12月27日
「枯葉、こんなとこにいたのか」
「あっ、不良少年じゃない」
「不良じゃねぇよ……枯葉ってさ、たまに保健室いるよな」
「うん、そうね」
「もしかしてさ、病気なのか? 学校にも来たり、来てなかったりだし」
「……ほら、不良少女だから」
「なにが不良少女だよ。学年でいつも一番取ってる奴が」
「それなら空だって。いつも学年で十番以内に入ってるじゃない」
「俺がいつ、不良少年だって言った……」
「偉い、偉い」
「――はっ!? 頭撫でられたって、誤魔化せられないぞ。あぶねぇ、あぶねぇ」
「ちっ」
「あからさまに舌打ちすんなよ。で、どうなんだ?」
「んんと。まぁ、大丈夫ではないわ」
「えっ」
「あからさまに驚くなよ」
「大丈夫なのか?」
「ちょっと……そんな真剣にならないでよ。大丈夫よ、日に日に良くなっていってるの。あと数年もすれば、みんなと同じよ」
「そっかぁ」
「空って、なんで私のこと……そんなに気にするの?」
「は、はぁ?」
「だって、おかしいじゃない。私ばっかり」
「は、はは、はぁ?」
「もう少し周りに目を向けなさい。例えば、カナとか、カナとか、カナとか。カナ、可愛いじゃない!」
「はぁ? ありえねぇ……」
「……」
「な、なんだよ」
「もしかして、私のこと好きなの?」
「!?」
「沈黙はイエスと見ちゃいますよぉ?」
「……っ」
「って、私なんか」
「……きだよ」
「えっ」
「好きだよ!!」
「――っ!?」
「好きだよ! 悪いか!?」
「えっと、あっと……えっ。じょうだん、でしょ」
「なわけねぇだろ! いつも、お前が学校に来ていてもいなくても……毎日学校に来て、探してんだよ。会いたいから」
「……」
「……文化祭、一緒に回ろう」
「え、えぇ?」
「いいよな!?」
「は、はい!」
「よし。じゃあ、また明日」
「うん……」
「……」
「空って……結構、強引。って、私……告白されたの?」
「……」
「告白、されちゃった……ふふっ」
「……でも」
12月27日 錯覚
せわしなく階段を駆け上がる音が、寝ぼけている僕の頭に響いてくる。そして、そのまま勢いよくドアが開く。
「おっはよぉ! もう11時ですよぉ、おそよぉですよぉ、愛しの心菜ですよぉ!」
「ふぁぁ……」
昨日は全然眠れなくて、寝たのは陽が昇った頃だった。そんな僕を知ってか知らないでか、朝から――いや、昼から妹はハイテンションだ。
「突然ですがぁ……」
いやな予感がした。
「――心菜のどきどきぃぃぃ、クイズっ!!」
ほんとに僕の妹は、薬を決めていると疑う時ある。
「ひゅぅ、ひゅぅぅ!!」
しかも、自分で盛り上げているという、ね。
「問題です! 答えはお兄ちゃんですが」
「答えを言うんかいっ!!」
「いい突っ込みがでましたねぇ、解説の来栖さん」
「えぇ、そうですねぇ。なにせ、突っ込むには絶好の機会ですからねぇ。もう、思いっきり行きましたよねぇ……って、何言わせんだよ!!」
「ノリ突っ込みするお兄ちゃんも、素敵だよっ」
「ありがとう……」
寝起きからげんなりした。つい、妹に対しては我を失ってしまうことが多々ある。クールな僕が。
「クールなお兄ちゃんも素敵だよっ」
「俺の考えを適切に読み取るな! 恥ずかしいわ!!」
僕心菜のおかげで重い気分を少し軽減できた。もしかしたら、妹はそんな僕の気持ちを察して、
「あたしが好きな人は誰でしょうか!!」
いないだろう。
「さっ、起きるか」
僕は心菜を置いて部屋を出た。それに続いて心菜がついてくる。
