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魔女は灰かぶり  作者: ふとん
10/24

魔女は嘆いて逃げ隠れたが

 まだ師アリンダが生きていた頃、彼女はことあるごとにエレンに言って聞かせた。


 すべてのものは星の巡りに従っていて、逆らおうとしたものには、厳しい罰が与えられるのだと。


 占いは無数に広がる運命の枝葉の一つを捉えたにすぎないが、それは相応に根拠あってのことで、まったくの否定はできない。

 魔女の星詠みは特殊で、天の空にある星の行く先までを詠むので、たいていのことは外れない。

 ましてや、希代の星詠みと謳われたアリンダに限って、占いを詠み間違えることなどありはしない。


 だから、今、このときの運命がねじ曲がっているさまは、他でもないエレンが原因だ。

 老婆の姿のままカイに会い続け、本当は若い娘だと言えないままきてしまった。

 アリンダに口酸っぱく言い聞かされていたはずなのに、己の欲望のままにもう少しだけと延ばし続けた結果だ。


 でなければ、決して運命が交わることなどなかったはずのエレンに、一国の王子がこんな言葉をかけるはずがない。



 あなたを愛しています、などと。



―――何をどうして逃げおおせたのか、エレンは覚えていない。


 ただどうしようもなくなったのは確かだ。


 泣いたかもしれない。

 叫んだかもしれない。



 だが、これだけははっきりと覚えている。


 ごめんなさい、と繰り返したエレンを見つめていた空色の瞳がこれ以上無く悲しみに曇った。


 それがまた辛くて、エレンは無我夢中で庭を抜けだし、屋敷を後にした。


 そうして気がつけば夕暮れ間近の自分の家で、ぼんやりと部屋の隅に座り込んでいたのだ。



(……お腹が空いた)



 まず我に返ったのは、お腹の虫。

 こんな時でもお腹は空くのだ。

 それが何とも滑稽で、エレンは自嘲する。

 ようやく立ち上がろうとして、自分が今朝、着せられていたドレスのままだと知った。

 庭では美しく翻っていたはずの裾は泥に汚れ、ショールはどこかで落としたらしい。

 改めて触れてみるとエレンの身分ではとうてい袖を通すこともなかっただろう、上等過ぎる生地だ。弁償どころかどう汚れを落とせばいいのかすら分からない。

 何かしらの対価を支払うにしても、エレンにそれが購えるかすら疑問だった。



(大失敗だわ)



 一人前になって久しく覚えなかった疲労を感じてエレンはその場にうずくまる。


 強烈な奔流として流れている星の巡りを、どうして一介の魔女であるエレン一人が変えられたのか見当もつかなかった。

 だから、曲がってしまった運命を元に戻す手段も方法も分からない。


 ただ、これだけは分かった。

 エレンがカイを好きになってはいけなかったのだ。


 オフィーリアとの運命を知りながら、分をわきまえずにカイに恋した瞬間から、エレンはきっと道を誤っていた。

 エレンの心を止める人間すらそばにない今、助言も求める人もない。


(アリンダ)


 幻でもいい。

 師に尋ねたかった。

 エレンが間違っていたのだという、その一言でも。


 再び目の端が熱くなってきた頃、扉ががたりと揺れ、鍵をかけたはずの戸がゆっくりと開かれた。


 この家にあるエレンに今、用がある人間は一人しか思い浮かばなかった。


(逃げないと)


 解決策どころか言い訳もできそうにないのだ。

 しかしエレンは部屋の隅にうずくまったまま動けない。

 コツコツという足音は無遠慮に部屋を歩き回り、やがてエレンのそばで立ち止まった。



「まぁ、なんて格好をしているの。エレン」



 街でもそうは見かけないほど踵の高い靴を履いたその人は、呆れたような声でエレンを見下ろしていた。


「……タージ姉さん」


 真っ青な長い髪を美しく巻き毛にした女は、わがままそうな顔にニヤリと笑みを浮かべた。



 タージはエレンの一つ上のアリンダの弟子だ。

 派手な魔法を好み、古式ゆかしい魔女の伝統を守っていたアリンダとはしょっちゅう衝突し、一人前になったと思えばすぐにアリンダの元から出ていった。

 エレンと過ごしたのは一年あまりだが、わがままそうな顔に似合わずタージはよくエレンの面倒も見た。

 出奔してからもアリンダが出かけている隙を見ては、ことあるごとにエレンの顔を見に来ていた。


 今日もその彼女の気まぐれの日だったらしい。


「さぁさ、お食べなさい。タージ姉さんの特製スープよ」


 胸や足の布地を極限まで減らしたドレスの上に、エレンが普段使っているエプロンをまとった様はこの上もなく似合わなかったが、深海色の髪を結い上げた姉弟子はエレンと比べるべくもなく美しかった。


