表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
捜神記 ― 神々の断章、失われた巻物の謎  作者: 光闇居士


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

3/22

第二巻:怪異を祓う者たち

挿絵(By みてみん)

『壺山仙風、成都の火を鎮める図』

仙人の「静」と、彼の術が生み出す龍の「動」、庵の「内」なる精神世界と、成都の「外」なる物理世界、そして人智を超えたことわりが凝縮され、見る者の心に深く染み入る。


【しおの】

寿光侯:白馬と大蛇の怪

漢の章帝の御代に、寿光侯という人物がいた。彼は百鬼夜行の主や数多の物の怪の罪を問い、その正体を白日の下に晒すよう命じることができたという。

彼の郷里に、物の怪に取り憑かれ、病に伏せる女性がいた。侯が邪気を祓うと、門の外には身の丈が数丈にも及ぶ大蛇が息絶えており、女性はたちまち快方に向かったという。

また、ある場所に一本の大木があり、その木には邪悪な精が宿っていた。木の下に立ち寄る者は命を落とし、その上を飛ぶ鳥さえも地に墜ちるほどであった。侯がその罪を問うと、真夏だというのに、木は見る間に枯れ果て、枝と枝の間に、七、八丈はあろうかという大蛇が首を吊るようにして死んでいた。

この噂を耳にした章帝は、侯を宮殿に召し出し、事の真偽を尋ねた。侯は静かに「すべて、噂の通りでございます」と答えた。

帝は言った。「ならば、この宮殿に巣食う怪異を祓ってみせよ。夜半を過ぎると、決まって数人の者が赤い衣をまとい、髪を振り乱しながら、火を手に練り歩くのだ。そなたに、この者らを鎮めることができるか」

侯は答えた。「それは些細な怪異にございます。たやすく消し去りましょう」

帝は侯の力を試そうと、三人の者に物の怪の装束をさせ、夜の宮殿を歩かせた。すると、侯が術を施すやいなや、三人はばったりと地面に倒れ、息絶えてしまった。

帝は驚き、慌てて言った。「あれは物の怪ではない。余がそなたを試したのだ」そして、すぐさま彼らを蘇らせるよう命じたのである。


樊英と成都市の火事

また、別の話では、漢の武帝の御代、宮殿には常に赤い衣を着て髪を振り乱し、燭台を手に歩き回る怪異が現れた。帝が劉憑に「そなたに、これを祓えるか」と問うと、憑は「お安い御用でございます」と答えた。彼が青い霊符を投げつけるや、数匹の鬼が地面にひれ伏すのが見えた。帝は驚いて「余が試しただけだ」と言い、術を解かせて蘇らせたという。

さて、樊英は、壺山に隠れ住む賢人であった。ある日のこと、南西の空から烈風が吹きつけてくると、英は弟子たちに告げた。「成都市で、大火事が起きている」

そう言うと、彼はふと口に水を含むと、南西の方角へ向けて静かに吹きかけた。そして、弟子たちにその時刻を書き留めさせた。後日、蜀の国から旅人が訪れた折に尋ねると、その者はこう語った。「あの日、街は大火に見舞われましたが、にわかに東の空から雲が湧き起こり、たちまち沛然たる大雨となって、燃え盛る炎はことごとく消し止められたのでございます」


徐登と趙昺:術比べ

閩中、今の福建省に、徐登という者がいた。彼はかつて女性であったが、後に男性へと身を変えたという稀有な人物であった。彼は東陽の趙昺と共に、方術の道に深く通じていた。

世は戦乱の最中、二人はとある渓流で偶然出会い、互いの術を披露し合うこととなった。

まず徐登が呪を唱えると、眼前の渓流はぴたりと流れを止め、静寂に包まれた。次に趙昺がこれに応じ、傍らの柳に呪をかけると、枯れたはずの枝からみるみる若葉が芽吹いた。二人は互いの術に感嘆し、顔を見合わせて笑った。徐登の方が年長であったため、趙昺は彼を師と仰ぎ、仕えることになった。

