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魔女は灰かぶり  作者: ふとん
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初恋は実らぬと知ったが

 エレンは、自分が世間知らずだということを少なからず知っている。


 幼い頃、自分に強い魔力が宿っていることを知り、11になってから森の魔女へと養女に出され、そのまま十年の歳月を世間とほとんど関わることなく生きてきた。

 15の時に両親は流行り病ですでに他界しているので、世の中との唯一のよすがは幼いエレンをいつも気にかけてくれていた伯父のバーレー卿だが、彼はその侯爵という身分ゆえに若くして隠遁生活を送るエレンと表立って接点を持つわけにはいかない。

 それでもエレンが時折、街へ出ていく機会には知り合いの娘と称してそっと屋敷に招いてくれる。

 家人には彼女が姪であることを知らせているので、伯父の妻やその娘オフィーリアは温かく迎えてくれた。

 他に人付き合いといえば、薬の取引先か王宮の使い、それからエレンと同じく世捨て人である魔女や魔法使いぐらいだ。

 もっとも彼女と近しかった師のアリンダは、エレンの成長を見届けて一昨年の冬に大往生した。 


 エレンの知る世間がどれほど狭いか、推して知るべし、である。 


 無償の愛を注いでくれた両親を失い、敬愛する師も失って、一人でいる寂しさがしんしんと積もっていたそんな時。

 森へとやってきたのが人離れした美貌の王子。

 容姿こそ人外じみていて近寄りがたい彼だが、口を開けばくだらないことばかり話す普通の若者だ。冗談や皮肉も交えながら軽やかに喋り、それでいてエレンが余所行き用である師と同じ老婆の姿であっても崩さない紳士的な態度。今まで縁のなかった同じ年頃の青年とのお茶会は、次第にエレンの密かな楽しみとなっていった。


 詐欺だと思った。


 師と二人で暮らしていた家がやけに広く感じ、名前をつけることすらできなかったうすら寒さに背を向ければ向けるほど、孤独を冷たく感じていた。

 人の温かみに飢えていたエレンに訪れた王子は、まるで手品師のように彼女の心に入り込み、いつのまにか淡く厄介な心を植え付けていったのだ。

 出会った頃からすでに、彼には運命の人が用意されていると知りながら、惹かれていく心を留めることはできなかった。

 人々を導くべき魔女であるエレンが、他人の運命を変えることはできない。

 だから、何も知らない王子が一方的にエレンの心を蝕むのだ。

 帰れと言っても居座り、もう来るなと言っても次の土産を持って現れる。


(でも、もうこれで煩わされずに済むんだわ)


 心を焼く恋情や運命を怨む冷たい憎悪からも、逃げてしまいたかった。


 

 伯父の手紙を受けて屋敷を訪れたエレンは、従妹であるオフィーリアの美しさに確信した。

 

 銀の髪を優雅に結い上げた少女は、幼さを脱いで瑞々しい娘に変わり、水色のドレスに万民の羨望を溶かしこんでいくだろう。


「ねぇ、エレンお姉さま。どうかしら?」


 エレンを姉と慕う彼女がくるりと翻っている姿は花の妖精のように美しい。

 彼女ならば、あの人並み外れた美貌と並んでも何ら遜色ない。むしろオフィーリアだからこそ二人して美しい絵のような光景になるだろう。


「とても綺麗よ。オフィーリア」


「ありがとう。でもお姉さまが行かないなんて寂しいわ。お姉さまと一緒ならきっと舞踏会も楽しいのに」


 まろやかな白い顔に不満が宿るので、エレンは諭すように微笑んだ。

 伯父の屋敷を訪れる時は元の娘の姿でいるので、オフィーリアは普段のエレンを知らないのだ。 


「そうよ、エレン。あなたも年頃の娘なのに」


 そう口添えしたのは伯父の妻であるコーネリア。伯父のバーレー卿だけが口髭を撫でながら苦笑している。彼はエレンの普段も知っているし、立場もよく知っているからだ。

 魔女は政治の絡む事柄に関わることはできない。だから、議員として参加できる爵位を持っている伯父とも本当なら距離を置かなければならないのだ。


「ありがとう、伯母さま、オフィーリア。でも、普段気ままに森で過ごしているから舞踏会なんて場所に行ったらきっと目を回してしまうわ」


 行こうとしたところで、エレンの異質な白髪に似合うドレスなど無いだろう。

―――こうやって自分を皮肉っていなければ、可愛い従妹に淀んだ嫉妬が向かってしまいそうだった。それだけはいけない。

 

