第十五巻:生者と死者の誓い
『幽明の契り(ゆうめいのちぎり)』
風の音も鳥の声も無い、ただ男の嗚咽だけが響く静寂の世界に引き込まれるでしょう。そして、墨のにじみが織りなす幽玄な雰囲気の中に、どんな困難も超えて通じ合う「誠の心」という、一条の揺るぎない光を見出すはずです。これこそが、『捜神記』が我々に語りかける、愛の奇跡の最も美しい姿ではないでしょうか。
【しおの】
誠実な誓いと死者の復活
秦の始皇帝が天下を治めていた時代、長安の都に王道平という名の男がおりました。彼は若い頃、同じ村に住む唐叔の娘、父喻と深く愛し合っていました。誰もが振り返るほど美しい二人で、いつか必ず夫婦になろうと固く心に誓い合っておりました。
しかし、運命は二人を分かちます。王道平は戦役のために徴兵され、はるか南の国へと送られてしまいました。月日は流れ、九年の歳月が過ぎても彼は戻りません。娘の父母は、娘がとうに嫁ぎ時を迎えているのを見て、劉祥という男のもとへ嫁がせることを決めてしまいました。娘は、道平との誓いを胸に他の男に嫁ぐことを頑なに拒みましたが、父母の強い勧めには抗えず、ついに劉祥の妻となることを受け入れたのです。
それから三年。娘の心は晴れることなく、いつも物思いに沈んでいました。片時も道平を忘れることはできず、その激しい悔しさと悲しみは、やがて彼女の心を蝕み、憂いの果てにこの世を去ってしまいました。
娘が亡くなってから、さらに三年が過ぎた頃、道平が故郷へ帰ってきました。彼は隣人に娘の安否を尋ねました。隣人は哀れむように言いました。「あのお嬢さんは、ずっとあなたを想っておられましたが、ご両親に強く勧められ劉祥殿に嫁がれました。そして今、もうこの世にはおられません」
「墓はどこにあるのだ」と問う道平を、隣人は静かに墓所へと案内しました。墓石を前にした道平は、悲しみのあまり嗚咽し、三度娘の名を呼びながら墓の周りを巡りました。その悲しみは、どうにも抑えきれるものではありませんでした。
道平は墓前で天を仰ぎ、誓いを立てるように言いました。
「私とお前は、天と地に誓って、生涯を共にすると約束した。まさか公務に引き裂かれ、これほど長く離れ離れになろうとは。お前の父母と劉祥は、私たちの初志を汲んではくれなかった。そして今、生と死が、私たちを永遠に隔ててしまった。もしお前に魂があるのなら、どうか生きていた頃の姿を私に見せておくれ。もし何の霊もないというのなら、これきりで永遠の別れとしよう」
言い終えると、彼は再び声を上げて泣き、その場を離れることができずに佇んでいました。
その時でした。娘の魂がふわりと墓から現れたのです。娘は道平に優しく尋ねました。
「あなたはどこからおいでになったのですか。本当に、長いお別れでございましたね。あなたと夫婦となり、生涯を終えることを誓ったのに、父母に無理強いされ、劉祥のもとへ嫁がされました。それから三年、昼も夜もあなたを想い続け、募る恨みのために死に至り、幽冥の世界に隔てられてしまいました。けれど、あなたが昔の誓いを忘れず、もう一度会いたいと願ってくれたから、私はこうして姿を現すことができたのです。私の体はまだ傷んでおりません。生き返ることができます。どうかすぐに墓を開け、棺を壊して私を出してください。そうすれば、すぐに息を吹き返し、再び夫婦となることができます」
道平は彼女の言葉が真実であると確信し、ためらうことなく墓の門を開け、その手に触れてみました。すると、娘はまことに生きていたのです。
道平はすぐに娘に新しい衣を着せ、共に家路につきました。娘の夫であった劉祥はこの話を聞き、驚き、そして怪しみ、州県に訴え出ました。しかし、役人が法律をいくら調べても、この件を裁く条文は見当たりません。そこで事の次第を記録し、王に奏上しました。王は深く感じ入り、二人の純粋な心が天を動かし、奇跡を呼んだのだと認め、娘を王道平の妻とすることを裁決したのでした。
