お礼SS 騎士と魔女
本編終了後のライオネルとタージの話。
王都から離れているにしては盛況な街だった。
山の麓にあるこの街は山と海との交易の係留地で人も多く、交易品を売る出店も多い。
それでもタージのように露出の多い軽やかな衣装の者は少なくて、街路を歩けば注目を浴びた。
このあたりの店で売っている衣服といえば毛織物が主で、タージが身につけている綿や麻の服は珍しいようだった。そのうえ丈の短い衣装でこれみよがしに肌をさらしているのに、鉱山で用いられている作業用の頑丈な上着にザックを持っているのだから目立つのは仕方なかった。冬の長いこのオルミ王国でも、とくに北にあるこの街では暖かい春でも薄着の者は少ないのだ。
目についた店の商品を見ていると、店主がこんなことを言ってくる。
「あんた、踊り子かい?」
タージは笑って答えた。
「ええ。そのようなものよ」
踊り子であってもタージのような青い髪の女などなかなかいない。珍しい髪色の女は魔女かもしれないと店主は思い至らなかったのだろう。
(この街に長居は無用ね)
活気のある街なので野暮用ついでに一泊するには良い街だと思ったが、タージは早々に立ち去ることを決める。
この街には魔女がいないのだ。
魔女が居たことのある街では、少なくとも商人は魔女と取引をしたりするので魔女の特徴をよく知っている。けれど、魔女のいない街では魔女を知らない者が多い。知らないだけならばいいが、中には魔女を迫害した歴史を持つ街もある。
タージは魔女であることに誇りを持っているが、厄介ごとを避けることも旅をするには必要なことだ。
さいわい、タージのような派手な格好の女にはそうそう誰も声をかけない。せいぜい夜店の店主か、
「おお、姉ちゃん。踊り子か?」
柄の悪い酔っぱらいぐらいなのだ。
タージが振り返ると、赤ら顔の男が三人でにやにやと笑っている。
「暇なら酌でもしてくれねぇか」
「ごめんなさい、先約があるのよ」
ていのいい断り文句だがこれは本当だった。約束があるからわざわざこの街に立ち寄ったのだ。
「いいじゃねぇか、オレたちと遊ぼうぜ」
酒臭い男がタージの細腕をつかみかけるが、それをするりとかわす。
「聞き分けのない子はママにしかられるわよ。坊や」
タージがそう言って微笑むと、酔っぱらいたちの鼻の下がますます伸びた。
「つれないこと言うなよ。──ひと晩いくらだ?」
失礼な問いかけをタージは鼻で笑う。こんな粉かけはよくあることだ。
じりじりと自分を取り囲みかけている男たちを睨みながら、タージは堂々と腰に片手をあてた。
タージは身長が低いわけではないし、さらにかかとの高い靴を履いている。胸を張って立てば対峙した男たちと負けないほどの上背になる。だからたかが女と見て侮った男たちがたじろぐのを見てタージは口の端を上げる。
人を見た目で判断するからしっぽを巻いて逃げるはめになるのだ。
「私と遊びたいのなら、火傷のひとつやふたつは覚悟しているのかしら?」
道の真ん中で男たちと対峙するタージの周りはしぜんと人が避けていき、野次馬まで取り囲んでいる。
一触即発。どちらともなく動きかけたそのときだった。
「魔女殿!」
野次馬のうしろからひどく通る声が響いた。
ざぁっと音がしそうなほど人の視線がそちらへいって、ひと息に衆目をさらったその人は世にも珍しいほど美しい男だった。
肩より少し長い銀髪を暗い色のコートに流し、その長身の立ち姿は誰もが見とれるほど美しい。鼻筋のとおった顔立ちはすばらしく整っていて、切れ長の藍色の双眸は酷薄にさえ見えるというのに、どこか中性的で甘い容貌を端正に削って男性らしく美しく見せた。
おおむねの人は彼の容姿に驚いたが、タージは違うことで顔をしかめた。
遺憾ながら注目を浴びるあの男を見知っていたからだ。
タージはからんできた男たちをすっかり無視して、額縁にでもおさまっていてほしい男の前へと走り寄った。
当の男はタージに向かってのんびりと挨拶を口にする。
「お待たせして申し訳ありません。ま…」
「こっちへいらっしゃい! この唐変木!」
タージは容赦なく男の腕をつかむと、唖然とする野次馬をかきわけて人混みに紛れていった。
運命のきまぐれか、星の巡りがはずれたのか。
タージがその騎士と再び会合する約束を取り付けられたのは、まったくの油断だったに違いなかった。
ことの始まりは妹魔女と王子の恋だ。王子と魔女の恋路など、世間的には大衆劇の物語にもならないほど誰も想像しえなかったことだろう。
その恋をタージは見守りたいと思ったし、どういうわけか王子の配下である騎士も彼らを見守りたいと言い出した。
