お礼SS 夜明けに鳴く6
魔女たちが起き出してきたのは、昼も回った頃だった。
家の奥にある処置室から小さな物音が聞こえたのだ。
ライオネルが処置室を覗けば、やはり少年が起きあがって不安げな様子だった。
「──安心していい。タージ殿は奥で休んでいるだけだから」
なるべく穏やかな声をかけたつもりだったが、少年はライオネルの顔を見るやおびえたようにひきつった。たいていの子供はライオネルの顔を見るといつもおびえるのだ。
仕方なく処置室のとなりだという魔女たちが眠る部屋を軽く鳴らす。
ノックで起きてきたのは、意外なことに仮面の魔女のほうだった。
「おはようございます。少年が起きました」
「……ああ、そのようだ。おはよう」
意外と律儀にあいさつを返した仮面の魔女は、あくび混じりにその奇怪な面のずれを少し直して──他はよれよれのシャツにズボンというあられもない格好だが──少年に近寄った。
「やぁ、初めまして! 私はリーリン。魔女だよ」
短いつきあいの中でも一番陽気な声で少年に話しかけた仮面の魔女だったが、少年のほうはますます顔をひきつらせた。その様子に仮面の魔女は早々に諦めてライオネルへと振り返る。
「あー、だめだこれ。タージを呼んで」
「はい」
感嘆するほどすばやい判断にライオネルも思わずうなずいてしまった。改めてとなりの部屋をノックすると「うーん」と寝ぼけた声が聞こえる。
寝起きの女性を無理矢理起こすわけにはいかない。
だが、ためらったライオネルの横を仮面の魔女は遠慮なくすり抜けてドアを大きく開けてしまう。
「起きろ、タージ! ユリウスが起きたぞ」
大きく開かれた部屋の中は、まるで本のうろだった。
くり抜かれるようにしてベッドが置いてある。そのキルト地の上で美しい女性が大きく伸びをしていた。
真っ青な海色の髪がしなやかな背中を流れて、薄い布からはだけた白い肌をすべった。
細い肩紐がわずかにずれるのを見てしまい、ライオネルは咄嗟に視線を逸らした。騎士としてその内側を見るわけにはいかない。
部屋に果てしなく積まれた本を目で数える。
「……おはようございます、タージ殿。少年が起きました」
「おはよう。すぐ行くわ」
衣擦れの音がやけに耳に残ったが、開いたドアの前にライオネルが立たなければタージのあられもない姿が丸見えになってしまう。
「どうしたの?」
「いえ……」
ベッドから降りてライオネルの前までやってきたタージはいつもの薄着姿だった。大胆に肩を剥き出しにしたチュニックに、膝の半分ほどまでしかない短いズボン。すっかり見えるすらりとした足はどういう素材なのか、なめらかで丈夫なタイツで覆われている。彼女はかかとの高い靴で馬に乗るほど活動的だが、旅向きの服装とはライオネルには思えなかった。足や腕をさらした格好が目のやり場に困るのは同じだが、服を着ているのだからまだいい。
軽く髪を結っただけの彼女は少女のようにも見えた。
「タージはユリウスの様子を見てよ。君はこちらへ」
仮面の魔女に言われてライオネルはありがたく従う。今のタージは目の毒だ。
寝起きのタージが少年に声をかけているのを横目で確認してから、仮面の魔女に続いて処置室を出た。
「ユリウスはもう大丈夫だよ」
処置室から出た魔女は仮面のくちばしの先を開けて、天井から吊されている薬草をひとむしりして放り込んだ。
「ああ、これ? 必需品なんだよ。人間の臭いがダメでさ」
「……それは、ご不便でしょうね」
どういう事情があるのかは分からないが、彼女は魔女であると同時に人間なのだ。自らも人間なのだから人の臭いは一生ついて回る。
「そんな風に言われたのは初めてだよ!」
仮面の魔女はその仮面の中で大笑いして、家の奥にある台所へとライオネルを招いた。
「料理できる?」
「野営で慣れておりますが…味はそのようなものしか…」
作業ができることと美味い料理は別物だ。
「じゃあ、作ってよ。腹が減ればなんでもうまいさ。治療代はそれでいい」
