第三巻:奇談異聞集
鍾離意と孔子の遺言
漢の永平年間(五十八年~七十五年)のこと。会稽郡に、鍾離意、字を子阿という人物がいた。彼が魯国の宰相として赴任した折の物語である。
着任するやいなや、鍾離意は私財から一万三千文を投じ、戸曹の役人である孔訴に命じて、かの孔子がかつて乗っていた馬車を修繕させた。そればかりか、自ら孔子の廟堂に足を踏み入れ、そこに残された机や席、剣、そして履物までも、ひとつひとつ丁寧に拭い清めた。
その頃、下男の張伯が、本堂の階下の草を刈っていた。すると、土の中から美しい玉璧が七枚、姿を現した。張伯は一瞬のためらいの後、そのうちの一枚をそっと懐に隠し、残る六枚を鍾離意のもとへ届け出た。鍾離意は主簿に命じ、その玉璧を丁重に机の前へ安置させた。
さて、孔子が講義をしていたという本堂には、寝台の頭上に甕がひとつ、吊るされていた。鍾離意は孔訴を呼び寄せ、静かに尋ねた。
「あれは何の甕であろうか」
孔訴は畏まるようにして答えた。
「あれは孔子の甕と伝えられております。甕の背には朱で文字が記されておりますが、その威光を恐れ、これまで誰も封を開けようとはいたしませんでした」
それを聞いた鍾離意は、深く頷いて言った。
「孔子は聖人である。甕をこの世に残されたのは、きっと後世の賢人に向けて、何かを示そうとされたに違いない」
意を決して甕を開けてみると、中には素朴な書物が一巻、静かに納められていた。紐を解くと、そこには次のような言葉が記されていた。
『後世、我が書を修めるは、董仲舒。我が車を護り、我が履を拭き、我が笥を開くは、会稽の鍾離意なり。璧は七つありて、張伯がその一つを蔵す』
鍾離意はすぐさま張伯を呼び出し、問い詰めた。
「書には璧は七つあると記されている。なぜ一つを隠したのか」
張伯は言葉もなく地に額をつけ、懐から隠し持っていた最後の一枚を差し出したという。
段医の不思議な膏薬
段医、字を元章は、広漢郡新都の出身であった。彼は易経を深く学び、風の音や向きで吉凶を占う風角の術にも精通していた。
ある時、ひとりの書生が彼の門を叩き、教えを請うた。数年の月日が流れ、書生は自分も術の要諦を掴んだと思い込み、故郷へ帰ることを師に告げた。
段医は別れに際し、自ら調合した膏薬と、筒に封じた書状とを渡し、こう言い含めた。
「もし旅の途中で急を要する事態に見舞われたなら、これを開けてみるがよい」
書生が葭萌の地まで来た時、渡し場で役人と乗船の順を巡って言い争いになった。怒りに駆られた役人は、あろうことか書生の従者の頭を打ち据え、傷を負わせてしまった。
書生は師の言葉を思い出し、筒の封を切った。中の書状には、こう記されていた。
『葭萌に着き、役人と争い、頭を破られし者あり。この膏薬にてその傷を覆うべし』
書生が書状の通りに膏薬を塗ると、従者の傷はたちどころに癒えたという。
臧仲英の屋敷の怪異
右扶風の臧仲英が、侍御史の職にあった頃のことである。
彼の屋敷では、不可解な出来事が続いていた。家人たちが食事の支度を整えていると、どこからともなく煤や埃が舞い降りてきて、料理を台無しにしてしまう。飯が炊き上がる頃には、釜そのものが忽然と姿をくらます。壁に掛けてあるはずの兵士が使う弩が、誰も触れていないのに勝手に動き出す。葛籠の中から火の手が上がるが、中の衣類はすべて燃え尽きているのに、葛籠だけは少しも焦げていない。
ある日には、女中たちの鏡がすべて失くなった。数日後、それらの鏡が屋敷の広間から庭へ向かって投げつけられ、「お前たちの鏡を返すぞ」という人の声だけが響き渡った。
さらに、三、四歳になる孫娘が、ふと姿を消してしまい、家中が血眼になって探しても見つからない。二、三日経って、泣き声に導かれて見つけ出したのは、なんと厠の汚物の中であった。このような怪異が、一度ならず続いたのである。
途方に暮れた仲英は、易占いに長けていると評判の汝南の許季山に助けを求めた。季山は占いの結果を見て、静かに告げた。
「あなたの屋敷には、年老いた青い犬の精が棲みついております。そして、屋敷に仕える者の中に益喜という名の者がおり、この者と犬の精が共に怪異を引き起こしているのです。この災いを心から断ちたいと願うのであれば、その犬を殺し、益喜には暇を出して故郷へ帰しなさい」
