特殊戦闘員(8)
年に一度のクリスマスイベントで盛り上がる新八王子駅付属のショッピングモールから飛び出した昴は、魔力の反応を探して駅前広場に来ていた。
魔法使いではない一般の人々は、いまこの時に魔法使いたちの生死を賭けた戦いが繰り広げられていることを知らない。
しかもその相手が市民を巻き込んでも何とも思わない連中であるがために、昴たち魔法使いは自分の命よりも優先してこの街の人々を守らなければならないのだ。
いっそのこと、ここに集まる全ての人に避難を呼び掛ければ多少のリスクも軽減されるのだが、そんなことをすれば魔法の存在を世間に報せてしまうことになる。
それ以前に資源争奪戦争の終戦から時が経ち、また戦争という脅威が薄れ始めた平和な国の国民は、危険を呼び掛ける昴をきっと相手にしないだろう。
一番厄介なことは、昴を精神異常者と勘違いした警備員に目を付けられ、余計な騒ぎを起こしてしまうことだった。
「ここか」
だから昴は、ただ待つことしかできない。
歩道から少し下った場所にある広い芝生の敷かれた駅前広場には、数人のカップルや家族が散歩をしている。
クリスマスということもあり、歩道や広場のイルミネーションを楽しんでいるのだろう。
だが、そんな平和な光景の広がる駅前広場には、確かに魔法の気配が感じられる。
恐らく人払いを展開させて、内部ではましろと玲奈が戦っているはずだ。
逃亡した密輸人、長岡佑造を拘束するだけのはずが、こうも時間が掛かっているということは、恐らくあの組織の介入があったのだろう。
だとすれば、人払いを解くのは全ての戦闘が終わってからとなる。
少なくともあの組織のメンバーを、力を持たない一般市民の前に出させるわけにはいかない。
(玲奈、ましろ。死ぬんじゃねえぞっ)
空間を隔絶する人払いの範囲内にいる仲間には思念を送ることも出来ない。
昴は両手を握り締めながら、ただ切実に仲間の無事を祈るしかなかった。
そんな彼の背後で、ある男の声がした。
「久々に帰って来たらいきなり任務でてんてこ舞いだってのに。なんだ。お前たちがこの任務の主戦力ってことか?」
「っ!?」
(…今の声、まさかッ!?)
数ヶ月聞いていなかった懐かしい声に、昴は弾かれるように背後を振り返った。
漫画や小説なら効果音すら付きそうなほどの勢いで振り返った彼の表情は、驚愕を露わにしていた。とてもじゃないがましろや玲奈の前では見せられない顔だ。
それほどまでに驚いていた昴の視線の先には、彼と同じかそれ以上の身長を誇る男性が私服姿で立っていた。
「アンタ…、帰ってたのか!?」
まるで今ここにいることが異常のような、そんな疑惑の籠った言葉に、私服姿の男性はニカッと満面の笑みを作ると右手を軽く上げて言った。
「よっ、昴。元気にしてたか?」
同時刻。空間隔離魔法領域内。
新八王子駅の駅前広場にて長岡佑造が魔獣化したことで勃発した魔法戦闘は、魔法研究者の魔獣を強化するという介入行為によって戦況は大きく変化した。
この世界に存在しない聖具を扱うことで生命力を大量に消費しながらも、玲奈は強化された魔獣と奮戦していた。
だが、聖具所持者が聖具を現実世界に維持させるために失われる生命力量は膨大なものだった。
相棒であるましろの支援に助けられながらも奮戦していた玲奈だったが、限界が近付いて来ているらしく、その動きに普段のキレはなかった。
息も普段ではあり得ないほどの早さで上がっているし、苦しみに歪むその顔からは血の気が引いていた。
聖具ではなく魔光剣で戦えば、今より生命力の消費量は抑えられるだろう。
だがそれでは、魔力の鎧に覆われたあの巨大な魔獣に傷を付けることが困難になる。
今の玲奈には苦しい状況でも聖具を扱うほかなかった。
「くっ、うぅ…」
辛うじて立っている玲奈の口から小さな呻きが漏れる。
その声にましろは振り返りそうになるが、隙を見せれば魔獣の触手が襲い掛かってくる。
「玲奈、少し休んで!」
今はただ、玲奈の体力を少しでも温存させることが重要だった。
そう考えたましろは、相棒へそう言うと魔獣へ走り出した。
魔法研究者によって強化された魔獣の身体は傷一つ付いていない。もちろん、ましろと玲奈が何の反撃も出来ずにいたわけではない。
それでも攻めあぐねていたのには理由がある。強化された魔獣は動きこそ遅いものの、その他のステータスが高いらしい。
