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魔女は灰かぶり  作者: ふとん
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若い娘を王子にあてがい

 エレンがかの王子の姿を初めて見たのは、当然のことながら王城でのことだった。

 

 定期的にエレンを城に呼びだす贔屓の薬師に薬を渡して帰る途中の道すがら。油断すれば霞そうになるほど遠目だったが、その類稀なる美貌は光り輝いて見えたものだ。

 あの馬鹿みたいにきらきらしている男は何者だと思えば、近くでエレンと同じように彼を眺めていた女官たちが「第一王子のゲイルヴォート殿下だわ!」と姿を見られた幸運を黄色い声で騒いでいたので知ることができた。何でも、あの神とも天使ともつかない姿を見られたなら、その日は万事幸運に恵まれるとかなんとか。

 頭から被った魔女のローブの舳先から覗いた姿は確かに素晴らしい立ち姿だったが、エレンの第一印象は「目が疲れそう」だった。

 

 それが何の因果か王子は魔女の家まで押し掛けてくるようになり、エレンが恋をし、静かに失恋し、そして今、王国にとっても深刻かつ難題にエレンは挑もうとしていた。

 あの世間で誉れ高い王子を乙女が憧れるそのままの物語とせんがため。


 王子の熟女好きを何としても矯正しなくてはならない。



 王子の熟女好きを改めると決意を固めたエレンの行動は早かった。

 

 老婆の変装を止めたのだ。


 要は普段の姿でいればいいだけなので不自由はない。むしろ分厚いローブを着なくて済むので生活がしやすいほどだ。

 元々、エレンの変装は時々森に用もなく入ってくる子供や暇な大人のためのものであって、常の装備ではない。

 カイは用もないのに森にやってくる筆頭だったので、常に老婆の姿で相対していただけだ。

 

 手始めに嫁入りには幾分とうが立っているが、エレンのような娘に慣れさせなければ。

 そう心に決めたのだが。



「……来ないわね」



 週に一度の訪れを欠かしたことがなかったというのに、エレンの捨て身を裏切るように当の本人が来ない。

 エレンの良からぬ企みを察知したとは思えないが、二日続けてやってきた珍事から数えてすでにひと月が過ぎようとしていた。こんなことはカイが訪れるになってから初めてだ。

 初恋に胸を躍らせていた頃は今か今かと待ち構えていたような気もするが、すでに失恋が使命感へと変わったエレンには焦りしかなかった。

 まさか城へ乗り込んで、王子を呼びだすわけにもいかない。


「……ま、こっちが焦れても仕方ないわね」


 忘れがちになるが、相手とは歴然とした身分という壁がある。

 本来なら怒鳴りつけるどころかこちらから話しかけることさえ憚られるのだ。


(もしかしたら)


 すでにエレンの預かり知らないところでオフィーリアとの恋が始まっているのかもしれない。

 そうなっていれば、当初の本題は果たせたことになる。


(そうよね)


 いくら熟女好きだろうと、運命の相手に惹かれないわけがないのだ。

 むしろその性癖があるからこそ、オフィーリアが唯一無二の存在になるかもしれない。

 彼女であれば、王子の花嫁となるにはいささか身分が低いが貴族であるのは大きなことだ。幸いバーレーの家は爵位こそ侯爵だが古い歴史を持つ家だ。鼻につくほど見劣りがすることもない。


 問題がエレンの手を完全に離れてしまったことには、いささか肩すかしにも思えたが、これで良かったのだ。


 エレンはそう自分の中でけじめをつけて、薬の荷造りに熱中した。

 今日は、薬を卸しに行く日だ。


 注文をもらってこつこつと薬を作る作業は、エレンには思いのほか合っていた。

 たまに問屋との値段交渉で辛いことも言わなくてはならないが、特殊な薬以外はおおむね薬というものは人々に感謝されるものなので、エレンの魔女業は地味ながら成功していると言えた。

 それはこの森に住んでいた師アリンダやもっと前の魔女たちがもたらしている確かな功績で、エレンも微力ながらその道標となろうと決めている。

 ゆくゆくは才のある子供を引き取って、後進を育てていくことになるだろう。


 今はまだ、背負子を担いで薬を売ることぐらいが関の山なのだが。 

 