仲英がその言葉に従うと、あれほど続いた怪異は、まるで嘘のようにぴたりと止んだ。その後、仲英は太尉長史、さらには魯国の宰相にまで昇進したという。
喬玄の怪異と予言
太尉の喬玄、字を公祖は、梁国の生まれである。彼がまだ司徒長史の職にあった頃の出来事だ。
五月の末、夜も更けた頃、彼が中門のあたりで寝ていた時であった。ふと、東側の壁が、まるで戸が開き放たれたかのように、まばゆい白光を放つのを見た。彼は左右の者たちを呼び起こして尋ねたが、誰ひとりとしてその光を見た者はいなかった。
喬玄は寝台から起き上がり、自らの手で壁に触れてみたが、そこにはただ冷たい壁があるだけだった。しかし、再び寝床に戻ると、またしても同じ光が現れる。彼は言いようのない恐怖に襲われた。
ちょうどその頃、友人の応劭が彼を訪ねてきたので、一部始終を打ち明けた。話を聞いた応劭は言った。
「私の郷里に董彦興という者がいる。彼は、先ほど話に出た許季山の孫にあたる男だ。物事の隠された理を探り、神の領域にまで通じている。かの眭孟や京房でさえ、彼には及ばないだろう。ただ、生まれつき偏屈なところがあり、易や占いをひどく嫌っているのだが」
王叔茂という者が骨を折り、やがて董彦興を連れてきた。喬玄は彼を丁重にもてなし、盛大な食事を用意すると、自ら席を立って酒を注いだ。
彦興は言った。
「私はしがない書生にすぎず、何の才も持ち合わせておりません。このような厚いもてなしと甘言を賜り、恐縮するばかりです。もし私のような者でもお役に立てることがあれば、喜んでお引き受けいたしましょう」
再三にわたる喬玄の願いに、ついに彦興は重い口を開いた。
「府君(喬玄)の屋敷には、怪異が起きておりますな。白く輝く光は、まるで開かれた門のようであったでしょう。しかし、これは決して害をなすものではありませぬ。六月の初め、鶏が鳴く頃に、南の家から泣き声が聞こえてくれば、それは吉兆です。秋の節句の頃には、北への異動があり、赴任先の郡の名には『金』の文字が含まれていることでしょう。あなたの位は、やがて将軍、そして三公にまで至ります」
喬玄は信じられないという面持ちで言った。
「このような怪異に見舞われ、一族の身を案じるだけで手一杯だというのに、思いもよらぬ望みをかけられるとは。これは私を慰めるための言葉でしょう」
しかし、六月九日の夜明け前、太尉の楊秉が急逝した。そして七月七日、喬玄は鉅鹿太守に任じられたのである。「鉅」の字には、確かに「金」が含まれていた。その後、彼は予言通り度遼将軍となり、ついには三公の位にまで登り詰めたのであった。
管輅の占術と怪異の正体
管輅、字を公明は、平原の出身で、易占いの名人として知られていた。
安平太守であった東萊の王基の屋敷では、しばしば怪異が起こり、そのことで心を悩ませていた。そこで管輅を招き、占いを依頼した。
卦を立て終えた管輅は、静かに語り始めた。
「あなたの卦には、三つの怪異が映し出されております。ひとつは、身分の低い女が生んだ男の子が、生まれるや否や走り出して竈の中に入り、死ぬでしょう。またひとつは、寝台の上に大蛇が現れ、筆を銜えたまま人々が見守る中、やがてどこかへ去っていくでしょう。さらに、烏が部屋に舞い込んできて燕と争い、燕は死に、烏は飛び去るでしょう。この三つの影が見えます」
王基は驚愕し、「これほどまでに占いが精妙を極めるとは。どうか、これが吉であるか凶であるか、お示しいただきたい」と懇願した。
管輅は答えた。
「これらは、他に禍をもたらすものではありません。ただ、この屋敷が古いために、魑魅魍魎の類がいたずらをしているにすぎないのです。赤子が走ったのは、自らの力ではなく、宋無忌という妖が操って竈へ入れたのです。筆を銜えた大蛇は、年老いた書記の妖。烏と燕の争いは、年老いた役人の妖の仕業です。しかし、神明の正しい道が、妖によって害されることはありません。万物の変化は、人の力で止められるものでもないのです。古い霊魂の浮遊も、定められた時が来れば必ず終わりを迎えるでしょう。今、卦にその姿は映れども、凶の兆しは見えません。故に、これらは妖魔がもたらす災いの前触れではなく、憂うには及ばないのです。かつて高宗の時代、鼎の上で雉が鳴いたのは吉兆ではありませんでしたが、武丁は名君となりました。太戊の時代に桑と穀の木が宮廷に生えたのも吉兆ではありませんでしたが、殷は栄えました。これらが吉祥でないことは承知しておりますが、願わくば府君(王基)におかれては、心を安んじ徳を養い、ゆったりと大道を歩んでください。妖しき邪念によって、天から授かった清らかな心を曇らせることのないように」