王道平は百三十歳まで長寿を保ったといいます。これは、誠の心が天に通じ、奇跡的な感応を得た、確かな実例なのです。
死の友と生還の奇蹟
晋の武帝の御代、河間郡に深く愛し合った男女がおりました。二人は結婚を約束していましたが、ほどなく男が従軍することになり、長年故郷へ帰ることができませんでした。娘の家は、彼女を他の男に嫁がせようとします。娘は嫌がりましたが、父母に強く迫られ、やむなく嫁ぎましたが、まもなく病にかかり亡くなってしまいました。
男が兵役を終えて戻り、娘の行方を尋ねると、家族はすべてを話しました。男は娘の墓へ赴き、その死を悼もうとしましたが、悲しみに耐えきれず、ついに墓を掘り返し、棺を開けてしまったのです。
すると、驚くべきことに、娘はすぐに息を吹き返しました。男は彼女を背負って家へ帰り、数日間手厚く看病すると、娘はすっかり元の健康を取り戻しました。
この話を聞きつけた後から嫁いだ夫が、妻を取り戻そうとやって来ました。しかし、男は妻を渡そうとせず、毅然として言いました。「あなたの妻は、確かに一度この世を去りました。天下に死んだ者が生き返ったなどという話を聞いたことがありますか。これは天が私に再び与えてくださった命であり、もはやあなたの妻ではありません」
そこで二人は争いとなり、郡や県では裁決がつかず、ついに最高司法長官である廷尉にまで上申されました。これに対し、秘書郎の王導は、次のように上奏しました。
「これは、二人の真心が極まり、天と地に感応して死者が蘇るという奇跡が起きたのでございます。尋常の事柄ではございませんので、世俗の法律で裁くべきではありません。墓を掘り起こした男に、妻を返すようご裁決を願います」
朝廷はその意見を聴き入れ、二人が再び結ばれることを許したのでした。
死後の純愛と再会
漢の献帝の建安年間(196年~220年)のこと。南陽に住む賈偶、字を文合という者が、病を得て亡くなりました。その時、役人が彼を連れて、寿命を司る神である泰山の司命のもとへ行きました。司命は帳簿を一瞥し、役人に言いました。「召喚すべきは、某郡の文合である。なぜこの者を呼んだのか。速やかに帰しなさい」
時はすでに日暮れ。文合と役人は、城外の木の下で夜を明かすことにしました。すると文合は、一人の年若い娘がただ一人で歩いているのを見かけました。文合は尋ねました。「あなたは立派な身なりをされているのに、どうして一人で歩いているのですか。お名前は何とおっしゃるのですか」
娘は答えました。「私は三河の者で、父は弋陽の県令をしております。昨日召されて参りましたが、今、帰ることを許されました。日が暮れてしまい、あらぬ疑いをかけられるのを恐れ、ここに留まっていたのです。あなた様のお顔つきを拝見するに、きっと賢明な方に違いありません。どうか頼りにして、おそばにいさせてくださいませ」
文合は言いました。「あなたのその清らかな心に惹かれました。今夜、共に親しくなりたいのですが」
娘は静かに言いました。「姉たちから、女は貞節と純潔を徳とし、潔白であることが何よりの誉れだと教わりました」
文合は何度も言い寄りましたが、娘は最後まで心を動かすことはありませんでした。やがて夜が明け、二人は別れてそれぞれの道へと去っていきました。
これは文合が亡くなってから二日目の出来事でした。葬儀のために遺体を納棺しようとしたところ、彼の顔に血の気が戻っているのが見えました。胸元に触れると、わずかに温かい。しばらくすると、彼はゆっくりと息を吹き返したのです。
