影の刃
男の刃が月明かりに鈍く光った。
カイの叫びに反応したアリアは咄嗟に身をひねり、肩をかすめて短剣をかわす。
火花のような痛みが走ったが、命を奪われることだけは免れた。
「ちっ……気づきやがったか!」
襲撃者はフードを払い、獣のような目を光らせる。
影の市場のざわめきが止まり、周囲の視線がこちらに集まった。
だが誰も止める者はいない。
ここは裏の世界、弱者が死ぬのは日常の一部なのだ。
マルクが斧を構えようと一歩前に出る。しかしレオンは片手を上げて制した。
「待て。これは“試し”だ。こいつらが生き延びられるか、見てやろう」
軽い声に、カイの背筋が凍る。
これは依頼であり、同時に“選別”なのだ。
「カイ!」
アリアが剣を抜き、襲撃者に向かい合う。
刃と刃がぶつかり、甲高い音が夜の市場に響いた。
アリアは必死に振るうが、相手は熟練の殺し屋。
容赦ない連撃が彼女を追い詰めていく。
カイの頭に未来視が閃く。
──アリアが胸を貫かれて倒れる未来。
全身から冷や汗が噴き出す。
「いやだ……そんな未来、させない!」
カイは木箱を地面に投げ捨て、手にしていた枝を握りしめた。
脆弱な武器だとわかっている。それでも飛び出すしかなかった。
「うるさいガキが!」
襲撃者が振り向き、刃を振り下ろす。
カイは恐怖に突き動かされるままに枝を突き出した。
──ガキの悪あがき、そう誰もが思った瞬間。
男の刃が逸れた。
カイの突きが偶然にも相手の腕を弾き、わずかな隙が生まれる。
「今だ、アリア!」
カイの叫びと同時に、アリアは全身の力を込めて剣を突き出した。
鋼の音と、肉を裂く鈍い感触。
男の瞳が驚愕に見開かれ、口から血が飛び散った。
アリアの剣は、確かに人を傷つけていた。
「……っ」
アリアの顔から血の気が引く。震える手から剣を落としそうになる。
だが男はまだ完全には倒れていない。
彼女は涙をこらえ、再び剣を振り抜いた。
──沈黙。
影の市場のざわめきが戻り、誰もが興味を失ったかのように再び取引を始める。
血の匂いが鼻を突く。
アリアは膝をつき、剣を握った手を見つめた。震えが止まらない。
「わ、私……人を……」
「……生きるためだ。アリア」
カイは彼女の肩を支え、必死に言葉を探す。
「俺たちは、ここで死ぬわけにはいかないんだ」
レオンがゆっくりと近づいてきた。
彼の笑みは先ほどと変わらないが、目だけが冷たく光っている。
「上出来だ。王都で生きるには、
今みたいに“選んで”刃を振るわなきゃならない」
その言葉に、カイの胸が締め付けられる。
未来視がまた閃く。
──赤い羽根を戴いたレオンの背中。
その先には光と影、二つの道が交差していた。
果たして自分たちは、どちらの道へ進むのか。
答えはまだ見えない。
ただ、血を初めて浴びたその夜から、
二人の心に「逃れられぬ現実」が刻まれたのだった。