第十三巻:山川の霊異と世の奇事
『巨霊開山図』
混沌から秩序が生まれる瞬間の、神々しいまでの荘厳さと、自然の前にあってはあまりに無力な人間の存在を、同時に感じ取ることになるはずです。これこそが、『捜神記』のこの一節が持つ、豊かで深遠な情景の核心なのです。
【しおの】
泰山の霊泉と、神の御業
泰山の東麓に、澧泉と呼ばれる不思議な泉が湧いている。それは井戸のようにも見えるが、実は岩そのものから水が湧き出ているのだ。この清らかな水で喉を潤したいと願う者は、まず心を静め、敬虔な気持ちでひざまずき、そっと水を求める。すると、その祈りに応えるかのように泉は勢いを増し、ちょうど必要な分だけがこんこんと湧き出るのである。もし心ない者が水辺を汚すようなことがあれば、泉はぴたりと涸れてしまうという。まるで神が、訪れる者の心の清らかさを試しているかのようだ。
また、かの華山と首陽山は、遥かなる昔、実は一つの山であったと伝えられる。かつて、雄大な黄河の流れは、この山に行く手を阻まれ、大きく蛇行していた。その様を憂えた河の神、巨霊は、あるときその剛腕で山の頂を押し開き、大地を踏みしめて山を二つに引き裂いた。これにより、黄河の流れはまっすぐになり、水を行き交う舟の便が格段に良くなったという。
今なお華山の頂には、巨霊が掌で押し開いた跡が生々しく残り、首陽山の麓には、その巨大な足跡が残されていると云う。かの張衡が『西京賦』に詠んだ一節、「巨霊、その力を振るい、掌を高く掲げ、足跡を遥かに踏みしめて、河のうねりを正せり」とは、まさしくこの神業を讃えたものなのである。
神祭の奇蹟と、うつろう都
昔、漢の武帝が南嶽の祭祀を廬江の霍山へと移したときのこと。その聖なる地には、あろうことか水が一滴もなかった。廟には四十石もの水を蓄えられる四つの大きな青銅の釜が据えられていたが、祭りの時が来ると、どこからともなく清らかな水が釜を満たし、儀式に必要なすべてを賄うのであった。そして、祭事が滞りなく終わるやいなや、水は跡形もなく消え、釜の底には塵一つ、木の葉一枚すら残らなかったという。
この奇蹟は五十年の長きにわたって続いたが、後に祭祀が年に三度行われるようになると、四つの釜のうちの一つが、自然に壊れてしまったと伝えられる。
樊東の河口にそびえる樊山では、日照りが続き、大地が渇ききったときには、山に火を放つという言い伝えがある。そうすれば、天は必ずや応え、恵みの大雨を降らせるのだと。この不思議な験は、今なお人々の間に語り継がれている。
魯の国の南に、古くは空乗、今は孔宝と呼ばれている地がある。その山中の洞窟の外には、あたかも神殿の柱のように、一対の巨石が天を衝いてそびえ立ち、その高さは数丈にも及ぶ。魯の人々はこの地で楽器を奏で、歌いながら神を祀るが、普段、洞の中には水気ひとつない。しかし、人々が祭りのために洞を掃き清め、神に祈りを捧げると、不思議にも巨石の間から清らかな泉がこんこんと湧き出し、儀式を執り行うに十分な水をもたらすのであった。そして祭りが終われば、泉もまた静かに涸れる。その霊験は、今も変わらずあるという。
湘穴という洞窟には、黒い土がある。年に一度の大干ばつの折には、人々は力を合わせ、川の水をせき止めてこの穴を満たす。すると、穴が水に浸ると同時に、天からはたちまちにして大粒の雨が降り始めるのだという。
秦の恵王二十七年、張儀は成都に城壁を築こうとしたが、それは築いても築いても、なぜか崩れ落ちてしまうのであった。万策尽きたある日、一匹の巨大な亀が川面に浮かび上がり、城の東南の隅までやって来ると、そこで静かに息絶えた。途方に暮れた張儀が巫女に神意を問うと、「あの亀の姿を模して城を築くがよい」とのお告げがあった。その言葉に従って築かれた城は、今度は決して崩れることはなかった。故に、この城は亀化城と呼ばれるようになったのである。
由拳県は、秦の時代には長水県と呼ばれていた。始皇帝の御代、その地の子どもたちの間で、奇妙な童謡が流行りだした。
「城門に血濡れし時、この城は水に沈み、湖となる」
これを聞いた一人の老婆は、不吉な予感に駆られ、朝な夕な城門を見に行くようになった。門番は老婆を怪しみ、捕らえようとしたが、彼女から童謡の話を聞くと、ただの迷信と笑い飛ばした。後日、門番が戯れに犬の血を城門に塗りたくったところ、それを見つけた老婆は、童謡の予言が現実になったと信じ、恐怖に駆られて逃げ出した。