利害の一致だ。
(どうかしていたのね、私)
師匠の占いでも凶と出たこの恋路の行方にタージもどうやら浮かれていたのだ。
お人好しな騎士に、今後も二人を占ってほしいと言われてつい引き受けた。
それが今日の惨事というわけである。
「──お疲れのようですね。どこかでお休みになりますか?」
身分もないただの魔女のタージに向かって丁寧に相対するこの騎士に関われば、どんなことになるのか勘定に入れ忘れていたのだ。
「お休みにならないわよ。すぐにこの街を出るから」
タージはそう溜息をついて、目の前で心配そうな顔の騎士を見上げた。
そう、見上げるのだ。
かかとの高い靴を履いたタージでさえも見上げなければ、その尊顔を拝むことができないほどこの騎士は長身だ。
おまけにその姿といったら花の王都でも評判の美貌なのだ。
改めてこの薄暗い路地裏に引っ張り込んで正解だったとタージは再び溜息をついた。
「有り体に言えば、私はもうこの街には居たくないの。占いの結果はここで伝えるからすぐに別れてくれる? 騎士様」
とりつく島もない様子のタージに、騎士は困り果てたように眉を下げる。
「……それは、私が先ほどあなたを魔女と呼んだからでしょうか」
なぜこれほど頭も良いのに、叫ぶ前に思い至ってくれなかったのだろう。
タージは頭痛のする思いで美貌の騎士を睨む。
「……ええ、そうよ。この街には魔女がいない。流れ者の魔女なんてどんな扱いか分からないわ」
不満をすっかり言ってやってから、タージはふと疑問に思う。彼がどうして魔女の処遇について詳しいのだろう。王都やその周辺では王家が代々魔女と契約しているだけあって、魔法に親しみはない街の人々でも魔女に寛容なのだ。
その王都で育ったはずのこの騎士が、他の土地での魔女の扱いを知っている必要があるだろうか。
「……申し訳ありませんでした。私の思慮不足でした」
胸に手を当て目を伏せる騎士は流行りの絵画になりそうなほどさまになっている。
内心はどうあれ誠意を見せる彼をこれ以上怒る理由はもうタージにはない。
「もういいわ。じゃあ占いの結果を……」
「街を出られるのならば私もご一緒いたしましょう。私は視察の途中ですので、別の街まで馬車でお送りいたします」
魔女組合を通じて送られた彼からの手紙にも、占いの経過を聞けるのならば視察の途中でタージに会いたいと書かれてあった。
たとえ鬱陶しいまでの美貌と相乗りだとしても、歩いて次の街へ向かうより馬車に乗るほうが何倍も得だ。
「じゃあ、乗せてもらおうかしら」
タージが承諾すると騎士はさっそく馬車へと案内してくれる。
街の外に御者と共に留められていた馬車は立派な四頭立てで、家紋はなくとも貴族のものだとすぐ分かった。騎士が御者に近くの街まで行くよう伝えると、タージと騎士が乗り込んだだけですぐに走り出す。乗り心地は乗り合い馬車とは雲泥の差で、あまり揺れないうえにクッションを敷き詰められた内装のしつらえも快適だ。
視察には彼ひとりで向かう場合もあるそうだが、地方の領主などを訪ねるときは馬車での訪問になるという。
「何事も建前と見かけが大事なのだそうです」
これは彼の上司にあたる王子の言葉らしい。あまり話したことはないが、妹魔女に聞いたとおりの抜け目のない人物なのだろう。
「私だけならば、馬で駆けるほうが早いのですが」
そうやってこともなげにいう騎士にタージは肩を竦める。この騎士はどこに居ても注目を浴びる自分の容姿に無頓着すぎるのだ。
向かい合わせに乗り込める箱馬車は広く、タージと騎士が向かい合わせに座っても足を組めるほど余裕がある。タージは遠慮なく足を組んで向かいの騎士を眺めた。
「あなた、自分の容姿が目立つことを自覚した方がいいわよ。お見合いだって引く手あまたでしょう?」
「いいえ。…はずかしながら、側付きの騎士にならないかと言われることは多いのですが…」
黙っていれば冷たくも見える顔を崩して苦笑する騎士が、嘘をついている様子はない。
しぜんに背筋を伸ばして座る姿はいかにも華やかで上等だ。派手好きの貴族ならば綺麗な人形のようにそばに置いておきたくなるのだろう。彼が言葉を濁したのは、その誘いが未亡人からの誘いや、愛人の誘いも多いからかもしれない。
「婚約者ぐらいいるんでしょう?」
「いいえ、おりません。我が家の家督は弟が継ぐことにすでに決まっております。私は殿下から賜った領地がありますので、実家とは縁が薄いのです」
貴族の結婚とは家同士の結びつきを大切にするものだという。だから、いくら王子から拝領した領地があったとしても、彼と結婚したい貴族の娘はあまりいないらしい。
