12月29日
「……見つけた」
「あっ。空、珍しい。空が教室に、って――何!」
「いいから」
「ちょっと!」
「来い!」
「わかった、わかったから」
「……」
「で、なによ。屋上まで連れ出してきて」
「……」
「もしかして、寂しかったの?」
「っ」
「ほぉら、よしよしっ」
「やめろよ!」
「えっ……どうしたの。なんかおかしいわよ、空」
「嘘、ついてただろ」
「うそ?」
「カナから聞いた」
「えっ」
「なんで……隠してたんだよ」
「……」
「なんとか言えよ!」
「そっ、かぁ。知っちゃったんだ……」
「……」
「その目が、嫌いなの」
「目?」
「可哀想なようなものを見る目。憐れんでいる目。キズものを見るような憐憫の目。今、空がしてるじゃない」
「して、ない」
「でも……」
「……んだよ」
「空にそういう目で見られるのは別に……」
「……」
「で、空はどうするの?」
「……どうするって?」
「離れて関わらないようにするのか。それとも、カナのように同情してくれるのか……」
「俺は……」
「ねぇ、答えて」
「……」
「……」
「わか、んない」
「えっ?」
「なにも、分かんないんだ」
「なに、それ」
「――分かんないんだよ! 気付いたら、枯葉が側にいて……やっと、学校にだって真面目に通う気になれたのに」
「……」
「今の俺……駄目なんだ、病気なんだよ。枯葉が側にいてくれないと、駄目なんだよぉ」
「……っ」
「お前、いなくなったら。おれ……どうすればいいんだよぉ」
「……」
「なぁ、枯葉。枯葉が居なくなるなんて、思ってもなかったんだよ……ほんとにどうすれば……っ」
「……こらっ、泣くなょ。男の子だろぉ」
「……ひとの、こと。い、えるのか、ょ」
「うるさい……ばかぁ。男なら、泣いてる女の子がいたら、黙って抱きしめなさいよぉ……っ」
「……」
「……」
「……チャイム、鳴ったな」
「うん」
「いいのか、学年一位」
「不良少女だからいいの。学年十番以内の優等生はいいの?」
「いいよ。不良少年だから」
12月29日 依存
昨日は結局、家で一日中心菜と怠惰な一日を送ってしまった。なんという不覚。
「今日こそは……」
勇んで気持ちを奮い立たせても、友達がいない障害が僕の邪魔をする。
「ふえぇ……」
結局、布団にダイブしてしまった。
何をしようか。家にあるミステリー小説を全巻読破するか、それとも心菜の漫画を借りて、一シリーズ読破するか。どちらにせよ、くだらない一日になってしまいそうだった。
しかし、そんな僕に悲報が届いた。翔太からのメールだった。少ない友達の一人からのメールだが、僕の気持ちは急激に重くなった。ため息をついてから、メールを開いたのだった。
「てことで、俺は出かける」
「どういうことなのぉ?」
今日も今日とて、家でだらだらしている妹に僕は声をかけた。
「要約すると、翔太に勉強を教える」
「それだけぇ?」
「あとは、なぜかテツさんが今日店を開けているらしくて、翔太もそこにいるし、客として遊びに行くのもありかな、と」
28日で店を閉じているはずのテツさんが、店を閉めていない。その理由が少し気になった。いつもは、集団で旅行とか、アクティブで仲間が多いテツさんが……なぜ?
