第十八巻:怪異の正体と変幻の術
『神木、妖狐を照らす図』
夜の帳が深々と下りた晋の都。司空・張華の屋敷の一室は、息を呑むほどの静寂と、張り詰めた気に満ちている。外の警護は厳重で、風の音すらも侵入をためらうかのようだ。
部屋の中央には、玉のように美しかったはずの書生の姿がある。しかし、その顔からは血の気が失せ、かつての風雅な余裕は見る影もない。彼の瞳には、これまでひた隠しにしてきた千年の孤独と、獣の本性が不安げに揺らめいている。
対峙するのは、泰然自若と座す張華と、その傍らに控える雷煥。彼らの視線はただ一点、今まさに燃え上がらんとする一振りの木片に注がれている。
それは、燕の昭王の墓前に千年の風雪を耐え抜いた神木、「華表」の一部。
使いの者が持ち帰ったその木片に火が点けられた瞬間、室内の空気は一変する。パチリ、と乾いた音を立てて爆ぜた炎は、尋常の灯火とは明らかに異なっていた。それは、ただ闇を払う光ではない。偽りを焼き、真実を炙り出す、清冽にして峻烈な光であった。
立ち上る煙は、白檀とも古木ともつかぬ、荘厳な香りをあたりに漂わせる。その煙が、まるで意思を持つ生き物のようにゆるやかに流れ、書生の足元にまとわりつく。
雷煥が、震える手でその燃える木片を書生に差し向けた。
――その刹那。
神木の光が書生の顔を射抜くと、彼の絹のように滑らかだった肌に、獣の毛並みが黒い影となって浮かび上がった。端正な鼻梁は低く、鋭く前方へと突き出し、理知的に言葉を紡いだ唇は、無言のまま大きく裂けていく。優美に整えられていた指は鉤爪のように固く曲がり、着物の袖の中で苦悶にわなないている。
「あ……」
それは、もはや人の声ではなかった。喉の奥から絞り出された、獣の喘ぎ。彼の全身を包んでいた人の形という器が、内側からあふれ出す強大な妖力に耐えきれず、音を立てて崩壊していくようだ。
影が伸びる。光に照らされて壁に映る影は、もはや優雅な書生のものではなく、耳を立て、背を丸め、太い尾を戦慄かせる一匹の巨大な狐の姿を、くっきりと描き出していた。
張華は、その凄絶な変容の一部始終を、瞬きもせず、ただ静かに見据えている。彼の瞳に映るのは、恐怖ではない。千年の時を経て巡り合った、大いなる知恵と大いなる妖異への、深淵なる探求心そのものであった。
【しおの】
財を告げる妖と狐の報復
魏の景初年間(237年~239年)のこと。咸陽県の、ある役人の家で奇妙な出来事が続いておりました。夜のしじまを破り、どこからともなく手を叩いて呼び合う声が響くのです。しかし、いかに目を凝らせど、その姿は見えません。
ある夜、その家の母親が夜なべ仕事の疲れから、うとうとと枕元でまどろんでおりました。するとまた、竈の奥から声がします。「文約はまだ来ないのか」。驚いたことに、今度は頭の下の枕が応えました。「私は枕にされて動けぬ。お前の方からこちらへ来て、共に一献やらぬか」。夜が明けてから確かめてみると、枕と思われたそれは、日頃から飯をよそうのに使っている木製の飯匙ではありませんか。家人はすぐさまそれらを集めて燃やし尽くすと、不思議な声はぴたりと止んだということです。
魏郡に張奮という男がおりました。かつては大変な資産家でしたが、にわかに家運が傾き、財産も底をついたため、屋敷を程応という人物に売り渡しました。ところが、程応が移り住むと、今度は家族が次々と病に倒れたため、隣人の阿文に再び転売したのです。
阿文はまず、たった一人で大刀を手に、夜更けを待って北堂の梁の上に身を潜めました。夜が三更を過ぎた頃、突如として、背丈が丈余り(約2・3メートル)もある大男が広間に現れました。高い冠を戴き、黄色い衣をまとっています。男は「細腰」と呼びかけ、声に応じて「はい」と返事がありました。男が「この家に、どうして生きた人間の気配がするのだ」と問うと、細腰は「そのようなことはございません」と答え、姿を消しました。
間もなく、今度は青い衣の男が、続いて白い衣の男が現れましたが、いずれも先の問答と同じ言葉を交わすだけでした。
夜が明けようとする頃、阿文は梁から静かに降り立ち、先ほどと同じように「細腰」と呼びかけました。そして、その正体を問いただします。「あの黄衣の者は何者だ」。細腰は答えました。「あれは金です。堂の西壁の下におります」。「では、青衣の者は?」「銭です。堂の前の井戸から五歩の所におります」。「白衣の者は?」「銀です。塀の東北の角、柱の下です」。「して、お前は何者なのだ」「私は、米を搗くための杵でございます。今は竈の下におります」。
夜が明けるやいなや、阿文は教えられた場所を掘り進め、果たして金銀五百斤、銭千万貫という莫大な財宝を手に入れました。そして、竈の下から杵を探し出して焼き払うと、屋敷は清らかで安寧な場所へと変わりました。阿文はこうして、たちまち大金持ちになったと伝えられています。
梓の木の神と青牛の退治
秦の時代、武都の古道に怒特祠という祠があり、その境内には一本の梓の木がそびえ立っていました。秦の文公二十七年、人を遣わしてこの木を伐らせましたが、斧を振り下ろすたびに大風雨が巻き起こり、木についた傷はたちどころに塞がってしまいます。幾日経っても、木を切り倒すことはできませんでした。
