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捜神記 ― 神々の断章、失われた巻物の謎  作者: 光闇居士


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22/22

終章:天命の鏡、人の影

挿絵(By みてみん)

「刻の静寂(ときのせいじゃく)一葦(いちい)の悟り」


【忘帰の淵】

一葦の悟り、刻の淵。

老いし漁翁、静寂に座す。

過去は淡墨、霧に溶け、

若き日の影、水面に揺るる。

未来は渇筆、骨と化し、

荒ぶる線は、消えゆく先。

水面は鏡、時を止め、

万象を映し、無為自然。

天地は余白、光と闇、

音なき世界、理を語る。

無心の眼差し、鑑賞の心、

禅境の妙、筆の極致。

物語は無く、気韻のみ。

干宝、筆を封じ、世に問う。

「何ぞや、この静寂は」と。

「それこそは、真理への道」


これは、物語の終わりを描いた絵ではありません。

怪異や奇跡の果てに、干寶がたどり着いた「ことわり」への入り口を描いた、沈黙の絵画なのです。あなたは感じますか、一枚の紙と墨が、かくも深遠な宇宙観を語りうるという、中華古文化の精髄が、この一幅に凝縮されています。


【しおの】

全二十巻を持って『捜神記』の現存すべての物語が終わります。幻の十巻を長年の歴史でロストしたこの事実もこの書の神秘で魅力と思われます。そのためその後原に最終どのようまとめたかったかは現在知る由もありません。

これから筆者の私がひとつの最終章を描くことで、この創作ををカタチの上で終止符打ちたいと考えますが、決して読者の皆様の神秘のひと、もの、ことへの探求を止めるつもりはなく、むしろこれをきっかけにして、あなたの創神記を見つけてください。


光闇居士 

原作+約1,700年後師走


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星辰を読む男

太元年間、琅琊ろうや郭璞かくはくという男あり。占術に明るく、夜ごと楼に登りて星辰の運行を読み、吉凶を予知すること神の如しであった。時の権力者、多く彼を頼り、その言に一喜一憂せり。

ある夜、郭璞は星図を広げ、深く眉根を寄せた。弟子が問うて曰く、「師よ、何を憂い給うか」。

郭璞、天を指して答う、「見るがよい。帝星の傍らに妖星きらめき、その光、日に日に強まっておる。これは、天下の大乱、至って遠からじという兆し。人の力にては、もはや覆すこと能わず」。

弟子、さらに問う、「されば、我らが術も、天命の前には無力ということにて候か」。

郭璞、静かに首を振りて曰く、「さにあらず。我らが星を読むは、天命を知るため。そして天命を知るは、避けられぬ嵐の中で、いかにして舟を壊さず、人を守るかを考えるためなり。天は理を示し、人は道を選ぶ。これぞ、神と人との間に交わされし、声なき契約なるぞ」。

後、果たして郭璞の予言通り、天下は乱れ、血が流れた。しかし、彼の言葉に従い、難を避けた者は数知れなかったという。天意は変えられずとも、人の智恵は、その奔流の中で、ささやかな舟を守るためのかいとなることを、この物語は示している。


影を喰らう鬼

建康けんこうの市場に、夜な夜な奇怪なことが起こった。灯りの下に落ちる人の影が、ふと薄くなるのである。ある者は影の輪郭が欠け、ある者は影そのものが淡くなった。人々はこれを「影喰らいの鬼」の仕業と噂し、日暮れと共に戸を固く閉ざした。

ひとりの徳高き役人、庾亮ゆりょうは、この噂を憂い、その正体を確かめんと決意した。彼は月明かりの夜、ただ一人で市場に立ち、己が影を地に落として静かに待った。

三更の頃、冷たい風と共に、墨を塗りたるが如き、形なき何者かが現れた。それは音もなく庾亮の影ににじり寄り、その縁から喰らい始めんとした。庾亮、しかし恐れることなく、静かに言った。「汝、なぜ人の影を喰らうのか。影は人の根本なり。それを損なうは、大いなる罪と知るや」。

すると、その黒きものは震え、か細き声で答えた。「我は、人の心より生まれしもの。偽り、妬み、憎しみの心が濃き者の影は、甘き蜜の味。されど、あなたの影は、一点の曇りなく、光り輝いており、我には喰らうことができぬ」。

庾亮が己が影を見れば、果たしてその縁は淡い金色に輝いていた。彼は悟った。鬼は外に在らず、内に在り。人の心が濁れば、怪異はそれを糧として現れる。己が徳を磨き、心を鏡の如く清明に保つことこそ、あらゆる魔を退ける最上の呪法であると。

