捜索(1)
昼食を購入し高層マンションを後にした裕紀は、そのまま北側へ進み自分の住む中層のマンションへ向かった。
そのままエレベータに乗り自宅のある五階まで上がる。
自宅のドアの電子錠を開錠して部屋の中へと入り、買った昼食を冷蔵庫にしまうと机に向かった。
裕紀が自身の家で勉強をすることは珍しかった。
もちろん、試験や課題がたんまりと出されているときは苦手な勉強も精進するが、普段はさぼり気味だ。
今回だって冬の補習がなければこうして机に向かっていることもなかっただろう。
そのまま一、二時間集中して課題に取り組み、昼食を食べた裕紀は再び課題に取り掛かった。
しかし、最初に課題を始めた時のように今度は上手く集中できず、むしろ昼食後だからか睡魔が裕紀の意識を侵食し始めていた。
だが裕紀は、睡魔以外に意識を散らしているもう一つの原因に気付いていた。
(ほどんど勢いに任せてあんなこと言っちゃったけど、国際魔法機関で本当にやっていけるのかな…)
雷門和成も言っているように、今回の裕紀の立ち位置としては体験就職、つまりはインターンシップのようなものだ。
なので、そこまで気負う必要もないのも事実かもしれないが、この世界の魔法使いや魔法界を管理する組織に一時的にでも加わることに緊張感は感じていた。
それと同時に、お世話になったアークエンジェルの皆を裏切ってしまったような罪悪感をも感じていた。
「…寝るか」
とうとう問題を考える余裕もなくなり、辿り着いた答えは昼寝だった。
こういう悩みをうんうんと考えて時間を無駄に過ごすよりも、身体を休めたほうが良い考えも浮かぶことだろう。
勝手にそんな結論を導き出し、裕紀はノートを閉じると寝室へ向かった。
ピンポーン、とインターホンの呼び鈴で目が覚めた裕紀は、まだ眠気の混ざった意識のまま寝室を出た。
いつの間にか夕方となり陽が沈んでいたのか、暗くなった廊下をふらふらと歩き玄関へ向かうとドアを開けた。
「はい。どちら様ですか?」
ドアを開けてそう尋ねる裕紀の目の前には良く知る人物の姿があった。
「あれ…上原さん? どうしたんですか?」
ドアを開けて夜の寒さで眠気は完全に吹き飛び、いったい今は何時なんだという疑問が浮かぶものの、目の前に立つ上原瑞希の母親の困り顔を見てその疑問は頭の片隅へと押しやられた。
「…何かあったんですか?」
最初は寝ぼけ顔の裕紀だったが、瑞希の母、いのりの異変に気付き真剣な表情で尋ねる。
裕紀の問い掛けに、いのりは不安そうな表情のまま裕紀に問い掛けた。
「うちの子、新田君の家にお邪魔していないかしら? 昨日の夜から帰っていないのよ」
予想だにしなかった質問に、裕紀は一度目を瞬かせてから首を横に振った。
「えっと、すみません。俺も今朝ここに帰って来たので、瑞希さんと一緒ではなかったですけど」
瑞希とは昨日のクリスマスイベントで解散するまでは一緒に行動していた。
それからは裕紀と彩夏以外は別々の方向へ帰宅したので、瑞希のその後の行動を知る者はあのメンバーでは誰もいない。
いのりの言葉も気になる。
現在時刻が何時か把握しきれていないため正確なことは考えられないが、今が間違いなく夕方を過ぎていることは外の状況を見れば分かる。
ということは、昨日の夜からほぼ一日経っていることになるのだ。
瑞希は少し活発で元気が有り余っている女子高生だが、夜遊びをするような性格でもなかったはずだ。
第一、陸上の大会が近いこの時期に夜遊びをするなど瑞希自身が許すはずもない。
むしろ張り切って今日の朝から部活で練習とか、学校に併設されたジムで自主トレなどをやっていそうだ。
少し嫌な予感がした。
「瑞希から連絡はありましたか?」
やや余裕のない裕紀の質問に、いのりは携帯端末を取り出して確認をする。