「お兄ちゃん、待ってよぉ」
でも、妹に好きと言われて嫌な気持ちがしない。
俺はもしかしたら、シスコンなのかもしれないなぁ。
心菜と一緒に食事を取った。僕は、朝飯兼昼飯だったけど。
「ふぁぁ……」
ソファーでくつろいでいると、
「ぷぎゃあああぁぁ!!!」
魂の叫びを上げたくなってしまった。叫びたいときに叫べる、集合住宅ではできない、一軒家の特徴だと思います。
「あっ、そういえばお兄ちゃんの雄叫びって、外まで響いてるの知ってる?」
「なんでもっと早く教えてくれないんだ、妹よ。たまに受ける主婦たちの悲しい視線は、それだったわけか……」
「そうかもねぇ」
妹は、僕の横で寝転がって雑誌を見ている。そこまで広いソファーではないから、僕の太ももに妹の足が乗っかっている。
「お兄ちゃんって、あたしのこと変人扱いするけど、お兄ちゃんもたいがいだよねぇ」
「兄弟だからな、血は争えないのさ」
「えっへへ、そうだねぇ」
安らぐなぁ。
僕は素直にそう感じた。僕は、妹のこの無邪気な笑顔に救われている、と思う。精神的に疲れている時は、一人でいるよりも妹とこうして、だらだら過ごすのが一番だ。そんなことに気付くのに随分遠周りはしたけど、今の妹との関係は個人的には嬉しい。
昨日、カナに言ったことは嘘だったたけど、実のところ、僕が枯葉をふっ切る気持ちになったのは、テツさんがきっかけで、結局のところ大半は僕の大事な妹のおかげだ。特に、今年のあの日、友達よりも僕のことを優先してくれたことは嬉しかった。だから僕は、妹が僕のことをどう考えているのかは考えない様にしている。
バイト行きたくないなぁ。
「バイト、めんどくせぇなぁ……」
と、呟きが出るほどだった。我ながら駄目男だと思った。
「それじゃあ、今日はあたしと家でゴロゴロぉ、しちゃいますかぁ?」
「それは、実に魅力的な提案だなぁ」
「ねっ」
でも実際問題、年内のバイトは29日まで、つまり明後日までだ。あと二日しかないし、休みは正月も含んで一週間以上あるのだ。そう考えると休むわけにはいかないが、
「12時まで、30分か……」
行く気にはなれなかった。今行ったら、テツさんは当然いるし、葵さんだっている可能性が高い。
「そうですねぇ。そろそろ行きませんと間に合いませんぞぉ」
「だよなぁ」
今日は昨日同様昼からで、12時まで喫茶店に行けばいいとされているわけで、それ以内の時間帯なら、自由に行ってもいい。だけど僕は、結局行く気にはなれなくて、
「なぁ心菜ぁ」
「なぁにぃ?」
「なんの雑誌呼んでるんだ?」
「ファッション誌っ」
「へぇ……」
せめて葵さんがいなくなる一時に行こうと思った。だからそれまでは、
「お兄ちゃん、あたしにどれが似合うと思う?」
「ふぁ?」
「ふぁ、じゃなくてっ!」
「ふぁい」
「これ見てよ」
「ふぁ」
「どれが、あたしに似合うかなぁ?」
「うぅん……心菜はなんでも似合うからなぁ」
「そんなことは、わかってるよぉ!」
「お、おう。あえていうなら……」
妹と安らかな時間を過ごしたいと思う。
「で、結局どうしたものか……」
妹と過ごす時間は、あっという間だった。今は、店の前の死角にいる。
とりあえず、三択だ。正直に話してそれを言い訳にするか、寝坊したというか。まぁ寝坊したなら、リアル感を出すためにランニングをしてくる必要がある。さて、三つ目はあれだ。
「客として入る!」
まさに悪魔の所業と言えよう。今日バイトが無かったはずだと主張し、テツさんを言いくるめてのぉ?