その後、王基の家に災いが起こることはなかった。
後年、管輅が安南督軍に昇進した折、故郷の者が彼に尋ねた。
「あなたが以前、王府君のために怪異を論じ、『老書記が蛇に、老役人が烏になった』と申されたそうですが、彼らは皆、人間だったはず。なぜ、あのような卑しいものに化けたのでしょうか。それは卦にそう現れたからですか、それともあなたのお考えですか」
管輅は答えた。
「万物の本性や自然の理に沿わぬことを、どうして卦の示すところを無視して、己の心だけで判断できようか。そもそも、万物の変化に決まった形はなく、人の変化とて同じこと。大が小に、小が大になることもあれば、その優劣さえ定め難い。すべての変化は、ひとつの理に従っているのだ。夏の鯀は天子の父、趙王如意は漢の高祖の子でありながら、鯀は黄熊に、如意は蒼い犬になった。これは、この上なく尊い身分の者が、卑しい獣に化けた例だ。ましてや蛇は辰巳の方位にかない、烏は太陽の精を宿すという。これらは闇夜に昇る光明の象徴であり、白昼を流れる影のようなもの。書記や役人が、そのささやかな身をもって蛇や烏に化けたとしても、何の不思議があろうか」
南斗北斗の延命
管輅が平原に滞在していた時のこと。顏超という若者の顔つきを見て、彼が早死にする相であることを見抜いた。顏超の父は、息子の延命を管輅に泣いてすがった。
管輅は言った。
「息子さんを家にお帰しなさい。そして、清らかな酒と鹿の干し肉を一斤用意させ、卯の日に、麦畑の南にある大きな桑の木の下へ行かせるのです。そこには二人の男が碁を打っているはず。決して声をかけず、ただ黙って酒を酌み、干し肉を差し出すように。彼らが飲み干したら、また注ぎ、なくなるまで続けるのです。もし何かを問われたら、ただただ拝礼するだけで、決して言葉を発してはなりません。そうすれば、必ずや救いの手が差し伸べられるでしょう」
顏超が言われた通りに桑の木の下へ行くと、果たして二人の男が碁盤を挟んで座っていた。彼はそっと酒と干し肉を前に置き、黙って酒を注いだ。男たちは碁に夢中で、顏超には目もくれず、ただ酒を飲み、肉を食らうばかりであった。幾度か杯が空になった頃、北側に座っていた男がふと顏超に気づき、叱りつけるように言った。
「なぜ、このような所におる」
顏超は、師の言葉を思い出し、ただひたすらに頭を下げて拝礼を続けた。すると、南側に座っていた男がとりなすように言った。
「まあ、よいではないか。彼の酒と肉を馳走になったのだ。無碍にはできまい」
北の男は言った。「しかし、文書はすでに定まっておる」
南の男は「その文書を貸してみよ」と言い、手に取って見た。
そこには、顏超の寿命がわずか十九歳までと記されていた。南の男は筆を取ると、十九の「九」の上に「十」の字を書き加え、「九十」と書き換えた。顏超は深く拝礼してその場を去った。
家に戻った顏超に、管輅は言った。
「大いなる助けを得たな。長寿を授かったことを喜びなさい。北に座っていたのが北斗星、南に座っていたのが南斗星だ。南斗は生を司り、北斗は死を司る。およそ人がこの世に生を受ける時、誰もが南斗を経て北斗を通る。故に、人々が祈りを捧げるのは、皆、北斗に向かってのことなのだ」
室内をさまよう亡霊
信都のある役人の家で、女性たちが次々と原因不明の病に倒れ、恐慌をきたしていた。家の主は管輅に占いを頼んだ。
管輅は言った。
「あなたの家の北の部屋、その西の隅に、二人の亡者がおります。一人は矛を手にし、もう一人は弓矢を携えている。頭は壁の中に、足は壁の外にはみ出している。矛を持つ者は人の頭を刺すことを司るゆえ、奥方たちの頭は重く痛み、持ち上げることさえままならないのです。弓矢を持つ者は胸や腹を射ることを司るゆえ、心臓を掴まれたように痛み、食事も喉を通らないのです。彼らは昼の間はあたりを彷徨い、夜になると病人に憑りつくため、皆が恐れおののくのです」