文公はさらに兵を増やし、斧を持つ者を四十人にまでしましたが、それでも木はびくともしません。兵士たちが疲れ果てて休んでいると、足を怪我して動けぬ一人の兵が、樹の下で横になっていました。その時、彼は鬼が木神に話しかける声を耳にしたのです。
「伐られてお疲れでしょうな」。木神の従者が答えます。「このくらい、何でもないわ」。鬼は重ねて尋ねました。「秦公は諦めぬおつもりですぞ。いかがなさいますか」。「秦公などに、私をどうすることができようか」。鬼はなおも食い下がります。「もし、秦が三百人の兵に髪を振り乱させ、朱色の糸で木を巻かせ、赭色の衣をまとって灰を撒きながら伐らせたなら、さすがに困るのではありますまいか」。木神はこれを聞くと、黙り込んでしまいました。
翌日、怪我をした兵士は聞いたことをありのまま文公に告げました。公は早速、兵士たちに赭色の衣を着せ、斧で傷をつけるたびに灰を撒きながら伐らせました。すると、ついに大木は切り倒されたのです。その瞬間、木の中から一頭の青い牛が現れ、猛然と豊水の中へと逃げ込みました。
その後、青い牛は時折豊水から姿を現し、秦は騎兵を差し向けて討伐を試みましたが、歯が立ちません。ある時、一人の騎兵が馬から落ち、再び乗ろうとした拍子に髻が解け、髪がざんばらになりました。すると、牛はその姿をひどく恐れたのか、水の中へ深く潜り、二度と現れることはありませんでした。この故事にちなみ、秦では髪を振り乱した騎兵隊を設けたと言われています。
樹神の恩恵と木の怪異
廬江の龍舒県、陸亭を流れる水辺に、高さ数十丈はあろうかという大木が立っていました。そこには常に数千羽もの黄鳥が巣を作り、木の上にはいつも黄色い気が立ちこめておりました。ある年、長い日照りが続いたため、村の長老たちは語り合いました。「あの木にはいつも黄色い気が立ちこめている。何か神霊が宿っておられるに違いない。ひとつ、雨乞いをしてみようではないか」。人々は酒と乾し肉を携え、亭へと向かいました。
その村に、李憲という名の寡婦がおりました。ある夜、彼女が目を覚ますと、部屋の中に刺繍の衣をまとった婦人が忽然と現れ、自らを「樹の神、黄祖である」と名乗りました。
「私は雲を呼び、雨を降らせることができる。そなたは潔白な心根の持ち主ゆえ、力を貸して暮らしを助けてやろう。今朝、父老たちが雨乞いに来ておったな。私はすでに天帝にお願いしてある。明日の日中には、大雨が降るであろう」。約束の日になると、果たして天から沛然と大雨が降り注ぎました。人々は深く感謝し、彼女のために祠を建てたのです。
樹神は再び李憲に語りかけました。「皆が集まっておるゆえ、水辺に住む私から、ささやかながら鯉を届けよう」。言い終わるが早いか、数十匹の鯉が堂の下に躍り集まり、その場にいた者たちは皆、驚き恐れました。こうして一年余りが過ぎた頃、樹神は告げました。「間もなく大きな戦が起こる。私はここを去らねばならぬ」。そして一つの玉環を残し、「これを持っていれば、災いを避けられるであろう」と言いました。後に、劉表と袁術が龍舒で戦を始めると、住民は皆、難を逃れて避難しましたが、不思議なことに李憲の里だけは戦火に見舞われなかったということです。
魏の桂陽太守であった張遼、字を叔高は、鄢陵を離れ、故郷で田を買い求めました。その田の中に、十数抱えもある巨大な木があり、その枝葉は数畝もの土地を覆っていましたが、その下では穀物が実りませんでした。叔高は下僕に命じて伐らせましたが、斧を数回振り下ろすと、六、七斗もの赤い汁が流れ出たため、下僕たちは恐れおののき、主人に報告しました。叔高はそれを聞くと、怒りを露わにしました。「木が古いから汁が赤いだけのこと。何を怪しむことがあるか」。そう言うと、自ら身なりを整え、斧を手に取り、木に向かいました。
すると、鮮血が大量にほとばしります。叔高がまず枝を伐らせると、その空洞から、白髪の老人のような、背丈四、五尺ほどの怪物が飛び出し、叔高に襲いかかってきました。叔高は刀で迎え撃ち、次々と現れる怪物を四、五匹、すべて斬り殺してしまいました。
周りの者たちは恐怖に震え、地に伏していましたが、叔高は心穏やかに、普段と何ら変わりありません。彼はゆっくりと怪物を観察しましたが、それは人でも獣でもない、異様な姿でした。そして、ついにその木を伐り倒したのです。これこそが、古より伝わる木石の怪、夔や魍魎というものでありましょうか。この年、叔高は司空に推挙され、侍御史、兗州刺史という二千石の重職を得ました。故郷を通り過ぎる際には、祖先を祀り、白昼に晴れやかな刺繍の衣をまとってその栄誉を示しましたが、他に何の怪異も起こらなかったということです。
呉の先主、孫権の時代。陸敬叔が建安太守であった頃のことです。彼が人に命じて大きな樟の木を伐らせたところ、数度斧を入れただけで、突如として血が流れ出しました。木が倒れると、人の顔に犬の体を持つ怪物が木の中から飛び出してきました。敬叔は言いました。「これは『彭侯』というものだ」。そして、それを捕らえて煮て食べたところ、その味は犬のようであったといいます。『白沢図』には、「木の精を彭侯と名付け、姿は尾のない黒犬のようである。これを煮て食べることができる」と記されています。
