プロローグ(2)
行間の修正をしました。
内容はあまり変わっていませんが、是非読んでみてください!
立っていた場所から数歩、歩いたところが限界だった。アーサー王は光を失った聖剣を支えにして片膝をついた。
「……結局、俺は何一つとして救えていないじゃないか。この戦争で生き残った人間がどれだけいるというんだ」
モードレッドが所持していた剣の主のことが正しければ、闇の軍勢を指揮しているのは闇の覇者に違いないだろう。
圧倒的な力で魔界を支配している闇の覇者には、力のない人界の民では太刀打ちすることはできない。
天界を治める天界の覇者も、人類と比べれば超が付くほどの長生きだがそろそろ寿命が迫っている。
後継者となるはずの子供もまだ生まれて間もない。とてもじゃないが闇の軍勢に対抗できる力があるとは言えなかった。
残念だが、この世界はもう長くは続かないだろう。天界から派遣された援軍も強力な魔界軍の猛攻によって時期に天界へ撤退するはずだ。
そうなれば、人々の大きな支えであった天界の援助を失った人界は、成す術なく闇の軍勢に蹂躙され支配されてしまうだろう。
「でも、せめてこの剣だけは奴らに渡すわけにはいかない。この剣は、本当の王に相応しい人間が持つべきだ」
アーサー王は自身が王に見合う人物であったかどうか、最期の時まで解らなかった。
モードレッドの言ったように支配することこそが王の素質なのかもしれないし、アーサー王が考えているように人々の救済を願って戦う王もいるのかもしれない。
残念なことにこの状態では結論を出せそうにないが、それでもなんとなく解っていた。
王は成しえなかったその願いを後世に託すことができる。その義務があるのだ。
遠ざかる意識の中で、アーサー王は朧気にそんなことを考えていた。
すると、近くで馬の蹄の音が聞こえ、すぐ近くで止まる気配がした。
人が馬から降りる気配が届くと駆け寄って来ているのか、ガシャガシャと鎧を鳴らす音が届く。
やがて、頭上から男らしい良く響く声が届いた。
「アーサー!? しっかりしろ、騎士王!」
それはアーサー王が従える騎士の一人である、グリフレットと言う名の騎士だった。
叫びながらアーサー王の肩を揺らしたグレフレットの存在に、何人もの臣下を失ったアーサー王の心は少しだけ安らいだ気がした。
「ああ…、その声はグリフレットか? 良かった、お前は生き延びたか」
止血のために額に布を押し当てられながらそう言うアーサー王の声音に、グリフレットは自身の王の最期が近いことを鋭敏に察したらしい。呼び掛けた声を緊迫した声音に変えると怒鳴った。
「まだ逝くんじゃねぇぞ! まずは治療だッ。早く鞘を……」
そう言ってアーサー王の身の回りを確認するが、アーサー王の持つ聖剣の鞘はどこにも見当たらなかった。
それも当然だ。戦いの前に聖剣の鞘は何者かに強奪されてしまい、いまだ見つかっていないのだから。
そのことに気が付いたグリフレットは、くそっと苛立ったように吐き捨てる。
即座に不得意な治癒魔法を発動させようとするが、アーサー王は腕を上げてグレフレットを制止した。
「やめてくれ。ここで治療できても俺の命はもう長くない。それに、お前の魔力も残り少ないだろう?」
「何を言っている! まだ、お前の始めたことは終わっていないはずだ! こんなところで、死んでいい人間ではないだろう!?」
アーサー王の諦めているような口調にグリフレットはさらに怒鳴った。
確かに、ここで死ねばアーサー王は志半ばで倒れることになる。そうなれば、生き残った臣下たちにも迷惑を掛けてしまうだろう。
そのことを承知で、王は口を開いた。
「終わっていない。ああ、そうだ、まだ終わっていないさ。だからさ、一つ頼みを聞いてくれないか?」
今にでも戦場に消え入りそうな声でそう言った王に、グリフレットは頷いた。
「この剣を、今すぐあの湖の女神に返してきて欲しい。俺の役目はここで終わった、あとは後世の新しい王に託せと伝えてくれ……」
いつもは王の命令には忠実だったグリフレットだが、今回ばかりは簡単には頷いてくれなかった。
「承諾できない。騎士王、いや、アーサー。アンタはまだ死んで良い人間ではないんだ。これからこの人界では、このブリテン王国よりも残酷な戦いが待っている。あなたが先に逝ってしまっては、誰が人界を支えるというのか!?」
「そのことも、すまないと思っている。だが、もう限界だよ。頭に重傷を受けては、もう無事ではいられない。どちらにせよ俺は戦えない。それとな……」
苦しそうに顔を上げたアーサー王は、昔から変わらない心が暖かくなるような優しい微笑みを浮かべて言った。
