第1話「襲撃の影」
はじめまして
この作品をお読みいただきありがとうございます。
本作は「平凡な青年騎士が、守る意志だけを武器に成長していく物語」です。
派手なチート能力はありませんが、王道の騎士物語として丁寧に描いていきます。
初回は導入部分ですが、最後まで読んでいただければ、きっと続きを気にしてもらえると思います。
どうぞよろしくお願いします!
# 第1章 第1話「襲撃の影」
王都の大通りが、これほどまでに美しく飾られた日を、アレン・グランヴェルは見たことがなかった。
色とりどりの布が建物から建物へと渡され、花びらが風に舞い踊る。石畳には絨毯が敷かれ、沿道には王国セリオスの民が溢れかえっていた。老若男女を問わず、誰もが晴れやかな顔をしている。
「戦勝祭か……」
アレンは小さくつぶやきながら、胸の前で剣の柄を握り直した。革製の手袋越しでも、手のひらに汗がにじんでいるのがわかる。
今日は年に一度の戦勝祭。隣国との国境紛争が終結した記念日であり、王国の平和と繁栄を祝う最も重要な祭典だ。そして何より、王女リリアナ・セリオス殿下が民の前にお姿を現される日でもある。
「緊張するな、アレン」
背後から声をかけられ、アレンは振り返った。同じ近衛騎士の制服に身を包んだロラン・ディアークが、苦笑いを浮かべながら立っている。
「ロラン先輩……」
「顔が青いぞ。まるで初陣に向かう兵士のようだ」
「だって、これが初めての大役なんですから」
アレンは困ったように眉を下げた。確かにその通りだった。騎士団に入団してまだ半年。これまでは王城内での警備や雑用ばかりで、王女の護衛を任されるのは今回が初めてなのだ。
「心配するな」ロランは肩に手を置いて言った。「お前は行列の最後尾だ。何かあっても、俺たちが前にいる」
行列の編成は既に決まっている。先頭に楽隊、続いて花を撒く少女たち、そして王女の馬車。その前後を近衛騎士が囲み、最後尾にアレンのような新米騎士が配置されるのだ。
「でも、万が一のことが……」
「万が一など起こらん」ロランは断言した。「影の騎士団の噂は確かにあるが、これだけの警備体制で何かできるはずがない。それに」
彼は周囲を見回した。騎士たちが持ち場につき、弓兵が屋根の上に配置され、魔法使いまでもが数人待機している。
「この祭りは民の心の支えだ。誰もそれを汚そうとは思わない」
アレンは頷いたが、胸の奥の不安は完全には消えなかった。
正午の鐘が響くと、行列が動き出した。
楽隊の奏でる華やかな音色に包まれ、民衆の歓声が空に響く。アレンは隊列の最後尾で馬を進めながら、その光景に見入っていた。
王女の馬車が通り過ぎると、沿道の人々は膝をついて頭を下げる。しかしリリアナ殿下は窓から身を乗り出すようにして手を振り、微笑みかけていた。その姿を見た民衆の顔が、さらに明るくなる。
「さすがは姫様だな」
隣を歩く同期のガレスがつぶやいた。
「ああ。あんなに近くで民に手を振って、護衛の俺たちの心臓が止まりそうだ」
「でも、だからこそ愛されているんだろう」
アレンもそう思った。リリアナ殿下は美しいだけでなく、民のことを心から想っている。それが行動に現れているのだ。
行列は王都の中心部を抜け、下町の商店街へと向かった。ここでも民衆の歓迎は変わらない。商人たちが商品を手に振り、子供たちが花を投げている。
「平和っていいな」
ガレスの言葉に、アレンは深く頷いた。自分の故郷の村も、昔はこんなに平和だった。賊に襲われる前までは。
その時だった。
アレンの背筋に、冷たいものが走った。
何かがおかしい。
彼は馬の歩みを緩めて周囲を見回した。民衆の歓声は相変わらず響いている。花びらは舞い続けている。楽隊の演奏も途切れない。
でも、何かが違う。
「どうした、アレン?」
ガレスが振り返って尋ねた。
「いや……なんでもない」