また呉の時代に、巨大な梓の木がありました。その幹はあまりに太く、葉は一枚が一丈余りもあり、垂れ下がる枝は数畝もの広さに及んでいました。呉王がこの木を伐って船を造らせた際、三十人の童男童女に船を牽引させました。すると、船はひとりでに水面へと滑り降りましたが、哀れにも、童男童女は皆、淵に引きずり込まれ溺れ死んでしまいました。今でもその淵の底からは、時折、船を督促するかのように「漕げ、進め」という声が聞こえてくるということです。
狐狸の化生と心の魔
董仲舒が帷を下ろして講義をしていた時のことです。一人の客人が訪ねてきました。仲舒は、その客がただ者ではないことを見抜いていました。客人が「雨が降るでしょう」と言ったので、仲舒は戯れるように尋ねました。
「巣に住む鳥は風を知り、穴に住むものは雨を知る、と申します。さて、卿は狐でありましょうか、それとも野鼠でありましょうか」。
その言葉が終わるやいなや、客人はたちまち一匹の老いた狸に姿を変えてしまいました。
張華、字を茂先は、晋の恵帝の時代に司空の位にあった人物です。その頃、燕の昭王の墓の前には、斑模様の狐が長年住み着いており、自在に変化する術を身につけていました。狐は一人の書生に化け、張華を訪ねようと思い立ちました。
狐はまず、墓の前に立つ石の柱に尋ねました。「私の才知と容貌があれば、張司空にお会いすることができるだろうか」。
柱は答えました。「お前の才能は実に素晴らしい。会うこと自体は難しくないだろう。しかし、張公の知恵は深く、お前の術で籠絡するのは至難の業だ。もし行けば、必ずや辱めを受け、二度と戻れぬやもしれぬ。お前の千年の修練を無にするばかりか、この老いた柱にまで累を及ぼすことになるぞ」。
狐は忠告に耳を貸さず、名刺を携えて張華を訪ねました。張華は、その少年の風流な立ち居振る舞い、玉のように清らかで美しい容貌に感心し、彼を大いにもてなしました。
やがて話が文章のことに及ぶと、少年は声の響きや言葉の選び方について、張華がこれまで聞いたこともないような深い考察を披露します。さらに三史を論じ、百家の思想を探求し、老荘の奥義を語り、詩経の真髄を解き明かしました。その弁舌は、十人の聖人の教えを包み込み、天地人の三才を貫き、八儒の誤りを指摘し、五礼の要点を明らかにするほどです。さすがの張華も、その議論に応じることができず、言葉に詰まってしまいました。
張華は嘆息して言いました。「天下にこのような少年がいようとは。もしや、これは鬼魅か、さもなくば狐狸の類ではあるまいか」。
彼はすぐに寝台を整えさせて客として留め置き、人に見張りを命じました。書生は言います。「明公(張華)は賢者を尊び、多くの人々を受け入れるべきです。善を褒め、不能を憐れむのが為政者の道。どうして他人の学問を憎むのですか。墨子が説いた兼愛の教えに、その態度は反するのではございませんか」。
言い終わると、書生は退出を求めましたが、張華はすでに門に人を配しており、出ることはできません。やがて書生は再び張華に言いました。「公の門には物々しく兵が配され、私を疑っておられるご様子。これでは、天下の人々は口を閉ざし、知恵ある士は門前を通り過ぎるばかりとなるでしょう。明公のため、深く憂うる次第です」。
張華は答えず、ただ警護を一層厳重にするばかりでした。
その頃、豊城の県令であった雷煥、字を孔章という博識の人物が張華を訪ねてきました。張華が書生の件を話すと、雷煥は言いました。「もしやとお疑いでしたら、猟犬を呼んで試されてはいかがでしょう」。
そこで犬に試させましたが、狐は全く恐れる様子がありません。そして言いました。「私は生まれながらの才智を持つ者。それを妖魔と見なし、犬で試すとは。たとえ千度、万度試されようとも、それで私を害することなどできはしますまい」。
これを聞いた張華は、さらに怒りを募らせて言いました。「これは間違いなく本物の妖魔だ。魑魅は犬を嫌うと聞くが、それは数百年程度の怪異に限る。千年の老精ともなれば、もはや犬では見分けられぬ。しかし、千年の枯木で照らせば、その正体はたちまち明らかになるはずだ」。
雷煥は言いました。「千年の神木など、いかにして手に入れられましょうか」。
張華は答えました。「世に伝わるところによれば、燕昭王の墓前にある華表の木は、すでに千年を経ているという」。
そこで、人を遣わしてその華表を伐らせました。使いの者が木のもとに着くと、空中から青い服を着た少年が現れ、尋ねました。「君はなぜここへ来たのか」。使いの者は答えます。「張司空のところに一人の少年が訪ねており、才能豊かではあるが、妖魅ではないかと疑われております。その正体を暴くため、この華表を伐って照らすよう命じられました」。
青衣の少年は言いました。「あの老狐め、愚かにも私の忠告を聞き入れなかったばかりに、今日、禍が私にまで及んでしまった。もはや逃れる術はない」。そう言うと、声を上げて泣き出し、かき消すように姿を消しました。
使いの者が木を伐ると、深い切り口から血が流れ出ました。急いでその木を持ち帰り、火を点けて書生を照らすと、そこには一匹の斑模様の狐がいるばかりでした。張華は言いました。「この二つの宝(華表の木と狐の千年修行)は、私に出会わなければ、千年の時を経ても手に入ることはなかっただろう」。そして、その狐を煮て食べたということです。
悲劇の親子