後に徐登が世を去ると、趙昺は東を目指し、都の長安へ入った。

人々がまだ彼の術を知らなかった頃、趙昺はとある家の茅葺き屋根に上がりこみ、こともなげに鼎を据えて火を焚き始めた。家の主は驚き、いぶかしんだが、趙昺はただ笑うばかりで何も答えず、家屋には少しの傷もつかなかったという。

またある時、趙昺は渡し船を求めたが、船頭に断られてしまった。すると彼は、水辺に天幕を広げてその中に座り、高らかに嘯いて風を呼んだ。風は荒々しい流れをものともせず、彼を乗せた天幕を対岸まで運んでいった。これを見た人々は彼の術に感服し、彼に従う者が大勢現れた。

しかし、長安の長官は、趙昺が人心を惑わす者だとして捕らえ、処刑してしまった。民衆は彼の死を悼み、永康の地に祠を建てて祀った。その祠には、今に至るまで蚊や蚋が一匹も入ることができないという。

徐登と趙昺は、共に清らかさと倹約を尊び、神を祀る際には東へ流れる清らかな水を供え、桑の皮を削って干し肉に見立てて捧げていた。


予言と凶事

陳節という者が神々を訪ねた折、東海君は、織り上げたばかりの青い短い衣を彼に贈った。

宣城に住む辺洪は、広陽の地方官を務めていたが、母の喪に服すため故郷へ戻っていた。ある日、旧知の韓友が彼を訪ねてきたが、話しているうちに日が暮れてしまった。辺洪は従者に言った。「すぐに旅の支度をせよ。今夜のうちに出発する」

従者は訝しんで言った。「もう日も暮れました。これから数十里もの草深い道を行くというのに、何をそれほどお急ぎになるのですか」

すると韓友が口を挟んだ。「この地は、血で血を洗う有様だ。とても長居できる場所ではない」辺洪は引き止めたが、韓友は固辞して去ってしまった。

その夜、辺洪は突然狂気に取り憑かれ、二人の息子を絞め殺し、妻までも手にかけてしまった。さらに、父親に仕える者や二人の下女を斬りつけ、皆に傷を負わせた。辺洪はそのままどこかへ逃げ去り、数日後、自宅前の林の中で、首を吊って死んでいるのが見つかった。


幻術と虎の呪い

鞠道龍は、幻術に長けた人物であった。

彼はかつて、このように語った。「かつて東海に、黄公という幻術の達人がおった。蛇を操り、虎をも手なずけるほどの腕前で、常に赤金の刀を佩びていた。しかし、老いてからは酒に溺れるようになった。秦の末期、東海に白い虎が現れ、帝の命により、黄公が赤金の刀を手に鎮めに向かうことになった。だが、彼の術はもはや虎に届かず、無残にも食い殺されてしもうたのじゃ」

また、謝糾という人物は、客をもてなす際、朱で文字を記した符を井戸に投げ入れた。すると、一対の鯉が水中から跳ね上がり、それをすぐさま膾にして客人に振る舞うと、一座の全員に行き渡るのに十分な量であったという。


天竺人の秘術

晋の永嘉年間、天竺から一人の胡人が江南へ渡ってきた。その男は不思議な術を心得ており、舌を切り落としては元に戻し、口からは自在に火を吹くことができた。彼の周りには、その術を一目見ようと、いつも多くの人々が集まっていた。

彼が舌を切る際には、まず長く舌を突き出して観衆に見せ、それから刀で切り落とす。鮮血が地面を赤く染める中、切り落とした舌を器に入れ、人々に見せて回る。見物人が彼の口元を確かめると、舌は確かに半分になっていた。その後、彼は器の中の舌を口に含んで繋ぎ合わせる。しばらくすると、舌は元通りになり、本当に切断されたのかどうか、誰にも分からなかった。

また、布を繋ぐ術では、絹や布を客と両端から持ち合い、真ん中を鋏で断ち切る。二つになった布を再び合わせると、切れ目は跡形もなく消え、元の美しい一枚布に戻るのだった。当時の人々は幻術ではないかと疑い、こっそり試してみたが、それは紛れもなく、一度は断ち切られた布であった。