そう答えたが、胸の奥の違和感は消えなかった。まるで森で獣に狙われた時のような、得体の知れない恐怖感。
アレンは再び周囲に目を向けた。商店街の二階の窓、路地の奥、人混みの中――どこか一点から、自分たちを見つめる視線を感じる。
いや、見つめているだけではない。
狙っている。
行列が大通りに戻った時、それは起こった。
「うわあああああ!」
突然、人混みの中から男が飛び出した。黒いフードで顔を隠し、手には剣を握っている。目標は明らかに王女の馬車だった。
「刺客だ!」
ロランの声が響くと同時に、護衛の騎士たちが動いた。しかし男の動きは速い。人混みを縫うように駆け抜け、馬車に迫っていく。
アレンは一瞬、硬直した。
頭の中が真っ白になる。心臓が激しく鳴り、手足が震えていた。これが実戦なのか。本当に命のやり取りが始まるのか。
刺客の剣が陽光を反射してきらめく。その切っ先が、王女の乗る馬車に向けられている。
「殿下が……」
その瞬間、アレンの体が動いた。
考える間もない。恐怖も震えも、すべてを押し殺して馬を駆けさせる。剣を抜き、刺客に向かって突進した。
「待てっ!」
アレンの剣が刺客の背中を狙う。しかし相手は振り返ると、信じられない速さで剣を振るった。
ガキィン!
金属音が響き、アレンは剣を弾かれた。衝撃で馬から落ちそうになる。
「うお……!」
必死にバランスを取り戻すアレン。刺客は冷たい目で彼を見つめると、再び剣を構えた。
「邪魔をするな、小僧」
低い声でつぶやくと、刺客は剣を振り下ろしてきた。アレンは慌てて剣で受け止める。しかし相手の力は強く、腕が痺れた。
ガギィン、ガキン、ガギィン!
剣と剣がぶつかり合う音が響く。しかしアレンの剣技は未熟で、受け身に回るばかりだった。
「くそっ……!」
刺客の一撃がアレンの頬を掠める。血が流れ、痛みが走った。
このままでは殺される。
でも、負けるわけにはいかない。
「殿下を……殿下を守るんだ!」
アレンは叫びながら、必死に剣を振るった。技術はないが、気持ちだけは負けない。
刺客は舌打ちした。この新米騎士は弱いが、しつこい。時間を無駄にしている間に、他の騎士たちが駆けつけてくる。
「邪魔だと言っているだろう!」
刺客は渾身の力で剣を振り下ろした。アレンの剣を吹き飛ばし、彼の胸に蹴りを入れる。
「があっ!」
アレンは地面に叩きつけられた。息ができない。体が動かない。
刺客は王女の馬車に向き直った。もう障害はない。
その時だった。
「遅いぞ!」
馬蹄の音と共に、ロランが駆けつけた。彼の剣が一閃すると、刺客の武器を弾き飛ばす。
「ぐっ……!」
刺客は後退したが、すぐに懐から短剣を取り出した。しかし既に他の騎士たちも到着している。
「観念しろ」
ロランが剣を向けた。周りを完全に囲まれ、刺客に逃げ場はない。
「……今回は引く。だが、必ず殿下の命を頂く」
刺客は懐から煙玉を取り出すと、地面に叩きつけた。白い煙が辺りを覆う。
「しまった!」
ロランが駆け寄ったときには、刺客の姿は消えていた。
煙が晴れると、周囲は騒然としていた。
民衆は怯えて身を寄せ合い、子供たちは泣き声を上げている。騎士たちは刺客の行方を探しているが、見つからない。
「アレン!」
ロランがアレンに駆け寄った。彼はまだ地面に倒れたまま、荒い息を繰り返している。
「大丈夫か?」
「は……はい……」
アレンは何とか起き上がろうとしたが、体が震えて立ち上がれない。恐怖と緊張で、足に力が入らないのだ。
「無茶をするな。お前はよくやった」
ロランの言葉に、アレンは顔を上げた。
「でも、俺は……何もできませんでした。弱くて、足手まといになって……」
「それでも殿下の前に立った」
新しい声が聞こえ、アレンは振り返った。王女リリアナが馬車から降りて、こちらに歩いてくる。
「殿下!まだ危険です」
ロランが制止しようとしたが、リリアナは首を振った。