恐らく何度も確認しているだろうと思いつつも、この間にメールの一通でも来ていて欲しいという裕紀の願いでもあった。
心の中で強く祈る裕紀の期待を裏切り、いのりは一層不安そうな表情で言った。
「…来てないわ。いつもなら連絡くれるのに、どうして…」
いのりの不安と焦りは手に取るように分かった。
そして、親友の行方が分からず裕紀も同じように不安な気持ちでいっぱいになる。
だが、ここで二人同時に気落ちしていては解決の糸口も見つかるものも見つからない。
家族ではないが一人の親友である裕紀が心を正常に保つことが重要だと考えた。
「今日は部活だから昨日は早めに帰るって言ってたのよ。だけど、学校の友達と遊びに行くから少し帰りが遅くなることも連絡をくれたわ。でもそれきり連絡が来なくて…。電話を掛けてもメールを送っても、返事が一向に返って来ないのよ。部活の顧問の先生に連絡しても今日は練習に来ていないと言うし。このままあの娘が帰って来なかったらと思うと、居ても立ってもいられなくなってしまって…」
「おばさん…」
そうこう混乱している間にも、いのりの心は不安定になって行く。
(こういう時こそ、誰かの支えになってやらなくてどうする!?)
そう自身に渇を入れ、裕紀は深く息を吸い込み、ゆっくりと吐き出した。
冬の冷たい空気が肺を満たし、血流が全身に巡り、焦っていた思考が落ち着きを取り戻した。
たっぷり三回ほど深呼吸を繰り返し、不安と焦りを上手く宥めて、極力落ち着かせた声で裕紀はいのりに言った。
「おばさん、まずは落ち着いて。少したったらもう一度、瑞希に連絡をしてみて下さい。それでも電話に出なかった場合は警察に通報をお願いします。俺も友達と連絡を取ってみますから」
「ええ、分かったわ。…ごめんなさいね、新田君」
目尻に滲んだ涙を拭い、いのりはそう裕紀に謝った。
「瑞希には、友達としてよく世話になってますから。気にしないで下さい」
極力いのりの心を落ち着かせるように話した裕紀に、いのりは一度頷いて言った。
「本当にごめんなさいね。また何か分かったら連絡するようにするわね」
「はい、よろしくお願いします」
内心は娘のことで頭がいっぱいだろうに、はっきりとした声でそう言ったいのりに、裕紀はとても重たい責任を感じた。
いのりの小さな背中がエレベータへと消えるまで見送ってから、裕紀は部屋の中へ入った。
もう十二月も下旬に入っているのだから暖房の効いていない部屋はさぞ寒かったが、そんな体感温度を忘れてしまうような事件が起きてしまった。
暖房も付けずに、椅子に座った裕紀は携帯端末を操作して電話を掛けた。
相手は瑞希と関りの深い親友である剣山光だ。
昨日の夜、別々の方向へ帰ったことは確かだが、もしかしたらあの後二人で会っていたのかもしれない。
こんなこと二人の前で言えばまた怒られそうな気もするが、今はそんな可能性にも縋りたかった。
しばらく発信音が続き、裕紀の耳に事情を知らない親友の声が届いた。
「おう、裕紀。どうした?」
「光。…昨日の夜、解散した後に瑞希と会ったりしていないか?」
単刀直入に聞いた裕紀の問い掛けに、しばらく答えは返って来なかった。
「…裕紀、いきなり電話してきたかと思えば、いったい何のつもりだ?」
どうやら相手は裕紀がからかいの電話をしてきたと勘違いしてしまっているらしい。。
しかしその反応だけでも裕紀にとっては大きな収穫だった。
瑞希はあの夜、解散した後に光とは出会っていない。
光が裕紀の質問をはぐらかそうとしている可能性もあったが、裕紀が知る限り光は相手を騙すような行為に長けた人間ではない。
少なくとも仮病が使えないレベルに正直者なのは確かだった。