「そういうわけだ――って、心菜?」
僕がその理由を考え、思考を巡らせていると、心菜が視界から消えていた。どこに行ったんだろう、と、思いながらも、要件は伝えたのでリビングを出て玄関に向かうと、
「お兄ちゃん、遅いよぉ」
準備万端、笑顔で待っている妹がいた。
「……はぁ」
まぁ、良いんだけど。僕は妹とともに、白石一番へ向かった。
「いらっしゃ――って、空と空の妹か」
僕達を見るなりテツさんは、態度を豹変させた。いつもの偉そうな態度だ。テツさんの言葉はとりあえず無視して、店内を見渡すが、翔太はいないどころではなく、客一人いなかった。
「何の用だ?」
テツさんは雑誌を広げ、煙草を吸い始めた。これが接客業に携わる人間の態度なのだろうか。
いや、違うだろう。
ここは、僕が客として少し教え込まないといけないようだ。最近の、テツさんの仕事のしなさといえば、相当ひどいし、一言叱る必要性を感じていた。
「なぁ心菜よ。どうやらここの店では、客を前にしていきなり煙草を吸い始めて、雑誌を広げるのが普通らしいぞ」
「ふぇ?」
その言葉に妹は、何を言いたいのかわかっていなかったけど、僕が目配せをすると、かすかに頷いた。兄妹ならではの、意思疎通だ。
「そうだねぇ、あたしこんな態度を取る店に初めて来たよぉ」
うん、ナイスな顔だ。
心菜が、なかなか苛立ちを感じさせるあくどい顔をしている。
「しかも客に対して……何の用だ、だぞ?」
だから、僕も僕で、そのあくどいノリに思いっきり乗っかる。
「――コーヒー飲みに来たに決まってんだろ!!」
僕の演技がかった激昂に、
「そうだよ。そんなこともわからないの?」
援護射撃をしてくる。敵に回したら殴りたくなるような態度だけど、仲間ならこれほど頼りになる奴はいないかもしれない。
でも、テツさんはさすがに大人なだけあって、大した反応も見せなかった。
「お好きな席へどおぞ」
余裕綽々だ。
しかし、僕は敵が巨大であればある程、屈辱を与えたくなってしまうようだ。
「だから、この時間に客がいないわけか……なぁるほど」
この言葉にテツさんの体がピくっと反応した。なぜなら、テツさんは日ごろから、客が少ないことを嘆いているからだ。要は、この店は新規には入りづらいし、居ずらい雰囲気が漂っているのだ。葵さん曰く、僕が入ってからは少しはましになったらしいけど。
「お兄ちゃん、しょうがないよ。この店員さん、いかついし」
さらにテツさんの体が微動する。妹は無意識に言ったのかもしれないが、これもテツさんが気にしていることだ。テツさんは自分の容姿がいかついことを気にしていて、子供が見ると逃げ出されると、嘆いていたことがある。
「まさにダブルパンチですな」
「うまい! お兄ちゃんに座布団10枚!!」
どこが上手いんだ。
一応心の中で突っ込みをしたが、表面的にはしない。その代わりにさらに、僕と妹が交互に攻撃をする。
「座布団まだぁ?」
「まだぁ?」
「いかついだけなの?」
「態度だけなの?」
極めつきに二人揃って、
「ちらりっ」
と言って、テツさんを盗み見る。微動どころではない。雑誌を持つ手がブルブルと震えている。もう、沸点は通り越しているのだろう。
「まさに完全勝利ですな」
「うまい! お兄ちゃんに」
「――うまくねぇよ!! あぁ、もう。俺が悪かったよ! ちゃんと接客するから……容姿と客のことは言わないでくれ」
結局爆発した。少しやりすぎたかと思ったけど、ランチの時間帯でも、僕がいるときは平然と雑誌を読んだり、客と談話するような鬼畜店長だ。これを機に少しは反省してくれるだろう。
「おらっ!」
カウンターの前に座った僕達に、コーヒーが乱暴に出された。少しやりすぎたと思ったいたので、特に何も言わなかった。
「ほら、心菜」
「ありがとぉ」
妹のコーヒーに、いつも通りの分量の砂糖とミルクを入れてやった。心菜はブラックは苦手で、程よい甘さが好きだ。そのため、いつも僕がこうして調整してやる。
「で、ほんとに何しに来た。このくそ兄妹どもが」
さっそくテツさんに尋ねられた。僕はコーヒーを一口飲んだ。
「客としてですよ。本来なら店を開けていない日に開けているとも聞きました」
「あぁ、それは」
そう言って僕の方を見る。
「――空がわりぃんだぞ? お前がキャンセルしたじゃねぇか」
「はぁ?」
僕は身に覚えが無く、つい素で返事をしてしまった。そんな僕に、テツさんはにやついたように見えた。
「あれだよ、合コン兼スキー旅行。お前が来るのを楽しみにしてた娘が多かったんだぜ?」
しまった!?
