魔法戦闘兵器(3)
(……う〜ん、どうしたものか……)
制服からパジャマとして利用しているジャージに着替えた裕紀は、広いリビングで一人考えていた。
ついさっき上がったばかりのお風呂には、現在二人の女性が入浴している。
一人は裕紀の通う八王子市立萩下高校に通う同級生の柳田彩夏という女子高生だ。
容姿端麗。成績優秀。おまけに魔法も使えるという、どんな漫画のヒロインなんだ、と突っ込みどころ満載な女子生徒だ。
もう一人は、もう随分とお世話になっている外国から来たエリー・カーティという名の研究者だ。
金糸のような長髪に青い瞳が特徴的で、モデルに負けじと劣らすスレンダーな体型をしている。
研究以外はまったくダメだが、五年間我が子のように面倒をみてくれた彼女のことを、裕紀は母親のように思っている。
そんな二人が、少し広いとはいえ一室しかない浴室に、よもや同時に入るなどと誰が予想したか。
女にも裸の付き合いというものがあるんだよ、とエリーに言い包められ言及は諦めたが、浴室内で何が起きているのか、正直とても気になる。
少しばかりイケないことを考えてしまわなくもないが、それよりも裕紀は浴室内で二人がどのような会話をしているのかがもっとも気になっていた。
魔法という縁が無ければ出会わなかったであろう二人だ。
裕紀が入院したことを境に少しは外出をするようになったようだが、それ以前は必要最低限の外出しかしなかったエリーのことだ。
途轍もなく低い確率で遭遇しない限り、日常生活のどこかで知り合ったということもないだろう。
微かな機械の駆動音以外、何の音もしない研究室で耳を傾ける。
当然だが、浴室から声が聞こえてくることはない。
(いったい何を話しているんだろう?)
ぼんやり座りながらそんなことを考えても、神様とやらが答えをくれるはずもない。
こうしてぼーっとしているのもいいが、裕紀には三週間入院して休学していたつけがある。
もちろん、その間も学校からは山ほど課題が出題されており、入院期間中に課題を少しでも終わらせてはいるが授業に出席できなかった分、他の生徒より学力的な知識はない。
それに、今日の授業を遅刻したペナルティとして恵先生からもたんまりと課題を出されている。
(明日、明後日は休みだけど、少しは課題を進めとかないとな。あと予習もか)
終業式が近いとはいえ、まだ授業は少し残っているし放課後の補習授業もある。恵先生から出された課題は提出できなかったら言うまでもない。
今のうちに補習の課題やら予習を進めて、偶発的とはいえ此処に泊まることとなった彩夏に解らなかった部分を明日にでも教えてもらえばいい。
そう思い、裕紀は余計な思考を振り捨てて自分の部屋へと足を進めるのだった。
その頃、入浴室では。
「あ、あの…」
背中にボディタオルの優しい感触を感じていた彩夏は、気まずかったためにしばらく閉ざしていた口を開き、小さな声でエリーに話し掛けた。
「うん?」
本来、隣のシャワーを使用しているはずのエリーの声が、背中から短く返ってくる。
そして彩夏も、ここからどのような話題を切り出そうか悩んでいた。
この際だから一緒にお風呂にでも入ろうか? というエリーの誘いを、迷惑を掛けてしまったお詫びという考えから、二つ返事で受けたのが間違いだったのかもしれない。
事前連絡も取らずに突然お邪魔してしまっただけでなく、宿泊までさせてもらうというおもてなし行為に、少なからず罪悪感を感じていたのは確かだ。
あと言うとすれば、エリー・カーティという研究者と二人で話してみたいと、心のどこかで思っていたのかもしれない。
おそらく生産が停止した工場を造り変えたのだろう。全体的に広々とした構造の研究所は、浴室もそこそこ広い。
まず普通のマンションやアパート、一戸建てでは実現できないだろう広さだ。
シャワーは二人用で造られ、浴槽も大人三人は入れそうなくらい大きい。
エリー・カーティという人物の収入について一瞬考えてしまったが、それはさすがに不粋であると思い彩夏は考えを止めた。
「エリーさんは、いつから新田君と出会ったんですか?」
そして、…なぜかこんな質問が口から飛び出てきた。
質問した本人が一番驚いていると、エリーは昔を懐かしむように言った。
同時に、彩夏の身体に温かいシャワーのお湯が降り掛かる。