「しょうがないっすね」
で、手伝うっていうね。なんかいうならもう、駄目人間って奴ですね。
だけど、僕って人間の根本は、常識という言葉でできているはずで、そんなことはできない。もちろん、今朝はサボるレベルの心理的ダメージを負っていたけど、それでも、遅れて姿を現すところに僕という形が出ている気がする。
「うんうん」
「なにが、うんうん、なんですか? 空さん」
「うわあぁ!?」
背後からの奇襲に声を上げてしまった。急いで振り返ると、心菜の友達の相坂さんがいた。
「相坂さんか……」
本気でビビった。
相坂さんは、基本的に礼儀正しい子だけど、ちょっと冷静というか冷めているところもあって、話し方もどことなく抑揚が無い感じだ。そんな声で不意打ちされた僕は、無様な声を上げてしまったわけだ。
「驚きすぎですよ……で、何してるんですか?」
「えぇと」
僕は言い淀んでしまった。だけど、相坂さんは驚くほど察しが良くて、心菜と友達なのを疑ってしまうほどの優秀な、とても良い友達なのだ。だから、僕が何をしているのか、おおよその察しがついてしまったのだろう。
「私は、コーヒーを飲みに来たんですよ」
「えっ?」
「空さんのコーヒーが飲みたいです。行きましょう」
だから、半ば強引に僕の腕を取って、歩き出した。
「ちょっと!」
僕のそんな呼びかけも無駄で、
「いらっしゃぁい」
やる気のない挨拶が聞こえる喫茶店へと、足を運んでしまった。そうなってしまった以上、僕が取ることができる、妹の友達に見られても恥ずかしくないような態度は、
「遅れてすみませんでしたっ!」
男らしく頭を下げることだった。だからなのだろうかテツさんは、
「いいから早く着替えてこい!」
特に怒った素振りも見せなかった。僕は、相坂さんに感謝の気持ちを示してから、着替えに向かった。
それから、一時間ほどせわしなく働くと、白石一番にとってのピークが過ぎて、客もまばらになっていった。僕は、店にあるケーキをひとつ拝借した。
「はい、これおまけね。さっきはほんとに助かったよ」
そして、そのショートケーキを、相坂さんに差し出した。まだ残っているお客は、テツさんと談話している。僕は、相坂さんに許可を得てから、前の席に腰をかけた。相坂さんはどちらかというと、カウンターの前の席よりも、外が見える窓際の席を好む。
「本当にいいんですか?」
「あぁ、賞味期限明日までだしね」
「それならいただきます」
一言断りを入れる礼儀正しい彼女が、受け取りやすいような嘘だったと思う。でも、少し微笑んだところを見ると、察しているのだろうな、と思った。
「そういえば、ココが言ってましたけど」
ココとは心菜のことだ。相坂さんや同学年の人たちはそう呼ぶ人もいるらしい。
「親御さんが旅行に出かけているらしいですね」
「あぁ、そうだよ。しかも北海道」
「それはまた、遠いですね」
「そうなんだよ。それにさ、俺に黙って行っちゃうんだよ?」
「それはひどいですね。でも、ココは嬉しそうでしたよ」
「えっ?」
相坂さんは、ショートケーキをイチゴの周りを残しながら食べている。いちごは最後の方に食すのだろう。
「お兄ちゃんと二人っきりだよぉ、ぐえへっへっへぇ、って」
心菜の真似は全く似ていないのだが、僕には十分すぎるほど想像できてしまった。そのために、僕は笑ってしまった。
「ははっ、想像できて怖いよ」
「ご愁傷様です」
今思えば、相坂さんと二人で、こうして話すの初めてだった。まぁ、妹の友達だから当然だけど、彼女は、妹と友達になる前からここには来ていた。だから、話す機会はあったけど、彼女の独特の雰囲気がそうはさせなかった。
もったいなかった。
と、思った。この独特の雰囲気は、不快どころか快適で、どちらかというと話し上手で、聞き上手にも思える。だけど、その一方でできすぎているとも思えてしまう。考えすぎだろうけど。
「まぁ、親もいなくてだらけてる心菜と遊んでやってよ。あいつさぁ、親がいないからって、リビングのソファを占領してゴロゴロしてんだよ」
「わかりました」
苦笑を浮かべて、イチゴを食べた。ケーキはすぐになくなった。
「あっ、家に来てもいいからね。あれだったら……」
「ごらぁ、空! 仕事中に口説いてんじゃねぇぞ!!」
振り向くと、テツさんとテツさんと会話をしていたお客さんが、こっちを凝視していた。
「勘弁してくださいよ、マスター。相坂さんは妹の友達ですから」
「洗いものしとけよ」
「ういっす」
どうやら、要件はそっちだったらしい。席を立とうとすると、相坂さんがどことなく、むっとしているような気がした。それを不思議に思いながらも、席を立つことにした。
「まぁ、今後とも妹と仲良くしてやってよ」
「言われなくても……あっ」
「んっ?」
「良いですけど、一つ条件があります」
交換条件?
