特殊戦闘員(2)
午前八時十五分。
校門で部活のある親友二人と別れた裕紀は、余裕を持って席に着くと冬期補習に備えた。
不幸にも期末テストに出席できず受講対象者となってしまった柳田彩香も既に登校しており、離れた席に着席している。
彼女を見て、昨日の出来事を反射的に思い出すが、補習に集中しようと裕紀は意識を切り替えて冬期補習に臨んだ。
昨日の遅れを取り戻すべく、普段の倍は補習に集中していた裕紀は、昨日とは別の意味で時間の流れを早く感じていた。
そう感じた時にはすでに太陽は中天を過ぎ、二日目の冬期補習も終盤に差し掛かっていた。
理由は不明だがとても不機嫌そうだった萩原恵が担当する世界史の補習もどうにか乗り越え、残りの補習も集中して受けた裕紀は放課後を迎えていた。
時刻は午後五時を過ぎ、外はもう夕暮れを迎え暗くなっている。
部活に参加している親友二人とは、それぞれの活動が終わり次第校門前で集合することになっていた。
昨日とは違いまだ教室には生徒たちが残っていたが、いつの間にか帰ってしまったらしく柳田彩香の姿はもう教室にはなかった。
今回は見回りの教師に掴まる心配はなさそうだが、待ち合わせのため早くに教室を出た裕紀は、急いで生徒玄関へ向かい校門へ走った。
校門へ駆け付けた裕紀だったが、部活がまだ終わらないのか親友二人の姿はなかった。
ふと視線を体育館とトレーニング施設のある東側へ向けると、二つの建物にはまだ灯りが点いていた。
ただ、今日の部活は早めに終わる日であると、二人とも口を揃えて言っていた。
なので、しばらく待っていれば来るだろうと思った裕紀は、校門の脇にある花壇の縁に座って待とうと考えた。
よっこいしょっ、と花壇に座ろうと腰を下ろしたとき、ふと隣に人の気配を感じた裕紀は視線だけを左へ向けた。
そこには、まるで気配を殺した暗殺者のようにひっそりと花壇に座りながら、タブレット端末を操作する柳田彩香がいた。
「おわっ!?」
彼女の存在にまったく付かず、大きな声を出して仰け反った裕紀に。
「わっ。びっくりした……。いきなりなによ?」
なにやら作業中の彩香も驚き、画面から視線を外して裕紀を見上げた。
いきなり大声を出して驚かせてしまったことには申し訳ないと思う裕紀だが、気配を消して作業に徹せられていては誰だって驚く。
「すまん。てか、居るなら一言声を掛けてくれよ」
誤りつつもそう進言する裕紀に、端末をポケットにしまった彩香は立ち上がると言った。
「暗くても気付くと思ってたのよ。まあ、読んでいるところが良い場面だったから、話しかけられないよう少しだけ気配は消していたこともないけど……」
「ん? 読んでいたって、読書してたのか?」
素っ頓狂な裕紀の質問に、彩香はやや呆れた声音で答えた。
「ええ。電子書籍だけど。ほんとは紙の本が好みなんだけど、この暗さでは読めないから」
なるほど、と裕紀は納得しつつ、彩香は読書家であることを脳内メモに記録する。
とはいえ、やはり気配は消していたらしい彩香の発言に頭を掻いた裕紀は、本来先に浮上するはずの疑問を投げかけた。
「そもそも、柳田さんはどうしてここに? 誰かと待ち合わせているのか?」
口に出してからちょっと、いやかなり失礼な言葉遣いだった裕紀の質問に、案の定、彩香はムスッとした口調で言った。
「失礼ね。私だって誰かと待ち合わせたりするわ」
「す、すまん」
本日二度目の謝罪に、腕組みと溜息で対応した彩香は追加で応答した。
「昨日、上原さんにクリスマスイベントに誘われたのよ。部活がまだ終わらないようだから、こうして本を読んでいたの」
「え!? 柳田さんもクリスマスイベントに行くのか?」
しかも瑞希に誘われていたなどと、知りもしなかった裕紀は驚いてそう口にしてしまう。
そんな裕紀を見て、彩香も裕紀がクリスマスイベントに行くことを悟ったのだろう。
やや目を見開いて驚いた口調で言う。
「まさか、君も行くの?」
「あ、ああ」
「そう」
互いに一言ずつ交わし、そこで会話は途切れてしまった。
一般の学生としての二人であったなら、少しは会話も続いたかもしれない。
だが、魔法使いとしての今の二人の関係は少しばかり歪が生じているように思えた。
一つの組織への加入を望む者と、それを拒む者。
互いが互いを大切に思っているせいで生じてしまった小さな歪は、現実での普通の人間関係にまで微細な影響を与えていた。
しかも、裕紀はつい数週間前に彩香と友達としての関係を築き上げたばかりだったので、これ以上は互いの関係を悪くさせたくはなかった。
そんな嫌な沈黙を打ち破ったのは、部活が終わってへとへとにも関わらず走ってくる、二人の名前を順に呼んだ上原瑞希だった。
「お待たせーっ。裕紀くん、あやちゃーん」
白い息を吐きながら走って来た瑞希へ、二人は揃って視線を向けた。