僕は妹の方を見ると予想通り、
「なん、だとっ」
といった具合だった。多分、こういうことだろう。
「お兄ちゃんが寂しくない様に家にいてあげてるのに、お前は旅行行こうとしてたのかよ! しかも、合コンだとぉ? ざけんな、死ね!! 一回死んで、もう一回死ねや!!!」
いや、これは無いだろう。うん。
「お兄ちゃんどういうことなのっ!?」
僕がそんなことを考えていると、妹が僕に迫ってきた。
ふははっ、ざまぁ。といった具合で悪役のような表情をして、テツさんは眺めている。かすかな反撃というわけだ。
しかし、こういう時僕はどうすればいいかは分かっている。
「ばかっ、俺がお前を置いて旅行に行くと思うか?」
僕は、妹の目を真剣な眼差しをしたつもりで見つめる。妹は少し、うっとりしているようにも見える。
「そんなわけあるか! こんなかわいくて、かわいくて、かわいすぎる妹を置いて行くなんて……あり得るはずがないぜ」
「お、お兄ちゃん。やだぁ、わかってるよぉ」
ふっ。
「だろ? テツさんもやだなぁ。妹がそういった冗談通じないの知ってますよね。悪質な冗談はやめてくださいよ、はは」
すかさず、テツさんに振る。しかし、テツさんは妹が納得してしまったことに不服みたいだ。大人げない、事実を捻じ曲げるのは勘弁してほしいぜ。
「心菜ちゃん、嘘じゃないぜ?」
そう主張するが、
「お兄ちゃんが嘘を言っているとでも!?」
僕の妹は、本当に兄思いで、
「――言うわけないじゃないですか! いいかげんにしてください!」
と、鬼の形相で言ってくれた。
「…………ずずっ」
でも、僕を信じてくれている無垢な心に、申し訳なくなったのはここだけの話だ。
「そ、そうだな。冗談だ」
「もう、テツさんってばぁ」
妹だけではなく、テツさんにも悪いことをしたと思った。いつもは休業しているはずなのに、していないところを見ると、理由はそうであるだろうし。
葵さんにも悪いことしたな。せっかくの機会だったのに。
僕は心の中で謝罪しつつも、表面的には澄ました態度をしていた。
「テツさんはお茶目だなぁ」
「そうだよぉ」
「ははっ」
「えへへ」
といった具合で済ませた。もちろんテツさんは、僕のことを舌打ちし、睨んでいた気がした。なので、素早く話を変えた。
「本当は翔太に呼ばれてきたんですよ。宿題を教えろっていうからわざわざ来たんですけど……」
「そういえば、市川さんいないねぇ。そういえば」
妹は結構どうでも良さそうだ。
「来てないんですか?」
僕が改めて尋ね、テツさんの方に目を向けると、反応が鈍かった。その不自然な態度と、テツさんが僕を見るなり、用件を尋ねたことが重なってしまった。そして、後悔した。今日ここに来たことと、察しられたことに。
そのため、僕とテツさんが黙ってしまうと不自然な沈黙が生み出されてしまった。妹も妹で、いつものように盛り上げてくればいいのに、黙ってコーヒーを飲んでいる。
僕は、どうしようか考えた。
「…………」
だけど結局のところ、僕が今できることはなかった。僕はまだ、カナとのことをどうするのか、自分自身の気持ちを考えることを避けていたからだ。その逃避として、妹と一緒にいた。僕は逃げていた、率直にそう思った。そう考えると、今の僕がするべきことは、
「帰ります……」
「あぁ」
家に帰って一人で向きあうことだった。
僕は妹の方を見るが、妹は首を振った。なので、一人家路についた。その家路の途中、翔太からメールが届いた。
謝罪と、勉強をカナに教えてもらえることになったこと。つまり、カナが喫茶店に行き、翔太がなぜかそこにいて、僕が来ることを聞いて、強引に連れ出してくれたんだろう。おそらくカナは、僕とテツさんがいるところでは、自分の気持ちを抑えることが出来ず、ボロが出てしまうと思ったのだろう。
「はぁぁ……」
僕は静かに白い息を吐いた。
家について自分と向き合うと決めたはずだけど、僕は結局、何一つ決めることが出来なかった。というよりも、どうすればいいのか、どんな答えが最善なのか、そんなことは分かっているはずだけど、決心はつかなかった。
正直に言うと、答えはNOだ。そんなことはすぐに決めた。
でも僕は、カナという大事な友達を失いたくなかった。枯葉を失って、共に悲しんだこともあった仲だ。涙は流さなくても、踏み込まなくても、何も言わないことで、支えてくれようとはしてくれた。枯葉や心菜と同格に値する、大事な人。お互いに食い違いや口論はしたが、今はいい思い出ででしかなくて、そういった思い出が僕の決心を堕落させる。
いっそ、付き合ってしまうか?
