誓い(3)
更衣室へ場所を移した裕紀は身に着けていた学校の制服を全て脱ぎ、下着一枚の状態で身体計測装置に仰向けに寝転がった。計測に用いられるレーザー光線から目を守るため、装置に付属しているゴーグルを瞳を覆う形で深めに被る。
身体測定の大まかな準備を手早く整えると、そのことを確認したエリーの声が測定室のスピーカーから聞こえてくる。
『準備はできたようだね。それじゃあ、さっそく計測を始めるから三分ばかり辛抱していてくれ』
「わかった。頼むよ」
了承の合図としてそう返した数秒後、静かな駆動音を鳴らして機械が作動する。
やがて裕紀が横たわっているベッドの上を通過するように、トンネル型の計測装置がゆっくりと動き始める。装置から裕紀に向けてレーザーを照射させることで、裕紀の体に起こっている能力値の変化を詳しく計測することができる。いま裕紀の全身の能力値は、計測装置に取り込まれ別室でデータの分析をしているエリーのパソコンへと伝送されていることだろう。
ベッドの上を通過する計測装置が裕紀のつま先まで移動を終え、そのまま頭部へと戻る。
完全に装置が戻りきると、計測終了のブザーと共にスピーカーから再び声が響いた。
『計測は終了だ。着替えは更衣室に用意してあるから、着替えて部屋に戻ってきてくれ。それと晩御飯の材料は冷蔵庫の中だ。今日も美味しいのを頼むよ』
追加で晩御飯を要求された裕紀は衝動的な溜息を飲み込んだ。
まあ、毎度毎度こんなやり取りをしている裕紀にはもう慣れっこだ。むしろ面倒くさいを通り越して、エリーに晩御飯をご馳走してやることが裕紀の楽しみになってきている。
今日も律儀にそう言われた裕紀は、「はいはい」と面倒くさそうに答えつつも、内心では微笑ましい気持ちになり軽やかな足取りで測定室を後にした。
更衣室で学校の制服から私服に着替えた裕紀は、さっそく今日の夕飯を作るべくキッチンへ向かった。現役で高校生をやっている裕紀であるが、両親とはとある理由で別居しているため基本は独り暮らしだ。そのせいか、一般家庭で作られるお馴染みの料理などは大抵作ることができた。
今日の献立は玉ねぎや鶏肉をケチャップライスと共に炒め、終いにはふっくらとした卵で包み込むオムライスだ。エリーの好物でもあるこの献立は、実は裕紀もひっそりと好きな食べ物でもあった。
エリーが卵とライスを満足そうに頬張る場面を想像し、気合を入れて作ったオムライスは、やはり大好評だった。
計測が終わってからは、パソコンに向かって難しそうにうんうんと唸っていたエリーだが、いざ晩御飯になると研究のことなどすっかり忘れた様子でもくもくとオムライスを食べ続けた。やがて十分後には完食してしまい、これも何時ものこととはいえ裕紀はスプーンを片手に目を丸くしていた。
食器を片付け終えた二人は、毎日恒例の研究についての報告などを行うのだが、今日はエリーが先に風呂へ入ってくると言うので裕紀は一人部屋で待機することとなった。
エリーはどちらかと言うと長風呂になる人ではないのだが、女性的な条件からどうしても時間はかかってしまうらしい。裕紀なら体と髪を洗うのにそんなに時間は費やさないが、エリーも年頃の女性と言うだけあるのだろうか。前に一度だけ見た彼女専用の入浴用具は、そこまで必要なのかと思ってしまうほど用意されていた。まあ、あの金色の長髪を綺麗に洗うのはそれなりに大変そうではある。
ともかく、最低でも三十分以上は経たないとエリーは出てこないので、それまで暇である。学校から課題も出ていることには出ているが、それに関しては親切な彩香が解らない問題まで隅々とご教授してくれたので奇跡的にすべて片付いてしまっている。
なので、一人になった裕紀は鉄とプラスチック製の近代的な椅子にただただ腰を掛けていた。
(課題もない、洗い物も終わった、エリーが出てくるまでは研究についても話が聞けないし・・・)
他に何かやり残していることがないか思い出してみるも、こういう日に限って大抵の事柄は完了してしまっている。
「やることないなぁ」
やることがなく何もしなくても良い時間というものは実に平和だ。晩御飯の影響か溜まった疲労を回復する為なのか、さっそく眠気が裕紀の意識の主導権を奪い取ろうとする。