その直後、天はにわかにかき曇り、凄まじい大水が町を襲った。県はたちまち濁流に呑まれ、湖へと姿を変えてしまったという。役所の主簿が、異変を知らせようと県令の部屋に駆け込むと、県令は言った。「お主、なぜ急に魚の姿になったのだ」。主簿は答えた。「明府、あなた様も魚の姿でございます」。
秦の時代、武周塞の内側に、異民族の侵入に備えて城が築かれた。しかし、完成を間近に控えては、何度も崩れ落ちてしまう。人々が困り果てていたところ、どこからともなく一頭の馬が現れ、城を築くべき場所を何度も駆け巡り、その蹄の跡を残した。長老たちがこれを不思議に思い、馬が示した跡に沿って城を築くと、今度は嘘のように堅固な城が完成した。そこで、この城は馬邑と名付けられた。その古城は、今も朔州の地にその姿をとどめている。
漢の武帝が昆明池を造らせたときのこと。どれほど深く掘り進めても、底から現れるのは灰と墨ばかりで、一向に土が出てこなかった。朝廷の者たちは皆、首を傾げるばかりであった。
帝が稀代の賢者、東方朔にその訳を問うと、朔はただ静かに、「私の浅知恵では、とても及びませぬ」と答えるのみであった。帝は西域から来た者に尋ねようかとも考えたが、東方朔が知らぬことを他者に問うのは体裁が悪いと思い直し、そのままになった。
時が流れ、後漢の明帝の御代、西域から一人の道人が都の洛陽を訪れた。そのとき、誰かがふと東方朔の言葉を思い出し、武帝の時代の灰と墨の謎について道人に尋ねてみた。すると道人は答えた。「経典に説かれております。『天地の大いなる劫が尽きる時、すべてを焼き払う劫火が起こる』と。この灰と墨は、まさしくその劫火の燃え残りなのです」。
この言葉によって、人々は初めて、東方朔の言葉が秘めていた深遠な意味を知ることとなった。
魚、虫、動物たちの奇譚
臨汜県に、廖という一族が住んでいた。彼らは代々長寿に恵まれていたが、ある時、その地を離れて移り住むと、子孫は次々と若死にするようになった。一方、彼らが去った屋敷に別の者が住み着くと、今度はその一家が代々長寿を保つようになった。人々は、あの屋敷にこそ長寿の秘密が隠されているのだと悟った。屋敷の井戸の水が、どこか赤みを帯びていたことに気づき、その周りを掘り進めると、そこにはかつて誰かが埋めたのであろう、おびただしい量の丹砂が眠っていた。その霊薬の力が井戸水に溶け出し、知らず知らずのうちに、飲む者の命を長くしていたのであろう。
長江の下流域には、「余腹」と呼ばれる魚がいる。その昔、呉王闔閭が舟遊びで長江を下っていた折、膾を食し、その残りを何気なく川の流れに捨てた。すると、驚くべきことに、それが一片残らず魚へと姿を変えたという。今も川に棲む「呉王膾余」という名の魚は、長さ数寸、大きいものでも箸ほどの大きさで、その身には、まるで膾の切り身であった頃の名残が留まっているかのようだ。
虫彭虫越は、蟹の仲間である。かつて、ある人の夢枕に立ち、自らを「長卿」と名乗ったという奇妙な話が伝わっている。そのためか、今も臨海の地では、この蟹を「長卿」と呼ぶ人が少なくない。
南方の地には、虫敦虫寓という虫がいる。それは虫則蠋とも、また青蠨とも呼ばれる。姿は蝉に似てやや大きく、味はぴりりとして美味であり、食用にもなるという。
この虫の母は、子が生まれると、必ず草の葉に寄り添うようにしてとまる。子の大きさは、生まれたばかりの蚕ほどしかない。この母子の血を、それぞれ八十一文の銭に塗り分ける。そして市場で買い物をする際、親虫の血を塗った銭を使っても、子虫の血を塗った銭を使っても、不思議と手元へと飛んで還ってくる。この神秘的な循環は尽きることがない。故に、『淮南子』に記された術の中には、この性質を利用した還銭の術があり、これを「青蠨」と名付けたという。
土蜂は、またの名を蜾蠃といい、世に言う「細腰」の類である。この虫には雄しかおらず、交わることも子を産むこともない。その代わり、自らは子を産むことなく、桑の葉を食む虫や蝗の幼子を捕らえては己の巣に運び込み、慈しむように育てる。すると、やがてその幼虫たちは、みな土蜂と同じ姿へと変じてしまうのだ。これを「螟蛉」ともいう。『詩経』にある「螟蛉に子あり、蜾蠃これを負う」の一節は、まさしくこの習性を詠んだものである。
木を喰らう虫は、己の子を産み、その子は羽化して美しい蝶へと姿を変える。