晋の時代、呉興に王という姓の士人がおりました。彼には二人の息子がおり、日々、田仕事に励んでいました。ある時から、息子たちは時折、父が野にやって来ては、彼らを罵り、追い立てるのを見るようになりました。息子たちが母にそのことを告げると、母は夫に尋ねましたが、夫はひどく驚き、それが鬼魅の仕業であると悟りました。
夫は息子たちに、次にその怪異が現れたら斧で討つようにと命じました。それ以来、偽りの父は現れなくなりました。しかし、本当の父は、息子たちが鬼に襲われはしないかと案じ、自ら田の様子を見に行きました。ところが息子たちは、またしても鬼が父に化けて現れたのだと思い込み、あろうことか、そのまま実の父を殺し、地に埋めてしまったのです。
鬼(狸)はすぐさま家に戻り、何食わぬ顔で父の姿になりすまして暮らし始めました。そして家族には、二人の息子が妖を退治したのだと語ったのです。息子たちが夕暮れに帰宅すると、家族は皆で喜び合い、誰もがそのことに気づかぬまま、何年もの歳月が過ぎていきました。
後年、ある法師がその家を通りかかった折、二人の息子に言いました。「あなた方の父上には、大きな邪気が漂っておられる」。息子たちが父に告げると、父は激しく怒り出しました。息子たちはそれを法師に伝え、すぐに立ち去るよう促しました。
しかし法師は、声を上げながら部屋へ踏み込みました。すると、父はたちまち巨大な老狸の姿に変わり、寝台の下へ逃げ込みましたが、ついに捕らえられ、殺されました。
その時になって、息子たちはようやく、以前自分たちが殺めた者こそが、本物の父であったことを知ったのです。彼らは改めて遺体を丁重に埋葬し、喪に服しました。一人の息子は自責の念に苛まれて自ら命を絶ち、もう一人の息子も、深い悲しみと悔恨のうちに亡くなったということです。
狸の怪異と化けた猪
句容県の麋民里に住む黄審が、田を耕していた時のことです。一人の婦人が彼の田を通りかかり、畦道を渡って東へ行き、またしばらくすると戻ってくる、ということがありました。黄審は初め、ただの通りすがりの人間だと思っていましたが、毎日同じことが続くので、次第に不思議に思うようになりました。
ある日、黄審は尋ねました。「奥方、あなたはどこからおいでなさるのですか」。婦人は少し足を止めましたが、ただにこりと笑うだけで何も言わず、そのまま去っていきました。これで黄審の疑念は、ますます深まりました。
彼はあらかじめ長い鎌を用意し、婦人が戻ってくるのを待ち受けました。そして、婦人本人ではなく、彼女に付き従っていた供の女に斬りつけたのです。すると、婦人は一匹の狸に化けて逃げ去りました。斬りつけられた供の女をよく見ると、それは狸の尾ではありませんか。黄審は後を追いましたが、追いつけませんでした。後に、この狸が穴から出てくるのを見た者がおり、その穴を掘ってみると、果たして尾のない狸がいたということです。
博陵の劉伯祖は、河東太守の職にありました。彼が滞在する建物の天井裏には、人の言葉を話す神が住み着いており、常に伯祖に話しかけては、都からの知らせなどを事前に告げてくれました。
伯祖が神に「何を召し上がるのか」と尋ねると、神は羊の肝を欲しがりました。そこで目の前で羊の肝を買い求め、切り刻んでいくと、不思議なことに、刀で切るそばから肉が見えなくなってしまいます。羊二頭分の肝がなくなったその時、突如として、一匹の片目の老狸が机の前に現れました。刀を持っていた者がそれを斬ろうとしましたが、伯祖は制しました。狸は自ら天井裏へと戻っていきました。
しばらくして、天井裏から大きな笑い声が聞こえてきました。「いやはや、先ほどは羊の肝で酔ってしまい、うっかり姿を現して府君(伯祖)にお目にかかってしまった。実にお恥ずかしい限りだ」。
後に伯祖が司隷に任命されることになった時も、神は再び彼に予言しました。「何月何日には、詔書が届くであろう」。その日になると、言葉通りに知らせが届きました。伯祖が司隷府に移ると、神もそのまま天井裏に留まり、役所の内部事情をことごとく語って聞かせました。
伯祖は次第に恐ろしくなり、神に言いました。「私は今、高貴な方々を監察する職にある。もし彼らが、神がここにいると知れば、そのために私を害するやもしれぬ」。神は答えました。「誠に、府君のご懸念の通りです。これにてお別れいたしましょう」。そう言うと、その声はぷっつりと途絶え、二度と聞こえることはありませんでした。
後漢の建安年間、沛国の陳羨は西海都尉の職にありました。彼の部下である王霊孝が、理由もなく持ち場から逃亡しました。陳羨は彼を処罰しようとしましたが、間もなく、王霊孝は再び姿をくらませてしまいます。陳羨が彼を見つけられずにいると、彼の妻を捕らえ、尋問しました。妻は正直に事情を話しました。
陳羨は言いました。「これはきっと、物の怪にでも連れ去られたのだろう。探さねばなるまい」。そこで、歩兵と騎兵数十人を率い、猟犬を連れて城外を捜索しました。すると、果たして、王霊孝が空の墓の中にいるのが見つかりました。人や犬の気配に気づいたのか、怪異は彼を置いて去っていきました。
陳羨が人をやって王霊孝を連れ帰らせると、彼の姿はどこか狐に似ており、人との受け答えもままならず、ただ「阿紫、阿紫」と泣き叫ぶばかりでした。「阿紫」とは、彼を誘惑した狐の名です。十数日が経って、彼は少しずつ意識を取り戻しました。
