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魔女は灰かぶり  作者: ふとん
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魔女は王子を諭すと決めて

 結論から言うと、エレンが捨て身で用意した見合いは失敗とも成功とも言えなかった。




 良いことだったのは、オフィーリアが無事にカイを認識したということだろうか。

 

 まずかったのは、カイの身分をエレンが失念していたことだ。

 屋敷に着いていつものように裏口に降り立ったエレンの後をついてきて、カイがいつものように辞去の挨拶を長々と始めていたところだった。

 馬車の音と私の声を聞きつけて出迎えたオフィーリアがまず悲鳴を上げた。


「ゲイルヴォート殿下!」


 そういえばそんな名前だったと思い出したエレンを尻目に、あれよあれよと王子来訪の報は屋敷を駆け抜け、気がつけばカイと共にエレンはこの屋敷で一番格式の高い応接間に通されていた。


「殿下の度々の御来訪、身に余る光栄と家族ともども感激にうち震えております」


 なぜかカイの隣に座らされたエレンは、侯爵一家が椅子もなく立って挨拶していることに戦慄した。ここでようやく事態が尋常ではないことを知ったのだ。

 青ざめたエレンの横で、事態は転がっていく。


「申し訳ない、侯爵。先日も手厚く歓待してくれたというのに」


 カイの空々しい挨拶でエレンは靴をこいつが届けに来たのだということに思い至った。そうなのだ。ついつい忘れがちになるがカイは正真正銘、どこに出しても恥ずかしくないはずの王子で第一王位継承者で、人々から敬われる存在なのだ。

 普段、エレンと接するカイは海千山千を友とするただの傲慢で熟女好き疑惑のある人外じみた美貌の持ち主だったので王子とは認識していたが、彼が身分らしく敬われる様子を目の当たりにするのは初めてだった。


「今日は彼女がこちらに用があるというので送ってさしあげただけなんだ。ね、魔女殿」


(なぜ私に話を振る)


 きらきらしい笑顔を向けられてももはやエレンの胸はときめかない。今は冷や汗でいっぱいだ。

 立てよ、魔女!

 負けるな、私!

 今こそ人々を導く魔女たるゆえんを見せつけるのだ!


「……ええ。今日はたまたま殿下が相談に訪れておりまして、お帰りになる際についでにこちらに送っていただきました」


”たまたま”と”ついでに”を強調してエレンは汗を拭って笑顔を作った。


「先日、オフィーリアが殿下に靴を拾っていただいたとうかがいまして」


 エレンに名前を持ち出されたオフィーリアは伯父の向こうで控えながらびくりと肩を震わせた。

 見る見るうちに青ざめていく。

 

「せ、先日は殿下の御前でお見苦しい真似をいたしましたこと、大変申し訳なく…」


「ああ、オフィーリア嬢。それはこのあいだ十分に謝罪を聞いたよ。慣れない舞踏会で緊張していたんだ。どんなに履き心地のいい靴を履いていても足を痛めるのは無理もない」


 世間に疎いエレンでさえ、カイの慈悲深い言葉が胸打つ恋の始まりの台詞とは思えなかった。

 どうしていつものような歯の浮く気のきいた台詞が出てこない。


(森を出た途端、営業活動を怠るとはコイツ王子の自覚があるのか……!)


 苦虫を潰すような思いでエレンは隣の王子を睨みつける。

 するとこの蔑むような視線には鈍感ではないのか、ちらりとこちらに目を向けたカイは気を取り直したようににこりと微笑んだ。


「あのような美しい靴の持ち主に私も興味があったんだ。オフィーリア嬢。あの靴はどうやって手に入れたんだい? 良かったらお聞かせ願えないかな」


 オフィーリアは靴の話題にぱっと頬を染めた。


「ありがとうございます! 殿下にそうおしゃっていただけるなんて光栄です! あの靴は、こちらにいらっしゃる森の魔女、エレンお姉さまに御用立ていただいたものなのです」


 彼女の素直さは美徳だ。

 可愛いオフィーリアがその美しいかんばせを曇らせているのはエレンの本意ではない。

 本意ではないが、


「ほぉ。森の魔女殿に。それは素晴らしい。では、あの水晶のように美しい靴は魔法で作られたものなのですか?」


 寄せられる視線にこれほど痛みを感じたことは無い。

 応接間に居る全員から注目され、エレンはすっかり錆びついて重たくなった口を動かした。このまま物言わぬ貝になりたい。


「……あの靴は、オフィーリア嬢の靴に彼女のための魔法をかけただけです」


「オフィーリア嬢のために? それはどのような?」


「……慣れない靴で足を痛めないよう、ダンスが素敵に踊れるよう」


 この目の前の王子との恋が始まるように、なけなしの良心を集めに集めて作ったとっておきの魔法だ。 

 初恋を失恋に変える、そんな魔法。


「そうでしたか」


 いつのまにかうずくまるように手元に視線を落としたエレンのつむじにカイの優しい声が降ってくる。


「だから、あなたの涙のように美しい靴だったのですね」


 あの靴はエレンの涙の結晶だった。

 だが、そんなことをカイが知るはずもないのに。


「……あ」


 自分の口から洩れた吐息で、エレンは自分が涙を流していることを知った。



 それからはもう散々だった。


 エレンは驚いた伯父たちに慌てて弁解をしなければならず、 (あの靴を殿下に褒められて泣くほど感動したということにしておいた) いつもならばお茶ぐらいは飲ませてもらえるというのに、これから薬問屋を回らなければならないからと引きとめるオフィーリアを宥めなければならなかった。