蝟、すなわち、はりねずみは、その身に無数の棘を持つがゆえに、しなやかな楊柳の木を飛び越えることは決してないという。
崑崙の山は、大地の始まりであり、天帝の離宮であると伝えられる。その聖域は、深く広大な弱水によって俗世から隔てられ、さらに燃え盛る炎の山に囲まれている。山に棲む鳥や獣、そこに根を張る草木は、みなその炎の中で生まれ育ち、その炎を糧として生きている。
故に、この世には火浣布という不思議な布が存在する。それは、この山の草木や麻の皮、あるいは鳥獣の毛から織られたものだと言われている。漢の時代、西域の国々はこの布を常に献上していたが、しばらくの間、その貢ぎ物が途絶えてしまった。魏の御代の初め頃には、人々はその存在すら疑うようになっていた。文帝は自らが著した『典論』の中で、「火の性質はあまりに苛烈で、生命を育む気などありはしない。火浣布などというものは、この世に存在するはずがない」と断じ、賢者たちの口を封じてしまった。
後の明帝が即位すると、三公に命を下し、「先帝がお著しになった『典論』は、万世不朽の言葉である。これを石碑に刻み、廟門の外と太学に建て、『石経』と並べて永く後世に示すべし」と宣した。しかし、まさにその時、西域からの使者が火浣布で仕立てた袈裟を献上したのである。これにより、先帝の論を刻んだ石碑は、天下の物笑いの種となり、ひっそりと取り壊されることとなったのである。
名器「焦尾琴」の誕生
同じ金属でありながら、鋳込む時が違えば、その性質は天と地ほどに異なる。五月の丙午の日の真昼に鋳たものは、太陽の光を集めて火を起こす陽燧となり、十一月の壬子の日の夜半に鋳たものは、月の光を集めて水を生じさせる陰燧となる。
漢の霊帝の御代、陳留に蔡邕という文人がいた。彼はしばしば朝廷に上奏しては帝の意に逆らい、また宮中の権力者たちに疎まれた。彼はその身に危険が迫るのを感じ、遥か南の呉の地へと逃れ、息を潜めていた。
呉でのある日のこと、一人の男が桐の木を割って煮炊きの薪にしているのを、彼は目にした。燃え盛る炎の中で、桐の木がはぜる音を聞いた瞬間、蔡邕ははっと息をのんだ。「これは…ただの薪ではない。稀代の良材だ」。彼は男に頼み込み、その燃えさしの木を譲り受けた。そして、それを丹念に削り出して一面の琴をこしらえたところ、果たして、天上のものかと思わせるほどの美しい音色を奏でたのである。ただ、木の一端には痛々しい焼け焦げの跡が残っていたことから、人々はこの名器を「焦尾琴」と呼ぶようになった。
蔡邕はまた、かつて柯亭という宿駅に立ち寄った折、ふと天井を見上げた彼の目に、垂木として使われている一本の竹が留まった。「なんと見事な竹だろう」。彼はそう呟くと、その竹を譲り受け、一本の笛をこしらえた。果たして、その笛が奏でる音色は、どこまでも朗々と響き渡ったという。
また、ある説によれば、こうも伝えられている。「私はかつて会稽の高遷亭を通りかかった折、東の間の屋根裏にある十六番目の垂木が、素晴らしい笛になる良材であることを見抜いていた」。蔡邕が呉の人々にそう語り、その竹を取り寄せて用いたところ、やはり不思議なほど美しい音色を響かせた、と。
第十三巻の要約
この巻は、神々や精霊が宿る山川草木、そして人間の世界で起こる不可思議な現象を集めた奇譚集です。物語は大きく分けて、①神々の偉業と聖地の奇蹟、②都市や土地にまつわる伝説、③動植物の奇妙な生態と伝説の物品、そして④人の才能と物の精髄が交わる逸話の四つのテーマで構成されています。天と地、神と人、自然と文化が密接に結びつき、世界がまだ神秘と不可思議に満ちていた時代の世界観を、鮮やかに描き出しています。
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各場面の魅力と感情の深掘り
この巻には、人の心を揺さぶる様々な感情の機微が描かれています。
【不思議さ】― 神々と自然の交感
泰山の澧泉や霍山の祭器
これらの物語の核心は、「世界は人間の心に応えてくれる」という、素朴で美しい信仰心にあります。泉は祈る者の心の清らかさに応じて湧き、祭りの器は人の信仰心に応えてひとりでに水で満たされます。自然や神聖な場所が、単なる物質ではなく、意志を持った存在として描かれているのです。そこには、自然への畏敬の念と共に、清らかな心で向き合えば世界は必ず応えてくれるという、温かな信頼関係が感じられ、読む者の心に静かな感動と不思議さをもたらします。