強化された魔獣には両腕と両足、そして胴体を覆うように黒い鎧が展開されている。
魔法によるものか、魔獣の外殻のようなものかは定かではないが、あの黒い鎧がとにかく硬かった。
鉄をも断ち切る玲奈の斬撃が弾かれた時、二人の頭にはあの鎧には魔法の干渉もあることを悟った。ならば生命力強化での攻撃を得意とするましろでは、すぐにあの鎧を砕くことはできない。かと言って、魔獣がましろに鎧を砕かせてくれるほどの強力な技を使わせてくれるはずもない。
だが、魔獣も完全に身体を鎧で覆われているわけではない。触手の生える背面や鎖骨の辺りは防御が薄いようだった。
魔獣に向かって走ったましろは、瞬間的に全身の生命力を両足に集中させた。
その状態で地面を蹴ると、視界の景色が急に狭くなり風切り音も遠ざかる。
まるで音速を体感するような感覚に陥ると、あっという間に魔獣の巨体へと迫った。
一瞬で相手の懐へ飛び込んだましろは、相手に次の行動を起こさせる前に拳を握った。
狙うは魔獣の防御の薄い鎖骨一点のみ。
強化した両足で慣性を無視して垂直に跳ぶ。右拳に生命力を集約させ、弓のように引き絞る。
「てやぁっ!!」
空いている左手で魔獣の肩部を掴むと、目標を正面に捉えたましろは、気合を放ちながら右ストレートを繰り出した。
猛烈な速度で放たれたましろの拳は魔獣の鎖骨部に直撃する。
「グァアアッ」
周囲の芝生を揺らすほどの衝撃波が迸り、反動で魔獣の動きが止まった。
背面から生えた六本の触手も身体の動きと同期して一瞬だけ硬直する。
その瞬間を逃さず、ましろは全身の生命力を四肢に搔き集め連撃を繰り出した。
「ハアアアアアアアッ!」
魔獣に展開されている鎧を通常の生命力強化を施した格闘技で砕くことは、素手で大岩を割れと言っているようなものだ。
さすがにそれは無意味な攻撃、ということになるが、生命力操作における身体能力強化をマスターしているましろにはその無意味を変えることが出来る。
それは、一撃一撃にましろの生命力すべてを込めて放つということだった。
拳や蹴りに全身の生命力を分割して送り込むということは、生存するための生命力以外はすべて使い切るという覚悟が必要だ。この攻撃が終われば、ましろは完全に行動不能となる。
だからこそ、ましろの放つ連撃は全てが全力以上の威力を誇っており、受けた相手からすればゼロ距離から榴弾を連続で浴びているような感覚になるだろう。
「グァアッ!」
それでも魔獣は凶暴な雄叫びを上げると、硬直の解けた六本の触手でましろを迎撃した。
あの触手に拘束されれば生命力を吸われてしまう。高速で身体を動かし続けるましろは瞬時に思考を巡らせると、魔獣の身体を土台に一度その場から退避する。
標的を外した魔獣の触手が、上空へ飛んだましろを捕らえようと高速で迫ってくる。
空中では自在に動く触手に軍配が上がり、すべてを避けることが出来なかったましろの左足首に触手が巻き付く。
「あっ…!」
そのまま地面へ叩きつけられ、肺から一気に空気が抜ける。
「かはっ!!」
それでも、ましろは倒れることなく立ち上がり地面を蹴った。
「まだ、…まだぁッ!」
触手を解く時間すら惜しかったましろは、触手ごと魔獣へ突っ込むと真下から右腕を突き上げた。
両腕による防御は間に合った魔獣だったが、凄まじいましろのパワーにその巨体が空中に飛ばされる。
同時にましろも魔獣より高く飛ぶと、今度は地面に向けて魔獣を蹴り下ろした。
地面に叩きつけられた魔獣の周囲には衝撃により土煙が上がりクレーターが発生した。
それでも立ち上がった魔獣の生命力は恐ろしかったが、自慢の鎧の耐久度はそろそろ限界を迎えたらしく、胴体の鎧は所々欠け落ちている。
立ち上がった魔獣の至近距離で着地したましろは、最後の一撃を放った。
「これで…吹っ飛べッ!!」
「グ、グォアアア!!」
やられてばかりではないと思ったのか、魔獣も左手を握り締めるとましろを叩き潰そうとするかのように左拳を振り下ろした。
迫りくる漆黒の拳とましろの拳が激しい衝撃とともに激突する。
ましろは自身の拳に鋭い痛みが走ったのを感じたが、構わずに右腕を前へ突き出した。
パギャンッ、と鎧の砕ける音とともに粘液質の体液を撒き散らして魔獣の左腕が飛ぶ。
(まだ、終わってない!!)