そういえば代金のことはまだ聞いていなかった。ライオネルのつたない料理で治療代となるのなら安いものだ。
「わかりました。材料はありますか?」
「あるよ。腐ってなければ食べられるはずだ」
そう言って仮面の魔女は戸棚やかごを開けて見せた。根菜に保存用の肉、塩やこしょうに、卵まである。戸棚の下のワインとパンだけが少しずつ減っているようだったが、それ以外はほとんど手つかずのようだった。
「これだけあれば数日分作れますよ。小麦粉があるのならパンも焼きましょうか?」
「いいね! パンを買いに行くのが億劫だったんだ」
ライオネルの提案に仮面の魔女は手を叩いて喜ぶ。そして小麦粉を大袋で作業台に出し、さらに気前よく戸棚の奥から小瓶を取り出してきた。
「これをパン種にかけるといい。パンの発酵がすすむ」
「魔女殿の薬ですか?」
「リーリンでいいよ。タージが作れとうるさいものだから作ったんだ。暇だったし」
タージが作れというのもわかるような気がした。これを街へ持っていけば飛ぶように売れることだろう。
そう提案してみるが、仮面の魔女──リーリンは面倒くさそうに手を振る。
「人間臭い現金なんかいらないよ。代金はぜんぶ現物支給だ」
金は人類が生み出した最小の取引道具だ。現金を受け取らないこの魔女に依頼するにはさぞ労力が必要だろう。
ライオネルはそれ以上言及せず、作業台の脇にある椅子にコートと上着をかけて、ウェストコート姿になる。肌着だけという格好は女性の前では失礼にあたるが、料理をするには上着は邪魔だ。そしてコートのポケットに入れてある紐で髪をひとつにくくる。
身支度をすっかり準備して、ライオネルは外にあるという井戸へと水を汲みに向かった。
パンの発酵が進むという薬は抜群の効果を発揮した。
一滴垂らせばライオネルがこねたパン種がすぐ膨らんだのだ。タージが作れと命令するのもうなずけた。
リーリンの自室から考えれば意外なことに、かまどは蜘蛛の巣ひとつなく綺麗だった。火を入れてパンを焼き始める。この火力ならばすぐ焼き上がるだろう。
台所の戸棚から見つけた寸胴鍋では具材とワイン、保存用の肉を入れたスープがもうすぐ出来上がる。
台所の少し開けた窓から煙を逃がして、ライオネルはかまどにフライパンをのせる。せっかく卵があるのだから、遠征地でよく食べたオムレツを作ろうと思ったのだ。王都で食べられているオムレツは卵とハーブだけを使って楕円に丸めて焼かれるが、このオムレツはフライパンに卵と具を混ぜてパンケーキのように丸く焼く。食べる時には皆で切り分けて食べるのだ。
具になる根菜を刻んでいると、台所に人の気配が現れた。
振り返ると、タージがあきれた様子で台所に入ってくるところだった。もうすっかり化粧も服装も整えたいつもの美しい姿だ。
「あなた、料理までできるの?」
「野営のときに作る、軍隊料理ですが…」
「お人好しもほどほどにしなさいよ」
そう言ってタージはライオネルからナイフを奪う。
「パンの様子を見てなさいよ。トルティージャを作るんでしょう?」
「トルティージャ、という料理なのですか?」
この卵料理が土着料理であることは知っていたが、ライオネルはレシピ以外のことは知らなかった。
「やだ、知らないで作っていたの? トルティージャは隣国の家庭料理よ」
言いながら具材を切る手つきは意外なほど手慣れている。感心して見ていると、タージは鼻を鳴らして笑った。
「こう見えても料理は得意なの」
「失礼いたしました」
素直にライオネルが詫びると、青い髪の魔女は居心地悪そうに口を曲げる。
「人の嫌味ぐらいそのとおり受け取りなさい。あなたが怒ることもあるのは知ってるけど」
手際よくバターをフライパンに入れて卵を割り入れると、タージは具材を入れて混ぜる。バターの香りが湯気とともに立ちのぼる。ライオネルが作るよりうまい出来上がりになりそうだった。