彼が火を吐く術では、まず器に薬を用意し、火種を一つ取ると、粟飴と混ぜ合わせて二度三度と息を吹きかける。やがて口を開けば、その中は炎で満たされ、その火で薪に火を移して飯を炊くこともできた。それは紛れもなく本物の火であった。また、書物や紙、糸などを火の中に投げ入れ、皆が見守る中で燃え尽きるのを待つ。そして灰を払いのけると、投げ入れた物はすべて元の姿のまま、少しも損なわれずに残っていたという。


扶南の王の裁き

扶南王の范尋は、山で虎を飼っていた。罪を犯した者がいると、その者を虎の前に投げ入れる。もし虎がその者に襲いかからなければ、無罪として放免された。そのため、その山は「大虫山」、あるいは「大霊」と呼ばれた。

彼はまた、十頭のワニを飼っていた。罪人をワニの池に投げ入れ、もしワニが食らいつかなければ、その罪を赦した。不思議なことに、無実の者は誰一人としてワニに襲われることはなかったという。その場所に、ワニの池が設けられた。

さらに、王は水を煮えたぎらせ、その熱湯の中に金の指輪を投げ込み、罪人に手で探させた。心が正しい者、すなわち無実の者は、手が爛れることはなかったが、罪ある者は、湯に手を入れた途端に焼け爛れてしまったという。


漢の宮中の習俗

かつて戚夫人に仕えていた侍女の賈佩蘭は、後に宮中を去り、扶風の段儒の妻となった。彼女は、宮中での日々をこう語った。

「宮中にいた頃は、楽器を奏で、歌い舞い、誰もが競うように美しく着飾り、四季折々の行事を楽しんだものでした。

十月十五日には、皆で霊女廟に参り、豚と黍をお供えして神を祀り、笛を吹き、筑を弾いては『上霊の曲』を歌い上げます。その後、皆で手を取り合い、地面を踏み鳴らして拍子を取りながら『赤鳳皇来』を歌うのですが、これは巫女に伝わる習わしでした。

七月七日には、百子池のほとりに集い、『于闐楽』を奏でました。楽が終わると、五色の美しい糸でお互いの身体を結び合い、これを『相連綬』と呼んでおりました。

八月四日には、彫刻の施された部屋の北側の戸から出て、竹林の下で碁を打ちました。勝った者はその年一年、幸運に恵まれ、負けた者は病に罹ると言われており、負けた者は糸を手に、北の空に輝く星に長寿を祈って災いを逃れるのです。

九月になりますと、茱萸を身に飾り、蓬で作った餅を食べ、菊を浮かべた酒を酌み交わしました。これは長寿を願うための習わしです。菊が咲く頃にその茎や葉を採り集め、黍と混ぜて醸し、翌年の九月九日に熟したものを飲むのです。ですから、これを『菊花酒』と呼んでおりました。

正月の上辰の日には、池のほとりへ出て身を清め、蓬の餅を食べて邪気を祓いました。

三月の上巳の日には、清らかな水の流れのほとりで音楽を奏でました。このような雅やかな習わしが、一年を通して行われていたのです」


亡き李夫人と幽霊の衣

漢の武帝は、李夫人を深く寵愛していた。夫人が世を去った後も、帝の悲しみは癒えることなく、募る思いにやつれるばかりであった。

そこに、斉から来た李少翁という方士が、夫人の魂を呼び寄せることができると申し出た。そこで夜を待ち、帳を幾重にも巡らせ、灯りを煌々と灯した。帝は別の帳の中に座り、遠くからその様子を眺めるようにと告げられた。

帝が見つめる先、帳の向こうに、まごうことなき李夫人の面影が浮かび上がった。その優美な姿は、帳の中を静かに歩み、あるいは座していたが、帝が近づいてその姿を確かめることは許されなかった。帝はますます悲しみを募らせ、詩を詠んだ。

「是か、非か。立ちて之を望めば、偏に婀娜たり。何ぞ冉冉として其の來るの遲きや」

(あれは本物か、幻か。立ち尽くして見つめれば、その姿はあまりにも優美でしなやかだ。ああ、なぜそんなにもゆっくりとしか、こちらへ来てはくれぬのか)