不満はない。ただ、翔太という友達を失ってしまうだけ。秤にかけてしまうのは悪いと思うけど、僕の気持ちは、カナに対する方が大きい。
「はぁ……」
でも、失うのは本当に翔太だけなのか?
その他の人も失う可能性もあるかもしれないし、なにより僕の人間としての常識が、壊れてしまいそうな気がする。
「お兄ちゃん、何考えているの?」
そんなことが頭の中でぐるぐる回りながら、帰って来た妹と夕食を食べて、惰性的にテレビを見ていた。
「別に……何も。何か用か?」
「そういうわけじゃないけど……お兄ちゃん、心ここにあらず、って感じだから」
そりゃあそうだ。
心の中で心菜に同意した。まったくもってその通りだからだ。
「別に……んなこたぁない」
「ほんとにぃ?」
「あぁ」
少しは気分転換になると思っていた。でもなぜか、妹の様子がいつもと違うようで、心が休まることが無かった。
はぁ、部屋に戻るか。
ひどいことを考えているのは百も承知だ。だけど、ここにいても今は、意味がない。
「……」
カナのことを、考えなきゃ。
無言で立ち上がった。
「お兄ちゃん……? どこ行くの?」
突き刺さるような視線を感じる。これだ、心が休まらないのはこれが原因なんだ。さっきからずっと、妹から強い視線を感じていた。
「部屋だよ、部屋」
その視線から逃げるように、リビングから出ようとした。
「……どうした?」
ドアまであと二歩というところで、服の裾を握られた。逃げ出すのを阻止された気分だった。
「お兄ちゃん、何考えてるの?」
「……」
それは、直感だった。直感的に僕は、ここにいる危険性を感じ取っていた。だけど、強引に抜け出すことは爆弾を破裂させてしまうおそれがある。だからといって、正直に考えていることを話すことも……ダメなような気がする。
そうじゃない、ダメだ、絶対に。
妹は、僕の裾を握りながら下を向いていた。
「あぁ……そうだな。別にってのは嘘なんだ、ごめん」
「……」
「いろ、いろ……そう、色々考えることがあってさ。今、色々とごちゃごちゃしてんだよ……だからさ、心菜。悪いけど今は……な?」
ぎこちなかったけど、それなりに言葉は選んだつもりだ。僕が選んだ作戦は、とにかく誤魔化すことだった。今日さえ誤魔化せれば僕は、この先もやり過ごせるような気がしていた。
そう、問題なくやり過ごせる。
やり過ごせたまま、もう機会だって来ないかもしれない。永遠に機会は訪れないかもしれない……そんなこと、ぼくは……ぼくは?
一体僕は、何を考えているんだ。
「悪いけど……」
妹の手を優しく引き剥がした。心菜は何も言わず、頑なに下を向いたままだった。数秒その様子を眺めた後、今がチャンスだということに気づいて、未練がましくへばりつく足を動かした。
「じゃ……おやすみ」
ドアを開けて、リビングから一歩踏み出した時だった。
「あたしっ――――」
だめだ!!