僕は一瞬幻滅してしまったけど、それは間違いだった。
「私のこと、名前で呼んでくれませんか? いつも私だけ名字で呼ばれて、仲間外れされている気分なんですよ」
少しだけ恥ずかしそうに主張した彼女に謝りたくなった。もしかしたら気にしていたのかもしれない。
それに、覚えが無いわけじゃない。さっきもだけど、今考えれば彼女のことを名字で呼ぶ時、少し嫌な顔をしていたかもしれない。でも、先見感から僕は勝手に名字で呼ぶべきだ、と結論付けていた。もしかしたら、そういった見方をしてはいけないのかもしれない。
「わかったよ。親しみを込めて、こはるんって呼ぶよ」
だからちょっとお茶目さを出してみたけど、
「それは、キモいです……」
前言撤回しようと後悔した。
「昨日は悪かった!」
「えっ?」
「さすがに俺もやりすぎたと思った」
「えっ? あっ、いや……」
客がいなくなった途端に、テツさんに謝られた。はっきりいって、肩をすかしを食らった気分だった。
「気にしてません。いつかは通る道なんですから」
むしろ、僕が謝らなければいけないのに。
「それが速くなっただけ、ただそれだけのことなんです」
僕の言葉にテツさんは、深くため息をついた。
「あのなぁ、空はすぐ、自分で抱え込もうとするのがいけないんだ。だって、お前がバイトを休もうとするなんて、今まで一度もなかったんだぞ?」
「あっ」
そういえばそうだった。僕は、今までバイトを休むどころか、遅刻したこともなかった。それどころか、バイトを増やそうとしてさえいた節がある。
「葵と反省してたんだ。俺達関係者じゃねぇのに……お前らのことかきまわしちまった」
そんなことはないと思った。でも、喉からその言葉は出なかった。
「空、お前ひどい顔してんぞ。そんな顔してたら、小春ちゃんだって気付くさ」
その言葉を確かめようにも確かめられないけど、覚えはあった。心菜は、朝から僕を励ますように盛り上げてくれた。小春ちゃんは、僕を引っ張ってくれた。テツさんは、僕が落ち着くまで気付かないふりをしてくれた。
「今日はもう帰れ。それに、バイトは新年明けてからでいい。無責任だが、ちゃんと気持ちに整理つけろよ」
「は、い」
「今年もお疲れ」
僕はもしかしたら、心の奥底で、テツさんや葵さんのことを、部外者だと思っていたのかもしれない。
そして僕は、謝る機会を失ってしまった。
テツさんと出会ったのは、枯葉がいなくなって一年が経った朝だった。
僕はあの日、無意識のうちに日が昇るまで、時計台の下で来るはずのない彼女を待っていた。自分でもどうしてそうしたかはわからなかった。その時の僕は、毎日を死んだように過ごしていたからだ。
色が無かった、目に見えるものすべてが、灰色にみえた。
機械的に何も考えず、朝起きて、ご飯を食べて、学校行って、たまにサボって、家に帰って、部屋に閉じこもっていた。だから、僕の頭にあったのは、果たされなかった彼女との約束だけだった。それしか頭になかったから、その行動を行ったのは当然だったんだろう。
僕は信じていなかった、枯葉が死んだことを。
そうして、朝まで待っていたけど結局来なかった。あきらめて、家に帰る道のりを一年前と同じように歩いていると、すれ違った派手な服装をした男から、
「おいお前、うちでコーヒー飲んでけ」
そう言われた。僕は言われたままついて行った。見た目は怪しかったし、正直付き合いたくないタイプの男ではあったが、家に帰りたくなかった。家に帰ってしまったら嫌でも認めなければならない、約束が果たされなかったことを。
「少し待ってろ」
建物に入るなり男は、僕を椅子に座らせた。そして、暖房をつけて、僕のことを毛布でくるんだ。僕はなされるがままだった。ただ、その時わかっていたことは、この建物が喫茶店で、この男の店であるということだった。
「ふぅ」
ため息をついて、めんどくさそうにコーヒーを入れる準備をしていた。そんなにめんどうなら、僕なんかに用意しなければいいのに、と思ったが言うことはなかった。