帝はこの詩を楽府の楽人たちに与え、楽器で奏でさせ、歌わせたという。


亡者との再会

漢の北海営陵に、死者と生者を会わせることができるという道人がいた。その土地に住むある男は、妻に先立たれて数年経っていたが、その噂を聞き、道人のもとを訪れた。

彼は言った。「どうか、亡き妻にもう一度だけ会わせてはいただけないでしょうか。それさえ叶うなら、この身はどうなっても構いませぬ」

道人は言った。「よかろう、会わせてやる。ただし、太鼓の音が聞こえたならば、決して留まることなく、すぐにその場を離れるのだ」そうして、道人は男に妻と会うための術を授けた。

やがて、男はついに妻との再会を果たした。二人は言葉を交わし、喜び、悲しみ、生きていた頃と変わらぬ情愛を確かめ合った。しかし、時が経ち、太鼓の音が響き渡った。男は名残惜しさにその場を離れることができず、戸口を出ようとしたその時、彼の衣の裾が、不意に戸に挟まってしまった。彼は、裾を引きちぎって、ようやく外へ出ることができた。

それから一年余りが過ぎ、その男もまた世を去った。家族が彼を弔うために墓を掘り返したところ、そこには、先に亡くなった妻の棺があった。そして、その棺の蓋に、あの日引きちぎられたはずの衣の裾が、固く挟まっていたのであった。


孫休の試練と神の啓示

呉の孫休が病に倒れた時、祈祷のために巫女を呼んだが、まずその力を試そうと考えた。孫休は、アヒルを一羽殺して庭に埋め、その上に小さな小屋を建てさせた。中には寝台や机を置き、女性の履物や衣服を整えた。

そして巫女にこう言った。「もし、この塚に眠る婦人の霊の姿を言い当てることができたなら、そなたを信じ、厚く賞を与えよう」

巫女は一日中、何も答えることができなかった。帝が問い詰めると、彼女はついに口を開いた。「まことに申し上げにくいのですが、わたくしには鬼の姿は見えませなんだ。ただ、白い頭のアヒルが一羽、塚の上に佇んでいるのが見えただけでございます。すぐにご報告しなかったのは、これが鬼神の化身かもしれず、真の姿が現れるのを待とうと考えたからでございます。しかし、姿は変わらず、どうしたものかと思案しておりました」

帝は、彼女が嘘を吐いていないことを悟り、その正直さを認めた。

さて、呉の孫峻はかつて朱主を殺害し、石子岡に埋めていた。孫休が即位した後、彼女の墓を改葬しようとしたが、いくつもの塚が隣り合っており、どれが朱主のものか見分けがつかなかった。宮人の中に、主が亡くなった時に着ていた衣服を覚えている者がいた。

そこで、二人の巫女を別々の場所におき、それぞれの霊力で墓を特定させることにした。互いに近づくことは固く禁じられた。しばらくして、二人は口を揃えて、一人の女性の姿を述べた。

「年は三十歳ほど、上には青い錦の頭巾をいただき、紫と白を重ねた裳をまとい、朱色の絹の履物を履いておられます。石子岡の中腹から現れ、膝に手を当てて深くため息をつき、しばし佇んだ後、別の塚へと歩み寄り、そこで長くさまよったかと思うと、やがて姿を消されました」

二人の言葉は、打ち合わせてもいないのに、不思議なほど一致していた。そこで、彼女たちが指し示した塚を掘り起こしてみると、中から現れた亡骸の衣服は、二人の言葉と寸分違わぬものであった。


鬼神の訴えと病の治療法

夏侯弘は、自分には鬼の姿が見え、彼らと対話ができると公言していた。

ある時、鎮西将軍であった謝尚の愛馬が急死し、彼はひどく嘆き悲しんでいた。謝尚は夏侯弘に言った。「もしそなたがこの馬を生き返らせることができたなら、そなたが本当に鬼を見ることができると信じよう」

夏侯弘はしばらくして戻ってくると、こう言った。「廟の神が、あなたの馬をことのほか気に入られ、ご自分のものとして召されたのです。今、お返しいただきましょう」謝尚が死んだ馬のそばで待っていると、まもなく、その馬が門の外から駆けてきて、亡骸のそばまで来ると、すっと姿を消した。すると、死んでいたはずの馬がにわかに身動きし、むくりと起き上がって歩き始めたのである。