瞬間的に判断して、リビングの音をかき消すために勢いよくドアを閉めようとした。
しかし、
「あたし、お兄ちゃんが好き!」
数秒間の逡巡が、取り返しのつかない結末を導いてしまった。ドアは閉まることはなく、妹の足によって遮られた。
「あたし、お兄ちゃんが大好き」
心菜は言葉を重ねる。視線が合う。冗談のようには思えない。
「……はいはい、俺も大好きだよ。マイシスター」
もうどうしようもないことに気付きながらも、誤魔化す努力をした。イメージとしては、あまりにも唐突で理解できず、適当に流した感じだ。でも、そんなことをしても無駄だということは、心の中で理解していた。
「な……んで、いつまで経ってもあたしを見てくれないの?」
やはり、どうしようもないくらいに手遅れだった。いや、そうではないかもしれない。
妹は極めて真剣な表情で涙を流し始めていた。それも少量ではなく、涙が止まらなくて、瞳から溢れ出ている。
何が起こっているのか、どうしてこうなってしまったのか。
突然過ぎて理解をするのは難しかった……そうであれば良かったと、心から思った。
そう思うのと同時に、ある意味確信犯の自分に嫌気が刺し、罪悪感を感じずにはいられなかった。
こうならずに済むことができたからだ。さっき迷わずに妹を見捨てていれば僕は、こうはならなかった。
わかってる、わかってるさ。
つまり、僕自身が、こうなることを望んでいた。
この可能性を捨てたくはなかった。
「どうしていつまで経っても、振り向いてくれないの。どうして妹としか見てくれないのぉ……お兄ちゃんに見てもらえるために、こんなに頑張ってるのに」
涙とともに、心菜の想いが溢れてくる。一つ一つが胸に突き刺さり、体中に浸透していく。
カナの時と違う点をあげるなら、嘘だとは言えなかったことだ。薄々感じることはあった、それを僕がまだ認めたくなかっただけで。
「あたしを見て、もっと見てよぉ! あたしはこんなにも……こんなにお兄ちゃんの側にいるのに! あたしが今! 一番側にいるのっ!!」
雑念が頭から完全に吹き飛んだ。そして、久しぶりに見る泣き顔から、小学生の時と、一年前――妹と仲直りをした、そんな日が頭に浮かんでいた。
「ふえぇ、ふえぇん」
あれは小学五年生の時だったか、僕は妹が部屋で一人、泣いているのを見てしまった。
妹は中々事情を話してくれず、結局嘘をついた。
「絵が、絵が上手くかけなかったのぉ……」
おそらく、今の僕ならその嘘には気付けなかった。
でも、
「……うん」
あの時の僕は、まだ自分のことを人前で僕といっていた――気弱な僕は、妹の嘘にすぐ、気付いた。いや、気付かないはずが無かった。だって、常識を知らなかった僕は、妹が女の子として好きだったから。
僕はその後、自分なりに妹のことを調べた。そうしたら、意外とすぐわかった。
「妹がいじめられている……」
妹の性格と、喋り方、それが気に食わないと、クラスのリーダー格が言いだしたことでいじめは始まったらしい。妹がぶりっ子に見えていたのかもしれない。それが学年にさえ広がって、妹は居場所が無くなってしまった。
でも、家ではそんな様子を微塵も出さないのが、妹らしかった。ほんとは強いんだ。限界になってしまわないと、言葉になって溢れ出てこない。
僕はどうしようかと思った。その時の僕は、自分に自信が無くて、妹も僕を頼りにするどころか、僕を引っ張っていくようなわがままな女の子だった。だから、そんな僕とは正反対のかわいい彼女を、好きになったんだ。
たまに影を刺してしまう彼女の顔を見るのは、ひどく嫌だった。耐えられなかった。
だから僕は、自分なりに考えた計画を実行することにした。そのためにまず体を鍛えて、自分に自信をつけた。でも、いじめというものが、武力で制裁したところで無くなるようなものではなく、逆に僕のような上級生が上から出ていくと、ひどいいじめになってしまうかもしれないと考えていた。
「だったら、代わりに僕が……」
今持っている全てを――平穏な日常を、失えばいい。何もかも。