後日、文合はあの話が真実であったか確かめようと、弋陽を訪れ、名刺を渡して県令に面会を求めました。そして尋ねました。「お嬢様は、以前亡くなられ、その後蘇生されたことはございませんか」。そして、娘の容姿、服装、言葉、そして彼が交わした会話のすべてを詳しく話しました。
県令が奥へ入って娘に尋ねると、文合の言ったことと寸分違わぬ答えが返ってきました。県令は大いに驚き、深く感嘆し、ついにこの清らかな娘を文合の妻としたのでした。
霊魂の約束と疫病退散
漢の建安四年(199年)二月のこと。武陵の充県に住む李娥という六十歳の婦人が病で亡くなり、城外に埋葬されてから十四日が経っていました。
李娥の隣家に、蔡仲という男が住んでいました。彼は李娥が生前裕福だったと聞きつけ、棺の中に金銀が隠されているに違いないと思い込み、盗みを働くために墓を暴き、斧で棺を割ろうとしました。
斧を数回振り下ろすと、棺の中から声がしました。「蔡仲よ!私の頭を傷つけないでおくれ」。蔡仲は驚愕し、慌てて逃げ出しましたが、ちょうど県の役人に見つかり、捕らえられてしまいました。法によって、彼は市中で斬首されることになりました。
李娥の息子は、母が生き返ったと聞き、急いで母を迎えに出ました。武陵の太守も、李娥が死から蘇ったと聞き、彼女を召し出して事情を尋ねました。
李娥は答えました。「私は手違いで司命のもとへ召されたと聞きました。あちらへ到着するとすぐに帰ることを許され、西門の外へ出ました。すると、ちょうどそこに私の母方の従兄にあたる劉伯文がおりました。彼は驚き、私を慰め、涙を流して悲しんでくれました。私は伯文に言いました。『伯文兄さん、私は一日違いで召されてしまいましたが、今、帰ることを許されました。けれど道がわからず、一人では心細くて行けません。誰か一緒に帰る仲間を探していただけませんか。それに、私がこちらへ来てからすでに十日余り。体はきっと家族に埋葬されているはずです。どうやって自分で墓から出ればよいのでしょう?』
伯文は『尋ねてみよう』と言い、門番を遣わして、遺体を扱う役人である屍曹に尋ねさせてくれました。『司命が手違いで武陵の娘、李娥を召喚しましたが、今、帰ることを許されました。彼女は長くこちらに留まっており、体は埋葬されているはずです。どうすれば墓から出られるでしょうか。また、女一人では心細いので、誰か仲間はいないでしょうか。彼女は私の従妹なのです。どうか便宜を図ってやってください』と。
すると屍曹は答えました。『今、武陵の西の境にいる李黒という男も帰ることを許された。彼が仲間となるだろう。そして、蔡仲に命じて娥の隣家へ行かせ、彼女を墓から掘り出させなさい』と。
そうして私は墓から出ることができました。伯文と別れる際、彼は私に『息子のお佗に手紙を渡してくれ』と言いました。そこで私は李黒と共に家路についたのです。事情は以上でございます」
太守はこれを聞き、深くため息をついて言いました。「天下の事は、まことに人の知るところではないのだな」
太守は朝廷に上奏し、次のように意見を述べました。「蔡仲は、鬼神に操られて墓を暴いたものであり、本心ではなかったとすれば、やむを得ない事情があったのでしょう。彼を寛大に許すべきです」と。詔書が下され、それが許可されました。
太守は話の真偽を確かめようと、すぐに馬に乗った役人を西の境へ遣わし、李黒を探させました。すると、話は李娥の言うこととすべて一致しました。
そして、劉伯文の手紙は息子のお佗に渡されました。お佗はその紙を見て、父が亡くなった時に送られた箱の中に入っていた文書だと気づきました。表の文字はまだ残っていましたが、手紙の内容は読み解けません。そこで費長房という人物に読んでもらうよう頼むと、彼はこう言いました。