「ねぇ、エレンさん。お話を聞いてくださらない?」


 薬問屋に薬を届け終えると、こうしたお願いをよく受けるようにもなった。

 以前のアリンダには話しづらかったのか、エレンに持ちかけられるのはほとんどが恋の話。

 街の角で呼びとめられて、いきつけの喫茶で一人、また一人と話を聞く。

 相談という形だが、エレンの方から気のきいた助言をしてやることは滅多にない。

 ほとんどの人がエレンに話をするだけですっきりとした顔で帰っていくからだ。


 先ほどエレンを呼びとめてきた娘は意中の相手にどうやって告白するか悩んでいるという相談だった。

 長々と彼女と彼のなれそめを聞き、告白には友達についてきてもらおうかと言うので、それだけは止めておいた方がいいとだけ言っておいた。

 告白すらも出来ずに終わったエレンが諭すことではないのだが、互いに一対一の方がきっと運命がすんなり動いてくれそうだと思ったのだ。

 縁があれば彼は頷くだろうし、そうでなければ娘は次の恋を探すだけ。


 魔女ができるのはほんの少しの手助けだけだ。人の運命を左右するようなことには決して関わってはいけないと師が生前口酸っぱくエレンに教えたものだ。

 教えられていた頃はどういう意味なのか測りかねたが、こうして一人立ちして狭いながらも仕事として人と関わるようになってくると、アリンダの言葉の意味がぼんやりとだが分かってきたような気がした。

