第二十巻:義侠の報いと神の変容
孫登の予言と、病龍の井戸
晋の御代、魏郡の地が、焦げるような日差しに焼かれ、大干ばつに見舞われた折のこと。農夫たちは龍が棲むと伝わる洞穴に集い、一心に雨乞いをした。すると、天はにわかにかき曇り、恵みの雨が降り注いだ。人々は喜び、龍神への礼を尽くさんと祭祀の準備を始めた。
そこへ、孫登と名乗るひとりの男が静かに歩み寄り、天を仰ぐ農夫たちに語りかけた。
「この雨に、作物が息を吹き返すことはあるまい。これは、病に苦しむ龍がもたらした雨だ。信じられぬなら、その水を手にとって香りを確かめてみるがよい。」
農夫たちが半信半疑で雨水に鼻を近づけると、果たして、ひどい生臭さが鼻をついた。
その頃、洞の龍は背に負った大きな腫物の痛みに呻いていたが、孫登の言葉を耳にするや、たちまちにしてひとりの老翁の姿となり、彼の前に現れた。そして、どうかこの病を治してほしいと深く頭を垂れ、こう言った。
「この苦しみから救ってくださったなら、必ずや、その御恩に報いることをお約束いたします。」
孫登が老翁を癒してから幾日も経たぬうち、天から清らかな大雨が沛然と降り注いだ。雨が上がると、人々は巨大な岩が裂け、その口から清らかな井戸が姿を現しているのを見つけた。満々と澄み渡ったその水は、病を癒された龍が、恩に報いるために大地を穿ち、湧き出させたものであった。
虎に連れ去られた産婆
廬陵に、蘇易という名の産婆がいた。その腕は確かで、多くの命の誕生を助けてきた。ある夜更け、女が家の戸口を出た途端、闇から躍り出た虎に、ふわりと背に乗せられてしまった。虎は六、七里ほどの道のりを風のように駆け、大きな洞穴の前でようやく足を止めた。蘇易をそっと地面に下ろすと、虎はただ、うずくまって彼女を見守るばかりであった。
洞の奥では、一頭の雌虎が産気づき、難産のあまり地面を転げ回っていた。その様は今にも命が尽きそうに見え、苦悶の表情でしきりに蘇易を見上げては助けを求めている。蘇易はその心を察し、静かに手を差し伸べると、三匹の子虎を無事に取り上げてやった。
出産を終えた母虎は、蘇易を再び背に乗せると、来た道を静かに戻り、家の前まで送り届けた。その後も、二度、三度と、狩りの獲物を彼女の家の戸口に届け、その恩に報いたという。
雀と蟻王の報恩
噲参は、母によく仕える孝行息子であった。ある日のこと、一羽の黒い雀が猟師の矢に射られ、弱り果てた姿で彼の家に逃げ込んできた。噲参は雀を不憫に思い、手厚く介抱した。やがて傷が癒えた雀を空に放してやると、鳥は感謝するかのように一度振り返り、飛び去っていった。
その後の夜、家の門前で何かの気配がした。噲参が灯りを持って出てみると、そこには雌雄二羽の雀が寄り添っていた。昼間に放してやった雀とその番いであろうか。それぞれが口に、夜の闇に淡く光る珠をひとつずつ咥えており、命の恩人である噲参に、それを捧げたのであった。
また、漢の時代のこと。九歳になる楊宝という少年が、華陰山の北の麓で、一羽の黄色い雀が鴟梟に襲われ、木の下に落ちるのを見つけた。雀はすでに息も絶え絶えで、無数の蟻に囲まれている。哀れに思った楊宝は、雀をそっと拾い上げると家に連れ帰り、頭巾を入れる箱の中にかくまって、黄色い花を与えながら世話をした。
百日余りが過ぎ、雀の羽が見事に生え揃うと、鳥は朝に飛び立ち、夕べには必ず楊宝のもとへ帰ってくるようになった。
ある夜の三更、楊宝が書見にふけっていると、どこからともなく黄色い衣をまとった童子が現れ、彼に向かって二度、深く拝礼した。
「私は西王母のお使いです。蓬莱へ向かう途中、不覚にも鴟梟に襲われ、危ういところをあなた様の仁愛によって救われました。その大いなる徳に、心より感謝申し上げます。」
童子はそう言うと、四つの白い環を楊宝に差し出した。
