お礼SS 夜明けに鳴く4
山腹にある魔女の家についたのは夜も遅い時間だった。
でも、昼夜逆転生活を送っている魔女の家にはまだ明かりがこうこうと灯っている。やっぱりリーリンの家に来て当たりだった。タージは彼女の生態をよく知っていたから依頼先に選んだのだ。
「やぁ、どんな非常識かと思えば、青の魔女じゃないか」
汚れた白衣に手を突っ込んだままドアを開けたのは、年齢のよく分からない女だ。ぼさぼさの枯れ草色の髪をひとつに結んでいて、顔は分からない。
「……こちらが、リーリン殿ですか?」
タージの代わりにユリウスを引き受けて抱いていたライオネルが驚いている。初めてリーリンを見れば当然の反応だろう。
「ああ、これ? 面倒だからいつもつけているんだよ」
リーリンがこれと指さしたのはカラスのくちばしがついたような不気味な面だ。目元ははめ込みガラスで覆われて顔形はいっさいわからない。くちばしの先に香りの良い薬草を詰めているのだ。眠るときと食べるとき、顔を洗う以外でリーリンはこの面を外さない。
不安だという気配がひしひしと伝わってくるので、タージはライオネルに補足する。
「大丈夫よ。こんなのでも腕は確かよ」
「こんなのとはひどい言いぐさだな」
そう言いながらリーリンはライオネルが抱える少年をのぞきこんだ。
「珍しい検体だ」
「生きてるわよ」
タージの指摘に「冗談だ」と言ってリーリンは家へと三人を招いた。
「相変わらず薬草だらけね」
タージは見慣れているが、家中に乾燥中の薬草が吊り下げてある。背の高いライオネルは少し屈まなければ頭に薬草が当たるようだった。
「処置を始める。タージも手伝って。少年をこちらへ」
端的な指示はどこまでも明快だ。リーリンは無駄が嫌いだ。ライオネルもその例にもれず、ユリウスを家の奥にある処置室まで運ばされた。
「君は休んでいていい。あとでタージと少年を連れ帰ってやって」
そう言って処置室からライオネルを追い出す。
「珍しいわね。あなたが他人を気遣うなんて」
さすがのリーリンも美貌の騎士を犬のように追い払うことはできなかったのか。感心するタージにリーリンは「当然だろう」と答えた。
「タージの恋人を無碍にはしないよ。あとが怖いから」
「恋人なんかじゃないわよ!」
魔女という生き物はわりとどうしようもないほどお節介なのだ。
▽▽▽
ユリウスの処置はうまくいった。
リーリンの的確な処置のおかげでもあるし、マルティの処置が早かったおかげでもあるだろう。そして、必要な薬草をタージがたまたま持っていたことも安全な処置に繋がった。
「運のいい子だな」
処置を終えたリーリンがどっかりと椅子に座る。眠いのだろう。
外はもう白み始めている。
「リーリンは寝ていいわよ。昼になったら起こすから」
「朝食も作って」
「はいはい」
「じゃあ寝るか」とリーリンは大あくびをしながら処置室のとなりにある自室に帰っていく。彼女の寝床は本の巣のようになっていて、今日もそこで埋もれるようにして眠るのだろう。
ユリウスは処置室のベッドでおだやかな寝息をたてている。この様子ならば目を覚ませば元気に動けるようになるはずだ。
処置室を出てみると、ライオネルの姿は家の中にはなかった。
まだ暗い外を覗くと、銀髪がぼんやりと空を眺めていた。
「疲れたでしょう。中に入って休んだら?」
この堅物騎士は女性の家で無遠慮に居られないと言って、ずっと外で待っていたのだ。
ライオネルは家の前にある切りっぱなしで放置された丸太に腰掛けて、ランプもつけていない。さすがにコートは着ているが、寒くはないのか。
「……タージ殿こそ、お疲れさまでした」
ライオネルはタージを振り返るが、丸太から動こうとはしなかった。
彼の座る丸太があるところまで行くと、木々の向こうは夜空が淡くなって雲が渦を巻いているのが見えた。もう少しすれば日が昇る。
「寒くないの?」
春となってしばらく経つが、このあたりの朝晩はまだ冷える。深く吸い込んだ空気は冷たかった。
「私は馬を走らせておりましたので」
そう言ってライオネルは丸太から立ち上がるとコートを脱いだ。そしてそのままタージの肩へとかけてくる。
長身がそばにいるだけでどこか温かくなる。
礼を言おうとタージが顔を上げると、藍色の瞳がこちらを見下ろしていた。夜の闇にも、夜明け前の空にも見える瞳はただタージを映している。