「すまない、緊急なんだ。さっき瑞希の母さんが家に来た。昨日の夜から丸一日、瑞希が家に帰っていないらしい」
なので、話が面倒臭い方向へ進み出す前に、裕紀は用件を切り出した。
「おいおいまさか。…夜遊びでもしてるんじゃないのか? あいつまだまだ元気そうだったし」
「瑞希の性格で親にも連絡しないで、夜遊びで丸一日家を空けると思うか?」
端末から聞こえてくる光の声は明らかに影を差していた。
恐らく裕紀から用件を聞いて何が起こっているのか想像がついてしまったのだろう。
気持ちは痛いほど分かるが、今は光にも今起こっていることをしっかり受け止めて欲しかった。
「それに瑞希は、本当なら今日は部活があったはずなんだ。だけど顧問の先生は顔を出していないと言っていたらしい。おかしいだろ? あいつの性格からして、顧問にも連絡せず家の誰にも連絡せずに一晩家を空けるなんて」
もしかしたらこの事態はすべて裕紀やいのりの早とちりで、実は本当に遊んでいただけなのかもしれない。
だが、もしそうでなかったら事は一刻を争う事態に発展しかねない。
そんな状況を、高校でもっとも親しくしてくれている親友にも理解して欲しかった。
そしてその気持ちは相手にちゃんと伝わったみたいだった。
端末の向こうでゆっくりと息を吐く音が聞こえてくる。
「マジか…。…裕紀!」
「? …どうした?」
途端に大声で名前を呼ばれ、一瞬耳から端末を離した裕紀は、困惑しながら尋ねた。
そんな裕紀に、光は真剣な声で提案した。
「今から家に来れるか? 本当なら俺がお前の家に行きたいところだがそうもいかなくてな」
唐突に言い出した光の申し出に裕紀は即答した。
「ああ、いいよ。そっちも大変なのはよく分かってるつもりだから」
「すまねぇな。じゃあまた後で。詳しい話は家に来てからしようぜ」
「ああ。じゃあ切るぞ」
「おう」
そんなやり取りを交わして通話を切った裕紀は、すぐに椅子から立ち上がり厚手のコートを羽織って家から飛び出した。
いくら心を落ち着かせても、やはり裕紀はとても焦っていた。
この巨大な焦りと不安を何かにぶつけなければ気がおかしくなりそうなほどだ。
そのせいか、半ば思考も暴走しかけていた裕紀はエレベータに乗る手間も惜しく、マンションの五階から身を放り出した。
即座に生命力を全身に巡らせて着地に備える。
高さ二十五メートル強の位置から飛び降りた裕紀だったが、使える生命力のほとんど全てを両足に集めた結果、無傷で煉瓦タイルの敷かれた地面に着地を成功させる。
それだけではなく、着地に用いた生命力をジェットエンジンのように両足からエネルギーを噴出させて地面を蹴った。
ズドンッ、という重々しい音が複合マンション北側に響き渡るが、既に着地地点には裕紀の姿はなかった。
中層マンション五階からの投身、からの大轟音を轟かして超速ダッシュというあまりにも目立つ行いを、人払いもなしに行ってしまい目撃されていないことを祈りながら、裕紀は建物の屋上を踏み台に光の家へと向かった。
本来なら裕紀の自宅から光の自宅へ向かうには、新八王子駅で電車に乗り二十分ほど西へ向かった後に、徒歩でしばらく歩かなければならないのだが、生命力を遠慮なしに使っている裕紀は予定時間り随分と早くに剣山家へ到着しそうだった。
自宅を出てからあっという間に新八王子駅を通過し、西側にある光の自宅を目指す。
剣山家は旧八王子駅を降り、商店街を抜けた先にある少し大きなお屋敷が目印だった。
母方の祖父母が由緒ある和食料理亭の亭主だったらしい。現在も「幸」という名の和食屋一筋でお店を営んでいるらしい。
光自身はお店を引き継ぐつもりはないようだが、代りに妹が和食料理亭「幸」の味を引き継げるように頑張っているらしい。
裕紀も以前お邪魔してご飯をご馳走になったが、その味は今でも鮮明に思い出せるほど美味しかった。
