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魔女は灰かぶり  作者: ふとん
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あろうことか王子は魔女にプロポーズ

 エレンには、夢に見ていたことがあった。



 物語に住む王子様に恋をし、彼に想いを告げると彼はにこやかにエレンを抱き上げてくれる。そして二人は永遠に幸せに暮らすのだ。



 決して叶うことのない夢だ。



 カイに恋したと自覚した日から、エレンは自分の馬鹿馬鹿しい夢が絶対に叶わないと知っていた。

 可愛い従妹であるオフィーリアが特別な星の元に生まれていて、その運命がカイに繋がっていると出会った頃から知っていたからだ。

 叶わないからこそ、人生で初めての恋に胸を焼いていた頃、毎晩のように幸せな夢に浸った。

 エレンが微笑めば、カイがそれ以上に幸せそうに微笑んでくれる、幸せで儚い夢。

 

 実際にはありえない話だ。

 カイはエレンの運命には居ないし、そもそも魔女が王子と幸せになれるはずもない。


 魔女は国の政治に関わってはならないのだ。

 組合との契約によって魔女や魔法使いは王族や貴族からの依頼を受けるが、それだけだ。その薬やまじないがどのように使われたかなど、知らないし知ってはならない。

 薬一つ作るにしても、細かい規約があってそれに違反した者は組合から厳しい罰を受ける。

 それに、エレンが魔女でなかったとしたら、カイと出会うことさえなかっただろう。


 こうして、一生かけても縁のなかったはずの人の屋敷に滞在することもなかったはずだ。



「今日は幾分、熱が下がったようですね」


 カイはエレンの額に手を当てて、嬉しそうに微笑んだ。

 その邪気のない微笑みを見ていると、寝巻のままの女性の部屋に入り込んできたことを咎めたい気分がいくらか引っこんでしまった。


「侍女の話では、食欲もだいぶ戻られたようですね。梨がお好きだと訊きましたよ」


 そう言ってエレンが離れながら、カイは落ち着いた色合いの薄茶のコートのポケットから手袋を取り出して身につける。部屋を訪れるたびにエレンの熱を計る時、彼はどういうわけだか必ず手袋を外すのだ。


「生の果物はなかなか口にできない物だから……」


 王太子の屋敷で出る食べ物だ。パン一つとってもほろほろと口の中で融けるような極上のもので、レシピは平凡な病人食であってもおよそエレンが普段口にできるものではなかった。

 生の果物はその筆頭だ。エレンのように森で暮らしていると果実は確かに季節ごとに採れるのだが、ほとんどが保存食になるので生で食べることは限りなく少ない。

 それに、品種改良が施された果物は森の果実とは比べ物にならないほど甘いのだ。おかわりを要求したことは一度もないのに、うきうきと食べていた様子をしっかり見られていたらしい。

 恥ずかしくてうつむいたエレンを見つめて、カイは目を細めた。


「もう少し風邪が治ったら、水菓子の盛り合わせを用意しますね。この時期に食べられる果物は存外多いのですよ」


 そう言って、カイはエレンの髪をひと撫でする。

 幻影である老婆の姿ではなく元の姿だから逃げる必要はないのだが、カイはエレンに触れるようになった。

 風邪で寝込んでいたこともあってなし崩しに彼が触れることを許してしまったが、本当ならその手を跳ね除けてもいいはずだった。

 それが出来ないのは、病気で心が弱っているからか、エレンの心が弱いからか。


「……気を遣わないで。セリーネさんにとっても良くしてもらっているわ」


 カイの向こうで静かに茶の用意をしている亜麻色の髪の女性は、その手を止めてエレンを見遣るとゆったりと微笑んでくれた。

 エレンが担ぎ込まれた日からエレンの世話をしてくれている侍女のセリーネは泣きぼくろの色っぽい美女だ。お仕着せを着ているのがもったいないほど均整のとれた容姿をしている。


「……あなたの世話をさせろとうるさく言うほどですからね」


 少しだけ笑顔を曇らせてカイが言うので、セリーネにエレンが顔を向けると彼女はにっこりと微笑んだ。


「当たり前です。この男所帯でいったいどなたが魔女さまのお世話が出来るというのですか」


「それは私が」


「魔女さまには長くとどまっていただきたいのではないのですか。殿下」


 カイが言いくるめられるなど、驚天動地の光景だ。

 しかしセリーネにとってはごくごく普通のことらしく、さして気にした様子もない。


「お茶の用意が整いました」


 今日も完璧に侍女としての仕事をこなして、優雅に部屋を辞していく。

 その優美な後ろ姿を見送って、エレンは小さく溜息をついた。


「……セリーネを気に入りましたか」


 カイはエレンを布団から誘い出して、ベッドのすぐ脇に添えられているテーブルに招いた。

 テーブルに用意されているのはエレン用のはちみつ入りのミルクと、カイのための紅茶だ。エレンがポットに手をかけようとすると、カイは軽く制して自分でカップに紅茶を注ぐ。