「あなたの子孫は、この環のように清らかな心を保ち、やがては三公の位にまで昇ることでしょう。」
そう言い残すと、童子の姿はすっと消え失せた。
隋侯の珠と、義犬の墓
隋県の溠水のほとりには、断蛇邱と呼ばれる塚がある。その昔、隋侯が旅の途中、道端で、一匹の大蛇が胴を二つに断たれ、苦しんでいるのを見つけた。ただならぬものを感じた隋侯は、家来に命じて薬を塗らせ、その傷を手当てさせた。すると蛇は不思議な力で再び動き出し、草むらへと姿を消した。人々はこの出来事にちなみ、その場所を断蛇邱と呼ぶようになった。
一年ほどが過ぎたある夜、かの蛇が姿を現し、口に咥えたひとつの珠を隋侯の足元に置いた。その珠は直径一寸ほどもあり、一点の曇りもない純白で、夜には月の光のごとく輝き、部屋中を明るく照らしたという。ゆえに人々はこれを「隋侯珠」、あるいは「霊蛇珠」、そして「明月珠」と呼び、至宝として讃えた。かの塚の南には、隋の季良大夫の池があると伝えられている。
会稽山陰の人、孔愉、字を敬康。彼は元帝の御代、華軼を討った功により侯に封じられた人物である。愉がまだ若かった頃、余不亭のほとりを歩いていると、道端で亀を籠に入れ、売っている者に出会った。愉はそれを買い取ると、余不渓の川へと放してやった。亀は川の中ほどまで泳ぐと、二度、三度と左に振り返り、まるで礼を言うかのようにしてから、水深くへと消えていった。
後年、彼はその功績により、奇しくも余不亭侯に封じられた。印を鋳造させると、そのつまみである亀の首が、三度作り直しても、なぜか決まって左を向いてしまうのであった。印工からその不思議な話を聞いた愉は、初めて、あれは亀の報恩であったのだと悟り、その印を生涯大切に身につけたという。彼はその後、尚書左僕射にまで昇り、死後には車騎将軍の位を贈られた。
古巣の地で、ある日、川の水がにわかに増したかと思うと、すぐに引いていくという出来事があった。川の港には、重さ一万斤はあろうかという巨大な魚が打ち上げられており、三日後に息絶えた。郡中の人々はこぞってその魚の肉を食らったが、ただひとり、老女だけは手をつけなかった。
すると、どこからともなくひとりの老翁が現れ、彼女に言った。
「あの魚は私の息子だ。不幸にも災いに遭ったが、お前だけがその肉を食らわなかった。手厚く礼をしよう。もし、東門にある石の亀の目が赤くなったなら、この城は水に沈むだろう。」
老女はそれから毎日、城門へ通い、石亀の様子を確かめた。その行動を不思議に思ったひとりの子供が訳を尋ねたので、老女は正直に事の次第を話して聞かせた。すると子供は悪戯心から、石亀の目に朱を塗りつけてしまった。それを見た老女は、慌てふためいて城から逃げ出した。すると、青い衣の童子が現れ、「私は龍の子です」と言って、老女を山の上へと導いた。
間もなく、城は轟音とともに陥没し、広大な湖と化した。人々はそれを陥湖と呼んだ。しかし、老女の家だけは、ぽつんと島のように取り残され、今もその姿をとどめているという。漁師たちは漁に出る際、必ずその家で夜を明かす。嵐の中でも、その家のそばにいれば、不思議と波は穏やかになるのだ。風が凪ぎ、水が澄んだ日には、湖の底に、かつての城郭や壮麗な建物がそのまま沈んでいるのが見えるという。水が浅くなった折には、土地の者が水に潜って古い木材を拾い上げるが、それは漆黒に光り輝き、堅く、好事家たちの間では枕として珍重されている。
蟻王の夢と、命を救った螻蛄
呉の富陽県に住む董昭之が、船で銭塘江を渡っていた時のこと。ふと見ると、船べりに流れ着いた一本の葦の茎に、一匹の蟻がしがみつき、必死に行き来している。その様子はひどく慌てており、死の恐怖に怯えているかのようであった。昭之は「この蟻も、命は惜しいのだろう」と思い、船に引き上げてやろうとした。