後日、謝尚は言った。「私には跡継ぎがいない。これはきっと、私の罪に対する罰なのだろう」

夏侯弘はしばらく黙っていたが、やがて口を開いた。「これまで私に見えていたのは小さな鬼ばかりで、その仔細までは分かりませなんだ」

その後、彼が偶然出会った一人の鬼は、立派な車に乗り、十人ほどの従者を連れ、青い絹の衣をまとっていた。夏侯弘が車の牛の鼻先を掴んで行く手を阻むと、車中の鬼が言った。「なぜ道を塞ぐのか」

夏侯弘は答えた。「お尋ねしたいことがござる。鎮西将軍の謝尚殿にはお子がいない。あの方は風流人で人望も厚い。血筋が絶えて良いはずがない」

すると、車中の鬼は表情を変えて言った。「そなたが話しているのは、まさしく我が息子のことだ。あやつは若い頃、家の下女とは二度と一緒にならぬと誓いを立てたにもかかわらず、その約束を破った。今、その下女が死んで天に訴え出ている。ゆえに、あやつには子が授からぬのだ」

夏侯弘は、この話をそのまま謝尚に伝えた。謝尚は「若い頃、確かにそのようなことがあった」と、静かに認めたという。

また、夏侯弘が江陵にいた時、矛や戟を手にした大きな鬼が、数人の小鬼を従えているのを見かけた。弘は恐ろしく思い、道を避けた。大鬼が通り過ぎた後、彼は小鬼の一人を捕まえ、「あれは何者だ」と尋ねた。

鬼は答えた。「あれで人の命を奪うのです。心臓や腹を突けば、人は必ず死にます」

弘は尋ねた。「その病を治す方法はあるのか」

鬼は言った。「烏骨鶏でその体を撫でれば、たちどころに治りましょう」

「今からどこへ行くのだ」

「これから荊州と揚州へ向かうところです」

果たしてその頃、この地方では心臓や腹の病が流行し、罹った者は皆命を落とした。そこで夏侯弘は人々に、烏骨鶏を屠って患部を撫でるように教えた。すると、十人のうち八、九人までもが助かったという。今、急な病に罹った者を烏骨鶏で撫でるという習わしがあるのは、この夏侯弘の故事に由来すると言われている。

怪異を祓う者たち

 この一巻は、後漢から晋の時代にかけて、人知を超えた力を持つ様々な人物たちの逸話を集めたものです。物語は、鬼神を法廷で裁くかのように断罪する役人、遠隔地の火事を一吹きの水で消し止める仙人、自然の理を自在に操る方術師、死者の魂を呼び寄せる者、そして未来を予見し、病の原因を突き止める鬼神との対話者など、多岐にわたる異能者たちの姿を描き出します。これらの物語は、単なる怪奇譚に留まらず、当時の人々の死生観、道徳律、そして目に見えない世界との関わり方を浮き彫りにしており、人々の抱く畏怖や願い、そして深い愛情が織り込まれています。

________________________________________

各場面の魅力と深掘り


不思議さと神秘性:人知を超えた理の顕現

 場面:樊英と成都市の火事

 不思議さ: この話の白眉は、その圧倒的なスケール感と、術の行使における静謐さの対比です。樊英は呪文を叫ぶでも、大掛かりな儀式を行うでもなく、ただ口に含んだ水を「南西に向かって吹きかける」だけ。その些細な行為が、千里離れた都市を救う大雨へと転じる。物理法則を完全に無視したこの現象は、彼の力が自然の根本的な理、すなわち「気」と繋がっていることを示唆します。それは力ずくの支配ではなく、世界の呼吸に合わせた調律のようなものであり、道教的な思想の神秘性を色濃く反映しています。

 場面:天竺人の秘術

 深掘り: 舌の切断や火を吐く術は、単なる見世物イリュージョンとして描かれていません。「本当に切断されていた絹布であった」と記されているように、当時の人々がそれを現象として「検証」しようとした痕跡が見られます。これは、未知の外国からもたらされた技術や文化に対する、当時の人々の驚嘆と懐疑が入り混じった視線を映し出しています。幻なのか、真の術なのか。その境界線が曖昧であること自体が、この話の最大の「不思議さ」です。