「この方が私を守ってくださったのです。お礼を言わせてください」
彼女はアレンの前に跪くと、優しく微笑んだ。
「ありがとう。あなたの勇気のおかげで、私は無事です」
「そんな……俺は何も……」
「いえ」リリアナは首を振った。「あなたは震えながらも、私の前に立ってくださいました。それだけで十分です」
アレンの目に涙が滲んだ。自分は弱い。それは事実だ。でも、この瞬間だけは、騎士として認められた気がした。
「必ず……必ず強くなります」
「はい。期待しています」
リリアナは立ち上がると、騎士たちに向かって言った。
「行列を再開します。民の心に恐怖を残してはいけません」
「しかし殿下、まだ危険が……」
「だからこそです」リリアナの声に迷いはなかった。「今逃げれば、敵の思う壺です。私たちは負けません」
行列が再開されたが、警備は一段と厳重になった。
アレンは医療兵に傷の手当てを受けながら、王女の後ろ姿を見つめていた。あれほど恐ろしい目に遭ったのに、彼女は民衆に向かって変わらず手を振っている。
「強い人だ」
アレンはつぶやいた。自分とは正反対の、本当に強い人だ。
「お前もだ」
ガレスが隣に並んで言った。
「俺だったら、あんな状況で前に出られない。お前は凄いよ」
「でも結局、何もできなかった」
「時間を稼いだじゃないか。それがなければ、ロラン先輩たちも間に合わなかったかもしれない」
本当にそうだろうか。アレンには確信が持てない。
ただ一つわかるのは、今の自分では王女を守れないということだった。
「強くなりたい」
アレンは拳を握りしめた。今日のような思いは、もう二度としたくない。
行列は無事に王城へと戻った。祭りは成功し、民衆の笑顔も戻った。しかし騎士団の間では、深刻な空気が流れていた。
「影の騎士団」
刺客が名乗った組織の名前が、アレンの頭に残っていた。これは始まりに過ぎないのかもしれない。
王城の中庭で馬を降りながら、アレンは改めて誓った。
絶対に強くなる。そして次こそは、本当に王女を守ってみせる。
夕日が王城の塔を照らし、長い影が石畳に落ちていた。平和な一日の終わりに見えるが、アレンにはそれが不吉な前兆のように思えてならなかった。
影の騎士団。
その名前が、風と共に消えていく。
その夜、王城の奥深くで一つの会議が開かれていた。
王様、近衛騎士団長、そして数人の重臣が集まり、今日の事件について話し合っている。
「影の騎士団……確実に動き出したな」
騎士団長のバルドウィンが重々しく言った。
「ああ。もはや噂の段階ではない」王様は疲れた表情で頷いた。「リリアナに何かあったら……」
「お父様」
扉が開き、リリアナが入ってきた。会議の参加者たちは驚いて立ち上がる。
「殿下、こんな夜更けに……」
「私のことを話し合っているのでしょう?当事者が参加するのは当然です」
リリアナの意志の強さに、誰も反論できない。
「今日、私を守ってくれた騎士がいます」彼女は続けた。「アレン・グランヴェルという新米の騎士です。彼は震えながらも、私の前に立ってくれました」
「あの新米か」バルドウィンがつぶやいた。「確かに勇気はあるが、実力が……」
「実力は後からついてきます」リリアナは断言した。「大切なのは心です。彼のような騎士がいる限り、私は恐れません」
王様は娘の言葉に微笑んだ。確かにリリアナの言う通りかもしれない。
「では、その騎士の教育を強化しよう」
「ありがとうございます」
リリアナは深く頭を下げた。そして心の中でつぶやく。
アレン様、どうか強くなってください。これから始まる戦いのために。
王城の窓から見える夜空に、星が瞬いていた。平和に見えるその光も、やがて嵐に飲み込まれるかもしれない。
影の騎士団の脅威は、確実に近づいていた。
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