そこで、言われた場所を八尺ほど掘ってみると、果たして二つの棺が現れた。ひとつの棺には矛が、もうひとつには角でできた弓と矢が納められていた。矢は朽ちていたが、鉄の鏃と角の部分は残っていた。彼らの骸骨を城外二十里の場所に移して手厚く葬ると、家の者たちの病はすっかり癒えたという。
輅の断罪:井戸に突き落とされた女
利漕の民に、郭恩、字を義博という者がいた。彼ら兄弟三人は、そろって足が不自由になる病に苦しんでいた。管輅に占いを依頼し、その原因を尋ねた。
管輅は言った。
「卦には、あなたの本家の墓が映し出されております。その墓の中に、ひとりの女の霊がおります。あなたの伯母か、あるいは叔母にあたる方でしょう。遠い昔の飢饉の折、わずか数升の米を欲した者たちが、彼女を井戸に突き落としたのです。彼女は必死に助けを求めましたが、人々は大きな石を投げ入れて彼女の頭を砕いた。その孤魂は、晴らせぬ無念の痛みを抱き、天に訴え続けているのです」
厭勝の術と狐の毛
淳于智、字を叔平は、済北郡廬の人であった。物事を深く考え抜く性質で、若い頃から易占いに才を発揮し、呪術をもって災いを祓う厭勝の術にも長けていた。
高平の劉柔という男が、ある夜、眠っている間に鼠に左手の中指を噛まれ、ひどく不吉に思って淳于智を訪ねた。智は占って言った。
「その鼠は、もとはあなたを殺そうとしたのですが、叶わなかったのです。ならば逆に、その鼠を死なせてしまいましょう」
そう言うと、朱墨で劉柔の手首から三寸下のところに、一寸二分ほどの「田」の字を書き、その夜は手を布団の外に出して眠るよう指示した。翌朝、果たして一匹の大きな鼠が、彼の寝床の前にうずくまって死んでいた。
上党の鮑瑗の家は、不幸や病が絶えず、暮らしは困窮していた。淳于智が占うと、こう告げた。
「あなたの住まいが良くないために、苦しみが続いているのです。家の東北に大きな桑の木がありますな。今すぐ市場へ行きなさい。門を入り数十歩のところに、新しい鞭を売る者がいるはずです。それを一本買い求め、持ち帰ってこの桑の木に懸けておきなさい。三年もすれば、思いがけない財を得るでしょう」
鮑瑗がその言葉に従うと、市場には確かに鞭を売る者がいた。彼はそれを買い、桑の木に懸けた。三年後、庭の井戸を深く掘ったところ、数十万の銭と、二万を超える銅や鉄の器が見つかった。これにより家は栄え、病に苦しむ者もいなくなった。
譙の夏侯藻は、母が重い病に罹ったため、淳于智に占ってもらおうと家を出た。すると、門の前に一匹の狐が立ちふさがり、彼に向かって吠えたてた。夏侯藻は驚き恐れ、急いで智のもとへ駆け込んだ。
智は言った。
「その災いは、一刻を争います。急いで家へ戻り、狐が吠えていた場所で、胸を叩いて泣き叫びなさい。家族は大人も子供も、一人残らず家の外へ出すのです。全員が外に出るまで、決して泣き止んではなりません。そうすれば、かろうじて禍を免れることができるでしょう」
夏侯藻は言われた通りにした。病の母も無理を押して外へ出た。家族全員が庭に集まった、まさにその時、五間の広間が轟音とともに崩れ落ちた。
護軍の張劭の母が、病で危篤に陥った。智が占うと、「西の市場へ行き、猿を一匹買ってきなさい。そして、母君の腕に縛り付け、傍らの者にその猿を叩かせて、常に鳴き声を出させるように。三日経ったら、放してやりなさい」と言った。
張劭がその通りにすると、三日後、猿は門を出た途端に犬に噛み殺されてしまったが、母の病は快方に向かった。
廬江の郭璞、字を景純が廬江の地を訪れた時、太守の胡孟康に、急いで南へ避難するよう勧めた。しかし、太守が聞き入れないため、郭璞は自分だけでもと荷物をまとめた。だが、彼は太守の屋敷のある婢に心惹かれており、彼女を連れて行く術がなかった。そこで彼は、小豆を三斗ほど用意し、主人の家の周りに撒いた。
翌朝、主人が起きると、数千人もの赤い衣の者たちが家を取り囲んでいる。近づいてみると、その姿はかき消えるようにいなくなった。ひどく不吉に思った主人は、郭璞に占いを依頼した。
郭璞は言った。