裕紀も彩香も、わざわざ確認しなくても言いたいことは同じだった。
ちらっと隣を伺うと、視線に気づいた彩香はどうぞと言わんばかりに瞳を閉じた。
仕方ないと、代表して裕紀が瑞希に問う。
「お疲れ、瑞希。で、お疲れのところ悪いんだが一つ言わせてくれ。俺、柳田さんも一緒だなんて聞いてないぞ?」
身体を冷やさないためかアンダーウェアをしっかりと着込んだ瑞希は、裕紀の質問にはにかみながら笑って言った。
「あははー、ごめんごめん。ほんとは朝に言おうと思ってたんだけど、ねえ?」
「う、」
そして、何故か今朝の出来事を掘り返してきた瑞希に裕紀は言葉を詰まらせる。
自分の失敗を言及されないように、相手の失態を人質に取るのは卑怯だと思う。
まあ、過去の失敗は改竄しようもないのでどうにもならないのだが。
訳あり顔で裕紀をみつめる瑞希を見て、彩香もこの二人の間に何か問題が発生していたことを察したようだ。
そしてこの場合、常々容疑者として疑われるのは裕紀である。
「新田君?」
疑心暗鬼な視線を向けられ、すでに失態を犯している裕紀は視線を明後日の方向へ向けるしかない。
彩香から今朝のことを言及される前に話題を逸らそうと考えた裕紀の視界に、光の姿が映った。
彼も部活が終わり集合してきたのであろう。
校門で話している三人を見つけるとこちらに駆け足で寄って来る。
「わりぃ、わりぃ。まさか俺が最後だったとは。……って、柳田さんがどうしてここに!?」
どうやら光にも伝え忘れていたらしい。ちらっと隣を視ると、瑞希は素知らぬ顔で口笛を吹く真似をしていた。
「あ、ははは。よろしくね、剣山君」
「お、おう。一緒に楽しもうぜ!」
慌てふためく光に苦笑を浮かべてそう返す彩香に、慌てながらも男らしく光は了承した。
そんな親友の存在に感謝しつつ、裕紀はその存在を利用させてもらった。
「光も来たし、早くイベントに行こう」
単純にメンバーが全員揃ったのでさっさと行動を開始しようと提案をしただけだ。
だがその提案が思いのほか効力を発揮し、(そもそも興味がなかったのか)彩香は「そうね」と返すと瑞希を見た。
どうやら裕紀と彩香の探り合いを楽しくご観覧していたかったらしい瑞希は、一瞬つまらなそうな表情が浮かぶが、それはすぐにニカッとした笑みに変わった。
「そうだね! それじゃ、イベント会場にれっつごーっ」
グイッと右腕を突き上げ歩き始めた瑞希に続いて、三人も校門を出た。
「? おい裕紀。また瑞希と何かあったのか? てか、お前は柳田さんが一緒なこと知ってたのかよ?」
途中、光がひそひそとそう問い掛けてくるので、裕紀は少し考えて言った。
「実は俺も知らなかったんだ。まあ、今回は瑞希の伝達ミスってことで、きっと何か奢ってくれるんじゃないのか?」
さっきの仕返しだ、と内心でニヤニヤしながら言った裕紀の言葉に、瑞希の小さな背中が少し揺れた。
後ろから呆れた視線が飛んでくるが、こちらも少しはやり返しておかなければ気が済まなかったので気にはしなかったが。
「……まあ、奢りは嘘だけど、その分このイベントを楽しませてくれるさ」
ただ、本気で仕返してやろうという気持ちは裕紀にはなく、すぐに訂正の言葉を発した。
その言葉に、光と彩香は揃って微笑みを浮かべる。
「……裕紀くんのばか」
そんな裕紀の前を歩く瑞希から零れた呟きは、誰にも聞き取られることはなかった。
新田裕紀たちが新八王子駅ショッピングモールへ向かった時刻とほぼ同時刻。
クリスマスイベントの会場となっているショッピングモールの施設内は、すでにたくさんの人で賑わっていた。
施設内に新八王子駅がある関係で年間通しても客足は絶えないこのショッピングモールだが、年間の来客数は夏休みや大晦日を上回ってこの日がダントツで多い。
そこまでの賑わいを見せるショッピングモールの一角で、一人、場の雰囲気とは違う空気を纏った男性が立っていた。
黒いスーツに鞄を持った男性は、時節、腕時計を見ては時間を確認している。
まるで誰かと待ち合わせをしている、仕事終わりのサラリーマンのような男性。
そう。男性はある人を待っていた。
だが、それは彼女でも会社の上司、後輩でもなければ友達でもない。
世間一般には知られることのない、魔法という特殊な力を扱う人間。
魔法使いと呼ばれている存在の中でも、待ち合わせている相手は闇に属する魔法使いだった。
普通なら国際魔法機関に通報し身柄を引き渡すべきだろうが、男性にとっては大切な商売相手だった。
待ち合わせ時間は午後八時。
今回の仕事は男性にとって大きなものだったのでかなり早く来てしまった。
「一服してくるか」
この場であと二時間も待つことに抵抗を覚えた男性は、巨大なクリスマスツリーのあるメインホール方面ではなく、奥の通路にある喫煙所に向かった。
今週もよろしくお願いします!




