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1月1日 (終)

1月1日 一歩






「来てくれて、ありがとう」

 明らかに時間に遅れている僕に、心菜は責めるどころか、お礼を言った。そんな健気な妹を抱きしめたくなる。愛おしい。本当にそう思う。

「あぁ」

僕は、待っていてくれたことに対する感謝の気持ちとして、

「あっ」

「冷たいなぁ、まったく」

心菜の手を、両手で包み込むように温める。

「えへへ、この前とは逆だね」

「そうだな」

黙って温めながら、妹と目が合う。その熱っぽい目を見ると僕は、その瞳に吸いこまれそうな気がする。僕が妹を異性として好きだった時に比べたら、成長しているものの、妹は、僕の好きな妹のままだった。

「カナのこと……振って来たよ」

「そっかぁ」

別に期待していたわけではないが、心菜はそれに対する感情を出すことはなかった。僕のことを誰より知っている妹だ。予想していたのかもしれないけど、僕がもし、妹と不仲のままだったら、カナの誘いを断れたかは正直わからなかった。

本当はきわどかった。決められたけど、それはあくまで妹が側にいてくれたからだ。だって、もしかしたらカナは僕の前から居なくなってしまうんだ。そんなこと、枯葉やカナ、心菜が近くにいないのは耐えられない。

だから、結局決められたのは、妹の存在は限りなく大きかった。

そして僕は、自分自身の大きな欠点に気づいていた。

 依存。

前々から気付いていたけど、依存をすることを止められない。誰かに依存しないと今の僕は、もはや生きていけない。人として弱いんだ。これは認めざる負えない。認めないと僕は、永遠に前に進めない。認めないことには治せない。

「お兄ちゃん?」

「あ……えっ? なんだ?」

驚いてしまった。つい、考えことに集中していたようだ。

「手、もう大丈夫だよぉ」

「あっ、そ、そうだよな」

僕はつないでいた手を、慌てて離した。

「それで、返事……は?」

「うん……」

相変わらず強い妹だと思った。表情を見ると、清々しく、決意は固まっている。

それに比べて僕は、まだ迷っていた。

だって僕の下した答えは、常識から見て、NOと言われるもので、かといって、妹からしても色よい返事ではなく、僕だけ、僕だけが得をするという独善的な答えだった。ずるいといわれてもしょうがないぐらい卑怯だと思う。でも、それしか考えられなかった。愛と常識にかけた天秤が、どちらにも傾くことがなかったから。

僕の口から自然と言葉が出た。

「俺さ、心菜のこと……好きだよ」

「……ほんと?」

「でも」

一瞬だけ喜んだ顔が、すぐに戻る。

「分かんないんだよ、もう」

「な、にが?」

「異性として好きなのか、兄弟として好きなのか、依存しているだけなのか……っ」

「お兄ちゃん……」

言葉を発しながら、目頭が熱くなるのを感じる。だって、わからないんだ。好きなのはわかる、でもわからなくて情けない。

「それにっ……俺達、兄妹なんだ。血がつながってるんだ」

「私は、気にしないよ。後悔だってしない……私をちゃんと見てくれるなら」

妹は真正面に僕の目を見る。

 強い、本当に強い。

僕は耐えきれず、目をそらした。小粒の雪が降って来た。

「俺……が、覚悟できていないんだよ」

覚悟が出来ていなかった。あの時も、今日も。僕はまるで成長していない。

 妹はどんな顔をしているのだろうか。

そんなことが気になりながらも、僕は見ることはできない。

「心菜と、兄妹として一線を超えること……心菜と離れることも」

見れるわけないだろ。こんな情けないこと言って。

視界には、白い粉粒と、静まり返った街が、ぼんやりと見えるだけだ。

僕の情けない言葉に、妹はしばらく黙っていたが、やがて、笑い声を上げた。その声は嬉しいのか、悲しいのか……どうしようもない気持ちが溢れている気がする。

「言ってること、滅茶苦茶だよぉ……お兄ちゃん」

「ごめん」

だって、決められなかった。麻薬から離れていくことも、溺れてしまうことも。

「だからさ」

だから、僕は中途半端なことしか言えない。

「やり直さないか……もう一度兄妹として」

「兄妹?」

妹がそんなことを望んでないのはわかっている。

「あぁ、だから日付が変わってから来たんだ。やり直そう。でも――」

でも、僕なりの精一杯の決意だ。

「その時、またお互い好きになったらその時は……俺も覚悟を決めるから。だから、見つめなおそう。もちろん、心菜が誰かを好きになった時は自分の想いに従っていい。俺も……」

それに続く言葉は出なかった。吐き気がするような言葉だから。

結局、僕が納得した答えは、要はただの時間稼ぎだ。僕だけが得をする選択で、弱い人間らしい選択。心菜だってそれに気付くはずだ。

「ずるい……お兄ちゃん、ずるいよぉ」

 自分でもわかってる。

「わかってる、俺のこと……幻滅してくれていい。嫌いにだって」

「――ずるい、本当にずるい……そんな風に言われたら、あたし、あたし……っ」

最後まで言わせてもらえなかった。

妹の方に顔を向けると、俯いたままだった。良く見ると、唇を噛みしめているように見えた。

多分、心菜は。きっと、今日という日を待ち望んでいたはずだ。


 あの日、妹は、勇気を出して自分から僕に近づいた。それは、僕には計り知れないほどの勇気を持った一歩だったはずだ。僕には踏み出すことが出来なかった一歩。僕があきらめてしまっていた、僕が踏み出すべきはずの一歩。僕が踏み出していたら、もしくは心菜がもっと早く踏み出してくれていたら、僕はきっと答えを出せていたはずだ。