「あなたの家で、この婢を置いておくべきではありません。東南へ二十里の場所で売り払いなさい。決して値段を惜しんではなりません。そうすれば、この怪異は収まるでしょう」
郭璞は裏で人を遣わし、この婢を安値で買い取らせた。さらに井戸の中に呪符を投げ込むと、数千人の赤い衣の者たちが、残らず井戸の中に身を投げて消えた。主人は大いに喜び、郭璞は婢を連れてその地を去った。その数十日後、廬江は戦火に落ちたという。
趙固の愛馬が突然死んだ。彼は深く悲しみ、郭璞にどうにかならないかと尋ねた。
郭璞は言った。
「数十人の者を集め、竹竿を持たせて東へ三十里行かせなさい。山林と墓のある場所で、あたりをかき回し、叩きなさい。必ずや、何かが現れるはず。それを急いで持ち帰るのです」
言われた通りにすると、果たして猿に似た生き物を捕らえることができた。それを家に連れ帰ると、その生き物は死んだ馬を見るや、その頭の周りを跳ね回り、鼻に息を吹きかけた。しばらくすると、馬はゆっくりと身を起こし、力強く嘶いて、普段通りに餌を食べ始めた。そして、あの猿のような生き物の姿は、どこにも見当たらなかった。趙固はこの不思議な出来事に感嘆し、郭璞に厚く礼を贈った。
揚州の役人である顧球の姉は、十歳の頃から病を患い、五十を過ぎても癒えることがなかった。郭璞に占ってもらうと、大過の卦が出た。その卦の言葉は、次のようなものであった。
『大過の卦は、喜ばしい意味を持たぬ。墓場の枯れた柳に、花が咲くことはない。彷徨える魂が揺れ動き、龍の引く車を見る。その身は重い災いをまとい、妖しきものに取り憑かれている。その根源は、神への祭祀を絶ち、霊妙なる蛇を殺したことにある。これは本人の咎ではなく、先人の過ちである。この卦を解き明かし、いかに対処すべきか』
顧球が先祖の行いを調べてみると、かつて一族が大きな木を伐採した際、大蛇を捕らえて殺してしまい、その直後に娘が病にかかったという事実が判明した。病の後、数千羽もの鳥が屋根の上を飛び交い、人々は怪しんだが、その理由は分からなかった。ある日、ひとりの農夫が家のそばを通りかかった時、空を見上げると、龍が車を牽いているのを見たという。五色の光が輝き、その大きさは尋常ではなく、しばらくして消え去ったそうだ。
義興の方叔保が傷寒にかかり、死の淵をさまよっていた。郭璞が占うと不吉な卦が出たため、白い牛を探し出し、それで邪気を祓うように命じた。しかし、どこを探しても見つからず、羊子玄という男が白牛を飼っていたが、どうしても貸してくれない。郭璞が自ら使いとして赴くと、その日のうちに、一頭の大きな白い牛が西からやって来た。その牛はまっすぐ病人のそばに寄り添った。叔保は驚き恐れるうちに、病はたちまち癒えてしまった。
費孝先の三つの忠告
西川の費孝先は、占術に優れ、その名は広く知られていた。
王旻という商いで財を成した男が成都へ来た折、孝先に占いを依頼した。孝先は、彼にこう告げた。
『居よと言われても居るな。洗えと言われても洗うな。一石の穀を搗けば、三斗の米が得られる。明に出会えば生き、暗に出会えば死ぬ』
孝先は、この言葉を心に留めるよう再三戒め、ただこれを唱えるだけでよいと言った。王旻はこの謎めいた言葉を心に刻んだ。
旅の途中、大雨に見舞われ、ある小屋で雨宿りをしたが、中は旅人でごった返していた。王旻はふと思った。「『居よと言われても居るな』とは、このことではないか」。彼は意を決し、雨の中を再び歩き出した。その直後、小屋は轟音とともに倒壊し、王旻ただ一人が難を逃れた。
さて、王旻の妻は、隣家の男と密通しており、夫を亡き者にして添い遂げたいと、毒殺を企てていた。王旻が帰宅すると、妻は間男にこう告げた。「今宵、新しく身を清めた方が、私の夫ですよ」。
夕食時、妻は王旻に湯浴みを勧め、新しい頭巾と帯に着替えさせようとした。王旻ははっとした。「『洗えと言われても洗うな』とは、このことではないか」。彼は頑として沐浴を拒んだ。妻は怒り、夫を無視して自ら身を清めた。
その夜更け、妻は逆に殺されてしまった。驚いた王旻が隣人を呼んで検分したが、誰にもその理由は分からない。王旻は妻殺しの罪で捕らえられ、獄中で弁解の言葉も見つからなかった。郡守が事件の記録を読んでいた時、王旻は泣きながら言った。「死ぬことは恐ろしくありません。ただ、孝先殿の言葉が、ついに験を現さなかったことだけが心残りでございます」。
