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序 ー 志を立て、異聞を集めるに寄せて

挿絵(By みてみん)

失われたはずの物語が、あなたの魂を捜しにくる。

1700年の時を超え、いま甦る奇譚集。すべての「あやかし」の物語は、ここから始まった。


【しおの】

搜神記そうしんき/干宝かんぽう


漢の御代、建武の年。私の心を深く揺さぶる、ある出来事がございました。それこそが、私がこの書を編むことを固く心に誓った、その始まりでございます。

いにしえの書物に遺された先人たちの志を紐解き、また、時代の流れの中に埋もれ、忘れ去られようとしていた奇なる物語を、広く探し求めました。

されど、ここに綴ります物語は、そのすべてを私自身の耳で聞き、この目で確かめたわけではございません。ですから、記されたことの中に、真実と異なる点がまったくないと、どうして言い切れるでありましょうか。

かつて衛朔が国を失った折の有様も、二つの史書がそれぞれに異なる話を伝えております。かの呂望が周に仕えるに至ったいきさつも、司馬遷の『史記』にさえ、二つの異なる説が記されているほどです。このような例は、決して珍しいことではございません。

このことを思うにつけても、人の見聞きしたことをありのままに捉え、伝えることのなんと難しいことか。それは、昔も今も変わることのない人の世の常なのでございましょう。

公の記録に記された言葉や、国の歴史を綴った確かな書物でさえ、そうなのです。ましてや、はるか千年の昔を語り伝え、遠い異国の風習を書き留め、散逸した書物の断片を繋ぎ合わせ、古老の口伝えに耳を傾けて言葉を拾い集めるとなれば、なおさらのことでございましょう。

一つの出来事に異なる筋書きがなく、一つの言葉に異なる解釈がないこと、それこそが真実であるとするならば、それは古の歴史を編んだ者たちをも、等しく悩ませてきた問題なのでございます。

それでもなお、国が歴史を司る役人を置き、学者たちが書を読み解き、書き記す営みをやめないのは、なぜでありましょうか。それはきっと、書き記すことで失われるものは小さく、後世に遺されるものは大きいと信じるからではないでしょうか。

今、私がここに集めました物語の中に、もし古の文献から引いたものがあるとしても、その責めは私にはございません。しかし、もし私が近頃の出来事を拾い集めた話の中に、偽りや過ちがございましたならば、私は甘んじて、先人たちと共にその咎めを受けとうございます。

そして、この書をなすもう一つの目的は、神々の道の存在が決しておろそかにはできないものであることを、明らかにすることにございます。

世に溢れる無数の言葉や、諸家の教えのすべてを読み尽くすことは叶いません。また、日々見聞きするすべてのことを書き記すことも、到底できることではございません。私がここに集めましたのは、天地自然の理を広く示すに足る物語、そして、その幽かな教えを伝えるに足る、ささやかな話ばかりでございます。

願わくは、いつの日には、このような物語を愛する方々がこの書を手に取り、そのささやかな志を汲み取ってくださること。そして、ただ心を遊ばせ、目を楽しませるだけでなく、このささやかな営みを無益なものと笑わずにいてくださることを、切に祈るばかりでございます。


『捜神記』― 失われた物語の残響、千七百年の時を超えて

作品と時代の背景

干宝かんぽうという作家と東晋という時代

干宝が生きた東晋時代(4世紀頃)は、長く続いた漢王朝の栄光が遠い昔となり、戦乱と分裂が繰り返された動乱の世でした。北方から異民族が侵入し、名門貴族たちは江南へ逃れ、束の間の平和を築きます。しかし、人々の心には先行きの見えない不安と、現実世界への諦念が深く根を張っていました。

このような時代にあって、人々は人知を超えた力や、目に見えない世界へと救いを求めます。神仙や妖怪、死者の魂といった存在が、現実の苦しみから心を解き放つための、切実な物語として語られました。