「私が裕紀と出会ったのは、彼が小学五年生のころだったな。異常な小学生が日本いるとだけ聞いて、半分以上興味本位で来日したんだけど、出会ってみるとかわいい子供だったことを覚えているよ」
「へ、へぇ。そうなんですか…」
そう呟きながら、彩夏はあの男子生徒の顔を思い浮かべる。
新田裕紀のことは、彼が彩夏を意識し始めるより前から気にしていた。
もちろん魔法使いとして。
当時、もちろん彼は自分自身が無意識に生命力で身体能力を上げていることには気付いてはいなかった。
生命力操作は身体能力強化も含めて、極めれば極めるほどに相当な鍛錬が必要となる。
なので、当時の体力測定で生命力操作を知らないはずの裕紀が身体能力強化を扱ったときは、驚愕と同時に他の魔法使いからの干渉と彼の様子を監視することに決めたのだ。
ただ、同級生としては友達までとはいかずとも、少し悪目立ちするクラスメイト(主に社会の授業)程にしか気に掛けていなかった。
むしろ相手の誤解を生み、ライバル視され続けてしまい、仲はあまり良いとは言えなかったかもしれない。
だから一ヶ月前までは、まさかこんな関わり方をするとは思ってもいなかった。
頃合いだろうと魔法使いとしてコンタクトを取るまではいいものの、自分の力量不足で彼を危険な目に合わせるだけでなく異世界という未知の世界へ行かせてしまい、半強制的にこちらの世界へと巻き込んでしまった。
更には彼を守るはずの立場である彩夏が重傷を負い、逆に命を救ってもらってしまった。
本来、魔法使いとして彼を守り導くはずの彩夏は、まだ裕紀に何も教えられていない。
「私は、新田君に守られてばかりだ」
ゆっくりと丁寧に背中を洗うエリーにこの心情を聞いて欲しかったのか、はたまた正面を洗う自分自身に呟いたのか。
彩夏の呟きは、一通り身体のシャンプーを流し終えたエリーが、自らのシャワーの場所に戻ったところで返答が得られた。
「さ、次は彩夏ちゃんの番だよ」
「は、はい。上手くできるかな…」
「何事も挑戦。そして経験さ」
誰かと一緒にお風呂に入ったことがなかった彩夏は自信がないように呟くが、エリーの一言で勇気を出して立ち上がった。
「私の母国は少し変わった風習があってね。初対面の同性同士がこうして寝泊まりするときは、挨拶の代わりに決まってお風呂に入るんだよ」
「さすがに異性はないんですね。よかった…」
「昔はあったらしいが、時代の流れには逆らえなかったらしいね」
「そ、そうなんですか…」
今の日本では到底考えられない事実に、彩夏はしばし慄いていた。
しかし、それでもエリーが彩夏をお風呂に誘った理由は把握できた。
来日したのは五年前だが、母国の風習はちゃんと覚えているのだろう。
日本にも温泉など、多くの人が衣服を脱いだ状態の空間でくつろぐ風習がある。
だが、わざわざ友達の家に泊まって一緒にお風呂に入るかと言われれば、頷く人は少ないだろう。
そういう観点で言えば、この国で生まれ過ごしてきた彩夏には少し異質のように感じるが、広い視点で考えてみると人間の繋がりを強く感じられる風習だ。
ペタペタとエリーの背後まで歩くと、シャンプーを馴染ませたボディタオルを手に取った。
(綺麗な肌だなぁ)
お洒落などにはあまり関心がなくとも、最低限の身嗜みというものは意識している。
なので、同じ女性としてどうしたらここまで綺麗な素肌を保てるのか気になった。
この肌を傷付けないように洗わなければ…、などと考えると余計に緊張してしまう。
恐る恐る丁寧に、彩夏はボディタオルをエリーの背中に押し当て優しく撫でた。
こしこしと、集中して手を動かす。
「ん…、もう少し強めにしてもらえるかい? 少しくすぐったいな」
「は、はい!」
どうやら優しすぎたらしく、そう指摘を受けた彩夏は力をやや強めにする。
今度はごしごしと強く、しかし肌は傷めないよう細心の注意を払って動かす。
「うん。そのくらいがちょうどいい」
「わかりました」
そう答えて、彩夏は手を動かし続ける。
すると、一言だけエリーは言った。
「本人の真意はわからないが、彩夏ちゃんが悪く思うことは一つもないよ」
「え…?」
「彩夏ちゃんは裕紀のことをどう想ってる?」
「…えっ!?」
唐突な問い掛けに、三秒ほど間を空けて彩香は短く声を発した。
(どう想ってる…って…)