「ほら、あったかいぞ」
僕の目の前の机に、湯気が出たコーヒーが差し出された。僕は、それを片手でつかもうとしたが、気分が乗らず両手で掴んだ。しかし、上手く掴むことが出来ず、机に倒してしまった。
「ったく、しょうがねぇなぁ」
僕の手に、熱いのが掛かったはずなのに熱くない。というよりも感覚が無かった。初めて気付いた、僕は凍傷寸前だったことに。
「……す、い、ま……せ、ん」
「無理して喋んな、まかせておけ」
男は、めんどくさそうに机を拭いて、また、コーヒーを用意してくれた。今度は、両手でカップを包むように持った。気付かなかったが、体が震えていた。飲むのが難しかったけど、なんとか飲めた。
「――――っ」
美味しかった、今まで飲んだどのコーヒーよりも。言葉は出なかったけど、体中に暖かさが染み渡り、文字通り生き返った。
「うまいか?」
無言で何度も頷いた。
だけど僕は、コーヒーが美味しいほど、感覚が戻っていってしまうほど、
「ぅ……っ」
涙が出てしまいそうになった。
枯葉がいない、枯葉がいない。僕の近くに枯葉はいない。でも、コーヒーは美味しい。
「ったく、最近のガキはしょうがねぇなぁ」
男は、空になったカップにまた、コーヒーを淹れてくれる。
「話してみろ。何があったかは知らないが、お前が何かをため込んでいるのはわかる」
僕の目の前に置かれる。
「――吐け。どうせ俺は関係の無い人間だ、明日になればお前の話なんか忘れる」
「…………」
認めたくなかった。認めるぐらいなら死のうとも思っていた。でも、コーヒーが死ぬほど美味しかった。目の前の視界が、どんどん色づいていき、自分がどこの世界にいるのか自覚していく。
だから、認めるしかなかった。
「……か、れは……が、いな、くなっ……た」
認めたくなかった。
「やくそ、くした、のに……」
一生認めたくなかった。
「し……んだ」
だけど、
「…………枯葉が、死んだんです。ただ……それだけです」
認めるしかなかった。
僕は現実に生きていて、枯葉は死んだ。それは覆せない事実で、コーヒーの美味しさが、そのことをより一層際立たせた。
「うあぁぁ……ぅぅ」
認めてしまった時、初めて涙が流れた。一年分、目の前の男があきれるぐらい僕は、涙を流した。そして、男があきれるぐらい枯葉のことを話した。それから初めて、枯葉の墓参りに行った。言葉で認めるだけではなく、実感した。枯葉と一生会えないことを。
「すっかり、雪で汚れちゃったな」
僕は時間を持て余したために、枯葉が眠っている墓に来た。まだ、雪が残っているため、今日は来ただけだ。
「三年か……」
三年も経ってしまうと、枯葉の墓は寂しいものになっていった。僕が初めて来た一年くらい、つまり、去年までは、そうでもなかった。でも、今年に入ってから、枯葉にお参りに来る人は、引っ越ししてしまった彼女の両親と僕だけ、と言っても過言ではないほどだった。翔太やカナでさえ、その足はもはや遠ざかっていた。
よくよく考えてみれば僕の足も、一週間に一回から二週間に。二週間から三週間。三週間から四週間ときて、結局一カ月に一回の割合になってしまっていた。
おそらく僕は、この墓にそこまでの価値を感じていないかもしれない。だって、ここに枯葉がいるわけじゃないから。この墓はただの偶像なんだ。だから、みんなも面倒くさくなって、終いには忘れてしまう。僕は、ここで手を合わせるより、時計台で彼女のことを考える方が、よっぽど彼女のことを感じられた。ここはただの場所、祭るための場所。
「…………」
でも結局、墓に向かって手を伸ばしてしまう。そういった概念に囚われるのは嫌だけど、囚われるしかない。考えるのは別の場所でできても、彼女に対して祈れるのはここだけなのだろうから。
「はぁぁ」
手を息で温める。
僕がここにくるきっかけとなったのは、テツさんだった。あの時、僕がしてほしかったことをやってくれた。それは――踏み込んでくれること。