人情味あふれる場面:超常の中に光る人の心

 場面:亡き李夫人と幽霊の衣 & 亡者との再会

 人情味: この二つの物語は、超常的な現象を扱いながらも、その核にあるのは「死んでもなお止むことのない愛情」という、極めて普遍的な感情です。武帝が、触れることすら許されない夫人の幻影に悲しみを募らせる姿。妻を亡くした男が、禁を破ってでも一瞬長く妻と共にいようとする姿。どちらも、権力者や一般人といった立場を超えた、一人の人間としての純粋な愛情と喪失の痛みに満ちています。特に、男の服の裾が一年後に妻の棺から見つかるという結末は、二つの世界が愛によって確かに繋がっていた証となり、切なくも美しい余韻を残します。

 場面:夏侯弘と謝尚

 人情味: 鎮西将軍という高官である謝尚が、跡継ぎがいないことを「私の罪への罰だろう」と悩む姿は、彼の人間的な弱さや誠実さを表しています。そしてその原因が、若い頃の女性との誓いを破ったことにあるという鬼神の言葉。これは、過去の過ちが決して消えることなく、目に見えない世界で自分の運命に影響を与え続けるという、深い因果応報の思想を示しています。超常的な対話を通じて、一人の人間の人生の悔恨が明らかにされる、非常に人間臭い物語です。


面白さと機知:術比べと賢者の試練

 場面:徐登と趙昺の術比べ

 面白さ: 川の流れを止め、枯れ柳に芽を吹かせる。二人の術比べは、互いを打ち負かすための殺伐としたものではなく、自らの道を極めた者同士が互いの境地を披露し合う、雅やかな「芸の応酬」です。彼らが顔を見合わせて笑う場面は、互いへの敬意と、道を同じくする者だけの共感に満ちており、読んでいて心が温かくなります。茅葺き屋根で火を焚くといった奇行も、常識に囚われない彼らの自由な精神性を象徴していて面白いです。

 場面:孫休の試練と神の啓示

 面白さ: これは一種のミステリーであり、為政者の賢明さを描いた物語です。孫休は盲目的に巫女を信じるのではなく、「アヒルを埋める」という巧妙な罠を仕掛けてその能力を試します。一方、巫女もまた、見えたものをすぐには報告せず、「真の姿を待ってから決めようと思った」と慎重に観察する。この両者の冷静で知的なやり取りが、物語に緊張感と面白みを与えています。偽りを見抜く目と、真実を誠実に語る姿勢が、最終的に正しい答え(朱主の墓の特定)へと繋がる構成は見事です。


恐怖心をあおられる場面:理不尽な死と狂気

 場面:辺洪の凶事

 恐怖: この章で最も恐ろしい物語です。その恐怖は、大蛇や虎のような具体的な怪物の姿ではなく、その「理不尽さ」と「不可解さ」にあります。韓友の「この辺りは血が地面を覆うような状態だ」という予言めいた言葉。そして、何の脈絡もなく突然発狂し、何の罪もない家族を惨殺してしまう辺洪。原因が全く説明されないため、人間の理性が如何に脆く、見えざる凶運によって一瞬で崩壊しうるかという、根源的な恐怖を掻き立てられます。静かな日常が、前触れなく地獄絵図に変貌する様は、現代のホラーにも通じるものがあります。

 場面:扶南の王の裁き

 恐怖: 虎やワニに罪人を投げ込むという裁きは、一見すると神意を問う神聖な儀式のようですが、その実態は王の絶対的な権力と、人の命が獣の気まぐれに左右されるという残酷なシステムです。無罪の者は襲われないとされますが、その保証はどこにもありません。熱湯に手を入れる試練も同様です。「真っ直ぐな心」という証明不可能なものを担保に、身体的な苦痛を強いるこの方法は、正義の顔をした暴力であり、抗うことのできない権力の前での個人の無力さという恐怖を感じさせます。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