 けれど、帰り際にオフィーリアがエレンを見送りながらそっと微笑んでくれたのだ。


「……初めてお会いした時は近寄りがたい方でしたけれど、ゲイルヴォード殿下は素敵な方ね。お姉さま」


 これで彼女の恋が前進するなら、エレンの失態も終わりよしとするべきだろう。


 

 その後、なぜかエレンと共に屋敷を辞したカイは結局、一日中エレンに付きまとった。

 王子の執務はどうした。


 薬問屋を回り続け、森の前まで馬車で送られ、去り際「魔女殿」と呼びかけられてエレンが振り返ると、カイが今日一日貼り付けていた笑顔が剥がれていた。


「……どうしたんだい」


 思わず問いかけると、カイの青い瞳が苦しげに揺れていた。


「……どうして」


 続ける言葉を探すように空色の双眸が彷徨ったが、やがてエレンを映すと彼女の姿を焼き付けるように目を細めた。


「どうして、私にはあなたのお名前を教えてくださらなかったのですか?」


「……え?」


 眉をひそめたエレンに、カイはこの世の全ての悲痛を背負ったように自分の胸を押さえた。


「私の名前を知りながら、あなたの名前をなぜ私にお教えくださらなかったのです! そうすれば、あなたのことをもっと深く知り得たかもしれないというのに!」


 魔女の真名でもあるまいに、ただの人である王子に名前一つで何が分かるとも思えない。

 エレンという呼び名は世間に向けての、エレンの両親がつけてくれた名前だ。魔女の名前は師がつけるので、すでに亡くなった師匠以外に知る者はない。


「なぜ名前なんか知りたいと思うんだい。出会った頃から勝手に森の魔女と呼んでいたじゃないか」


「それは、あなたの名前すら存じ上げなかったからです! ああ、なんということでしょう。あなたとの時間が無駄だったとは決して思いませんが、名を口にすることさえ許されていないのだとばかり…!」


 名前一つでこうなのだから、エレンの本当の姿が今目の前に居る若い娘だと知ったらどうなることか。


(待って)


 この世の果てでも見たようの打ちひしがれるカイが名前を知りたいと常々願っていたのは老婆姿のエレンだ。


(こいつ)


 

 本当に熟女好きなのか!



 衝撃の事実にぶち当たり、エレンも絶望の淵を見た。


 どう繕ったところでオフィーリアは老婆にはなりえない。いや、あの美しい娘にどうしてそんなことを強要できようか。

 それどころか、老婆の姿をしていたエレンは彼に嫌悪どころか娯楽を与えていたことになる。


(なんてこと……)


 薬を届け終えて軽くなった背負子の紐を握りしめ、エレンは眉間をきつくぐりぐりとほぐした。

 恐ろしいことに、もしかするとカイの熟女好きにエレンは一役買っていたのかもしれないのだ。


 運命を繋ぐどころではない。

 根本的なところから解決していかなければ、オフィーリアとカイに幸せがやってこない。


(でもいったいどうしたら…)


 他人の性癖を直すなど、医者でも難しい領分だ。

 そもそも人の悩みを聞くコツは知っていてもそれが医学的にどうかと言われれば医者には遠く及ばない。

 それに、まさか本人に熟女好きを改めよと言えるはずもない。

 彼は他人に危害を加えるわけでもなく、趣味趣向の範疇でもあるからだ。           

 問題があるとすれば、カイの運命の相手が熟女ではないだけで。

 いっそのこと彼らが互いに年齢を重ねるまで気長に待つしか方法はないように思われた。


「魔女殿」


 静かになった王子の声にエレンが顔を上げると、臙脂のコートがやけに近い。

 タイの細かい柄まで見えるではないか。

 息を呑むように見上げると、青い瞳が甘く微笑んでいた。


「これからは、お名前で呼んでもかまいませんか?」


「い、嫌だね!」


 反射的に応えてみたが、エレンは青の双眸に囚われたままだった。


「では、お教えください」


「……何を」


「なぜ、ガラスの靴を見て泣かれたのですか」


 息が、うまく吸えなかった。

 ひゅっと喉の奥で鳴り、エレンの鼓動は騒ぎだす。

 自分の顔が火事にでもなったように熱い。


 カイには分かっていたのだ。

 エレンが、彼に靴を褒められたぐらいで涙を流すような殊勝な心は持っていないと。

 だがあえて何も言わずに伯父の屋敷を出てくれた。


(ああ、意味はないのよ)