彼は語りました。「狐が初めて現れた時、それは家の隅の鶏小屋のそばで、美しい婦人の姿をしておりました。自らを阿紫と名乗り、私を誘うのです。そのようなことが幾度かあり、私はいつしか彼女について行き、妻としました。夜になると、彼女は私を家に連れ帰ってくれましたが、犬に会っても気づかぬほど、私は夢中でした。あれは、この上ない楽しみでありました」。それを聞いた道士は言いました。「それは山に棲む魅の仕業であろう」。
『名山記』には、「狐とは、古の淫らな婦人の化身であり、その名を阿紫という。化けて狐となった」とあります。ゆえに、この手の怪異は、しばしば自らを阿紫と名乗るのです。
南陽の西の郊外に一つの亭(宿場)がありましたが、そこに泊まる者は必ず災いに遭い、命を落とすと言われていました。邑人の宋大賢は、正道をもって身を修める人物であったため、あえてその亭の二階に泊まることにしました。夜、彼はただ静かに座って琴を弾き、武器は何も用意しませんでした。夜半を過ぎた頃、突然、鬼が梯子を登ってくる音がし、大賢に話しかけてきました。鬼は目を剥き、歯を軋ませ、その形相は恐ろしく醜悪でしたが、大賢は顔色一つ変えず、琴を弾き続けました。
鬼は一度去り、今度は市場から死人の頭を持って戻ってきました。そして大賢に言います。「少し眠らせてもらってもよろしいかな」。そう言って、死人の頭を大賢の前に投げつけました。大賢は言いました。「それは結構。夜寝るのに枕がなく、ちょうど良いものが欲しかったところだ」。鬼はまたしても去っていきました。
しばらくして戻ってきた鬼は、言いました。「私と素手で組み合ってみないか」。大賢は「よろしい」と答えました。その言葉が終わらぬうちに鬼が飛びかかってきたので、大賢は逆にその腰を掴み、締め上げました。鬼はただ「死ぬ、死ぬ」と叫び続けるばかりです。大賢はついに鬼を殺しました。翌朝、改めて見てみると、それは一匹の老狐でした。これ以来、この亭舎に怪異が起こることは二度とありませんでした。
北部督郵の西平の人、到伯夷は、三十歳ほどで、才能と決断力に優れた人物でした。長沙太守であった到若章の孫にあたります。
ある夕暮れ時、彼は一つの亭に到着し、先導の者に「ここで宿をとる」と命じました。従者の役人が「まだ日も高いので、次の亭まで行けます」と進言しましたが、伯夷は「文書を作成したい」と言い、そこに留まりました。役人たちは怯え、「夜になったら退去すべきです」と口々に言いました。
伝令が「督郵殿が楼上から見張りをしたいとのことだ。急いで掃除せよ」と告げました。間もなく、伯夷は楼上へと登ります。まだ日が暮れきらないうちに、楼の階段の下で再び火を点けるよう命じましたが、伯夷は「私は道を思索している。火を見ると集中できぬ。消せ」と命じました。役人たちは、今宵必ず何か異変が起こると察し、備えていた灯火を壺の中に隠しました。
日が完全に暮れると、伯夷は身なりを整えて座り、六甲、孝経、易経の本文を暗唱し終えてから、静かに横になりました。しばらくして、彼は東枕に寝返りを打ち、頭巾と手ぬぐいを両足に結びつけました。そして密かに剣を抜き、帯を解いて待ち構えました。
夜半、黒く、四、五尺ほどの背丈の者が、少しずつその姿を高くしながら、柱の側を歩き、伯夷の上に覆いかぶさってきました。伯夷は素早く布団を掴んでそれに被せ、はずみで足が滑って危うく落ちそうになりましたが、体勢を立て直すと、剣の帯で物の怪の足を打ちつけ、「火を点けろ!」と叫びました。
灯火で照らして見ると、そこにいたのは一匹の老狐で、全身が真っ赤で、毛皮がほとんどない異様な姿でした。彼らはそれを捕らえて焼き殺しました。翌朝、楼の部屋を掘り返してみると、彼らが人に化けるために集めたのであろう、人々の髷が百余りも見つかったということです。これ以来、その亭に怪異は二度と起こりませんでした。
狐と狸の正体
呉の国に、白髪の書生がおり、自らを「胡博士」と名乗って、多くの生徒に学問を教えていました。しかし、ある時、忽然と姿を消してしまいました。九月九日、士人たちが山に登って景色を楽しんでいると、どこからか講義をする声が聞こえてきます。従者に命じて探させると、空の墓の中に狐の群れが並んでおり、人の姿を見ると皆逃げ去りましたが、一匹の老狐だけが逃げずに残っていました。それこそ、あの白髪の書生であったのです。
陳郡の謝鯤は、病と称して官職を辞し、戦乱を避けて豫章に身を隠していました。彼はかつて、泊まる者は必ず殺されるという噂の空亭で夜を明かしたことがあります。夜中の四更頃、黄色い衣の男が現れ、謝鯤の字を呼んで言いました。「幼輿よ!戸を開けてくれ」。
謝鯤は少しも恐れることなく、窓から腕を出すように命じました。黄衣の男が腕を差し出したので、謝鯤は力の限りそれを引っ張りました。すると、その腕は体から外れてしまいました。男はそのまま去っていきました。翌日、改めて見てみると、それは鹿の腕でした。血の跡を辿って怪異の正体を突き止めると、それ以来、この亭に怪異は二度と起こらなかったということです。
晋の時代、王という姓の士人が呉郡に家を持っていました。ある時、曲阿へ帰る途中、日暮れになったため、船を大きな堰のそばに停めました。堰の上に、十七、八歳の娘が一人でいたので、彼は娘を呼び、船に泊まるよう誘いました。夜が明けると、彼は金の鈴を娘の腕に結びつけ、人を使って家まで送らせました。しかし、娘の家には誰も女性はいませんでした。