 魔女であっても人の身で出来ることなど両手から出ることはないのだ。

 右と左に一つずつ。

 どちらかが重くなった時、人は誰かにそばに居てほしくなるのだろう。



「やぁ、エレン。久しぶりだな」


 エレンの助言に嬉しそうな顔になった娘を見送って、すっかり湯気の消えた紅茶を飲んでいると、栗色頭がのっそりと片手をあげた。


「あら、久しぶりね。ガンネット」


 エレンが自分を見つけると、彼女と同い年ほどの男はくしゃっと笑顔になってエレンの向かいに腰かけた。

 ガンネットはこの年で腕のいい鍛冶屋だ。普段は工房にこもって注文品を作り続けているが、昼間の中途半端な時間に突然休憩を入れに喫茶にやって来る。

 彼には、この喫茶に目的がある。


「こんにちは、ガンネットさん」


 そっとやってきたブルネットのおさげの娘がにこっと嫌味のない笑みを浮かべて、メニューをガンネットに渡す。

 受け取ったガンネットは優しい笑みを浮かべ、


「やぁ、ハンナ。今日も綺麗だね」


「お世辞は注文してからにしてちょうだい」


 にこにこしながらもおさげ髪の娘、ハンナは少し口元をひきつらせた。


「だいたいエレンさんが居る前で止めてちょうだいよ! 私がそばかす気にしてるの知ってるでしょ!」


 ハンナの鼻の頭に少しだけそばかすが残っている。それほど目立つこともないのだが、まだ十七の花も恥じらう彼女には気になって仕方ないらしい。


「ねぇ、エレンさん。どうやったらエレンさんみたいな抜けるような白い肌になるのかしら」


「まぁハンナ。いつのまにそんな嫌味なお世辞を覚えたの? お姉さん悲しいわぁ」


 日がな一日薬草を採ったり乾かしたりと働いているエレンはお世辞にも白い肌ではない。おまけに水仕事で手は荒れているし、髪にまで薬草の匂いが染みついている。

 透けるように白く美しいのは、オフィーリアのような本当の深窓の令嬢をいうのだ。


「エレンさんは素敵よ」と頬を膨らませてハンナがそっと耳打ちしてくる。


「エレンさんがこの窓際に座っているものだから、今日は本当にお客が多いのよ」


「まさか」


 エレンが森の魔女だということは、知っている者は知っている。そうでなくとも白髪の女など珍しいのだ。


「ハンナは本当に商売上手ね。いいわ。今日のおすすめのケーキをもう一つちょうだい」


「もう! 頑固なんだから!」


 そう言いつつもハンナはちゃっかり伝票にケーキの注文を書き込んでいる。いい看板娘だ。


「じゃあ、俺もそのケーキとコーヒーをくれ」


 メニューをハンナに返しながら、ガンネットもそう言って笑った。


「二人ともメニューなんかいらないんだから!」


 文句を言いつつも、ハンナはおさげを揺らして厨房へと注文を届けに戻っていく。

 その華やかな後ろ姿をガンネットは愛おしそうに見送った。


 ガンネットは、ハンナのことが好きだ。


 それはもうエレンがこの喫茶に通うようになる前からずっと。

 けれど、ガンネットは未だ彼女の手すら握ろうとしない。


「……まだ何も言わないの?」


 時折こうして尋ねてみると、ガンネットは人の良さそうな目を丸くして、照れたように笑った。


「俺は取り得のない男だから。こうやって見守ってるのがちょうどいいんだ」


 幼い頃はよく遊んだ仲らしい。

 お兄ちゃんと呼びながら後をついてきたハンナはそれは可愛かっただろう。


「すぐに大人になっちゃうわよ」


 そして恋もすることだろう。それはガンネットではないかもしれない。

 エレンの指摘に痛みを笑うようにガンネットは目を細めた。


「一応、18まで待っているつもり」


 気の長いことだ。


「―――なぁ、エレン。男は結構臆病なものなんだよ。自分は本当に彼女を好きか、相手はどうなのか、もしも思いが通じても幸せにしてやれるのか。そんなことまで考えて動けなくなっちまう」


「あら。浮気するのは圧倒的に男の方が多いわよ?」


「それは恋愛相談の経験?」


 ガンネットが意地悪く笑うので、エレンは「そうよ」と鼻を鳴らした。


「中には奔放な魔女もいるけれど、私は無理。でも魔女のスキャンダルより街の恋愛相談の方が生々しいのよね。男の浮気とか」


「それは怖いな……」


 栗色の頭を軽く掻いて、ガンネットは苦笑する。


「心に相手を決めていても、他に目がいってしまうのは否定しないよ。俺みたいな男でも、エレンみたいな綺麗な女性を見れば綺麗だと思うし」


「ガンネットまで冗談は止めてよね」

   

 ガンネットは素直で実直な男だが、客商売が板についてくるとタチの悪い世辞を覚えてしまうらしい。


「いや、本当だよ。エレンは綺麗だよ。この頃特にね」


 当の実直な男は急に顔をしかめた。


「自覚がないのはしょうがないけど、自分が魔女だからって君は油断してるから心配だよ。くれぐれも変な男についていかないようにね」


 彼の忠告で思い出したのが、この頃顔を出さない王子のことだと知られたらどう思われるのだろうか。

 エレンは自分の中で急速に片付いていく失恋に少し頭が痛くなった。


(いや、確かに好きだったのよ。それは確かなの)


 会えば嬉しかったし、会えなければ何もかもがつまらなかった。

 優しくされると頬が赤くなるのを止められず、胸が苦しくなった。


 しかし最近ではどうだろう。

 胸が苦しいというより胃が痛む。


「どうした、エレン? どこか具合でも悪いのか?」


 いけない。ガンネットのせっかくの逢瀬に水をさしては空気を読まないにもほどがある。

「大丈夫」と冷めた紅茶を飲み干して、エレンは自分を引き締めた。


「あーっ!」


 そんなエレンの後ろから、素っ頓狂な叫び声が上がったかと思えば、ずかずかと厳ついブーツの音と共に背の高い男が慌てたようにやってきた。

 流れるような銀髪の見目いい男だ。長い髪を首の横でまとめてかっちりとしたコートを着込んでいる。くるぶしに届きそうな裾の長いコートの襟には、この国の紋章が入っていた。

 涼やかな目元と高い鼻梁に恵まれたすっきりとした美形だというのに、彼は自分の顔が崩れるのも厭わず、エレンに向かって泣きそうな顔をする。


「ダメですよ! これはダメです!」


「な、何が?」


 思わず尋ねたエレンの腕を手袋をした大きな手が掴むので、さすがのガンネットも顔色を変えた。


「いきなり何なんだ。あんた」


 鍛冶屋仕込みのごつい手で銀髪の腕を掴んでエレンを離させた。

 しかし当の銀髪は「へぇ、結構強いな」と呟いただけでさして痛みはないようだ。平気な顔をしてガンネットの腕を軽く払うと、


「取り乱して申し訳ない。森の魔女殿」


 エレンの腕を一瞥して自分の非礼を詫びてくる。


 この空気には覚えがある。


「……あなた、お城関係の人?」


 エレンの問いに、銀髪は優雅に胸に手を当てた。きゃあと様子を見ていた客から黄色い声が上がったのは気のせいではないだろう。

 彼は流れるように礼をして、銀のまつげをそっと伏せる。


「はい。私は、第一騎士団所属ライオネル・ヒューバートと申します。お見知り置きを」


 王家の近衛として花形の第一騎士団で銀髪のライオネルといえば、氷のように冷たい美しい騎士として知られている。花形中の花形だ。

 乙女の憧れの美貌の騎士はその噂通りの立ち姿を披露した後、一拍後にはエレンに詰め寄った。

  