 タージに追い立てられるまま普段着に着替えたエレンは、言われるままにスプーンを手に取った。

 皿に盛られたスープは独特な臭いがするが、美味しそうだ。

 タージはその派手な経歴に似合わず実は非常に家庭的で、料理に関してはエレンよりも上手い。

 肉や野菜をふんだんに盛り込んだスープは香辛料が染み込んでいて、冷えきったエレンの胃を温めた。


「本格的な冬の前に来られて良かったわ」


 ここの冬は厳しいものねぇとタージもテーブルについて、エレンと一緒にスープを口に運ぶ。


「でもやっぱりもう寒いわね。お酒も買ってくるんだったわ」


 姉弟子は無類の酒好きで、アリンダによく怒られていた。

 そのことを思い出して、エレンは少しだけ頬がゆるんだ。


 食事を終えてもタージはいつものようにエレンに自分の旅の話を聞かせてくれた。

 

 砂漠の国に湖を作った話。

 険しい山から珍しい鉱石を見つけた話。

 霧深い森の奥で竜に会った話。


 本当はとても大変なことだったと思われるのに、タージは面白おかしく話して聞かせる。


「それでも、山に住む獣人ってやつは本当に頑固でね。百年もの間、竜と仲違いしていたのよ。森の賢者と呼ばれながら、やってることは子供よね」


 人と変わらないわ、と人より長寿で魔法使いの何千倍もの知識を蓄えている種族たちをタージはほがらかに笑い飛ばす。

 きっとこの姉弟子は彼らを前にしても怯むことなくこうやって対話したのだろう。


 エレンはこの優秀な姉弟子が大好きだった。

 師アリンダも仲違いしたもののタージの才を認めていた節があった。

 タージは派手好みではあるもののその手腕は確かなもので、魔女組合から直々に依頼を受けるほどの実力者だ。

 エレンなどはせいぜい決まった薬を正確に作れることぐらいが関の山で、組合からは年に一度、魔女の実力審査の通知が来るぐらいである。

 

 夜も深く更けるまでタージの冒険談を聞き、暖炉の火が小さくなりかけた頃。

 暖炉の前に二人して毛布の上に寝転んでエレンがうとうととしていると、タージが優しく頭を撫でた。

 妹弟子に何かあったと分かっているはずなのに何も聞かないタージが優しくて、エレンは毛布の上でうずくまる。


「姉さん」


「なぁに?」


「……どうして恋なんてするのかしら」


 誰もそれが恋だと教えてくれたはずもないというのに。


 タージはエレンの白髪を撫でながら、小さく息を吐くように笑った。


「さぁ。私にも分からないわ」


 あちらこちらと旅に出ては恋人を変えて帰ってくる恋多き姉弟子も分からないというのか。

 それほど難しいことを、どうしてエレンが分かるだろうか。


「そういうものに、人が恋と名付けただけかもしれないわね」


 人と人とが惹かれあうこの不思議な縁を、恋と名付けたいだけなのか。


「出会いは人の数だけあるわ。別れもね。でも、どの縁を大切にしたいかは、自分で決めるものなのよ」


 タージらしい溌剌とした解答が、エレンには眩しく聞こえた。

 エレンの世界は狭い。

 だから、タージのいう縁の一つ一つがとても大きく感じてしまうのかもしれない。


「そうだわ。エレン」


 エレンを撫でていたタージが彼女をのぞき込んでにんまりと微笑む。


「あなたもたまにはたくさんの人と話をしてみるべきよ」


 素晴らしい思いつきをしたとタージはうんうんと自分に頷いた。


「冬の初めに感謝祭があるのは知っているわね。パーティがあちこちで開かれるのよ。知り合いに頼んで招待状をとってきてあげるから、一つ行ってごらんなさい」


 タージのきらきらとした瞳に気押されて、エレンは思わず身を引いた。

 いつかオフィーリアに目を回してしまうと言ったが、その通りなのだ。エレンは今まで人が一度にたくさん居る場所に参加したことがない。

 冬の感謝祭にはガンネットやハンナから商店街の集まりに毎年誘われていたが、魔女の家は冬が早いからと断っていた。カイに関してはどの誘いも断っているのだが。

 

「悩んでも解決しないことは、一人で悩んでも解決しないことよ。それでも誰にも言えないなら、そういう時は一時でも全部忘れてみるのもいいことよ」


 経験豊富な魔女は、そう言って優しく微笑んだ。


 