「貴族って面倒ね」
それ以外の感想を持てなかったタージに、騎士はおだやかに「そうですね」と頬を緩めた。
「ですが、領地だけしか持たない私の元へ大事な娘を預けようというのは、やはり親としては了承しがたいものがあるでしょう。頼れる実家があるというのは、両家にとっても本人たちにとっても保証のようなものですから」
家族を増やすということが一種の生存戦略になるのだろう。それは平民であっても同じであるだろうし、人間の社会生活において家族の人員を増やすことは重要なことなのだ。
「私には分からない感覚だわ」
人間たちのような家族を持たないタージにとって、彼らの営みは理解できても馴染めない。
「……魔女殿は家族がいらっしゃらないのですか?」
どうしてこの騎士とこんな話をしなくてはならないのか。そう思うがこんな話を始めたのはタージのほうだ。諦めてタージは話すことにする。次の街へ着くまでの世間話だ。深い意味などない。
「母も祖母も大叔母も元気よ。子供もいとこもいっぱい居る。ただ…、みんな夫はいないわね」
魔女の家系はだいたい女系だ。タージも父親を知らない。
「詳しく教えてくれないけれど別れたか死に別れたか…男が家族を守るなんて習慣は魔女にはないのよ」
魔女は年頃になれば他の魔女に弟子入りし、やがて独立して一人前になる。妹魔女のように師匠の住んでいた土地を引き継ぐ場合もあるし、タージのように魔女組合に所属して仕事をしながら腕を磨いていく場合もある。
「そうね……私たち魔女にも血縁関係はあるけれど、魔女として過ごす時間は師匠と過ごす時間のほうが長いし、好きな男と過ごす時間なんて一瞬だわ。魔女には掟があるから」
「掟?」
騎士の藍色の瞳が射抜くようにまっすぐ見てくるので、タージはいささか居心地が悪くなる。一瞬で相手を凍らせるような仕草に何の計算もない男だからタージは少し彼が苦手なのだ。
「……ええ。魔女には魔女の掟があるのよ。それは私の妹弟子……エレンも変わらないわ」
人間たちには受け入れられない掟も多い。それを今この騎士に披露するつもりもない。
「……あなたが口の堅いことを信じて言うけれど──私はエレンの恋が何の障害もなくうまくいくとは思っていない」
二人とも自らが抱える背景が多すぎるのだ。
「でも、アリンダの占いのとおりだと諦めることも違うと思うの」
魔女と王子である前に、彼らはただの人間なのだ。
「……そう思うからこそ、私の依頼を受けてくださった?」
そうね、とタージは騎士にうなずく。理由はそれだけではなかった。あまり認めたくはないし本人にも言うつもりもないが、こうして王子とエレンを大切に見守りたいと思うこの騎士からの依頼だからこそ受けようと思ったのだ。エレンと王子の味方は多いほうがいい。
「占いの結果は、師匠が占った三つの運命のうち、絶対に避けたかったであろう二人が出会ってしまう運命に入ったわ」
この運命は困難を極めるという結果が出ていて、考えたくもないが占いの結果はどちらかの死、あるいはどちらともの死という凶相を示していた。
タージの出した結果に、さしもの騎士も顔をこわばらせる。たとえ占いをまったく信じていなくとも、結果は結果だ。
「言ったでしょう。占いは占いよ。運命の紐は進んでみないと分からない」
どれほどの凶相でも、運命はたくさんの人が関わって変化していく。
「……これから、私たちが関わることによって変わることもあるということですか?」
藍色の瞳はまっすぐにタージを見つめた。人を死に導く運命は強力だ。抗うためには犠牲も出ることだろう。
きっとこの騎士はそのためならば命をかけるつもりなのだ。
「──人の死は順繰りに、誰かが助かれば誰かが死ぬとよく言われるけれど、それはただの結果論よ。運命はその人自身のものなんだから」
誰かの代わりに死んだところで、それはその人の運命でしかないのだ。
「たとえあなたが十回死んだところで他人の運命は変わらない。あなた自身が死ぬ運命を変えなければ、何も変わらないのよ」
どんな理由をつけたところで人が命をかけるときは自分のためだ。他人のためではない。
ついタージも藍色の瞳を見つめて告げると、ふいに視線がそらされた。
騎士は深い溜息をついて、次に苦笑する。
「……あなたはやはり魔女なのですね」
「いやだ。今まで何に見えていたの?」
いつのまにか緊張していた空気がほどけた。タージも柄にもなく緊張していたのか肩が凝っている。
「騎士さまには私が踊り子にでも見えていたのかしら」