兄妹の一線を超える覚悟を。

だけど、全て遅かった。全面的に僕が悪いのはわかっている。だけど、遅かったから迷ってしまった。本当は迷う必要ないくらい、彼女のことが好きだったはずなのに。

枯葉が、カナが、翔太が、テツさんが、葵さんが、小春ちゃんが。

そんな感謝するべき人たちが、僕の判断を迷わせた。兄と妹の、叶うはずの恋の邪魔をした。みんなの存在が僕のことを引きとめて、中途半端な位置へと後退させた。

 あの時、枯葉に出会わなかったら……。

きっと僕は、今よりも駄目になっていた。そして、そんな僕に妹が徐々に近づいてくれて、僕はためらいもなくその腕を取って、迷わずに彼女に溺れた。二人は一緒に堕ちていくはずだった。それは決まりごとのようなもの。言うならば、運命。

そんな運命は、一人の女によって、あっけなく崩された。ジェンガが、ちょっとした動揺で崩れるように、運命もまた、一人の女の存在で崩れてしまうほど、脆くて頼りないものだった。


 運命とは、僕の心の弱さだった。


脆かった。だから、今年露見したんだ。いつかはわかることだった。

今年のあの日から様々なことがあった。

数々の予兆、異変。僕とカナの間の錯覚。心菜への依存。三人に対する選択。カナに与えた卑劣な決断。

僕の心の弱さがそうさせたきた。そして今も、妹がどういう答えを出すかわかっていて僕は聞いた。

 最低の二択。

幻滅も嫌悪も、拒絶も。されないということをわかっていた。

妹が自分から、僕と離れていく一歩を踏み出すことはできないことを知っていて、自分の都合のいいように誘導させた。

近づく一歩よりも、離れる一歩の方がきついんだ。前者は、勇気次第でなんとでもなるけど、後者は、勇気だけじゃなくて、覚悟も必要なんだ。

 すべてを受け入れる勇気は持っていても、拒絶する覚悟はできていない。

 ほら、見てみろ。


「…………初詣、行こうよぉ!」

 やがて妹は、いつもの明るい表情を見せた。

わかっていた。さんざん心の中で、能書きを垂れていた。だけど、わかっていたゆえに……。

「……っ」

 僕と距離を縮めるか、それとも離れるか。どちらにせよ、待ち望んでいたはずなのに、僕の答えを。

自己の呵責に押しつぶされそうになる。僕は、妹に無理をさせている。でも、ここで手を取る覚悟も、離れる覚悟も無い。

だったら僕は、僕にできることは、妹の努力を無駄にしない、無理をすることだけだ。

「……そうだな」

だから僕も、いつものように答え、いつものように妹に手を引かれて歩き出した。

 後悔をしている。

妹にしてしまったことに。出来レースのような真似をしてしまったことに。僕だけ得をするような、後悔はするけど納得する選択をしてしまったことに。僕の心の弱さに。

 彼女の手を、今すぐ取らなかったことに。

「おっと……」

「どうしたのぉ?」

後悔の念を断ち切るように、ポケットにある携帯が振動する。メールが来たらしい。

「あっ」

「なになにぃ?」

妹が僕の携帯を覗くとともに、嫌な顔をした。

「古池加奈子……」

そして、嫌そうな声で名前を吐いた。

だけど僕は、嬉しかった。少しだけいいことがあった。

「別にいいだろ?」

「えぇ……」

「翔太もいるんだし。二人、二人だろ?」

メールにはこう書いてあった。

初詣に行こう!

いつもの神社で待ち合わせ!

翔太と待ってるから!

という彼女らしい簡素な、絵文字も顔文字も無いメールだった。

「まぁ、お兄ちゃんが言うなら」

「よし、決まり」

「ほんとに……」

妹は深いため息をついた。

「――お兄ちゃんはしょうがないなぁ」

笑顔だった。この笑顔に何度救われたんだろう、僕は。

 これからも大事にしたい。

たとえ、未来がどうなっても、この笑顔を曇らせない。

「悪い」

僕の顔も、少しだけ緩んだ気がした。心が暖かくなった気がした。

 枯葉、なんにせよ……一歩進めたよ。

みっともない真似だったかもしれない。だけど、枯葉に対する想いだけは断ち切れた。枯葉を言い訳に使わなかったはずだ。僕の心の弱さを言い訳にしたはず……認めたはずだ。

それは、僕にとっては計り知れないほど、大きな一歩だった。

『ちゃんとしなよ、空』

誰かに呼ばれた気がして、未練があった気がして、振り返った。

「お兄ちゃん転ぶよ?」

「わかってるよ」

一度しか振り返らない。

二度は振り返らない。

『頑張れ、空』

次の大きな、本物の一歩を踏み出すために、今度は覚悟を決める。

『忘れないでね、空』



僕は今年、新たな恋をする。




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