「『佗に告ぐ。私はまもなく府君(司命)に従って巡察に出かける。八月八日の正午に、武陵城南の溝水のほとりに宿営する。お前はその時、必ずそこへ来るように』と書かれています」
期日になると、お佗は家族全員を連れて城南で待ちました。しばらくすると、人馬の音がかすかに聞こえ、溝水のほとりへ行くと、呼ぶ声がしました。「佗よ、来たか!私が李娥に託した手紙は受け取ったか」
お佗は答えました。「はい、受け取りました。故に、こうして参りました」
伯文は順番に家族一人ひとりの名を呼び、しばらくして、悲しみのあまり声が途切れました。
「死と生は、道が違う。お前たちのことを度々知ることはできないのだ。私が亡くなった後、子供たちがこんなに大きくなったとはな」
しばらくして、伯文はお佗に言いました。「来年の春、大きな疫病が流行る。これに薬丸を一つ与えよう。これを門戸に塗れば、来年の疫病を避けることができるだろう」。言い終わると、彼はふっと姿を消し、ついにその姿を見ることはできませんでした。
翌年の春になると、武陵では予言通り大疫病に見舞われ、昼間から鬼の姿が見えるほどでしたが、伯文の家だけは、鬼が近寄ろうとしなかったといいます。
費長房がその薬丸を見ると、「これは『方相』という疫病を駆逐する神の脳だ」と言いました。
墓からの蘇生と奇妙な事実
漢の陳留、考城に、史姁、字を威明という者がいました。若い頃に病にかかり、臨終の際、母にこう言い残しました。「私は一度死にますが、また生き返ります。私を埋葬したら、竹の杖を墓の上に立てておいてください。もしその杖が折れたなら、私を掘り出してください」
彼が亡くなると、言われた通りに埋葬し、竹杖を立てました。七日後、見に行くと、杖はぽっきりと折れていました。すぐに墓を掘り出すと、彼はすでに息を吹き返していました。彼は井戸へ走って行き、体を清めると、すっかり元の健康な姿に戻ったのです。
その後、彼は隣の船で下邳へ鋤を売りに行きましたが、なかなか売れず、「一度家に帰りたい」と言い出しました。人々は信じず、「千里もの距離を、どうしてすぐに帰れるというのか」と言いましたが、彼は「一晩で帰って、また戻ってきます」と答えました。
彼は手紙を書き、返事を受け取ることを約束しました。そして実際に一晩で故郷へ帰り、また戻ってきて、約束通り返事を受け取ったのです。
考城の県令であった江夏の賈和の姉が、隣村で病にかかりました。賈和は急いで容態を知りたかったため、史姁に頼んで見舞いに行かせました。道は三千里もありましたが、彼は二晩で戻り、姉の様子を詳しく報告したといいます。
会稽の賀瑀、字を彦琚という者は、かつて病にかかり、意識を失いましたが、心臓のあたりだけが温かいままでした。亡くなって三日後、彼は息を吹き返しました。
彼は語りました。「役人に連れられて天界へ上り、役所のような場所を見ました。奥の部屋に入ると、部屋の中には棚があり、その上段には印が、中段には剣が置かれていました。私にどちらでも好きな方を取るように言われたのですが、背が低くて上段には手が届かず、剣を取って門を出ました。すると役人が『何を得たか』と尋ねるので、『剣を得ました』と答えました。役人は言いました。『印を取れなかったのは残念だ。印があれば百の神を指揮できたものを。剣では、土地の神である社公を使えるだけだ』」
病が治ると、果たして鬼が現れ、自らを社公だと名乗ったそうです。
戴洋、字を国流という者は、呉興長城の人です。十二歳の時に病で亡くなりましたが、五日後に蘇生しました。彼は語りました。「死んだ時、天の使いが私を酒蔵の役人にしてくれました。そして符籙を授けられ、役人や旗手を伴い、蓬莱、崑崙、積石、太室、廬山、衡山といった名だたる山々を巡った後、帰されたのです」