「そうだわ、オフィーリア。舞踏会へ履いて行く靴を見せてちょうだい」


「靴を?」


 不思議そうにしているオフィーリアから彼女の靴を受け取り、エレンは両手に乗せて小さく呪文を唱えた。

 オフィーリアの舞踏会行きを知ってから用意していたとっておきの呪文だ。

 慣れない踵の高い靴で靴ずれしないように。

 足が疲れないように。

 美しくダンスが踊れるように。


 魔法に運命を変える力はない。

 あるのはほんの少し手助けをする力だけ。


「まぁ素敵!」


 エレンの魔法を吸い取った靴は、水晶のように透き通ったガラスのようになっていた。

 そのくせ固くもなく、割れもしない。

 オフィーリアのためだけの靴だ。


 この舞踏会が終われば、きっとカイは情熱的な恋をして、エレンのことなど忘れてしまうだろう。

 

 胸の底が熱く疼くような嫉妬が靴にうつらないように、エレンはそっとガラスの靴をオフィーリアに返した。


「さぁ、その靴を履いて舞踏会へ行ってごらんなさい。きっと素敵なことが起こるわよ」


 美しい妖精の胸に抱かれたその靴が、まるで自分の涙のように見えた。           


――師よ。賢明なる師、アリンダ。

 自分にとって残酷な運命でも受け入れることが魔女の在り方と教えてくれましたよね。

 私は、間違っていませんよね? 


 だから、今だけは自分のために涙を流してもいいと赦してください。



 やがて舞踏会の日が訪れ、エレンはその日の夜、布団をかぶって声を殺して泣いた。


 こうして、エレンの遅い初恋は音もなく終わった。
















―――ように思われた。




「こんにちは。森の魔女殿」 



 どうしてこの金髪の人外は、何事もなかったかのような顔で目の前に居るのだろうか。






 いつものように老婆の格好でいるエレンは、ガンガンと頭を叩く疑問に揺さぶられて思わず眉間を押さえた。

 なぜ、こうしていつものように老婆の格好で、自分はいつものように王子を招いて薬草茶をふるまっているのだろうか。どう考えてもおかしい。

 王子は今、情熱的な恋の真っ最中のはずだ。


「どうされました、魔女殿。どこか具合でも悪いのですか?」


 それはこちらのセリフだ。

 エレンは眉間を枯れ枝のような指でほぐしながら、目の前になぜか居座っている暗い紺のコートを睨んだ。


「どうした、はこっちの台詞だよ。どうしてここに居るんだい」


「そんなつれないことを仰らないでください。あなたと私の仲だというのに」


「冗談を言いながら困ったような顔をするんじゃないよ! 困っているのはこっちなんだから」


 いつも思うが、どうしてこんな口から生まれてきたような人か天使か分からないような男を好きになってしまったのだろう。

 エレンの頭痛は酷くなるばかりだ。


「魔女殿の御心を痛めているのが私なのでしたら、理由を仰ってください。あなたの苦しむ顔は見たくありません」


 言葉こそしおらしいが、どうしてそう嬉しそうな顔なのだろうか。

 いっそこの老婆があなたに恋をしていますと告白でもすれば、眼前のきらきらしい顔が嫌悪に凍ってくれるのかもしれない。恐らくエレンの心にも深刻な傷を残すだろうが、ここは可愛い伯父の娘のために自己犠牲も必要か。