 使用人のようにエレンに椅子を引いて座らせてみたりと、カイはエレンの前では時々王子様らしくないことを平気でする。


「セリーネさんは良い人ね。時々怖いけれど」


 熱が完全に下がりきってはいなかった頃、エレンがベッドから起き上がって部屋をうろうろしていたら顔はにこにことしていたがセリーネに怒られ、寝かされたことがある。

      

「セリーネはこの屋敷の唯一の女の使用人ですからね。時々ヨセフも黙らせるのですよ」


 あの押しても引いても動かないようなヨセフに文句を言わせないなど、エレンには槍が降っても無理だろう。セリーネはたおやかな外見に反して、とんでもない女傑のようだ。


「私も彼女がこうと決めたことに口を挟めた試しがありません」


 一番近い部下であるライオネルをして傍若無人と評されるカイにここまで言わせる優秀な女性だ。エレンなど、魔女であること以外は実につまらない小娘に見えるだろうに、彼女はそんな素振りを一度も出したことがない。


 侍女にもあのように素敵な女性が居るのだ。

 カイの周りにはオフィーリア以外にも女性がたくさん居る。

 その事実を今更ながら目の当たりにして、エレンはいかに自分の住んでいる世界が狭いかを思い知った。


 何をのぼせ上がっていたのだろう。

 ただのエレンに特別なことは何もないのに。


 カイがオフィーリアと出会ったことで失恋した今では、エレンの中で夢中になった初恋は音を立てるように色褪せてしまっていた。



 

(風邪が治れば出て行こう)


 意識がしっかりとしてから、エレンはそう心に決めていた。

 ライオネルがあの日来なければ一人で寝込んで治していた風邪だ。

 食べることさえままならなかっただろうから、屋敷に招かれたことを感謝こそすれ恨みはしないが、長居をしていい場所ではない。

 だから、エレンは大人しくカイやセリーネの言うことを聞いて風邪を治すことだけに数日を費やした。

 冬籠りの支度が途中だったことや作りかけの薬のことがとても気になって仕方なかったが、風邪が治らないままでは部屋の外でさえ出してもらえなかったこともある。


 自分の屋敷に連れて来たというのに、カイは非常にまめにエレンを見舞った。朝昼晩の三度の挨拶に始まり、仕事の合間を見つけては日に何度もエレンの顔を見に来ては熱を計っていくのだ。

 酷い時には朝からずっと部屋に居続けるので、さすがに目に余るとセリーネが追い出したこともある。

 カイに仕事の加減をさせるという次の目的は期せずして叶ったが、今のさまではエレンの目にさえ仕事をしないぼんくら王子として映ってしまう。

 それにエレンの風邪が治って元の仕事人間に戻ってしまっては元も子もない。



「―――仕事以外の時間は何をしているの?」


 今日も朝から三度目になる訪れに尋ねてみると、すっかりぼんくらとなってしまった美しき王子は幸せそうに微笑んだ。


「あなたとこうして過ごしていますよ。魔女殿」


「……私と会っている以外の時間は」


「仕事をしています。あと食事と睡眠を」


 エレンは頭を抱えたくなるのを我慢して質問を続けた。


「…………屋敷の周りを散歩しているとか聞いたように思うけれど」


「ええ。朝の日課でしたよ。そろそろ外へ出てみましょうか。明日あたり私と庭へと参りましょう。今なら秋の終わりのバラが見られますよ。魔女殿」


 セリーネが毎日整えてくれる髪をかきむしりたくなったのは誰も責められないはずだ。

 カイの中には程々という言葉はないらしい。

 それを本当に実感したのは翌日からのことだった。


 

 朝食を終えたエレンに向かってセリーネが着替えを差し出してきたのだ。

 上等なフリルが上品にあしらわれた柔らかな空色のドレス。

 エレンの持ち物にそんなものがあったとは思えない。


 今身につけている寝巻や下着は、エレンがセリーネに無理を言って家からとってきてもらったものだ。身一つで招かれたので寝巻から何から何までを用意されていたが、エレンが固辞したのだ。

 だから断言できる。エレンにこのように上等なドレスの持ち合わせは無い。


 疑問をいっぱいにした顔をセリーネに向けると、彼女はいつものようににっこりと微笑んだ。


「どうぞお使いくださいませ。申し訳ございませんが、魔女さまの服をきちんとご用意できなかったのです」


 セリーネに限ってそんな失態をするとは思えない。

 確信犯だ。

 しかし、寝巻以外に空色のドレスしか着るものがないのであっては部屋の外を出歩くことも出来ない。

 すっかり諦観を身につけてしまったエレンはこの日だけと言い聞かせてドレスに袖を通した。

                    