すると、船の同乗者が「そいつは毒虫だ。殺してしまえ」と罵り、踏みつけようとする。昭之は蟻を深く憐れみ、綱を垂らして葦の茎を船に結びつけてやった。船が岸に着くと、蟻は静かに陸へと上がっていった。
その夜、昭之は不思議な夢を見た。黒い衣の男が、百人ほどの従者を従えて現れ、彼に深く感謝して言う。
「我は蟻の国の王である。不注意で川に落ちたところを、あなた様に救っていただいた。この御恩は決して忘れぬ。もし、どうしようもない苦難に見舞われたなら、必ずや我に知らせてほしい。」
それから十数年の歳月が流れた。世は盗賊が横行し、昭之はあろうことか、盗賊の首領という濡れ衣を着せられ、余杭の牢獄に繋がれてしまった。絶望の中、昭之はふと、遠い昔に見た蟻王の夢を思い出した。「今こそ、その苦難の時だ。だが、どこに告げればよいというのか。」
彼が思い悩んでいると、同じ牢の囚人が訳を尋ねてきた。昭之が事の次第を話すと、男は言った。
「蟻を二、三匹捕まえ、手のひらに乗せて語りかければよい。」
昭之は言われた通りにした。
その夜、果たして黒い衣の男が夢に現れた。
「早く余杭の山中へ逃げるがよい。天下は乱れているが、間もなく恩赦の命が下るであろう。」
はっと目を覚ますと、気づけば、手足を縛っていた枷が、無数の蟻によって食い破られているではないか。昭之は牢を抜け出すと、川を渡り、余杭山へと逃げ込んだ。そして間もなく、夢の告げ通りに恩赦が下り、九死に一生を得たという。
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孫権の治世、襄陽の紀南に李信純という男がいた。彼は黒龍と名付けた犬を飼い、我が子のように可愛がっていた。どこへ行くにも、何をするにも常に一緒で、食べ物さえも分け与えるほどであった。
ある日、信純は城外で酒を飲み、すっかり酔い潰れてしまった。家路をたどることもできず、草むらに倒れ込むようにして眠り込んでしまう。折しも、太守の鄭瑕が狩りに出ており、草が深いことから、家来に命じて火を放たせた。信純が眠る場所は、運悪く風下にあった。
主人の危機を察した黒龍は、火が迫るのを見ると、信純の服を口で咥えて必死に引っぱったが、主は動かない。眠る場所から三十歩、五十歩先には小川が流れている。犬はすぐさまそこへ駆け込むと、その身を水に浸し、主人の元へ戻っては、燃え盛る草の周りで体を震わせ、滴で火を消し止めた。これを幾度となく繰り返した。こうして、信純は大難を逃れることができたのである。
しかし、黒龍は水を運び続けた疲れから、主人の傍らで静かに息絶えていた。やがて信純が目を覚ますと、傍らには死んだ愛犬が横たわり、その全身が濡れている。燃え広がった火の跡を見て、彼はすべてを悟り、天を仰いで泣き叫んだ。
この話が太守の耳に入ると、太守は深く哀れみ、「犬の報恩は、人にも勝る。恩を知らぬ人間は、この犬に及ばぬではないか」と言い、棺と着物を用意させて、その亡骸を丁重に葬らせた。今も紀南には、義犬の塚と呼ばれる塚があり、その高さは十丈余りもあると伝えられている。
太興年間のこと。呉の華隆が、的尾という名の俊足の犬を連れて、川のほとりで葦を刈っていた。すると突然、草むらから現れた大蛇に体に巻きつかれてしまった。犬は主人の危機に奮然と立ち向かい、蛇に噛みついて、ついにこれを倒した。しかし、隆は気を失い、動かなくなってしまった。
犬は途方に暮れ、涙を流しながら、船と草むらの間を何度も往復した。そのただならぬ様子を怪しんだ仲間が後をついて行くと、気を失った隆の姿があった。人々は彼を家へ連れ帰ったが、犬は主人が意識を取り戻すまで、三日間、何も口にしなかったという。回復した隆は、この犬を一層大切にし、まるで親族のように扱った。