「俺は死ぬんじゃない。これからアヴァロン、天界へ赴きこの傷を癒すことに専念する。恐らく人界は一度、闇の軍勢に支配されてしまうだろう。だが、どんな絶望を味わおうと決して諦めるな。月日が経てば、必ず……、ぐっ」
「アーサーッ」
苦しさに堪えきれないように呻き倒れたアーサー王を、グリフレットはその体を支えて横たわらせた。
額へ深手を負ってしまったのだ。もう時間がない。
「最後にもう一つだけ、このブリテンの民、生き残った俺の臣下たちに伝えて欲しい」
「何だ!? 何でも言ってくれ」
いつもは男前な面構えのグリフレットだが、今は迫る王の死に顔を歪めていた。目元には大粒の涙を浮かべている。
その様はまるで子供のようで、こんな状況でも思わず笑ってしまいそうになるのを静かな微笑みと一緒に言った。
「今回の戦いでは果たせないが、今後ブリテンを含める人界に危機が訪れたときには、ブリテン国王アーサー・ペンドラゴンが必ず助力しよう、と」
その言葉に、グリフレットは口を引き結んだが、やがて逞しい笑いを見せ承諾した。
「任せろ。このグリフレット、騎士王の指令を見事完遂させて見せましょう」
「……すまない」
弱々しい微笑と共に最後の命令を下した王を、グレフレットはそっと地面へ降ろす。
地面に突き刺してあった聖剣を引き抜くと馬に跨り、グリフレットは勇ましく言った。
「ブリテン国王アーサー・ペンドラゴンよ! 我はあなたの傍で戦えたことを誇りに思います!」
胸元に右手を当てる騎士の敬礼を行い言ったグレフレットに、アーサー王は旧友としての言葉を送った。
「また、一緒に酒を交わそう」
「ええ。そのときは、人界でも一級品の酒を用意しましょう!」
グリフレットはそう答えると覚悟を決めたように馬を走らせた。馬の蹄の音は瞬く間に遠ざかり、とうとう聞こえなくなってしまう。
誰もいなくなった丘の上で、意識が遠ざかるのを感じつつもアーサー王は一人考えていた。
本当にこれで良かったのだろうか、と。
あの聖剣の鞘は持ち主に不死にも等しい力を与えてくれる魔法の鞘だ。あのままグリフレットに鞘を探させて、聖剣の持ち主である自身が触れればぎりぎりこの傷も治ったかもしれない。
だが、それをしなかったのはもう自分の中で自身の目指す道を諦めてしまったからだ。
無論モードレッドの言う、世界を武力で支配するというやり方も認めるわけにはいかなかった。
ただ、守るべきものが大きければ大きい程、戦う時に失ってしまうものもきっと大きいものになってしまうと、今更ながらに気が付いたのだ。
アーサー王はもう戦う力を残していない。騎士の王である彼が倒れたことで、光と闇のバランスは崩壊し、長年かけて繁栄させてきた聖騎士は滅亡するだろう。
それでも、いつかあの聖剣を手に取り戦ってくれる人間が現れることを信じよう。その時こそ、再び聖騎士が立ち上がる時なのだ。
そして、再びこの世界が危機に瀕しているならば、その時こそ自分の役割が回ってくるのだ。
「アヴァロンか……。そっちに逝っても、ゆっくりはできなさそうだ」
そう一言呟いてから、ブリテンの王はゆっくりと息を引き取った。
最期に見た空の景色は黒く血の色に染まり、随分前に絵本で見た青空とは遠くかけ離れた光景だった。
時は過ぎ、人界歴一九七五年
戦いに敗れた人界の民は、魔界の覇者とその従者たちに支配され、そして脅されていた。
魔界の住人たちは人界に暮らす民達を奴隷として扱っていた。
男女関係なく、命令に従えない者たちは見境なく拷問にも等しい仕打ちを受け続けた。
人界で暮らす全ての民の心に絶望という闇が広がり蝕みつつある、そんな頃だった。
地上の惨劇を知った幼き天界の覇者は、従者たちを引き連れ魔界の住人から人界を救うため戦うことを決意した。
激しい戦闘は何年も続き、やがて両世界の総力戦となる。
しかし、結果はもはや確定的だった。
天界軍の勢力に一人の聖騎士が率いる人界軍が加勢し、魔界軍を圧倒したのだ。
強力な戦力に圧倒されて行った魔界軍は撤退を余儀なく開始。
天界の覇者により魔界の覇者が封印されたことにより戦いは終わり、人界に長らく訪れることのなかった平和が訪れた。
また、終戦と時を同じくして突如現れた世界樹の影響により、闇に染められた世界は徐々に浄化されていった。
幼き天界の覇者は、荒れ地となった人界を、その世界の人々と共に甦らせると従者を引き連れ自身の世界へと戻って行った。
だが、天界の覇者ですら気付くことの出来なかった事が人界には起こっていた。
長く続いた激戦の代償か、繋がるはずのないもう一つの世界への扉が開いてしまったのだ。
繋がった異世界の名は、後に人界の民たちからアースガルズと呼ばれることとなる。
こうして決して交わることのない二つの世界は運命とも言える邂逅を果たした。
それは人界歴二〇二五年の事であった。