エリーの質問に思考がやや停止。あらぬ方向へ進もうとするが、すぐに三週間前の記憶が蘇り当然のように彩夏は答えた。
「と、友達です」
友達を友達と呼ぶのが恥ずかしい、と思ってしまうのは自分だけだろうか? と思うが、エリーは気にせず言葉を続ける。
「私は、血は繋がっていないが裕紀を本当の息子だと思ってる」
「………」
エリーは裕紀が小学五年生の頃に出会ったと言っていた。
それから五年もの間、二人は本当の家族のように暮らしてきた。
もしかしたら、二人の関係をエゴという言葉で片付けてしまう者もこの世界にはいるだろう。
しかし少なからずこの二人、そして彩夏の中では、二人は正真正銘の家族だった。
言い知れぬ感情に胸を打たれながらも、彩夏は黙って手を動かしていた。
「親は子を守ることは当然の責任だと思っているが、友達も似たようなものだろう?」
「守る責任、ですか?」
呟きながら、彩夏はボディタオルからシャワーの柄を掴む。すると、エリーは取っ手をひねりお湯を出してくれた。
「君たちは責任なんて重い言葉で縛られる必要はないさ。友達が友達を守ることは素敵なことなんだ。裕紀はそれが当たり前と思ってるみたいだが、そう考えられること自体が大事なんだよ」
「いいんでしょうか? 私は守る立場なのに、守られ続けていても…」
「彩夏ちゃんと裕紀の関係に深入りはするつもりはないけど、裕紀はああ見えて結構泣き虫なんだ。彩夏ちゃんが側にいてくれるだけで、裕紀は助けられているはずさ」
魔法使いという以前に、友として友を守り、また、守られる関係。
もしそうなる事が出来たのなら、二人の関係は友達以上にかけがえのないものとなるだろう。
エリーの言う通り、それはとても素敵なことなのだ。
しかし、彩夏が裕紀とそのような関係になることは恐らくないだろうとも思ってしまう。
だが、彩夏は自分の望むことをそのまま言葉にした。
「私も彼を守れるように頑張ります。どちらにせよ、助けられてばかりじゃいられませんから」
胸の内の暗雲を胸の奥深くに押し込むように、彩夏は自身に誓うように、そう決意を言った。
自身の不安を悟られないよう、すぐに背中の泡をお湯で流す。
「困ったことがあれば相談して欲しい。微々たるものだが、私も力になるよ」
身体の泡を落とされながら、金髪の研究者は静かにそう言うのであった。
「さて、身体も洗い終わったところだし、そろそろ入ろうか?」
「ほ、本当に入るんですか…?」
エリーがお風呂に彩夏を誘った理由はついさっき知ったばかりだが、いざその時が来ると緊張する。
「せっかく湯を張ったんだ。まあ、彩夏ちゃんがどうしてもというのなら無理強いはしないけど」
「い、いえ! 入ります! 入りたいなぁーっ!」
せっかく好意を持ってくれたエリーの誘いを断ることはできない。
半ば投げ槍気味にそう言った彩夏に、エリーは短く笑うと言った。
「ふふっ。ま、銭湯の縮小版と捉えてもらえれば気も休まると思うよ」
「あははは〜」
(はぁ……)
内心の緊張を拭えないまま、彩夏はエリーと一緒に少し離れた浴槽に向かう。
こうして見ると、浴槽の広さはまさしくぷち銭湯のようだ。
「先にいいよ」と、エリーに促され、彩夏から先に湯船に足先を入れ、ゆっくりと温かなお湯に全身を沈めた。
「はぅわぁぁ〜」
じんわりと、身体の芯を優しく解すような温かさに、思わず間の抜けた声が口から零れた。
咄嗟に口を噤むが、エリーにはばっちり聞かれていたらしい。
しかし、当の本人も気持ちがいいのは一緒らしく、湯船に身体を沈めるとゆっくり息を吐いた。
「ふぅ~。やはり、《Japanese bath》はゴクラクだなぁ」
「そうですね。やっぱり、お風呂は気持ちが良いです」
同意する彩夏に頷くと、エリーは浴槽で姿勢を立て直した。
すると、いきなりずいっと顔を近付けてくるので、彩夏は慌てて身体を引く。
「な、なんでしょうか…?」
さっそく謎なエリーのアクションに、入浴わずか三十秒でのぼせそうになる。
そんな彩夏に向けて、エリーはとても真剣な声で言った。
「そろそろ教えてもらうよ。君のことについて、アレコレと、…ね?」
「えっ? ちょ、ちょっ!? エリーさん!? 待って…ッ」
その数秒後、浴室に響き渡った声をを聞いた者は、誰もいなかった。
一ヶ月以上もお待たせしてしまいすみませんでした。
今週もよろしくお願いします。