 カイは呼吸をするように紳士的だ。それが当然であるべき姿のように、ごくごく小さなことでやってのけてしまう。

 決して、エレンのためではない。

 頭では分かっていても、エレンの心は熱くなる。


 これだから恋は嫌いだ。


 このろくでもない王子の何もかもを素敵に見せてしまう。


「エレン」


 焦点すら合っていなかったエレンの瞳に映ったのは、笑みさえ浮かべない王子だった。


 どうしていつものように微笑んでいないの。

 どうして、今に限って。


 エレンを飲み込んでしまうような瞳なの。


 息がうまくできず、エレンは自分の足から力が抜けていくのを他人事のように感じた。

 ふわりと一瞬だけ立っていることさえ出来ず、意識が遠のくように地面に座り込んでしまった。


「エレン!」


 耳鳴りがするようだ。

 けれど、気を失うほどではない。

 この胸の痛みが消えなければ、今はまだ大丈夫だ。


 一度大きく息を吸って、顔を再び上げてみると、金髪の美貌が心配顔をしてこちらを覗きこんでいた。

 天下の王子さまが何て情けない顔をしているんだろう。


 そう思えると、少しだけ笑えた。


「名で呼ぶことを許した覚えはないよ」


 憎まれ口を叩いてみたが、カイはきつく眉根を寄せたままだった。

 疲れているのに、王子のお守りとはついていない。

 むずがる幼子にやるように、エレンはゆっくりと口を開いた。


「……あの靴はね、あたしがオフィーリアのためにとっておきの魔法をかけて作った靴なんだよ。あたしの生涯で最初で最後の、最高の靴」


 優しく、音もなく終わった恋の終わりを形にした最高の靴だ。

 きっと、これから作れることも、作ることもないだろう。


「魔女として、いい仕事をしたなと思ったらね。思い残すことなどないと思えたんだよ」


 魔女に恋は必要ない。

 だから、エレンだけの美しい思い出としたかった。


 それなのに。


「思い残すことがないとは、酷い仕打ちですね。私のことまで忘れるおつもりですか」


 ようやく微笑んだ恋の幻影は容易く去ってくれそうにない。


「どうぞ長く生きて、これからも私の相談に乗ってください。私の人生の道しるべを断つおつもりとは慈悲深い魔女殿の言葉とは思えません」


「……どこの誰があんたの道標となったんだい」 

 

 にっこりと微笑む元凶を睨み、エレンは立ちあがろうと地面に手をつく。

 しかし、その手を取るのは大きな手。


「もちろんあなたですよ。森の魔女殿」


 エレンの手をすっぽりと握り「さぁ」といとも簡単に彼女の体を引き上げてしまう。


「うわ!」


 思わず上げた小さな悲鳴は臙脂のコートの胸にぶつかり、エレンは頬を肌触りのいい布に預ける羽目になってしまった。

 コートの胸で上目づかいになってしまうエレンの視線にも素知らぬ顔で「魔女殿は軽いですねぇ」と王子は彼女のスカートのほこりを払おうとする。その手を払ってエレンは王子から二、三歩離れ、ようやくスカートやらについた土をぱんぱんと自分で払った。視線はカイを警戒したままだ。

 エレンに睨まれているというのに、にやにやしている白皙の美貌が気に入らない。


「……なんだい、その顔は」


「申し訳ありません」


 そう謝罪を口にするものの、カイは緩む口元を抑えきれないのか手で隠している。


「いつもの魔女殿も十分魅力的ですが、今の娘姿の魔女殿はずいぶんと愛らしくて困っているのです」


 解釈の難しい言葉だ。

 熟女でないから不満だとも取れるし、若い娘の方が好きだとも取れる。


(困るということは、やっぱり熟女の方が好きなのかしら……)


 人の嗜好とは複雑なものである。


「それと」


「まだアタシに文句があるのかい」


「文句などとはとんでもない。ただ…」


「ただ?」


 尋ね返したエレンに、カイはゆっくりと頷き返した。


「あなたの娘言葉はとても新鮮でした」


 そういえば、エレンは伯父の屋敷では普段通りに話していた。そうでなければ伯父家族に不審に思われるからだ。老婆の時の口調は、今ではほとんどカイのみに使っているのだ。


 ぱくぱくと何を言っていいのか分からなくなったエレンに、美貌の王子はのんびりと微笑む。


「どんなあなたでも素敵に見える、良い一日でしたよ」


 ありがとうございます、と礼まで言われては、エレンが何のために身を削ってまでオフィーリアに会わせたのか分からない。


 これは長期戦だ。


 まず、王子の熟女好きを治さなければならない。


「こうしてあなたは私に万華鏡のように様々な顔を見せてくださる。それが私にとってどれほどの僥倖か」


「―――分かったから、とっとと帰れ!」



 エレンの分をわきまえない罵倒にも、王子様は爽やかに微笑んで去っていく。


 ああ、どうしてあんな厄介な人を好きだったのだろう。

 エレンは頭をかきむしりたい衝動にかられた。


 失恋したのはつい先日のこと。まだ彼を想う気持ちがある。


 だからこそ、こんな茶番にも付き合ってやろうというものだ。


(見てなさい!)



 何としても王子の熟女好きを治してみせる!



 限りなく本題からずれ始めた目的に、決意を固めたエレンは気付くべくもなかった。




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