お礼SS 夜明けに鳴く7
魔女の家を出立する頃には、もう午後の遅い時間となっていた。中天を少しばかり過ぎた日差しはうっすらと色づいている。
愛馬の世話をしてすっかり準備を整えたライオネルが家の前へと戻ると、リーリンとタージがなにやら言い争っていた。
「嫌よ! どうして私が!」
「君が適任に決まっているだろう。聡明なる青の魔女とは思えない駄々だな」
タージが妙齢の女性らしからぬ顔で頬をふくらませる。そんな様子もさまになるのだから彼女は本当に美しい女性なのだ。
「どうかしたのですか?」
これから少年と魔女を再び乗せて、母親が待つ村まで戻ることになっている。
だからライオネルも馬もすっかり旅支度を調えていた。
「もう出発しますよ」
愛馬は問題なく走るだろうが、どんなに急いでもそろそろ出発しなければ夕刻に間に合わない。
「ほら! 私はもう行くから。あなたへのお礼はまた今度改めて」
タージはリーリンから逃げるように少年をこちらへ連れてくる。
「礼はもういいさ。うまい朝食だったよ、騎士殿」
リーリンがこちらに手を振るので、ライオネルも軽く黙礼する。
「私のこともライオネルと呼んでください。──お口に合って良かった」
「見た目より話しやすいな、君。困ったことがあったらまたおいで、ライオネル殿」
それはリーリンのほうだろう。奇怪な仮面はいかにも偏屈だが、この魔女は思いのほか親しみやすい。
「君もだ、ユリウス」
はじめはおびえていた少年もリーリンにすっかり気を許したようで、彼女の前に戻って素直にうなずいている。
「困ったことがあったら来るといい」
「……お母さんも連れてきていい?」
「ああ、かまわない」
少年にすんなりとリーリンはうなずく。
魔女組合の決まりで、魔女ではない者は魔女を頼れないのではないのか。
ライオネルのそばまでやってきたタージに視線を向けると、彼女は笑って肩をすくめた。
「リーリンだから連れてきたのよ。ああいう性格だから、魔女組合に睨まれても気にしないしね」
魔女の中でもリーリンは変わり者の部類になるらしい。
「魔女の方は、色々な方がいるのですね」
「……リーリンといっしょにされたら、たいていの魔女は怒るわよ」
タージがライオネルを睨んだところで少年がこちらへ戻ってくる。
「じゃあまたね、タージ。例の件は君がなんとかしなよ」
「もうっ、面倒なことはぜんぶ私に投げるんだから!」
タージはリーリンに再び怒ったが馬に三人で乗る。ライオネルの前に少年が乗り、馬の後ろに積んだ荷物といっしょにタージが乗った。タージは行きと同じように少年を抱えて乗ると言ったが、少年のほうがやめてほしいと言ったのだ。落ち着かないのはわからないでもない。
荷物と共に安定した座席を作ったとはいえ、背中に繊指を感じるとライオネルも落ち着かない。
落ち着かない出立を笑いながら見ていたリーリンに、馬上から三人で振り返る。
「ありがとう、リーリン! 助かったわ!」
タージに答えてゆっくりと手を振るリーリンに見送られ、山をゆっくりと馬で降りていった。
行きほど駆ける必要もないので、並足に近いほどの速さで馬を走らせる。
その速度はタージと少年にとってはちょうどいいらしく、楽しげに景色を見ている。
馬のほうもライオネル以外を素直に乗せて、珍しく機嫌も良いようだった。
休憩には再び湖畔に立ち寄った。
昼間の湖は青く透きとおり、清浄な空気と共に澄み切っていた。
静寂に包まれていた夜とは打って変わって、水面が風にさざめいたり遠くで鳥の鳴き声も聞こえる。
馬を休ませてから、人間も小休止に湯をわかして茶を入れた。リーリンからもらった薬草茶だ。火を囲んで座っていると、今までまともに話していなかった少年が目をきらきらとさせてライオネルに話しかけてきた。
「──ごあいさつがおくれて申し訳ありません、騎士さま。ぼくは、ユリウスといいます。今回は助けていただいて、本当にありがとうございました」
聡明な少年だ。しっかりとライオネルの目を見て話す様子は少年なりの気概も感じられて、ライオネルのほうも姿勢を正す。
「私はライオネルだ。体のほうはもう大丈夫か?」
「はい。タージさんとリーリンさんのおかげでもう平気です」
そう答えて、少年──ユリウスは「あの」と少しためらってから続けた。
「ぼくも、あなたのような騎士となりたいです。どうすればなれますか」
馬で駆けるのがよほど気に入ったらしい。職業柄、憧れを持たれることは慣れている。普段であれば頑張ればいいとあしらうが、ユリウスにはそれは口にしないことにした。
「騎士は、兵士であると理解しているか?」
ライオネルの言葉にユリウスは戸惑ったように顔を強ばらせた。
その様子に少しだけタージを見やったが、彼女は口を挟まないつもりなのか黙ったままだった。ライオネルに任せてくれるのだろう。