彼は占いや天候の知識に非常に優れていました。呉の国が滅亡することを知ると、病と称して官職には就かず、故郷へ帰りました。瀬郷まで行くと、老子の祠がありましたが、そこは彼が死んだ時に連れて行かれた使者のいる場所と全く同じでした。ただ、昔見たはずの物は見えなくなっていました。
彼は祠の番人である応鳳に尋ねました。「二十余年前、馬に乗って東へ行き、老君の祠を通り過ぎた際に馬から降りず、橋に着く前に落馬して死んだ者はおりませんか」。鳳は「おります」と答えました。戴洋が尋ねたことは、多くが彼の記憶と一致していたといいます。
呉の臨海松陽の人、柳栄は、呉の丞相である張悌に従って揚州へ行きました。柳栄は病にかかり船の中で亡くなり、二日が経っていましたが、兵士たちが岸へ上がってしまったため、埋葬する者もいませんでした。すると突然、柳栄が大声で叫んだのです。「誰かが軍師(張悌)を縛っている!軍師を縛っているぞ!」。その声は凄まじい気迫に満ちていました。
彼は息を吹き返しました。人々が事情を尋ねると、柳栄は言いました。「私は天界の北斗の門番の兵卒を見ました。彼らが張悌殿を縛っているのを見て、あまりに驚き、思わず大声で叫んでしまったのです。『なぜ軍師を縛るのか!』と。すると門番は私に怒り、追い払おうとしました。私は恐ろしくなり、その時の声がそのまま口から出たのです」
その日、張悌は戦で命を落としました。柳栄は晋の元帝の時代まで生きたといいます。
呉国の富陽の人、馬勢の妻は蒋氏といいました。村人で病により亡くなる者が出ると、蒋氏は決まって恍惚とした状態になり、一日中眠り込みました。そして、その人が息を引き取るのを見届けてから目を覚ますのでした。目覚めると、その死の様子をすべて語ったのです。
家族は彼女の言うことを信じませんでした。ある時、蒋氏は皆に語りました。「ある人が病気で、私はその魂を殺そうとしましたが、気が強いため、なかなか殺すことができず、すぐには死にませんでした。私がその家に入ると、棚の上に白いご飯と、何種類かの魚の塩漬けがありました。私は試しに竈のそばを通り過ぎ、冗談で下女を叩くと、下女は突然気を失い、しばらくしてようやく意識を取り戻しました」
彼女の兄が病気になった時、天の使いが彼女に兄を殺すよう命じましたが、彼女が必死に命乞いをしたため、ついに手を下すことはありませんでした。目を覚ますと、彼女は兄に「あなたは助かります」と告げたそうです。
死者の魂と再びの別れ
晋の咸寧二年(276年)十二月のこと。瑯琊の顔畿、字を世都という者が病にかかり、医者の張瑳の家で療養中に亡くなりました。棺に納められてから、すでに久しい時が経っていました。
家族が遺体を迎えて故郷へ帰る途中、棺の上に立てた旗が、なぜかいつも木に絡まって解けなくなります。人々は皆、その様子を悲しく思いました。
その時、棺を引いていた者が突然倒れ、顔畿の言葉を語り始めました。「私はまだ寿命が尽きていません。ただ、薬を飲みすぎたために五臓を傷つけてしまったのです。今、生き返るべき時です。絶対に埋葬しないでください」
彼の父は棺を撫でて祈りました。「もしお前に命があるのなら、再び生き返ることを願わない親がいるだろうか。今はただお前を家に連れ帰るだけだ。埋葬はしない」。すると、不思議なことに旗はするりと解けたのです。
家に帰ったその夜、彼の妻が夢を見ました。「私はもうすぐ生き返る。急いで棺を開けておくれ」。妻はすぐにその夢を家族に話しました。すると、その夜、母や他の家族も皆、同じ夢を見ていたのです。
家族はすぐに棺を開けようとしましたが、父はそれを許しませんでした。しかし、彼の弟である顔含は、まだ若かったものの、毅然として言いました。「常識では考えられないことは、古来よりあることです。今、これほどの不思議な知らせがあるのに、棺を開けてその結果の悲しみに耐えるのと、開かずに後悔するのと、どちらが良いのでしょうか」