不審に思った彼が、豚小屋の中を覗いてみると、なんと、母豚の腕に金の鈴が結びつけられているではありませんか。
狐と犬の化け物
漢の斉の人、梁文は、道術を好む人物でした。彼の家には神の祠があり、三、四間の部屋を建て、座の上に黒い帳を設けていました。神は常にその中にいるとされ、十数年が経ちました。ある祭事の際、帳の中から突然人の声がして、自らを「高山君」と名乗りました。この神は大いに飲み食いし、病を治すのに霊験あらたかであったため、梁文は恭しく仕えていました。
数年後、梁文は帳の中に入ることを許されました。その時、神はひどく酔っており、梁文が「どうかお顔を拝見させてください」と懇願しました。神は「手を出せ」と言ったので、梁文が手を差し出すと、神は彼の顎を掴みました。その髯は非常に長く、豊かなものでした。梁文は、徐々にその髯を手の中に巻きつけていくと、突然、力を込めてぐいと引っ張りました。すると、羊の鳴き声が聞こえたのです。座にいた人々が驚き立ち上がり、梁文を助けて引っ張ると、帳から引きずり出されたのは、かつて袁術の家からいなくなり、七、八年も探されていた羊でした。それを殺すと、怪異はぴたりと絶えたということです。
北平の田琰は、母の喪に服し、常に質素な廬に住んでいました。ある夜、彼は突然、妻の部屋に入ってきました。妻は「あなたは今、喪中の身。どうしてこのようなことを」と怪しみましたが、田琰は聞く耳を持たず、妻と交わりました。
その後、田琰が一時的に廬を離れた際、妻に何も告げませんでした。妻は夫が何も言わないのを不審に思い、以前の出来事を責めました。そこで田琰は、あれが鬼魅の仕業であったと悟りました。その夜、彼は寝ずに待ち構え、喪服を廬に掛けておきました。
しばらくすると、一匹の白い犬が現れ、廬を揺さぶり、喪服を咥えると、そのまま人の姿に化け、それを着て部屋に入ろうとしました。田琰はその後を追い、犬が妻の寝台に上がろうとするのを見て、それを打ち殺しました。しかし妻は、その恥と悔しさのあまり、自ら命を絶ってしまいました。
狐、狸、サソリの化け物
司空の職にあった南陽の来季徳は、亡き父の棺を安置していました。すると突然、死んだはずの父の姿が現れ、祭壇に座ったのです。その顔色、服装、声は、生前と寸分違わぬものでした。孫や妻や娘たちに、順々に教えを説き、その内容は理路整然としています。奴婢を鞭打つ時も、必ずその過ちを的確に指摘しました。飲食を一切断つと、別れを告げて去っていきます。家族は皆、悲しみに暮れ、その魂を削られる思いでした。
このようなことが数年間続いたため、家族は次第に疲弊していきました。ある日、偽りの父が酒を飲みすぎて酔うと、ついにその正体を現しました。それは、ただの老犬でした。家族は皆でこれを打ち殺しました。後に尋ねると、それは村の酒屋で飼われていた犬であったということです。
山陽の王瑚、字を孟璉は、東海蘭陵の尉でした。ある夜中、突然、黒い頭巾に白い単衣をまとった役人が、役所の門を叩いて訪ねてきました。しかし、迎えに出ると、忽然と姿を消してしまいます。このようなことが、数年も続きました。
後に見張っていると、一匹の老犬が、その白い体を隠すことなく門に来ると、たちまち人の姿に化けるではありませんか。孟璉はそれに気づき、犬を殺すと、怪異はぴたりと絶えました。
桂陽太守の李叔堅が従事であった頃、彼の家に一匹の犬がいました。その犬が人のように二本足で歩いたため、家族は「不吉です。殺すべきだ」と言いました。しかし叔堅は言いました。「犬や馬は、君子に喩えられることもある。犬が人の歩き方を真似たからとて、何が悪いというのか」。
しばらくして、犬が叔堅の冠を被って走ったため、家族は大いに驚きました。叔堅はまた言いました。「誤って冠の紐に引っかかっただけだろう」。犬はまた、竈の前で火の番をするかのように、火を蓄えました。家族はますます驚愕しましたが、叔堅は言いました。「子供たちや下女は皆、田に出ておる。犬が火の番を助けてくれているのだ。近隣に迷惑をかけずに済む。これに何の悪があろうか」。数日後、犬は自ら病で死にました。それ以来、何の異変もなかったということです。
呉の国に、上湖大陂という大きな堤防がありました。堤防の役人である丁初天は、大雨が降るたびに堤防の周囲を見回るのが常でした。ある春の激しい雨の中、初天が堤防を歩いていると、日が暮れる頃、ふと振り返ると一人の婦人が立っていました。上下ともに青い衣をまとい、青い傘を差し、後ろから「初掾どの、お待ちください」と呼びかけます。
初天は一瞬足を止め、待とうかと思いましたが、元よりこの辺りで人影など見ていなかったこと、そして今、突然、雨の中に女が一人で歩いていることから、これは鬼物ではないかと疑いました。初天は急いで走り去りました。振り返ると、婦人も急いで追ってきます。初天が必死に走ると、婦人は追いかけるのを諦め、そのまま堤防から陂の中へ身を投げました。水面に波紋が広がり、衣と傘が飛散しました。よく見ると、それは大きな青い獺であり、衣と傘はすべて蓮の葉でできていたのです。この獺は、人に化けては、長年にわたり若い男を誘惑していたということです。