歴史家でもあった干宝は、この混沌とした時代の中で、なぜか正史からはこぼれ落ちてしまう奇妙な話、不思議な伝承を丹念に集め始めます。それは、単なる怪談趣味ではありません。彼の序文にあるように、「神道の存在が偽りではないことを、明らかにすること」―すなわち、人間の計らいを超えた大いなる法則やことわりがこの世界には確かに存在することを、物語を通して示そうとした、壮大な試みだったのです。


失われた十巻ロストピースの伝説

『捜神記』は、元々三十巻あったと記録されています。しかし、長い歴史の中で次第に失われ、現存するのは二十巻のみ。失われた十巻には、一体どのような奇跡や怪異が記されていたのか。それは、歴史の彼方に消えた「ロストピース」であり、私たちの想像力をかき立てる永遠の謎です。この喪失感こそが、『捜神記』に神話的な魅力を与えています。


干宝の「志」を追体験しながら、それは目に見えるものがすべてではないと知り、世界の広大さと不可思議さに畏敬の念を抱く、知的で感動的な旅となることを約束します。


『捜神記』の世界へ ― 作品と時代の背景

光と影が交錯する、東晋という時代

『捜神記』が生まれた東晋時代(317年~420年)は、まさに光と影が激しく交錯する時代でした。戦乱によって華やかな都を追われた貴族たちは、江南の地で新たな王朝を築きます。そこでは、書画や詩文、哲学的な談義(清談)といった、洗練された文化が花開きました。しかしその雅やかな世界のすぐ外には、常に政争の不安と、いつまた故郷を奪われるやもしれぬという深い喪失感が漂っていました。

人々は、不確かな現実から救いを求めるように、目に見えない存在へと心を寄せます。老荘思想に基づく玄学が流行し、不老長寿を願う神仙思想や道教、そして伝来したばかりの仏教が、人々の精神的な支柱となっていったのです。『捜神記』は、こうした時代の空気の中で生まれました。それは単なる空想の物語ではなく、混乱の時代に人々が何を信じ、何を畏れ、そして何を願ったのかを映し出す、魂の記録ともいえるのです。


父を想う史官、干宝の情熱

作者である干宝かんぽうは、歴史書を編纂する役人、つまり史官でした。彼は、事実を記録することの重要性と難しさを誰よりも知る人物です。そんな彼が、なぜ神や鬼、あやかしの物語を集めようとしたのか。その背景には、彼の個人的で切実な体験があったと伝えられています。

干宝の父が亡くなり埋葬されてから十数年後、墓を改葬した際、父のそばに侍っていた愛妾のひとりが、まるで生きているかのような姿で発見されました。問い尋ねると、彼女は死後の世界で父のそばに仕え続け、息が苦しくなると口を上に向け、天からの気を受けて生きながらえていたと語ったといいます。この出来事に深く心を動かされた干宝は、目に見える歴史の裏側にある、神や魂、運命といった、人知を超えた世界の存在を確信し、それらの記録を後世に遺そうと決意したのです。序文にある「神道の存在が偽りではないことを、明らかにすることにある」という一文は、彼の魂の叫びそのものなのでしょう。

失われた十巻 ― ロストピースの伝説

『捜神記』は、もともと全三十巻という壮大な書物でした。しかし、長い歴史の中でその多くが散逸し、現存するのは、後の人々が拾い集めて再編した二十巻のみです。失われた十巻に、一体どのような奇なる物語が記されていたのか。それは、我々には知る由もありません。

しかし、この「欠落」こそが、『捜神記』にさらなる神秘的な魅力を与えています。私たちは、残された二十巻の物語の行間から、失われた物語の気配を感じ取ろうとします。それはまるで、夜空に輝く星座の合間に、見えない星々の存在を想像するような行為です。このロストピースの伝説は、『捜神記』が単なる古典ではなく、我々の想像力をかき立て、探究心を刺激する、永遠に解き明かされない謎を秘めた書物であることを物語っています。


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