 ともあれ、事情を知らなければならない。


「……この前の舞踏会はどうだったんだい」


「舞踏会、ですか?」


 さも意外なことを問われたように、美貌が不思議そうな顔をする。


「さして良いことも悪いこともなく、つつがなく終えましたが……強いていうならやはり予算は削るべきだったと思いました」


 立食式だというのに、ほとんどの者が料理に手をつけないんだそうで。

 しかしそういうことを聞きたいわけではない。


「目ぼしい娘が居たんじゃないのかい!」


 ほとんど叫ぶように尋ねてしまったのは、エレンの初恋の傷が癒えていないからだ。自分から尋ねるなど傷をえぐるようなものだ。

 しかし、当の本人は小首を傾げているではないか。


「ええ。みなさん美しい装いのお嬢さんばかりで。花の競演とはあのことをいうのだと」


「……そうかい」


「私の従者が申しておりました」


 従者の感想を聞きたいとも尋ねた覚えはない。

 エレンは半ば泣きたくなって眉間を押さえた。


「……アンタはどうだったんだいと訊いているんだよ」


「私、ですか?」


 いつも丁寧に言葉を返すカイにしては「はぁ」と気のない返事をして、本当に困ったような顔をする。


「私は特別には何も……ああ、そういえば」


 ぽん、と子供が話題を見つけたように彼は手を叩いて、


「靴を拾いました」


「はぁ?」


 煌びやかな舞踏会の主役でありながら、言うに事欠いて靴を拾ったとは。

 エレンは怒る気も失せて眉間をぐりぐりとやりながら溜息をつく。

 しかし、カイの方はさも面白いことだったというように笑った。


「ええ。それがとても珍しい靴でして。水晶のように透ける靴なのですよ」


 にこやかな声に聞き捨てならない言葉を拾ってエレンは思わず顔を上げた。

 エレンの様子を魔女殿も興味を持ったのだと思ったのか、カイは上機嫌に続ける。 


「幸い近くに持ち主の御令嬢がいらっしゃったので、履かせて差し上げようとしたら突然何に驚いたのか、そのまま立ち去ってしまわれたのです」


 驚いたのは、きっとカイの美貌だろう。

 飛ぶ鳥を落とすとは比喩ではない。彼が森を訪れる時、いつもは動物や鳥の声で騒がしい森が静かになるのだ。


「そ、それでその靴は…」


「もちろん持ち主の御令嬢を探しましたよ。きっとこのような珍しい靴を片方だけ失くしては悲しんでおられるだろうと思いましたので」


 ガラスの靴など他にあるはずがない。オフィーリアに贈ったあの靴だ。

 あの靴は、オフィーリア以外が履けるものではないのだ。

 まさか、エレンが作った靴が彼らの縁を結ぶとは。

 嬉しいやら悲しいやら。エレンはじくじくと痛む胸を無理矢理抑えた。


「靴を返して差し上げると御令嬢はそれはもう喜んでくださって。あの舞踏会で唯一おこなえた善行です」


 そうだろうとも。

 それは彼の運命だ。

 しかし、


「善行とは他人行儀だね。アンタにとっても良い出会いだったんじゃないのかい」


「ええ。あのように珍しい靴は初めて見ました。もしかしてあれも魔法で作られたものなのでしょうか」


 意外と鋭い指摘はするもののニコニコとしている王子は平和そのものだった。

 間違っても恋に身を焦がす幸せな男の顔ではない。


(いやいやいや)


 カイは表情を笑顔で隠すのが上手い。

 きっとエレンの前だから照れているのだろう。


「あの靴はよほど大切な物だったのでしょうね。家族総出で喜んでくださって」


「……アンタが自分で届けに行ったんだろうね?」


 それはもちろん、と金髪の天使は微笑んで、


「私が拾ったものですから。国の法を一番に守るべき私が届けて差し上げなければ、泥棒となってしまいますよ」


 そういう偽善的な解答が聞きたいわけじゃない。それにどちらかといえば、この王子が得意なのは法の網をかいくぐることだと思われた。


「ええと、靴は返したんだよね?」


 エレンの問いに「ええ」とカイは頷いて、


「ちゃんと靴はお返ししましたよ」


「それで?」


 再びの問いにも不思議そうでありながら、カイは微笑んで頷いた。


「それだけですけれど」



 なんだと!



 エレンは頭に血がのぼるのを感じて椅子から立ちあがってしまった。


「その、靴の持ち主の御令嬢に何も感じなかったのかい!」


 魔女の剣幕に驚いて、カイの方が「どうなさったんですか」とおろおろと心配顔だ。


「確かに愛らしいお嬢さんでしたが、私とは七つも違いますし」


「年の差が何だって言うんだよ! 運命の間にはそんなもの関係ないんだよ」


「え、運命?」と困惑した声が聞こえたが、そんな疑問に付き合っていられない。問題は大きい。エレンは考えたくもない仮説に、眩暈がしそうになっていた。


 わざわざ女に靴を王子自ら届けに行ったというのに、求婚どころか次のデートの誘いさえしなかったというのか!


 エレンはローブの隙間から隠しきれない鋭い眼光でカイを睨みつけた。こうなっては可愛さ余って憎さ百倍というやつである。


 いくら年をとっていたとはいえ、大魔女であった師アリンダが占いを外すことなど考えられない。


 考えられるとすれば、一つだった。


 この、世にも美しい顔をした王子が運命さえ無視できるほど鈍感で朴念仁だということだ。


(なんてこと)


 原因が分かったからには、魔女である限りカイの運命の行く末を見届けなければならない。

 初恋に敗れた悲しみに暮れることさえ叶わず、初恋の相手の運命を繋げなければならないのだ。

 自分とは違う相手へと。


 

 エレンは涙も忘れて、テーブルの上で頭を抱えた。



ご指摘いただきましたので修正いたしました。

オフィーリアは姪ではなく従妹にあたりますね。

ありがとうございました。

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