お礼SS 手紙
(時間がないな)
カイは手にした書類に視線を落としながら、内心ため息をついた。
三日前の早朝に届くはずの書簡が今日の午後に届いた。この報告の返答には一週間前から集めた資料を照らし合わさなければならない。
世の貴族のなかには働かないことこそ美学とうそぶく者もいるようだが、彼らの代わりに働く者がいるから一応、世間は回っている。身分は高いが、残念ながらカイは働く貴族の一員だった。
(エレンに詫びの手紙を出さなければ)
明日には彼女の家へ出向ける予定が、この書簡のせいで三日は延びる。受け取った書簡の内容から考えると一週間ほど延期となるかもしれない。
大切な魔女はカイの前では大体つれないが、恋人となってからはぎこちないながらも素直に感情を見せてくれるようになった。
──彼女は寂しがり屋だ。
ひとり暮らしは慣れていると彼女は口にするが、その心に孤独を抱えていることをカイはすでに知っている。
(エレン)
名前を心のなかでつぶやくだけで、カイは満たされる。
だから、エレンにはカイができる限りのことをしようと思うのだ。
それでも会いたいと自分の欲ばかり思うのは、カイが強欲だからだろうか。
カイばかり欲しがっているのではなければいいと思いながら、執務机の脇に常備してある便箋を手に取った。
※
秋の深まってきた森に、その騎士がやってきたのは夕暮れも近い頃だった。
カイからの手紙を届けにきたのだという騎士、ライオネルにエレンは蜂蜜をたっぷり入れた薬草茶をふるまった。あんまり遠慮するので無理矢理受け取らせたのだ。
それでも銀髪の律儀な騎士は家の中には入ろうとしなかった。あのカイの部下とは思えないほど真面目な騎士だ。
ライオネルに薬草茶を飲ませているあいだにエレンは戸口で受け取った手紙を開く。
丁寧できれいな文字はカイらしく整っていた。すらりとした彼の姿まで思い浮かべられそうな手紙は、明日は森には行けないという内容で、そのほかは過分な美辞麗句や恥ずかしい言葉が並んでいた。
あきれた気分になりながらも、心を通わせた恋人の声が嬉しい。
──あなたに会えなくて寂しい。
それはエレンも同じだ。
そう素直に思えるほどには、エレンもカイのことを大切に思っているのだ。
「ライオネルさん」
庭を眺めながら薬草茶をなめていたライオネルは、エレンの呼びかけに長身をかがめるようにして振り返った。
「少し待ってもらうことは大丈夫かしら。……返事を書きたいの」
エレンの遠慮がちな言葉に、真面目な騎士は柔らかく微笑んだ。
「はい、大丈夫ですよ。書き上がるまでお待ちしております」
氷の騎士だなんてライオネルの外見だけの話だ。優しい騎士に「早く書くわ」と言って、エレンはあわてて便箋を探しに部屋へ戻った。
※
明日はお越しになれないとのこと、承りました。
忙しいと思いますが、くれぐれも無理をなさらないように。
温かいものをちゃんと食べてください。
あなたは忙しくなると食事もとらないというから。
いい具合に果実酒ができたので、今度森へ来たら飲んでみてください。
お待ちしております。
※
あなたのお返事、たしかに受け取りました。ありがとうございます。
今は冬支度の真っ最中でしたね。あなたの方こそご無理をなさらないようにしてください。
今年こそはお手伝いにうかがおうと思っていたのに、残念でなりません。
やはり冬のあいだは屋敷に滞在していただいた方が良いと思いますが、それはまた説得の機会をお与えください。
果実酒をあなたと飲める日を一日千秋の思いで楽しみにしております。
私はあなたの笑顔を思い浮かべて日々の喜びとし、生きているようなものです。
どうか、あなたも健やかに過ごされ、私にその美しい姿を見せてください。
お会いできる日を心待ちにしております。
※
開いた瞬間、甘ったるい香りが漂うような手紙だ。
エレンは読みながら手紙を知らず知らずのうちに顔から遠ざけてしまった。
けれど顔が熱くなっていくのを感じて、あわてて手紙を顔の近くまで引き戻す。まだ手紙を届けてくれたライオネルがここに居るのだ。
さいわい、賢明なライオネルは赤面したエレンをからかうような真似はしなかったが。
「お返事をお書きになられますか?」
礼儀正しくにこやかな騎士に、さすがのエレンも悪態をつく気にはなれない。
「……書くわ。少し待っていてちょうだい」
恥ずかしさを引きずったまま、エレンはライオネルに薬草茶を押しつけた。
※
あまり手紙は書かないと言っていた彼女の文字は少し丸くて丁寧だ。
ライオネルを使いっぱしりにしてやるなという手紙の返信は少し気に入らないが。
カイは羽根でも触れるようにしてそっと彼女の筆跡をなぞる。こうして指でなぞると、紙に残るペンの凹凸から一生懸命に書いている姿がたやすく想像できた。
ふと手紙を運んできた騎士を見ると、なにやらにこにこと微笑んでいる。
「なんだ?」
「いえ」
主人の質問に騎士は短く答え、今度はこらえきれないように笑う。
「魔女殿も、あなたさまと同じような顔をされていたなと思いまして」
そうだった。ライオネルは直接エレンと会ってきたのだ。そのことを恨めしく思って顔をしかめるが、エレンの様子が知れるのは彼のおかげだ。それは分かっている。
「……明日もおまえに手紙を預けるからな」
面倒な遣いだというのに、騎士は笑ってうなずいた。
※
秋が更ける森はどこか落ち着かない。
厳しい冬に向けて人も森も準備が欠かせないからだ。
今日もエレンは冬の蓄えのために保存食を作っている。
そんな家のドアがノックに鳴る。
「こんにちは、エレン」
くぐもった声が聞こえ、エレンは手にしていた壷をテーブルに置いた。
とっておきの果実酒をさっそく出してこなければ。
それより先に足はドアへと向かっている。
ドアを開けると、見慣れてしまった整った顔が満面の笑みを浮かべていた。
彼と同じように頬がほころんでいくのを感じて、エレンは思わず笑ってしまう。
きっとエレンも同じ顔をしているのだ。
「いらっしゃい、カイ」
空色の瞳を歓迎してエレンは大きくドアを開けた。