右腕を振り抜いたましろはその反動を利用して身体を回転させ、即座に壊れている右腕を引き絞り直す。
「グ…、ォオッ!?」
「セヤァァアッ!」
短く呻いた魔獣の声は、即座にましろの気合によって掻き消される。
筋肉質で大岩のようだった魔獣の身体は、ましろの全力攻撃に押し負けて広場の奥側へと吹き飛ばされた。
硬質な筋肉に覆われた巨体が離れた芝生に墜落し、それによる振動が人払いによって隔離された空間に響く。
膨大な土煙とともに発生した地響きによって、残された生命力で立っているのがやっとだったましろは、辛うじて保っていた体勢を崩し地面に仰向けに倒れた。
生命活動や五感を維持するための生命力以外の、身体活動を行うための生命力すべてを用いた正真正銘の全力攻撃だ。
しかもその代償として右腕の感覚はほとんど残っていない。
あの魔獣の防御力は群を抜いているように思えたが、さすがにこの連撃を真正面から受けて無事でいられるはずがない。
(お願いだから…、これで倒れてよね…)
全力攻撃を行ったましろは、もはや戦闘不能の状態だった。
掠れそうになる意識をどうにか維持しながら、内心でそう祈るましろだったが、理想はそう簡単に二人を救ってはくれなかった。
「グゥウウ…」
「あは、は…。まったく、バケモノ、め…」
周囲に留まる土煙の陰から微かに聞こえる魔獣の唸り声を聞き、ましろは絶望したように小さく呟いた。
土煙が晴れ、そこに立っていたのは、全身から体液を噴出させてもなお立つ怪物だった。
「くっ、くく、あっはははは!」
その様子を遠目から観察していた魔法研究者が声高らかに笑う。
「いやいやいやぁ、惜しかったねぇ。一時はどうなるかと思ったが、どうやら私の研究成果が報われてくれたようだ」
そう言う魔法研究者に何かを言い返す余裕はましろにはなかった。
だが、どんなに打ちのめされても立ち上がる幼馴染は、じりっと地面を踏みしめて刀を支えにして言い返した。
「まだよ。ましろが戦えなくても、まだ私が戦える。あなたが生み出した魔獣は、ここで必ず仕留める…」
「くっ、ふふふ。言ってくれるねぇ。そんな満身創痍の状態で、どうやってこの魔獣に立ち向かうと? この魔獣には私の強化も施せる。いくら戦っても、魔力の乏しい君たちには勝ち目はない」
「だとしても、この街の市民を守るために、私は倒れるわけにはいかない!!」
余裕のある研究者の言葉を、玲奈は自身と刀に風を纏わせながら否定した。
どうしても諦めない相手に嫌気がさしたのか、魔法研究者は蔑みの表情を消すと冷たい声で言った。
「そうか。ならば自身の守ろうとした者たちの目の前で、悲惨な死を遂げるがいい。その後でじっくりと、この街の市民を実験体としてデータを採らせてもらうとするよ」
そう言って指を鳴らした魔法研究者に応えるように、浮遊していた仮面の魔法使いが両手を広げた。
次の瞬間、ましろと玲奈は隔離されていた空間が元の空間と融合する気配を感じ取った。
「人払い…無効化っ!?」
(何も知らない一般市民の目前で、玲奈を処刑するつもり!?)
そして玲奈を殺した後はましろだ。その後は、考えなくとも分かっていた。
「逃げ…て! 玲奈だけなら、まだ…ッ」
「逃げられないわ。こうなってしまった以上、魔法が知られてしまってもあの魔獣を…」
そう言って玲奈が草薙の剣を構えようとしたときだった。
「殺せ」
冷酷な魔法研究者の声がましろの耳に届き、いつの間にか強化し直されていた魔獣の触手が玲奈に向けて放たれた。
「あぁっ!」
玲奈の身体を触手が貫通する光景を想像し、ましろは悲痛な叫び声を上げた。
大切な幼馴染が目の前で殺された。
その現実を認めたくなかったましろは、ぎゅっと瞑っていた両目を開けることが出来なかった。
そんな彼女の耳に、もう一人の幼馴染の声が届いた。
「目を開けろ、ましろ! 玲奈は死んじゃいないぞ!」
必死さの滲んだ低い声が語る事実に、ましろは恐る恐る瞼を開けた。
すぐ目の前には触手にやられた玲奈が倒れている。…そのはずだったが、どういうわけか幼馴染は無事だった。
そんな彼女の目の前には、大剣型の魔光剣を携えた細身だが筋肉質な体型の男性が立っていた。
上半身は身体にピッタリな簡素なシャツと下半身はジーンズを穿いた、私服姿の男性は半分だけ身体をこちらに向けた。
茶色に染め上げたやや伸びた髪と、すっきりした顔立ちはカッコイイ男性の部類に入りそうな容姿だ。
しかし、その姿を目視したましろの視界は突如としてぼやけてしまう。
その理由は自分でも分かっていた。これほど奇跡というものを願い、それが叶った瞬間は人生でそうないだろう。
今のましろの心を満たしていた感情は安堵と安心のみだった。
「いつも、遅いんですよ…。萩原先輩!」
爛条昴に肩を借りながら立ち上がったましろは、頬を伝う涙に気付くことなく、この場では間違いなく頼りになる男へそう言った。
お待たせしました!
2018年も残り一ヶ月となってしまいました。体調管理に気を付けながら、ラストスパート駆け抜けたいなと思っています。
ということで、今週(今月?)もよろしくお願いします!




