聖夜の日(6)
ひとしきり笑った飛鳥は、表情を戻すとそろそろ本題に入るべく、長机に置いてある資料ファイルを手に取った。
「さて、そろそろ時間も迫って来てることだし、君に渡すものを渡すとしよう」
そう言ってファイルから引き抜いたのは、幾つかの項目と記入欄の書かれた用紙だった。
飛鳥はぴらぴらとその用紙を差し出してくるので、裕紀は一歩前へ出て紙を受け取った。
受け取った用紙には【長期欠席終了届】と書いてあり、どうやら記入欄は長期間の欠席理由を記入するためのものらしい。
用紙を受け取りそこまで把握した裕紀は、提出期限を聞くべく視線を飛鳥へ向けた。
彼女も裕紀の聞きたいことを理解していたかのように、視線を向けられるとすぐに説明した。
「君の欠席理由は私が事前に学校側へ報告してあるが、再登校時にその書類を書いて提出するのが決まりでね。提出期限は一週間となっているが、早く出してもらっても構わない。自分の名前と親の捺印を貰って私に提出するように。……ああ、君の場合は今の保護者の捺印で構わないよ」
「わかりました」
そう受け答えながら、裕紀は近々エリーの研究所を訪れる予定を脳内のカレンダーに登録しておく。
恐らく裕紀が生徒指導室へ呼ばれた理由はこのことだろうと思い、用紙を学生鞄に仕舞った裕紀は生徒指導室を出ようとした。
だが、裕紀が最初の言葉を喋り出すより先に、ファイルを手に取った飛鳥が話を始めた。
「そうだ、新田。先日、私の知り合いが在籍しているコミュニティに顔を出してきたんだが、三週間前の事件のことで君のことが話題に上がってね」
「……え? 俺のことが、ですか?」
きょとんとしながら受け答えながらも、入院中、飛鳥は事件の事後処理などでとあるコミュニティに行き来しているという話を聞いたことを思い出した。
その組織について詳しくは教えてくれなかったが、飛鳥は大雑把にこの世界に住む魔法使いたちの治安維持組織のようなもの、と答えてくれた。
覚醒した裕紀の魔法使いとしての素質が大きな力であることはあらかじめ聞かされている。
きっとその組織は、裕紀の魔法使いとしての力を目当てに加入を勧めているのだろう。
そして、飛鳥もそのことを承知の上で相手に返答を保留し裕紀にこの話を持ち出している。
未だに何処のコミュニティにも加入する姿勢を見せない裕紀のことを、飛鳥は気に掛けているのかもしれない。
「正直に言って、このまま君が単身でこの世界を生き抜こうというのなら、私は君にこの組織への加入を勧めるよ。この組織ならば、君の力を有用に活かし、君自身ももっと強くなれる」
案の定、飛鳥は裕紀の将来を見据えてそう言ってくれた。
だが、登校前に自宅でアークエンジェル加入を決心した裕紀には、新しい可能性を提示されたようだった。
しかし裕紀は、飛鳥の言っている《魔法使いの治安維持組織》の詳細を知らない。
「前に先生は、その組織のことを魔法使いの治安維持組織と言ってました。でも、八王子防衛戦の時にその組織は姿を現しませんでしたよね?」
いくら治安維持を目的に活動している組織でも、一都市が危険に晒されている状況で駆け付けなかったことはどうにも気になっていた。
そんな組織を表面上だけで信じられるほど、裕紀も子供ではないし楽天家でもない。
「そうだな。あの時は、この一件をアークエンジェルのみで始末を付けるために、八王子市全域に我々が人払いを展開させていたから駆け付けられなかったんだ」
半ば自身も関与していることだからか、言いづらそうに事情を話した飛鳥だったが、すぐにはきはきとした口調に戻すと言った。
「だが、勘違いはしないでほしい。少なくとも、今まで起こった闇の魔法使いたちの犯行が酷くならずに済んでいたのは、間違いなく彼ら国際魔法機関のおかげなんだよ」
「国際魔法機関?」
初めて聞く名称を繰り返し呟いた裕紀に、飛鳥は説明を続けた。
「この世界の魔法使いの人口は年々増加している。そのうち、一般人にその正体を隠しきれなくなるだろうという予測も立てられるほどに」
まだこの世界の魔法使いの人口は少数だが、確実にその人口は増えている。
そう遠くない未来、世界の人口の半数以上が魔法使いとなる日も考えられるだろうと飛鳥は言った。
「君も知っての通り、魔法使いも人間だ。人である以上、悪の心を抱いてしまう者たちも多くいる。国際魔法機関は、そんな彼らを抑制する組織でも最大の規模を誇るコミュニティなんだよ」
国際魔法機関。International Magic Organization通称《IMO》と呼ばれているコミュニティは、魔法使いの世界では唯一世界規模で展開している組織で有名だ。
本部の場所は誰も知らないらしく、日本には東京と大阪の二都市に支部が存在している。
現実世界における闇の魔法使いの抑制だけでなく、異世界における魔獣討伐や他の現実世界の魔法使いたちの過度な行動を監視する立場にある。
八王子市防衛戦の報告ついでに飛鳥が言った、裕紀が異世界で剣を交えた北欧系の現実世界人に関しても、現在国際魔法機関の一部メンバーが捜索中らしい。
そんな世界中の治安を監視している組織に勧誘されていることはとてもありがたいことなのだろう。
だが、裕紀の心はあまり強くは惹かれなかった。
確かに裕紀は、契約魔女マーリンと世界の闇を払うことを魔法使いとして戦う目的としている。
そんな裕紀に、国際魔法機関の職務内容は天職のようなものだろう。
(けど、そこは本当に俺の、俺が戦いたい場所なのか?)
そんな裕紀の逡巡を、無情にも時間は待ってはくれなかった。
ベージュのカーペットを見下ろしながら黙っていた裕紀の耳に、懐かしいが聞き慣れた授業終了のチャイムが鳴り響いた。午前の授業が終わり、生徒や先生たちは昼休みに入ったのだ。
「む? もうこんな時間か。国際魔法機関側は本人の意志が決まるまで、返答をいつまでも待つと言っていた。この話は、君が後悔のないようゆっくり考えてくれ。学校の書類は一週間後までには忘れずに提出するようにな」
「……はい。わかりました」
さすがに貴重な昼休みを犠牲にしてまで裕紀の話に付き合わせるわけにもいかない。
この際、ゆっくり慎重に考えてみようと思った裕紀はそう答えると生徒指導室を後にした。
諸事情により投稿が遅れました。
今週もよろしくお願いします。
もう100部になるんですね~
この調子で続けられるように頑張ります!