側近がその言葉を郡守に伝えると、郡守は刑の執行を待つよう命じた。
郡守は王旻に問うた。「お前の隣家の男の名は」
「康七と申します」
郡守はすぐに人を遣わし、康七を捕らえた。「妻を殺したのは、この男に違いない」。
果たして、すべては康七の仕業であった。郡守は幕僚たちに言った。「『一石の穀を搗いて三斗の米が得られる』とは、『糠』と『七』、つまり康七のことだったのだな」。
こうして王旻の無実は証明された。まさに「明(真相)に出会えば生きる」という言葉通りの結末であった。
隗炤の遺言
隗炤は、汝陰郡鴻寿亭に住む、易占いに長けた男であった。
彼は臨終の際、一枚の板に文字を書きつけ、妻に渡してこう言い遺した。
「わしが死んだ後、国は大飢饉に見舞われるだろう。しかし、決してこの家を売ってはならぬ。五年後の春、勅命を受けた使者がこの宿場に泊まる。姓は龔という。この男は、わしに借金があるのだ。この板を持って、彼に返済を迫るがよい。決して、わしの言葉に背いてはならぬぞ」
夫の死後、言葉通りに大飢饉が訪れた。妻は何度も家を売ろうとしたが、そのたびに夫の遺言を思い出し、じっと耐え忍んだ。
そして約束の年、龔という名の使者が、果たして宿場に泊まった。妻は板を手に、彼に借金の催促をした。使者は板を受け取ったが、そこに書かれた文字の意味が分からず、言った。
「私は生まれてこのかた、誰かに借金をした覚えはないが、これは一体どういうことだ」
妻は答えた。「亡き夫が、死の間際に自らこの板に書き記し、私に託したものでございます。偽りを申しているわけではございません」
使者は長い間考え込み、やがてはっと悟りを開いた。彼は筮竹を取り出し、卦を立てた。卦が出ると、手を叩いて嘆息した。
「見事だ、隗生よ。その才能を隠し、世に知られることはなかったが、貧窮と栄達を知り尽くし、吉凶を見通すとは、まことの賢人だ」
そして、妻に向かって言った。
「私はあなたのご主人から金を借りたわけではない。だが、ご主人は、あなた自身が金を持っていることを知っていたのだ。彼は自分の死後、あなたが一時的に貧しくなることを見通し、太平の世が来るのを待って、この地に金塊を隠した。妻や子に知らせなかったのは、金が尽きて苦しみが終わらぬことを恐れたからだろう。彼は私が易に長けていることを知っていたからこそ、この板に謎を記し、その意図を託したのだ。五百斤の金が、青い甕に納められ、銅の盤で蓋をされている。この広間の東の端、地下一丈の深さに埋まっているはずだ」
妻が家に戻り、言われた場所を掘ってみると、果たして黄金が見つかった。すべては、亡き夫の占いの通りであった。
韓友の厭勝の術
韓友、字を景先は、廬江郡舒の出身であった。彼は占いに長け、京房が伝えたという厭勝の術も心得ていた。
劉世則の娘が、長年、妖に取り憑かれて病に臥せっていた。巫女を呼んで祈祷させ、荒れた墓地や古い城跡の草木を刈らせ、数十匹もの狸や蜥蜴を捕らえたが、娘の病は一向に良くならなかった。
韓友が占うと、「布の袋を用意なさい。娘御が発作を起こした時を見計らい、その袋を窓の縁に広げるのです」と命じた。友は部屋に籠ると、気を発して何かを追い払うような仕草を始めた。しばらくすると、袋がまるで息を吹き込まれたかのように、大きく膨れ上がった。彼はすぐにその袋を破り捨てたが、娘の発作は収まらなかった。
そこで韓友は、二枚の皮で袋を作り、それを重ねて同じように仕掛けた。袋が再び膨らむと、今度は素早くその口を固く縛り、木に吊るした。二十日ほど経つと、袋は徐々に萎んでいった。開けてみると、中には二斤ほどの狐の毛だけが残っていた。その後、娘の病はすっかり癒えたという。
魏序の犬と災い
会稽の厳卿は、占いの名手であった。同郷の魏序が東へ旅に出ようとしたが、折しも飢饉の年で盗賊が多かったため、厳卿に占いを依頼した。
卿は言った。
「あなたは、決して東へ行ってはなりません。必ずや、暴漢による災難に遭うでしょう。しかし、それは強盗の仕業ではありません」
序は、その言葉を信じようとしなかった。卿は言った。
「どうしても行くというのであれば、災いを祓う方法があります。西の郭外に住む、母子暮らしの家で、白い雄犬を探し出し、船の前に繋いでおきなさい」