「ミネル王国の騎士団は平民でも試験さえ突破できれば騎士団に入ることができるが、平等ではないんだ。貴族や代々騎士の家系、それに準ずる家の者が中心に希望する者が多い。どうしてだかわかるか?」
首を横に振るユリウスに、ライオネルは続ける。
「騎士団の試験では、最低限の条件として馬に乗れること、剣の腕が試される。私は、君の年齢のころには剣術の型をすべて覚えて、馬に乗っていた」
貴族や騎士の家では幼い頃から厳しい訓練を受けて育つ。騎士になることがなくとも、それはその家に生まれた子供の義務だ。
「私は、子供の頃からときには人を殺す職業に就くのだと教えられて育ったんだよ」
引き取られたライオネルの場合はもっと明確に騎士となることが求められていたため、訓練は苛烈を極めた。
「受験者はそういう訓練を受けているという前提で扱われるし、剣の持ち方も分からないような者は兵士なるべきではないというのが、今の騎士団の方針なんだ」
受験者を広く募っておきながら、前提条件がある試験を不平等だと唱える者も当然いる。けれど、安易に覚悟のない者を兵士に動員して行う戦争は、おそらく今より悲惨なものとなるだろう。
「……ライオネルさまは、人を殺したことがあるのですか?」
やはりこの少年は聡明なのだ。憧れと現実を明確に見定めようとしている。
「ある。──私は今でこそ要人警護をしているが、騎士になったばかりの頃は戦場へ赴いていたから」
辺境警備の職務は地域によって異なる。ライオネルが配属されたのは、異民族との小競り合いが頻発する地帯だった。
ユリウスの年頃には叙勲されて見習い騎士となり、人を殺していたように思う。
「どうしても騎士となりたいのなら私に君を止める権利などないが……騎士はときには人を殺す職業だよ。それだけは覚えておいてくれ。人の命を救いたいのならば、殺す以外に方法はいくらでもあるのだから」
どのような弾みで、どんな人生を送ることになるのかは誰にも分からない。ライオネルも、引き取られるまでは騎士になるなど思ってもみなかったことだ。
だからこそ、人殺しをせずに済むのならそういう人生が良いと思うのだ。
「馬が好きなら乗るといい。昔と違って馬に乗ることができる人は増えている。今も、触りたいのなら触るといい。不用意にうしろに立ったり、たてがみやしっぽを引っ張ったり、いやがることをしなければ馬はおとなしいから」
ライオネルの提案にユリウスは少し考えるような顔をして、やがてうなずいた。
水を飲みにでかけた馬のほうへ駆けていく後ろ姿を見送って、ライオネルは少し息をつく。
「あなたがこんなに長く喋るとは思わなかったわ」
たき火の向こう側でタージが苦笑する。
「騎士なんておまえには無理だ!って言って終わりだと思った」
「……それではどんな子供でも納得しませんよ」
むしろどうしても騎士になりたい子供を焚きつけるのなら、怒鳴りつけるのは効果があるのかもしれない。
「ユリウスは賢い子ですね。私の話をよく吟味することでしょう」
「そうね。賢いわ。……だからこそ、将来の食い扶持を考えてそういう道に進みたいのかもと思ったわ」
騎士となれば一代限りではあるが貴族となるのでそれなりの地位と金を手に入れることができる。それを狙って平民から受験する者も多くいる。
「騎士の地位を手に入れても、功を焦って命を落とす同僚を多く見てきました。臆病であることは悪いことではありません」
地位を手に入れる者ほど慎重で思慮深い。王子の騎士となってから、それは身に染みて理解できたことだ。
「私たちも、これからもユリウスを見守ることにするわ。どういう道を選ぶにせよ、あの子が幸せになれるように」
魔女たちが見守るならば、どういう道を選んでもユリウスは大丈夫だろう。
水辺から馬が鳴く声が聞こえる。低いその声はライオネルを呼ぶ声だ。
タージに火の番を任せて向かうと、馬がライオネルにすり寄ってくる。
「どうしたんでしょうか。ぼくの顔を鼻でつついてくるんです」
「ああ……、君を乗せてもいいようだよ」
ライオネルはユリウスの体を持ち上げて馬に乗せる。今日は鞍や手綱はつけたままだったので、手綱を持たせた。
「馬は賢いから乗ってさえいればいい。手綱を引いたりしないで、そのまま」
ライオネルが愛馬を歩かせると、馬のほうもユリウスを乗せたままゆっくりと歩き出す。
少年は馬に揺られてはじけるように笑顔を輝かせる。
その様子に、父に乗せられた初めての乗馬を思い出した。
▽▽▽
行程は順調に過ぎて、予定通り母親の待つ村へ着くと日は落ち掛けていた。
母親は家の前で待っていた。どういう方法か、リーリンが彼女へと連絡をしたらしい。
「ユリウス…!」
母親が少年に駆け寄る。どちらも転がりそうになりながら、駆け寄って抱きつく。
「無事で良かった…!」
母親がユリウスを撫でると、少年は大きな声で泣き出した。今まで我慢していたのだろう。
その様子は親子のたしかな絆が見えて、ライオネルは行き際に不愉快に思ったことを内心恥じた。
彼らはたしかに親子で、通じ合っているのだ。