僕は、踏み込んでほしかった。誰かに話したかった、涙を流したかった……認めたかった。でも、カナや翔太は踏み込んでくれなかった。友達だから、気遣ってくれたのかもしれない。特に何も言わず、適当な距離を保ってくれた。だから僕も、何も吐き出すことが出来ず、二人に寄り掛かかることが出来なかった。
支えが欲しかった。僕は、枯葉と出会って心が弱くなり、人に依存するのが癖になってしまった。枯葉からテツさんへ、テツさんから心菜へ。いいかげん、止めるべきなのはわかっているけど……止められない。体の弱さは鍛えれば強くなるけど、心の弱さは、一度露見してしまうと、あとはドミノ倒しのように崩れていく。
「空……?」
「えっ」
声がした方を向くと、花と、線香を持っている女がいた。古池加奈子――今、僕が一番会いたくない相手だった。
「カナも、来たのか」
「うん、空と違って随分久しぶりなんだけどね」
なんとなく、カナと距離がある気がした。この距離を僕が作っているのか、それともカナが作っているのか、それはわからない。
「そうか、多分あいつも喜んでるな。俺より、関係も長い親友だしなぁ」
「皮肉?」
「いや、本音。多分俺が来るのを迷惑がってるよ」
「それはいえてるかも。枯葉は、そういう性格だしね」
「あぁ、いつまでウジウジしてるな、男らしくない、って」
カナは少しだけ微笑んだ。
「それ、言いそう」
その笑顔を見てほっとした。
「だろ? 枯葉のことは、俺とカナがよくわかってるんだ」
「うん、そうだね」
カナは、花を墓にかざった。そうして、線香に手をかける。
「俺にも分けてくれないか? 持ってきてないんだ」
「いいよ」
カナが線香に火をつけて、半分わけてくれた。そして、カナが最初に線香を置き、次に僕が置いて、一緒に拝んだ。ふと僕は、
「初めて会った時のこと、覚えてるか?」
昔のことを話したくなった。
なぜだかは分からない。昔の話が、枯葉とできる共通の話題だったからかもしれない。
「覚えてるよ。あの時は、空のことを疑ってた。空、不良だったじゃん」
「不良じゃない。ただ、ありのままに生きていただけだよ」
否定はしたけど、それは嘘だった。
僕はよく、カナに注意されていた。
「授業ちゃんと出なさい!」
「残さず食べなさい!」
「周りの人と協力しなさい!」
「シャキッとしなさい!」
「制服をちゃんと着こなしなさい!」
それはもう、口うるさかった。だから、最初は嫌いだった。不愉快でしょうがなかった。でも、枯葉がカナのことを親友と言っていたから、僕は僕なりに、彼女に対して別方向から見るようにした。主観的ではなく客観的に。
そうして見てみると彼女は、僕のために注意してくれているのだと理解できた。あの時は、枯葉以外の人間に対して捻くれていたので、すぐにはわからなかったけど、時間をかけて理解できた。
そうすると、カナの言うことを嫌々ながらも聞くようになり、僕は更生されていった。そして、カナは今でも、昔の僕を不良と呼ぶ。
「それが不良でしょ。枯葉がそんな奴と知り合ったって聞いた時は頭来たよ。しかも、枯葉のこと聞いたら誤魔化すし」
「誤魔化してない、ほんとに知らなかったんだよ」
「まぁいいんだけどね。あの時、枯葉が仲裁してくれなかったら私達……」
「そうだな。多分、会ったら睨み合う仲だったろうな」
カナと初めて会った時、僕たちは口論になった。本当にくだらないことだった。
枯葉を知らない僕は知らないと主張し、カナは枯葉に近づくなと言って、話にならないどころではなかった。あの時、僕らの口論を聞きつけたのか、枯葉が僕の教室まで来て、僕たちの口論を見事止めた。
「うん、でも枯葉も枯葉だよね」
「そうだなぁ、あの後勝手に色々決めだしたからな」
その後、なぜだか知らないけど枯葉は、仲直りとして、時間が合う時は、三人で行動することを義務付けた。