翌日から、彼は民に徳の道を説き、互いを敬い、偽りを捨てるよう教えた。やがて市場から影喰らいの鬼は姿を消し、人々の影は以前にも増してくっきりと地に落ちるようになったという。


時の川を渡る漁師

荊州けいしゅうの果てに、忘帰ぼうきの淵と呼ばれる川があった。この川の流れは時に緩やかになり、時に逆巻く。土地の者は、この川が過去と未来に通じていると信じ、畏れていた。

ひとりの老いたる漁師あり。彼は生涯をこの川で過ごしてきた。ある霧深き朝、彼が舟を出すと、川の流れが完全に止まった。水面は鏡となり、天と地、そして老人の姿を静かに映している。

ふと、川上より一艘の小舟が音もなく近づいてきた。乗っているのは、若き日の自分自身であった。若き漁師は、老いたる自分を見て驚き、問うた。「あなたは、いったい何者か」。

老漁師は微笑み、答えた。「わしは、おぬしがこれから歩む道そのものじゃ」。

次に、川下より、朽ち果てた舟の残骸が流れてきた。それは、彼が今乗っている舟の、未来の姿であった。

老漁師は、過去の自分と未来の自分、そして現在の自分が、時の止まった川の上で一堂に会しているのを悟った。彼は恐れなかった。ただ、静かに目を閉じ、万物の流転に身を委ねた。

やがて霧が晴れると、川は再び流れ始め、過去の舟も未来の舟も見えなくなっていた。老漁師はただ一人、櫓を漕いで岸へと戻った。その日から、彼の顔には深い安らぎが浮かんでいたという。

人は皆、時の川を渡る舟人なり。過去を悔い、未来を憂うも、真に存在するは、ただ「今」という一点のみ。生と死、始まりと終わりは、大いなる川の流れの中では、さざ波に過ぎぬ。この理を悟る時、人は神怪をも超えた、大いなる安寧を得るのである。



あとがき ― 干寶 識す

私がこの『捜神記』を編纂するに至ったのは、我が身辺に起こりし、いくつかの奇異な出来事に端を発する。父の婢は、一度は埋葬されし身でありながら、十余年の後に墓の中で蘇生した。また、我が兄は病にて一度は気絶え、体は冷たくなったにもかかわらず、数日の後に再び息を吹き返したのである。

これらは、常識にては到底測り得ぬ出来事であった。世の儒者たちは、孔子が「怪力乱神を語らず」と述べたことを盾に、かかる話を荒唐無稽と断じ、目を背ける。しかし、現に我が目の前で起こったこの事実を、どうして虚偽と断ずることができようか。

思うに、神、鬼、精魅、そして数多の怪異は、決して我らの世界と隔絶されたものではない。それらは、天と地、陰と陽の気が交わる際に生じる、必然の理の表れなのである。水が凍りて氷となるが如く、人の情念が凝りて鬼となる。季節が巡りて草木が芽吹くが如く、大いなる徳は、人ならざるものからの報恩をもたらすのだ。

今、世は乱れ、人の心は拠り所を失い、道徳は地に堕ちた。人々は目に見えるもののみを信じ、利を追い、互いを欺く。この書に記した物語の数々は、そのような濁世に生きる人々への、天からの警告であり、また導きでもあると、私は信じている。

義犬の忠義に涙し、母猿の悲哀に胸を痛め、龍神の恩恵に畏敬の念を抱く時、我々は、人間のみが万物の霊長であるという傲慢を捨て、より広大なる世界の理に気づかされるはずだ。影喰らいの鬼の物語が示すように、真に恐るべきは、外なる怪異ではなく、我らの内に潜む邪心なのである。


この書を手に取る後世の賢人たちよ。願わくは、これを単なる奇談の集積として読み流すことなかれ。一つ一つの物語の奥に潜む、声なき声に耳を澄ませてほしい。そこにこそ、人が人としていかにあるべきか、そして、この広大なる宇宙の中で、我がいかに小さく、またいかに尊い存在であるかを知るための、一条の光が見出せるであろう。

神明の道は、幽にして遠し。されど、その兆しは常に我らの傍らにある。この書が、その幽玄なる世界の存在を証明し、「神道は虚しからず」ということを明らかにする一助となれば、筆者としてこれに過ぎる喜びはない。


晋、元帝の世にて

干寶 敬んで記す


光闇居士

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