魏の斉王芳の正始年間のこと。中山の王周南が襄邑の長官であった時、突然、鼠が穴から出てきて、広間の上で語り始めました。「王周南よ!お前は何月何日に死ぬであろう」。周南は公務に忙しく、応答しませんでした。鼠は穴に戻っていきました。
予告の日になると、再び鼠が現れました。今度は冠を被り、黒い衣をまとっています。「周南よ!お前は正午に死ぬであろう」。周南はやはり応答しません。鼠は再び穴に入りましたが、しばらくするとまた出てきて、同じことを何度も繰り返しました。
正午になった時、鼠は再び言いました。「周南!お前が死なぬとあらば、私に言うべきことはもうない!」。そう言い終わると、ばたりとひっくり返って死んでしまいました。その冠や衣はすぐに消え、よく見れば、それはごく普通の鼠と何ら変わりありませんでした。
安陽城の南に一つの亭がありましたが、夜に泊まると必ず人が殺されると噂されていました。ある書生が術数に明るかったので、あえてそこに泊まることにしました。村人が「ここは泊まってはいけません。以前泊まった者は誰も生きて帰ってこないのです」と忠告すると、書生は言いました。「ご心配なく。私自身で解決いたしましょう」。
彼は役所の一室に宿をとり、座って書物を朗読し続け、夜が更けてようやく休みました。夜半を過ぎた頃、黒い単衣を着た男が戸外に来て、亭主を呼びました。亭主が「はい」と応じると、男は「亭の中に人がいるか」と尋ねます。亭主は「先ほど書生がここで本を読んでおりましたが、今は休んでおります。しかし、まだ寝入ってはおらぬようです」と答えました。男はため息をついて去っていきました。
しばらくして、今度は赤い頭巾を被った男が来て、同じように亭主を呼びました。問答は前と全く同じでした。男もまたため息をついて去っていき、あたりは静寂に包まれました。
書生は、もう誰も来ないことを悟ると、静かに起き上がり、先ほど呼ばれていた場所へ行って、亭主を呼びました。亭主が応じると、書生は尋ねました。「亭の中に人がいるか」。亭主は前と同じように答えました。書生は重ねて尋ねます。「先ほど黒い衣を着て来たのは誰だ?」。亭主は言いました。「北の家の母豚です」。「では、赤い頭巾を被って来たのは?」「西の家の老いた雄鶏です」。「して、お前は何者なのだ?」「私は、この亭に住まう老いたサソリでございます」。
それを聞くと、書生は密かに書物を暗唱し、夜が明けるまで一睡もしませんでした。
夜が明けると、亭の住民が見に来て、驚いて言いました。「どうしてあなた様だけご無事なのですか」。書生は言いました。「早く剣を持ってきなさい。私があなた方のために、物の怪を捕らえてしんぜよう」。彼は剣を握り、昨夜応対のあった場所へ行くと、果たして琵琶ほどの大きさもある老いたサソリがいました。その毒針は数尺もの長さです。彼はさらに西の家で老いた雄鶏を、北の家で老いた母豚を捕らえ、三つの生き物をすべて殺しました。すると、亭の怪異は静まり、二度と災いが起こることはありませんでした。
呉の時代、廬陵郡の都亭の二階建ての建物には、常に鬼魅がおり、そこに泊まる者は必ず死ぬと言われていました。そのため、役人は誰も亭に泊まろうとはしませんでした。
丹陽の湯応という男は、非常に大胆で武勇に優れた人物でした。彼が廬陵に使者として来た時、あえてその亭に泊まりました。役人は泊まるべきではないと進言しましたが、湯応は聞かず、従者を外へ帰らせると、大きな刀だけを手に、一人で亭の中に座っていました。
夜中の三更、突然、戸を叩く音が聞こえました。湯応が遠くから「誰だ」と尋ねると、相手は「部郡の使者でございます」と答えます。湯応は中へ入るよう命じました。使者は言葉を伝えて去っていきました。しばらくすると、また同じように戸を叩く者がいます。「府君がお目通りを願っております」と言うので、湯応はまた中へ入るよう命じました。
現れたのは黒い服を着た男でした。彼が去った後も、湯応はまだ人間だと信じて疑いませんでした。しかし、すぐにまた戸を叩く者がいて、「部郡と府君が共に参上いたします」と言うので、湯応はさすがに疑いました。「まだ夜中だというのに、部郡と府君が一緒に行動するなど、どうにもおかしい」。鬼魅の仕業だと悟り、刀を手に取って迎えました。
二人は共に立派な服を着て入ってきました。座って話をしていると、府君が話し終わらないうちに、部郡が突然立ち上がり、湯応の背後へ回り込もうとしました。湯応は振り返りざま、刀で迎え撃ち、それを打ち据えました。府君は席を立って逃げ出します。湯応は急いで亭の後ろの塀まで追いかけ、追いつくと、数回斬りつけました。そして、部屋に戻って何事もなかったかのように横になりました。
夜が明けてから、人を連れて探させると、血の跡があり、その先で二匹の獣が捕らえられていました。府君と称していたのは老いた猪であり、部郡と称していたのは老いた狸であったということです。これ以来、この亭の怪異はぴたりと絶えました。
第十八巻の要約