 夜会のドレスのように矯正器具のついていない柔らかなドレスは、エレンが普段来ているワンピースに近く、裾が長いことを除けば思っていたよりも動きやすかった。


 それを庭を案内してくれたカイについ口にした。

 借り物とはいえ、用意してくれたものに礼を述べるのは人として当然のことだ。



 しかし、それがいけなかった。



 そのまた翌日。


「……これは?」


「今日はこのドレスをお使いください」


 淡い新緑色のドレスを持ったセリーネがにっこりと微笑んでいた。




 それからというもの、風邪が治ったエレンに次々と衣装が増えていった。動きやすいドレスに始まり、華奢だが歩きやすい靴、外出用の帽子、少し寒い時に羽織るショール。

 レースがふんだんにあしらわれた日傘まで用意されて、エレンはようやく気がついた。


 このドレスや靴は借り物などではない。すべてエレンにあつらわれたものだ。


 いくら上等なものだからといって、エレンの体にぴったりと沿うようにできているはずがないのだ。



「これはどういうことなの!」


 髪こそ緩い三つ編みのままだが、似合う似合わないは別として、格好だけ見ればエレンはまるで貴婦人ように仕立て上げられていた。


 ここ最近毎日のように散歩へと誘いにくるカイに、とうとうエレンは詰問した。


「王太子の庭に、私のような魔女がローブで歩いているのはそれは不格好でしょうとも! でも、こんな格好をさせられるいわれはないわ!」


 秋バラの残る庭の真ん中で怒鳴り出したエレンを、カイは目を丸くして見つめていたが、すぐに持っていた日傘を畳んで彼女を近くの東屋に誘った。

 木の香りとバラの香りが混じる東屋に座らされて、エレンは改めてカイを睨みつける。

 青紫の渋い色合いのコートをまとった金髪の王子は、静かにエレンをその空色の瞳に映す。

 睨みあった二人の間を、遠くで小鳥のさえずりが滑りこんで消えて行った。


「……そのドレスは、お気に召しませんでしたか」 


 今日、エレンが着せられているのは淡い紫のドレスだ。薄い水色のショールを肩にかけているので、カイと並ぶと色合いだけ見れば一対のようだった。


 まるで、エレンがカイの恋人であるかのように。


 エレンは甘い幻想を首を振って追い出した。

 ドレスは素敵だ。庭も綺麗だ。しかし、カイの隣にこうして居並ぶべき相手はもっと他に居る。


「―――殿下、あなたには感謝しているわ。自分の不注意で風邪を引いてしまった魔女の私に分不相応なほど良くしてくれた。でも、私は魔女であって着せ替え人形ではないのよ。ただ滞在している魔女に毎日ドレスや靴を贈るなんて、どうかしているわ」


「……どうかしている、ですか」


 カイはエレンを空色の目に閉じ込めるように細めて、美しい形の眉を苦しげに歪めた。


「確かに、私は狂ってしまったのかもしれません」


 そっと、物語の中で優雅に微笑んでいるはずの美貌がエレンを覗きこむように囁いた。


「冬の間だけとは言わず、ずっとこの屋敷に居てくださいませんか」


「何を…」


「あなたのためなら、私はどんな労苦も厭いません。あなたが望めば何でも叶えて差し上げます。ですから」


 そんなことは、出来るはずがない。

 

 エレンはカイがどれほどこの国のために働いているか知っている。

 毎日毎日、エレンに会いに来る以外は執務室に籠りきりで書類を繰っているのだ。

 エレンを見舞う以外の時間は食事と睡眠だと言ったのは、嘘ではない。

 こうして散歩をする時間でさえ、彼は仕事の時間をぎりぎりまで削って捻出している。


 そんな彼が、どうしてエレンのために己を削れるというのだろう。

 すでにカイの身は、王太子として粉にされているというのに。


 魔女であるだけのエレンに、どうして彼の身を寄越せと言えるだろうか。



(ごめんなさい)



 どうして彼に恋などしたのだろう。



(好きになってごめんなさい)



 カイはすがりつくようにエレンを見つめている。

 きっと、彼は素直に自分を言い表わせる相手が欲しいだけだ。

 厳密には国に属さない魔女であるエレンには王子を敬う理由がない。

 ただ、それだけだというのに。

 


「……泣かないでください。あなたに、そのような顔をしてほしくない」


 傲慢な王子はそう言って、エレンの頬を撫でた。


「私の選んだドレスが気に入らなければそう言ってください。何度でも新しいドレスを作りますから」


 そうじゃない。


 首を振るエレンの頬をカイは両手で包み込む。


「……あなたがどんな物でも心を許してくれないことは分かっています。けれど、私はそれ以外に心の表わし方をあまり知らないのです」


 カイは今にも消え入るように呟いた。



「エレン」



 見た目よりも骨ばった冷たい手がエレンの頬を滑る。




「あなたを、愛しています」




 それは、夢にまで見た台詞だったというのに。

 

 エレンの心は真っ黒な絶望に包まれた。



―――彼の熟女好きは治ってなどいなかったのだ。




※一部ご指摘いただきましたので修正いたしました。

ありがとうございました。


※あつらわれた~についてのご指摘いただきましたが、検討の結果、改訂せずこのままの表記にすることにしました。昔話風味に作っているので文語混じりでもいいかなと。ご不快でしたらスル―してあげてください。

ご指摘ありがとうございました。


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