「……怒ることは、あまり得意ではないので」
この魔女の前でつい苛立ちを見せてしまったのは、ライオネルの失敗だ。
騎士である以上、何事にも動じないことが最上とされているし、それを抑制することをライオネル自身もよしとしてきた。
それがタージの前ではあまりうまくいかない。
素直に動揺することや表情を変えることは他の人の前でも表に出すことがある。人と接して、信用を得るには人間らしく振る舞うことも大切だからだ。無表情の人形に人は親しみをおぼえない。要人警護を任されるようになってから覚えた処世術だった。
人としての感情をあらわにする一方で、反対側では冷静に状況を判断する。
それがライオネルが王子の騎士として重用された理由であることも理解している。
だから、感情に行動を振り回される──ましてや自分の生い立ちというまったくの私情に振り回されることはあってはならないことだった。
「パン、焼けたんじゃない?」
軽やかな声に慌ててミトンをつけてかまどを開ける。ふんだんに穀物の香りを漂わせながら、ふっくらとしたパンはよく焼けていた。
「上手に焼けてるわ。早く食べましょ」
美しい魔女がそう無邪気に笑う。ライオネルは「はい」と返事をしながらパンをかまどから取り出して、台所の作業台へとのせた。
この青い髪の魔女には振り回されてばかりなのだ。
リビングのテーブルに披露した遅い朝食は好評だった。
魔女の薬草茶に焼きたてのパン、肉と野菜を煮込んだスープにふんわりと焼き上がったトルティージャ。揃いの食器などないので、大小さまざまな食器に盛られた食事を大人三人と子供一人で囲む。即席の食堂は雑多で質素だがにぎやかだった。ふくよかであたたかな食卓の香りは遠い家族の記憶を呼び起こした。
皮が少しかたいパンの中は柔らかく、パンをひたしたスープはどこか薬草の香りがする。柔らかく優しい味のトルティージャを少年が嬉しそうに食べる姿は、いつかの自分に重なった。
(彼は私とは違う)
少年には魔法の才能があり、ライオネルには無かった。それだけのことだと青い髪の魔女は言った。
ライオネルは母の顔をよくおぼえていない。
幼い頃は母子ふたりで暮らしていたと聞いているものの、父に引き取られてからの生活ですっかり薄れてしまったのだ。
はっきりと知っているのは、実母が魔女であるということだけだ。
引き取られてすぐに父がライオネルに告げたのだ。
母は魔女で、父にはすでに後妻がいること。そして後妻の子供に家督を継がせること。
どうしてライオネルが引き取られたのかずっと疑問だった。後妻がいるのならば父がわざわざライオネルを引き取る必要はないからだ。
タージの話は魔女についての一面でしかないだろう。けれど、ライオネルの長年のしこりを解消するには十分な情報だった。
「いやーうまかったよ。騎士殿。またぜひ来てくれ」
すっかり自分の皿をからにしたリーリンは満足そうに薬草茶を飲む。
食べるときにはさすがに仮面を外したリーリンだったが、それは口元だけだった。目元はあやしい嵌め込みガラスの仮面のままだ。口元は意外と涼やかでこぶりな唇だというのに、豪快に口を開けて食べる様子はお世辞にも淑やかとは言えなかった。
そんなリーリンをタージは睨む。
「連れてこないわよ」
「君の恋人をとったりしないさ」
「違うって言ってるでしょ!」
妙齢の魔女たちのやりとりにライオネルは口を挟まず沈黙を守った。こういうやりとりに男が口を挟んではならない。
ふと、正面に座っていた少年がこちらを見ているのに気づいた。──正確にはライオネルの皿に残ったトルティージャを見ている。
「食べるか?」
「……いいの?」
目が輝いた少年に逆らえるはずもなく、ライオネルは丁寧に切り分けて残りのトルティージャを少年の皿に盛る。
「ありがとう!」
ライオネルの理由はどうあれ、この少年を助けられたのならそれでいいのかもしれない。
少年につられるようにライオネルも微笑んだ。