この巻は、身の回りで起こる様々な怪異現象の「正体」が、実は長く生きた動物や古びた器物であった、という物語を数多く集めたものです。狐、狸、犬といった身近な動物から、木や杵、飯匙に至るまで、あらゆるものが魂を持ち、人に化けては、あるいは富をもたらし、あるいは人を惑わし、時には命を奪います。しかし、多くの場合、人間の知恵や勇気、あるいは特殊な道具や方法によってその正体は見破られ、怪異は退治されます。これは、古代中国の人々が感じていた、万物に霊魂が宿るという世界観と、人知を超えた現象を理解し、克服しようとする姿勢が色濃く表れた一巻と言えるでしょう。
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各場面の深掘り検証
1. 不思議さと人情味あふれる場面
この巻には、単に恐ろしいだけではない、どこか不思議で人間的な温かみを感じさせる物語が含まれています。
代表的な場面:「樹神の恩恵と木の怪異」より、樹神・黄祖と寡婦・李憲の交流
不思議さ: 廬江の大木に宿る樹神・黄祖が、美しい婦人の姿で寡婦の李憲の前に現れます。彼女は自らの神力で日照りに苦しむ村に大雨を降らせ、お礼とばかりに数十匹の鯉を部屋の中に忽然と出現させます。自然霊が人間と直接対話し、具体的な恩恵をもたらすという描写は、極めて神秘的です。
人情味: 黄祖は、李憲の「潔白な性格」を見込んで彼女を助けます。これは、神霊が人間の徳性を見ているという、道徳的な世界観の表れです。さらに、戦乱が起こることを予言し、災いを避けるための「玉環」を授けて去っていく場面は、人間と神霊の間に芽生えた束の間の友情や、別れの寂しさといった人情味を感じさせます。単なる怪異ではなく、守護神としての優しい一面が描かれています。
深掘り検証: この物語は、古代の巨木信仰が背景にあります。人々は、巨大な木や古い木に神が宿ると信じ、畏怖すると同時に、豊穣や平穏をもたらす存在として祈りを捧げました。黄祖の物語は、そうした自然への信仰が、困窮した個人を救うという、よりパーソナルで情愛に満ちた物語へと昇華された例と言えます。自然は恐ろしいだけでなく、人の善性に応えてくれる慈悲深い存在でもある、という古代人の願いが込められています。
2. 面白さと恐怖心をあおられる場面
怪異譚ならではのユーモアと、背筋が凍るような恐怖が同居しているのが、この巻の大きな魅力です。
代表的な場面:「狐狸の化生と心の魔」より、張華と妖狐の知恵比べ
面白さ: 千年の時を生きた妖狐が、ただ人を化かすだけでなく、当代随一の知識人である張華を論戦で打ち負かすほどの博識を披露する、という展開は非常にユニークで知的興奮を誘います。最高の知性を持つ人間と、最高の妖力を持つ狐が、互いのプライドをかけて対峙する構図は、まるで上質な活劇のようです。妖狐が猟犬を前にしても「それで私に害を与えることなどできましょうか」と豪語する場面など、そのキャラクター性も際立っており、単なる悪役ではない面白さがあります。
恐怖心: この物語の恐怖は、物理的なものではなく、知的なものです。人間の知性の頂点に立つ張華でさえ、言葉を失うほどの論理と知識を持つ「人ならざる者」が存在するという事実は、人間の尊厳そのものを揺るがす恐怖と言えます。また、妖狐を討つために、同じく千年を生きた神木「華表」を伐らねばならず、その木が血を流し、宿っていた青衣の童子が泣きながら消えるという描写は、妖異を払うためには別の神聖なものを犠牲にしなければならないという、一種の業の深さを感じさせ、不気味な余韻を残します。
深掘り検証: この物語は、「知」とは何かを問うています。狐は千年の経験から得た膨大な知識(妖の知)を持ち、張華は人間社会の中で体系化された学問(人の知)を持ちます。最終的に「人の知」が「妖の知」に勝利する結末は、儒教的な価値観に基づき、人間中心の世界の秩序が保たれることを示しています。しかし、その勝利のために神木という自然の霊性を破壊しており、人間の知恵が決して万能ではなく、時には大きな代償を伴うものであることをも示唆している深い物語です。
代表的な場面:「悲劇の親子」
恐怖心: この巻の中で最も陰惨で、救いのない恐怖を感じさせるのがこの物語です。恐怖の核心は、「信頼の崩壊」にあります。息子たちは父を敬愛していたはずですが、妖狐の策略によって、その父を「化け物」と誤認し、自らの手で殺めてしまいます。そして、本物の化け物を「父」と信じ込み、何年も共に暮らすのです。最も身近で、最も信じるべき家族が、実は自分たちを欺く敵だったかもしれないという疑念は、人間関係の根幹を揺るがす根源的な恐怖です。最後の結末で、真実を知った息子たちが自責の念から相次いで命を落とす悲劇は、読者に深い無力感と戦慄を与えます。
深掘り検証: この物語は、怪異が人間の心の隙や、愛情といった最も人間的な感情に付け入ることを描いています。息子たちは父を思うがゆえに、「父を騙る偽物を許せない」と考え、それが最悪の結果を招きました。これは、物事の表面的な姿形だけで本質を判断することの危うさへの警鐘と読めます。また、法師が登場して初めて怪異が見破られるという展開は、日常的な知恵や感覚だけでは見抜けない邪悪が存在し、それに対抗するには特別な力(宗教的な権威や知見)が必要である、という当時の人々の考えを反映しています。これは単なる怪談ではなく、人間の認識の限界と、それによって引き起こされる悲劇を描いた、優れた心理ホラーと言えるでしょう。