タージがおどけてみせると騎士は笑った。その顔はまるで少年のようにあどけない。
「何にも。あなたは美しい女性ですから」
こういう男に女がハマると抜け出せなくなる。やっぱり危険な男だ。
タージが心のうちで警戒していることも知らずに、騎士はその美貌で花のように微笑んだ。
「魔女タージ。私のような凡愚にはあなたが美しいこと以外に分かることなどないのですよ」
ほらやっぱり、とタージは笑う。
この手の男は本当に無自覚でいけない。
「あなた、そのうち必ず女の取り合いに巻き込まれるから、てきとうに愛人にでもなっておいたほうが身のためよ」
「ええ…? それは魔女殿の見立てなのですか…?」
騎士がすっかり情けない顔になったところで馬車が止まった。
御者が外から目的地へ着いたと告げてくる。
馬車の窓から外を確認すると、もう次の街の塀が見えている。
思いのほか話が弾んでしまったようだ。
「助かったわ。歩いていたら日が暮れていたわね。ありがとう」
タージが外へ出ようとすると、騎士はそれを制して先に外へと出てしまう。
そして恭しく手を差し出してくるので、タージは鼻で笑ってその手を受けた。
「騎士さまは女とみればエスコートしないと死んでしまう呪いにでもかかっているのかしら?」
タージを馬車から降ろした騎士は皮肉に少し不思議そうな顔をしたものの、すぐに微笑んだ。
「そうかもしれません。私はこのように無器量の身ですので」
この美貌の騎士ほど見目良く完璧に近い騎士もそうそういないだろう。他の騎士が聞けば嫉妬を買いそうな言葉だ。
「……本当に気をつけなさいよ。どんな善行を積んだって恨みは買うものなんだから」
「はい。ご心配ありがとうございます。ま…」
魔女殿、と続けようとしたのだろう。けれどタージの忠告を思い出したのだ。唐変木にしては良い判断だった。
「いいわ。私のことはタージと呼んで」
「……良いのですか?」
騎士がためらうのは貴族の習慣のせいだろう。彼らはよほど親しい間柄でもない限り名前を呼んだりしないのだ。
「私に家名なんてないもの」
魔女には魔女の名前があるが、命そのものでもあるそれは余人には教えない。
騎士はすこぶる形の良い顔で画家が泣いて喜びそうな表情で思案していたが、やがて観念したように口を開いた。
「……では、タージ殿」
「なぁに」
「私のことも、ライオネルと呼んでください」
なにやら覚悟を決めたような顔の騎士を不審顔でタージは見上げた。
「それってあなたの家名なの?」
「……いいえ。私の名前です」
名前で呼び合うなんて、彼にとっては恋人を呼ぶようなものだろう。タージを名前呼びするからと彼まで合わせる必要はない。
「ライオネル・ヒューバートなんだから、ヒューバート卿でいいじゃない」
「……ヒューバートは実家の家名です」
「変なところで頑固にならないでよ」
あきれるタージに、騎士は慌てたように付け足した。
「ち、違うのです。……私の家名は、正式には領地の名前と実家の名前であるので」
藍色の瞳に苦笑をにじませて、騎士は照れたように笑う。
「……あなたの言葉を聞いて、言われてみれば私の名前となるのは、ライオネルという名前しかないと思い至ったのです」
切れ長の双眸がタージを映してゆるやかに細くなる。
「ですから、私のこともライオネルと。私は、あなたと対等でありたいのです」
まっすぐな男も綺麗な男もタージは苦手だ。本人の自覚なく、周りと摩擦を起こしてついには焼いてしまう。
(……まぁ、私とは関係ないところでせいぜい苦労すればいいんだわ)
この騎士とはただ利害が一致した依頼人と魔女の関係なのだから。
タージは自由な魔女なのだ。国や立場にがんじがらめの騎士に捕まえられるはずもない。
「いいわ。あなたに付き合ってあげる」
タージが胸を張って答えると、美貌の騎士は「はい」と笑う。
「これからもよろしくお願いいたします。──タージ殿」
この形の良い薄い唇にかかればタージの名前も極上の酒のように聞こえる。溺れてはいけない響きだ。
「ええ、じゃあまたね。ライオネル!」
タージは魔女だ。簡単には捕まってやらない。タージは身を翻して街へと走り出し、騎士──ライオネルに手を振った。
彼女を引き留めかけた長身は馬車のそばからゆっくりと手を振り返す。
タージは魔女だが知らないことはたくさんある。
だからこのときも知らなかった。
この堅物の騎士が気軽に誰かに手を振り返すことなどないこと。
藍色の瞳がほころぶように笑うことなど今の今までなかったこと。
氷の騎士が溶けることもあるなんて当の本人さえも──誰も知らなかったのだ。




