第88筆 神の勅命と、万人の代弁者
昂る感情より、先に疑問が勝った。
彼は、何か目的があってこの“エリュトリオン”に現れたはずだ。
「オロチさん、あなたほどの大物が──なぜここにっ!?」
オロチは袂から、一通の手紙を取り出す。
そこには、太陽の紋と、かんなぎの一族の菊花紋が並んでいた。勅令書だ。
「──失礼いたしました。少々お待ちください」
今回の勅命書。それは、地球神の辞令書だった。
これが読み上げられる時──
その書を送った“神”は、必ずどこかで聴き、そして視ている。
粗相など、決して許されない。
俺は時を移さず、正座し、深く頭を垂れた。
「謹んで拝聴致します」
静寂の中、和紙の擦れる音が響いた。
蛇腹状の紙が一枚ずつめくられていくたびに、空気が張り詰めていく。
「十武神と地球の神々を代表し、天照大御神が命ずる──」
「はっ」
「第108代イカイビト・東郷雅臣と、その仲間たちに対し──特別指南役として、八岐大蛇こと“オロチ”を派遣する」
オロチはひと呼吸して、言葉を締めくくる。
「邪神討伐の任を終えるまで、彼は随行するものとする。──以上なり」
間を置かず、俺は覚悟と誓いの言葉を紡いでいく。
「天照大御神さまのご神意、確かに拝命致しました。私、東郷雅臣とその仲間たちは、オロチ殿よりご教導を賜り、絶えず精進することを──ここに誓います」
その瞬間、太陽がひときわ眩く光を放った。
それは──オロチが到着し、天照大御神が確かに聞き届けたという神からの応答だった。
機密保護のため、勅命書は宙を飛び、陽光により焼失していった。
「ふぅ──堅苦しいのは面倒くせェ。雅臣、ヨロシクな」
オロチが肩を回して脱力すると、張り詰めた空気が癒しの空気へ変わっていく。
(あの圧力は、神域の展開は──魔祓いの儀式だったのか⋯⋯!)
村全体に降りかかっていた邪神の呪いを、彼は──ただ純粋なエネルギーだけで、すべて浄化してみせたのだ。
風の動きも、清らかに滞りなく循環しており、俺がどうしようも出来なかったことを、たった数十分程度で解決してしまった。
本当に“力の象徴”と呼ばれる実力はあるらしい。
まさか、こんなにも頼もしい先生が現れるとは──。
一方、オロチはある方向に視線を移し、見透かしたように呟いた。
「なぁ、そこにいるホログラムの嬢ちゃんたちと、エルフの兄さんも、出てきたらどうだ?」
「うわっ!?」と叫びながら、三名とも物陰から見事にすっ転んだ。
慣れた手つきで、“まだ見ぬ美青年”が倒れた三人を介助していた。まるで日常茶飯事かのように。
「へぇ、バレていたかい」
亜麻色の髪に、一房だけ混じる雪のような白。つり上がった長い耳が、彼の格の高さを物語っている。
白磁のように透き通った肌から、ほのかに香るのは日焼け止めクリームの爽やかな匂い──たぶん、日光アレルギーなのだろう。
右目は、桃の花のように柔らかく、それでいて心を吸い込むような不思議な輝き。
左目は、静かな湖を思わせる青柳色。あらゆる知を宿したかのような深みがある。
その魔眼──本来なら視るだけで精神を揺さぶるほどの力を持つ瞳を、彼は薄い色付きの眼鏡で抑えていた。
(……他人を傷つけぬよう、自らの力を封じている)
通常、耳長族の耳は、横一文字にすっと広がる。
だがこの男の耳は、わずかに天を指していた。彼が黎高種──死に時を自ら選べるという、伝説の種族である証だ。
(それにしても何だ、この魔気は……!?)
誰も気づかなかった物陰から──風のように、音もなく現れたその存在は、まさに「生ける伝説」と呼ぶにふさわしい。
絶大な魔力を内包しながらも、それを隠そうともせず、どこか親しげな微笑を浮かべて彼は言った。
「東郷雅臣くんとオロチさん、お会いできて光栄だよ」
「貴方は一体⋯⋯?」
「僕は冒険者ギルド本部総帥、ハルトリッヒ・ヘフネル・ソシアスと申す者」
「はぁ!? 本部総帥ッ!!?」
「お兄さま、この方は、正真正銘の本物。百カ所以上の支部を丸ごと統括するいちばん偉い人です」
──ちょっと待て、それは流石におかしい。
ウィズムの解説に、嘘偽りはない。
俺は現イカイビトとはいえ、村一つを救っただけだぞ。
世界規模の信頼や実績も、まだ無いに等しい些末な所業で、わざわざ世界の有力者が出向くのか? 盲信も良い所だ。
(どうして俺に疑いの目を向けるわけ?)
〈さぁ、何でしょうね?〉
クーから学んだ“心利きの絆”で読み取ったら、ハルトリッヒは、視線で返答を送りつけて来た。
この方は、まだ旅の序盤で出会って良い存在じゃない気がする。
なぜなら、四大陸はまだ一つ目ミゼフ王国、始まりのシャルトゥワ村だからだ。
「どうしてこんな僻地に?」
「魔眼がざわめいたんだ。騒がしいのは苦手だけど……無視もできなくてね。僕、そういう性分でさ」
「現場主義……ですか?」
「うん、現場主義。机上の空論より、泥の一歩を信じてる。民衆の代弁もしたいしね」
「……敬意を表します」
「ありがとう──じゃあ教えて。君たちは、どうやってこの世界を救うつもりなの?」
単純明快にして最も答えるのが難しい問い。
これが世界の要を担う存在から問われているから、益々、緊張が走る。
(間違いなく、平穏な日にならないと見た)
──これは、ただの慰霊祭と旅立ちで終わるはずだった一日が、未来を変える序章となった瞬間だ。
【次回予告】
第89筆 雅臣とギルド創設者
《10月17日(金)19時10分》更新致します。