父母は彼の言葉に従いました。皆で棺を開けると、果たして生きた証がありました。彼は手で棺の内側を引っ掻いており、指の爪はすべて傷ついていました。しかし、息は極めて微かで、生きているのか死んでいるのか判別がつかないほどです。そこで急いで綿に酒を含ませて口に注ぐと、彼はそれをかろうじて飲み込むことができました。
その後、数ヶ月にわたって手厚い看護が続けられ、食事も少しずつ摂れるようになり、目を開け、手足を動かすことができるようになりました。しかし、人と話すことはできず、言葉で意思を伝えることができないため、食事の要求などはすべて夢を通じて家族に伝えました。このような状態が、十数年も続いたのです。
家族は看護に疲れ、家業を顧みる暇もなくなりましたが、弟の顔含だけは一切の世事を断ち、自ら親身になって兄の看護にあたったため、その名は州や郷里にまで知れ渡りました。しかし、兄は後に再び衰弱し、ついに静かに息を引き取ったのでした。
過去世の記憶と不朽の美
羊祜は、五歳の時、乳母に「いつも遊んでいた金の輪を取っておくれ」と言いました。乳母は「あなたはそんなものを持っていませんでしたよ」と答えました。すると祜は、すぐに隣の李氏の家の東側の垣根にある桑の木の下へ行き、そこを掘り起こして金の輪を見つけ出したのです。
家の主人は驚いて言いました。「これは、亡くなったうちの子がなくした物だ。どうしてお前が持っているのだ」。乳母が事情を話すと、李氏は悲しみにくれました。当時、人々はこの不思議な出来事を語り合ったといいます。
漢の末期、関中が大きな乱に見舞われた時、前漢時代の宮女の墓を暴いた者がいました。驚くべきことに、その宮女はまだ生きており、棺から出ると、その容姿は生前の輝きを取り戻しました。魏の郭后は彼女を深く愛し、宮中へ迎え入れ、常にそばに置きました。漢の時代の宮中の出来事を尋ねると、彼女はすべてをはっきりと、順序立てて語ったといいます。郭后が亡くなった時、彼女は悲しみのあまり泣き続け、ついにその後を追うように亡くなりました。
魏の時代、太原で墓が暴かれ、棺が壊されると、中には生きた婦人がいました。外へ連れ出すと、彼女は確かに生きていました。都である京師に送られ、その素性を尋ねられましたが、彼女は何も覚えていませんでした。墓の上に生えていた木を見ると、樹齢は三十年ほどであったといいます。この婦人が三十年間、ずっと地中で生きていたのか、それとも、突然生き返り、偶然にも墓を暴く者に出会ったのか、それは誰にもわかりません。
晋の時代、杜錫、字を世嘏という者の家で葬儀があった際、一人の下女が誤って棺に閉じ込められてしまいました。十数年後、墓を開けて合葬したところ、その下女はまだ生きていたのです。彼女は「最初は目を閉じているような感覚でした。しばらくすると、徐々に意識が戻ってきたのです」と語り、自身では「二、三晩しか経っていない」と思っていたそうです。
埋葬された時、彼女は十五、六歳でしたが、墓が開けられた後もその姿は変わらず、その後さらに十五、六年生きて、嫁ぎ、子供ももうけたといいます。
漢の桓帝の馮貴人は、病で亡くなりました。霊帝の時代に盗賊が彼女の墓を暴きましたが、七十余年経っているにもかかわらず、その顔色は生前のままで、ただ肌が少し冷たいだけでした。賊たちは皆で彼女の遺体を辱め、ついには仲間同士で争い、殺し合うまでに至りました。その後にこの事件が発覚したのです。
後に竇太后の一族が誅殺された際、馮貴人を下邳の陳公達の祭祀において、妻として共に祀るべきだという議論がありました。しかし、「貴人は先帝の寵愛を受けていたが、その亡骸が穢されている以上、至尊の配偶者として祀るにはふさわしくない」という意見が出たため、代わりに竇太后が祀られることになりました。