きっかけはそれだけだ。一緒に行動しているうちに誤解は解け、元々気さくなカナが、話しかけてくれるようになって、仲良くなっていった。今思えば、枯葉は自分がいなくなった後でも、僕が大丈夫なように、カナと仲良くさせようとしたんだろう。初めは気付かなかったけど、枯葉の本質は、心配性でお節介な女だった。
「いつまでも三人は一緒……」
カナがそう呟いた。
枯葉は約束させた。三人はいつまでも一緒だと。
「空は、なんで私に翔太を紹介したの?」
僕が何も答えないでいると、そう尋ねてきた。頭を切り替えた。
「翔太はいい奴だからだよ。クラスで俺に話しかけたり、気にしてくれたのもあいつだけだったしなぁ」
そう、僕は全く気付かなかったし、無視をしていたけど、翔太は僕になにかと話しかけていた。ただ、僕がそれを受け入れる気になったのは、カナと仲良くなってからだった。
「翔太ならカナのこと」
だけど、翔太がカナを好きになったのは前からであって、たまたまだった。翔太は打算抜きで、まっすぐで馬鹿な男だ。僕はそんな性格の翔太が、羨ましかった。
「――大事な友達のこと任せられると思ったから」
僕はまっすぐの勝負は苦手なんだ。だから、いつもまっすぐなあいつが羨ましい。僕は言葉に含みを持たせて、自分の想いを主張してしまう。
「そっ、かぁ」
そんな僕の打算的なセリフを、カナは歯切れの悪い返事で返した。
そして、
「じゃあ、空は私のもの……だよね」
僕の打算的な言葉を、勝手に解釈した。
「だって、私を翔太に預けたんでしょ? なら、私は空を誰にも預けない、あげない、渡さない。それに」
僕の戸惑いを無視して、
「――枯葉が死んだんだから、完全に、私のもの……だよ。私達、三人はずっと一緒」
そう主張する。
「二人になっても……ずっと、ずっと、一緒だよね」
そんな認めてはいけない主張を、僕は困惑しながらも否定する。
「そんなわけないだろ。カナのものは翔太だ……俺じゃない」
そう言ってカナのまっすぐな視線から目線をずらした。当たり前のことを言ったつもりだった。
「そっかぁ……じゃあ、空は妹のものなんだ」
「はぁ? お前何いってんだ、よ」
「うっ……うぅ」
視線を戻すと、カナが泣いていた。枯葉が死んだときにだってその涙は見せなかったのに。
「お前……この前からおかしいよ。今、翔太呼ぶから」
もはや、僕はどうしていいのかわからなかった。だけど、僕の電話に伸ばした手は、少しだけ濡れている手によって防がれる。
「あいつは今! 関係ないでしょ!!」
僕の手は止まり、あまりの声の強さに、声が出なくなった。
「なぁんで、わかってくれないのかなぁ……私の気持ち」
正直、予感はしていたし、予兆もあった。僕が認めたくなかっただけで。
「私ね……翔太は好き、それはたしかに事実」
「やめろよ」
やっと、僕の喉から声が出た。だけど、既に手遅れで、
「でもそれ以上に……いいえ、遥か上。翔太なんかより」
「やめてくれ!!」
僕がカナとの間に信じていた、友情は、
「空が好き」
あっけなく否定された。
「あっ……」
「好きなの」
「は、ははっ。お前熱でもあるんじゃないか……?」
僕は信じていた。カナと翔太に強い結びつきがあって、僕はちょっと離れているけど、枯葉を知っている共通の友人として、それに劣るちょっとした結びつきがあるのだと。ちょっとした結びつきであって、カナと翔太のような強さにはならないはずだと。だから、予感はしていたけど、認めなかった。
「好き」
さらなるカナの言葉に、僕の頭が真っ白になっていく。悪い夢かと思った。
「愛してる」
目をつぶってみても、夢は醒め無くて、開けたことでさらに、現実味が増す。
「……っ」
「愛してる、本当に愛してるよ」
そして、カナに愛の言葉を囁かれて、嬉しい自分もいて……そんな自分に嫌気がさす。つまり友情ではなく、愛情を持って接していた自分がいたということだった。
その事実か嫌だったし、怖かった。自分の感情が、弱い感情が晒け出されてしまいそうで。
「翔太は」
どうする?