廬陵太守であった太原の龐企、字を子及が、自身の遠い祖先の話として語ったことがある。彼の先祖は、何代か前に無実の罪で投獄された。拷問に耐えかね、ついに偽りの自白をしてしまい、処刑の日を待つ身となった。ある日、牢の中で一匹の螻蛄が足元を這い回っているのを見て、彼は呟いた。
「もしお前に霊力があるのなら、私の無実の死から救ってはくれまいか。そうなれば、どれほど嬉しいことか。」
そう言って、わずかなご飯を投げ与えた。
螻蛄はご飯を食べると去っていったが、しばらくするとまた戻ってきた。体は心なしか大きくなっている。先祖はそれを不思議に思い、再び餌を与えた。このように出入りを繰り返すこと数十日のうちに、螻蛄はいつしか豚ほどの大きさにまで育っていた。
そして、いよいよ刑が執行されるという前夜、かの螻蛄が牢の壁の根元を夜通し掘り続け、ついに大きな穴を開けた。先祖は枷を壊すと、その穴から脱獄し、逃げ延びた。しばらくして恩赦が下り、彼は晴れて自由の身となったのである。
この故事から、龐氏の一族は代々、四季の祭りごとに都の辻で螻蛄を祀るようになった。後世になると、祭祀はやや簡略化されたものの、祭りの供物の残りを投げて供える習慣は、今もなお続いているという。
動物の情と、その祟り
臨川の東興に住む男が、山に入って猿の子を捕らえ、家に連れ帰った。母猿は必死にその後を追い、男の家の前までやって来た。男は戯れに、猿の子を庭の木に縛り付け、その母に見せつけた。母猿は両手で自らの頬を打ち、さながら人のように哀れみを乞うた。言葉こそ通じぬものの、その姿は必死の嘆願であった。
しかし、男は子猿を放すことなく、ついに打ち殺してしまった。母猿は悲痛な叫び声を上げると、自ら地面に身を投げつけ、息絶えた。哀れに思った人がその腹を割いてみると、腸は悲しみのあまり、ずたずたに断ち切れていたという。
それから半年も経たぬうちに、男の一家は疫病に見舞われ、ことごとく絶えてしまった。
馮乗の虞蕩が、ある夜、狩りをしていた時のこと。大きな麈を見つけ、矢を放った。すると麈は、矢を受けながらも振り返り、はっきりとした人の言葉で言った。
「虞蕩よ!お前は私を射殺すというのか!」
翌朝、彼は麈の獲物を手にして意気揚々と家に帰ったが、その戸口をまたいだ途端、ばたりと倒れ、息絶えたという。
呉郡海塩県の北郷亭里に、陳甲という士人がいた。もとは下邳の人で、晋の元帝の御代に華亭に仮住まいしていた。彼が東の大きな藪で狩りをしていた時、六、七丈はあろうかという巨大な蛇に遭遇した。その体は百石積みの船ほども太く、玄色と黄色が入り混じった五色の模様をしていた。岡の下に静かにとぐろを巻くその姿に、陳甲は矢を放ってこれを射殺したが、そのことは誰にも語らなかった。
三年後、彼は村人と共に再びその場所で狩りをすることになった。かつて蛇を見た場所に来た時、彼は同行者にこう漏らした。
「昔、わしはここで、とてつもなく大きな蛇を仕留めたことがある。」
その夜、彼の夢枕に、黒い衣に黒頭巾をまとった男が立ち、静かに問いかけた。
「私は昔、この地で酔い潰れて眠っていたところを、お前に不当に殺された者だ。酔っていたためお前の顔を覚えておらず、三年もの間、探しあぐねていた。今日、ようやくお前を見つけた。お前の命を貰い受けに来た。」
陳甲は恐怖に叫びながら目を覚ましたが、翌日、激しい腹痛に襲われ、亡くなったという。
邛都県の下に、貧しく孤独なひとりの老女がいた。彼女が食事をするたびに、どこからか頭に角のある小さな蛇が現れ、寝床の周りをうろつくのであった。老女はそれを憐れみ、食事を分け与えていた。
蛇は日ごとに大きくなり、ついには一丈を超えるほどにまで成長した。