呉の孫休の時代、ある守備隊長が広陵で多くの墓を掘り、石板を取り出して城壁の修理に使いました。その破壊は甚だしいものでした。さらに一つの大きな墓を暴いたところ、内部には幾重にも部屋があり、扉は軸で回転して開閉でき、周囲には車が通れるほどの通路があり、馬に乗れるほどの高さがありました。
また、数十体の銅人が鋳造されており、高さは五尺ほどで、皆、大きな冠を被り、朱色の衣をまとい、剣を手に取って侍立していました。霊座には銅人が彫刻されており、その背後の石壁には「殿中将軍」あるいは「侍郎常侍」と記されていました。公侯の墓のようでありました。
棺を壊すと、中に人がいました。髪はすでに白くなっていましたが、衣冠は鮮やかで、顔や体はまるで生きている人のようです。棺の中には厚さ一尺ほどの雲母が敷き詰められ、三十枚の白玉の璧が遺体を覆っていました。兵士たちが協力して遺体を棺から出し、墓の壁に寄りかからせると、長さ一尺ほどの、冬瓜のような形をした玉が、遺体の懐から透けるようにして地面に落ちました。両耳と鼻の穴の中には、棗ほどの大きさの黄金が詰められていました。
漢の広川王は墓を暴くことを好みました。ある時、欒書の墓を暴くと、その棺や祭器はすべて朽ちて残っていませんでした。ただ一匹の白い狐がおり、人を見て驚いて逃げ出しました。側近が追いかけましたが捕まえられず、戟でその左足を傷つけました。
その夜、王は夢を見ました。一人の白い髭の老人が王のもとに来て言いました。「なぜ私の左足を傷つけたのだ」。そして杖で王の左足を叩きました。王が目を覚ますと、左足が腫れ上がり、痛みを伴う治ることのない腫れ物ができ、それは彼が死ぬまで癒えることはありませんでした。
第十五巻の要約
この巻は、「人の強い想いは、時として生死の理さえも超える」というテーマを一貫して描いています。恋人への誠実な愛、家族への深い情、あるいは純粋な約束といった人間の「精誠」が、天や冥界を動かし、死者を蘇らせ、常識ではありえない奇跡を引き起こす物語群で構成されています。死後の世界の官僚的な様子や、墓を暴くことへの戒めなども織り交ぜながら、人間世界の情愛こそが、この世ならざる力を呼び覚ます最大の要因であることを、幻想的かつ説得的に示しています。
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各場面の魅力と深掘り分析
この巻に収められた物語は、それぞれが異なる光彩を放っています。その魅力を「不思議さ」「人情味」「面白さ」「恐怖心」という四つの切り口で深掘りしてみましょう。
1. 不思議さと人情味が織りなす「愛の奇跡」
該当場面:
o王道平と父喻の復活劇
o河間の男女の生還
o賈偶と清純な娘の出会い
o顔畿の一時的な蘇生
魅力の核心:
これらの物語の核心は、死者が蘇るという「不思議さ」そのものよりも、その奇跡を引き起こした「人情の深さ」にあります。王道平が墓前で流す涙、河間の男が悲しみのあまり墓を掘り返す衝動、そして顔畿の弟である顔含の十数年にもわたる献身的な看護。これらのひたむきな愛や誠意が、冷たい「死」という絶対的な法則に風穴を開けるのです。
深掘り:
特に感動的なのは、奇跡が常にハッピーエンドとは限らない点です。顔畿は一度は蘇生したものの、完全には回復せず、家族の長い看護の末に再び亡くなります。この結末は、奇跡の儚さと、それでもなお愛を注ぎ続けた家族の姿を際立たせ、物語に深い余韻と現実味を与えています。読者は、超常現象に驚くと同時に、登場人物たちの純粋な心に強く共感し、心を揺さぶられるのです。
2. 奇想天外な設定の「面白さ」