【人情味】― 稀代の才能と失われた音
蔡邕と「焦尾琴」
この巻で最も人情味あふれる場面は、蔡邕が燃えさかる薪の中から、名器となる桐の木を見出す逸話でしょう。これは単なる目利きの話ではありません。追われる身でありながらも、彼は日常の風景の中にさえ真の価値を見出す審美眼を失っていませんでした。燃える音を聞き分け、「これは良材だ」と叫んだ彼の心には、音楽への深い愛情と、失われゆく美に対する痛切な思いが溢れていたはずです。焦げ跡の残る琴「焦尾琴」は、不遇の天才が見出した、不完全さの中に宿る完全な美の象"徴であり、その逸話には哀愁と、芸術を愛する人間の純粋な情熱が凝縮されています。
【面白さ】― 権威の失墜と知ったかぶりの末路
「火浣布」を巡る皇帝の過ち
この逸話には、痛烈な皮肉と一種のユーモアが込められています。魏の文帝が自らの知識を絶対視し、『典論』において「火浣布などあり得ない」と断言し、後継の明帝がそれを不朽の真理として石碑に刻もうとした矢先、本物の火浣布が献上されるという展開は、まるで出来の良い喜劇のようです。天下の笑いものとなり、石碑が取り壊される結末は、「知ったかぶりをする最高権力者の滑稽さ」と「書物上の知識よりも、現実の物証こそが真実を語る」という痛快な教訓を我々に示してくれます。
【恐怖心】― 避けられぬ運命と日常の崩壊
由拳県の水没
この物語は、静かながらも背筋が凍るような恐怖を煽ります。子供たちの不吉な童謡、それを信じる老婆と嘲笑する役人という対比、そして戯れに塗られた犬の血が破滅の引き金となる展開は、「人の愚かさが避けられぬ運命を呼び寄せる」という古典的な恐怖譚の構造を持っています。しかし、最も恐ろしいのは最後の場面です。県令と主簿が、お互いが魚に変わっていく様を冷静に指摘し合う不気味な会話は、日常が非日常に呑み込まれる瞬間の、抗いようのない静かな狂気と絶望を完璧に表現しており、読後も心に深く突き刺さる強烈な印象を残します。
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物語の背景と意味の検証(深掘り)
これらの物語は、単なる空想話ではなく、古代の人々が世界をどのように理解しようとしていたかを示す貴重な資料でもあります。
【検証①】自然現象の神格化 ― 巨霊開山
河の神「巨霊」が山を二つに分けたという伝説は、地質学的な事象を神話的に説明しようとする試み(エティオロジカル・ミス)の典型例です。華山周辺の地形の成り立ちや、黄河の治水の歴史といった現実的な背景が、神の偉業という壮大な物語へと昇華されています。これは、科学的な知見がなかった時代に、人々が自然の持つ圧倒的な力(地震、洪水、浸食作用など)を理解し、意味づけるための方法でした。巨霊という人格神を創造することで、人間はコントロール不能な自然現象を、意志ある存在の「行為」として納得しようとしたのです。
【検証②】未知の物質への驚き ― 火浣布
「火浣布」の正体は、現代でいう「石綿」である可能性が極めて高いと考えられています。当時の人々にとって、火に入れても燃えず、汚れが落ちる布は、まさに魔法か神の所産にしか見えなかったでしょう。この物語は、シルクロードなどを通じて未知の文物がもたらされた際の、中央の人々の驚きと戸惑いを記録しています。文帝の『典論』での否定は、当時の最高の知識人ですら理解の及ばない「オーパーツ」に対する、合理主義的な反応だったと言えます。しかし、現実がその合理主義を打ち破ったという結末は、世界の広大さと人間の知識の限界を物語っています。
【検証③】社会不安と終末論 ― 由拳県の水没
不吉な童謡が流行し、やがて国や地域が滅びるという話は、中国の歴史書にもしばしば見られるモチーフです。これは、人々の間に広がる社会不安や政治不信が、「天の警告」という形で具現化したものと解釈できます。天変地異が為政者の不徳の現れと信じられていた時代、このような物語は単なる怪談ではなく、現実の社会情勢を反映した寓話としての側面を持っていました。県が湖になるという結末は、共同体が完全に消滅し、再生不可能な状態に陥るという終末的なイメージであり、当時の人々が抱いていた破滅への潜在的な恐怖を映し出しています。