だがここで眠ってしまえば朝まで爆睡することは必須。それだけは避けなくてはならない事態だ。
なんせ今日の裕紀は、現実世界では汗を滝のように流し、異世界では川に落ちたりじめじめした山の中を歩いたりと身体、精神ともに清潔感がかなり損なわれてしまっている状態なのだ。そんな状態で眠っても寝起きが良くなるとは到底思えない。どうせ寝て起きるならすっきりした気分でいたいので必ず体は綺麗にする、というのが裕紀のポリシーだ。
なので裕紀は、いま自分が最も興味を惹かれそうなこと、つまりは魔法についてぼんやりと考えることにした。
「と言ってもなぁ、魔法の発動の仕方とか分からないし、そもそも魔晶石を持っていないんだから魔法なんて使えるわけがないよ・・・」
当たり前の事実に気づき、はぁ、と小さくため息を付く。
今更だが、裕紀は魔法使いになって自分から魔法を使った覚えがない。無意識に転移魔法を使ったことには使ったらしいが、それは無意識ということでノーカンだ。
なったばかりの新参者が生意気な、などとと言われそうだが、やはり一度は魔法と言う希少な力を使ってみたいというのが若者が考えることだと裕紀は信じたい。というわけで、
「魔晶石がなくても少しぐらいは魔法は使えないのかな」
いつもエリーが言っているではないか、常識に捉われるなと。
魔晶石が魔法使いの生命力を魔力へ変換するための媒体であり、魔晶石無くしては魔法は使えないというのが魔法使いの常識だ。
だったらその常識から逸脱した思考を持てばいい。例えば、魔晶石が無くてもほんの些細な魔法ぐらいなら発動できるというような考えだ。
そう思い付いた裕紀はさっそく辺りに検証できるモノがないか、きょろきょろと見回してみる。
一応、エリーの研究機器が揃っている場所は選択から除く。何かあっても裕紀には対処しきれる自信がない。壊したら壊したでどうなってしまうのかは・・・想像するだけでも恐ろしい。
「まあ試せるなら何でも良いからなぁ」
慎重な選別によって実験対象となったのは、この部屋の中央に位置するソファに立て掛けられた裕紀の学生鞄となった。キッチンの傍にある椅子に座る裕紀からは少々距離が離れている。立ち上がって取りに行くことは、疲れ切っている今の裕紀には正直かなり面倒くさい。こういう時こそ魔法と言う便利な力の役の立ちどころだろう。
そうと決まれば実証あるのみ。裕紀は睡魔に襲われかけていた意識を無理やりにも覚醒させ、鞄に向けて精神を集中させた。
「・・・・・・・・・・・ッ!」
三十秒経過。
「・・・・・・・・・?」
一分経過。
「・・・・・・・」
しかし、どれほど鞄へ意識を集中させてもそれが動くという現象は起きない。
魔法は魔力が世界の理そのものに干渉し、事象を改変する力。いくら優れた魔法使いが精神を研ぎ澄ませ意識を集中させても、そう簡単に事象の改変などを起こすことはできない。
多くの魔法使いは、より効率的かつ迅速な方法でそれを実現させるためにある種の意思表示を用いた。魔法陣や自身の体を使った方法だ。
多少の身体強化や物理的干渉であるなら、遠くにある物体を動かすために腕を伸ばしたりその部位に意識と力を籠める。自然現象や転移などそのままの事象の改変には、魔法陣を用いる、などがある。
もちろん新参者の裕紀にはそんなことは知る由もなく、しばらく黙り込んで鞄を睨み付けるも、やはり一切動かない鞄に裕紀はとうとう降参した。
「ふぅ。やっぱり魔晶石なしじゃ魔法は使えないのかな。ちょっと期待してたけど、世の中そう甘くはないか」
現実、魔晶石が無くても些細な魔法は使えるので、裕紀の出した結果論は大きく外れていた。彩香がこの現場に居合わせていたら、「はひゃあぁぁ~」などと間の抜けた溜息を盛大についていたことだろうが、魔法については無知と言っても良い裕紀は何も気に留めることはなかった。ただただ、魔法とはそういうものだと認識を改めただけだった。
実験も終わり、再び暇な時間を過ごすこととなってしまった裕紀は、再度侵攻してきた強烈な睡魔には勝てず、結局浴室から出て来た寝間着姿のエリーによって起こされることとなってしまった。