 悩んでも仕方のないことはたくさんある。


 叶わない恋のこと。


 カイの熟女好きのこと。



 エレンの髪が白いこと。



 エレンの髪は生まれつきだ。


 幼い頃はそれはもう隣近所から気味悪がられ、遠慮のない子供たちの恰好の的となった。

 心ない言葉を投げかけられるのは日常茶飯事で、自分では扱いきれない魔力で彼女の周りの物が動き出すと悪魔の子と大人からも罵られた。

 それでも両親はエレンを見捨てず育てた。

 エレンが泣いて帰ってくると優しく慰め、恨んではいけないと言って聞かせ、近所の人々には始終謝罪して回り、人一倍人々に尽くした。

 そうしてようやくエレンはいじめられはするものの人並みに生活できていた。

 幼い頃はそれがこの上もなく嫌で、やがてエレンを見つけて養女にしたいとアリンダがやってきたことに喜びさえした。

 両親は最後まで反対したが、結局はエレンの望みを叶えてくれた。

 別れのその日まで、エレンの白い髪を美しい雪のようだから大切してくれと言いながら。


 思えば、エレンの髪を褒めてくれていたのは両親だけだった。


 そんな彼らは、街で蔓延した流行り病であっけなく死んでしまった。

 病にかかるのも構わず、病人の世話をしていた結果だった。


 エレンはまだ未熟だからと魔女の家から出ることを許されなかった。

 アリンダとタージの尽力で流行り病はどうにか収まったが、少なくはない死者の中に両親が居たことを気まずげに教えてくれた。

 力が及ばなくて申し訳なかったと。


 涙は出なかった。


 ただ、どうしようもなく未熟な自分が悔しくてたまらず、それからは薬の研究に没頭した。

 憎い病を倒してしまいたかった。

 

 顔も知らない誰かに成果を褒めてほしいと思ってはいなかった。

 褒めて欲しい人たちはエレンのそばから去っていく。


 両親。

 アリンダ。


 それから、カイ。



 きっと彼とはもう会うことはない。

 

 一国の王子に歯向かったのだ。

 もしも顔を合わせるとしたら、エレンが命を落とす時だろう。


―――できることなら、カイとの思い出はあのバラ園で終わっていたかった。







「……だから、これはどういうことなの。タージ姉さん!」


 鏡の前に立たされて、エレンは悲鳴を上げた。


「なぁに。この私が用意したドレスが気に入らないの?」


 深い湖のような青のドレスをまとったタージは、スリットの入った裾を惜しげもなく翻して手にした扇で自分の白い顎をつついた。


「大変だったのよ。その布をその色に染めるには特別な染料が必要なんだもの」


 それ、とタージが指したのはエレンがお針子に着せられているドレスだ。

 それは、どんな染料なのか暖炉に残った灰のような色だというのに光に触れると妖しく輝く光沢の波ができるのだ。今は昼間の明るい光にさらされているが、ランプの明かりに照らされれば光の波をまとったようになるだろう。

 

 自慢げに微笑んだタージをエレンは困り果てて見遣った。

 この姉弟子はこうと決めたらどんなことでもやり遂げてしまうので、誰も止めるすべなどないのだ。


「今日はお姉さまのドレスをお見立て出来て幸せですわ」


 春の日差しのように微笑んだのは、オフィーリア。

 エレンたちは今、侯爵家の一室を借りている。

 どういう言い訳をしたのか、タージはオフィーリアから一室を借り上げて侯爵家御用達のお針子まで用意させたのだ。

 ようやく冬支度を整えたエレンをタージは有無を言わさず連れ込んで、お針子たちの群れに放り込んでしまった。


「やっぱりお綺麗だわ」


 仕立て上げられたエレンを見つめてオフィーリアが息をつく。

 エレン自身でさえ、これが己とは思えなくなってきていた。

 オフィーリアが腕を見込んだという侍女に化粧を施されていると、エレンの姿はまるでおとぎ話の姫のように美しくなっていったのだ。

 これが魔法でないなど信じられるだろうか。


 エレンの変身の用意が整うと、タージはおもむろにエレンの肩に手を当てた。


「さぁ、エレン。これで仕上げよ」


 そう言って、エレンの知らない呪文を歌うように唱えると、腕のいい侍女に整えられてささやかな宝石の飾りでまとめられたエレンの白い髪がみるみるうちに色を変えた。

 タージの声に合わせてエレンの髪が染まりあがると、彼女はにんまりと微笑む。


「今夜はこの姿でお行きなさい」


 タージが鏡の前に誘いだしたエレンは、インクを溶かしこんだような黒髪となっていた。

 不思議な光沢を放つドレスのおかげでただ立っているだけで神秘的な夜の化身にも見える。


「いいことエレン。この魔法は私とオフィーリア以外から正体を見破られたら解けるわ。気をつけなさい」


 今まで見たこともない自分の姿にただ見入っていたエレンだったが、ふと肝心なことを思い出した。


「そういえば姉さん。冬の感謝祭に行くって言っていたけれど、どこのパーティに招待されたの?」


 これほどめかし込んで行くパーティだ。よほど大きな集まりなのだろう。

 聞く前から緊張してしてきたエレンに、妖艶な魔女は羽根のついた扇を広げて女王のように微笑んだ。


「もちろん。王城に決まっているじゃない」



―――なんですって!?




ご指摘いただいて脱字を修正いたしました。

ありがとうございました。

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