魏序が探してみたが、白い犬は見つからず、斑の犬しかいなかった。卿は言った。
「斑の犬でもよろしい。ただ、色が純粋でないのが惜しまれます。小さな毒が残るでしょうが、それは家畜の類に留まるはず。他に心配はいりません」
魏序が旅の途中、繋いでいた犬が突然、激しく鳴き始めた。まるで誰かに打たれているかのように苦しみだし、見ると、犬はすでに息絶え、一斗ほどの黒い血を吐いていた。その夜、魏序の別荘で飼っていた数羽の白い鵝鳥が、何の原因もなく死んでいるのが見つかった。しかし、魏序の家族には、誰一人として災いは及ばなかったという。
華佗の外科手術
沛国の華佗、字を元化、またの名を敷といった。神のごとき医術を持つ男の物語である。
瑯邪の劉勲が河内太守を務めていた頃、彼の娘は二十歳を前にして、左膝にできた瘡に長年苦しんでいた。痒みはあるが痛みはなく、一度治っても数カ月で再発することを、七、八年も繰り返していた。
華佗が招かれて診察すると、こともなげに言った。
「これは容易に治せます。稲の籾殻と、黄色い犬を一頭、そして良い馬を二頭、ご用意ください」
華佗は、犬の首に縄をつけさせ、それを馬に引かせて走らせた。馬が疲れるとすぐに替えさせ、三十里ほど走ると、犬はもう歩けなくなった。さらに人に引きずらせて五十里ほど進んだところで、娘に薬を飲ませた。娘はたちまち意識を失い、深い眠りに落ちた。
華佗は大きな刀を取り、犬の後ろ足の付け根の腹を切り裂かせた。そして、その切り口を娘の瘡に向け、二、三寸の距離に近づけてしばらく置いた。すると、蛇のようなものが、瘡の中からにゅるりと顔を出した。華佗はすかさず鉄の槌でその頭を打ち砕いた。蛇は皮の中でしばらくもがいていたが、やがて動かなくなった。それを引きずり出すと、長さ三尺ほどの、まことの蛇であった。その蛇には、あるべき場所に目がなく、代わりに鱗が逆さに生えていた。華佗が瘡に膏薬を塗ると、七日で傷は完全に癒えた。
また、華佗が道を歩いていると、喉の病で食べ物が通らず、家族が車に乗せて医者を探している男に出会った。華佗はその呻き声を聞き、車を止めて言った。
「今来た道端に、餅を売る家があったはず。そこの大蒜の酢漬けが、たいそう酸っぱい。あれを三升ほどもらって飲めば、病は自ずと癒えるだろう」
男がその言葉通りにすると、たちまち一匹の蛇を吐き出したという。
この巻は、後漢から三国時代にかけて活躍したとされる占術者、易者、方士たちの驚異的な能力を描いた奇談異聞集です。彼らは、易経や風角、厭勝の術といった人知を超えた知識と技術を駆使し、不可解な怪異現象の真相を解き明かし、人々の病や苦しみを救い、さらには個人の運命や未来を正確に予見します。物語は、混沌とした時代に人々がいかに超常的な力に救いや秩序を求めたか、そして善行は報われ、悪行は必ず暴かれるという因果応報の思想が色濃く反映されているのが特徴です。
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各場面の魅力と深掘り
この物語群の魅力は、単なる不思議な話に留まらず、人間の感情の機微を巧みに描き出している点にあります。
【不思議さと神秘性】時空を超える知恵と眼力
「鍾離意と孔子の遺言」
数百年も前に亡くなった孔子が、未来に自分の廟を修繕する人物の名前(鍾離意)や、玉璧を一つ隠す下男の名前(張伯)まで正確に言い当てているという、時空を超越した聖人の知恵には、畏敬の念を抱かせる圧倒的な不思議さがあります。これは、徳の高い行いは、時を超えて必ず聖人に見通されているという思想の表れです。
「管輅の占術と怪異の正体」
管輅が、怪異の正体を「年老いた書記の妖」「年老いた役人の妖」と具体的に見抜く場面。彼は単に「物の怪の仕業だ」と片付けるのではなく、その**正体(元は何であったか)**まで見通します。これは、すべての現象には根源があるという古代中国の世界観を反映しており、物事の本質を見抜く占術の神秘性を際立たせています。
【人情味あふれる場面】運命に抗う親の愛と、死者からの思いやり
「南斗北斗の延命」