しばらく抱き合っていた親子はやがてタージに向き直る。
「本当にありがとう、タージ」
「いいのよ。身の振り方は決めた?」
軽い口調でタージが尋ねるのでどういうことかと見守っていると、母親は深くうなずいた。
「この村を出ることに決めたわ。村長にはもう話してある」
あまりにも早い決断だ。ライオネルが思わず口を挟もうとしたが、タージがそれを手で制した。
「いいと思うわ。私も手伝う」
「ありがとう。世話をかけるわね」
母親の重い決断を聞いてるユリウスも、神妙に母親のスカートを握っている。
これが、魔力を持つ者の判断だというのか。
釈然としないライオネルに、母親が向き直った。
「──本当にありがとうございました、騎士様。このご恩は息子ともども、一生忘れません」
「……これからどうなさるつもりなのですか?」
ライオネルの暗い顔を見て、母親は静かに微笑んだ。
「……本当にありがとうございます。私たちとしましても、この静かな村に暮らしていたいと思いますが、これから起こるであろうことを思うと、身の安全を考えることが最優先なのです」
どんなに訴えて和解しようとも、彼女たちと少年はふつうの人間ではありえない力を持っている。それが利用されるか、迫害を受けるか、どちらにせよ心休まる安寧は望めないだろう。
「では私も…」
「あなたはここまでよ。ライオネル」
ライオネルの前に青い髪の魔女が立ちはだかる。
「今回は本当に助かったわ。ありがとう」
「では…」
「でも、ここから先は魔女の仕事よ。あなたへの報酬はまた今度きちんと支払うわ」
切り捨てるような言葉にライオネルは思わず反論する。
「報酬のために手助けをしたのではありません」
ライオネルの反論も予想がついていたのか、タージは形の良い唇で高慢に告げる。
「あなたがここに居ると邪魔だって言ってるのよ」
隠しもしない邪険の言葉に、彼女の後ろで聞いていた母親も驚いて「タージ!」と声を上げた。それでもタージは一歩も引かない。
「魔女は対価を大事にするの。だから、あなたの手助けにはじゅうぶんな報酬を用意する」
「……それは、私が望めば何でも?」
霧にけぶるような紫の瞳がライオネルの視線と交差する。おびえを知らない眼光はライオネルを貫いて、青い髪の魔女は紅唇を余裕たっぷりに引き上げた。
「有能な騎士さまを買えるだけのお金かしら? それともあなたの寂しい領地のお屋敷がいっぱいになるほど美女を送ろうかしら?──さぁ、お望みはなぁに? 坊や」
これほど魔女らしい魔女もいないだろう。彼女はいつも何かと誰かを仲介し、自分をかえりみない。
「では、あなたを」
タージはライオネルを見つめたまま、目を丸くした。
彼女でも驚くことがあるのだ。
「報酬にあなたが欲しいと言えば、あなたは私の物になりますか?」
タージは魔女として有能だということは、ライオネルも異論を挟む余地もない。
けれど、彼女の魅力はそれだけではないのだ。
しなやかな肢体、つややかな青い髪、猫のように輝く少しつり目の紫の瞳、ふっくらとした唇。どれも男が欲しがる女性の形そのものだというのに、タージはいつも自分をその対象として入れていないように思えた。
魔女であることなど、美しい彼女のささやかな側面でしかないというのに。
「──この場は去ります。あなたがたの都合もあるでしょうし、私も仕事がありますので。報酬の件はまたの機会に」
タージは一言も発しない。
(怒らせてしまったか)
もう会ってはくれないかもしれない。それでも、ライオネルの言ったことがひどい過ちだったとも思えなかった。
ライオネルはタージの後ろにいる親子に辞去を告げる。
「ライオネルさま、本当にありがとうございました」
母親と共に少年が礼を繰り返してくれて、ライオネルの心もいささか晴れる。
「お元気で」
待たせていた愛馬を連れて、ライオネルは魔女たちの家を離れた。
森を出てから振り返るとそこは何の変哲もない森で、もうライオネルでは入り口すら見えなくなった。
▽▽▽
「ちょっとタージ! いつまで固まってるのよ!」
マルティがあわてたようにタージの肩を揺すった。
「騎士さま、行っちゃったわよ! あんな言い方しなくったって…!」
揺すられるままタージは姿勢を崩して、マルティを振り返る。
その頬はリンゴよりも真っ赤に染まっていた。
マルティもあんぐりと口を開けた。
「まぁ、タージ! あなた、照れて喋れなくなっていただけなの!」
マルティに図星を突かれたタージは顔から火が出るような気分で叫ぶ。
「違うわよ!」
恥じて涙目になったタージは整えた青い髪をぐしゃぐしゃにかきむしる。
「あの、のろま騎士! 今度会ったらただじゃおかないんだから!」
わめく大人たちを眺めて、ユリウスはかの騎士から学んだように、賢明にも口を挟まなかった。
怒った魔女は恐ろしいのだ。
それが照れ隠しだと指摘すればどんな目に遭うか誰もわからないのだから。




