第87筆 再会と螺旋の気配
青葉のそよ風亭に預けていた赤兎馬の尊陽と、ダルカスに貸した白馬を異空間へ〘返還〙した。
走りながら、冒険者ギルド・シャルトゥワ支部へ近付くにつれて、強まったり弱まる──謎の圧力。
神力と純粋なエネルギーの往復変換がされているのだ。初めての感覚に、少し酔いそう。
「お兄さま、調査結果を報告します」
「頼んだ、ウィズム。うぷっ⋯⋯」
「昨日、世界各地で報告された“謎の拳闘士”と、“力の波形”が似ています」
謎の拳闘士か。昨日夕方、大陸の外で異常な力を感じたが、気のせいじゃなかったらしい。
「それをどこで仕入れたんだ?」
「ハッキングしました。この世界、案外セキュリティが強いようです」
「ハッキングは流石に違法だろ」
「情報に善悪はありません。定義するのは生物です」
ウィズムの名言に、納得せざるを得なかった。
魔力や霊力、神力は特定の属性に属するが、それらすら統合しうる“根源的な力”──それが“純粋なエネルギー”だと、かつてウィズムは言った。
神力の使い手のミューリエでさえ、耳を時々押さえているのだ。
「ミューリエ、大丈夫か?」
「今、慣れてきたところ。周波数が少し歪んでいるけど⋯⋯何なの、これ⋯⋯?」
ミューリエもやっと耳を押さえるのを止めた。
不思議なのは、魔力を主に活用するウィズムやカキア、ルゥの三名に、全く影響がない事。
(神力の拒絶⋯⋯いや、“帰黎反応”かも)
『あらゆるエネルギーが原始の状態に帰ろうとする反応。これを帰黎反応と呼ぶ。その先は自も知らぬ』
修行の合間、念描神ザフィリオンがそう表現していた概念に酷似している。
「冒険者ギルド、現着ですね。周囲の生体反応に⋯⋯ひとり、異常な魔力密度の保有者と、裏庭に“謎の力”の持ち主がいます」
冒険者ギルドの表にはいない。裏庭から、風の匂いに混じる“圧”の持ち主がいる。
「ミューリエ、一緒に行こう」
「うん。ルゥちゃん、ウィズムちゃん、カキアおじじは待機して」
三名はギルドの壁際に隠れ、頷いた。
「ご武運を」
ウィズムの言葉に背を押され、いざ足を踏み入れると──
〈⋯⋯来たな〉
そんな思いが伝わってくる。
簡素だが、神域が降臨している──そう思って覗いた先にいたのは、黒い着流しの男。
透かし手袋をつけた拳を前に出すたび、風が静かに螺旋を描く。
空気を割る音は一切なく、どこも傷つかない。
それでも、その拳から伝わる威圧感は……あらゆる猛獣よりも、重く強かった。
これが純粋なエネルギーと呼ぶべき概念⋯⋯?
「……貴方が、昨日の“謎の拳闘士”ですか」
男はちらりとこちらを見て、ゆっくりと拳を収めた。その額と紫紺の髪の上に、四本の角が生えている。
「……なるほど、目は死んでねぇ。生きてる。悪くねぇや」
「何の話……?」
男は微笑すら見せず、まるで木を観察するような声で続けた。ただ、金の瞳は、再会を懐かしむ視線を感じる。
「よう、雅臣。二十年振りだなぁ。見ねえ間に“力”に選ばれちまってる顔してる。あん時はもっと無垢だったのによぉ」
「力に……?」
彼はため息を吐きながら、指摘するように指を差した。
「そう。力ってのはな、欲しがった奴にゃ来ねぇが、背負える奴には寄ってくる。…⋯雅臣は、後者だ」
「そこの嬢ちゃん──ミューリエも久し振りだが、力を避けてんな」
(先生……でも、こんなにも変わって……いえ、きっと元から“こんな人”だったんだわ)
ミューリエが小さく呟く。
「もしかして、日本語教室の蛇川先生ですか⋯⋯?」
「おう。日本語の発音も綺麗になったな。達者だったか?」
「まだブランクはありますが、少し感覚を取り戻しました」
ミューリエが笑顔になり、すぐに握手をした。