ここしばらくは訪れていなかったお屋敷の前まで辿り着いた裕紀は、今の時間はまだ営業しているだろう「幸」の入り口ではなく、その隣にある木製の門を通り、お店の庭園を通過して裏手にある剣山家の玄関まで回り込んだ。
広い庭を横切り、和風なドアの横に備え付けられた硬質なインターホンを一度押すと、少し待って引き戸が開いた。
両親と妹はまだ店で働いているようで、出迎えに来たのは光だった。
トゲトゲした髪が印象的な親友の顔は、連絡を受けた直後だからか不安に曇っていた。
恐らく、今の裕紀も似たような表情をしているのだろうから、下手に相手を元気付けるようなことも出来ない。
「よっ、随分早かったな。とりあえず、中入れよ」
「ああ。お邪魔します」
短くやり取りを交わして裕紀は光の先導で自室へと向かった。
広く大きなお屋敷は、二階にも何室か部屋がある。
階段を上がり左奥に進んだ先に光の自室はあった。
だいたい六畳間くらいの光の自室に案内された裕紀に、部屋の主は隅に置いてある座布団を適当に放った。
「座ってくれ。何か飲むか?」
光の提案に、生命力を酷使し過ぎた反動に耐えていた裕紀はありがたく座布団に座ってから答えた。
「いや、大丈夫だよ。それより瑞希のことを話そう」
そう言うと、光も表情を引き締めて自分の勉強机の椅子に座った。
「裕紀が来る前に、俺からもアイツに連絡をしてみたんだ。だけどやっぱ繋がんねぇ。TAKEにも気付いていないみたいだ」
「電話にもメールにも、SNSにも反応しないか…。となると、いま瑞希の手元には携帯がないってことになるかもしれない」
携帯の電源が切れているのならGPS信号を辿って彼女の現在地を探る手段も消滅する。
瑞希にコンタクトも取れず、現在地もこちらからは知ることも出来ない。
今や裕紀たち学生にやれる手段はほとんどなくなってしまった。
重たい沈黙のなか、弱気になった心に従うかのように裕紀は口を開いた。
「…ごめん、光。昨日、俺が瑞希を一人で家に帰してしまったばかりに、こんなことになって。あいつに何かあったら、俺は責任を取るべきだ」
「それを言うなら俺もだ。裕紀は用事があったから仕方がなかったんだ。俺が、遠回りでも気を使ってやれば良かったんだ」
「光…」
大切な親友の消息が絶ち、相当責任を感じている様子の光を見て、裕紀は弱気になりかけていた自身の心を奮い立たせた。
バシバシと両手で頬を叩き言った。
「大丈夫、きっと大丈夫だ! おばさんには警察に通報するように言ったし、俺たちにだってまだできることはあるはずだ。弱気になるにはまだ早いよ、光」
例えそれが不安を誤魔化すための言葉であっても、今は大丈夫という良い結果に物事が転ぶことを望みたかった。
「そうだな! 俺たちは俺たちで、やれることを全力でやろうぜ」
「ああ!」
光も同じ気持ちだったのか、半ば空元気な口調で言った。
その気持ちに応えるように強く頷いた裕紀は携帯を取り出してさっそくやれることをやり始めた。
「まずは瑞希の友達や周辺の人に聞いてみよう。もしかしたら瑞希が何処に居るのか知っている人がいるかも知れない」
「クラスのグループTAKEに瑞希とよく話す友達の連絡先もあったはずだ。片っ端から連絡して情報を集めようぜ」
そう言って、光も自身の端末にインストールされているSNSアプリを起動させてさっそく連絡を取り始めた。
こういう時に、一番槍のように率先して行動してくれるところがこの親友の良い所だ。
もう電話を掛け始めている親友に倣って、裕紀もクラスのグループチャットを開き、情報収集を開始した。
あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。