この物語の核心は、息子の早死という非情な運命を知った父親の愛情です。彼は名高い占術者に泣いてすがり、その必死の思いが管輅を動かし、天の理に触れるという禁忌にすら踏み込ませます。さらに、酒肉のもてなしというささやかな行為に対し、「情がないというのか」ととりなす南斗星の姿には、神格化された存在の中にも人間的な情が描かれており、読む者の心を温かくします。
「隗炤の遺言」
自分が死んだ後、妻が飢饉で苦労することを見越して、難解な謎かけの形で財産を残した夫・隗炤。これは、単なる予言能力の披露ではなく、死してなお残される妻を案じる深い愛情の物語です。すぐに財産のありかを教えないのは、妻が安易にそれに頼ることを戒め、本当に困窮した時に救いとなるようにという、計算され尽くした思いやりが感じられます。
【面白さと奇抜さ】奇想天外な解決策
「費孝先の三つの忠告」
「居るな」「洗うな」といった、意味不明な忠告が、後になって絶体絶命の危機を救う鍵となる展開は、まるで上質なミステリー小説のようです。特に「一石の穀物を搗いて三斗の米が得られる」が、犯人の名前「康七(糠と七)」を示す暗号だったと判明する場面は、言葉遊びの面白さがあり、読者を唸らせます。
淳于智の逸話
彼の解決策は、どれも奇想天外でユーモラスですらあります。鼠に噛まれた仕返しに呪術で鼠を殺させたり、病気の母親の腕に猿を縛り付けて叩かせたりと、常識では考えられない方法で問題を解決します。その突飛さが、かえって彼の術の非凡さを際立たせています。
【恐怖心をあおられる場面】日常に潜む怪異と過去の怨念
「臧仲英の屋敷の怪異」
この物語の恐怖は、日常が静かに侵食されていく点にあります。食事に煤が降りかかり、釜が消え、幼い孫が便所の汚物の中から見つかる…。派手な脅かしではなく、生活の基盤がじわじわと崩されていく不気味さは、ポルターガイスト現象にも似た現実的な恐怖を掻き立てます。原因が「老いた青犬の精」と「内通者」という、身近な存在の組み合わせであることも不気味さを増幅させます。
「輅の断罪:井戸に突き落とされた女」
兄弟三人が揃って足が不自由になるという原因不明の病。その根源が、先祖が飢饉の際に伯母を米数升のために井戸へ突き落として惨殺した過去の罪にあると明かされる場面は、強烈な恐怖と戦慄を覚えます。これは、個人の罪が血縁を通じて子孫にまで祟るという「怨念」と「因果応報」の恐ろしさを最も生々しく描いたエピソードです。
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さらに深掘り・検証
これらの物語は、単なる空想の産物ではなく、当時の社会背景や人々の思想を映し出す鏡でもあります。
なぜ占術が信じられたのか?
後漢末期から三国時代は、戦乱、飢饉、疫病が蔓延する、まさに先の見えない混乱の時代でした。人々は、理屈では説明できない不幸や理不尽な死に直面し、その原因や未来を知りたいと切望しました。管輅や郭璞のような占術者は、現代のカウンセラーやコンサルタントのような役割を担い、人々の不安に耳を傾け、「それは古い屋敷の霊の仕業だ」「先祖の罪が原因だ」といった形で、不可解な現象に「物語」と「意味」を与えることで、人々に納得と心の安寧をもたらしたと考えられます。
怪異の本質とは何か?
物語に登場する怪異の多くは、不当に死んだ者の怨念が原因となっています。「室内の亡霊」や「井戸の女」のように、彼らは供養されず、無念を抱えたままこの世に留まっています。怪異を鎮めることは、単に現象を止めるだけでなく、過去の不正を正し、乱れた秩序を回復するという社会的な意味合いも持っていました。つまり、占術者は「霊能力者」であると同時に、「調停者」でもあったのです。
「厭勝の術」のリアリティ
小豆が兵士に見えたり、猿が病の身代わりになったりする「厭勝の術」は、一見すると荒唐無稽です。しかしこれは、「類似したものは互いに影響し合う」という古代の呪術的思考に基づいています。例えば、赤い小豆を兵士に見立てる、生命力あふれる猿に病を移すといった象徴的な行為を通じて、現実に影響を与えようとする人々の切実な願いがそこには込められており、当時の人々にとってはリアリティのある解決策だったのです。




