし、条件として君の意志を聞かなければ加入をさせることはできない。何のために、何を成すために戦うのか。生半可な決意だと、この世界で生き残ることは不可能だから」
魔法使いとしては遥かに裕紀より経験者である彩香の言葉は真実味を帯びていた。
だが、経験の浅い裕紀にはその重要性は理解できるものの、それが本当に現実で起こってしまうなどとは予想もできなかった。
実感できない曖昧な感覚に押し黙る裕紀に、彩香は小さく息を吐くと気分を切り替えるように言った。
「・・・魔法使いになったばかりの君にこんなことを言うのもアレかな。とりあえず、はいこれ」
そう言って、どこにそんなものをと疑ってしまう程の大きさのモノをずいっと彩香は差し出してきた。
それは、まるで刀身がない、柄だけの剣のような形をしていた。
正体不明のそれを恐る恐る受け取った裕紀は、いろんな角度からその機械を観察した。
重量の軽い素材を使っているのか、機械は思ったよりも軽い。柄の上端にはスライド式のスイッチのようなものがあり、どうやらいまは停止状態のようだ。
このスイッチを上へスライドすることで機会が起動して何かが起こることは確実だろう。
しかし、裕紀は好奇心を抑え込んでそのスイッチを入れることはせず、代わりに彩香へ当然の疑問を投げかけた。
「これって何に使うんだ?」
眉を顰めて手に持つ機械を眺めながら問いかけた裕紀に、下唇に指を当てた彩香はうーんと、一瞬悩むと簡潔に言った。
「君の身を守ってくれる優秀な道具よ。しばらくはそれを常に持っていること。身の危険を感じたら、すぐにそのスイッチを入れて、必要であるなら戦うのよ」
裕紀が持つモノがある種の武器であることを告げた直後、魔法により隔絶された空間に昼休み終了五分前のチャイムが鳴り響いた。