「どうでもいい、空を愛してる」
「そう……か」
枯葉、心菜。
カナの言葉に惑わされないように、僕は心の中で魔法の呪文を、必死に唱えた。
「お兄ちゃん!!」
「……ん?」
「もう、人の話聞いてるのぉ?」
「あれだろ、あれ。どうして、地球に人類が誕生したかって話」
「全然ちゃうわぁ」
「ならこれか? 波動力学が医学に――」
「ぷいっ」
「お、おい。俺のとんかつぅ……」
「お兄ちゃんなんか知らないっ」
「ここなぁ」
端的に言えば自業自得。僕は二人っきりの食事の席で、妹の話を全く聞いていなかった。
あの後、僕たちは無言で別れた。僕は、時間を潰すために本屋に行ったりしていた。時間の整理が必要だった。今でも隠し切れているかは分からないけど、直後よりは随分ましになっているはずだ。それほど衝撃的だった、カナの告白は。
しっかりしないとな。心配されてしまう。
僕は心を入れ替えて、妹と向きあうことにした。
「しぃぃらない」
しかし、妹は完全に拗ねてしまっていた。ため息をつきたくなった。しょうがないということはわかっているのだけれども。
「心菜様、私がわるぅございました」
とんかつのためだ、土下座をしよう。
僕は、とんかつのために土下座をした。
「何でもしますから……卑しい私めにとんかつを、お恵みをぉ」
多少屈辱的な思いをしながらも、僕達の兄妹間では、こういったことがたまにある。だから、抵抗感は虚無に等しい。
「どうしよっかなぁ」
妹はわざとらしくそんなことを言う。
「ここなさまぁ」
「うぅん……」
殴りたい顔をしてるな……。
という本心を隠して、お世辞を言う。
「今日もお綺麗ですよ、心菜様!」
「しょうがないなぁ」
僕のことを見下しながら、やれやれ、といった表情を見せる。ここだけの話、妹はあくどい顔が得意だ。
「おぉ! さすが心菜様!」
「ただ、条件がありますよぉ」
しかし条件があるらしく、顔の前に携帯が差し出された。
「おっ?」
そこには一通のメールが表示されていた。
「これを見よぉ」
これは……
いつもの猿芝居に付き合うつもりだったのに、
「テツさんからのメールだよ。どこほっつき歩いてたのぉ?」
僕の気分は一気に重くなった。でも、悟られるわけにはいかない。
テツさんからのメールには、僕をバイトから早く帰したことと、よろしく頼む、ということが書かれていた。
そうか、僕の好物が出たということは、そういう意味合いもあったわけか。
心菜は、なぜか僕のことになると鋭い傾向がある。だから、まるっきりの嘘はばれるだろう。
「軽くお墓参りに行って、本屋行ってきただけだよ」
「ふぅん……」
妹が僕をじろじろと、疑惑に満ちた目で見てくる。
「ふむぅ? 隠し事はしてないみたいだねぇ」
「しないよ、心菜にしたって無駄だろ」
僕は両手を上げて無抵抗の意思を示す。嘘はばれるかもしれないけど、途中の過程を欠いている事実ならば、
「あやしいなぁ」
ばれないはず……。
「そんなに聞きたいか? 今日僕が本屋で読んだ本の内容を」
「それはいいよぉ、お兄ちゃん無駄に難しい本ばっか読んでるんだもん。しかも、立ち読みするだけで買わないんでしょ?」
「本屋は本を読むところだ。俺にとっては、本屋は本を買う場所ではない、というわけだ……ふふ」
「全然かっこよくないよぉ」
俺の精一杯の会話が軽く流されてしまう。僕は再び、舐めわされるように見られたけど、
「まぁいっか」
結局、ばれなかったと思う。
心の中で安堵のため息をついた。
「とんかつは?」
「はい、召し上がれぇ」
「おおっ、さすが心菜様」
「えへへぇ」
妹に隠し事をするのは久しぶり、だ。でも、今回のことは、話すべきではない。
「…………」
だが、妹の表情は少し、悲しそうに見えた。
どうか気のせいであってほしいと、切に願った。