(私、そんなに人肌が恋しかったのかしら)
たしかに今は恋人はいない。けれど、ライオネルは本当にただの依頼人だ。それ以上でもそれ以下でもない。
何より、この美貌の騎士はタージには毒になる予感がする。
暗がりでも美しい稜線がはっきりと見える整った容貌は、触れてはならないものとしか見えなかった。
「少年の容態はどうですか?」
別世界の生き物のように感じるというのに、薄い唇がタージ自身とは関係のないことを話すだけでどこか安心する。それが不思議だった。
「落ち着いたわ。これからは大丈夫よ」
「良かった」
ライオネルはほっと溜息のように深く息をつく。本当にユリウスのことを心配していたのだ。
けれど、この騎士が本当に同情だけでここまで馬を走らせるようにも思えなかった。
彼は掛け値なしのお人好しだが、これまでじゅうぶん過ぎるほど人間と渡り合ってきたひとりの男性なのだ。
けれど、この理由を尋ねればタージは底なしの沼に落ちるような予感がした。
魔女の勘は当たるのだ。
手練れの魔女ほど自分の勘を信じる。タージも多くの魔女と同じように勘を信じてきた。
我知らずこわばった魔女に、銀髪の騎士は微笑んだ。
「──私が、ここまで肩入れする理由を不思議に思われたのでしょう?」
理由はたくさんある。散らばった言葉と行動を繋ぎ合わせれば答えが出るように。
タージに浮かんだ答えをすくいとるようにして、ライオネルはそれを言葉にした。
「私は、魔女の子供だったのです」
銀髪が冷たい風に揺れ、魔女の肩にかかったコートも揺れた。
「幼い頃、貴族の父に引き取られました。物心つくまで養子なのだと考えていましたが、今の私は父の若い頃にそっくりなのです」
長いまつげが藍色の瞳を隠して、薄い唇が苦笑にゆがむ。
「……父と母がどのように出会ったのか分かりません。聞きたくもありませんでした。私は昨日まで、母に捨てられたのだと思っていましたから」
木々の向こうが明るい。雲が夜空を掃くように色づいた。
「私には、魔力がなかったのですね。……あなたに話を聞いて、ようやく分かりました」
空と雲が薄紫から赤く彩られる。太陽が空に生まれて、明るく照らしていく。
藍色の瞳がタージを見つめていた。
深い湖のような色が光を湛えて細くなる。
「ありがとうございます。魔女タージ。──あなたに会えて良かった」
彼がどうして魔女に偏見を持たないのか。畏れもしないのか。
そんなどうでもいいことが答え合わせされてもタージは嬉しくもなかった。
タージはライオネルの心のいちばん深いところを、そこの居るだけで傷つけた。
それがタージの心に痛烈に跳ね返ったのだ。
(呪いみたいだわ)
呪いを呪いで返す方法がある。呪われた者が呪った者を呪うのだ。そうして呪いは永遠に続いていく。
「……申し訳ありません」
手袋の指がタージの頬をかすめて離れた。
「──あなたを泣かせるつもりはなかった」
そう呟くと、冷たい指が頬に触れる。指はこぼれた水滴をすくい、広い手が頬を包む。
濡れたまぶたを温めるように、吐息がかかった。
「──私の代わりに泣かないでください」
彼の代わりに涙があふれたわけではない。これはタージの心が痛んだからだ。けれど、それは結局ライオネルの心に触れてしまったからで、どちらが正しいのかなんて分からない。
懇願する声に、タージは腕をのばして銀色の頭を抱きしめる。引き寄せられた長身は驚いたように頬から手を離したが、タージの肩に額をつけて小さく息をついた。
「……思い出せるのです。あなたやエレン殿と会うと」
「……何を?」
「母のことを」
薬草の香り、木の実がふんだんに入った優しい味の焼き菓子、名前を呼ぶ柔らかな声。
思い出らしい思い出でもない、幼い頃の記憶。
思い出すことさえ禁じていたのかもしれない、ささやかな母の姿。
タージが銀色の髪を撫でると、広い手が囲い込むように背に回る。
すがりつかれているようで、そうでもない不思議な腕だった。
守り、守られている。そんな不思議な感覚だった。
「大きな子供みたいよ、ライオネル」
タージの肩で「そうですね」と吐息が笑うようにもれる。
けれど、長身はタージから離れようとはしなかった。
空が青く晴れて、朝日が温かく二人を照らすまでタージもライオネルも動かなかった。