蛇川──珍しい苗字だが、異世界人の彼女が知っているような人物とは、何者なのだろうか。
「そうか。だが、ちと待ちな」
男はふと、俺に向かって構えを取った。
それは剣でも槍でもない。
ただ、拳を正面に突き出しただけの構え──だが、全身から放たれる“重圧”が空気を変えた。
「一発だけ、やってみるか? ……今朝はそれで終わりだ」
俺はごくりと唾を飲み込んだ。
(本気じゃない……でも、逃げたら何かを失う)
たった今、生殺与奪の権は彼に握られている。
言動次第では活人か、瞬殺か──運命が決まろうとしていた。
「……お願いします」
一礼の後、静かに、拳が交わる。
だが衝突音はなく、先程まで起きていた身体異常が全て、数秒だけ沈黙した。
その瞬間、俺の脳裏に“異物”が流れ込んでくる。
破壊の意思、戦いの意味、力を握る覚悟……。
〈力は時に在るだけ。時に無いだけ。後は使う者の意思次第だ。お前さんはどう使う?〉
「────っ!?」
膝が抜けた。
だが倒れる寸前、男が片手で支えてくれる。
「……まあ、こんなもんだろ。素質あり。神力の制御は、もうひと踏ん張りだな。良いセンスしてらぁ」
「いま、何を……」
「“力”ってのは、制するためにあるんじゃねぇ。〈出さずに済ますため〉にあるんだぜ」
男は武人らしい一礼をし、俺もすかさず礼を返した。
「次にやる時は、今日の“意味”を自分なりに言葉にしてみな。……じゃ、今朝はここまで」
「ありがとうございました。んん?」
彼は娘から貰ったという蛇の刺繍入り巾着袋に、手袋を入れて別の物に付け替えている姿を見て、咄嗟に思い出した。
確か、あの巾着袋は「愛娘から貰って、捨て切れねぇ」と語っていたはず。
忘れかけたのに、段々と蘇る記憶の数々。どうして⋯⋯何でこの世界にいるんだ?
俺は──この人のことを知っているっ!
「貴方の名は⋯⋯蛇川八堂さん。かつて俺に書道と水墨画を教えた恩人だ──!」
「フハハ、覚えてたか。続けろ」
彼はにこりと笑い、俺の思い出話に付き合ってくれた。
自分が五歳の時、親に蛇川書道教室へと連れられ、嫌々ながら、〇だけ書いた。
『やだやだ、絵がいい! 文字なんてキョーミないもん!』
『フハハッ。お前さん、絵描きが向いてんな。丸みがとても綺麗じゃねぇか。よーし、水墨画、やってみるか?』
『何それ! おれ、やってみたい!』
彼は、俺の逃げを責めず、良いところを見つけた。俺が十歳になるまで、水墨画を教え続けた。
最後の指導は、一枚の昇り龍の絵。目に勇ましい〇を描いて、仕上げた。
『免許皆伝だな。趣味にするか、本業にするか、好きにしろ。この蛇川八堂は、お前さんの帰りをいつでも待ってる』
俺が多忙のあまり、帰ってくることは無かった。しかし、彼は門戸を開けてくれていたのだ。
「現在は蛇川グループの名誉会長として活躍中。日本古代種にして、生きる伝説。本名、八岐大蛇──!」
日本神話の時代、大暴れした八つ首の大蛇。
素戔嗚尊に討たれ、空白の時を経て──日本史の“裏ボス”となった謎の男。
彼は、八重歯を見せて笑った。
「いかにも。俺様こそ、八岐大蛇。オロチさんと呼んでくれ」
日本の武王、経済界のドン──彼を語る異名は、枚挙に暇がない。
(地球で最も知られた異名は、“力の象徴”だったなぁ)
彼を祀った神宮の参列者は数知れず。祈願絵馬に誰もが“拳”と書いていた。
(──もう会えないと思っていた)
絵の道を押し進めた、あの大恩人と。
全身が震える。
──幼かった我が運命の歯車が、いま。
ひとりの“大人”の運命の時計として、律動を始めた。
【次回予告】
第88筆 神の勅令と万民の代弁者
《10月15日(水)19時10分》更新致します。