「あ、そうだ! 俺のことはいいんですよ! とにかくマズイですよ森の魔女殿!」


(氷……)


 いったいいつの間に氷解してしまったのだろうか。

 目の前の噂の騎士は、触れれば凍りそうな美貌をしまりなく歪ませている。

 エレンの生温かい視線にも気付かないのか、ライオネルは意味のわからない力説を繰り返す。


「こんなところ見られたら打ち首獄門では済みません! 俺の首のために止めてください!」


「だから何を?」


 要領を得ない説明を整理するにはまず話している本人を落ち着かせなければならない。

 エレンはゆっくりと警戒されなように、ライオネルの腕をぽんぽんと叩いた。


「きちんと話してくれなくちゃ、何を止めるのか分からないわ」


 極めて良心的な宥め方をしたはずが、腕をぽんぽんとされたライオネルは死神に出会ったような顔で真っ青になってしまった。

 息の仕方を忘れたように数秒口をぱくぱくとさせて視線を彷徨わせたと思えば「ごめんなさいすみません申し訳ございませんでした!」と猛獣でもいるかのようにエレンから飛びのいてしまう。


「あの、ライオネルさま?」


「どうぞヒューとお呼びください! 魔女殿!」


 人と話すにはいささか離れたところから、ライオネルの悲痛な叫びを聞いてエレンは素直に頷いておいた。よっぽど魔女が恐ろしいのだろう。それにしては先ほどまで普通に喋っていたように思えたのだが。


「それで、私は何を止めればいいの?」


「逢引きです!」


 何だそれは。

 エレンの怪訝な顔に、ライオネルの顔はますます絶望していく。


「あの方というものがありながら、浮気などと恐ろしい真似をなさらないでください! 我々家臣の命がいくつあっても足りません!」


 これまた耳慣れない言葉ばかりだ。

 浮気とはこれいかに。


「浮気も何も、私にやましいところなど何もないように思うけれど?」


 恋はしたが今日も一人身の魔女のままだ。

 しかし、ライオネルは「ああ!」ととうとう泣き崩れてしまった。もうどうしようもない。

 これではエレンの方がが嫉妬に泣く女を冷たく突き離しているようだ。

 さすがに心配になって彼のそばに寄ると、


「……分かりました」


 睨まれれば氷になるとまで言われている深い藍色の双眸に涙をいっぱい溜めたまま、ライオネルはエレンを恨めしそうに睨みつけてくる。申し訳ないが氷どころか雪も降りそうにない。


「私と共においでください」


 ライオネルは乱れた襟を直すと、すっとエレンに手を差し出してくる。

 今更、美貌の騎士として振舞ってくれたところでエレンには何の感慨も浮かばなかった。


 それに先ほどガンネットにも言われたところだ。

 変な男にはついて行かない方が身のためだろう。


「申し訳ないですけど…」


「あの方は、今、執務でお忙しくあなたに会いに行くことさえままならないのです」


 溜まった涙をハンカチで拭きとって、静かな双眸でライオネルがエレンを見下ろしてくる。


「森へ出向いて、あなたと語らうことを何よりも楽しみにしておいでだった方です。ここひと月というものその楽しみを断たれてしまい、もう限界なのです」


 そんな奇特な楽しみを持っているのは、今のところ一人しか思い浮かばなかった。


「……そんなに悪いの?」


「ええ、限界です。ですから魔女殿、どうかお願いいたします」


 話に聞いていた彼の仕事風景は殺伐としたものだ。時々、寝食さえ忘れるという。


(あの馬鹿! 体には気を使えって言ったのに!)


 寝食を忘れれば人の体は限界などすぐ来るというものだ。


「―――案内をお願いできるかしら?」


 魔女の忠告を無視するなんて、ひっぱ叩いてやらなくては気が済まない。

 エレンは魔女の使命感でライオネルの手を取った。


 心配顔のガンネットとハンナを宥め、おすすめのケーキをいくつか包んでもらい、エレンは空の薬箱を背負う。何も食べていないならケーキでも口に突っ込んでやればいいのだ。

 

「大丈夫なのか、エレン」


 なおも心配そうなガンネットにエレンは再び「大丈夫」と笑ってやった。


 危険があっては困るというものだ。

 これから連れて行かれるのは、この国の第一王子の元なのだから。



ご指摘いただきまして脱字を修正いたしました。ありがとうございます。

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