さて、この地の県令は一頭の駿馬を所有していたが、ある日、蛇がその馬を吸い殺してしまうという事件が起きた。県令は激怒し、老女に蛇を差し出すよう命じた。老女は「蛇は寝床の下におります」と答える。県令はすぐに人をやって地面を掘らせたが、掘れば掘るほど穴は深く、広くなるばかりで、蛇の姿は見つからない。怒りの収まらぬ県令は、腹いせに老女を殺してしまった。
すると、蛇の霊が人に憑いて語りかけ、県令を激しく罵った。
「なぜ私の母を殺したのだ。必ずや、母の仇は討ってやる。」
この後、毎夜、雷鳴とも風の音ともつかぬ不気味な音が響き渡り、四十日ほどが過ぎた。ある日、町の百姓たちは互いの顔を見て驚き合った。「お前の頭には、どうして魚が乗っておるのだ。」その夜、城を中心とした四十里四方が、轟音とともに一瞬にして陥没し、広大な湖と化した。人々はこれを陥湖と呼んだ。しかし、かの老女の家だけは水に沈むことなく、今も湖の中にぽつんとその姿を残しているという。漁師たちは漁の際に必ずその家で夜を明かすが、荒れ狂う嵐の夜でさえ、その家のそばにいれば、不思議と波は穏やかになる。風が凪ぎ、水が澄んだ日には、湖の底に、かつての城郭や壮麗な建物がそのまま沈んでいるのが見えるという。水が浅い時には、土地の者が水に潜って古い木材を拾い上げるが、それは漆黒に光り輝き、堅く、今では好事家たちの間で枕として珍重されている。
因果の報いと、背負いし瘡
建業の都に、背に、まるで数斗入りの袋を負うたかのような、大きな瘤を抱えたひとりの婦人がいた。瘤の中には繭か栗のようなものが無数に入っており、歩くたびにからからと音がする。彼女は常に市に立ち、物乞いをして生計を立てていた。
彼女は、尋ねる者にこう語ったという。
「私はもと、村の女でした。いつも姉や義理の姉妹たちと分担して蚕を育てておりましたが、なぜか私だけが毎年うまくいかず、損をしてばかりでした。そこで私は、とうとう姉妹のひとりが育てた繭をこっそり盗み出し、焼き捨ててしまったのです。すると間もなく、背中に瘡ができ、それが日増しに膨らみ、このような瘤となってしまいました。これを服で覆うと息が詰まるほど苦しくなり、常にこうして晒していなければなりません。ですが、まるで袋を背負っているかのように重いのです。」
『捜神記』第二十巻要約
この巻は、「人ならざるものとの交流がもたらす、恩恵と災禍の物語集」と言えます。
中心となるテーマは「異類報恩譚」と、その裏返しである「因果応報」です。龍、虎、雀、蛇、亀、蟻といった動物や、時には螻蛄のような小さな虫に至るまで、人間が彼らに示した「仁愛」や「慈悲」に対し、彼らは不思議な力で恩返しをします。その恩恵は、恵みの雨や井戸、巨万の富を生む宝珠、子孫繁栄の約束、そして絶体絶命の危機からの救出など、人知を超えた奇跡として現れます。
一方で、人間が彼らの命を軽んじ、無慈悲な行いをした時には、その報いは容赦のない「祟り」や「災厄」となって返ってきます。一族の滅亡や突然の死、奇病など、その結末は極めて悲惨です。
つまりこの巻は、自然界のあらゆる命には霊性が宿っており、人間が彼らに対してどのような態度で接するかによって、自らの運命が大きく左右されるという、古代中国の自然観や道徳観を色濃く反映した寓話集なのです。
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各場面の魅力と恐怖心の深掘り
この巻に収められた物語は、それぞれ異なる魅力で読者の心を惹きつけます。
【不思議さと神秘を感じる場面】
楊宝と黄雀の物語: この話の白眉は、助けられた雀がただの鳥ではなく、「西王母の使い」を名乗る黄衣の童子に変身する点です。動物が神聖な存在の化身であるという設定は、物語に神秘的な奥行きを与えます。彼が授けた「四つの白い環」が、子孫の清廉潔白さと高位への出世を約束するという予言は、小さな善行が未来永劫にわたる壮大な祝福へと繋がる、夢のある不思議さを感じさせます。