上手くいくかなんてわからなかった。だけど、何もやらずに見捨てることなんて、できるはずがなかった。
僕は学年が変わる日を、体を鍛え続け待っていた。僕の体にはやがて筋肉がつき、体型は変わっていった。しかし、妹のいじめが解決することはなかった。
六年生になった。クラスが変わった。稚拙な頭で考えていた計画を実行に移す時が来た。
始業式の日、クラスの中心人物になりえそうな男を殴り倒した。特に理由もなく。それが始まりだった。
その日から僕は、人に謝らなくなり、妹――家族と、話さなくなった。授業中に授業を抜け出し、違反とされていることを繰り返した。だが、僕はテストは全て、満点に近い成績を収めて、扱いに困らせた。反抗期というには、あまりにひどいものだったかもしれない。
そうやって好き勝手していると、次第に僕の周りに、人が集まるようになり、対抗しようと試みる奴も出てきた。僕はそいつらをひたすら殴り、力で学年を制した。
すると、妹のいじめは止んだ。だけど近付くような人もいなかった。でも、心菜に害が無いどころか、喋り方や性格は兄のせいだと思われ、同情されるようになった。
僕が中学校に上がるころにはもう、陰りは消えるようになっていた。
だけど僕には、
「おい、空!! 父親に向かってなんだその態度は!!」
「……お兄ちゃん」
笑顔を見せなくなった。
僕は、その時には妹を好きになることが倫理的に駄目だということを知ってしまっていた。でも、意味が無かったとは思わなかった。兄として妹を愛したから。
それから僕は、結局任務を完了したにも関わらず、非行な行いを止めることはなかった。止めることもできたけど、今更止められず、惰性的に続けていた。ただ、集団でつるむことは無くなり、一人になった。そんな行いも、中学に入って、二年になって枯葉に出会い、結局止めてしまった。いつのまにか、家族のことが全く気にならなくなった。
そして、枯葉が死んで、
「お兄ちゃん、あたしね今度……」
「話しかけるな」
カナと翔太以外の人間以外を突き放した。もう、見ることすらしなかった。かつての目的も忘れた。どうしようもなかった。忘れられなかった。認めたくなかった。死にたくなった。
僕は病気で、薬がほしかったんだ。テツさんは緩和剤になってくれたけど、それだけじゃあ足らなかった。そんな時、バイト先に妹が姿を見せた。
「こんなとこで何してんだよ……」
「ご、ごめんなさい。お、おお……お兄ちゃんの邪魔するつもり、と、かじゃなくて……ふえぇ」
「…………」
久しぶりに、本当に久しぶりに……彼女を、大事にしていたはずの妹を見た気がした。久しぶりに目にした妹は成長していて、背はもちろんのこと、女としての魅力も少しだけ溢れてた。
だから僕はつい、
「背、伸びたな」
と、言ってしまった。
「お兄ちゃん……今更だよぉ」
やっと見てくれた、妹はそう呟いた。
大事な物がまだあった……こんな近くに。
「テツさん! 大事な妹が来たんで帰ります!!」
「なんだって? お、おい!!」
「ほら、いくぞ」
「お、お兄ちゃん??」
目の前に。こんなに近くに。
「……手冷たいな。いつから待ってたんだ?」
「ええと……ごめんなさい」
「いつだ?」
「4時……」
「馬鹿だなぁ」
「ごめんなさい……」
「……ありがとな、待っててくれて。目の前にいてくれて」
「えっ……?」
「二度も言わせんな……」
「う、うん……?」
「…………」
「…………」
「…………」
「お、お兄ちゃん」
「ん?」
「許して……くれるのぉ?」
「なにを?」
「心菜のこと……」
「…………」
「ごめんなさい……」
「……許すもなにも…………」
「…………?」
「初めから怒ってもないし、恨んでもない、嫌ってもない。だって、大事な妹だからなぁ」
「……ほんとに?」
「あぁ……だから、これからは。ちゃんと、心菜のこと見るから。ちゃんと……」
「……うんっ」
「でも、その前に……父さんと母さんに、謝らなきゃなぁ」
「お兄ちゃん……」
「でも、一人じゃあ心細い……」
「――あたしが手伝ってあげるっ」