該当場面:
o史姁の超人的な移動能力
o賀瑀が天界で剣を得る話
o戴洋の冥界ツアー体験
o羊祜の前世の記憶
魅力の核心:
これらの物語は、現代のファンタジーやRPGを彷彿とさせるユニークな設定に満ちており、純粋な「面白さ」で読者を引き込みます。死から蘇った副作用(?)で瞬間移動能力を得た史姁、天界のアイテム選択でその後の能力(土地神を使役)が決まった賀瑀など、その発想は非常に独創的です。
深掘り:
戴洋が死んでいる間に冥界の役人として「蓬莱」や「崑崙」といった伝説の山々を巡る話は、壮大な冒険譚のようです。また、羊祜がわずか五歳で前世の記憶を頼りに「金の輪」を見つけ出す場面は、輪廻転生という概念をミステリー仕立てで見せる巧みさがあります。これらの物語は、死を深刻なだけではなく、未知の能力や体験への扉として描いており、読者の好奇心を大いに刺激します。
3. 禁忌と冒涜がもたらす「恐怖心」
該当場面:
o李娥の墓を暴く蔡仲
o馮貴人の陵辱事件
o広川王と白い狐の祟り
魅力の核心:
この巻は美しい奇跡だけでなく、人間の欲望や冒涜が招く「恐怖」も生々しく描きます。棺の中から「私の頭を守ってくれ」と声が聞こえる場面は、古典的な怪談の恐怖そのものです。さらに衝撃的なのは馮貴人の物語です。死後70年以上経っても美しさを保つ遺体が、盗賊たちの獣的な欲望の対象となり、陵辱の果てに仲間割れで殺し合うという展開は、人間の心の闇とおぞましさを突きつけてきます。
深掘り:
広川王の物語は、より根源的な「祟り」の恐怖を描きます。墓の主である白い狐を傷つけたことで、夢で報復され、死ぬまで癒えない傷を負うという因果応報の結末は、「聖なるものを侵してはならない」という古代からのタブー意識を強く反映しています。これらの物語は、死者への敬意を欠いた時、世界がいかに恐ろしい牙をむくかを読者に警告しているのです。
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検証:物語の背後にある思想と世界観
これらの奇妙で心揺さぶる物語は、単なる空想の産物ではありません。当時の人々の思想や世界観が色濃く反映されています。
思想①:「精誠感天」―真心は天をも動かす
王道平の物語で王が下した裁決の根拠や、河間の男女の物語で王導が述べた上奏文には、「精誠が天地を貫き、感応を得た」という言葉が明確に記されています。これは、個人の純粋で極まった思いは、自然の法則や運命(天地)さえも動かすことができる、という古代中国(特に道教的)の世界観です。愛の力は物理法則を超える、という思想が物語の根幹を成しているのです。
思想②:官僚制度化された「死後の世界」
李娥や賈偶の物語に見られるように、死後の世界は非常に体系化・官僚化されています。寿命を管理する「司命」、遺体を扱う「屍曹」、手違いで人を召喚してしまう役人など、まるで現世の役所仕事のようです。李娥の従兄が役人に「口利き」を頼む場面などは、非常に人間臭く、当時の人々が自分たちの社会システムをそのままあの世にも投影していたことがうかがえます。これは、死という未知の世界を、自分たちが理解できる枠組みで解釈しようとした試みの表れと言えるでしょう。
思想③:魂の器としての「肉体」
多くの蘇生譚で、「体はまだ傷んでいない」「顔色は生前のまま」といった描写が重要視されています。これは、魂が還るための「器」として、肉体の保存が奇跡の前提条件である、という考え方を示唆しています。魂と肉体は不可分であるという古代の身体観が、これらの物語のリアリティラインを支えているのです。馮貴人のように、腐敗しない肉体が逆に悲劇を招くという皮肉な展開は、この思想をさらに深く掘り下げています。