隋侯の珠: 傷ついた蛇が、夜闇を月光のように照らす「明月珠」で恩返しをするという発想は、非常に幻想的です。自然界の生物が、人間社会の価値観を超える神秘的な宝物を生み出すという奇跡は、「自然の奥深さ」や「人知の及ばない世界の存在」を強く印象付けます。
【心温まる人情味あふれる場面】
義犬黒龍の忠義: この巻で最も胸を打つ場面です。燃え盛る炎の中、自らの命も顧みず、体を濡らして主人の周りの火を消し止め、力尽きて息絶える黒龍の姿は、種族を超えた究極の忠誠心と愛情の表れです。太守が「人にして恩を知らない者は、どうして犬に及ぼうか」と嘆き、手厚く葬る結末は、人間社会への痛烈な風刺であると同時に、その純粋な魂への深い敬意を感じさせ、涙を誘います。
虎に連れ去られた産婆: 獰猛な虎が、難産に苦しむ妻のために人間の産婆を「拉致」してくるという、ユーモラスでありながら切実な状況が印象的です。雌虎が苦悶の表情で助けを乞い、無事に出産を終えた後、産婆を家まで送り届け、獲物で恩返しをする姿には、万物共通の「母性」と律儀な「仁義」が感じられ、心温まる読後感を与えてくれます。
【恐怖心を煽られる場面】
猿の母子の悲劇: この物語の恐怖は、直接的な暴力描写ではなく、母猿の凄絶な悲しみにあります。子を目の前で殺され、悲しみのあまり「腸が寸寸に断裂して」死ぬという描写は、動物の情念の深さを読者に突きつけ、強烈な罪悪感と生理的な嫌悪感を抱かせます。その後の、男の一家が疫病で滅亡するという淡々とした結末が、かえって逃れられない祟りの恐ろしさを際立たせています。
虞蕩と人語を話す麈: 狩りの最中、射たはずの獲物が突如として人語を話し、自分の名を呼びながら呪いの言葉を吐く。「虞蕩よ!お前は私を射殺すのか!」という直接的なセリフは、日常と怪異の境界線が崩れる瞬間であり、背筋が凍るような恐怖を感じさせます。そして、その日のうちに死んでしまうという即効性の祟りは、自然の怒りに触れることの恐ろしさをシンプルに、しかし強烈に物語っています。
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物語の背景にある思想の検証
これらの物語は単なる空想話ではなく、当時の人々の思想や世界観を深く反映しています。
アニミズム(自然崇拝)思想: 物語の根底には、山川草木、鳥獣虫魚といった万物に霊魂が宿るとする「アニミズム」の思想があります。特に龍や蛇、虎は、天候を操ったり、神の使いであったりと、強大な霊力を持つ存在として畏敬の対象とされていました。物語は、人間が自然の一部であり、自然界の霊的な存在と共存しているという世界観を前提としています。
道教思想との結びつき: 楊宝の物語に登場する「西王母」や、仙人が住むとされる「蓬莱」は、不老不死や神仙の世界を追求する道教思想の重要な要素です。善行(徳を積むこと)によって、人間が神仙の世界と繋がり、恩恵を受けられるという考え方は、道教的な価値観が民間に広く浸透していたことを示唆しています。
因果応報という道徳律: 「善い行いをすれば善い報いがあり、悪い行いをすれば悪い報いがある」という因果応報の考え方は、この巻全体を貫く鉄則です。これは仏教思想の影響も考えられますが、それ以前から中国に根付いていた天命思想とも結びつき、民衆にとって分かりやすい道徳的な教訓として機能していました。命を救うという「善行」と、命を奪うという「悪行」の結果が対照的に描かれることで、物語は社会の倫理規範を補強する役割を担っていたのです。
これらの物語は、現代の我々から見れば奇想天外なものばかりですが、その奥には、自然への畏敬の念、命の尊さ、そして他者への慈悲の心という、時代を超えて普遍的なメッセージが込められていると言えるでしょう。