「ははっ、ありがとう」
「えへへ……」
結局薬の代わりになったのは、一度服用すると止められなくなってしまう、麻薬だった。
麻薬はその心地良さから、僕の病気を和らげていった。
でも、中毒性が強すぎて、心地良すぎて……止められなくなってしまった。
だけど、この一年、心菜の笑顔に救われた。数え切れないほどに。
「俺のせいか……俺が、心菜に甘えて、依存して。だからお前は、側にいる俺を勘違いで」
「違う、違うのぉ!」
イヤイヤ、と、子供が駄々をこねるように首を振る。その面影に、かつて好きだった女の子が蘇る。わがままだった、昔は。よく見ていたんだ、今よりもずっと。余計なものに囚われず。
「違わないだろ! 俺はお前を、ただあいつの代わりに」
僕がわかりすぎたことを言おうとすると、
「知ってるよ。お兄ちゃんがあたしを見ていないことぐらい……」
「えっ?」
信じたくない言葉が聞こえてきた。僕は耳をふさぎたくなった。
「あたしを見ていなかった。もちろん、他の誰も。枯葉さんのことだけだった」
「嘘だろ……」
「他にも、お兄ちゃんがあたしのために……してくれたことも」
「……ははっ」
乾いた笑いが出てきた。のどがカラカラで、妹の顔をまともに見ることなんかできない。今、見つめてしまったら僕は、自分の気持ちを抑えられなくなるかもしれないから。
「あたしのために……不良みたいなことしてんたんだよねぇ?」
「違う」
「違わないよぉ」
「違うっていってるだろ」
「絶対違わないよ、だって……」
「違うっ! ぜった」
僕はあくまで否定する。それを認めてしまったら僕は。
「――子供のころからお兄ちゃんが好きで、ずっと見てきたもん」
でも、認めざる負えなかった。
「お兄ちゃんも同じだったんだよね、ずっとあたしのこと見てた」
「――っ!?」
僕の妹は、全て、本当に全てを知っていたから。それほどまでに僕を見ていたというわけなのだろうか?
「だからねぇ……お兄ちゃんのふらふらしてた視線が、誰かに向かっていって、力強くなっていくのも分かって……本当に悲しくて、悔しかった。あたしにできることも資格も……なくて」
「でも、ずっと枯葉さんに向いていた視線が、今年のあの日から……やっと、やっと……あたしに向いてきたのがわかって、役に立てて……本当に嬉しかったの。でも」
どうやら僕が思っていたよりも遥かに、怖いくらいに、
「あたしの嫌いな女。お兄ちゃんを奪おうとする糞女……既に一人キープしているのに、全てを手に入れようとしている独占欲の塊の女」
全てを知っている。
「そんなこ、と……ない。全部、お前の……」
妄想だ。
そう言いたかった。でも、妹の言っていることがあまりにも的を得すぎていて、僕の心は激しく揺れ動いていた。
「嘘じゃないよ。あの女だって初めて見た時から、お兄ちゃんが好きだってことは知ってたんだよ」
「……」
「ねぇ、お兄ちゃん……」
僕が言い訳を、否定を、肯定をする間もなく。
「なんで、あんな女を見るのぉ? あたしを見て……あたしだけを見てよぉ!!!!」
ヒステリックな声で叫ぶ。今までで一番大きくて、一番心が揺らされた。
普通なら後ずさりしてしまいたくなる言葉。
「――っっ」
でも今の僕は、麻薬の末期患者で、麻薬なしでは何もできない男。だから今の僕には、そんな狂気を匂わせる言葉すら、心地が良くて……溺れてしまいそうになってしまう、そんな危うい末期病状。
心菜となら堕ちても……。
「ごめん……心菜」
だから、涙でぐちゃぐちゃになっている心菜に胸を貸す。自分で肯定してしまったことに気付かず。
「おにぃぢぁん……わたしをみてぐだ、さ……い」
「あぁ、見るよ。見てやる」
さらにその中毒性にはまってしまう。でも、その中毒性に、常識(枯葉)が少しだけ邪魔をする。
大事な家族だから、堕ちちゃ……だめだ。
だから、抱きしめない。だけど、家族として、
「ふえぇ……」
「ごめん……」
頭を撫でるぐらいはいいだろう。
この時、僕は。
抱きしめても拒絶しても。
どちらに転んでも地獄、そんな気がしていた。